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32,2005年2月22日号 『親の最後とお墓・供養』 |
スマトラ沖の津波の時、タイの友人、チャットさんからの連絡が途絶えました。3週間位経ったら、デンタルチームに入って、歯形照合のボランティアをしていたと便りがあり「金持ちも貧乏人も皆コンクリートに裸になって並び、自分が誰であるか見つけて貰うのを待っていた」と、書いてありました。人間の最後の話。8人の参加でした。 ●昨日偶然Kさんと、お互いのお墓が平和公園の同じお寺の墓地だと分かった。20年以上、お互いにお墓の話をした事がなかった。宝くじに当たるくらいの確率。だからこれからは、がま口塾のあった日の午後は2人でお墓参りをしようと話している(笑い)。ながら参りはよくないというけど、気持ちがあっていくのならいいじゃないかと。 ●父が痴呆症になり暴力もあったので施設に入れた。それでいいと思っていたが、鍵のかかった4人部屋で、ちょっとした身の回りの物だけで暮らしている父を見て『これで良かったのかなあ』と思った。こうするより他無かったとも思った。今、一番引っかかっている事。兄はずっと親と暮らして私より苦労した。月に一回の保護者会には参加しているが、兄はなるべく父に会わないようにしている。会えば父は家に帰りたがる。家庭崩壊、下手をすれば殺人も起きかねない。兄の気持ちもよく分かる。でも親をこのようにしていいのかとも悩んでいる。お墓はあるので、それは問題ない。 問題は私達。永代供養をして貰える霊園のを買った。管理費を5年の前払いで60万位払ったが、孫がいないので無縁仏になりそう。子供達に相談して半額返しで解約できた。2~3日前、勝手な所に墓地は造ってはいけないけど、骨壷に入れて自宅においてもいいという事を知った(一番安くていいね)。(笑い)あちこちのお寺で、お墓のマンションを売り出しているのでパンフレットを取り寄せたら、夫婦で80万円くらい。今、それにするか、自宅の骨壷にするか迷っている状態(身につまされるね) (笑い)。 ●両親は80歳と75歳。そろそろ考えなくてはいけない年だが、お墓にお参りに行った経験がない。仏壇もあるにはあり、両親が月に1回お坊さんにお経をあげて貰っているけど、僕になって果たしてそれがやれるだろうか。虐待を受けたので先祖を供養するという気持ちになれない。祖母も虐待されている時に無視したので供養する気持ちになれない。現在後遺症と膠原病の為、生活保護を受けているので供養するお金もない。子供は僕1人なので、今後仏壇とお墓の供養は誰がするのか。親戚もするような人もいない。家族に対して複雑な心境なので、簡単に供養するとか手を合わせるという事は、僕には、今はできない。 ●81歳の舅と同居なので本当に目前の問題。外出をしない人なので、家族以外と会話がなく、再三改善を試みても効果がなかった。本当に今年か来年には、自分の時間をすっぽり介護にとられるのかなあと思っている。姑の時は丸4年寝たきり状態の世話をし、全く外に出られず、時計と睨めっこの日々だった。又その日がくるのだというのが恐怖。 お墓の事は複雑。我が家の宗派とは関係のないお寺にお墓をたててくれという姑の遺言に従った。北海道に本当の墓はある。舅は多分北海道の先祖代々の墓に入ると思う。私達も年をとるし、子供達もそれぞれ家庭を持つだろうから、費用的にとても北海道へ度々お参りに行く事はできない。お墓ってある意味で縛るものじゃないかと思う。形があるので行かなきゃいけない。家の中の骨壷ならいつも身近でお参りも出来る。私はお墓には全然入れて欲しくない。骨はまいても構わないし形に拘らない。親と同居で、若い頃から老後の事は考えさせられたから、子供の為に負担をかけない最後にしたい。とりあえず夫の父親の代まではきっちりするが、自分の事はある意味どうでもいい。
●父は生前孫に「お爺ちゃんは今からお友達の葬式に行くけど、お爺ちゃんの時はしなくていいからね」と(笑い)言っていた人。日本各地から岩手に皆が集まり兄が葬儀屋とかけあった。誰も呼ばない、幕もかけない等と兄が言うので、業者とちょっともめた。(笑い)結局は兄弟とその連れ合いだけのお葬式。来たいという人には「やりません」と断わった。涙もなく、皆で父親の話をゆっくりして良いお葬式になった。90歳という事もある。近くの山に散骨してほしいと言っていたのでそうした。父のお墓参りが嫌いな理由を後年知った。 父の生母は早世。継母に外地から送金をして家の事を託したが、帰国したら散財されていた。葬式にはその母の子供達が財産を全部持ち帰ったそうだ。父はどうぞどうぞ。そういう経緯で、「生きている間に親孝行はしたから拝まない」という事だったらしい。だから父の葬式も簡単で20万かからなかった(えーっ!)。ちゃんとお寺にも行って家族全員でお参りもした。(お坊さんだけでも20万ではすまないよ)。本当に質素にやりたいって兄が強く言った。 実は今日、電車の中でお葬式の新聞記事を一生懸命読んでいて、乗り越して遅刻した(爆笑)。「葬儀とは故人に別れを告げるだけでなく、残された者が今後をどう生きるのか、自分自身に問いかける場ではないだろうか」と言っている。自治会館、葬儀屋、自宅の三つの方法のうち、自治会館は全部自分でやらねばならず大変。葬儀屋は利益を上げる為に色々な事を言う。「この写真じゃ可哀想。お花を15万」とか「車はリムジンを」。大体その家の様子を見る。(値踏みするんだよ)(笑い)負けないで「それは家はイイです!」ときちんと言うと折れる(笑い)等と細かい事が沢山書いてある。お別れの会、自由葬についても書いてる。我が家の場合、母の所に後からお参りしたいという人達が大勢来たそうだが、母が説明して納得して貰って、来てくれた人達と旧交を温めた。(生前から信念を貫いて来られたから出来た事だと思う)。兄はG県にいるけど、こんなもんじゃないよと言う。役員していると全部の葬式に出て結局お酒を飲むというシステム。(そうそう)事前に自分はどうしたいかを考えておくべき。全部細かく指示があれば遺されたものが楽をする。遺す者への思い遣り。 ●しきりに遺言を書いておけって言うね。(遺言する内容がない)(笑い)。自分が死んだ場合、誰に連絡して欲しいとか。
●自分の家の庭にまくのは違反なの?誰かがやったって聞いたけど。 ●特別の許可を取り、ご近所にもきちんと話してやった人がある。テレビでやってた。 ●遺灰からダイアモンドを作るってのもテレビでやってたね。 ●家庭的な悲劇の中で息子さんが亡くなったので、いつも一緒にいたいいう事で、お母さんが遺灰でダイアモンドの指輪を作ったという内容。アメリカのライフジェムという会社で日本に支社もある。コップに半分程の遺灰から炭素を抽出して5000度の熱で燃やして20万トンの圧力をかける。0.25カラット40万円くらいから出来る。(ふーん)(いっぱい作って思い出の人にあげられるね)。ネットで調べると素っ頓狂なのがある。遺灰を地球周回軌道に乗せたり宇宙の彼方へ送ったり、月に向けて遺灰を打ち上げたり。まさに永代供養。 ●でも、宇宙のゴミになる。(そうそう)(いつか落ちるよね) ●自分さえ良ければってのは問題ね。自宅におくのは今日初めて聞いて、いいかなって思う。誰かのお茶に入れて飲ませようとか(笑い)。夫の父は、私達が結婚後まもなく寝たきりになって4年後亡くなった。財産を本家跡取りに託し皆でお墓もたてた。でも私達の入るお墓ではない。姑が体が弱ってから我が家に来て籍も入った。寝たきりになって自宅で私が介護。喪主をして葬式を出した。お骨になったら本家が持って行った。私は構わないけど、だから、全て形あるシステムを信用していない。 父のお墓は母が一時探していたけど、だんだんもう要らないって考えになったみたい。私自身は父の手記を本にして、それがお墓だと思っている。母方の先祖は日蔭の筋でI城。電車で近くを通る時、『ああ、あれが私のお墓』と勝手に思って心で手を合わせているので、それで十分。母が死んだ時は兄に従う。私は、その辺の石ころを拝めと遺書に書いている。 ●全部跡取りに財産が行くって、遺言だったの? ●遺言じゃなくて、普通そうするんじゃない?(そうね)お金じゃなくて土地だから。 ●我が家は姑が亡くなった時、姑の財産を兄弟皆で公平に分けた。 ●民法ではそうだけど、現実としては、私もハンコを押した。その代わり親の面倒をみる。 ●家はすっかり奇麗に分けたから、舅の時もそうなると思う。 ●持って行く方がずうずうしい。周りが思い遣って言い出すべき。 ●法律的には3等分した上で、更に面倒みた人が主張できる。介護の評価はされる。 ●権利はあっても気がつかなかったりするね。強く言わなきゃダメ。 ●ご主人に言って貰う。嫁は権利がないし言い難い。でも実際に一緒に暮らし、介護したんだから。(そこらへんでもめるんだね)(法律で認められているというのが大前提) ●母の最後を6人兄弟の末っ子の私が見た。妻を亡くしている兄が、母の葬式が終わった後、皆に財産について相談。いくばくか面倒をみた私にお礼をしようと提案。その後をどうするかって言ったら、誰も黙って何も言わない。私が、ちょっと老後の生活が不安な兄弟の為にプールしようと提案。兄弟に何かあった時や、法事から何から、それで全部やろうという事になった。でも私の分は貰いにくい。甥や姪の前で言われたのが苦になって、視線を感じる(爆笑)。兄が言ってくれたから、「そう」って言える。 ●3年前に弟が亡くなり、2人兄弟なので私だけになった。私は長男に嫁いだので、こういう場合はどうなっていけばいいのか教えて欲しい。(ご両親は健在?)健在で、実家は浄土真宗、こちらは禅宗。仏壇を2つ家の中に入れてダメと誰かから聞いたので、実家の親が死んだら、あっちの仏壇をほからなくっちゃいけないのかなとか(笑い)。どうしたらいいの? ●これからますます一人っ子も増えて問題になるね。 ●一人っ子同士の結婚で片方が途絶えるケースは増えると思う。永代経は勿論お寺に頼めばいいだろうが、普段お参りする仏壇はどうしたらいいのか。 ●宗派を問わないと言ってる所は多いよ。特別に変な宗教でない限り。 ●お寺を変えるってのもいい? ●いい。住む場所によってしょうがない。 ●私の子供は、おじいちゃん、おばあちゃんぐらいは、顔を知っているから、拝んでくれるかなあと思うけど(弟さんの奥さんは?)子供もいなかったし、離婚して出た。 ●仏教にも色々宗派があって、他にも神道とか、キリスト教とかいっぱいあるものね。
●今、1人住まいの姑が死んだらどうするのかな、我が家では仏壇を置く場所もないし。 ●家はぶち壊せばいいけど、仏壇は廃棄するのに困るものね、。(無い方がいいね)(あるにしても大きくない方がいいと思った)。(奇麗な骨壷の中に入れて置くのもいいね)。 ●仏壇の廃棄は簡単。お寺さんを呼んで精抜きをやって、ゴミとする。 ●粗大ゴミだったら家の前に出さなきゃいけないじゃない!(爆笑) ●古仏壇、リサイクルの店にあるよ(ええーっ! )家具と一緒の扱いになるって考え方。 ●墓誌に書いてくれないと、お墓もいちいち精抜きをやらなきゃいけないね。(お金かかるなあ)実家の墓の名義は叔父。父が叔父に頼んで入れて貰った。で、叔父も長女は病死、次女は嫁いで墓参りも絶対来ず、私の実家が面倒をみている墓。従妹夫婦にも頼まれているけど、あの墓石も、私が関係ない様にしておいた方がいいのかなあ。 ●葬儀屋さんは湯灌を断わると、あの手この手でお金を吊り上げようとして断われない。母の時、皆の前で、明治の女で一生化粧もせず、恥ずかしい恥ずかしいで生きて来た人が、自分の意志でなく、親族も何が始まるのかしらという状態で真っ裸。 ●舅は8年前だったけど、そんな事やらなかった。(葬儀屋は新しい事を次々考えるんだ) ●男女が遺体を洗う雰囲気を見ていて、自分の身に置き換えたら、恥ずかしさと怒りで震えがきた。反面、夫も半年入院してお風呂に入れなかったまま送ったけど、どっちが正しかったのだろうと(笑い)。子供には即座にその場で「お母さんの時はやらないで」と言った。 ●病院でアルコールで奇麗に拭いてくれるよね。
●私だってまだ色々言い足りないまま、今夜ふと死ぬかもしれない(そりゃ、誰だってそうだよね)そうすると、突然の出来事に、今まで考えていた事をコロリと忘れて、言われた通りになってしまう。だから、誰にも言わずに家族だけで見送るっていうのが一番良いように思う。現役で亡くなると、夫が亡くなったという悲しみは全くなく、お世話になった会社の皆さんに手落ちがなかったか、夫に恥をかかせなかったかという事ばかりに神経がいく。 戒名も、気張らなくてもいいと姉が言ってくれたけど、生前無駄遣いしない事世界一位の人だったので、これくらいは気張らないと可哀想と思って(爆笑)「最高の戒名にして下さい」と言ってしまった。親戚が「お寺さんに払うお金用意してある?」って聞くから、『そんな5万や3万』と思っていたら(アハハ)一桁上でも足りなかった。 夫が亡くなってから17年の支出を計算したら、お墓の管理や法事等、毎月1万円ほど要るって事がわかった。(へーっ)(うわーっ)お坊さんに法事の時に何万円、食事代、お車代、お土産、お墓参りの花代、参列者へのお礼。でも人は変わる。信心深くなかった私が、お墓参りに行ってくると落ち着く。形ある物に人間は弱いなと思う。お寺さんに「こうなさる事が亡くなった方への最高のご供養です」と言われると、『は~~~』となってしまう。授戒会に、亡くなった人1人について1万円納めると1日3回お坊さんにお経を上げて貰え、3万円出したら戒名もついて、亡くなるまでに人間が一皮剥けて、天国へ行き易いと聞いて、コロッとお金を出した(爆笑)。母の分も、いやいや、主人の両親の分もしないと罰が当たる(爆笑)。それで不思議と自分の気がすむ(ならいいよね)。私はダイアモンドになるよう頼んでおこうと思っているけど、子供は考え方が変わるので、どうなるか分からない。 ●姑は3年前に脳梗塞をやって、自分の体が利かなくなったら、あれしたいこれしたいと言わなくなった。こちらとしてはちょっと気が楽になっている。 ●お墓がある以上誰かがお参りしてあげないと意味がない。 ●亡くなってから豪華に一生懸命にやる人いるよね。あれ、見てて嫌だな。 ●生きている人の意思を尊重するのか、亡くなった人の遺志を尊重するのかで変わる。 ●意思を伝えておけば、遺された者は楽。第3者にも分かるようにして、紙に書いて、目に付く所においておく事ね。絶対に守れと。 ●それがあれば親戚に対しても言い訳が立つ。聞いただけだと自分の想いが先行する。 ●常識を覆すのは大変な事。落ち込んでいる時は流されてしまう。 ●葬儀屋に電話をかければ、それでダーッと流れ作業。
●死とか葬儀をタブー視することなく、日頃から勉強して、こんな葬儀にしたいという望み、形式を段取りしておく、それか納得する葬儀をする事に繋がる。(そうそう) ●キンキラの布も被らず、棺桶が来て、誰にも見取られず、係りの人が釜に入れてガッチャーンと閉めてるのを見た事がある。お骨を拾う時に喪服も着ていない人が2人来て嫌々みたいにお骨を拾って行った。生き様がどんなだったか、迷惑をかけて死んだ人だったのか、あそこまで寂しいのも嫌だなと思った。いくら知らせないとか、内々と言ってもね。 ●焼くという行為は私はそれでもいい。音楽葬に出た事がある。聖路加病院の横の礼拝堂で、お花の中でバイオリンとピアノの生演奏。密葬は家族だけで先に済ませてあった。送り方は色々だなあと思った(生き様が反映されるね)その人は、亡くなる5年位前だけが華やかな人生で、最後を聖路加病院に入院した。そこで院長と知りあってNHKが闘病生活を撮影したのを会場でも放送した。(日野原重明先生の)(サリン事件の時、全部開放した病院) ●なかなか思い通りの葬儀はできない人がほとんど。できたという事はその人も、周りもきっと良かったんだね。 ●彼女が望んだ形式だったかどうかは知らないけれど、最後の5年間のフィナーレとしたら、逝った人も送った人も満足だったかなあと思った式だった。 ●亡くなり方にもよる。長い事大変で、ホッとされる事もある。全ては「食」から始まるので、成人病にならないよう、食生活のバランスに気をつけて良い終末を迎えたい。 ●でも、添加物のない食べ物を食べ、いいと言われる事は全てやっていた人でも先に死んでしまう。死ぬという事はどう生きるかという事だけど。 ●スマトラ沖の大津波みたいだったら、お墓も何も皆なくなってしまう。(死んだら穴の中にボンボン入れられて)(後は心で拝む)拝んでくれる人も全員逝っちゃう。戦争で全員死ぬとか。アメリカで、戦死した兵士のお墓が奇麗に並んでいるのをみると、お墓たてるより戦争をするなと思う。 ●予科練なんかで戦争に行った人達の像がお墓にあるって? ●ある。いっぱい近くの霊園に立っている。兵隊さんだけでなく、少女の像だったり、羽織袴のおじいちゃんだったり、丸い玉だったり、公園のようだったり、とにかく色々なお墓がある。あれを見ると参考になる。遺された者の色々な想いがあるんだなって。 ●この頃、皆色々な墓を立てるね。サッカーが好きだった人はサッカーボールの形にしたり。音楽が好きだった方はバイオリンの形をしたりね。 ●先祖で音楽が大嫌いな人がバイオリンの中に入ると想ったら嫌でしょう(笑い)。 ●だから、形も色も本当に無難なものを選びなさいというアドバイスも読んだ事がある。 ●持って捨てがたい物は持たない事。墓も仏壇も持っちゃったから引越しも考えてしまう。 ●処分は簡単(爆笑) 結局はモノなんだから。お参りというのは、自分の心が満足するって事だから。仏壇に向かうというのは、1つの習慣。 ●それを毎朝20分、自分のはく息が白い寒さの中でやっている。それをやっている者が、「モノ」だからって捨てられない!(笑い)(家具なんだから)。(笑い)とにかく、洋服じゃない。要らないと言って捨てられるものじゃない。 ●だけど、時代は変わったの。リサイクルショップに、こないだ2つ仏壇が並んでた。あるって事は買う人があるって事。でも、路上に仏壇がほかられているのは嫌だね。
●83年には斎場が5.2%位だったって。2003年で、近畿地方が69.8。関東地方も大体69で、四国は自宅が64。(ふーん)やっぱり場所によるね。自分がこうしたいと思っても。 ●遠くから来た人も泊まれるというのがセレモニーホールだもの。(えーっ!)全てある。宿泊付で選べる。至れり尽くせりだから、家でやる人がなくなる。 ●葬儀場作ると土地の値段は下がる。家の近くで、家具屋の二階が結婚式場だったのが潰れて葬儀場になった。そんなのが出来たら土地代が下がるので困るという張り紙が出た。 ●今、家でやる人は少なくなっている。 ●葬儀屋さんに来て貰って家でやれるか見て貰うんだって。来た親戚が集まる部屋だけは貸すとか、色々判断して段取りをしてくれる。 ●病院から看病に疲れた体で帰って来て、葬式の会場準備(うわあ・・)この応接セットむこうへ持って行ってとか。近所の人が「お坊さんの着替える部屋を提供するよ」と言ってくれたけど、お世話になりたくなかったので、じゃ、お坊さんの部屋が1つと・・・御通夜に来た人が寝る部屋は・・・って。 ●ご近所で、夫婦2人だけの家で自宅でした。坊さんはお経をあげてから向かいの家に行ったから、着替えの部屋をお向かいの方が融通されたんだと思った。 ●田舎は今でもそう。隣の家が参列者が食事をする宿になる。 ●自分の家がそうなったら交代。お互い様。 ●遺体を運ぶ布団まで貸してって言われたって。 (笑い)(買いなさい!そんなもん)(笑い) ●飲食接待、火葬場の手配、死亡広告、運送、祭壇などの備品のレンタル、花輪・・全部別々にお金が要る。(病院からの遺体の運送料もけっこうかかる)。 ●葬儀屋さんに知り合いがあれば、30~40%は割り引いてくれるよ(笑い)。(平均金額は?) ●調査によれば葬儀費用の総額は100万以下が12%で、200万円以下が39%、300万円以下が28%、300万円を越すのが19%になってる。 ●大体2~300万円ってとこね。(うえーっ)。 ●家は20万で収まったとか兄が言ってたけど、香典は全て断わった。会社関係は住所を聞かれるけど、「家はしません」とはっきり断わるのが一番先にやった事。 ●現役で亡くなると、会社の人ってこんなに優しいのっていう位良くして下さる。その人達に家はこうですなどと言えなくなってしまった。 ●90歳で1人暮らしだった人の息子さんが喪主だったんだけど、その、喪主の関係の人が凄く来る。(死んだ人には何のゆかりもないね)T自動車の方だったか、一番広い会場を借りて、背広姿だけではなく、つなぎの服を着た技術の方たちまでずらりと並ばれた。 ●自分の家で事が起きると、只々最敬礼で(笑い)、只々いい人達に見えてしまって「こんな寒い中を、こんな暗い中をごめんなさい」となっちゃう。 ●だから冷暖房完備の会館の方が、来てくれるお年寄りにもいいって事になるね。 ●お友達のお父さんが50代の現役で亡くなって、そういう会場でしたら司会者があまりにも流暢で「はい、次の方!」結婚式やってるのかなと思った。(笑い)あれも冷たい感じがした。皆悲しそうでないし、仕方なく来たって感じ。でも、友達は「楽だよ」って言ってた。 ●香典が支払い以上に集まる(でも香典返しするでしょ)。 ●最近は香典返しをどこどこに寄付するって葉書が一枚来る事がある。 ●私もそれが理想だった。でも、寄付すると言って自分でとったのではと思われると嫌なので、やっぱり平凡にやっておいた方が(笑い)。(領収書をきちんとつければいい) ●夫は57歳で亡くなったけれど、今考えると早かったなあと思う。病名の告知をしないままだったけれど、今は告知が普通になってきたね。うすうす分かると思うけど。 ●いや薄々でなくて、残された時間をはっきり知らせた方がいい。先程の音楽葬の人は、亡くなる10日前に北海道へお礼に行きたいところがあると言って、日野原先生に相談したら「行ってらっしゃい」。もう水も飲めない状態。車椅子かストレッチャーに乗って羽田から北海道に行って5日間過ごして帰って来て、3日目に亡くなった。日野原先生は奇跡だと言った。「人間の意志」が働く不思議さ。私が10ヶ月付き合っている間にペインクリニックで神経をブロックする治療を受けていて、それでもダメという状態だった。 ●死んだ弟がちっとも夢に出てこない。 ●私の夫は、私の肩をポンと叩いて消えた。夢で「ありがとな」って言った。 ●私の父は銀河鉄道に乗るように空へ行った。成仏したのだと言われた。 ●「千の風になって」っていう詩はいいよね。風になっていつも傍にいるから悲しまないでって。慰められる。(作者不明になってるね) <FAX参加> ●母は脳梗塞で寝たきりの父を14年間介護し、最後は特養老人ホームで看護士も気がつかない間に1人寂しく逝った。1年前の事で娘として辛い気持ちが抜けない。介護は下の世話が大変。半年目に母は疲れから肺炎入院、院内感染でMRSA保持者となり、受け入れ先が少なく大変苦労。大量吐血で救急車を呼んだが、どの病院にも断わられ、1時間程して日赤からOKが出て命を拾った。父は退院して来ない母を待って2ヶ月あまりで亡くなった。 母はその後兄の介護で立ち直っていたが、入退院を繰り返すうちに食べ物がつまって肺に広がり、兄弟4人が30分交替で見守り、4日続いた危険域は脱してジワジワと回復した。人口呼吸器を喉の穴に装着したままで発声不能となり、しかも一切の食物も水も口からは入れられず、胃に直接パイプで栄養物を通した状態で約1年、何の楽しみがあっただろう。 一昨年の暮れ、チャンスを得て長春に行った。かつて父母と住んだ街。戦後の外地での混乱。引き上げの苦労も並大抵ではなかったが、家族水いらずの楽しい時期でもあったはず。何はともあれ懐かしいに違いない。昔の写真を捜し出して写真を見せれば、どんなに喜ぶかと思いつき、−30℃の長春をウロウロして、やっと黄土色レンガ造りの官舎を見つけ出した時の興奮は並みではなかった。 ●これからはどうなるか。核分裂家族だものね。 ●友人の夫が骨折で入院。脳梗塞の疑いがあると言われただけで、重病人を装ったのが定着して遂に右手が使えなくなった。リハビリもしない人。病院は2ヶ月までなので、今肩叩き状態。病院を探しているが、新しい病院で、患者の性格を訊かれる。本音を言えば断られる。友人は「デイサービスに喜んで行っています」位に言葉を濁すそうだ。私は今、老人ホームにヘルパーで行っている。やはり人間関係のまずい人は多い。 ●老人の為に国はかなりの出費をしている。若い時から心がけておかないと、本当に国がまわっていかなくなる。 ●介護保険が始まって5年。私もヘルパーの2級をとって5年。欠陥だらけの制度だと言われるけど、自立支援から要支援12345とあるけれど、利用者はそれを食い物にしている。 ●だって楽だもの。昨日まで毎日拭き掃除をしていたという人が、来てもらったらやらなくなる。要支援程度でもそこまで入ると業者がやってしまう。 ●民間の介護事業は今、過当競争。お客を逃がさない為に介護保険でやってはいけないという事が沢山あるのに、やるやると言う。 ●重症患者を作ってしまってる。(甘え患者だよ)(孫子の代は大変だ!) ●それで私は喧嘩して辞めた。二階建ての家に1人暮らしの人の家に行った。2時間の掃除は、階下が台所と寝室。座敷2つとトイレ、風呂。二階は来客用。事務所は自宅へ行って「○○さん、二階も使っていますね」という切り出し方。利用者は「ええ。時々使っています」と言う。私が行くという日の朝、83歳のその人は二階の雨戸を開けに行っている。 事務所に「おかしい」と言ったら、センターが決めた事だからとの返事。もっと重症のケースで、二階の掃除は禁止されたのにと詰め寄ると、従えないなら辞めろ。(えーっ!)。私が辞めたら、そこに民間の業者が入って、毎日になった。(そんなばっか!)その時、私は15ヶ月干された。仕事はないと言われた。(ひどい)(異議を申し立てる人はそういう扱いになる)(西宮冷蔵と一緒!) ●その辺を政治に携わる人が気がついてくれないと。 ●なかなか現場の声には気がついてくれない。オンブズマンにもヘルパー側から異議申し立てが出来る所を作って下さいと頼んであるけれど、まだ実現していない。民間が入るとお客の奪い合いでクッチャクチャ。介護保険のお金がパンク状態なのは当然。 ●ヘルパーのお金が利用者にすられていたのにヘルパーに「我慢してくれ」。(えーっ!)3人すられた。入浴介護をしている時に旦那さんが盗っていた。同じ人が2回被害にあった。社教はそんな利用者でも庇う。「警察に届けないから、行くなら自分で勝手に行け」。3人でチームを作って申し立てていたのに、「我慢してくれ」と言われて黙ってしまった仲間にも裏切られた。何を言ってもダメかと思って辞めてしまった。 ●ちゃんと私みたいに声を上げない人が99.9%。(後からも仕事が欲しいから)。 ●私は逆を聞いた。ヘルパーさんが、利用者の家のものを盗んだ。(両方あるんだね) ●現場へ行けば一対一。利用者とヘルパーの関係なので、2時間はどう働いてもいい。きちんと仕事ができるか、きちんと発言が出来るかという事は見えない所の話。行政は冷たい。シルバー人材センターが東西4ヶ所にある。私の体験したケースは後の3ヶ所でもいっぱいあると言われた。政府からの搾取という意識はあるのかと詰め寄った。 ●正義感のある人が干されてしまう。 ●自分が働く内容に対して保険金が使われているという意識を持って仕事をし、その観点から、これでいいのかなと疑問を出すとダメと言われる。 ●仕事の計画書が出来るようになった。今までは口頭伝達だった。余分な事をやらせる利用者がいる。(自宅で家族がやっている場合は?)認定を受け、介護保険を使わないと、年間で12万円程貰える。お小遣い程度で安すぎる。新しい仕事が入って、担当者と見に行ったら、ご主人は出勤して、臥せている奥さんの世話をする訳だが、今までヘルパーが週3回入っていてもメチャクチャ汚い。 ●介護される方もする方も質が問われるんだ。 ●ケアマネージャーが月1回入っているから、週3回で何でこんなに散らかっているのだと思わなくてはいけない。(現場をきちんと見なくっちゃね) ●介護保険が盛んに言われているが、現場の声を拾い上げる事が必要。(介護保険どんどん値上げするでしょ)値上げされてもじゃじゃ漏り。(認定も本人愁訴だから、怪しい時もある) 正常な感覚でされて行けば、こんな事にならない。もめたくない、嫌な事は言いたくない、関わりたくないという心理がある。 テーブルの下に満タンの薬があった人があった。若い薬屋さんが来て1ヶ月に1回、お昼ご飯ご馳走してくれて優しい言葉をかけてくれる。年金と満期になったお金を全部薬につぎ込んだ。隣に住む娘に一度も会った事がない。息子がたまに来て階上で寝るけど、顔をあわせても挨拶もしない。お婆ちゃんは寂しさの余り、その薬を買って癒される。でも、糖尿になった。 ●寂しいからほだされて買うっていう気持ちも、その人でなきゃわからないものがあるね。 ●息子や娘が近くにいるのなら、もう少しわかってあげなくっちゃね。 ●ヘルパー制度が、子供達がいい事にして手を引いてしまって悪循環になってないか。 ●ない事もないけど、制度のお陰で負担は軽くなっている。 ●自分で介護をやれる間はやりたいなあ。 ●奥さんが65歳以下でも、ご主人が身障者で介護保険は受けられる。介護に来て貰う僅かな時間に喫茶店や美容院でリフレッシュ。銀行の用もできる。(助かるよねえ!)遮二無二面倒みない方がいいと思う。(疲れ果ててしまう前にね) ●自分の余力をちょっと残しておく事が大事だと思う。それがない間は自費でやっていた。 ●昭和20年代の後半、祖母が病気でヘルパーを頼んでいた。1週間に3回くらい来た。 ●家も寝たきりだったので、移動浴槽だけは月2回お願いしてた(あれ、自費で頼むと2万5千円)払ってたんじゃないかなあ。(えーっ)今は介護の級によってやって貰えるんだね。 ●へーーーーーーっ。(笑い)ため息が出るね。 ●贅沢しないで、なるべく国のお世話にならないように死にたい。(笑い) ●でも、やってもらえる事は利用した方がいいよ。 ●制度がきちんとした形で機能すれば、もっと必要経費は減る。ちゃんと機能させなきゃ。 ●老後、子供か良き介護者に恵まれ、安らかに死んで行くというのは幸せだね。 ●だから、日頃から「自分はこうなりたい」と常に強く思っているとそうなるよ。 ●常に皆に「こうなりたいよー」と言っておく。目的を持って生きる。
<今後の予定> 3月13日(日) 「「私にとってのスリランカ」午前10時~12時 & 12時~14時 特別参加 山崎ティキリ・バンダーラさんと敦子さん。 (午後の昼食も参加したい方は出席の連絡を下さい。まだまだ間に合いますよ!) バンダーラさんのスリランカ料理フルコースのメニューは、 Papadam(クラッカー) KaravilaSambol PolSambol(2種類のサラダ) Curry(8種類のカレー) KahaBat(イエローライス) Watanrappan(プディング) Yogurt with kithul(ヨーグルト) Ceylon Tea(紅茶) 午後の会費は2000円(義捐金500円も含む)必要です。午前だけの参加の方はお賽銭。 4月26日(火) 「若者に読んでほしい1冊」 5月25日(水) 「私の簡単美味しいレシピと食のエピソード」 6月24日(金) 「これだけは残したい学校のこういう所」 時間厳守・手土産厳禁。会費はお賽銭です。どなたでも、誘い合ってご自由にどうぞ。 〒468-0057 名古屋市天白区御幸山2112-14-201 пEFax 052-834-9457 坂東弘美 bdk@dp.u-netsurf.e.jp がま口塾 http://www1.u-netsurf.ne.jp/~bdk/
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