がま口塾
がま口塾ってなーに? CDロム・本の紹介
がま口弘美の日記 がま口塾便り
33313日号 『私にとってのスリランカ』

珍しい日曜日の塾。話して食べてスリランカの救援もするという欲張りさんは、バンダーラ家3人を含めて総勢18名。会員Fさんの友人の、「自立の為の道具の会」の中西さんにもビデオ持参で混ざって頂きました。カレーやプリンやヨーグルトも皆ココナツ入りで美味しかったですよー!民族衣装を試着した好奇心旺盛美女もいて、とても賑やかな会でした。今回に限り、バンダーラさん、敦子さん、中西さんの発言だけイニシャルにしました。

 

Bスリランカから来たバンダーラです。今日はスリランカの話ができ嬉しい。日本に来て18年。元々はお寺の関係者。大学卒業後、日本の仏教に興味があったので京都に来た。京都のお寺に6年、比叡山他、天台宗のお寺に世話になった。帰ろうと思った時に邪魔者が入り(笑い)結婚して今、一宮に住んでいる。子供が1人いる。

 スリランカの地図(昔、サツマイモの形をしているって教わったわ)で、インドのちょっと東にあるのがスリランカ。緯度は85分。日本の四国より一回り大きい位かな。南北250マイル、幅150マイルの小さな島国。日本との関わりは、経典の中に「獅子国」というのがある。獅子とはライオンの事。奈良時代には獅子国からお坊さんが来て奈良の東大寺でお参りしたとか、インドからお坊さんが来た時は、獅子国からも来たという話がある。

 昔の名前はセイロンで、イギリスが来る前にポルトガルとオランダが来てつけた。シンハラという意味からセイロンと発音する様になった。本当の名前はスリ・ランカ。スリは照らす、ランカは国。昔から宝石で有名な国なのでそういう名前になった。

2500年前から人は住んでいて、多民族国だが80%はシンハラ人。元々はインドの北から来た人間が作った国。その他、インドの南から来たタミール人等の少数民族も一部に住んでいる。7割が仏教でヒンズー教やイスラム教、キリスト教徒もいる。

シンハラ語は梵語に似ている。シンハラ人はシンハラ語をタミール人はタミール語を使っている。学校でスリランカの紹介をする事があるが、スリランカの文字を子供たちは、蛙の目みたいだとか、お尻みたいとか(笑い)と言う。(A配列が日本の「あいうえお」と一緒。)梵語から来ているから。1915年から1948年までイギリスの植民地で、1948年に独立してセイロンになった。

本当の独立は
1972年。その時からスリランカになった。本当の自分の国になったが、悲しい事にシンハラ人とタミール人の間に内乱があり政治不安が起きた。タミール人は人口の12%で北東部に住んでいる。独立してからシンハラ人が70%になって苛めるので、一緒に住みたくないという。けれどもタミール人の中には、それに反対する人も沢山いる。過激派は暴力的にキャンペーンをして分裂して新しい国を作ろうとしたので、10年位の間に何万人も死んだ。でも今から4年程前に内乱はちょっと収まった。

今は、戦争ではなく平和的に解決しようと話中。日本で仏教の人がヒンズー教の人を苛めるという報道があったが、それは間違っている。宗教ではなく政治問題。タミールが小さな国を作ると、インドの南に住んでいるタミール人と一緒になる為、政治的にバラバラになるので、インド政府は絶対反対。そのため、ちょっと安定していて、戦争はなく平和になっている。

 

 さて、「津波」はスリランカの人達には2500年の歴史で2回しかなく、分からなかった。最初は2100年前にあったと経典に書いてある。次は去年の1226日。3万人が亡くなった。東南部の被害が大きくて、今大変な事になっている。26日の後、友人からすぐ電話がかかった。

「大丈夫か、私にできる事があったら言ってほしい」と私は言った。新聞社も私に聞きに来た。友達とも相談して私のできる事をしようと義捐金の募金を始めたところ、
30万円位の目標額が、お陰様で70万円を超えた。本当に有難うございます。この日本の皆さんが寄付して下さったお金をどう使おうかと向こうのスタッフに相談した。一番ひどかったのが漁師達。

大きなボートを買いたいが、高いので買えず、仕事ができなくなっているので助けたいと思って頑張っている。エンジン無しの小さいボートで、浅い所で網を入れて魚を採る。日本円だと
14~5万円で買える。10隻位買えそうなので、今、相談中で、ゴールデンウイークに行く予定。今日は皆さんにスリランカのカレーを食べさせて(A食べて頂いて!)(爆笑) 皆さんと一緒に頑張りたい。宜しくお願いします。(拍手)

道具の会は、要らなくなった道具を集めて途上国に贈って、その道具を使って生計を立てて貰うのが一番の目的。その為に「自立の為の道具の会」という名前。ここ何年かはスリランカに限って活動している。他に、電気屋さんが、小型の水力発電機でカンデガマ村に電気を供給したり、雨水を溜めた生活水が乾季になるとあまり奇麗でないので、水を浄化する事もやっている。

僕は家具屋
(オーダー家具)なので、道具の関係についてのみ関わっている。半年に1回位スリランカを訪れて、1週間程現地で使い方を指導する活動を続けている。最初は工場や工房に道具を贈っていたが、この2年間位は、先程の話のように、内戦が停戦になって、教育を立て直そうというプロジェクトがスリランカの国自体で興った。

小中学校の子達に、いずれは工業製品の製造や開発に携わって貰える様に初歩の段階のデザインや製品造りの過程の教育プログラムが出来ている。それに協力要請が教育省の外郭団体から来たので、学校に道具セットを贈って、学校で指導するという事をこの
2年ほどやっている。で、今回115日から、3校でワークショップで本立てを作る授業をした。

<ビデオ解説> 津波が1226日にあって、行くべきか否かの問題がまずあった。現地からは要請された。津波災害に対する内容を求められたが、準備不足で通常の本立て作りしかできなかった。僕達がワークショップをする学校はむこうが指定し、今回は津波災害の学校にいくように設定されていた。

コロンボの南のベンテゥータで、ずっと砂浜の海岸が続いている。道中はずっと津波の被害があった地域で、最後にアンパラという東海岸まで行ったがここは本当に被害がひどい所だった。逆にスリランカの西海岸、コロンボのちょっと北のネゴンボ辺りはリゾート地区。綺麗なホテルもいっぱいある。被害はそれほどなく、観光客が来なくなるというのが痛いという観光地も多い。 

津波で建物が壊されているコロンボの南のゴールロードの道沿い。砂浜の海岸から100メートル位に国道があって、その奥にずっと家があるけれど、ひどい所は、道から1~2km先迄水が入った。国道沿いに鉄道も走っているが、線路もかなり被害にあった。

学校でのワークショップ。僕達が行く学校は、地域では一番大きい学校で、割合恵まれた所。校長先生が、日本に行った事があるという話をしながら歓迎の挨拶をした。先生の中には日本に留学していた人もいる。

15歳の学生達に日本からワークショップの為に来てくれたから頑張りましょうと説明している。スリランカはセレモニーを大事にする。結構長く(笑い)最後に子供たちにも感想を聞くが型にはまった挨拶で、(A言わなきゃいけない挨拶セットがある)(笑い)自分の意見はあまり言わないで、誰々に感謝しますっていうのが多い。

こういう美術課程の教室がある学校はかなり少ない。1日4時間位でやれる内容は少ないので、板を1人に1枚ずつ渡し、1人が1個本箱を完成させる。9時位に始めて11時にお茶。それから2時まで授業をして、家に帰って昼食。紅茶は美味しくて、凄く砂糖を入れる。(笑い)甘い。通訳の傍にいるのは道具の会の鈴木さんで製材所の社長さん。(B道具類が日本と違う。使い方も違う)日本の道具は、ちょっと世界標準とは外れていて、ノコギリはもカンナもひく。刃物も水の砥石で砥ぐ。それを外国に贈る事がどうかという問題もある。

子供達は凄く一生懸命やり、合間に何だかんだと言って来るのでとても楽しい。この中にも津波の災害にあった子達が沢山いるそうだ。(B先生が怪我しないようにって注意している)子供たちは指を切ったり、結構怪我をする。(笑い)日本の子達よりは道具を使い慣れている。例えば名古屋の子達は家の手伝いとか釘を打つなんて事はあまりしないと思う。

 最初に津波が来たので、電車の中に避難して、次の時に第二波が来て全部さらわれた。

Bそれで1200人死んだ。津波と分からなかったから。高い波が来るって言ったら、面白がって海岸まで見に行った。1回波がひいた時に魚がいっぱいいて、それを採りに行って、10分後には皆死んだ。津波が恐ろしいという事が分からなかった。(あーあ)

そもそも自然災害がない。地震もないし台風も来ない

●バンダーラさんはタミールとシンハラ人のどちら?(Bシンハラ)住んでる所は?

Bシンハラ人が沢山住んでいるコロンボ。12%のタミール人の6割が北東部に住み、他の4割はバラバラに住んでいるが何の問題もない。問題は北東部の人達だけ。昔の教育は素晴らしく、ここの人達はエリートで頭が良い。医者や弁護士は殆どこの人達。昔イギリスが来た時この地域とコロンボ辺りが教育が一番良かった。他の人達は皆貧乏。

●中西さんが訪れた学校は制服も清潔で相当のレベルのお子さん達に見えた。全体としては義務教育の普及や大学進学率はどういうレベルか?

Bスリランカの義務教育は日本とシステムが違う。まず第一に教育は只。全部政府がやっている。(へーえ)教育も病院も只。でも平等ではなく都会の良い学校、田舎の設備のない貧しい学校がある。教育熱心で、インド、パキスタン、ネパール、タイとかと比べたらスリランカの識字率は一番高く90%近い。アジアでは、日本・韓国・マレーシア・シンガポール、この辺りにスリランカがくる。

隣の国から見たらスリランカの方が遥かに上。しかし大学が少ない。その為に日本の様に塾に行き大変。親はどんな事があっても子供を学校に行かせたい。エレメンタリー、ミドル、ハイスクールと三つに分かれている。エレメンタリーは
6歳から8年間。後は国家試験でハイスクール、卒業すると大学の国家試験。それがもの凄く厳しい。(塾?)学校終わってから夜も。

スリランカで一番儲かるのは塾(笑い)(義務教育は只でも塾はお金がかかる訳?)もちろん。お金がなかったら学校に行けない。国家試験は本当に厳しい。地域によって格差があり、コロンボ辺りと田舎と、得点の水準が分けてある。平等ではなく、田舎は設備か良くないので皆都会の学校に行きたい。だから塾へ行ったりして一生懸命頑張る。

民間の大学はなく、全部政府がやっているので、大学生は超エリート。(大学によってランクはある?)ある。ペーラミネ大学はイギリスのオックスフォード大学を真似して作った大学。そこの医学部なんかへ行けたら超エリート。(大学の進学率は大体何パーセント?)私達の時代、
20年前は7%、今は20%。でも、大学に入らなくても、カレッジで大学は卒業できる。同じ科目を自分で勉強して試験を受けて通る事もできる。

●塾はどういう人が経営しているか?

B一番やっているのは学校の先生。授業後、夕方自分の家でやる(笑い)(お寺は?)お寺の空いている建物でも土日にやっている。(お寺でやってもお金が要る?)勿論。(笑い)経営は坊さんだが教えるのは普通の学校の先生。(一般教育はシンハラ語で?)シンハラ。でも、高校位になったら英語が分かる。大学では英語ができないと授業がわからない。私の親の時代はイギリスの植民地だったから、皆英語がペラペラだった。今はそれほどでもない。

英語は大抵の人が喋る。僕は喋れない(笑い)。僕だけ取り残される(笑い)生徒の15~6歳位の子達と僕の会話はちょっと成立した(笑い)。日本人の英語のレベルは低いと思う。

B低いというよりも、よく勉強するけれど、喋るのが下手。読み、書きは上手いと思う。

シンハラ人同士でも最初は英語で喋る。敬語みたいな感じで使う。知らない人と話す時は、とりあえず英語で喋って(へーえ)うちとけると、じゃシンハラ語にかえましょぅって感じ。

B社会性を持っている。ビジネスは英語。イギリスの時代の風習を残している。例えば、家の親はズボンをはかないで民族衣装。昔ズボンをはく人は英語が分かっているというシンボルだった。だから政府の仕事の人はズボンをはく。

このサロンは男の人が使っている民族衣装。輪っかになっていて、足を入れてはき、長さを調節して挟む。下は勿論パンツはいてるけど(爆笑)ベルトはなくていい。緩んだら、又やり直せばいい。暑くなったら、日本のふんどしの様にこうして股を潜らせて腰にはさんでもいい。(爆笑)(
A家でやってる)そう、外はズボンはいて仕事して、家に帰ったら脱いですぐこれ。(Aステテコみたいね)

暑い国だから便利なもの。(
A若い子でもそう)若い子も家に帰ったらこれ。(綿?)綿。(A涼しいらしくて、田舎に行くと皆これ)とにかくのんびりなの。(笑い)それが彼らの生活。ニコニコ笑ってのんびりしているのは日本から見るとおかしいと感じるかもしれない。

初対面の時に、道を聞く為にドライバーに話しかけると、すごく友達と話すみたいに答えてくれる。とてもフレンドリー。国民全体がそういう感じ。

Bそう。そして子供と女性を必ず大切にする。道路で事故があったとして、子供が怪我をすると、周りの人は、どっちが悪いかは問題でなくて運転手をなじる。もし女の人に何かあったら大変。子供と女性と年寄りを大切にする。それは仏教の事があるかもしれない。

お年寄りがパワフル。義理の母は、今ちょっと病気だが、元気な時は凄い威厳があって、子供達がズラーッと並んで、ひれ伏して「お婆様いらっしゃいませ」と拝む。お嫁さん達なんかもう、バッタの様にお辞儀をする。皆から尊敬されて大事にされる。(今でも?)

Bこれはベースがある。子供は今でも田舎の方に行くと、日曜学校というか、寺子屋がある。必ずここで8時から11時半位まで勉強する。自国の事や親を大事にしなさいと習う。だから、宗教的な生き方だと思う。私達も小さい時そうだった。必ず日曜日に学校に行った。

●私は寺の関係者で、知多半島のセントレア空港の近くの知多西国三十三観音巡礼第十八番札所の大智院が親寺。メガネを30年ほど前からスリランカに贈り続けている。きっかけは30年前、愛知学院大学のスリランカ留学生がお寺に来て、願い事を2つした。眼鏡弘法は皆さんが度が合わなくなった不要の眼鏡を供養に持って来るので、それを贈って貰えないかという事だった。(へーえ!)

それがきっかけで今も贈り続けている。もう1つは孤児院を建てたいという事。その時は多分お金という形で協力したと思うが、今回も津波の件でお寺同士で連絡をとりあって、義捐金を送ろうとしたら、お金があっても消毒薬が買えないので、お金より消毒薬を贈って欲しいという事で送った。眼鏡をかけた弘法さんは日本で1つしかなく、皆さん度が合わなくなって不要になった眼鏡があったらゴミにしないで、ご苦労様という形で供養して戴けたらと思います。(※供養は有料)

眼鏡も第二の人生をスリランカで送っている。ケースに入ったのを好まれるそうなので、ケースもあったら一緒にどうぞ。
10月第4日曜日が眼鏡供養の日になっている。壊れたものは処分して、良いのを送る。

B有難うございます。京都のお寺にいた時、眼鏡を贈った事がある。田舎の人には眼鏡は貴重な物。高いのでなかなか買えない人がいっぱいいるので、今後も宜しくお願いします。

●私は眼鏡を募集しているという記事を見て送った事がある。大学祭の活動として呼びかけていたが、私は何十年と眼鏡をかけているので、いっぱい余っていた。ふと思い出した。

●スリランカの産業と失業率について聞きたい。

B元々農業国。セイロン茶とゴム、ココナツがメインだったが、それはだいぶ前の話。今のメインはアパレル。(えーっ)今、ちょっとアメリカ等と問題になっている。発展途上国との契約がベトナムとスリランカは多い。日本やアメリカは香港なんかに工場を建ている。

亀の子タワシも。日本にあるのは多分全部スリランカの物(えーっ!)スリランカのココナツの繊維が一番亀の子タワシに適しているらしく、多分100%スリランカの物だと思う。

B確かなデータが今、手元に無いが、景気は最近良い様だ。

内戦終了後、どんどん景気が良くなっている。私は3年に1回位しか行かないが、彼は毎年行く。私は3年に1回位しか行きたくない。(爆笑)御義母さんが怖い(爆笑)。行く度に道路が綺麗になって、信号がバーッとついている。最初に行った時は、バンでボロボロのが走っていたけど、今は乗用車。平気でベンツも走っているし、ランドクルーザーの大きなのがバンバン走っている。景気の良さが見て取れる。あんまり深刻な感じはない。

●バンダーラさんは何人兄弟?

B10人兄弟。(わーあ) 40年前は当たり前だった。(A今は1人か2人しか生まなくなった)。

●別に一人っ子政策なんかをしてる訳じゃないの?(笑い)

B家の親は農業だったから子供を沢山生むのは当たり前だった。10人子供を生んで元気に働いた。(何人目?)5番目。 (長男が親と一緒に暮らすという事はない?)ない。今、実家は両親だけ。皆学校で勉強して都会へ出て行った。田舎では今、農業をする人がいなくて農家の後継ぎがいない。(すると老人ホームみたいな所に入るの?)(笑い)

B親を老人ホームへ入れるのは一番恥ずかしい事(あーあ!)今は家の2番目の姉が仕事をしながら実家に行って親の面倒をみている。もし私の親を老人ホームへ入れたら、周りから恥ずかしい目で見られる。10人子供を生んで何のこっちゃ(笑い)一番煩いのはお寺の坊主。「お母さんを放ったらかして何やってる!」と。

老人ホームは政府がやっているけれど、どうにもならない場合だけ行く。都会にはお金を払って行く良い老人ホームもあるけど。どんな事があっても家で面倒をみるのが普通。これは仕方がない。皆そういうしきたりでやっている。

伝統的には一番下の男の子が面倒をみる。結局上から皆家を出て行くから、一番最後に残った末っ子が面倒をみる事になる。(成る程)でも、財産は女の子も均等に分けられて、結婚の時に持参金みたいにして持って行く。宝石とか土地は全部親から分けて貰う。男女平等。

B結婚する時に、親から貰うと言う事が家を出るという事。でも、離婚したら女性は家へ戻る権利はある。誰かが面倒をみなくちゃいけない。離婚率は低く、どんな事があっても我慢してやっている(バンダーラさんもよく我慢している)(爆笑)。男女関係なく皆よく我慢する。田舎では周りの人が煩いから離婚はしない。スリランカ人の60%は田舎に住んでいるから。

N結婚相手をまだ親が選ぶケースが多いという話を聞いたけど。

でも、彼の兄弟でお見合い結婚をした人は1人もいない。(自由なんだね)

B今は時代が変わって相手を選ぶ。昔はお見合いをさせるスペシャリストが村にいた。もう1つはカーストの問題。(あーあ)インドみたいにひどくはない。カーストの問題が出るのは、結婚する時だけ。後はあまり関係ない。結婚する時は、相手は何カーストか、お祖父さんやひいお祖父さんはどんな仕事をした人かとか、洗濯屋だったか、金物屋だったかって。周りの親類が煩いから。(笑い)(ある程度昔は職業と関係していたのね)昔はあった。(恋愛とカーストとどっちが優先するの?)(笑い)

B都会だったら恋愛。(でも田舎だと)お見合いだったらカーストの方が優先。

カーストの合わない人はお見合いに行かない。多分話しにならない。

Bアップカントリーとロウカントリーがあって、昔、キャンディの辺りはイギリスが来るまでは独立を守った国だった。そこの人達とオランダやポルトガルと関係のあった南の方とは分けてある。キャンディの方がトラディショナルファミリーと思って自分たちは偉いと考えている。ポルトガルやオランダの方はキリスト教が多く、名前が変わっている。ペレーラとかシルアとかという名前の人と結婚する時、「お祖父さんがキリスト教だったね」とか言う。

キャンディは京都みたいな感じで、自分たちが生粋のスリランカだって思っている。その人達が、家柄がどうとか名前がどうとか、星占いがどうとか、すぐ言い出す。

B占いを見て貰って、これは大丈夫とか。(笑い)結婚していい年まで待てとか。面白いって、あの国は本当に(笑い)。とりあえずのんびりと暮らす。日本から見ると、あの人達は貧乏と思うかも知れないが、幸せ。別に食べ物に困らない。Tシャツ1枚あれば何とかなる。(笑い)(寒くもないし)本当に恵まれている国。だから向うの国からしたら、何で日本でそこまで働くのかとなる。頭の中にあるのは『もういつでも死ぬから、そんなに頑張らなくてもいい』(爆笑)『何とか生活できたらいいじゃないか』。それは世界中から見たら遅れている。勿論。

代々女性の大統領。首相も女性で、自分達の幸せを犠牲にしてまで工業化したくない。スリランカはスリランカでいい所があるんだから、のんびりやってGDP、国内総生産を上げるよりも、グロスハッピネス、GH、「幸せ度」を上げる方がいいと言っている。(へーえ!)

BGDP見たら、皆スリランカの人は生活できない位と思うがそうではない。むこうは向うのやり方がある。お腹すいたら、ヤシノミ1つ飲んだら、これで朝ご飯終わり(笑い)。マンゴをお腹いっぱい食べたら、それでご飯終わり。飢えているとか死ぬという事はない。寒かったら働けなくなって大変な事になるとか、考えないし経験もないので分からない。

乞食がいない (Bたまにいるけど)(笑い)それはプロフェッショナル派遣乞食。(爆笑)(何それ)乞食達を派遣する会社(上前をはねる訳?)(笑い)意外と綺麗ななりをして、子供を抱えていても自分の子供でなく派遣子供(笑い)。真剣にお金で困っている人はあまり見た事ない。

●ずっとスリランカに注目していて、たまたま昨日ラジオを聴いていたら、国連だったか、国際機関が、「今、世界で一番援助を必要としているのはスリランカだ」と言っていた。

B津波関係ではないか。今までの内乱で北の方はひどく、情報が私達に届かない。乞食がいっぱいいる。戦争で親や子供を亡くしてひどい上政府が無い。タミール・イーラム、解放の虎という過激派が入るのを拒否している。(独立国みたいにして封鎖している)。アンパラ以北は行けない。何をするか分からないから行けない。無理。虎は子供を無理やり兵士にする。

子供を誘拐して洗脳して兵士にする。そして自爆テロをさせる。(ホーオッ!)

B今、ユニセフが子供達がここで誘拐されていると言っている。ユニセフからは情報が出るけれど、津波の後で親を亡くした子供を無理やり連れて行っている。無政府状態だから、どうにもならない。時間があったら、皆をスリランカにつれて行って、日本と全く違う所を見せたい。京都にいた時は、よく皆さんをお連れした。

義捐金でボートを買うので、ボートの名前を募集したい。今70万円あり、ボートが6隻買えそう。大きなボートなので、トラックで運ばなければならない。その運送費を含めると45隻になる。がま口塾で沢山寄附して頂いたので、一つのボートの名前を決めてほしい(オー!)()(がま口号)(爆笑)(もっと可愛い名前がいいよ!)(可愛いじゃん!)(笑い)

Bボートはエンジンついたのは高い。海岸から200~300mの浅い所で網を使う人達が一番困っている。援助は大きな所は入っているが細かい所へは行かない。できれば小さい所の何人かの人達を助けてあげたい。今、ボートを作る会社に注文が殺到している。私が行くまでに、少なくても2~3隻は作ってほしいと今、連絡している。いい名前をつけてほしい。

●漁業の網も足りなくて困っていると聞くが。

Bそれも助けてあげないといけない。私は宗教の事を何も言わないが、オーストリアに友達がいる。その人達も津波の為に募金をした。そのお金はオーストラリアの教会から直接スリランカの教会へ行く。信者に渡すのは当たり前だ。そういう所に所属していない人は何も恩恵がない。そういう人達にあげたい。ヨーロッパからも信者の地域に行く。当然だと思う。

●津波の後は海は元にもどったか?

Bまだまだ。特に仕事は今からが問題。政府は仮設住宅や水の問題で手がいっぱい。これから、学校や仕事はどうするかを考えていかなくてはならない。(海の中で魚は普通に泳いでいる?)それはそうだけど、津波の後で皆魚を食べなくなった。人が沢山死んだから気持ち悪いって。もう売れないから市場は一度ストップされた。今はどうなってるか・・・。(食事は魚が主?)大体そう(魚の嫌いな人はいない?)殆ど日本と同じでカツオとかマグロは美味しい。暑い国だから、日本の様に生では食べない。ボイルしたり、カレーにしたりする。

N私達が115日に出発する前に、日本の大使館から魚は煮ても焼いても食うなって通達が来た。 (どうして?)珊瑚礁が崩れて、その海で魚が大量に死んだりすると、魚が病気になるそうだ。その翌日か翌々日の中日新聞でスリランカの猟師さんの写真が出ていて、風評で魚は食べるなと言われて魚が売れないという記事が出た。いったい本当の所はどうなんだと分からなかった。

津波の事で言えば、最初海岸を通った時ショックだったが、少し奥だったり、ちょっと高台だったら何の被害もない。最後にアンパラに行ってビデオも撮影して報告しなくてはと海岸線を見に行った。海岸から何キロも先まで何もない状態だった。皆波に浚われていてビデオを撮るのが躊躇われた。結局撮らずに引き返した。

新聞に「2万人以上死亡、10万人以上家屋喪失、壊滅的被害を受けたスリランカ」という風な記事が出る。そうすると、スリランカ全体がすごい壊滅的な被害を受けていて、旅行も控えた方が良いと思っちゃう。でも、キャンディも、すごい仏教遺跡が残っていて観光地。(世界遺産がいっぱい)海岸線も、外国からリゾート地として大勢の人が来ていた。そういうのが一切無くなってしまったので、観光収入が激減して痛いと聞いた。

日本でも、あ、ちょっと行くの止めようと思う様な報道だけど、実際はお金のある人は出かけて行って、お金を買い物で落して行くのも一つの支援ではないかという気もする。ひどい所は本当にひどい。

私達の家は海岸から3kmのデヒワラだが何もなかった。

●仮設住宅の話が出たが。

B政府が海岸の所に家をなくした人に小さい家を作るキャンペーンをやっている。立派なものではなく、椰子の葉を入れて作った小さいの。小屋。

●日本だと新潟の仮設住宅みたいなのを想像するが、寒くないからね。

向こうの貧乏な人達の家って本当に椰子の葉っぱをただ葺いただけって感じ。

●豪雪に押し潰されるって事はないものね。

●行かれた時、食事はどうしたの?魚は出た?

N出たし食べた(爆笑)(どうもなかった?)今の所(笑い)。僕達の活動は国際建築技術協会からの助成金と寄付金。他の水や電気の事業は外務省からの寄付金、助成金、ODA

(私達が余っている道具を届けたい時にどうしたらいいの?)作業本部の方に連絡下さい。)(どんな道具がいいか?)どんな道具でもいい。(例えば?)主に大工道具。(ドライバーとかでも?)良い。建前的には電気の無い所に贈ると言う事なので、電動工具はあんまり・・というところがあるが、実際現地がほしい物は電動道具だったりする。(それは現地でそのまま使える?)電圧が200ボルトなので、変圧器で使える。そういうお金を貰っているので、僕らは比較的裕福な旅ができる。

コロンボなんかでは結構いいホテルに泊まって、朝晩ウェスタンスタイルの食事をする。地方へ行って一番いいホテルと言っても、ドライブインみたいな所で、当然お湯は出ないと言う所もある。食事に関してはあんまり不自由しない。

●行く費用は外務省が出してくれるという意味?

N僕らの分は国際建築技術協会から。年間で300万前後貰っていると思う。渡航費、滞在費、材料代、道具もそこで予算を組む。向こうで先生達を指導する場合、先生達の日当もこちら持ちでやる。ワークショップの授業が2時に終わった後、カレーで食事するが、それもこちらの費用。(他の国も行く?)元々はインドとかもやっていたが、ここ5年程はスリランカオンリー。

コロンボにイギリス資本の
ITDG  (Intermediate Techonology Development Group) というボランティアグループがある。それ自体は収入があるが、仲介窓口になってそこから支援活動を送るという形。カウンターパートと言って、仲介してくれる団体がいるので。

私は5年前に行って3回目。慣れて来たというか、色眼鏡がとれた。最初行った時は、田舎へ行くと裸足と裸で腰巻みたいな物だけはいて歩いていて驚いたが、3回目になると生活レベルが低いとは全く思わなくなる。気候風土にあった生活をしていて、暖かい国で、食べ物にも困らないので、のんびり生活してどこへ行っても温厚な人達ばかり。

家も粗末だけれど、名古屋辺りでも崩れたような家はある。僕が作業している小屋もスリランカの家具工場よりもひどい様な
(笑い)所で作業しているので、スリランカに支援しているのだけど、電気の無い地区に水力発電を作るのが、本当に必要なのかという事を思っちゃうくらいの国。

●さっき国の政策がスリランカの生き方、文化を守る方向でやっているという説明を聞いたが、そこへ押し付けがましい支援をして、国自体を変えてしまう事にならないかという心配がある。地震と津波があって今、困っている状態は、人間として助けなければいけない事だと思うけど、そういう状態が治まった時、変えたくない国の中身についてどうなのか?

B前の生活に戻したいの。スリランカは日本から見ると遅れているのは勿論。測る物差しが違う。例えば、1日働いて1ドル貰わないと、日本から見るとどうやって生活するかと思う。向こうはそうではない。田舎で裸足で歩くのは暑いから当たり前。「靴買うお金が無いのか」というのと物差しが違う(うんうん)。向こうの人の生き方、やり方がある。

私はボートを失くした人にエンジン付きのボートはあげない。今の状態では政府も同じ方針。失くした物をあげる。前の生活に戻りたいという気持ちで皆頑張っている。スリランカという国は日本から見ると全く違う国。食べ物も習慣も考え方も違う。いくら貧乏でも、お寺のお坊さんに食べさせる為なら、自分も食べられない様な立派な良い物を持って行く。

村のお寺では、檀家の当番でお坊さんに食べ物を持って行く。「私の幸せの為にこの人達に食べさせたら功徳になる」という考え。日本だったら、坊主は自分で食べればいいじゃないかと思うが、宗教を大切にして皆で一緒に生活する事は良い事かもしれない。

先日も新聞に、津波の後にヨーロッパからエキスパートが
1000人来てると出ていた。あの人達はスリランカで何をやっているか。ヨーロッパのやり方そのままでこの国はできるか?できない。沢山来て、研究したり仕事をしたりしているそうだが、そのままはできないよという意見もある。スリランカは内戦からちょうど立ち上がっている時。災害の援助は当然だが、外国のやり方そのままはいけない。その国のやり方でやった方がいい。

●一番心が痛むのは、親が亡くなった子供達の事。スリランカだけではないけど、その子供達を買いに来るとか。そういうのは、どうなっているか。

Bこれは一番大事な問題。政府も援助団体も一生懸命やっているけれど、先ほども言った通り、南の情報は入るけれど、北の事は全く分からない。無理やり連れて行って軍隊に入れたりする。南の方の孤児は大変。これからの問題。私はそんな大きな事は出来ない。政府や援助団体もなかなか難しい事。(船を作る工場は大丈夫だった?)何軒もあって大丈夫みたい。

2ヶ月程はパニック状態で私達も動けなかった。国中の漁船が壊れちゃったので大変。今は前金を払えば何とか着手して貰える状態になった。(その時に道具が使われるといいね)

Nそう。なかなか現実は難しいけど。

●スリランカの事を私達も何も知らないが、スリランカの人達は日本の事をどう思っている?例えば中学校へ行かれて、中学生は日本の事をどういう風に思っているか、聞きたい。

Nスリランカには昔から「ジャパナハパナ」という諺がある。じジャパナは日本人、ハパナは賢いという意味。戦前、私の親の時代に日本から来た玩具をジャパントイズと言ったが、すぐ壊れた(笑い)。それで初めて日本の事が分かったのは、戦争の時。1942年4月5日にコロンボに日本軍による空爆が2回あった。シンガポールの方から来たゼロ戦。

スリランカの人は日本はアジアの先進国だという事は分かる。日本の政府からの大きな援助でホスピタルや、テレビ局が作られた事もよく知っている。日本の産業、車がいいとか。私が小さい時、町を走っていた車の90%はモリスマイナーとかオスティンとかイギリスの物だったがすぐ壊れた(笑い)。壊れても3040年と使った。最近は99%が日本の物。丈夫で燃費が良い。壊れてもすぐ直す事ができる。そういうイメージがある。日本はスリランカから見れば、遥かな上の国という事は皆分かっている。

仏教の国という親近感はある。私の顔を見て私をお化け