33,3月13日号 『私にとってのスリランカ』
珍しい日曜日の塾。話して食べてスリランカの救援もするという欲張りさんは、バンダーラ家3人を含めて総勢18名。会員Fさんの友人の、「自立の為の道具の会」の中西さんにもビデオ持参で混ざって頂きました。カレーやプリンやヨーグルトも皆ココナツ入りで美味しかったですよー!民族衣装を試着した好奇心旺盛美女もいて、とても賑やかな会でした。今回に限り、バンダーラさん、敦子さん、中西さんの発言だけイニシャルにしました。
Bスリランカから来たバンダーラです。今日はスリランカの話ができ嬉しい。日本に来て18年。元々はお寺の関係者。大学卒業後、日本の仏教に興味があったので京都に来た。京都のお寺に6年、比叡山他、天台宗のお寺に世話になった。帰ろうと思った時に邪魔者が入り(笑い)結婚して今、一宮に住んでいる。子供が1人いる。
スリランカの地図(昔、サツマイモの形をしているって教わったわ)で、インドのちょっと東にあるのがスリランカ。緯度は8度5分。日本の四国より一回り大きい位かな。南北250マイル、幅150マイルの小さな島国。日本との関わりは、経典の中に「獅子国」というのがある。獅子とはライオンの事。奈良時代には獅子国からお坊さんが来て奈良の東大寺でお参りしたとか、インドからお坊さんが来た時は、獅子国からも来たという話がある。
昔の名前はセイロンで、イギリスが来る前にポルトガルとオランダが来てつけた。シンハラという意味からセイロンと発音する様になった。本当の名前はスリ・ランカ。スリは照らす、ランカは国。昔から宝石で有名な国なのでそういう名前になった。
2500年前から人は住んでいて、多民族国だが80%はシンハラ人。元々はインドの北から来た人間が作った国。その他、インドの南から来たタミール人等の少数民族も一部に住んでいる。7割が仏教でヒンズー教やイスラム教、キリスト教徒もいる。
シンハラ語は梵語に似ている。シンハラ人はシンハラ語をタミール人はタミール語を使っている。学校でスリランカの紹介をする事があるが、スリランカの文字を子供たちは、蛙の目みたいだとか、お尻みたいとか(笑い)と言う。(A配列が日本の「あいうえお」と一緒。)梵語から来ているから。1915年から1948年までイギリスの植民地で、1948年に独立してセイロンになった。
本当の独立は1972年。その時からスリランカになった。本当の自分の国になったが、悲しい事にシンハラ人とタミール人の間に内乱があり政治不安が起きた。タミール人は人口の12%で北東部に住んでいる。独立してからシンハラ人が70%になって苛めるので、一緒に住みたくないという。けれどもタミール人の中には、それに反対する人も沢山いる。過激派は暴力的にキャンペーンをして分裂して新しい国を作ろうとしたので、10年位の間に何万人も死んだ。でも今から4年程前に内乱はちょっと収まった。
今は、戦争ではなく平和的に解決しようと話中。日本で仏教の人がヒンズー教の人を苛めるという報道があったが、それは間違っている。宗教ではなく政治問題。タミールが小さな国を作ると、インドの南に住んでいるタミール人と一緒になる為、政治的にバラバラになるので、インド政府は絶対反対。そのため、ちょっと安定していて、戦争はなく平和になっている。
さて、「津波」はスリランカの人達には2500年の歴史で2回しかなく、分からなかった。最初は2100年前にあったと経典に書いてある。次は去年の12月26日。3万人が亡くなった。東南部の被害が大きくて、今大変な事になっている。26日の後、友人からすぐ電話がかかった。
「大丈夫か、私にできる事があったら言ってほしい」と私は言った。新聞社も私に聞きに来た。友達とも相談して私のできる事をしようと義捐金の募金を始めたところ、30万円位の目標額が、お陰様で70万円を超えた。本当に有難うございます。この日本の皆さんが寄付して下さったお金をどう使おうかと向こうのスタッフに相談した。一番ひどかったのが漁師達。
大きなボートを買いたいが、高いので買えず、仕事ができなくなっているので助けたいと思って頑張っている。エンジン無しの小さいボートで、浅い所で網を入れて魚を採る。日本円だと1隻4~5万円で買える。10隻位買えそうなので、今、相談中で、ゴールデンウイークに行く予定。今日は皆さんにスリランカのカレーを食べさせて(A食べて頂いて!)(爆笑) 皆さんと一緒に頑張りたい。宜しくお願いします。(拍手)
N道具の会は、要らなくなった道具を集めて途上国に贈って、その道具を使って生計を立てて貰うのが一番の目的。その為に「自立の為の道具の会」という名前。ここ何年かはスリランカに限って活動している。他に、電気屋さんが、小型の水力発電機でカンデガマ村に電気を供給したり、雨水を溜めた生活水が乾季になるとあまり奇麗でないので、水を浄化する事もやっている。
僕は家具屋(オーダー家具)なので、道具の関係についてのみ関わっている。半年に1回位スリランカを訪れて、1週間程現地で使い方を指導する活動を続けている。最初は工場や工房に道具を贈っていたが、この2年間位は、先程の話のように、内戦が停戦になって、教育を立て直そうというプロジェクトがスリランカの国自体で興った。
小中学校の子達に、いずれは工業製品の製造や開発に携わって貰える様に初歩の段階のデザインや製品造りの過程の教育プログラムが出来ている。それに協力要請が教育省の外郭団体から来たので、学校に道具セットを贈って、学校で指導するという事をこの2年ほどやっている。で、今回1月15日から、3校でワークショップで本立てを作る授業をした。
<ビデオ解説> 津波が12月26日にあって、行くべきか否かの問題がまずあった。現地からは要請された。津波災害に対する内容を求められたが、準備不足で通常の本立て作りしかできなかった。僕達がワークショップをする学校はむこうが指定し、今回は津波災害の学校にいくように設定されていた。
コロンボの南のベンテゥータで、ずっと砂浜の海岸が続いている。道中はずっと津波の被害があった地域で、最後にアンパラという東海岸まで行ったがここは本当に被害がひどい所だった。逆にスリランカの西海岸、コロンボのちょっと北のネゴンボ辺りはリゾート地区。綺麗なホテルもいっぱいある。被害はそれほどなく、観光客が来なくなるというのが痛いという観光地も多い。
津波で建物が壊されているコロンボの南のゴールロードの道沿い。砂浜の海岸から100メートル位に国道があって、その奥にずっと家があるけれど、ひどい所は、道から1~2km先迄水が入った。国道沿いに鉄道も走っているが、線路もかなり被害にあった。
学校でのワークショップ。僕達が行く学校は、地域では一番大きい学校で、割合恵まれた所。校長先生が、日本に行った事があるという話をしながら歓迎の挨拶をした。先生の中には日本に留学していた人もいる。
15歳の学生達に日本からワークショップの為に来てくれたから頑張りましょうと説明している。スリランカはセレモニーを大事にする。結構長く(笑い)最後に子供たちにも感想を聞くが型にはまった挨拶で、(A言わなきゃいけない挨拶セットがある)(笑い)自分の意見はあまり言わないで、誰々に感謝しますっていうのが多い。
こういう美術課程の教室がある学校はかなり少ない。1日4時間位でやれる内容は少ないので、板を1人に1枚ずつ渡し、1人が1個本箱を完成させる。9時位に始めて11時にお茶。それから2時まで授業をして、家に帰って昼食。紅茶は美味しくて、凄く砂糖を入れる。(笑い)甘い。通訳の傍にいるのは道具の会の鈴木さんで製材所の社長さん。(B道具類が日本と違う。使い方も違う)日本の道具は、ちょっと世界標準とは外れていて、ノコギリはもカンナもひく。刃物も水の砥石で砥ぐ。それを外国に贈る事がどうかという問題もある。
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