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がま口弘美の日記 がま口塾便り


34,2005年4月26日号 
 『若者に読んでほしい一冊』  

 
尼崎の列車事故のニュースが凄惨で、がま口塾に来て頂くにも心配はつきません。必ず後ろ二両乗車を実行している会員さんがいて、皆感心しました。今回は
6人の出席。おのずと狭隘ながま口からの一冊の推薦ですが、今回の便りはぜひ若者に伝えて下さいね。

.私は読書会に入っている。今だいたい20歳くらいの子供を持つお母さんが、小学校1年生の役員になった時に絵本の勉強をして、それから発足した会なので長い。私は地域が違うが5~6年前に入れてもらって月一回、誰かが推薦してくれる本を皆で読む。初めは絵本だったけれど、子供の年齢と共にレベルアップして「国境なき医師団」の本を読んだり、くだけた流行のものを読んだりしている。その中で私が一番若者に読んでほしいと思ったのは「竜と舞姫」(吉橋通夫)という児童書。平安よりもう少し前、貧しい片田舎の少年が一生懸命生きていく様を描いている。今の子達は、そういうのをダサイとか言うが、真面目に真摯にこういう事をやろう!という気持ちがあふれている。

 今の子供達は本当に忙しく本を読む時間がない。むしろその事の方が問題かもしれない。「京のふうしゃ」も同じ作者で、同じ時代の名もない人の話。時代背景もしっかりしていていい本。

洋書もいい。アメリカでもいじめはあるんだなあという本。何気なく冗談で「学校を爆破しようか」と言った男の子が警察に通報されて、冗談でなくなって騒ぎになる。彼の潔癖を証明できる子がいるが、追い詰められ、友達も離れていき、最終的に男の子が精神的に病を得、親が訴訟を起こす。地域から信頼されていない人が密告者だったと分かるが、学校、教育委員会、警察などを巻き込んで子供の話は『どこの国も同じ事があるんだなあ』という思い。自分の仕事の関係の本をつい読んでいるが、自分では選ばない本を読書会では回してもらって読める。

 娘がとても本好き。「読んだパンダ」を沢山持っていて、年間何百冊と読む。嫌な事があると本を読む。体験できる事は限られているが、本を読む事によって知識を得られるので、本を読む子は強いと思う。進学塾のチューターをやっていて、ニュースレターで高校生に自分が読んで楽しかった本の紹介などもしている。(いい事だね!自分が読んでいる人でないとなかなかできないもの)梨木果歩さんの「西の魔女が死んだ」とか森絵都さんの「カラフル」とか。「永遠の出口」は生きている限り永遠に悩み続けなければならないんだなあ、永遠に出られないんだなあ、まあ、それはそれでいいかと若い子が思うのかな。

●最近読んだ本・・ならあるが、若者にとなると考えてしまう。本を読む人は強いというのは共感する。本をよく読む友達と話していると、的確な言葉が返ってくる。「小学校の時、本を読んでいたから、勉強しなくてもいい点がとれた」と言う。私は本当に数を読まない。困ったけれど、私もだんだんがま口塾に体が合ってきて(爆笑)、がま口の日が近づくにつれ、何かかんか発言内容が見つかるようになってきた。

私はM大の「差別論ゼミ」の課題図書で、有吉佐和子の「非色」を読んだ。黒人差別は「色」の差別だと私は思っていたが、そうではないという事で「非色」というタイトルになっている。面白くてアッというまに読めた。M大の学生達も皆面白かったって言っていた。私は普通の人なら読んでいそうな「聞けわだつみの声」とか「橋のない川」とか、島崎藤村の「破戒」なども、5年くらい前に課題図書になったので初めて読んだくらい本を読まない。読んだ事を忘れたくないと思うと、多読とか乱読はできないのかな。線をひきたいので、図書館では借りにくい。講義やゼミでは線をひいて読める。ブックオフで100円で買ってきて線を引きながら読む。昔は新刊を買って読んだが、今はブックオフに入るまで待っていよう(笑い)。そうすると時期を逸して忘れちゃったりする。

 

「非色」はこの世には使う人間と使われる人間しかいない。だから、色による差別よりもっともっと絶望的なもの。黒人よりもっと下にプエルトリコ人があるとか、(ヒスパニックも)『私は知ってしまっていいのかしら』と思ったりした(笑い)。差別を助長するという意味で例えば「チビクロサンボ」とかでも、「嫌だ」という人が1人でもいたら、その本は世の中に出てはいけないのか・・・。自分が結婚したのは、戦争が終わった時の進駐軍の黒人。黒人が先に帰国、自分は子供ができて後から追って行く。そしたらもう除隊になっていた。日本にいた時は物資も色々沢山くれたが、アメリカでは仕事もなくてハーレムの様な所に住んでいた。黒人から出てくるのは「自分達はプエルトリコよりは上だ」という言葉。「上見て暮らすな下見て暮らせ」ではないけれど・・。ユダヤ人の差別も出てくる。色による差別だと思ってきたけれど、そうではなくて、使う人間と使われる人間の2種類しかないという(そういう単純な事ではないという事だよね、きっと)(うーん)

●「チビクロサンボ」最近復刻したよね。(議論がすごくあったけどね)
●私の中であの問題は結論がでない。ゼミでやっぱり当時の新聞投書とか、色々調べたけれど、確かに1人でも傷つくなら、そうだろうし、かといって文学作品を抹殺していいのかという事もあるし。

●あれはお父さんがありえない数のホットケーキを食べたという事が問題になった。例えば英会話教室などのパンフレットでは、色んな色の人の顔を載せる。チビクロサンボは極端な描き方だと問題になった。

●がま口塾で、かつて黒人の方を招いて「チビクロサンボ」をテーマにして話し合った。はっきり「嫌だ」って言っていた。(へーえ!)当事者の意見だよね。

●「橋のない川」だって差別文学だって言う人は言う。(そうそう)

●そういうのを言い始めると、どんな作品も存在できないよね。瑣末な事に拘ると・・・住井すゑさんだって差別を知ってほしいと思って書いた。

●私はある幼稚園を借りて「お母さん教室」をやっていた。どんどんお母さんの人数が増えた。もともとは幼稚園でやっているので、そこへ来た1~2歳の子で、いずれは幼稚園に誘い込もうというモクロミ(笑い)もあったんだけど、私は地域が違っても子供の事で悩んでいるお母さんと、と思い描いていた。「うちは儲からなくてもいいですよ」と言ってくれていた神父の園長先生が転勤され、新任の神父もいいのだけれど、主任の先生が抑えられていた今までの想いを実行し始めた。営利色が強くなって私と食い違い、退職願いを出した。

 お母さん達がとっても残念がって、続行を望んで下さっている。どこか古い一軒家でも貸して下さる方があったら、そこで保育相談や老人も遊びに来れるような所を夢みている。夢は見ていれば、きっと実現できると思っている。今は充電期間にしている。

 たまたま私が退職を決めた日に通りがかった本屋さんで立ち読みした本「子供が育つ魔法の言葉」(ドロシー・ロー・ノルト)に、私がお母さん方に言い続けてきた事がそのまま書いてあった。私はシュタイナー教育の保育をやっているが、理論でなく現場人間。とにかく多くのお母さんと触れ合うことをモットーにした。お母さん達は本を読んで知識をもっている。でも本を読み過ぎると逆に危険だなと思う。固定観念で子供を当てはめてしまう(あーあ)

 保健所でも、この月例にはこんな事ができるとか指導する。今は、相談できるお婆ちゃんや近所の方がいないので、「家の子は
1歳半なのに二語文ができない」等と落ち込んで相談に来る人が多い。だから、私は若いお母さんに、この本をまず、子育ての前に読んでほしいと思う。

●本当に基本中の基本を言ってるよね。

●こういう気持ちで育てていくと、子供って大らかに育つ。若いお母さんにお勧めしたい。私達でも今から読んでも遅くない。この方も、もうお孫さんもひ孫さんもいるアメリカの方で、やっぱりお母さん教室をやっている。私も30年近く保育士をしてきて、只おやつを用意して、お母さん達の話を聞くだけ。私の子育てを振り返っても言えるけど、親が苦しくなると子供も苦しくなる。「子育てはこうあるべきだ」とお母さんが苦しんだ時は子供は悪い状態になる。「この子を認めてあげればいいんだ」とか「この子の個性として受け入れればいいんだ」と思った時点で、本当にその子の本領が発揮できる。

 孫がお婆ちゃんが好きって言うのは、自分を認めてくれる、自分を愛してくれる、すべてをお婆ちゃんは愛してくれるっていう所。虐待やいじめは、自分が愛されていない、認められていないという原因からきていると思う。そこから始めないと、そういう社会問題は解決していかないと思う。
30何人のお母さん達から「お婆ちゃんの所に来ている様だった」と一人一人お別れの葉書を貰った。「私は子育てが苦しかったけれど、楽しめるようになった」「ママさん同士の横の繋がりもできた」「どこかの教室にではライバル意識が強くて本当の友達にはなれなかったが、ここで子供達が大きくなっても付き合っていける友達ができた」と言われたのが私の一番の宝物。(それが一番大切な事だよね)

●家もチビちゃん達が集まって来る。リトミックを2歳からやっていた子達が5歳になっている。幼稚園はバラバラだけど、お母さん達がすごくいい関係を作っている。誰かが都合が悪くて子供を連れていけないとメールを入れると、都合のつくお母さんが送迎を助ける。その本を私もお母さん達に紹介した事がある。けっこう皆読んでいる。若いお母さんじゃなく30歳後半。出産が高齢化しているから。(あーあ!)本も皆すごく読んでいて、「これを真に受けてはいけないね」と言いながら真に受けて(笑い)、こういう本を読んだ時だけはすごく優しくなる(そうそう)(笑い)。だから、そういう事を話せる場所がどこかしこにあるといいね。

●そう。息子がヤンチャを言って「もーうっ!」って手をあげた時に私の顔が浮かんだとか(笑い)「首絞めたろかあっ!」って思ったなんていう時、皆が「分かるよ、分かるよ!」って言うと、「自分は鬼か二重人格かと思っていた」「そんな事皆一度や二度あるよ」って言うと、それだけで救われる。そういう「場」が必要。

●ほんと狭い家の中でちっちゃい子と2人だけでいてイライラすると、目の前の子供にいくしかない。

●この本にも書いてあるけど、お母さんだって1人の人間だから、ストレスが溜まる。それはどこかで発散して、改めて子供に向き合う事が大切。でも、保健所では「お母さんはお母さんらしくしなきゃ」、とか、「食べ物を食べない時はどんな工夫をしてでも食べさせなさい」とか指導する。(それがよけいプレッシャーになるよね)。マニュアルがあるみたい。それで帰って苦しくなる。

●家の子もグラフで見て体重がちょっと上だったら、肥満なので来月もつれて来て下さいと言われた。数値で未熟児とかも言われる。

●野菜を食べない子もいっぱいいる。何を食べているか聞くと「ご飯と味噌汁しか食べない」。「それだけ食べていれば十分だよ、それで生きていけるよ」って言うと、「えーっ!そうなんですかあ?」。そこに変に小細工すると、無理に食べさせようとするから、子供は食べる事が楽しくなくなってしまう。いい加減さ。良い・加減がいいんですねと言ってくれる。

●先日NHKにドロシーさん出てたね。衛星中継で。

●私は自分の子供とか周りを見ていると、何でもいいから読んでくれって感じ。(笑い)本というものを読んでくれた事がない。これがいい、あれがいいのレベルじゃない。

●私は読書会で取り上げた本を必ず子供に「面白かったよ」って見せる。

●本を読む習慣とか受け入れ体勢ができている子だったらいいけど、家は、漫画でも何でもいいから、本を読むという時間をとってくれっというレベル(笑い)(何年生?)もう大学生(爆笑)小学校から高校まで、夏休みの読書感想文に12年間もう、苦労した!(笑い)

●あれってくだらなくない?もう止めて欲しいわ。

●夏休み中一冊も読めないから、短くって、この子でも読めそうな絵本を高校生になってから、探してやるのが大変だった(笑い)(好きな音楽なんかだったら一生懸命やるんでしょ?)そうそう。読書感想文だけでなく、遠足に行った感想でも、学級便りに載る。本当に優等生の作文が載ってくる。そこまで書けなくてもいいと思うけど、それにしてもね(爆笑)

●娘の友達が高校生の時、星野富弘さんの本の感想を書いて全国大会までいった。感想文読んだだけで泣けてくる程素晴らしかった。あのお母さんに育てられて、こういう文章が書けるんだなあと思った。国語の先生で、面倒見ていたお婆ちゃんに「字だけは私に面倒見させて下さい」と譲らず、きちんと書かせたというくらい。今の若者ダメになったというけれど、何と真面目で真摯に生きている子がいるのだろうと思う。読書感想文は書けない子にとっては苦痛でしょうが。

●最後まで残るもんね、作文の宿題。(笑い)でも、家、まだ小学生がいるけど、今は出しても出さなくてもよくなっている。グッと負担感がなくなっている。(親に?)(爆笑)

●感想文に型があって、型にはまっていないといかんみたいに子供は思っている。昔からあらすじを書いて、最後にちょろっと感想を書く、(他にどういう書き方があるんだろう?)

●小さい時から本を読んでいると書く事は苦痛でないと思う。

●自分自身と置き換えるというのか、自分は恵まれている、自分を振り返るともっと自分に厳しくしなければとかの感想。

●私は悪いけど、感想文をよく貰う。小学校へ時々授業をしに行くので、その感想を律儀な先生が、必ず書かせて綴じて送って下さる。書かされて可哀想だったなとは思うけど、中には、授業の時間内に書けずに、先生を待たせて、夢中で1人で2枚も3枚も熱い想いを書いてくれる子もいる。字が多少間違っていても、勢いがあるから、本当の気持ちを書いているって事が分かって感激する。本人が「書くぞ」と思って書くものでないとね。

●そういう感動を与えて貰える様な本と巡り合えるといいね。

●それには親もちょっと手助けしてあげないといけないかも。(強いて言えばね)(爆笑)

●高校までは何しろ本を読まない娘だったけれど、今、大学でフランス文学やっている(ハア?!)なーんにも知らなくて、かの有名なサルトルやボーボワールも知らない。こんな無知が入っていいのかという程。そこであたりさわりがない、一番読みやすいサガンを読んで、サガンが自分と等身大と感じたらしく、そこからフランス文学に入った・・と言っても音楽が好きな子だから、シャンソンかなんかやろうと思っていたみたいだけど。私はサガンなんか何の感動もしない。だから私と子供の傾向があまりにも違って、私が読ませよう思っていた本が、彼女には全然合わなかったと言う事がやっと今分かった。(あーあ、なるほど!)(サガンが好きっていうのは、ものすごく個性的って事よ)すごく個性的な子。私はわりと乱読で、何年か経って又同じ本を図書館で借りてきて『何か読んだ事あるなあ・・』(笑い)その程度。私自身の中に、じゃ、この本を読ませれば生き方が変わるっていうのが意外とない。強いて言えば高校の時に読んだ「チボー家の人々」かなあと思う。40歳くらいになってから読み返したら、やっぱり感動したけど、共感する部分が違った。若い時はやっぱりジャックの生き方に共感したけど、40歳の時はジェニーの生き方を新しい女の生き方という風に見られるようになった。あれは私のエポック(時代)を作った小説だなと思うけど、とても今の若い読書習慣のない人に読めとは言えない。

●私はサンタクロースのプレゼントが大体絵本だった。小学校に入ったら50何冊かの(少年少女文学全集!)(笑い)そう。当時250円だったけど、毎月来た。わくわくして岩窟王やシェークスピア、小公子を読んだ。子供ができた時、本を傍においてやる環境は整えた。子供が4歳くらいの時に1年に400冊くらい読んでいた時期がある。(うわーあっ!)移動図書館に行くとすごく借りる。自分で読んだ。今、娘は英語の仕事をしているけれど、翻訳する時に助かっていると言う。日本語に訳す時に良い訳ができると。上の子は感想文なんか、要領がいい。まだ書いてない!となると、日本昔話や世界昔話の本当に小さい簡単に読める漫画本をぱっと読んで感想を書く(笑い)

 

 私のお勧めは「星の王子様」。もう一つはヴァイツゼッカー大統領の演説の岩波ブックレット「荒れ野の40年」。95年に日本に来て講演している。皆さんよくご存知の「過去に目を閉ざす者は未来にも盲目だ」っていう、これ20代の学生とかには最高の名文。もう今のダレカに聞かせてやりたい(爆笑)(拍手)。これはまだ東西ドイツが統一する前の演説で、これは素晴らしい内容で、世界中に駆け巡って、それが東西の統一を早めたとも言われている。(これは年寄りに読ませたい一冊じゃん!)(笑い)

「問題は過去を克服することではありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにする訳には絶対まいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ、現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、又そうした危険に陥りやすい」。ここはもう何度も何度も紹介されている。(でも、ほんとだよね)

 

私が今日お薦めしたいのは、「星の王子様」(サン=テグジュペリ)。元の題名は只の「小さな王子様」。訳者の内藤濯さんが「星」をつけたので良い題名になった。18歳の大学生の頃、日本語で読む前にフランス語で習って、いい本だなと思った。最初にポンとウワバミを飲み込んでいる絵があって、絵描きになりたいと思っている6歳の男の子が絵を描いて「じゃ、これは何に見える?」って大人たちに聞く。皆帽子だって言うが、象を飲み込んだウワバミの絵だというわけ。すると「そんなこと描いてないで地理と歴史と算数と文法を・・・」(笑い)と言われて、男の子は絵描きになるのを諦めたという出だし。その人が大きくなって飛行士になって、サハラ砂漠に不時着する。そこで知り合ったのが星の王子様。6つ星を回って7つめが地球だという。この本が言いたいのは「心で見なくっちゃ何も見えない。大事な事は目に見えない」という事。20代、30代・・と、年を経てから読むと、又味わいが違う。一番目に行った星は命令ばかりする威張った王様の星。二番目は自惚れの星。3番目は飲み助の星。四番目が実業家でお金しか勘定していない。五番目は点灯夫。王子様は『この人は自分の為ではなくて、他人の為にやっているので、この人が一番愛すべき人かな』って考える。六番目が地理学者。この人は地理の事は全て知っているけど、自分では歩いてない。ただ机の上でやっている。七番目にやってきた地球で、狐が「大事な物は心でしか見えないよ」って教えてくれた。これを読むと今でもホンワカといい気持ちになる。

サン=テグジュペリはお札にもなっているが、人間不信に陥ってアメリカに亡命したりするが、1944年、コルシカ島から偵察飛行に飛び立ってから消息を絶った。表紙の王子様のマントは最初はブルーだったけど、何かの理由でグリーンに変わった。2003年にフランスに行った時にブルーの本を手に入れた。大変貴重らしい。世界で5000万冊。日本で500万冊売れている。作者は高い所から地球を見下ろしているうちに、つまらない所とか本当の良さを知らずにいる、間違った事を本当の事と思っている人間が余りに多くて情けなく思っていた。

亡命先のアメリカで書いたものだが、ナチス占領下の母国を救う為に志願して兵となって飛行した。自殺かドイツに殺されたかは不明。リヨンの空港がサン=テグジュペリ空港になっている。世界80カ国で読まれている。書く事と飛行機に乗る事は私の中では一緒の事と言っている。バオバブの木は星を破壊するので、破壊する前に手入れして水をあげなければと、暗にアメリカをこの時代に批判していた。万博でアフリカのどこかの国がバオバブの木を真ん中にすえていた。ものすごくきれいな花が咲く。2000年に生誕100年で盛大な行事があった。箱根にミュージアムがある。フランスにも、生家がそのまま残っている。

 

●岩波ブックレットの「荒れ野の40年」って、今手に入るの?(ブックオフにはないね)

●ブックオフなんかは、大事にしておきたいって本はないね。大江健三郎なんかはない。ファンは、書き込みをしたりして出さない。

●ヴァイツゼッカーは中日新聞に招かれて1995年に講演している。「よその国に我々の国の事を議論させておくだけでなく我々自身が直接に意見の交換をするのが一番良い。両国が今世紀の前半に軍事的手段で勢力を拡大し、ほとんどの近隣諸国と戦争状態にあった事、50年前に終わった第二次世界大戦では無条件降伏した事、その後日本が経済発展を遂げた事も全部知っているが、謝罪はすべき事だ」と強く言っている。ものすごく細かく素直に謝っているのでもう、皆から絶賛された。若い20代の人は早めに(笑い)こういうものを読んでほしい。日本もこういう人が出ないかなあ。

●私は家では馬鹿だと思われているので、子供が「アンタ、これ読みなさい」と言う(笑い)。昔、少年少女文学全集をずーっと楽しみに買って読ませた。ある時来客があって「僕達はどんな本読んでるの?」って聞いた。「主婦の友!」(爆笑)あれ、主婦の友社のシリーズだった。その後漫画にのめり込んで私の願う道から外れた。(ドラエモンとかキャプテン翼とか?)何でも部屋に揃っている。漫画家になろうとしてた。(私も漫画は止めなかったよ)今は小林善範の「ゴーマニズム」なんかがあるから、私はそれに対抗して、今日は「汚れた弾丸 アフガニスタンで起こったこと」(三枝義浩)という漫画を一冊。540円と安いので(笑い)若者にも手頃。ペシャワールの会、中村哲医師は、ずーっとアフガニスタンに通い続けていらっしゃるんだね。漫画にするのには、本当にギリギリまで省略しているのだろうが、分かり易い。中村さんがまだ若い時、アフガニスタンで道に迷って夜になった時、貧しい村人が泊めてくれて、自分達の貧しいスープだけの食事を分け与えてくれた。「旅人は神様」という教えがあるんだって。とても感動した。そう。がま口塾に来る旅人も神様(爆笑)

もう一冊は「夜と霧」(ヴイクトル・E・フランクル)。大昔に出ているけど、池田香代子さんが2年ほど前に新訳出版した。今、私は自衛隊イラク派兵阻止裁判の原告になっている。今まで12ヶ月、4回の口頭弁論を重ねてきて、私も意見陳述した。422日に第5回の口頭弁論があったが、裁判長が転勤で変わって、1週間前にそれを知らされた。こういう場合通常、更新弁論というのをやって、今まで訴えて来た事を裁判長に知ってもらう為の弁論をやる事が当然の権利として保障されているのだけど、裁判長は被告(日本国)代理人の一方的意見だけを聞いて、すぐ更新弁論は終わったとしてしまった。これは本当に常軌を逸する乱暴な訴訟指揮で、更新弁論を別の日にさせてくれなければ、今日の口頭弁論には進めないとする弁護団や原告と裁判長ともめた。その日は池田香代子さんも陳述する為に出廷していたけれど、結局裁判長が一方的に閉廷してしまったのでできなかった。

その日「夜と霧」を読みながらものすごく悲しかった。精神科医のフランクルさんは絶望しなかった。人間としての辱め、アウシュビッツの収容所で糞尿に塗れた強制労働。およそ最悪の状態の中で、奇跡としかいいようのない生還を果たせたのはなぜか。心の有り様を考えさせられる。収容者の中の病人達に薬は当然ないのだけれど、死にかかっている様な人でも、慰めの言葉をかけてあげる事で、症状が治っていくのだそうだ。

昨日の朝、私は裁判所の前で皆とビラ配りして抗議してきたけれど、「あなた一回も人の目を見て話してないですね」「本当に良心から出ている言葉ですか」と、裁判中に原告に言われる様な裁判長。フランクルは「人間は何故苦しむか」という命題に対して「何かをやりとげるため」という答えをだしている。新たに何かを生み出す為に私達は苦しんでいる。

●「夜と霧」は映画になってるね(映画は見た)(ビデオになってる)

●池田香代子さんの講演会を夜やった。彼女は「憲法の作り方」「えほん教育基本法」とか、今次々出版している。「もしも世界が100人の村だったら」というシリーズが爆発的に売れた。彼女はその収益金を既にアフガンやイラクの子供達のために2000万円くらい寄付している。意図的にお金儲けの為にやっていると言われた。(あーあ!)先日日本テレビの「世界一受けたい授業」に出演されてた。ああいうので分かりやすく若い人に伝えたらいい。

●こちらから押し付けては反発されるだけ。自分から読もうと食らいついたものが自然で本物だよね。さっきのサガンの話もそう。

●コクトーがすごく好きだった。「恐るべき子供たち」なんか。(かなりユニークなお子さんだね)。英米科なんかだと優等生っぽい子が多いけど、仏文化の中はすごくユニークな子達ばっかりだそうで、安心感があるんだって。高校までは「あなたは変わってる、変わってる」って言われっぱなしだったから、今はすごく普通で居心地がいいって言う。

●私の友達も皆フランスへ行って帰ってこない。居心地いいんだよね。ボンボン意見言って。はっきりものが言える。日本へ帰ってきてがっかりする。日本ははっきり言わない。

 私は乱読もする。小林旭が自分の人生についての本を書いたっていうので、サーッと借りに行くの(笑い)。どういう生き方をしているのか知りたいんだよね。(小林旭?マイトガイ?あーあ)(笑い)若いから知らない?面白いよ、すぐ読める。それと専門のと真面目なのとかって図書館で楽しんでる。星の王子様も「羊の絵を描いて」って言って、飛行士が、6歳の時に嫌な思いをしたからなって言った。それを王子様は「あ、皆とは違うな」って喜んで友達になった。1人で住んでるんだよ。お花に水をあげるんだけど、お花が色々要求する。星の王子様はつきあってられないと思って、自分から星を出る事にする。それが最初に暮らした奥さんの事か?と言われているけど、きっと孤独で素敵な人だったと思う。1940年にアメリカに亡命して、43年にこの本を書いて有名になった。44年に亡くなる。

●日本から世界の若者に発信している本ってあるかなあ。

●日本の少女漫画が、今すごくアメリカで売れてる。夢がある所がいいらしい。

●おしんもそうだし。(ドラエモンもね)オーストラリアの子が家に15年前にホームステイした時、ドラエモンで日本語を覚えたって言った。37巻まであったので全部あげた。一番のお土産だって喜んでいた。デーブスぺクターもドラエモンで育った。日本語をドラエモンで覚えて、面白いなあって日本へ来た。(へーえ)(中国でも人気があった)手塚治虫の本も日本から発信だよね。黒沢明、大江健三郎、川端康成、三島由紀夫、安部公房・・全部訳されてる。コロンビア大学のドナルドキーンの日本文学研究は有名。アメリカ人で日本の天皇を研究して本を出している人は多い。それを逆に日本人が読む。

●池田香代子さんはドイツ文学を日本に分かり易く伝えている。

●昔はそれほど新聞に名前が出てくる人でなかった。その後だよね、平和活動は。昔は「ブレーメンの音楽隊」とか「動物会議」なんかの翻訳をしてた。911から。

●強いよね、翻訳できる人たちが動きだしたら。

●自分が納得したら、それはすごい力が出るよね。

●色んな事を考えて、関わらない方がいいという人もいっぱいいるものね。

●事件に出会うタイミング。出会う本で人生が変わって行く。

●という事は読む機会を自分で作っていくって事かな。

●図書館へ行くと、新刊書が1ヶ月ですごい量。リストを見て申し込んでおくと、すぐ来る。これは利用しない手はない。引っ越してもすぐ図書館の場所を気にした。

●なかなか図書館に通うって事が・・時間的にね、難しい。読書好きの子に育てるにはいつも読んであげるといいって言う。だから私は本当に毎日毎日本を読んでやった。だのに(笑い)。でも凝って好きな本は1年位でも毎日読ませる。そういう子。子供が選ぶのは、私にとったら『なんでこんな本を毎日』って感じのもの。だから、私と娘はあまりにも違うという事。私は娘が小さい時に宮沢賢治をずいぶん与えたのに全然ダメだった(爆笑)

●自分で選ぶようになってからは私はいっさい手を出さなかった。

●私も0歳から小学校6年生まで、毎晩読んでやった。布団に2人並べて。(眠らなかったらどうする?)いや、子供は聞くのが大好きだった。楽しみにしていた。で、6年生になったある日「読ませてあげてたけど、もういいよ」って言われ(爆笑)(拍手)子供の親への親切だった。すごくショックを受けた。

●私は3歳の時に言われた。(はやーい)ゆっくりだから、自分で読むからいいよって。内容を早く知りたかったのだと思う。ちょっと憎らしいし、頭にきた(笑い)。上の子は5〜6歳になっても「読んで」と言ったので、子供によって違うのね。

●家も3年生ぐらいまでは読んでやってたけど、ついに自分では読むようにならなかった(爆笑)未だに聴覚人間だから、音楽は好きだし、音楽に関してはかなりの事ができる。(芸術家タイプ)目からはダメ。(映像で物語なんかもキャッチするんだね)

●家は1年アメリカに留学して、むこうの大学生を見て、自分がいかに本を読んでいなかったか体感して読むようになった。ヨーロッパ系の学生が多くて、本をすごく読んでいたそうだ。(遅くてもいいんだよね)

●小さい時からの10数年より20歳からお婆さんになるまでの50~60年間の方が断然長い。

●この頃は「お母さん、この本いいから読まない?」とか、向こうから言う。

●差別論ゼミに2年位通った。国立大学が独立行政法人になってから、社会人が授業に出るのはちょっと困るという事になったらしく、年に2回の合宿の時だけどうぞと言われる。

●差別は日本には多い。英語関係の会社にいたけど、オーストラリア、アメリカ、イギリス以外の先生はダメ。どこの語学学校もネイティブはそれくらい。フィリピンやコートジュボアールからの人も、会社が雇った事があるけど1年でダメになった。子供たちが黒人が来て、逃げたり泣きわめいたりというのが続くとやっぱり会社も考える。

●アシスタントの英語の先生が各学校を回る。それに関して某市会議員が「クロンボはよこすな」って言った(えーっ!)(ハーッ!)その人はPTAの顧問という立場の市会議員で、入学式か何かの後で演説する機会があって、そこで発言した。(皆の前で?)そう。「クロンボは止めにしてくれって俺は言っといたから」って。その人は車椅子のS議員に対しても「お前が市会議員になったせいでスロープを作るのに1500万かかったぞ」と議場で差別ヤジを飛ばした人。車椅子議員が「名古屋市の議員は調査研究費として100万円程の他に55万貰っているので、領収書を公開すべきだ」と、まともな事を言った事に対してカチンときての発言になった。(それホンネ)とんでもない人が市議会の議長になり、○党の団長とかになり勲章を貰い、そういう意識。本人が引退してその息子が又当選する。世襲。

●だから国会議員が憲法を見直すって圧倒的多数。戦前から戦犯とまで行かなくてもかなり手を汚した家系の人間がやっている。(岸信介なんかA級戦犯だった)私達の感覚と違う。

●黒人の英語の先生だとお母さんの方からバーッとクレームがくる。世界には色んな英語があるって事を分かる為に良い事で、子供達はそれ程思ってなくても、親が問題。

●私企業で営利活動だから、客のクレームが大事なんだよね。

●客は1人が10人に伝えるからね。ハンサムでカッコいい人だとお母さんが「住所教えて」なんてふざけた事言う(爆笑)。そういう感覚。

●ヨン様で、今もロケを見に韓国へ2600人行ってる(分かって行ってる人いないよね)

●こんな状態で何が私1人でできるかってジレンマに陥るけど、池田香代子さんが、世界を良くする為に私達でできる事が4つあるって。

@自分の親しい人
5人に想いを伝える。 
A
テレビやラジオで良い番組をやっていたら、手紙を出して、作った人を励ましてあげる。
(あーあ、なるほど!)(そうかもそうかも)感想を伝えて、頑張っている人を支えてあげる。5通集まったら評判がいいってことになる。皆、悪いのは凄く抗議するけど、良いっていうのはわざわざ言わない(そうそう!)
B
地元でとれたものや買い物の一割でいいから、フェアトレードの店で買う。お金は投票用紙みたいなものだから、世界に影響を与えられる。
C
笑顔で話す。

●△TVのプロデューサーの話を聞いた。沖縄から来たばかりで「私達は戦争を見たか」という番組の企画を出したら局内で批判が出た。こういう番組は名古屋はダメと、客である視聴者のクレームを恐がる。5回局内で試写をやってチェック。削られ削られ削られ。私は「現実に起こった事ならそのまま流してほしい」と意見を言ったのだけど、「ご飯を食べていて気分が悪くなってきた」というクレームを局内では過剰に配慮する。

 イラクの人からはクレームが来る事はない。イラク攻撃ではフリーのジャーナリストしか残らなかったけれど、フリーの人がこちらに送っても、何枚ものフィルターがあって、当たり障りのないものしか流れない。最終的なものは局内ではケチョンケチョンだったけれど、死体の映像等に関してもクレームは一件もなかったそうだ。


一枚抗議の手紙がきたら、抗議があったという事になる。

●こういう番組を放送してくれて良かったっていうのを、したらよかったかなと、今の話を聞いていて思った。(そうね!)良かったっていうのはなかなか伝わらない。家は店をやってるけど、電話がかかってくるのはクレームばっかり(笑い)。「良かった、ありがとう!」なんてのはまずない。学校でもどこでも、良くて当たり前。クレームだけだから、皆過剰に恐れちゃうよね。私企業だったら(お客様は神様)

●参観日になると、普段話している子が緊張して話せなくなると、その子のお母さんが、「何年もやっているのに」と、がっかりして、即電話がかかってくる。サポートが大変。

●スイミングスクールでも、何で家の子は合格できなかったのだとか凄い。昔に比べて親への対応がすごく大変になった。

●塾では成績を最重視するので、先生のストレスは大変。娘に対して「どうしてあんな若い先生を入れるんだ」ってどんどん電話がかかってくるんだって。大学で教えだしたら、成績は関係ないので、親から電話がかかってくる事がなくなった随分楽だって(笑い)

********どんどんテーマからはずれ・・・雷がなってお天気雨・・・雨宿りと称し、がま口塾第二ラウンド 3時までやってしまいました。楽しかったです*******

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●この歳になって思うこと。名著はたくさんあるし、案内本、リスト本も出ている。しかし、誰でもその時のその人にとって必要な本に出会ってこそ、人も本も生きるもの。他人が勧めた本が、求める本だなんてありえナ〜い。自分が「これ、本物だ」って信じられる本!そういう本をたくさんの本の中から自分で嗅ぎ取れるくらい、何でもいいから読んでいてほしいな。決して「いい本」ばかり読もうなんて思わないで。それはちっとも近道じゃないから。
 引っ越して、これまで念願だった図書室を作りました。本を眺めているだけでうれしい私。本を探す幸せ、これも大事。本で深まる人と人とのつながり、これまた大事。この部屋で大人向けの文庫始めようか、ゆっくりと
なあんて考えている。

 ●辺見庸の「もの食う人びと」。20世紀末黙示録とも呼ばれていた一冊。テレビ化がある。
チェルノブイリの事も書かれている。スローフードの大切さも見直すことができる。

●迷わず「むらさき花だいこん」。一行、一行、やさしく分かりやすい文章の中に、しっかりと戦争の現実が語られている。戦争体験者から直接お話を聞く機会が減ってきている今、私達は誰かから、どこかから話を聞いて語り継がねばならない。戦争ってどんなにむごいことなのか、この本は教えてくれる。
 そして本の後半では、平和への思いが述べられている。むらさき花だいこんに秘められた平和への願いが。読み終えて、心がやさしくなる絵本。日本の若者にも、中国の若者にも、世界中の人達に読んでもらいたい1冊。

★スリランカ地震被災救援募金で、船が13艘くらい買えたそうです。そのうちの一つに「がまぐち丸」という名前がつきました。バンダーラさんはちょうど今、スリランカに出かけています。追って詳細を報告しますが、がま口塾の皆様のご協力に心から感謝します。

今後の予定 525() 「私の簡単美味しいレシピと食のエピソード」

624() 「これだけは残したい学校のこういう所」

時間厳守・手土産厳禁会費はお賽銭です。どなたでも、誘い合ってご自由にどうぞ。

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