がま口塾
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がま口弘美の日記 がま口塾便り
38922日号
『ボランティアって本当は何だろう』

 チョボラって、ちょっとしたボランティアって事ですって。22日の夕方のテレビで言ってました。がま口塾の面々は、ちゃんと辞書で意味を調べてから来るので、貯乱ティア達?1ヶ月お休みでしたが、久々に集まった7人のがま口本音乱談、楽しかったですよ。

●ボランティアって辞書をひいたら(笑い)、志願するって言う意味。違った意味で使われているのではないか。普段この言葉を使う世界にいない。もっとも最近聞いた「ボランティア」は小学校の教頭先生から。私はPTAの資源回収の係りだが、会合で、去年資源回収で得た30万円で体育館の水銀灯や運動場のスピーカーを買ったという報告があった時に、ある父親が「公費でやるべきで、PTAの資源回収のお金から出すのは疑問だ」と発言した。「今までの使用実績を知りたい」「今後の使い方を考えたい」という意見も出た。

教頭先生は「子供達に還元されています。スピーカーが悪いまま、電気がチカチカしたままでいいのか、体育館は地域のスポーツクラブにも開放しているので水銀灯もよく減る。皆さんから出して頂いて当然じゃないか。今年も従来通りやります。ここは一つ、ボランティアの精神でお願いします」。

釈然としなかった。志願するとか、有志がするという本来の意味ではなく、お上から言うのは・・(笑い)奉仕とか自己犠牲の精神でやって下さいとか。でも、ボランティアって言葉がとっても美しいから納得してしまうのではないか。漠然とした意味で捉えて、都合のいい使われ方をしているのではないかと思った。(私もそう思って提案したテーマなの)(笑い)だって、戦争中だって「勤労奉仕」とか「志願兵」とか言ったけど、実際は志願じゃない。有志が行った訳じゃない。志願せざるをえないような状況に追い込まれて、しぶしぶ一歩前へ出ただけ。この言葉のまやかしというものがあると思う。

●私は10数年前、Bさんとボランティア活動で知りあった。私もチョコチョコとボランティア活動をやっている。アメリカのハリケーンの被害で、ボランティアがすぐ立ち上がったけど、ある意味で国家を甘やかすのではないかと思った。国がやるべき事をボランティアがやる。ボランティア活動に賛成だけど、マスコミが綺麗に取り上げる、その裏を考えると、役人は何をしているか、うまく人を利用しているのではないか。

 アメリカは世界的に、昔からボランティア精神で有名で、アメリカ人は人を助ける事に燃えているとされている。ハリケーンの時は、人を避難させなかったとか、ダムを修理するお金がなかったとかと一時的に非難が集中していたけど、いつの間にか、マスコミはボランティア活動に光を当てて、何かをかわした様な気がしてならない。行政側の怠慢を許している体制もあるのではないかと思った。

●今NPO団体でごく簡単な作業ボランティアをしている。通信を三つ折にして封筒に入れてシールを貼って発送したり、イベントのお手伝いで、月に34日位しかない。体調を整えるリハビリの目的でボランティアをやろうと思ったがなかなかみつからない。NPOセンターへ行ったが福祉関係が多い。前、身体障害者の施設で食事介助とかしたけれど、自分が病気なので、気が滅入って来る。何かやれるのがあったら教えてほしいと思っている。

 「ゆっくりやって下さいよ」とか「適当にやってください」と言われるけど、やる方としては真剣に仕事の感覚でやって、根をつめてしまう。他の人がゆっくりやっているのに、僕だけ必死にやっている。リハビリ目的だけど、交通費は出ないし、何にもお金にならない事をそれまでしてやっている意味があるのかなと思っている。

ボランティアセンターのカウンターで話しても、適当なボランティアが見つからない。不登校の子達の相手をしたり、家庭訪問をするというのがあったけど、勿論交通費は出ない。M区からN市まで時間も交通費もかかって通えない。負担が大きいので止めた。色々な所でボランティアって聞くけど、職種が限られていて、あまりない。

 「メイク・ア・ウィッシュ・ジャパン」のボランティアをやりたいと言ったら「ぜひ来て下さい」と言われて行った。すぐトレーニングをしたが、かなりきつい。小児癌の余命幾日という子供達の夢をかなえてあげるというボランティア。交通費が出るし、必要なお金は出るが、ちょっと僕が片手間にやるわけにいかない責任の重さで、トレーニングをして認定されないとトレーナーになれない。僕は4日間で熱を出してしまった(笑い)

●「本当は何だろう」っていうテーマに気がついて(笑い)、やましい気持ちでやっているボランティアがあって、けっこう自分の為。一方的でなくて、お互いに得るものがあるのが「本当は」って所で大事なのではないか。ボランティアに対してとっても低姿勢で「有難うございました」って言われると、心苦しかったり、居心地が悪かったりする。

 ただ手伝っているだけでは面白くなくなって、やっぱり続かなくなるんじゃないか。何か自分なりに楽しみとか、成長できるような、何か魅かれるものがなければ続かないのじゃないか。そこへ行くとちょっとホッとするとか。ただしてあげるだけだと気持ちが重たくなる。お互い様でやった方が気持ちがさっぱりすると思う。

 自ら進んで、という所で、仕事と違う自由さがあるから、創造性が出せる所がボランティアの良さではないか。『私も何か社会的な事をやってます』という免罪符的な事が自分の中にあると、ホッとできる。仕事でそれがある人はいいと思うけど、仕事でできない事をボランティアで補うというまやかしみたいなのが、私の実際の所。
(笑い)

●さっきの話で私は溜飲が下がった。やっぱり皆、同じ事を思ってたんだって安心した。ボランティアをする側は、私はどんな気持ちでもいいと思う。実質的なメリットを掴もうと思ってもいいし、ボランティアなんて気持ちも意識も無くてもいい。ボランティアなんて言葉が流行る前からボランティをやってる人はやっていたし、そんな人は気負いも無くやっていた訳だし、これをやっておけば、1年後に何々という期待感をもってやっている人も全然かまわないと思う。やる側の問題は、私はないと思っている。

でも、例えば、阪神大震災の時にボランティア元年と言われて、アッという間に、ボランティアをやると中学校で内申書が良くなるとかなっちゃった。行革でどんどんやらねばならない事を削って、そこへ穴埋め的にボランティアを使うというのが、今顕著だと思う。児童館とか生涯学習センターも、今は民間委託になりつつある。殆どボランティアで回さねばならない。デイケアセンターでも、これまでは社会福祉法人がやっていたが、今は株式会社がやってもいい。必要なサービスもしないでボランティアで済ませて儲ける。もっともっと世の中には苦労している人が多いのに、私だけこんなにノホホンとしていていいだろうかと思う気持ちがボランティアに向かわせているだけ。でも、こういう人間が、行政の怠慢か、もっと凄いものに利用されているのではないかと、最近腹が立ってきた(笑い)

専業主婦が子供の教育費の為にパートに出る。生活費の為でないから、賃金が低くてもいい様な気持ちがパートの賃金を低くしているって言われる事と同じ事で、主婦の善意が世の中全体に悪い方向に使われているのではないか。昔はPTAの役員が専業主婦に皺寄せが来るというレベルだったけど、今はもっと社会的に利用されている気がする。(それでテーマに応募したのね)(笑い)そう。私憤。社会的に立派な考えで出した訳じゃない。(笑い)

やっぱり学校の物は公費で賄うべき。私達の学校はお雛様を買ったりした。S県では毎年そのお雛様を飾って楽しんだり、外から演劇とか人形劇とか、ちょっとお金のかかる、生徒が楽しめるものに廃品回収などのお金を当てた。反対の声はあがらなかった。

●飢餓のアフリカの人達にっていう時、○△国のお偉い人達は何も対策を立てずにボランティアを待つ態度。それからその上の人達を「自分達の国でもうちょっとやりなさい」って教育する事を始めたというニュースをだいぶ前に聞いた。誰にでも「してあげる」って事は必ずしも良い事ではない。

 スイスがアメリカのハリケーン被災地に行こうとしたら、アメリカ政府からはっきり断られたというニュースがスイスの報道側から書いてあった。 (何かあるんだ、見られたくないとか)(笑い)スイスはよくボランティアを出し、やる事をやってスッと帰ってくるんだけど。ボランティアって言葉は、外国では学校でよく使う。先生が役員とか決める時に誰もならないと「ボランアー」、誰かやる人なあい?という感じで、わりと単純に使う言葉。「はーいボランアー」って引き受ける。日常しょっちゅう使う。

 私は1年間、高校生のホームステイを引き受けた。留学生の定期券のお金も全部こちらが出し、お弁当も作って、費用は全部こちら持ち。定期代の1年間は大きかった。大きな組織だけど、お金がないのでボランティアでお願いしますと言われた。会として1年間どれくらいかかったか出してほしいと言われて計算したら、50万円位かかった。それをくれる訳でないけど。(笑い)でも、1年間うまくいって、子供達もこの際、英語を習おう(笑い)とかも一切ない。何も望まなかった。来た子は、我が家の前にホームステイした家とうまくいかなくて、1ヵ月泣いて暮らし、我が家に変わってうまくいった。今でもその子からは手紙が来るので、一つ大きなボランティアをやったかなーと思う。

 何かを望んじゃうとギクシャクが出る。
N大学でホームステイを引き受けると、当時で月に7万くらい出て、来る子は22歳とか大人なので、お金は逆に浮くとも聞いた。私の友達は英語の特訓を受ける時間を設けたりしてやっていた。私はそれは望まないで、日本語を覚えて楽しんで帰るっていう目的を達成した。でも、その会では、やっぱり引き受ける人がものすごく少ない。

●初めてやったのは朗読ボランティア。月1回日曜日に現役アナウンサーの指導が受けられた。大学生の時だから腹黒いよね。(笑い)声の図書館に通って録音室で録音するのが大変なので、テープレコーダーを買ったり。(何年くらい前?)ウン十年前の20歳くらいの話。(爆笑)。当時はリール式の大きな重たいデッキで、3~4万円したかな、とても学生の身分で買える物ではなかったけど、アルバイトで買った。テープを入れる郵便も大きな特別のケースでやりとりした時代。声の図書館で「何かお手伝いする事ありますか?」って聞いたら「はい。ちょっと黙っていて下さい」と言われた事が(大々爆笑)忘れられない思い出。

社会に出て、今度は逆にボランティア養成講座の講師を頼まれた。その時の生徒さん達との出会いが良くて、ボランティアって本当は何だろうって言えば、友達をいっぱい作って教えて貰う事だと思う。ぴったりくるボランティアがあればいい。私は好きな事なので楽しい。がま口塾も、その時のボランティアさん達の要請から始まった。(へーえ)

 Tさんとの出会いもボランティア同士、もう十数年のお付き合い。Tさんもまだ2人目のお子さんが生まれて間もない頃で、子育てで大変な時だったのに、通訳ボランティアとして本当によく助けて貰った。

 今は裁判をしている。これはボランティアと言えないかな。原告団が3251人いるので、その人達への通信作業などがとても大変。裁判が近づいたり、講演会の企画があると、スタッフとして暇な時を選んでいられない。仕事との両立は本当に厳しく、皆もう寝る時間を削ってやっている。弁護団も皆ボランティア。文章を書いたりチェックしたり、印刷したり、紙を折ったり、宛名シール貼り。膨大な数なので、1日ではできない。本当に人手が足りない。今は退職教師の方達が主にやっている。助けて下さる人が本当にほしい。元々政策が良かったら、こんなボランティアはしなくていいので、残念な話だけど。崇高な生き方をしている人達を身近に見ると、私は学ぶ事が多いし、幸せに思う。

 留学生のホームステイは金銭的にはやっぱり大変だったけど、これは儲けもの。ボランティアでいいお友達いっぱい貰って得した事ばっかり。(おつりきた?)きたきたきたっ!

●ボランティアは勉強になるよね。

●なるなる。勉強してやろうと思うと駄目。留学生を受け入れて英語をうまくなろうとか。

●私の前の人はそれでうまくいかなくなった。(野心があるといけないね)だって、向こうは日本語を習いに来てるんだもの。もう一人のフランスの子も預かったけど、その子はクリスマスカードも来ない。そういう人もいる(って事が学べたのよね)(笑い)そうそう。でも、そうでないフランスの子もいる。育った家庭にもよるのだろう。

●ボランティアって言うと、まず福祉の分野で障害者と思って、食事介助を1週間に1回だけやっている。朗読ボランティアも最近始めた。外から見れば、ボランティアだが自分では趣味と思っている。視覚障害の方の音訳と思って公民館の講座がに入った。講座終了後に入るグループがあり、誘われて入った。そしたら学童保育の子達に読み聞かせもしていて、やってみたらすごく楽しい。絵本や児童文学を自分も楽しんでいる。

 先日初めて読み聞かせに行って緊張したけれど、子供達が、一生懸命聞いてくれて嬉しかった。日本語教室も公民館で
1週間に1回やっている。色々な国の方、特に日系ブラジル人が多く、色々な日本語のレベルの方がいる。私は日本語教師の資格を持っていないし、ポルトガル語や英語ができる訳でもないが、ひらがな書いたりするのを見ていて、「いいですよ」とか、「もっとこうするといいですよ」程度のお手伝いで、ボランティアが多ければ多い程少人数で目が行き届くからと言われて関わりだした。

●思い出した!M区で中国からの帰国者のための日本語教室をやってる人が、そういうボランティアを求めている。80歳を過ぎたお爺ちゃんが、代わりの人がいないから、杖をつきながら、一生懸命帰国者の進学や就職や住居、生活全般のお世話をボランティアでされている。日本語教師を頼まれたけど、交通が一番行きにくい区なのでお断りしてしまった。

●交通費も出ると楽だけどね。(時間も大変)

●岐阜でHさんという方がボランティアのポイント制度を作った。自分がボランティアをするとカードに点を貰って、今度は自分がその分をやってもらえるシステム。

T区でもやってる。私も先日初めてポイントを貰った。音楽アンサンブルをやっているので、ボランティア貯金のトータルで、今度は自分がボランティアがほしい時にやって貰える。ボランティアを通して、市民が横のつながりを強くしようと、定年退職したお父さんなどが、昔やったギターとかハーモニカを持ち寄って、楽しみでやっている。

 老人ホームに行く程でなし、デイケアセンターに行く程でもなしって人達が楽しみで集まれるようなものを目指しているが、ちょっと腕に覚えがある人達は、色々な施設を回ろうという形でやりつつある。でも、その施設たるや、デイケアセンターが株式会社になっている。昔は社会福祉法人がやっていた。
NPOと一緒で儲けていけなかった。今は株式会社なので、利益が出てもいい。出そうとする訳。本当に必要なサービスも削って利益を得るような・・

●えっ?必要なサービスを削っているのかなあ。客をとる為に、やらなくてもいいような事をやってあげます、どうぞ来てくださいってやってるって聞いた。でも、その分、時給のヘルパーさんにボランティアの精神でって言うのだろうか。(きっとそうだと思うよ)

●介護保険は利用者さん1割負担だけど、その10割とか、9割というのは、介護保険から出るから、事業者は介護保険はどんどん使って貰いたい。

●だから音楽はボランティアでやってくれという訳。だからこそ交通費がかからないようにT区の区域だけでやろうと思っている。音楽でしかボランティアはやっていないけれど、色々な所へ行っても、すごく気持ちが良かった、私まで気持ちが優しくなれたっていう所と嫌な気持ちになる所がある。あれは何の違いなんだろう。(交通費が出る出ないに関係なく?)交通費は出ない。(気持ちね)あんまり丁重にされても気が重い。

 時々行く
Hで、遠いけど、とっても良いデイケアセンターがある。本当にボランティアが多くて、農協がやっていて、田舎のお婆ちゃん、お爺ちゃん達で、私が孫みたいなものだけど、都会の老人よりよっぽど良い。運営する人達がすごく気持ちが良くて、色んな人が、遠くからでも、折り紙だとか、お絵描きだとか、色んな指導ボランティアをしに集まる。私も遠いけど、そこだったら、声がかかったら又行きたいと思う。どこが違うんだろう?

 ピアノがある所ではピアノを弾くけど、T区のデイケアセンターはピアノなんかない。ギターのお爺ちゃんと鍵盤ハーモニカを持って行ってやる。でも、その方が皆が取り巻いてくれていい。ピアノだと、音が大きいし、私が弾くと「お、上手いですね」で済んじゃう。でも、ボチボチハーモニカでやっていると、すごく心で聴いて貰える。多少の不純な動機や後ろめたい気持ちもいいの。(笑い)受け止める側の問題でしょ? そんな皆が崇高な志を持って集まる訳ない。(爆笑)でも、受け止める側があまりにも利用しようとしていると、これからどうなるかと思っちゃう。

●これこそ官から民へだね。流れに乗っていると、それはもっと加速されて行くでしょう?●行政がやりきれない穴埋めをボランティア精神でやってください。皆さん楽しいですよ、生きがいや張り合いがあっていいですよと引っ張り出して、うまく使っちゃってるみたい。

●昔、アメリカの小学校がすごくボランティアが盛んって聞いて、それは良い様に思っていたが、最近になって、軍事費にあまりにもお金をかけるから、税金払ってもそういう所に全然回らないんだって。トイレットペーパーもボランティアでバザーやって買っている。

●大体軍事費が多いとボランティアが多い。(笑い)(そうなんだあ!)

●だから、日本もそうなりつつあるんじゃないかって。行政にとって都合の悪い事は絶対ボランティアと見なさないもの。(そう!)(爆笑) 普通の家庭の主婦が、子供を守りたいとか、純粋な気持ちでやっているのに、□○運動家とかレッテル貼って(そう!)でも、社会から、特殊な人達として排除する理論だと私は思う。(市民運動家って特殊な分類をする)

●だって、どんな日常的な事だって政治にからまない事ってない。時の政府にとって悪い事だって言わざるをえない。そうするとボランティアとして見なされないって変。

●読み聞かせのボランティアで、4月にできたばかりの学童クラブへ行った。チョロチョロッとしか本がない。じゃ、私が家にある本を少し持ってこようと個人的に済ませちゃうと、問題をちゃんと問題として浮かび上がらせる事ができない。個人の善意だけで終わらせてしまわない見方が必要だと思う。別の人に話したら、市の担当に声をかけて、集めるようにしましょうかって話しといたよって言ってくれたけど。

●ある程度慣れた人は、そうやって意識を高めていくって事が、きっと大事なんだろうね。

●中国の学校にいた時、日本の新聞に毎月レポートしていて、野球を中国の子供達が知らないから、不要のグローブが、もし押入れにあったら送って下さいと書いた。そしたらがま口塾の皆さんも自分の地域で呼びかけてくれて、中部圏のあちこちからどんどん送ってくれた。ベースもほしかったけど(あれは一家に一個はないよ)(笑い)新聞を紐で縛って作った。すぐ動く。それでも、子供達がすごーく楽しんで遊んでた。リサイクルもいいよね。

●そういう足りない所へ要らなくなった物を回すのはね。(新聞に書くと、皆が協力するね)

●ロシアでボランティアはあった?

●全員がボランティアのような生活だった(爆笑)。社会体制がそういう国だから(大々爆笑) 元々あまりお金を貰わない生活。(助け合いとは又ちょっと違うの?)ちょっと違う。日本人が使う意味のボランティアと私達が使うボランティアの意味が全く違う。向こうのボランティアは、主に志願兵。(兵隊?)そう。志願兵はボランティア。自分で進んでやると言うよりも、やらざるをえない状況だった。

 例えば、土曜日の日みたいなのがあって、月に
1回か3ヶ月に1回、皆外に出て町を綺麗にする。ボランティアって言うより、やらされていたって感じ。誰かが見ている。あなたは出なかったって。確かに周りが片付いて綺麗になってカッコイイ。子供は純粋なので、喜んでやる。やりがいがあって、きれいになって良かったですね。でも、今考えると、何で皆でやらなければならなかったかと思う。ボランティアって、やりたい人がやるんでしょ。やりたくない人は放っておけばいいのに。だから、向こうのボランティアもゆがんだ意味で使われている。(戦争中の隣組みたいなものじゃない。相互に監視)たぶんそうだと思う。(未だに団地の清掃もそう)

●行かないと、お金を出して下さいって。

●ゴミの分別をそれぞれの家庭の責任でやってきた。でも、今前に比べて分別しなくなった。袋さえ良ければゴミ収集車が来て持って行く。なのにゴミステーションの片付けは私達が当番制でやっている。私は行政側がするべきで、一部をボランティアに任せているのではないかなと思う。(地域によっては年配の人がやる)

●保健委員がやるよね(町内会の組織で、組長を選んで保健委員を選ぶ)。有償?

.学区によっては年に2~3万円出るけど、地域によっては無償かもしれない。

●保健委員はそういう仕事の為にできたものでないのに、ゴミの仕事を押し付けられて、とっても大変だったと聞いた。

●家の方は、「このゴミは持っていけません」というのを収集車が貼って行く。

●貼ってあるのは袋が違う時だけ。これこそ大きな怠慢。袋さえ合っていれば、中身は何でも持って行く。説明会に行った時「、間違っているものは持って行きません」と市は言った。「持って帰らなかったゴミは、後はどうなるか?」。「出した人がきちんとやり直す」という答え。出した人はやり直さないと思う。「間違って出すのだと思う」と言うが、間違って出す大人は殆どいない。出す人は分かっていて、その人は最初からやる気がない。どうするかと訊くと「持って帰る」。何の意味があるか。

●近所の住民が、役所にどうして持っていかないかと電話をかけるので、しょうがないから持っていかざるをえない。

●結局出した本人はどうせ持っていかれるのでどうでもいい。そんな風になってしまったので、私達は当番でやらない人達の仕事まで引き受けている。これはボランティアでも何でもないと思う。一部のきちんとやっていない人の分をあなたがやりなさいと言うこと。

●やらない人というのは、言いに行っても言いにくい人。

●その人の扉の前に戻しても、朝になったら又出している。国がしっかりとルールを守らない人に対して指導しなければいけない。ゴミの問題が今の社会を反映していると思う。

●私の所も1人いる。新しい人だと分かっているので、不動産屋さんに言ったら、不動産屋さんは、その人にだけ言わないで、皆向けに注意書きを書いて、各戸に紙出して終わり。

●丸く治めようとして「皆さん、何々を気をつけましょう」と貼る。1人だけに言えばいいのに、そういう事は一切やらない。野放しにしている行政を疑問に思う。

●ゴミの立会い当番が1年に2回くらい回ってくる。町内会長さんなど三役の方は、それを毎週。本当に頭が下がる。行政がちゃんと住民を指導してやればいいけど、一種の自己責任というか、皆がしっかり分別すれば、誰も見張ったり教えてあげる必要はない。町内会長はボランティア精神がないとできない。自主的な様に見えて、皆が出ていかざるをえない全員参加。でも、それも近隣の繋がりを作る意味もあるから、一概には否定できない。

●村の行事には絶対行かなければいけない。お祭りのご寄付まで絶対しなきゃいけない。

●名古屋は、お祭りに出たい人は名前を書いて下さいという回覧が来る。私の所は夜からゴミ出す人は1人もいないし、ゴミ収集車が行った後は綺麗になっているし、後は気がついた人がカラス除けの網をとっておく。大きな、皆がよく見える道の角に出すからかな。

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来日した外国の人達の為の日本語教室で、日本語学習のサポートをするボランティア活動を始めて1年半になる。細々と続けている職業を持っているが、仕事以外に何か人様の役に立つ事をしたいという思いが湧いたのが、50代後半。遅ればせながらで、この年になってやっとである。区役所主催の日本語ボランティア講座を受講する事からスタート。多くの事を学んだ。

 講師の先生のお話で心に残っている言葉があって、座右の銘にしている3か条がある。
、よく聴き、よく知り、よく学ぶ
、できる時に、できることから
、ボランティアは
良心の契約

 毎回の教室は、外国の人達と共に考え、学び、楽しい時間を共有できる喜びを感じている。遅まきながら始めたボランティア活動だが、私自身も育てられる学びの場でもある。

●強制される事なく、自由意志を持って、福祉活動・社会事業・災害時の救援などのために、無報酬で働く事、又、そのような活動をする人を指すのが「ボランティア」である事は誰もがわかっていると思うが、このテーマが設定されたのには、何かボランティアに問題が生じているのだろうか。そう言えば、半年程前、「万博でボランティアしている」と話した知人が「15000円のペイを貰う」と言った時、居合わせた数名全員が「5000円も?それならアルバイトじゃない。私もしたい位」と反応した。(万博関連のアルバイトやボランティアは色々あって、一概に言えないかもしれないが)

 現在私の知人、友人の中に、主に福祉関係のボランティアをしている人が何人もいる。病院で介護の手伝い、老人施設への送迎(車の運転が好きな人)、施設の清掃、給食サービス等で、私は敬服している。いずれも60代後半から70代後半。私もようやく昨年12月から仲間に入れて頂いた。但し、自分の体力や身体的条件と、人のお世話好きという事から、独居高齢者のお話相手、電話相談員で、Y福祉会館に所属して当番制で従事している。喜んで頂けると私達の方が嬉しく、元気づけられる。自分でできる範囲の事をし、相手の方ばかりでなく、自分にとっても喜びであるものでなければ長続きしない。若い頃、イデオロギー的義務感からボランティア的な活動をしたが、今も残っているのは挫折感のみである。

●ボランティアとして日本語教師をやっている。K区役所で中国残留帰国者を対象にした教室に2年足らず通った。これはYWCAで学んでいた教師養成所の実験場のようなもので、実力をブラッシュアップする必要から始めたもので、将来への足がかりとして自身をつける上でも大変役立ち、今でも楽しかった授業や生徒達の顔を想い出し、感謝する事が多い。

 でも、残念ながら養成所が終了直後に事故に遭遇し、後遺症と聴力の低下から、プロへの道を断念した。その後東京に移住し、国際交流会の日本語教室に通い、5年程になる。その間、色んな国の人達と付き合ってきた事になる。

 11or2人の授業なので、しっかり準備して行っても待ちぼうけをくらったあげくに、来なかったり、ボランティアだから却って休みにくく、まずい教え方をしていると、プイと辞められる事もあり、気が休めないといった辛い事もあるが、異文化の人への言葉の訓練を通じて、自分の為の精神的、肉体的老化への予防に役立っているのでは?同じ生徒で1年以上続く例が多く、ホンネが次第に出てきて、人生相談の場になったり、自宅で一緒にクッキングやパーティなど、おまけがけっこう多く、気楽にやれば楽しいものだ。

 若い時はしっかり自立して働くのが一番。でも、余裕ができたら、一方でこういう事も並行していく事をお勧めする。心の巾ができるのでは?私のような社会の入り口に留まるものや、リタイヤした方達には、格好の若返り道場だと思う。

 今は、モンゴルの小6男子と、アメリカ女性(50代、日本人と離婚)との3人の珍コンビでワァーワァーとふざけあっている。何より友人が世界中に広がるのだから嬉しい事!

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●万博は部署によってお金は違うみたい。友人によると、何がいいかと言うと、その後自由に見られる事。期間内に5回くらい来て下さいと言われ、それは只で入場できる。簡単なボランティアは安いけどお金は出ている。通訳はもっと高い。

●私達のボランティアのイメージとは違う気がする。

●アルバイトと言うより、ボランティアって言った方が通りがいいから?

●大変な仕事をするわりには少ないという意味でしょう。

●特典をつけてボランティアとした方が人が集まるのかな。

●いらっしゃいませ、お気をつけて、階段がございます・・・もういいって言うくらい煩い案内をしてくれるボランティアがいる。(笑い)それで4~5時間で2000円。案内人が多すぎる。ボランティアの応募者が2万人あって、5000人くらい切られたみたい。

●国際交流と言えばそうだけど、言わば、娯楽でしょう?

●私は一生懸命反対してたけど、近くにあった良いイベントって感じでよく通った(笑い)。今、黒字の分配でもめている。(赤字だったらどうしたか)(デザイン博は赤字だったね)

●日本人が変わったのか、時代が変わったのか、群がるって危ない現象。万博に行く勢いで選挙にも行って(笑い)マスコミに乗せられているって気がしてならない。ハノーバー万博は赤字だったね。(ドイツの北の方で行く人が少なかった)

●テーマは何でもいいと思った。自然の叡智って崇高なテーマに関係なく、皆は娯楽だね。

●ハリケーンは叡智の表れか(笑い)

●環境問題のパビリオンで働いていた人が、一生懸命作ったビデオを、今日は1人も見てくれないって嘆いてた。時間が限られているから、皆見たいとこだけ見て帰る。私は家が近いから、一つ一つ丁寧に見てるから、アテンダンドが飛んできて説明してくれる。

●ボランティアのイメージやムードが作られているって感じ。ボランティアという言葉のイメージがいいので、行政がやるべき仕事、株式会社の利益追求の場面でも抵抗がない。

●万博でバイトやってるって言うより、ボランティアやってるって言う方が何となく高尚。

●お金を貰わない人は良い人で、お金をとる人は悪い人。

●そういうイメージが作られるのは嫌だね。ボランティアはボランティアであるとしても、正当な報酬って言うのは絶対必要。仕事を持って働く人が頼まれて仕事をして、お金を「え、貰うの?」みたいに言われたら嫌だよね。

●福祉関係のイベントの司会なんかをボランティアで引き受けて良い気持ちでいても、生活をかけて司会をやっている人からは、困る事になる。難しい。

●音楽関係もそう。主催者も払わないにこした事ないから、そこら辺どう考えるか。お金のない所は分かる。そこが申し訳ないけど払えませんと言えばそれは分かるけど、本当は出せるはずの所が出さないというのはある。でも、音楽なんか、「私達未熟者で・・・」みたいな所があって(そうそう。でも、正当な報酬というのはあるべき)。ラインは難しい

ボランティアは行動か、寄付か?例えばビル・ゲイツはものすごい寄付をする(笑い)

●昔、よく言った。お金のある人はお金を、手が空いている人は手を、時間が空いている人は時間を提供して下さいって。

●今回は通訳もだいぶ募集して採ったみたいで、友人も採用された。でもあまり今回は要らなかった。外国から来た人はあまりいなかった(笑い)VIPには、特別の通訳がついてくるし。友人はあっさり辞めた。本当にあまり外人の客を見かけなかった。

●日本は外国旅行をするには費用が高すぎる国。行きにくい国。万博に来ようと思わない。

Fax参加の方の話だけど、だいたい本職の日本語教師だってそんなに儲かる仕事じゃない。検定の資格を得るまでの勉強や費用は大変。でも、楽しそうだね。

●人との関りが好きな人はいいよね。Tさん翻訳ボランティアはよくやってるんじゃない?

●可哀想だなと思った人からは取らない。でもそれがボランティアと言えるかどうか。よく頼まれるけど、取らない事が多い。「いくら欲しいですか」と訊かれるのが一番嫌。言えない性格。正式な仕事であれば高額になる。だから、只でやると業界の人に怒られる事がる。無料でやってくれる所に仕事が流れるので、ある人にとっては良い事でもある人にとっては悪い事を私がしている事になる。

●友人は、友達に「ちょっとこれ訳して」って言われると「仕事としてやっているので、いくら」ってはっきり言うようにしているって。そうでないと知らないで頼んで「有難う」で済ませる人がある。

●先日小学校の先生3人が子供の朗読指導について教えて欲しいと言って、我が家にいらっしゃった。「おいくらですか」と訊かれ、言えないので「いいです」と言ってしまった。そしたら、ダイエット中の私にお菓子の進物。すごく悲しかった(爆笑)。一番嬉しいのは、子供達にそれが還って行く事。そして後から報告の手紙が来たり、反応が喜びとなって返ってきた時に多分ボランティアって言えるのではないか。

●ちっとも疲れずに簡単に翻訳してお金を頂いていいものかどうか・・(今まで資本がかかってるんだから頂いていいよ)

●音楽でも、「ちょっと弾いて」って言われれば、初見で弾ける。1ヵ月かかって一生懸命弾く初心者とは違う。だからと言って遊びと言えるか。今まで積み上げたものがあるから、頂ける時は頂いてかまわないと私は思う。

●お金持ちからはちゃんと頂こう!

●そういう人からは来ないよ(爆笑、)結局同じ畑の人しか頼みに来ない。(笑い)

●カンボジアの選挙の監視員で殺された青年のお父さんが、会社を辞めて、息子の遺志を継いでボランティアをされるようになったって気持ちすごい。私が一番良いボランティアだと思うのは、罪の償いにボランティアの刑に服する事。ボランティアで新たな人間関係を作れることもあると思う。

●私の国には軽犯罪だと15日間の強制労働があった。建設現場で働いたり、道路工事をしたり。(泥棒かなんか?)いや、人を殴ったりする程度の犯罪。殺人は必ず死刑。

●福岡であった中国人留学生による殺人事件も、本国ですぐ死刑執行されたね。

●もっと皆でボランティアで留学生を面倒みていれば、そんな犯罪は防げたのに。日本語を教えたり、ちょっと家にご飯食べにおいでなんて。誰が何に困っているかっていう「困った銀行」があるといい。30分子供の御守りしてとか。(間に入る機関が必要でしょう)

●だからボランティアコーディネーターっていうのがある。

NPOのボランティア情報センターっていうのがそうだと思う。

●もっと地域に密着した気楽な組織であるといいね。

●情報センターに集まる情報がやっぱり福祉関係で偏っていると思う。

●地元の地域に密着したボランティア情報が欲しいね。

●就職情報誌にもボランティア情報が載っている。不登校の子の家庭訪問っていうのは、意外なボランティアだった。(難しくない?)ある程度知識を持った人でないと出て行けない。

●夫は定年になったけど、「まだボランティアするには早い」という言い方をする。(笑い)まだ収入を得る仕事をしたい考え。私はボチボチ両方をやってもいいのではと思う。経済的にも時間的にもよほど余裕があったらやることだと理解しているみたい。

●心の余裕があれば、定年になる前でもできるね。

●「川を綺麗にしましょう」だったら、子供もできるボランティア。

●ボランティアをボランティアと思わずやっていた人は昔からいたわけだよね。

●出会いがあって楽しいというのがボランティアかもしれないね。

中日新聞、又は毎日新聞のイラク関連のニュースのスクラップをボランティアでしてくださる方を探しています。記事はある程度集まったら、自宅まで取りに伺います。詳しい事を知りたい方や、興味や、お気持ちのある方は坂東までご連絡下さい。

万博のボランティアをした会員さんは多いようです。交通費は1000円出たけれど、いっさいお金は貰わなかったという会員さんの話しも直接聞きました。色々なケースのボランティアがあったようです。皆、本音を正直に述べていますので、今回の内容に疑問を持たれる方も、補足、議論を深めたい方も、来月のテーマには、ぜひご参加下さい。日本の未来、そして上海万博に生かせるなら最高です。Fax、メール参加も大歓迎です。

今後の予定 1028()「どうだった?愛地球博」/11 22() 「私の好きな詩」(詩の持ち寄り)1222 ()「戦後60年を考える」

時間厳守・手土産厳禁会費はお賽銭です。どなたでもご自由にどうぞ。

468-0057 名古屋市天白区御幸山2112-14-201 пEFax 052-834-9457

坂東弘美 bdk@dp.u-netsurf.e.jp がま口塾  http://www1.u-netsurf.ne.jp/~bdk/