がま口塾
がま口塾ってなーに? CDロム・本の紹介
がま口弘美の日記 がま口塾便り

42130日号

『心に残った年賀状』

 司会決めのジャンケンは3人。「明けましておめでとうございます」で始まりました。こりゃ、空けましてかなあと思っていたら、終了時には合計6人。年賀状もがま口塾も今後どういう運命を辿るか分かりませんが、生きていればこそ。今年も宜しくお願いします。

●主人の所に来たこういう年賀状。(キャーッ!ウワーッ!ヒエー!)そしてこれをA3に拡大したのが、これ(笑い)(これでも大変よ)1800字くらい。(自分史みたいなの?)いや、この方は超有名ホテルの副社長までされた方で、主人とはそんなに行き来があるわけでなく、年賀状くらいで繋がっている。

最初私には字が小さすぎて読めなかったので、主人に読んで貰った時、何かおかしいなあと
(どういう風に?)戦争を肯定しているような・・・それで気になって拡大コピーした。

●書いてある、ちゃんと。A4に拡大すると読めるって(笑い)

●私は目が悪く、それでも読み辛いのでA3にした。軍隊で高い地位にいて、あまりペーペーの苦労をしていない人かもしれない。色々な資料を研究して、自分なりの考えを年賀状に纏められたようだ。

●私の友人のご主人も細かく書く人があって、奥さんはずるいからそれに連名にしてくる。(笑い)でも、こーーんなことはない(手書き?)

●いや、活字で。私的には、こちらの、こんな年賀状が出せるような平和な心境でいたい。(あーあ可愛い) (いいわねえ)。お向かいの方から。(染物みたい)そう。藍染をされていて、お孫さんの成人式の振袖を染められたのを見せてもらったが、「代々継げるお宝だね」と言った。

 こういう年賀状を出して穏やかな新年を迎えたいけど、私も結構字の多い年賀状に年々なっている。

凄い数出したんでしょ?

400枚くらい。(お向かいの方から年賀状が来るの?)お隣もそのお隣もやりとりしてる。
●額に入れたいくらいの作品ね

●娘は紐を張って、それに好きな絵葉書を吊るしている。(お洗濯物干すみたいに?)そう。旅先でせっかく好きで買ってきた絵葉書も、引き出しにしまいっぱなしでは目に触れないからって、10枚くらい時々変えて。(いいアイデアねえ!)

●そしてこれは、年賀状と暑中見舞いがこういう漫画でくる。(プロに近いね!)ご家族全員がそれぞれ何かをしている様子の漫画だが、このN君とAちゃんの2人は自分の弟さんの子供。そのお母さんが私の従弟の娘で、突然亡くなったので、美容師をしている子供達の叔母さんがひきっとって育てていて、元気に暮らしているという便りになっている。

 亡くなった時にお心づけを送ってから、お礼の手紙とこういうものが来て、これで
4回目。あぁ、こんな風にして幸せに暮らしているんだなあと…(言葉より)(絵でね!)

●私は描けと言われても描けないけど。こんなに動きのある漫画にね!

●すごくよく流行る美容室だって。そういう気持ちがご近所に伝わっているのかな。

Kさんが年を経る毎に年賀状の数が増えて、400通ぐらい書くと言われたが、私は来た人だけに出していてどんどん減ってきた。30作っても余る。中には住所と名前だけの人もいて、その年にどこかで会ったり、何かでご一緒したりという事があれば、あの時はどうもとか、その後どうですかとか書けるが、何年も会っていない人だと所在の確認だけになってもうそれすらもない人が私の場合は沢山いる。

 極端な話、どっちが亡くなっても連絡のとりようがない。印刷だけで年賀状を出すのは意味があるのかなあ、最後の頼みの綱というか、所在の確認だけのために意味があるのかなという気持ちはある。私としては、写真の年賀状が来たら、「大きくなりましたね」とか書きたい。コミュニケーションをとりたいけど、現実はそうはいかない。そんな中で選んだ
1枚。

 

去年の9月の総選挙の前にA新聞に投書した。自民党の名古屋市議団の事をボロクソに書いたので多分載らないと思ったけど載った。7月の段階では、自民党名古屋市議団は郵政民営化に反対の決議をしていた。ところが選挙になったら皆賛成ムードになったので、「ナンダ、その二枚舌は!」という投書内容。東京本社版にも載った。

私の実家の地区は東京本社版が入り、高校時代の恩師がA新聞を購読しておられるのを知っていたので、卒業してから何回かの手紙のやり取りはしたし、市民参加のゼミの研究で高校の制服の自由化や男女混合名簿の件で実態を尋ねたりした事もあったけれど、久しぶりに突然「すみません。A新聞はとっていますか?私の投書が出ていますけど」と電話した。

で、年賀状にその続きとして、礼を書き添えた。それに対して、「ちゃんと指摘してあり、大変よく書けていました」と。国語の先生だけど(笑い)(100)。「退職して九条の会にも入っているけど、今までのままの主張では弱い」というような事が書かれていた。今年の年賀状の中では、唯一意志や情報の交換という事ができたもの。それが一番嬉しい。

 形式的なものも年賀状の意味があるけれど、ちょっとやっぱり近況の交換ができるといい。全ての人にそれができるといいと思うけど、なかなかそうはいかない。
28枚だったので、確率の問題で、籤にも一通も当たらなかった(笑い)

●私は書く事が嫌いなので、何とかして減らそうと思って、会う機会が多い友達とは、「虚礼は止めよう」と申し合わせて、随分減らしてきたけれど、40枚くらい。亡夫は150~60枚書いていた。11月になるとそそくさとやりだした。私は自分で出す方もそうだけど、戴く方にも何かちょっと一筆添え書きがしていないと年賀状は寂しい。

 楽しみにしているのは絵の得意な友達の芋版や筆描きのもの。長唄の先生の見事な、それはそれはすごい達筆の手紙は、先生は亡くなったけれどずっとおいている。私は字も絵も下手だけど、何とか書くようにしている。

 弟の今年の年賀状は義妹と一緒に一生懸命やっている裁判の事。『ああ、この夫婦は相変わらずだなあ』(笑い)義妹はN弁護士で、(エーッ!)(知ってるう)硬い年賀状で特別の型破り。版画や絵の綺麗なのだけとっておいて、1年経つと他は処分する。

連れ合いが亡くなったのは、一昨年の1215日。年賀状の印刷はもうできていて、昔から使っている万年筆のスペアインクが丸善でしか売ってなくて、私が買いに行って、書き始めたけど体の調子が悪くなって半分書きのまま逝った。だからそれを皆ダメにして、年が明けてから私が寒中見舞いでお知らせした。

 だから未だに今年も、私の全然知らない会社関係の人から来ていて、寒中見舞いを出さなきゃいけないものが何通かある。

私と生き方が違う人だった。賀状も減らしたらとアドバイスしたけど、「余計な事言うな」と、11月になると手紙を並べて準備を始めていた。子供が「生きがいなんだから、させといてあげなさい」(笑い)。最期まで続いた。人の生き方は色々。(うーん)(そうねえ)

 

ボランティアで知り合った、文章も字も本当に立派な方がいる。5歳程先輩で、文章の中に「六十路を越えたらこんな事が不自由になった」とか「七十路の坂を越えたら急に衰えてきました…」と書き添えてあるので凄く参考になる(笑い)5年、6年というと本当に違ってくる。

 親に昔、「そういうきつい事言うけど、年にならなきゃ分からないよ」と言われたけれど、今になってやっとわかる。そのお友達の手紙は本当に助かり、お手紙や年賀状を戴く度に思う、大事な友達。

(ずっと一生懸命やってたけど……整理できた?)(爆笑)ずーっと、去年のも今年のもまだ整理してなくて、今…(笑い)ひどいけど。年賀状は一応家族が元気な事を示すのに必要かなあと思って、結婚して26年目になるが、ここに全部ある(ワアーッ!)

(珍しいね、貰った方でなくて、出した方なんて)返って来たものなんかを保存して20数枚(それは珍しいと思う)。子供が結婚して出て行く時に、これを一枚ずつアルバムに貼ってやろうと思っている。

 子供の成長記録みたいで、未だに、
25歳になる娘も一応家族と一緒に写真をとっている。ちっちゃいスペースに一言ずつ書くようにしている。この年賀状を楽しみにしていると、遠い親戚なども声をかけてくれるので、いいかなと思ってやっている。

 

こちらは私の北海道の友達の年賀状。前は写真だけだったのが、何年かするとこのようにだんだん書くようになって、我が家に対抗意識を燃やして(爆笑)完全に家は負けてた(笑い)。パソコンにとりこんで、デジカメも早くに買って、こういう文章を(すごーい!)書き添えていた。

 その彼が去年死んじゃった。もうこれで年賀状の張り合いがなくなるなあと思って寂しいのと、来年から奥さんどうするのかなあ…と。両家とも旦那が文章や写真を作って構成して、皆にこれでいいかって聞くやり方なので、来年から年賀状どうするかなあって。

 春になったら一度北海道に行こうと思っている。その時にそんな話もできたらと。今まで年賀状は、元気な事を示せばいいやと思っていたけど、今年、喪中の欠礼というのが
20枚以上あった。まだ親なら、『人間いつかは死ぬんだなあ、順番だからしょうがない事』と思うけど、寂しいもの。年に1回楽しみにしている年賀状がなくなると…。

●水をさすようだけど、こういう年賀状、親しい間柄で、楽しみにしている方ばっかりとは限らない。家の娘は30半ばになるが未婚。親しくない友人でも結婚すると、ひけらかすという訳ではないけど、彼と2人の写真入の年賀状を送ってきたりすると、「何これ」とか言って(笑い)

 近況報告は本当に親しい者にとっては嬉しいと思うけど、あまり親しくなくても作っちゃったからついでにって出してしまうと、貰う相手によっては、必ずしも喜ぶとは限らないと思う。

●そう。それは私も思っていて、本当に親しい人にしか…この年だから…

●だから、その年が問題で(笑い)。毎年1~2通はあるので「知らせてくれなくったっていいのに」(笑い)って。一番華やかな綺麗な時で、その次ぐらいが赤ちゃんが生まれましたって。「なによこれ、私教えてほしくない」ってひがんで言っている(笑い)

●年賀状はなるべく減らしたいなと思うけど、やっぱり楽しみに待っている人にはこうやって続けてていきたいなと思っている。(遡っていくとどんどん若くなってるねえ)(新婚の若い時のもあるね)(こういうのは初めて)(いい記録になるね)

●連れ合いも私の父親も何百通と出す人だったが、貰ったのは翌年必要なので、ずっととってるけど、自分の出したのはとってない。

●でも、この彼は、自分が貰った年賀状を人別にして保存してた(ヒエーッ)(すごい量だよね)メモ魔で、ホームページも作って皆に発信しているような人。(すごーい)

●大事な人はやっておくべきね。

●私も急遽彼の年賀状だけ抜いて纏めた。だから、子供さんも家に遊びに来てたので、来年から年賀状はどうなるかなーって思う。52歳で亡くなったからねえ。家は暮れになっていつもまだ写真とってないって、真夜中に写真撮影したり(笑い)(苦労が思い出になるね)

●あ、面白い!旦那さん、セーター5~6年同じの着てる(爆笑)(よほど気に入ってるんだ)写す時も子供に「又そのセーター?!」って言われて(笑い)(わざと着るの?)そう。子供達が嫌がっても、これがいいって(笑い)

 子供は、もう何年か前から別の年賀状を出すようになって。恩師とか、家族もよく知っている人にはこれを出すけれど、友達には出さない。
(それがいいね)出す人によって型を変えないとね。(そうそう)。家族ぐるみの付き合いの家だけね。(宝物ね)

●でも、我が家では一緒に写真は写したくないって感じ。だから、成り立たない。

●いつ子供達が嫌だって言うかなあって思っているけど。

●うちは家族で一緒にとった写真自体がない。

●お正月だけやっとという感じ。北海道の奥さんはほとんどパソコンを触らない人だから、これからどうするのかなあ。(その人のだけとってるの?)いや、写真で貰った年賀状は捨てられないからとっている。(偉い!)これは親戚と知り合い。仕事の関係は分けている。(それはなかなかできないよ)だから去年のがまだやっていない(笑い)

●私も捨てられない方。2000年とか、きりのいい時に、年賀状の籤の末尾番号の数字が0のを持ってきた人には卵を1パックプレゼントというチラシが近くの郵便局から出た。ずーっと何年もとっていたので、ものすごい数の卵になった(当分買わなくて良かったね)いや、施設に持って行った。とっておくといい事もある。(笑い)

●私も何年も溜め込んでいた。連れ合いが亡くなって、娘と同居する事になった際、娘に言われて家の改装をして、何から何まで整理して捨てたので、やっとすっきりした。

●籤の発表があるまではとっておいて、鍋敷きでも作ろうかと。年賀葉書を三角に折って重ねるとできる。(タバコの箱でも作るね)でも、今は鍋敷きもあまり要らなくなった。(飾りになるくらい)そう。写真つきのはできないから、業者から来る葉書で。

●話す事がない。(何枚きたの?)3(爆笑)(じゃ、それ全部話して)(笑い)。がま口塾便りと、あと一通は昔友達だった人から。「又会いたい」と書いてあった。その人は一時マルチ商法にはまって、僕の所に来て「幸せになれるから、今から箱根へ行こう!」とか(笑い)。今はようやくそういうのから足を洗ったみたいで貧乏暮らしをしている。その人は何にでもはまっていくので、もう付き合いは止めた方がいいと思った。(迷惑だものね)

 お世話にはなった。車を持っていて、突然馬篭だの伊勢だのとドライブに行こうと誘う。コンサートも色々予約していつも2人分とるけど、女の子を誘えず、相手がいない
(爆笑)。それで来てくれないかと頼まれて、よく有名なコンサートにも連れて行って貰った、昔友達だった人(笑い)

悪口言うと罰があたるので、止める(笑い)。マルチ商法にはまりやすい人なので、彼の為にも距離をとった方がいいなあと思った。で、無視すると又何か言ってくるといけないので「新しい人間関係の中で生きて行ってください」と返事を書いた。(厳しいね)

 一通はボランティアに行った所から今年も宜しくという挨拶で、後一通は・・・なんだったかなあ・・・。思い出せない。
0通が2年くらい続いたので、それに比べると進歩した(笑い)

義理で親戚の叔父さんから「体は大丈夫ですか。今年こそ飛躍の年にして下さい」とかと書いてくれて、何か力になってくれるかなあと思って電話したら「はっきり言って人の子なので、どうでもいい」と言われて止めたし。

 

年賀状の処分の話が出たけど、だいたい5年ぐらい持っていて、関係がなくなって2年くらいしたら捨てる。処分した事を言うと罰が当たりそう。

●イラクに心を寄せたのとか心に残った。想いを書いた、字が多いのはけっこうあるけど1800字のはさすがにない。表も裏もびっしりのは合唱団の活動の

●「ぞう列車」のF先生でしょ?

●そう。一番心に残ったのは会員さんからの一枚。「寒中お見舞い申し上げます。今年もがま口塾とHさんにとって実り多い年でありますように。12月末に主人が2ヶ月の入院で亡くなり、今年1月の2日に母が亡くなりました。人生はすごいですね」そして横に丸い顔を描いて「心ニコニコ笑っちゃおう」って書いてあって、笑おうっていうのが凄いと思った。どんなにか辛いでしょうに。

 拉致問題のコメンテーターとして時々出ている、ニュース制作会社の代表をしているTさんからの年賀状には「人類の苦しみが少しでも軽減されて、より高いステージへ進化しますように」と書き添えられている。それぞれの生き方が書かれている年賀状は、今年は何が書いてあるかなあって楽しみ。沢山出す人なので書き添えるのは大変だろうけど。

400枚出すけど、必ず何か書き添える。印刷だけで済ますのは一通もない。(へーえ)

Aさんの北海道の亡くなった友人に関して。やはり、我が家も家族ぐるみで付き合っていた友人が46歳だったかに事故で亡くなった。いつも楽しみにしていた木版画の年賀状が来なくなって10数年。今年奥さんから、まるで彼が生き返って彫ったかと思うような見事な木版画で年賀状が来た。

 やっとお孫さんも何人か生まれて賑やかになって、心が落ち着いたのかな。何も書き添えてないけど、多くを語っている年賀状だった。

北海道の友人のお連れ合いも、10年かかってもいいから、又心が落ち着いて、お連れ合いの心を踏襲するような年賀状が出せるようになるといいね(繋がるといいね)。寒中見舞いはショックをうける。誰が亡くなったかわからないのもあるね。(そう。それが困る)(何か書こうと思っても書けない)

●僕とは次元が違う(笑い)やっぱり喋るんじゃなかったな(そんな事ないよ!)

●そう言えば一昨年、がま口で知り合った岐阜の方から心に残る年賀状を頂いた。すごく爽やかで、文面も大きな字でサッと書いてあった。いい年賀状だなあと思ってしばらくおいていた。岐阜の薪能に一緒に行った事がある。

●私は申年に猿を描いて「見るぞ、聞くぞ、思ったら言うぞ」と簡単なのにしていた。

でも、去年くらいから、やっぱり想いを書かないと伝わらないと思って。申年はいいけど、ワンちゃんでは・・。(写真は家の犬?)そう。

●今年は犬の写真が多かったね。自分の家の犬の

●やっぱり家族の一員って感じね。

●伊勢型紙の犬もあった。(あーあ。色がいいね)(いかにも伊勢型紙って感じ)Mさんのも来てる。色鮮やかな明るい絵葉書。(いいねえ!)

.それを描いた女の子は有名な子。ひきこもりをしているけど、絵は抜群のセンスで画廊に持って行ったら、「ヨーロッパで修行をされた方ですか?」と言われたそうだ。作品はものすごくある。

●そんな大事なのをくれたのね、有り難う!数少ない女性に(いや、いや)(爆笑)読んでいい?「気にしないで未来に向かって歩いて行くだけです」って。元気が出たよ。

●そんな事書いたっけ?自分で書いて忘れてる。僕はそんな未来志向ない(爆笑)。なかなかこの子の絵は手に入らない。(じゃ、飾ろ)(どこで買ったの?)

身体障害者の人達が気軽に集まれるクレヨンボックスで。そこを1日借りて個展をやった。彼女は障害はないけれど、引きこもっているよりはいいだろうと出かけている。皆が個展をやったらどうかって勧めた。僕は年賀状は気に入ったポストカードにしている。年賀葉書にすると印刷するのに時間がかかる。これだったらぎりぎりに出しても普通郵便で1日に着く。年賀と書かないと、目だって良いかなとも思って。

30日か29日に出すと31日に着いちゃう事がある。(あるある)

31日に出すと1日に着く。配っている人が普通郵便と分けて配るから。

24日か25日にまでにと言うけど、市内だったらそれ以後でも着くからと子供には言っている。着けそうになかったら、自分で配達しておいでと。(お家へ?)(笑い)

●私は逆で、主人に出せ出せと喧しく言う。我が家は3種類くらい作って、主人は簡単なもの。去年来なかった人には当然出さないし、元旦になって「あ、しまった!これ出してない、これも出してない」ってやっている(家と全く逆)。出すと相手に迷惑だって言う。出せば又来年出さなきゃいけなくなるからって。

 会社にいた頃は
2~300枚書いていたけど、退職してから、私と比率がだんだん逆になった。私はボランティア団体に属しているので、グループの皆さんに出すので増える。

●やっぱりものの考え方が違うのね。私もボランティアに色々属してて、私が書きたくないので、「どうせ近くに会うのだから虚礼廃止にしよう」って止める。

●私は年賀状でなくても普通に手紙がくると、返事をすぐに書いている。9月くらいか、78月でも、時なしに年賀状を発売してくれてたら、表書きをやれるのになと思う。(へーえ)11月に何か事があると12月はバタバタだし。添え書きにも時間がかかるし。

●父は何百枚と、筆できちんと全部宛名書きから添え書きまで書いていた。やっぱり11月頃からやりだしていた。あれはあれで立派だなあと思うけど、その娘がねえ…(笑い。

<手紙・メール参加> 

●最近はメールで年賀状を出すのが流行っているので、手許に届くハガキの年賀状はめっきり減った。しかも私は暮れの内に

「明けましておめでとう」なんて、習慣とは言え最近は出さない。

下さった方にだけお返事を書く主義に変えた。籤なんて一枚も

当たっていなかった。心に残ったのはただ一枚!

北京の朋友から届いた絵付きのメール年賀状で、おばちゃんに福が来るようにと書いてあった。

(これが福が来るって意味?)(福が倒立している。福が到達するという音をかけている)                        

●年賀状でもいつもの便りでもたった一言!心遣いの手書きの言葉は嬉しいもの。

●中学校時代の先生と何十年も年賀状のやり取りがある。先生は10年位前に、病気で右半身が不自由になられ、以来、左手で書かれた年賀状を頂いている。

今年は、こちらの番地を書き間違い、返送されたそうで、遅くなってから封筒が届いた。一文字、一文字、左手で書かれた2枚の便箋。縦の線、横の線、曲線に先生の真心と熱意が感じられ、涙が出そうなくらい感激した。とっても嬉しく、ありがたい年賀状だった。

 認知症の私の母を案じてくださり、ご自分も同じ思いをしたと、「姪がいう 顔と名前が ちぐはぐになりたる母の 痴呆に涙す」。姪ごさんとの会話の中で詠まれた歌を書いて下さった。母への接し方、生活の中でのコミュニケーションが大切なので、たくさん話しかけ、楽しい日をたくさん作ってやるようにと…先生はいつまでも先生であった。

                       

●父からの年賀状。85歳の父が昨年11月、内臓を患って3週間ほど入院した。処置が早かったため大事に到らなかったが、それでも一時父は精神的にひどく落ち込み、生きる気力を失いかけた。「もう十分生きたから、延命処置はしないでくれ。死なせてほしい」。
 

それから父は体も心も快復した。入院中は手も震え、字が書けないと嘆いていた父。年賀状は無理、出さないと言っていた父。その父が印刷の手配こそ娘に頼んだものの、80枚の年賀状一枚一枚に宛名とコメントを書き込んだ。

 そして元旦に我が家に届いた年賀状には、父らしい文字があった。「とうとう老夫婦とも揃ってお世話になることとなりました。できるだけ迷惑をかけぬよう心掛ける所存です。何分ともよろしく」。

生きているありがたさを感じる年賀状だった。

今年の年賀状の中に、添え書きを読んでとても嬉しくなったものがあった。それは、中学校の先生をしている知り合いのAさんからのものだ。Aさんの学校に来ている体育の講師B君が、かつての私の教え子だったのだ。

大雪が降った日、担任の私が終日鎌倉作りをさせてくれたと、その思い出をB君は懐かしそうにAさんに話したそうで、昨年の暮れ名古屋に大雪が降ったので思い出したのだろう。

「会いたいナァと言っていましたよ。」とも書き添えられていた。

私もB君の事は名前を聞いただけですぐ顔が思い浮かぶくらいよく覚えている子。でも卒業以後のことはどうしているかまったく知らず、教師を目指していたなんてことも知らなかった。Aさんとはほとんど年賀状だけのお付き合いなので、B君がAさんと同じ職場にいるということも初耳だった。

 「会いたいナァと言っていましたよ。」この一行は涙が出るほど嬉しいものだった。今年の年賀状の中でピカ一の、忘れられない年賀状だった。

●心を打った年賀状はあったが、それはその年のことでしかない。私は45年間の自分の年賀状を貼って残してある。その年の状況を反映して厳しくなったり、甘くなったり、ゆったりしたり、色々変化している。その頃何を感じていたのか思い返したりしている。

年賀状にあらわれた自分の心の変化を見つめている。若い頃に、ある女子高の先生を訪ねたら、残っている女の子たちに「この人がÅさんです」と紹介されて、女の子たちが親しみをこめた目つきで挨拶するので「この子たち一人も知らない子だよ」と言うと、彼は「あんたの年賀状で年賀状の書き方の学習をした」と笑った。

 だんだんゆとりがなくなって一言も書き添えることをしなくなったが、こちらの方が大切かもしれない。

1963

1968

1985

この道を

とおるのは

太陽の光を

こわがらない

人でした

この道を

とおるのは

星の数を

数える人でした

そして

この道を

とおると

働くのが

楽しくなるのでした

石をくだけ

石をけずれ

石に魂をきざめ

清冽なひびきと

かたい冷たい石のはだから

あたたかい心をひきだせ

お前の魂は

どんな時代にも

朽ち果ててはならない

汝広目天の眼をもて

冬の夜の月光は音叉の透明な響き

あらゆる若芽は初々しい稚拙

汝広目天の眼をもて

それぞれが秘めるものをひきだせ

青春を吹き荒れる嵐からも

自己を見失った魂からも

さわやかな愛をひきだせ

1994

2006

せんりょうの

真っ赤な小さな実が

心をなごませてくれる

花は咲いているだけでいい

ひとの心も

そのままがいい

一心に生きていたら

ホンネだけでいい

ずいぶん長く生きてきました

モーツァルトの2倍以上です

恨んだり 憎んだり しなくなって

神を信じていないくせに

生きていることを

神に感謝しています

長く生きてきた自己責任として

とても一人ではできないが

平和な世界になることを祈ります

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

●メールとかFaxが普及して、年賀状を出す人が減るんじゃないかと思ったけど、私の周りではそんなに出す人が減ってないという気がする。アケオメメール(えーっ、そんな事まで省略するの?(笑い)その時間帯が繋がりにくくなるっていうから、年賀状も減るのかと思ったら、それほどでもないと思うんだけど。(減ったよ。今年最低)

●明けましておめでとうくらいすぐ言えるのに、何でいちいち短くしてアケオメって言うの?(後に色々書くから、今は何でも省略するね)(私嫌い)

●マクド、ミスド(マクドとは言わない。マック)(笑い)(関西ではマクド)

●場所によって省略の仕方が違うの?(へーえ)(それが文化?)名古屋は何て言うの?

ミャック(爆笑)  ※(冗談です)

●「サークルKの」事を「マルケー」って言う(へーえ)何のことか分かんない。

●左手で書いた先生のこと、一日の中で夜だけでもいいから、左手で字を書くだけでも左手の機能があがってくるって。歯磨きも左手でするようになると、もし右手に麻痺が残った場合、左手を使わざるをえない。(備えあれば憂いなし)

●メールできたらメールで返すし、葉書できたら葉書で返すね。(それはあるね)

●今年は戌年だけど、あまり意識しない。する?(どこの国も一緒?)

●中国は一緒だけど、猪ではなくて豚。(へーえ) (似てるもんねえ)私は豚年(笑い)

●猪年だったら猪突猛進って言うけど、それも豚だったら違ってくるね。

●豚ってものすごく清潔好きで神経質で、日本人の持っている豚観とは随分違う。

●ヨーロッパでは十二支はないね。韓国は?(あるでしょうね)

     世界の十二支 ; 牛→水牛(ベトナム)  虎→豹(モンゴル)  

    兎→猫(チベット・タイ・ベトナム・ベラルーシ)                                

        羊→山羊(ベトナム)  猪→豚(中国・チベット・タイ・ベトナム・ベラルーシ)

        ロシアは日本と同じ

●日本は平成があって西暦があって干支があって大変。

●干支は年齢がばれる(笑い)不意に言われるとね。西暦では誤魔化せる。実年齢と偽年齢を持っているけど(笑い)、干支はねえ。

●今年、自分のペットを写真で年賀状に貼り付けてきた人多かったね。十二支で他にペットとして写真に貼り付けてくるの、ないよね。

●蛇。(飼う?)もてあまして川に放る。竜もいる(えっ!?)(竜の落とし子?)そう。

●最後まで飼ってくれればいいけど。(鰐もいる)(十二支にはない)鼠は(笑い)(飼っているとは言わない)。ハツカネズミは飼う。去年は鶏だったね。

●弘法さんでヒヨコを買ってきたら大きくなっちゃって、毎朝早くから「コケココケッコ」と困ってしまって(笑い)しょうがなくて鶏屋さんに「すみません」って持って行った。

●これ12年前の酉年の年賀状。

●それ見ると、あぁ、もう12年経ったんだあって)(思うね)

●平成になって今年で18年?恐ろしいねえ。

●昨日までノリタケの森で「子供の写真展」があった。出口の所でちょうど新聞社提供の「戦後60年」というのをずっとスライドでやっていた。(へーえ)

●土門拳さんの写真はすごく迫力があった。

●年をとると1年がすごく早い。60歳の人は1年が60分の1の速さで過ぎる。3歳の子にとっての1年は長い…という事を娘の数学の先生が仰った(なーるほど)

●いつまで続くか年賀状。年賀状の未来は?

20年ほど前、年賀状の配達をやっていた。(ホーッ?)年賀状が今より沢山あって、アルバイトを雇って配達した。出陣式に郵便課の課長が出て来て、「気合いを入れて配れ、間違ってもドブに捨てるな」(爆笑)。そして配達員に切手シートが貰えた。あれはオリジナルなのでラッキーだった。全戸配布は広告が入った時とか、NTTの請求書とか決まっていて、その日は皆が「嫌だなあ」って言う。ものすごく面倒。

郵便配達やっていると、どこの家庭に誰々がいてって、とてもよく分かる(でしょうねえ)。制服・ジャンバー・雨合羽・靴まで支給される。

●年賀状がポストに入りきらない所があるんじゃない?

●年賀状は一軒にどっさりあるので、バイクに積めない。 夏の配達では、ヤクルトや果物が至急された。水分を補給するようにって。行き届いたサービスがあった。(笑い)

●高校生のアルバイトもいっぱいいたでしょう。

●その子達には特に強調していた。捨てないようにと。

●今年も未配達の事件があったね。

●いけないけど、郵送のチラシなんか配らない人もあるかもしれない。

●いつも思うんだけど、郵便屋さんって、達筆すぎて宛名が読めない時ってない?

●郵便番号で区分できるけど

●七桁まではできる。あと二桁あると、個人まで特定できるらしい。だからすごい狭い範囲になるから分かるよね。

●いや、毎日配っていれば、どこの家か分かる(あーあ)。それぐらいにならないとできない。誰の家庭が何人家族で、学習塾のチラシが入っていると行ってるんだなとか。(個人情報が分かるよね)。機械で大区分した後、自分で小区分して、自分の範囲を地図の順番どおりに積み重ねて束にする。

 途中でお昼休みのお弁当を食べる場所が決まっていて、そこに午後の配布物が届いている。
(へーえ!)無駄なく配れるように行き届いたシステムになっている。大体皆1130kmくらい走っていた。かなりの距離。僕はバイトだったので90km。あれは、只紙を入れてるだけの単調な仕事なので嫌になってくる。虚しくなってきて、…。

ポストも開けて入れるのや、速達配達もやった。速達はノックだけはする事になっている。手渡し原則だけど、それを全部きちんとやっていると配りきれない。受験票など必ず手渡し。(よく誤配があるよ)。あれは、最終的に1区から17区くらいの区分を順次移動して担当するので、覚えきらないうちに配達している時に間違う。(年賀状なので、自分宛と思い込んで読んでしまう。)あ、思い出した!3通目に来た年賀状は、隣の家に来た誤配だった(爆笑)。

●私は同じマンションの、同じ苗字の人の手紙や宅急便まで誤配される。ここ何年かに来なくなった年賀状はそっちに行っているのではと思う。でも確証がないから言えない。宅急便の時、思い込んであけちゃった時ある。(それはしょうがない。誤配した人が悪い)

●やっぱり苗字とか番地が似ていると間違える。慣れてくると間違える。厩務員の方に配った事もあって、馬の調教は朝早くやっているので昼頃寝ているし、馬が驚くのでゆっくり走ったり。中にはパチンコ店でサボっていた配達員もいて、抗議があったりするけど、もちろん真面目に配達している人がほとんど。雪の日はチェーンを巻いたり大変。

 配達して「ごくろうさん」って言われるといい気持ちになる。

●ちょうど時間になったのでこの辺で。

今後の予定 手紙・Fax参加大歓迎!話し合ってほしいテーマも大募集中!

223()「ひそかに自分を褒めたい瞬間」

331()「二言目には・・・言う言葉」

  時間厳守・手土産厳禁会費はお賽銭です。どなたでもご自由にどうぞ。

468-0057 名古屋市天白区御幸山2112-14-201 пEFax 052-834-9457

坂東弘美 bdk@dp.u-netsurf.e.jp がま口塾  http://www1.u-netsurf.ne.jp/~bdk/