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『ひそかに自分を褒めたい瞬間』 時間を間違え1時間早くきた人、テーマを間違えていた人、私の塾便りの通し番号の間違いを、きちんと書き出して指摘くださる人、先月来られなかったのは手術で入院だった人等々…輝く個性が11人。20歳の学生さんがジャンケンに負けて司会でした。春近し!
●テーマについて、家で両親と話し合ってきた(すごい!)。運が良くて「私ついてる!」というのと、自分に対して「ああ、大人になったなあ」とか「我慢できるようになったなあ」という話とどっちがいいのかと。先日1時間半かけて友達の家に行く途中で土砂降りの雨になった。迷いつつも傘を持って出た自分は偉いなあと自分を褒めたくなった(笑い)。 友達の喧嘩や悩みに「どうしたの?何か私にできる事ない?」って首を突っ込んでしまう。当人達が解決する問題なので、口出しは駄目という事に高校生になってやっと気がついた。結果それで良かったという時に、ああ、自分がちょっと成長したかなあと思う。それは父も母も誰も褒めてくれないけど、自分で褒めてやりたい。この二つの話のどっちが面白いかなって(笑い)言ったら、父は後半の体験の話が面白いと言った。前半は運が良かっただけ。人が褒めてくれないけど、自分で褒める事を皆さんからも聞けたらいいなと思う。今年20歳で、大学が春休みなのできた。アイウエオ順で行きます(オオッ)(今日は新鮮だねえ!)
●スーパーやコンビニに行った時袋を断る。発注も製造も抑えられると思うから。でも断っている人は稀。家族にも何故そんな事をするのかと馬鹿にされる。(そんな事ないよ)ゴミの発生抑制の為にはどうしたらいいかと思うと、私は早く袋を有料化にしてほしい。環境庁が法律を出す様な事を言っていたけど、やっぱり各市が別々にやると、その境の地区にあるスーパーは無料の方に客足が行って不利なるので難しい。やっぱり国でやるべき。 先日台湾へ行った時、スーパーで「袋は要りますか?」と訊かれた。「要ります」と言うと、しっかりレジに袋代が入れられ、有料化になっている。韓国も優良化になっている。日本は業者に対する配慮からか、いつまでたってもできない。名古屋市は「エコクーピョン」を独自に始めた。まどろっこしくて「エコクーピョン」というのも言いにくく恥ずかしい(笑い)。知人は「知らないお店に入ったら、エコクーピョンはありますかと必ず訊く。声を聞く周囲の人への啓蒙になるから、貴方も大きい声で実行しなさい」(笑い)私はとてもできない。私の財布はレジ袋のスタンプカードだけでも、色々なお店の物で膨らんでいる。全部統一してたら早くいっぱいになる。あちこちの店へ行っているとなかなか100円引きまで集まらない(笑い)。おまけに財布も意味もなく厚い(爆笑)。 小学生の娘がゴミの問題を学習してきた。「これから私達はどうしたらいいでしょう」という最後の問いかけに『あ、いつもお母さんはレジ袋を断ってる』と理解してくれた。皆便利な生活に慣れてしまって、1億2千万の意識の変化を待っていたら、百年たっても無理なので、一刻も早く有料化してほしい。エコクーピョンが40点まで行った時、私は少数派の自分を褒めたいといつも思う(笑い)(拍手) ●世の中、数%の人が行動を起こせば変わる。1割が動くって言う事はすごい事だって。1億2千万が動かなくても自分自身を奮い立たせて環境問題をすれば大丈夫。 ●夫婦でよく買い物に行くが、20回のうち18回位は袋を持っていく。(夫も?)夫の方が強力な環境派。 ●ゴミ問題は名古屋はアッという間に先進市になったけど、娘が住んでいるS県はびっくりするくらい何もかも一緒くたに燃えるゴミに出しているって。娘はさすがに大家さんにゴミの出し方を聞く。でも、分別なんかしなくていいと言うそうだ。
●密かすぎて褒めたい事がない(笑い)。若い時私は嫌な性格だった。人が1言うと100位言い返した。その頃は自分で気がついていなかった。それがだんだん我慢できるようになった。自分としては、人並みに性格がなってきて、自分では自分を褒めたいのだけれど、結局は周りから見れば当たり前の事。なので、自分で褒めている。 ●褒められたいと思って暮らしていないので、褒められない様な事ばっかりしている。自分では一生懸命していても迷惑という事もあるので、思いつかない。困った人を見ると黙っていられない。女学校の頃位までは人の事に首を突っ込んだ。 コツコツとやっている事とすれば、近所の粗大ゴミの山を30~40年位整理していたら、近所の人が「年をとったし可哀想」と言って、皆が当番制でやってくれるようになった。黙って夜中にちょっと出てみたり、朝は早く起きて分別したりと黙々やってきた事は褒めてやりたいかな(拍手)。今朝も出てくる時、近所の皆さんがワイワイ話しながらやっていた。『去年の今頃は一人でやっていたなあ』と思った。皆さんに伝わった事を褒めてやりたい。
●できない事が多いせいか、ちょっとの事で喜ぶ。目が悪いし、朝起きて鏡を見た時「今日の私って可愛い」(笑い)。「今日の玉子焼きはいつもより上手にできた」「味噌汁の味付けがいつもよりいい」と、何でも喜びにする事が、又自分のいい所かと…(笑い)。子供も私がドジばかりするので、反面教師になって「いい子に育ったなあ。これも私がいい親だからかなあ」(笑い)(すっごい!)(笑い)そんな風に生きている。
●タイトルに悩んだ。密かにとなっているが、ここで言うと密かでなくなる。(笑い)瞬間となると困る。私は70年の間にひどい欝を経験している。旅行先でものすごい光景に出会った時、「あの時死ななくて良かった」と、そこに立っている自分を褒める瞬間がある。 1回目の欝は、家族の反対を押し切り自力で大学受験をした時。一生懸命勉強して入学したが、周りの人達が物凄く優秀に見えた。その頃の東京の大学の寮は10畳間に5人の相部屋(えーっ!)。6畳だったら3人。私は十畳間で私1人が新入生で後は皆上級生だった。(うわー)すごくストレスが溜まった。「家なんかいいっ!」って家を出たのにホームシックにかかり、家から手紙が来ると布団の中に潜ってポロポロ泣いた。学校では凄いコンプレックス。高校時代の担任の先生に、「もう学校辞めて故郷に帰る。一浪して地元の大学に入り直す」と手紙を出した位。立ち直るきっかけは、地方から来ている級友に話して「私だって同じよ」と言われた事。そうか、皆同じなのかと思った。克服に半年位かかった。 もう1回は、45歳の時に大学に戻って勉強し直し、48歳で職場に戻った時。いきなり忙しい所に配属され、「私達は今までやってきたから新しい人に」ってワーッとあらゆる仕事が来た。こんな事なら非常勤のままでのんびり過ごせば良かったと思って馴染めなかった。でも責任ある仕事を放り出す訳にも行かず、その時初めて親戚の女性の精神科医にかかった。今は薬が良くて、何とか乗り越えたと思う。今退職して、思いついたら好きな所にパッと行く。すばらしい光景の前で「ああ、生きていて良かったな」と思う。乗り超えた自分を褒めたいなと思う瞬間。(拍手)
●主婦の仕事はなかなか褒めて貰えないから、自分で自分を褒めるんだなというのがある。それをより強く感じたのは、ヘルパーの仕事をやり始めた9年前。今は事前にケアマネージャーが組み立てて、やる事が決まっている。私が始めた頃はまだ措置の時代だった。行ったその日に、やってくれと言われる事を自分で組み立ててその時間内に終わらせなければならない。『これって家事能力のある人でなくちゃできないじゃん』(笑い)。大学の家政学部の事を、皆主婦やってるのに、わざわざ何勉強するの?と馬鹿にしていたが、今は金銭教育もやっている時代。あれは家庭を維持する立派な家政学で価値のある学部だったのだという事が、ヘルパーをやって分かった。私の自分を褒めたいと言うのは、仕事に行き、その場で言われて洗濯機を回しながら他の事を同時進行でこなす。9時に出かけるなら、その前にやっておかなければいけない家事というのがある。それをやりこなして出られる自分を褒めたい。家事能力を生かせる仕事もあるという事も分かって勉強になった。
●まずレベル1。半年ぐらい歯医者へ行くのを逡巡していて、やっと行って治療して「もう問題になる歯は全くありません」といわれた瞬間(笑い)。レベル2。今、私が妊娠して、ギネスブック以外誰も喜ばなくても、単身赴任の夫がいぶかっても(笑い)、新聞のトップに御懐妊を報道されなくても、静かに一人リビングにいて、「出産と、まだある人生は自己決定しよう」と想像した瞬間(爆笑)。(何言い出すのかと思った)レベル3は、財産や家柄で結婚しなかった為貧乏をしているが、『野良猫だわ』って思う自由な瞬間の数々。レベル4。先日小学校で「雨ニモマケズ」の群読の授業をした。「北ニケンカヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイイ」って郡読で聞いて、「それはいかん、宮沢賢治!」って思った瞬間があった(爆笑)。つまらないから訴訟は止めろとは決して言ってはいけないと思った私を褒めたい。(拍手)。(すごい! あの宮沢賢治に対抗しとる)(笑い)。
●いっぱい褒めたい瞬間がある(笑い)。結局人が褒めてくれないだろう事を、自分しか褒めてあげられないって、私はある日気がついた。自分が一生懸命頑張ってやった事を人は多分、自分が思っている以上には思ってくれない。これは真実だと思って、以来自分を褒めて精神衛生上スッキリする様に努めてきた。 1年位前に知人から畑を借り、生ゴミリサイクルの行き先ができた。畑をするのは初めてで、サツマイモを植えた。色々なNPOに関わっているので、秋に芋ほり大会ができるといいかなと思って180本位さした。(ほーっ)10m×10m位の規模かなあ。6月に植えて、暑い盛りもせっせと草抜きに行った。無事秋を迎えて10月に最初に鍬を入れたら、ワッと大きいのが出た!(拍手)本当にその瞬間、自分で自分を褒めた。(そうだよねえ!)(サツマイモ、カッコイイねえ!)(笑い)美味しかった。でも声をかけても芋ほり大会は誰も来なかった(爆笑)。あちこち配った。(畝の一番淵が大きいよ)そう。モグラが出て可愛い。時々食べられたけど、まあいいか、モグラにも先住権があると(笑い)、共存共栄でやった。
●僕はここで、皆さんにとても大切にされて嬉しい。虐待を受けた人のグループワークに出ているけど、司会者は大抵「自分で自分を労ってあげなさい」「自分が自分に寄り添ってあげなさい」とか決め台詞を言うけど、自分が大切にされた経験が全くないので、自分は物凄く醜い、価値がないものだって思っていて、自分を褒めるなんて、まかり間違ってもない。でも、ここへ来て…今日もちょっと早めに来たら、(早目なんてもんじゃないよー。1時間も早かったよ)(えっ?そうなの!)(爆笑)10時だと思ったら9時だった。(笑い)そしたらコーヒーやらお茶が出てきて。ここでも他でも、自分が大切にされていると感じられる様になって、調子に乗ってきた(笑い)。 先日もボランティアで、あるNPOに行ったが、3時間位ぶっ通しで作業をして、お茶一杯出なかった。ま、それだけその人は孤軍奮闘していて、ゆとりがないのだと思う。他にボランティアは来るかと聞いたら、1人だけ1回来た事があるって(爆笑)そりゃそうだろうなと思った(笑い)。そういう事も自分が分かるようになった。自分が大切にされていないという訳ではないけれど、『ここはお茶も出ないなあ』という事を思えるようになった(あーあ)。良くなった自分を褒めてあげたいのだけれど、日常生活の中で機会は少ない。やっぱりスーパー銭湯にお昼から行って、110cmくらいの水深の所に浸かって、自分を大切にしてあげるという事が嬉しいというか、そういう事ができる自分を褒めてあげたいと思った。 普段不味い物しか食べていないので、週に1回回転寿司に行こうと思って行った。すぐ値段が跳ね上がるので油断できない(笑い)。どんなネタを頼んでいいか分からず、最初は流れて来るのだけ食べていたが、3時頃だと流れていなくて、自分で注文しなきゃいけないのに分からない。そこへ男の人が入ってきたので、何を頼むか聞いていて、それを僕もその通りに言って(笑い)食べた。そういう練習をしている。先日グループワークの司会者に「貴方達は自分の事を労ってあげなさいと言うけど、それは虐待を受けていない人だから言えるのだ。受けてたら自分の事を大切に思えるはずがない。貴方達は分かっていない」と言って胸のつかえが降りてスッキリした。これから良い事がありますようにと思った。(拍手) ●褒めたい事は山程あり(笑い)リストを作ってきた(爆笑)。夫は、この半分は自慢(爆笑)だって。じゃ、と、対照的に自分を責めるとか、叱るというのも作ってみたら、それも長かった(笑い)。それこそ自分で褒めたいなと思った(あーあ!)。対照的にすると、けっこう拮抗するので、褒めるという事は特別に自慢ばっかりじゃない。 私はアレルギー。ひどい時は顔が浮腫んで赤くなって外出できない。入院した事もある。皮膚科に行くと、そういう人がいっぱいいて安心するが、これはあまり良くない安心。逆に凄く肌の綺麗な人を見ると心の中で妬んだ。『なんで私がこんな目にあわなきゃいけないのか。綺麗な人はその綺麗さに全く気づいてもいない』と、悪い事をいっぱい考えた。すると症状が逆にひどくなる。桜の季節に、その木の下を桜のような餅肌の綺麗な人が歩いていて、その人を見て『ああ、この人がそんな病気でなくて良かったな』と心の中で初めて思った。(ほーお)それでやっと抜け出したなと思った。その瞬間を今もよく覚えている。今は綺麗な人を見ても全然平気。逆に自分と同じ様な人を見ると早く良くなるといいなと思う。それ以来1年、気持ちが凄く楽になった。 もう1つは、学生にあちこちでロシア語を教えている。私は外国人なので、日本人の名前は色々名前や苗字にばらつきや当て字があって覚えるのが難しい。トレーニングをして、2回目には全部覚えるようにしている。それは自分で褒めたい。どこかで教え子に会って、『あ、誰々だな』と思って、帰宅後名簿で確認すると合っている。学生を名前で呼びたいので、それ位しないと。幸い私の場合は1グループ10人を超えない。残念な事に中国語でないので。(あーあ)(笑い)。
●先生がそれだけ生徒の名前を覚えてくれる、大事にしてくれるって事は本当に嬉しい。「人」として向き合ってくださる先生がいるって事は学生の身分から言うと本当に嬉しい。 ●反対に教員は、街で卒業生にバッタリ会って、声をかけてくれるとすごく嬉しい。(そう!)思わぬ所で、一生懸命働いている卒業生を見ると感激する。 ●駅とかで先生に会うと「センセセンセー! そこでお茶飲んでいきませんか…」(爆笑) ●名前を覚えているもの? ●かなり覚えている。特に世話をやいた学生は。もちろん優秀な学生も。 ●外国人だと日本人を初めて見ると皆同じ様な顔に見える。日本人が西欧人を見るのと同じようにね。でも、私には1つシークレットがある。一番見た目の目立つ人から覚える。例えば髪を染めてピアスをつけているとか、そういうヤンキーっぽいのを先に覚えると(爆笑)後は楽。今は皆見た目もバラバラなので覚え易くなった。
<手紙・メール参加> ●褒めたい瞬間ねー。瞬間、瞬間…思いつかない。瞬間を時に変えてほしい(そうなのよ! )。褒めたい時…あった。先日の日曜日、風邪を引いた感じでひどく体調が悪い。頭痛、全身倦怠感、著しい気分の悪さ。朝食後市販の風邪薬を飲んですぐ寝た。午後3時頃昼食に起きて又寝る。依然として体調は不良。軽く夕食を済ませ、再度風邪薬を服用、また寝る。この様子では月曜日は出勤できそうもない、と休むつもり。ひたすら眠って、眠って、朝になったら、あら?大丈夫(笑い)…見事に快復。いつも通りバタバタと支度をして出勤したのだった。私って…なんでー?無意識の内に、月曜日までには、ちゃんと体調を整えているんじゃない!って(ふふふ)(笑い)自分を褒めたのだった。お粗末。(拍手) ●自分を褒めたいなんて事ないが、皆さんが私の事を褒めてくれる(笑い)。この年になっても何にでも挑戦してものにしてしまう。積極的でパソコンもデジカメも二胡にも熱心で若い人にも負けないって(へーえ)。今年3月には満77才で(ええーっ)喜寿を迎えます。その日「ひそかに自分を褒めてあげようかな?」(拍手)
●自分を褒めるって、結局生きている事を認めてあげる事かな。Mさんの話を煮詰めてみると、自分が理想としている自分の姿と、今、実際ここにある自分の姿がだいぶ近くなった時に自分を褒めてあげたいという気持ちが発生しているのかなと思った。 (賢いね)(笑い)経験した過去、現実、置かれている状況は大変だと思う。でもその中で自分もこうありたいとか、こういう人がカッコイイ、こういうのが理想というのがある。そこに自分が近づいていけたとか、ちょっとこうだといいなという事ができた時、私自身がいいなと思っている姿に自分がなれた時に、褒めてあげたいという気持ちになるんじゃないかなと思った。 ●〆られちゃった(笑い)でも、学生さんは将来もあるし、希望を持って生きていけるけれど、私はSさんの様に日常的な所に喜びを見出して落ち着いた生活を楽しめる。小市民的というか、自分が若い時だったら、こんなおばさんになりたくないというおばさんになっちゃっているけど、意外と自分に、今満足してるんだけど。(笑い) ●若い時は理想が高かった。それに一生懸命背伸びしたかった…(うんうん)自分自身を過大評価しつつ、でもその現実の能力不足を嘆いて、人の幸福を「ふん、何さっ」って(笑い)。今だったら第一線で頑張っている人を素直に喜べるし、やっぱり凄い人だなあって思える。人の事を素直に凄いと思うようになってからの自分の生き方は楽。逆に、ちょっとでも進歩したり、良かったなと思える事を喜べる。昔はできない事の方に目が行っていた。 ●そうそう。だから自分に凄く不満を持って、人に対して攻撃的になっていた。 ●私はまだそこまで届かない(笑い)。
●私も親から「80点ならまあいいやでなく、限りなく100点を目指す子だった」と言われた。完璧に物事をやらないと気がすまない人間だった。(娘;今もそう)(笑い)より理想に近づいてほしいという思いを他人、子供にも要求しちゃう。私の遺伝子持ってるんでしょ!みたいに(笑い)。学校の勉強が楽しかった。何で子供たちは楽しくないのとか思っちゃう。いっぱい知識を吸収して会話が弾み、趣味が広がり、新聞やTVニュースが分かるという事が楽しいと思うが、今は、私が育った時代になかったメディアやツールに私はなかなか乗れない。そちらで世界を広げている子供達と話の共有が出来難いのが、ちょっと寂しい。 ●お母さんが、子供に「こうあってほしい」という形と、私達が違うのは当たり前。母はそれをなかなか受け入れられない(笑い)。教員をしている父は、色々な子供を見ているせいか、良い意味で個人として扱ってくれる。母は「何でこれ位の事ができないの!」(笑い) ●夫が「ダーリンの頭ン中」(小栗左多里&トニー・ラズロ メディアファクトリー)というシリーズを読んでいる。(日本語と外国語の違いをネイティブを夫に持った人が書いている)(漫画だね)。言語に関する事が納得できてオススメ。(辛いと辛いが何故同じ漢字なのだとか)語源がフランスやイタリアで同じ英語になっているとか…言葉って大事だと思う。自分の気持ちを言葉で現すというのは難しい。外国語を学ぶ前にまず日本語をきちんと、と思う。日本語をきちんとやらないで外国語を学ぶというのはやっぱり本当に外国語も分からないし、外国語で思いを伝える事はできないと思う。 ●家の子供達は日本語しか分からない。でも、私も途中であえてそう思うようになった。2人とも日本語は完璧。後は外国語。 ●ある論文で、妻がアメリカ人で、自分の4人の子供をそれぞれ、この子は最初英語で育てて、何歳から日本語にするとか、全部実験した結果が書いてあった。子供達はもう40代になって、それぞれの生き方をしているのだけど。結果を見て、自分の言葉を持っていない子は、やっぱり不幸だなって思った。 ●長男が自然に実験になったけど、子供の方は大変苦労した。バイリンガルはそんなに甘いものじゃない。(皆憧れるけどね)むしろ辛い。家は英語でないので、使う機会が非常に少なかった。言葉の第一は母の言葉ではなくて環境。友達との関係、TVから流れる言葉、周りでしゃべる言葉。分からないと子供には孤独感がある。次男は自然な形で日本語だけになってしまった。私は後悔していないし、子供たちも何も文句言っていない。 ●強豪が集まっている!(笑い) NPOの方とか、虐待の方とか(アトピーとか)(笑い)。 ●私は英語教師だったけれど、英語の早期教育は反対。学校で教える教師の体勢が全然整っていない。まず母語をしっかり身につけてほしい。 ●若い世代から見ても国語が崩壊しているなあと思う事がある。友達の中には言葉遣いに気をつけている子がいて、「それ違うよ」って指摘されて、「あっしまった!」って思う事があるから、皆が意識していない訳ではない。日本語は大事だと思っている人がいるので、見捨てないで(笑い)。本を読まない子が増えてるというが、読んでいる子はいっぱいいる。 ●私が大学で日本語を勉強し始めた時に、先生がアレクセーエフ博士という旧ソ連では有名な言語学者の言葉を毎回私達に言った。「外国語を覚える事は、まず第一に母国語を覚える事だ」と。ロシア語が貧しかったら外国語を学ぶな。覚えるのは、いつだって遅くはないって。5歳からでなくていい。(色と同じで、対比しないと日本語はどんな言語なのかよく分からない)。通訳する時に母国語が貧しいと訳せない。
●Hさんが日本語が危ないって思う瞬間ってどんな時? ●例えば「シンショウ」って単語の意味ご存知?(障害者?) そう。それを自分が何か失敗して「やっちゃった!」って言う時や、相手が失敗して「やばいじゃん」というのを男の子がよく「それシンショウじゃん!」って。(えーっ!)(うわあ) 友達が使っていると、「おまえら、その意味を知っているのか!」って思う。弟が家で一度使った事があって、びっくりした。自慢じゃないが家の両親は素晴らしい人なので(拍手)(笑い)、弟はその人達の子。私は「あんた、今、どんな言葉を使ったか知ってるの!」ってギョッとした事がある。 ●聞いたまま使っているって事は、学習する機会がないって事ね。 ●世間の雰囲気は、身体障害者に必ずしも温かくない。スーパーの一番近い身体障害者用の駐車場に停めてしまう。注意すると、「どうして身体障害者だけを特別扱いするんだ」って喰ってかかる人がいるって。100円ショップで身体障害者のシールを売っているので、それを貼って堂々と停める。(ステッカーはホームセンターでも売っているらしい)(悪知恵)
●子供を虐待して殺してしまったりするのは、1つの家の中にいる人数が少ない状態の時に、母親のストレスが溜まる。聞いて貰えるお婆ちゃん、自分の母親がいないという環境が、今多くなっていて、それが言葉の問題にも繋がってくるんじゃないかなあと思った。身体障害者に対しても話す機会が少ない。「死」とか「生」を直視する場を家の中から出してしまっている。家の中でお産もしない。家の中からそういうものを出してしまっているという事が、障害を持って暮らしている人達に対する意識の低さにも繋がっていると思う。
●だいたい、テーマについて家で話してきたって事が信じられない。素晴らしい。 ●同じように育てても下の男の子には言い返されて、負けてしまう。全然聞かない。 ●それは私が小学生の時苛められていて、両親が学校に意見を言いに行ってくれた姿を見ているから、両親には最終的には逆らえないなっていうのがある。弟はそういう事がなかったので、多分そのせいかなと。お姉ちゃんの方が可愛がって貰っているというような。 ●同じ様にやってるつもりでも、やっぱりやっていないんだなって思う。上の子の時は親にパワーがあるから、上の子も従順になってしまう。自分も年をとるし、だんだんいい加減になってくる。上の子の時には許せなかった事が、下の子の時は、まあ、これくらいはいいかって妥協する。下の子はそれをよく見ているから要領がいい。 ●母が理想としている子になってあげられるのならなってあげたい。でもこっちにも事情があるんだから(笑い)。理想と現実の違いを今一度分かってほしいなと思う。 ●きっとそれは親子お互いだと思う。家の次男は見た目はヤンキー。ズボンちょっと下げて(爆笑)公立高校生だけど、毎日違う色のシャツを着て、その上にガクラン。前はそういうお子さんを街で見かけたら『親の顔が見たい』と思ったけど(爆笑)、それが我が身になって、本当に言う事を聞かない。悪い事をしている訳ではないけど、学校へ行く前に、私は後ろでズボンに手をかけて上げてやる。(爆笑)裾はスレスレで「アンタ、名古屋市から感謝状受けなきゃ。無料で街を掃除してる」。(爆笑)(拍手)だから、お嬢さんは素晴らしい。 ●家の子もワイシャツの上のボタンを必ずはずしていく。 ●それぐらい可愛いって。もうボタンどころか、あるけど着ない(笑い)(学校から何か言われない?)言われる、勿論。多分最近は外人だから、諦めているのかも。いつも私は恥ずかしい思いをしていて、先生にお任せしますって言っている。叱っても叱っても聞かないから。
●私の子が公立高校生だった時、校則が厳しくて、それに反抗する子で、私もそれを支持した。結局自分で考えて納得できる事は守るけど、そうじゃない事は、「どうして?」って先生に訊くし、やっぱりくだらない事は守りたくない。例えばスカート丈とかソックスが白というのは、いちいち「なんでなんで」って。何も考えずに従う子は問題意識もない。一つ一つ自分で考え検討して、これは変だと思う事は、最大限学校側と話し合うし、それで駄目な、例えばスカート丈は、腰の所でグルグル巻き上げて、バスを降りて校門入る所からちょっと長くしたり。月に一回位頭髪検査。ちょっと地毛が茶系。夏休み限定で、ちょっと明るい色に染めて、2学期が始まる時に真っ黒に染めた。そういう事を繰り返しているうちに、本当は自分の色だったのに「染めただろう」って先生に言われ、しょうがないから黒染めする。 ●本当にくだらない事が多すぎて、学校に言うのもエネルギーが要る。家も来年は中学生で白いソックス。色で靴下の機能は変わるのか。防寒具もジャンバーなら安いのがあるのに、コートでなければならない。おかしい事がいっぱいあるのになかなか変わらない。 ●ウクライナでは高校生でも服装は自由。だいぶ前だが学校が実験的にお化粧とピアスを許した。先生達は明日からは女子は全員凄い化粧してアクセサリーを身に着けるのではないかと不安だった。でも、結局許されてもクラスの1/3にも満たなかった。いちいち化粧して学校へ行っても馬鹿馬鹿しいと思う子が多かったので、むしろ自由にしてから先生達が楽になった。それを思い出すと、確かに今、家の子供はそういう格好をしているけど、別に遅刻もしていないし、悪い事をしている訳でもない。いちいち言うと反発が増す。
●今、スカートの下にジャージをはく。ズボンの制服を考えればいいのに、あくまで女の子はスカートをはけ。(女の子も冬は寒い)発想の転換がない。 ●今は、一般の女性でも冬場はズボンをはく人が多くなった。選択肢がない。 ●タバコを吸ってはいけないと言いながら先生がタバコを吸っていると説得力がない。 ●今は教職員は校門の中では吸ってはいけない。走って校門の外へ行って吸っている。 ●髪の毛染めてはいけないと言っている先生が染めている。(笑い) ●制服の乱れは心の乱れと言う訳で、入学式の時の教頭先生の言葉は「我が校はすべて形から入ります」。先生達も同じものを着ていれば安心する。 ●それは今の日本の考え方に通じる。地域住民からも学校に変な格好をさせているとクレームがくる。世間全体がそうなっている。(皆がそうするから、しろ) ●「皆が戦争してるからやりゃあいいじゃん!」「ふざけるなー!」(笑い) ●見た目の問題よりもっと大事な事がいっぱいあるのに。学生たち同士でそう言う事を色々話し合う機会はあるのかな? ●今、芸大に通っているので、環境や状況が人の心理に与える影響とか、それ辺りの表現という事に皆関心を持っているので、やっぱり話は盛り上がり、色々な見解がある。私自身も「同でもいいじゃん」「波風立たないならそれでもいいんじゃないか」と思う事もある。戦争という事になると、黙っていられないけど。「そんな事しなくても生きていけるよ」位になったら、いい加減になってしまう事もある。(そう考えているのは心強いね)
●ある県立高校で実際にあった話。冬の間、同じ生地ならスラックスでもスカートでも宜しいとした。で、スラックスにしたのは本当に数名。スラックスをはくという事でさえ、皆と違って良いカッコしいではないかとか言われるのが嫌で敬遠する。 ●私たちの若い時の数倍、子供達はそういう気持ちになっている。 ●船が沈むっていう時に、女性と子供を先に乗せて下さいと男性を説得する為に、イギリス人は「そうする事が紳士です」。ドイツ人は「規則です」。日本人は「皆そうしています」(爆笑)(なーるほど!) 皆が流れる方にやるというのが日本人の気質。(皆がそうしてるっていうのが一番説得力があったりして)(笑い)。 ●「今売れてます」という商品のコピー。皆が持っている物なんか持ちたくないのに(笑い) ●何百人に1人スラックスをはくという、その割合でしか、皆と違った事をする日本人はいないという事だね。 ●でも、その選択肢を続けていけば、だんだん少しずづそれを選ぶ人が増えていくかなーと思うけど、それすら認めている所が少ないって事だね。 ●皆違うからこそ面白い。皆の顔がそれぞれだんだん違ってくる。それが一番楽しい。見た目で判断しないから。私は外国人だから見た目が違っていて、それも大変だった。だからあえて、見た目は何だっていいと思う。 ●昔はお婆ちゃんから若い人まで皆ミニスカートはいてた。今は年齢や個性で色々自由になったのに、子供達はそういう制服なんかに縛られている。
●最後に聞きたいけど、スーパーでレジ打ちなんかした事ある? ●私は売り場担当で、レジ袋の様子はよく分からない。でもゴミの分別はできていない。 ●レジ袋の場合は家で又使う用途があるという事で、断らない人もいる。色々な使い方がある。ないと困る人もいる(名古屋市はゴミ袋が決まっているから役立たない)。だから内袋として使う。ゴミを見せたくない人が二重三重に使う。そういう意識の人もいる。 ●レジ係りは、断る客は却って面倒くさいんじゃないかなって思っちゃう。 ●いえいえ、それはない。そういう意識を持っている人がいるって事は逆に学ぶって事なので、すごくいいと思う。(だんだん少しずつ増えているよ) ●家の近くのスーパーでは「ご面倒ですみません」って言うと「ご協力有難うございます」。 ●企業のスタンスが環境に良い事をしているというPRになるから、プラスだと思うよ。それは従業員が従うしかないよね。 ●確かにスーパーによっては、殆どの人が自分の買い物袋を持ってくる所もある。でも、特にゴミ袋で出してくれる所は殆どの客が袋をレジで貰っている。 ●レジ袋って賛否両論があって面白い実験がある。レシートに「ゴミ袋いくら」ではなくて、「ゴミ袋要りません」とレジ打ちして、それで環境を変えていこうとしている。 ●断る人があまり少ないと企業としても踏み切れないというのもあるみたいなので、沢山の人が断れば、企業としても有料化に向けてGOサインが出せる。でも、皆がそういう気がない中でやるのは難しいのではないか。 ●自主的に市民に不要な物は要りませんと動いて貰う。皆の意識を変えて貰うのが一番の突破口。それだけの事で変わっていくと思う。 ●経営面で他店に押されている。経営難の中で、お客の反応が怖くて難しいかもしれない。 ●だから国で一斉にやるしかない。 ●国もそんなレジ袋なんかにかまってられない(笑い)(国でやるのはどこが良くないの?) ●レジ袋が減ったからと言って、それ程ゴミが減る訳じゃない。ゴミ袋を断る意識を変える事の方が大事。 ●モチベーションがないと誰もやらないよね。手間がかかるなと思うけど。 ●万博でマネーに換金するって種類を打ち立てた事で皆さんの意識が変わった。その事が大事。環境にいい商品が並んでいたら、どっちがいいかなって考える時に又意識が変わる。●売り場の包装は同じ商品でも簡易包装になったり、パッケージの印刷が少なくなったり、無印の様にシンプルになっているのを見ている。意識は確実に変わってきていると思う。 ●パッケージの在庫がなくなってからとか(笑い)、半年くらいかかるかな。 ●日本は先進国。違う? (えっ?) だからゴミ問題があるのじゃない? 私の国にはそんな問題は一切存在しない。富を沢山持つとゴミが増え、つけが来る。私は今でも日本のスーパーに入ると、博物館に来たように感じる。多分そう沢山は要らないのじゃないか。減らせないという自由経済だから完璧に無くならない問題じゃないか。(10種類でいいのに30種類おいてある)(笑い)私は何も無い所で育った。勿論ゴミもない。新聞紙に包んで貰うからレジ袋なんかない。でも、日本はここまできたから、解決するのは非常に難しい。 名古屋では5つか6つのゴミの仕分けがあるけれど、向こうでは皆びっくりして「どうしてそんなにゴミがあるの?どこから出てくるの?」。ウクライナだと、1週間でバケツでもほんのちょっとぐらいしか出ない。(缶とか瓶は?) 瓶はリサイクル。飲んで綺麗にして店に持って行くとお金が貰える。パックは殆ど無く量り売り。23年前、日本に来て初めてパックを見て気絶しそうだった。日本のスーパーの中を見る事自体、こんな豪華な生活をしていいのかと思った。世界を見ると偏っている。食べ物が全くなくて飢えている人がいるのに、私達はこんなに富を握っている。ここから大きな矛盾が出てテロが絶えないと思うし、良くないと思うけど、私もどうしていいか分からない。 ●日本の社会の中でも貧富の差があって矛盾を抱えている。途方にくれる。 ●若い時も途方にくれた。今は尚、途方にくれている。若い時は白黒はっきりさせたような気がした。年をとればとるほど分からなくなってきた。考えれば考える程。 ●そういう風に考える事が大切かなあと自分を納得させている。お正月用品の特売で「漂白してある数の子はないの?」って訊かれ「すみません。無漂白のしかないんですよ」って、何でこんな事私は謝ってるのかと思った。パートさんだってお母さん達だから、商品が出ている時点で無漂白や無着色、保存料には意識がある。でもやっぱり売れるのは見た目がいいものだからしょうがないというのはある。こんな色の物食べられるかという意識が私にあるのは、ひとえに母のお陰。お正月用品は本当に色鮮やかな商品が多くて、色々考えた。カレーのルーなんかでもアレルギーの問題がある。表示に無意識だった頃よりは良い。玉葱や人参を触り、自然の色のは美しいなあと思う。絵を描くので色に興味がある。 ●幼稚園で脱脂粉乳入りの加工乳を出していた。それを「牛乳」と給食便りに書いていた。友達が「どう思う?」って訊いてきた時は「ふーん」で終わった。自分の子が通い出して私は慌てた(笑い)。市役所へ行ったら、幼稚園には予算がついていないので牛乳にできないとの事。で、表示は正しくしてほしいと言ったら、その次から加工乳という表示になって、半年たったら牛乳が出るようになった。加工乳とあるのを見て、意見を言いに行った人があったのだと思う。(ほーお) ●この方を褒めたいね(拍手)
今後の予定 手紙・Fax・メール参加大歓迎!話し合ってほしいテーマも募集中! 3月31日(金)「二言目には…言う言葉」 (※以前の口癖のテーマに似ているようで、ちょっと違うような…) 4月27日(木)「今も心の琴線に触れる一曲」 5月29日(月)「風水・縁起・習慣」 6月29日(木)「マスコミに願うこと」 時間厳守・手土産厳禁。会費はお賽銭です。どなたでもご自由にどうぞ。 〒468-0057 名古屋市天白区御幸山2112-14-201 пEFax 052-834-9457 坂東弘美 bdk@dp.u-netsurf.e.jp がま口塾 http://www1.u-netsurf.ne.jp/~bdk/ |