がま口塾
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がま口弘美の日記 がま口塾便り

47629日号
マスコミに願う事

 我が家は、沖縄にいた時もクーラーはほとんど使いませんでしたので、今日も扇風機と扇子を並べて、麦茶を冷やして待ちました。暑さも坂道も何のその、14(初参加2)が集結。残り1回となったがま口塾を、最後まで守り立ててくださる皆さんに心から感謝。


事件で傷つく人が又報道で傷つけられる事が多い事に一番関心がある。マスコミの中立や正確な情報は難しい。受け取る側の力量が問われるとしても、マスコミ側がもっと責任をもって勉強して対処してほしい。受け取る側も面白可笑しい派手な記事や事件に注目するから、どうしてもメディアもそれにのっかってしまう、イタチごっこ。私たちも責任を感じるべきで、声を出すのも受け取る側の責任。

テレビや新聞の言葉をそのままに受け止めてしまっている自分がいる反面、限られた時間で自分が何か発信しようとすると、入れられる情報は限られる。自分が思いのままに生きるだけでも大変なのに、情報をどこまで吟味して受け止めているか。視聴率とか読者数で、マスコミが関心を持って貰う為に書き換えるような情報があり、その中で逆に傷つく人もいることを感じて、マスコミの人は言葉にしていかなければならないだろう。仕事の中でそういう感覚は消えていっちゃってるのだろうか。

●テレビ討論の司会者が、もうちょっと突っ込んで欲しい時に「では、ここでアンケートの結果を」とか、もっとつめて欲しい所で、サッと他に行くのに腹がたち、最近は見ない。もう一つは新聞で、自分が関心をもっている事、例えば、113日の憲法集会に一昨年も今年も3000人以上参加している。会場に入りきらなくて、別の会場でスクリーンで写してまでやっているのに、何で数行の記事にしかならないのか。(イラク訴訟なんか無視じゃん)(笑い)

憲法も火事と同じくらい(笑い)身近な事だと私は言いたい。(少なくとも今回の女子大生誘拐事件は大きく扱われすぎだと思う)(そうだよね)これをそれだけやるなら、こっちも載せろよって思っちゃう。

●中立とか不偏不党はありえないと思う。あったとしたら、水増しされて、すごくつまらないもの。例えば60年前の戦争に対しての姿勢とか、国民も額に汗して働く人やマネーゲームで太る人もいるのだから、どういう立場の人の視点に立つか、マスコミがもっとはっきりさせた方がいいと思う。そこが曖昧なので、結局強いものに負けている。

久米宏さんがある程度支持を得たのは、自分の視点を持っていたからだと思う。中立とか不偏不党という美しい言葉の下に全てが曖昧になって強いものになびいている。我々も監視してものを申して行くという立場がやっぱり弱いなと思っている。

●まず第一にマスコミ全体がある一つのことをワッと取り上げて、それがすむと次の事をワッととりあげる。例として永田議員の偽メール事件。延々と国会で追及していた。もっと国の方針に関わる大きな問題を取り上げずに集中した。もう一つはサッカー。新聞の半分以上を使って大騒ぎをして、負けるなんてとても言えない様に煽り立てた。朝日の「声」にも載っていたけれど、戦前戦中、日本が勝つと囃したてたのと一脈通じる。

 報道で官公庁の正式発表の記事しか載らない事がある。記者会見で、記者が言い返すことがまずない。「承りました」。外国の記者会見を見ていると、ブッシュなんかも困るような、言った事に対して異論があればすぐ切り返している。よく読んで見ると「〜である」と断定しないで、「とされている」とか、伝聞のような、逃げ道だとしか思えない記事の書き方が多い。もっと自らが調べたり、問い正したりする記事が欲しい。

たまたま秋田で男の子を殺した女性や、今回の誘拐犯の1人も、過去の事をものすごく暴き立てられている。関連はあるかもしれないが、集中的な暴露記事になっている。

とりあえず新聞は読まないし、テレビも殆ど見ない。10年前にワーカーホリックで活字中毒になり、医者から新聞は読むなと言われた。5~6紙読んでいて、意識が朦朧としてくるのだけど、それでも読んでいた。この頃はスポーツ新聞だけ読む。阪神タイガーズファンなので、わざわざ毎日放送をラジオで聴いていて、元広島監督の達川さんの解説を聞き、翌日スポ日を買いに行く。

阪神が勝つとやたら大きな見出しが出る。静岡なんかへ行くと巨人が一面に来る。名古屋だと中日が勝っても阪神が一面にくるので、不思議な所。それで「ああ、いいなあ」と感激し惚れ惚れと読む
(笑い)。スポ日の良い所は心理描写が多い事。何故あの時あんな球を投げてしまったのかとか、エラーをしてしまった理由とかが細やかに書いてあって、こういう事が知りたかったと思う。中京スポーツなんかでも結構良い記事が載っている。やっぱり真実が知りたいと思ったら、読み比べないといけない。

メディアリテラシーの問題はメディアの真実を見抜く力を養うのが大切。スポーツだと身近なので、ラジオやテレビで見て、新聞を読むから、あ、これ間違っているって分かる。政治はどれが真実かわからなくなる。とりあえず、僕はスポーツ新聞で、これは丁寧に取材しているとかと考えて新聞を読んでいる。
(私も阪神ファン)(笑い)

●マスコミの入社試験を受けた。A新聞が私の実力を見抜けなくて落とされて(笑い)、教員になった。高校・大学と新聞部で、編集をやりたかった。反骨のジャーナリストと言われている桐生悠々の事を大学時代に読んで、これはすごいと思い、マスコミの一員になりたいと思ったが、実際の今のマスコミはそういう状態ではない。

政治の面と犯罪の面と二つから見てみると、政治の面では、全てのマスコミが今や翼賛態勢になっている。ちょっと姿勢が良いのが、中日とか、北海道新聞のブロック新聞かな。一番悪いのが、産経・読売ではないか。今、高校の非常勤講師。生徒が「朝日新聞は左だから良くない。産経が良い」と言う(笑い)

何となく、自由主義史観的な雰囲気が生徒の中に結構ある。要するに靖国神社参拝賛成。憲法九条改正も賛成。プチナショナリズムの雰囲気が出てきている。勿論そういう事を教えている人もいるが、全体的なマスコミの風潮がそうでないかな。その辺をいかに付き合い、どうやって皆に知らせていけるのか。僕は、いつ首になってもいいので
(笑い)、現場で言っていきたいと思っている。

犯罪面においても昔はこんなに過去の事まで遡って報道するという事はなかった。例えばHは高校時代の虐めが尾を引いているのではないかという事なんだけど、じゃ、それに焦点を当て、虐めをなくそう、どうしたらなくせるかという風に追求していけばいいが、単なる攻撃。だから、虐められる性格だったんですねとマスコミは言う。

同志社大学の浅野健一さんは
『犯罪報道の犯罪』という本で、実名報道ではなく匿名報道をすべきだと言っていた。無実の人が実名報道されて、家族・親戚関係まで崩壊してしまった例がいっぱいあるって。新聞各社も実名・匿名報道の是非を論じた。朝日は実名報道だと新聞に書いた。はっきり犯罪が確定するまでは絶対名前も写真も出してはいけないと僕は思う。そういう意味でも今のマスコミは非常に危機的状況だと思う。

かつて学生時代に『マスコミ黒書』
』(日本ジャーナリスト会議編/労働旬報社/1968という本があった。40年も前の事なので、はっきり記憶がないが、それ以上に今は悪くなっている。(どういう字?)「白書」に対する「黒書」。普通黒書っていうのは悪い事ばっかり書く。

●一生懸命新聞は読む。大学時代夜学だったので、忙しくて新聞をとらず、社会と繋がって自分を考えず、取り返しのつかない事をした。今、私も高校時代に新聞部をやっていた事を思い出した(笑い)。結婚後は、圧倒的なシェアの中日新聞をとらなきゃ駄目だと言う夫の一言でずっと中日。もう、ドラゴンズの事ばっかりで(笑い)どういう紙面なのこれは!

子供がヨチヨチ歩きの頃、朝日新聞の販売員が玄関に来た。1ヶ月でも2ヶ月でもいいからと言う。ふっと子供を見たら、もう何か粗品を渡されていて、断るのが悪いなと思い、1ヵ月だけと承知。次の日から朝日新聞が入るようになったら、夫が怒った(笑い)「こんな赤新聞を読んどって、この地方の景気が分かるか!」(笑い)で、私も「じゃ、中日をとっていたら、この地方の景気はよくなるのか」(笑い)

中日を
1ヵ月止めてしまったが、又中日新聞をとるようにした。こういう夫婦の力関係によって分不相応に朝刊は2紙とっている。朝日を取り始めたら面白い。投稿すると、朝日はよく取り上げてくれる。中日に投稿してもめったに載らない。

名古屋市政だったら、中日がすごくよく書いているけれど、日本や世界の事だったら、朝日の方がまともかなあ。夕刊はとっていないので、イラク訴訟の事なんかは時間によっては朝刊には抜けてしまう。朝日は最近良くなくて、最近朝日をとるのは止めたという人もいる。どうかなと感じる事もある。

一般人として名大のゼミに出ていた時、本当に学生達に自由主義史観が浸透していると感じた。靖国参拝を肯定する人が増えている。漫画から浸透したのか、はっきりと自由主義史観だと言う子も増えていて、世の中の雰囲気が、だんだんそうなってきていると感じている。

アメリカがイラク攻撃をしてから、大手の新聞社やマスコミが全部引いてしまって、残っているのはフリーのジャーナリストだけ。
久保田弘信というジャーナリストが、戦争のこういう真実を知って欲しいと日本に送る。でも、読者に届くまでにいくつものフィルターにかけられ、いくつもの本当に知って欲しい事が止まって、当たり障りのない事しか届かないのでジレンマを感じていると。

例えば死体はテレビには出せない。米軍がやった事はものすごくしつこく証拠を求められ、イラク人が銃を撃ったとなると、すぐ通る。結局日本はアメリカに加担しているので、デスクの目もそうなっているのか。私は別に死体が見たい訳ではないけれど、そのまま流して教えて欲しいと思う。TV局はすごく視聴者に配慮して、「夕食時にこんな悲惨な映像はとても見せられない」って断られた企画もあると言っていた。受け手の力量というか、悲惨な映像が流れた時に「飯がまずくなる」という抗議の電話をする人もいるから、怯えてしまって当たり障りのない事しか流れない。

イラクで人質になった安田純平さんが、読売新聞のこの記事はおかしい、自分はその場にいたのでと、新聞を見せて説明したけど、私達は判断が出来ない。とりあえず新聞に出たら、そのまま受け取る。まして海外の事は、当事者が向こうにいて、当事者が読者にいないから、おかしいと言う人もいない。だから恣意的な報道がまかり通ってしまう。何を信じていいのか難しい。報道や情報はいっぱいあるけれど。

●一つの事が持ち上がると、その人だけでなく、周りの人も調べ上げてしまう。21歳の女の英会話の先生が、「私達の国はインディペンデントだけど、日本はディペンデントの国だ」と言う。日本で誰かが罪を犯すと、その家族も絶対何か言われ、排斥され、報道される。カナダでは、もし私の妹が牢屋に入っていても、私にそれを訊く人もいないし、全く私は私として見て貰える。

日本は個人主義にはなってきているけれど、その歴史がないので、いざというと五人組みたいにワーッと根掘り葉掘りの人が多い。マスコミも惹きつけたいので、そういう面を取り出す。私達の性格がマスコミの性格でもある。カナダやアメリカが良いばかりでなく、家族愛とか、もちろん日本にも良い所はあるが、あまり周りを穿ると、事の真相が分からなくなり、偏った見方をしてしまう。

松本サリン事件の時でも、私は本当に河野さんが犯人だと思ってしまった。後で、ものすごく悪い事をしたと思った。自分の中でもバランスがとれていない。主体的にちゃんと考えなきゃいけないと思う。

マスコミは怖いばかりではない。私は服部美恵子さんの長年の友人で、服部君事件の時、初めてマスコミに身近に接した。怖いと思わなくはなかったけど、意外と皆暖かい方に持って行った。

服部夫妻は本当にありのまま。良いも悪いもそのままで取り繕う事もないが、マスコミに対して優しい面があった。例えば雨で濡れていたら、「ちょっと拭いて乾かしたら
?」とか、お腹すかしている記者さんに「ちょっとありあわせのもの食べる?」とか普通に私達にするように接していた。特にマスコミだからではない。マスコミは別の生き物かと思っていたが、一緒にお茶や食事をしていると、良い記者さんも多いと感じた。

●「世の中に絶えて桜のなかりせば〜」という歌があるけれど、本当に今ワイドショーがなかったら(笑い)、もうちょっとのどけからましと思いつつ、媚薬みたいについ見てしまう。  私はフランス大会以来ワールドカップが大好きで、ワクワクしながら見ている。

日本戦は、試合前から日本を悪く言ってはいけない、日本が負ける可能性がある事すら言えない雰囲気。勝負、スポーツはどっちかが負ける。私は素晴らしいチームや選手、試合が好きだから見る。ナショナリズムでどこかの国を応援しない。どのチャンネルも日本が負けた事に対して温かみがなく、バッシングをするのが当たり前のよう。

戦争前後の国威発揚、総懺悔が日本の風土として残っているのか、不思議だ。もっと楽しんで、他国の選手達を褒め、負けても労わる事を教えるチャンスでもあるのに、マスコミは発信していないと思う。

もう一つは、カウンセリングの勉強をしていて、子供の犯罪が気になっている。統計的に、1950年位は今の3~4倍の親殺し子殺しがあったが、その頃は報道されず、私たちは事件に接する機会がなかった。その頃のマスコミは多分、家庭内で起きた事に対して配慮したかもしれないし、大体原因が貧困なので労りがあったと思う。今のマスコミがその時代なら、暴きまわっているかもしれない。

今の青少年犯罪の報道の姿勢はどのチャンネルも同じ。私達の世代から見ると、確かに原因を知りたいが、犯罪を犯した十代の子達の視点からは、「今の若者はこういう傾向があるのだ」として、社会は自分達に温かくないのではないかととる可能性があるし、抑止力になるから報道しなくてはならないとするが、結果的には犯罪を誘発している面もある。節度のある報道が欲しい。視聴率を上げる為にエスカレートしていると、興味本位になってどの局も同じ内容になる。

『メディア・コントロール正義なき民主主義と国際社会』集英社新書を読みたいと思っている。私はブログを書いていて、特に平和に関して、どうしても偏ってしまう。どんな人が読んでいるか分からないのに、自分の思いだけで書いている私も何となく疲れる時がある。それはミクロの話だが、マスコミの編集長の苦労も分かる気がする。沢山の人に発信していく事はきっと大変だと思う。毎日新聞6/26朝刊で、総理候補の福田康夫さんが「政治家は目先の事しか考えていないから、メディアは警鐘をならす役割がある」と言っていた。皆さんメディア・コントロールを読んで下さい(笑い)

●著者のチョムスキーは言語学者だけど、反戦運動で敢然とアメリカと闘っている。

●チョムスキーは「日本国憲法」の映画の中でも証言者として発言している。ジャン・ユンカーマン監督が、チョムスキーのインタビューをその前に映画にしている。9.11の直後、アメリカ中があれだけワーッとなっている時に、すごく冷静に批判した。

●忙殺されていて、新聞を読む暇が本当にない。又、読みたいと思って読もうとすると時間が必要。読んでいると自分の生活がグチャグチャになるのでまともに読まないしテレビも好きなものしか見ない。ただ、今子供をめぐる犯罪がすごく多く、事件があると、すぐ一面にバン!と載る。昔は犯罪は三面記事で一番後ろに載っていた。一週間に何回も一面に載っているのが変な感じがする。

テレビも事件があるとそればかり。人間は同じ情報がバーッと入ってくると、ものすごく怖いと思ってしまう。小さい子達が性犯罪の対象になるのだという事が、今は正面に露骨に出てきすぎている。今まで子供を性犯罪の対象と見ていなかった人まで、そういう相手になるんだと浸透していく感じがする。一面にまで載せるのは却って子供達を危険に曝していると思う。どぎつい物は視聴率とかお金に換算されていく。そういう目で紙面が成り立っていくのは、元々資本主義だからだが、もっと大人の良識で大事な世界の事を取り上げて欲しい。事件を取り上げすぎる事で新しい犯罪者を作っている感じがする。

自分達が処理できない、あまりにも多い情報の中で、必要な事、自分がどこにいるかという事は知らなければいけないが、自分の能力が
10とすると、100とか1000の単位で入る情報に溺れてしまい、とても不安定な生活になる。自分のキャパシティと合わず、とても辛い。消化できる情報が大切だと思う。

人間はご飯を食べて寝るのが一番大切で、きちんと生活している良識を持った大人がいっぱいいると社会は安定すると思う。知るべき事は知らなければいけないけど、コントロールが難しい時代だなと思う


●マスコミに入って、一日中全ての局のテレビを並べて流しっ放しの部屋で仕事をしてワクワクした。天皇狙撃の誤報で報道局内が慌てたり、機械ミスの事故で皆が調整室に駆け込む様子が生き生きと感じられた。入った時はそう思ったが、だんだんこの世界は…(笑い)

 最近珍しい事にアエラの取材を受けた。テーマは「女子アナ」。(笑い)東京から記者がくるので、おしゃれしてオトシアナではなく、ジョシアナに見て貰おうと(笑い)。「女子アナはバカにされている」というスタンスで書くのかなと思い、私は努めて肯定的にインタビューに答えた。アナは東京、地方、有無名に関わらず、皆良い仕事がしたいと頑張っているし、そうであって欲しいと。ボツになっているかも知れないし、出ても数行だと思うので、もし記事を見つけたら教えて欲しい〔※29日午後、記者より7/3号掲載と連絡あり〕。

服部君事件の時は、名古屋のマスコミが後押しをして、アメリカの法律を変えた。渡米前夜は在名各社40人程のマスコミがこの八畳間に集まってテンヤワンヤだった。何度も記者さんとありあわせのご飯を食べたし、普通の人同士としてお付き合いした。マスコミは情報を欲しがっている媒体。私達しだいで心を開いてくれる。私達から情報を送れば良い。

ソ連の原発事故の例で言うと、事故後の悲惨さを世界に最初に知らせたのは、オーストリアの一記者。勇敢に現地に入って記事を書いたので、86年の事故の悲惨さが90年頃になって、やっと世界知られた。新聞記者の力は偉大。

救援活動を始めた頃はソ連崩壊直前で、ウクライナの小さなローカル新聞社の若い編集長が「僕達の国で今何が起きているのでしょうか」と、情報を日本に求めてきた。日本もそういう事態に陥ったら、「私達の国で何が起きているのでしょうか」と外国に情報を求めなければいけなくなる。

中国は中央がニュースを一つ作って、それを全部に配信する。コントロールがあるが、どこかの抜け穴でニュースソースを持っている人があると思う。世界は総合力で持っている。個人の力はしれている。色々な局、人があってニュースは作られていく。

私達が大学の権威や博士である必要は全くない。普通の感覚の市民がどう思っているか、マスコミは知りたがっていると思う。新聞記者さんを紹介してとよく言われるが、自分で新聞で電話番号を見て連絡すればいいよ。一生懸命話せば通じるものはある。マスコミを否定的に捉えないで、友達になる気分で付き合いたい。そう生きないと生き辛い。

                           

松本サリン事件の河野さん報道でマスコミは批判された。私も本当に「この人変な人。犯人」って思いこんでしまった。逆転した時に本当に怖いと思い、マスコミはちゃんとした報道をして欲しいと思った。

中村哲さんのアフガニスタン報告で、「日本のマスコミは現地の事をアメリカ寄りでしか伝えていない」と聞いた時、初めて「そうなんだ
! 」と思った。マスコミを「本当の事なのかなあ」と疑う事を知らなかった。一番大事な事を載せない。特に劣化ウラン弾の事。自衛隊は安全な所にいるというが、放射能汚染の地で健康被害を受けて帰ってくるのかと思うと、ある種政府の殺人行為。(自衛隊の人達は告発できないだろうね)。そこら辺の記事が全くないのが一番心配。

日本は本当にアメリカ寄り。でも、マスコミ=マイナス面だけで捉えたくない。環境問題でイベントをする時、この地方だと中日新聞が一番影響力がある。中日に取り上げられたらそれは成功
(笑い)。これからも環境問題をやっていきたいが、新聞社とも仲良くしたい。

<メール・手紙参加>********************************************************************************

●色々大きい問題はあるが、市民の色々な活動を取り上げ、広く知らせてほしい。私ががま口塾を知ったのも、出版記念会の新聞記事がきっかけだった。昨年の12月、「不戦兵士・市民の会」という集まりがある事も新聞の案内の欄を見て知り、行った。戦争体験者の方たちのお話はとても胸を打った。

同時に
80歳を越えた方々が今の日本を危惧してみえる事が悲しく私達若い者がしっかりしなくてはと思った。市民がそれぞれの所で頑張っている事を丁寧に取り上げて教えて欲しい。身近な所でやっている事を知るのは、とても嬉しく力の湧く事。私達の方からも取り上げて欲しいと要望していくべきと思う。

ベトナム・ハノイから、帰国の夜、南アジアスポーツ大会で、ベトナムサッカーチームが、試合に勝ったら(優勝したわけではない)、それはすごい騒ぎ。集会場所まで、国旗を持って、バイクに乗った人が道幅一杯に。そして、それを見学する人達。どこの国でも、サッカーは、特別なのか。でも、日本のマスコミは、持ち上げすぎ。『サムライ』という言葉にも、ひっかかる。やはり、切腹という言葉がでてきたし。

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(笑い)サムライブルーとか言ってたよね。(軍団というのはすぐ使う)(日光猿軍団)(笑い)

若者の右傾化はすごく感じる。朝日のアンケートでイラク派遣に60%が賛成で、しかも圧倒的に20代。実は息子もそういう考え。読んでる雑誌は「諸君」とか「サピオ」。勿論「アエラ」「文春」も読むが。20代の若者がイラク派兵を支持するなら、自分が行けばいいのにそういう感覚が全然ない。戦争体験は随分話したのに息子には通じてなかったのか。

想像力がない。台風が来たらガタガタした家で育ったし、周りもそうで、それが当たり前だった。貧しさやひもじさや苦労が実感できていないので、国際貢献と言われるとサッと行く。横井庄一さんのグァムでの洞穴生活が公開されたが、あそこへ連れて行ってどうなるものでもない。

火事や子供の報道が連鎖反応に繋がっていると弁護士が言うから、又連鎖反応になるのでは?子供が自分の思いをアピールするやり方が放火になるのかなあ。パナウェーブをずーっとやっていた時、国会の法案が通ってしまった。法案が通るまでパナウェーブをやっていて、
(笑い)あれ、報道の操作だと思う。

少年の事件が報道されるので、やっぱり多いと思っていたが、私も講座を受けたら、実数は減っていて、昔は報道されていなかったという事。報道した方がいいのか、しない方がいいのか。でも知らないのは良くないと思う。

事件ってさ、数が多いと事件にならない(笑い)(当たり前だからね)。数が減って珍しいから事件になる。それで一面に子供の事件が載るという世の中になっているのではないか。

だから、そういう報道をするから、皆、気をつけなくっちゃとか、もっと厳罰化しろという世論ができて、青少年が夜間徘徊してはいけないという条例が通りやすくなっている。それで皆を不安にさせて、「大人を見たら危ないと思いなさいよ」と、人と人とを分断させるコントロールになっている。

疑問に思っても、繋がれる人が少なく、マスコミの力、情報に頼り、付和雷同で成り立っているという感じがする。子供も「大人を見たら挨拶はしてもあまり近寄るな」と教え込まれる。近場で子供が連れ去られそうになる事件があるからすごく悲しい。言えば言うほど面白がっている人もいるだろうし、どうしたらいいか。

昔は小学校で、人に道を訊かれたら教えてあげましょうと教わった(笑い)。今、小学生の孫がいるけど、「人に道を訊かれたら逃げる」って言う(笑い)

身を守るためにそう教え込まれているし、学校でも親達もそうなってくる。マスコミがそう報道したら、そうしか動けなくなってくる。自己責任という事もあるし。

集団ヒステリーを煽っている。本当に特殊な事件ですよという風に報道すればいいけど、ありうる事のように言われると、皆、我が子もいつか火をつけるのではないかと(笑い)警戒する。集団パニックを煽るのはちょっと異常だと思う。(北朝鮮の問題もそう)

マイケル・ムーアの『華氏911』の中で、銃を所持していても、カナダの人達は事件を起こさないのに、アメリカ人はすごく撃ち合うというのがあった。アメリカ人はすごく警戒しあっている。(過剰防衛だよね)銃を持っている数ではないんだという事があの映画で、あ、そうなんだと思った。日本も銃を持ったら、本当に怖いよね。疑心暗鬼の世の中で。

昔は地下鉄の中でも若い人の横暴を見たら「ちょっと止めたら」と言えた。今は大人が引く(笑い)。おかしな事をやっていたら、大人が注意するという風潮がなくなっている。

高校教師の友人が、駅でタバコを吸っている他所の高校生に注意したって話をしたら、同僚教師に「アンタ、命が惜しくないのか」って(笑い)言われたって。10年前の話。

不信が生まれると、皆悪い方向に行ってしまうよね。(たまに殺される人がいる)(そう)

●殺される割合が多くなったのだろうか?コンピューターが入ってきたから? 昔は大人が言う事が絶対だったけれど、周りの若いお母さん達は子供に「今日、何食べる?」って聞く(笑い)、そんな事母親が考えればいい事で、大人が持ってなきゃいけない権利が崩れている。例えば、今子供達が寝ない。今幼稚園児でも殆どの家庭で11時位までは起きている。

親の仕事が多様化してきて、深夜に動いている人が増えたんだよね。

やはり労働が長すぎる。父親が家にいなくて、父の権威が落ちて家庭が不安定になる。すると母親の力が大きくなる。それが家庭が不安定になる原因だと思う。皆が6時位には帰って夕ご飯を一緒に食べるというのが、多くの家庭で、昔は当たり前だった。

子供が1人でご飯を食べるというのが本当に多い。家族がバラバラでご飯を食べている。

大人に余裕がないという事は、大人が子供を見ていない。アメリカ式の24時間営業のコンビニが諸悪の根源のような気がする。やっぱり人間は夜中は寝る。そういう当たり前の感覚を守っていないから、ぐちゃぐちゃになっている。

●「早寝早起き朝ごはん」って学校関係者が言ったって無理よね。労働条件が違うもんね。電車の中での女学生の会話。「昨日お父さんが夜中にバイクに乗って出てって、朝まで帰んなくて、お母さんもどっかへ行っちゃった」。注意できない。親がいないんだから。

交通事故でも女子学生が夜中の23時。(そうそう)、親がいないから注意しない。

いつも親が67時にご飯作って待っていたら、子供はやっぱりお腹が空いたら家に帰る。でも色んな都合でいなかったら、子供は夜遅くまで外で遊ぶ。

昔、8時過ぎて女の子が外にいると異様な感じがした。今は10時でも平気で女子学生が1人で外を歩いている。若い子に「どういう生活をしてる?」って訊くと、10時まではバイト、そこから帰って寝るから、12時になると言う。バイトやめたらって言うんだけど。

●子供が中学生の時に、私も環境問題が気になっていて「空気や川が汚れている」って話したら、子供が「そんな事は私が小学校時代から教科書に載っている。私たちは生まれた時からそういう環境に置かれた。お母さん達は良い時代があったけど、私達は最初から悪い時代。私の力で何ができるの? 私達に未来はない、無気力になるよと思って小学校時代を過ごした。」って言う。

子供達は生まれ落ちた時から悪い時代。ある意味で子供達に希望を与えない世の中かなあ。地球は後何年とか、石油資源は後何年という知識ばかりある。

●知識人の批判はある。それを想像力に変えていかないと子供たちは育っていかない。新聞に投書すれば変わるんだよみたいな情報を発信していかないと。小さい頃は新聞に載るっていう事はすごい事だと思った。「新聞に載るような悪い事はするな」とか言われた(爆笑)

自分達とは別の世界みたいにマスコミを捉えない方がいい。先日紹介して貰って、新聞社の編集局次長さんと電話で話したけど、「イヤア、只のオッサンですよ」「あ、そうかっ」
(笑い)。でも、そういうお隣さん位の感覚が庶民の気持ちを代弁する記事を書いて貰えるかな。

愛知県では毎年7人の小学校の先生を現職教育として自分で職場を探して2ヶ月だけ研修する。夫が中日新聞に申し込んで受け入れられ、日曜日の「こどもニュース」を担当させて貰い、中日は良い人がいっぱいいると言っていた。記事も何遍も何遍も書き直しさせられ、短く、でも言いたい事を限られた範囲の中で書くという事を勉強させて貰ったと喜んでいた。

沢山報道して欲しいが、共同通信なんかからも配信されるから、それを選ぶのは大変な作業だし、編集局の意向もあるから、主張の出し方は大変みたい。

大人の権威というものがあって、「そんなことをしたら教育委員会に言いつけるぞ」って夫は小学生の教え子から言われた事がある。(ヒエーッ!先生や大人の権威が揺らいでいる。

教育委員会の人は、現実にはそういう親が来ても特に何かをするって事はないと言った。

●言われたら「よし、じゃあ、新聞社やテレビ局の人もいっぱい呼んで、皆と話そう」って切り返そう(笑い)。呼んでも来なかったらもっと怖いけど (はったりも必要) (笑い)

先生も体罰は駄目だから、怒っているアピールを椅子を蹴ったりして、たまにはする。

●昔は尊属殺人で親を殺したらエライ事だったけど、親が子供を殺した方が罪が軽かった。昔は服汚く鼻水たらした子が結構いたけど、今は皆綺麗。だから、子供自体が取り上げられるという事は、子供が大切にされているという事。そういう事もあるんじゃない?

若いお母さんが、自分の後ろを子供を歩かせているのを見かける。自分の好きなように大事にしてはいるけど、必要な大事さではない。

●家の11才の子が、2~3才の頃、近所の幼児教室の先生が「今の御母さん達の一番の話題は何だと思います?」って訊かれた。ブランド服。(ウエーッ)若いお母さんがそういう所にかけるエネルギーはすごい。(子供が欲しがる訳がないからお母さんの趣味だよね)

子供にお化粧させているお母さんもいる(ウエーッ)肌に良くないよね。

それはマスコミの宣伝のせい?(そう)

子供が少ないのに、祖父母までいて、ポケットがいっぱいある。そのポケットを当てにして企画して売り込む。企業が開発するところからして問題。

私達の世代っておしゃぶりはあまり子供に使わなかった(おしゃぶりのせいで歯茎が悪くなった。注意書きがしてなかったのがいけないと言って訴訟を起こしたよね)売り出すのが悪いよね(誰が悪いんだろう?)(笑い)子供が少なくなっている中、ベビー用品は死活問題。「ためしてガッテン」で環境ホルモンをやっていたけど、おしゃぶり大事かなあと思った。

●先日、山田昌さんの講演で、「4歳までは子供を宝のように、8歳までは奴隷のように(えーっ)(笑い)その後は友人のように」という言葉を聞いた。私はまだ自分の中でその言葉を咀嚼していないが、(厳しく躾けるって事でしょうね)(4歳だったらお手伝いも出来るから)

先週オーストラリア人と話していて、「核家族だったので、子供を寝かせてスーパーに行っていた」と言ったら、オーストラリアではそれは法律違反だって(イギリスでもよ)(アメリカでも子供を車の中に放置しても虐待として引っ張られる)。で、ベビーシッターを使えば、シッターになった中高生も子育ての経験が出来るし、そういう循環社会があると良い。

心配で学生アルバイトにベビーを任せられないよね。(笑い)(親なら良いけどね

奴隷のようにって、自立心を養う為にってことかしら。(言葉がちょっとね)

●親が権威をもって従わせるってことかな。

今日はこれを食べる。(何時までに帰ってらっしゃい。)(そういう関係を作るってことね)

食べ物は何が何でも1回箸をつけさせる。子供の言うままだと基本的な所がいかんと思う。ご近所で3人子供がいて、朝、33様の別の朝ご飯を作っている。(えーっ)「朝、好きな物を食べて行くと気持ちがいいでしょ。嫌な物を食べるよりいいでしょ」って。

三つ子の魂百までって言うけど。(三歳までに教育された事は百まで続くよって事)、4歳まで宝のように育てても甘やかさないって事だと思うけど。でもその後ももっと大事。

●キタキツネは可愛がって育てて、大きくなったら、子供が追いかけて来てもお母さんは跳ね除ける。考えてみると私達親は中学になっても高校になっても社会人になっても心配。(笑い)でも、女の子だから、1人住まいは危ないとか、いつまでたっても心配してても、親が先に死んで、子供は1人で生きて行くという当たり前の事ができない。キタキツネは偉い!(笑い)今、人間が子供を手放す次期がだんだん長引いているんじゃないか。

●で、その子供が犯罪を犯すと、マスコミはその年老いた親の所へ行ってマイクを突きつける。(そうそう)(親と子供は全く別の人間なんだけどね)

「フランダースの犬」をアニメにする時、ラストで子供を死なせていいかと相当問題になって、立派な画家になったって話を変えようという案も出たが、やはり原作通りに放映された。フランダースの犬は日本だけで人気のある話らしい。

イソップだって日本に来ると、皆良い話しになる。私たちの知っているイソップは皆ハッピーエンド。でも現実のイソップはもっとひどい終わり方をする。

という事は、日本の中で広めている時に変えているって事だね。それも操作されている(笑い)(日本は勧善懲悪。報われなければならない)。ナルニア物語も皆死ぬ。(皆残酷よ。ハリーポッターも死ぬって言ってるもんね)。でも子供に与えるものだから、ラストは死んじゃいけないってもんじゃなくて、原作通りきちっと伝えて欲しいって思う。

売りたいのよね。(売らんが為多少変えても…かなあ)(それか最後がそうでも向こうの子は暗くならないのかな。国民性が違うのかも知れない)(笑い)

漫画で残虐場面っていっぱい出てくる。(すごく売れてる)

●変ね。一方で心配してて、一方でそういうものが売れるって。私最近「健康論語」って本を共訳したんだけど、論語に健康論語なんてあるはずがない。「健康の毎日の忠告」というのが中国語の原題。それを売れる為に、こういう題名になる。中国人が直訳したのを私が正しい日本語にして、それを又編集者が、読者のターゲットを絞って、イメージして日本語を作っていく(はーあ!)

編集者は「日本の若い人に読んで貰うには」なんて言って…。かなり砕けて難しい部分はカットされている。お店に並ぶのは、御料理されたもの。そして、売れたら私は儲かる事になっている。
(笑い)これも出版というマスコミのやり方。(テレビだったら視聴率って事だよね)。それで食べていかなければならない。生きんがための循環の中で、良心をどうやって持ち堪えてバランスをとっていくかって事かな。

出版した以上、在庫にするよりは売れた方がいい。(環境に悪い)(笑い)(木を切るからね)

本より新聞折込とかチラシが気になる。やたらとパンフレットが多くて、これ全部ゴミかあと思う。

●広告媒体のあの紙の量はすごい。(折込広告を要らないって断っている人がいる)(出来るの?そんな事!)(できるよ)(ヘーッ)

●新聞がどうかじゃなくて、チラシが多いから中日をとるって人も多い。

毎日と中日じゃ、全然違うもんね。(裏が白だったらメモ用紙に使っちゃう)

どこでこのサイクルを止めよう。

消費者が力をもつ。ひどかったら不買運動なんかして。

感動した場合はそれを伝えて、出版社を育てるとか。それを面倒臭がらずにやる。

●新聞記事も記者宛に手紙を書いてあげればいいって言われるけど、その度その度は出来ない。(投書マニアみたいな人はいるよね)(投書欄は常連さんだよね)

投書だけでなくて、紙面に載らなくても、こういう記事が良かった、もっと教えて下さいとかも新聞社に意思表示していった方が現場の記者には励みになるし、良いって聞く。

現場の記者の悩みも大きいと思う(うんうん)

NHKで従軍慰安婦問題だったっけ。政界と絡んで放送がボツになった。それで体質を内部告発した人がいたね。ああいう人たちだって、その中では孤立しているのだから、周りが支持することを表明しなくっちゃね。あの人いったいどうなったんだろう。

マスコミと仲良くしなくっちゃね。

中日新聞の記事を見て森林葬の「いのちの森」に興味を持ち、新聞社に電話をかけて聞いて、「和尚さんの電話番号を知りたい」と言ったら、個人情報なので教えられないので、役場に電話したらと言われた」。役場に問い合わせている間に、又新聞社から電話がかかって、「変な苦情電話でないので教えますと言われて、連絡先を教えて貰った」。それでがま口塾の5人で見学に行った。大杉谷自然公園から、その山を眺めた。

木の骨壷が素晴らしかった!(生前はお櫃にでも何でも使っててくださいって)(笑い)

新聞のおかげで訊ねていけた。感謝。土に帰って終わりたい。

次回724()はいよいよ最終回です。手紙・Fax・メール参加も大歓迎!ジャンケンに負ける最後の司会者は果たして誰でしょう?お友達を誘って、どしどしご参加下さいね。)  10~12時「人と話す事は…」12~午後1時 御弁当(各自持参)

午後1~3時「私の平和の創り方」 ゲスト川口創弁護士 

468-0057 名古屋市天白区御幸山2112-14-201 пEFax 052-834-9457

坂東弘美 bdk@dp.u-netsurf.ne.jp がま口塾  http://www1.u-netsurf.ne.jp/~bdk/