がま口塾
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がま口弘美の日記 がま口塾便り

      最終回 48の@724日号
     『人と話すことは

 「がま口」の旗をたてようとベランダに出た途端、固まってしまいました。石川県から前夜ホテル泊のSさんが垣根の入り口に立っている!岐阜からも北京からも、近くからも続々と…。最終回で、気合を入れて集ってくださった皆様、本当に有難うございました。26人のジャンケンで司会になったタチアナさんの進行で、和やかな2時間でした。最終的に午前の部は30人の参加。あまりの人数で、いつものようなフリートークの時間はなくなってしまいましたが、頭の数だけの「話」とメール参加が、どっしりとカバーしました。

●一番苦手な事。無駄口は言うが、ちゃんと向き合って話す事が下手なので、ここで勉強しようと思ったら、もう終わり。話さないと伝わらないという事があるので、その為にはどんどん話していかなければいけない。若い人達と長い間活動していて、関わりがある。同年輩や、歳上の方達とのつきあいはあるが、繋がりは意外と少ない。おしゃべりは下手で、人に伝わるようにはなかなか話せないなあといつも思いながら、どうしようもないなあと毎日過ごしている。こういう集まりがあって、勉強できたらなあと思っているけど。

私も同じで、主婦をしていると、アホなおしゃべりはするが、ちゃんと自分の考えをまとめて、皆さんに分かるように話すという機会がなかなかない。あると、自分が自分でなくなっちゃうようなやり方しかできない。本当に自然体のままで自分の考えを皆さんに分かるように伝える事の難しさを思っているが、それがこの会ではすごくできる。格好つけなくても自然体でという、こんな機会はないと思っている。すごく嬉しかった。

●話すことは上手でない。聞くことは比較的上手なので、N市のボランティア相談員をやっている。口を挟まないタイプで、色々聞きながら、それでも、それが良いか悪いか分からないけど、高齢者に対する食事会も15年続いている。だからあまり喋らない方が却っていいのかなって思っている。

 でも普通に主婦していて、若い頃なんか、色んな熱い想いがあっても、ちょっと喋ると避けられちゃうというか、「そんな話?」って感じになってしまうのがとても辛く、平和についても色々喋りたくても、なかなか喋れないというのかあったが、最近は高齢になったせいか、そういうのもなく、どんどんやっぱり伝えることは伝えていかなくっちゃいけないんだなって思っている。

●井戸端会議的な無駄口はする。今A市の男女共同参画事業に関わったり、ボランティア活動を色々していて、1分で自己紹介しなさいとか、3分でとか言われるが、3分も1分も長いし、なかなかその時間内にまとめて話すのは難しい。自分では言っているつもりでも相手に自分の想いが伝わらない。

 健康な人と話をするのは、そんなに気を遣わなくてもいいが、やはり心身を病んでいる人と話す時は気を遣い難しい。良かれと思って言った事が相手を知らないうちに傷つけてしまったりする。生まれ育った土地なので簡単なのに、自分の想いを相手に伝えるのは難しい。言葉というものは頭の中でよく考えて話さないといけないなあと思う。

**********司会者は、いつもと違って指名で発言者を決めて進めている。次を指したら「順番でないです!」の抵抗あり。司会「順番は私が決めます!」(爆笑)(拍手)**************

会話の無い家で育った。祖父母、両親がいる大家族だったので、母が普通の核家族みたいに子供の事に目が行かないというか、嫁としての立場が第一。田舎で田畑に草を生やしておかないという事で嫁が評価される。草ぼうぼうにしているような嫁はダメだという事。父も酒飲みで子供の事に目がいかなかったのか、本当に会話の無い家庭だった。

 話をする事に慣れなくて、学校に行っても手を挙げない。話は飛ぶが、夫婦で話さなくても分かる…
(以心伝心?) そう。私本当に、結婚してあれは嘘だなあと思う(爆笑)。言わないと分からないんだよね、きっと。棺桶に入る寸前になったら、そういう境地になるのかもしれないが、それまでは無理だと思う。

 本当に言わないと分からない。でも、家族だったり夫婦だったりすると、言わなくても分かってくれるんじゃないかと、どこかで甘えがあり、そう思う分、相手が腹立たしい。本当に話さなければ分からないというのが基本的な事だと思う。それが私にとっては高いハードルで、話は身近な人ほど難しい。

 こういう事話したいなと思っていても、それに相手が応じてくれないと、そこで萎んで

しまって、もういいやという感じ。子供のお母さん達とのたわいのない話はよくできるけど、突っ込んだ事はなかなか話せない。話せる場がない。人間関係がブツブツ切れることが分かっていても、果敢に立ち向かって皆さんに話をした方がいいのか…。その辺が難しい。がま口塾ではテーマもあるし話ができるので、毎回来た。ちょっとガックリきている。

人と人。自分の役割は何だろうと思った時、人と人を繋げる事。人と人の情報を繋げる事ってよく言っているが、話す事はその道具と思ってる。人見知りをして、書いて纏めるのは仕事柄するけれど、頭が回転する方じゃないので、人の前で的確に話を纏めるというのはすごく苦手。そのせいもあって、人前で話をするのは嫌いだが、やっぱり話さないと人と繋がれないので、奮い立たせて話している。

 会話をするのはエネルギーの交流だと思っているので、そこで自分が元気を貰ったり、次へのステップのヒントが貰えたりするので、すごく力になる事だと思う。エネルギーを吸い取られてしまう会話もあるが、疲れたら、次への反省というか、この人とは合わないとか、そこで学べる事もあるので、やっぱり
1人でいるよりは、人とエネルギーの交流をして、良くも悪くもそこで学ぶのが力になるのかなと思っている。

私も本質的に色々な人と会うという事とお話をする事が好きだと思っている。仕事を辞めて、これから世界が狭くなるなと思った時に「ひととき」欄でがま口塾を知った。二期からずっと参加して、本当に月一回のこの会を楽しみにしている。

 単なる井戸端会議ではなくて…後半はけっこう脱線したりするけど
(笑い)1つのテ−マの下に色んな年代の、私の仕事とは違う色んな方とお話しが出来て、しかも、「平凡な主婦」と仰る方が、実は社会的にとても意義のある仕事をされていたりして、色んな方とお話するのはいい事だなあといつも思っている。

●殆どの方が女性なので(笑い)、話して良いものか、話さない方がいいのか、今までも悩んだ。今僕は体の具合が悪かったりとか、後遺症で、グループワークにも出ている。話す事については、がま口塾とそのグループワークが話す場だった。こんなに大切ながま口塾の場だったけれど、最近まで、僕は皆さんの話を聞いて、何を言っているのか、殆ど分かっていなかった。自分の体験していない事ばかりが話されるので、皆さんの言っている事の意味が分からない。

 でも、とりあえず、参加し続ければ何かが変るだろうと思って参加していた。で、ここ
2ヶ月位だが、自分に変化があって、皆さんの言っている事が全部ではないが、心の中に残るようになって、「あ、そうだそうだ!」と思えるようになった。家に送られてくる通信を読んでも「そうだそうだ、こんな事言ってたなあ」とよく分かるようになった。

 虐待のグループワークでは、ひどい患者のグループに入る。他の人は泣くし、怒るし、今まで自分が受けてきた仕打ちを感情をこめて話す事ができる。僕は全然、タレントの誰々がどうこうしたとか、そんな話になってしまって、喋れない。「まだ無理ですね」と、そういう場でも言われている。

でも、全く社会ではダメだと言う訳ではなくて、「もし膠原病でなければOKだよ」と、この前主治医が言ってくれたので、かなり回復してきたと思う。すごくもがいていて、人と言葉で交流できるようにとずっと生まれた時から思っていて、それがようやく出来てきた。もうすぐ50になってしまうが、僕にはそれが言葉には出来ない程のものすごい体験なので、ここのがま口塾があって成長したし、虐待を受けた人達のグループワークで成長できたし、色々なボランティアで話して、それらがあって、今ここにあると思う。

 がま口塾という、この「場」がなくなるという事は、アイデンティティの喪失という思いがしている。でもこれからも、まだ繋がりはあると思うので、皆さんとの関わりの中で、少しでも成長できたらいいと思っている。
(拍手)

●現在1人住まい。そういう友達同士で電話をすると、相手が「今日初めて声を出した」というぐらいの生活。私はお蔭様で、空の巣症候群にかからない地域に恵まれていて、怖いくせに冬でも玄関を開けていて、網戸になっていたらいるよという証拠にしてあるので、誰かが何かを言いに来てくれる。

 自分が忙しい時は素直にお断りする。住んで
40年の団地で、最初は家族の事以外目が行かなくて、井戸端会議なんか大嫌い。家の中が円満ならいいという、子供の友達のお母さんを通じて得る必要な事以外は「沈黙は金也」。でもある時、そういう事をしていると自分が孤立していくことに気がついて、少し丸くなれたような気がして、こういう所へも出入りさせて頂いて、いつも思う事は、最後に一言多かった(笑い)

昨日、スーパーで野菜を選んでいたら、キリンさんに覗かれる様な大きな気配で、振り向いたら、白人の外人男性がいた。選んだ野菜を古そうだったので戻した私に「お母さん、何故買わない」(笑い)と言うのでびっくりして「コレ、フルイ」(爆笑)(※♪ソファソミドの音程)ドキドキして「お先にどうぞ」「僕母さんと一緒でいいです」という事で、もずくのところに来て、裏を見たら中国製だったので、止めようとしたら「お母さん何故買わない」(爆笑)。「コレ好きじゃないです」。

 「お母さん、今日は何食べる」「今日はラジオで酢豚の作り方を言っていたから、材料を買いに来たんです」と言うと、「僕も酢豚を作るから教えて」。「
2人分で豚肉160gは覚えてきたけど、細かいケチャップの分量などは家へ行かないと分からない」と言ったら、付いて来ると言う(笑い)。悪い人ではなさそうと思って、道すがら話をしたら、「僕、日本へお嫁入りに来ました」。要は姉妹ばかりの娘さんを好きになって日本に来て結婚して、英語教師をしているという事。

 レシピを見せて「読めますか」と言うと、確実に分かると言うのでコピーして渡し、「何人家族?」「
4人」「×2ね」「はい、分かりました。ご親切に有難う」。最後に「お母さん可愛い」と言ってくれたから、(笑い)有難うと言えばいいのに「それって、小さいから?」。「あ、それも含めて」って帰って行かれた。1人だが、そんな風に何とかかんとか暮らしている。

●第1回から参加している。何故かと言うと、ちょうど2年前に主人を亡くし、2人の子供も続けて結婚して、住居も変わってC区に来たので、真っ白なマンションの部屋で1人でポツンといて「これからどうしよう」と落ち込んだ。その時に朝日新聞の「ひととき」が目にとまって「あ、これだ!」と思った。私は家の中ばかりにいて、狭い範囲しか知らなかったから、これから生きていく人生で、1人でも多くの人と関わっていこう。皆さんはどういう考えでどういう風に生きてきたか聞きたかった。

 今、そこに写真も貼ってあるが、(※がま口塾の簡単な写真史をB紙に展示)第一回目は、あまりにも大勢になって、近くの公園でやった。風が強くて、葉っぱがハラハラと舞ってきたのを今も思い出す。ああ、
18年経って私も変ったなあ、元気になって、逞しくなって、生きてこれたって、本当に感謝している。今は名城線が環状線になって便利になった。その頃は通っていなかったので、八事からテクテク歩いて通った事を懐かしく思う。

第2期は若い人が多くなって、ちょっとついていけない感じがして、しばらく休んでいた。私達の年代になると、食べ物とおしゃれとカラオケの同じ話ばかり。何か、ここのテーマになっているような事を話できるような人があると楽しいなあと思って、ここへ来ると「あ、私でも!」ってなる。

 話さなくても分かるというけど、私は話さなければ分からないと思う。それと、嘘じゃなくて、自分の思った事を話すって事を心がけていきたいと思う。私は夫にも全部バーッと話してしまう方だった。今考えると、2分くらいは自分が我慢して耐えなきゃいけなかったかな(笑い)と、反省している。お友達も出来たので、又再開した時は年、をとっているのでどうなるか分からないが、ぜひ来たい。(拍手)

●私も第1回から参加している。その頃は子供が大学に行っていた。1人の子だから、子供に関わっていないと何となく寂しいのじゃないかなあという感じで、専業主婦をしていたので、毎回参加した。第2期は色々他で忙しくなって、曜日が重なって殆どダメだった。私は話下手で、井戸端会議はあまり好きじゃない。最小限の事は話すけど、大きい声でキャーキャー話さない。

 連れ合いは寡黙で、必要な事も話してくれない人だった。夫婦仲も良くなかった
(笑い)。そういう事もあって、話す機会がほしいと思って毎回参加した。気の合う人、目標が同じというか、そういう人と話す事は好きだけど、そうでないと話すのは嫌な方。若い時と違って、この年になって、そういうのはあまり良くないと思って、ある会に行くと、非常ににこやかに笑顔で接する方がある。小学校の先生を満期じゃなくて、ええーと(定年?) そうそう(笑い)した方で、人と話す時はああいう態度で話すのが必要だなあと思った。

 私は仏頂面して、子供にも「お母さんは感情が全部顔に出ている」って。だから、きっと気の向いた人と話している時はにこやかだろうし、あまり話したくないなって時は、きっと眉間に皺を寄せて話していると思う。

証拠に、気の合う人と度々山歩きをした時、あまり普段交流した事の無いご主人が「Mさんは笑顔が素敵な方ですね。山に来られた時の笑顔は普段と違いますね」と言われた。写真を撮って頂いたのを見たら、本当にこれが自分かと思う程良い笑顔をしている。『ああ、私は普段嫌な顔をしていたんだなあ』と(笑い)反省した。

 こういう場で話すのとは、又ちょっと外れているかも知れないが、最近、加齢と共に感じる事は、若い時と違って、色々な事が厚かましくなるせいか、自分も含めて公共の場では心得て、あまり大きな声で話さないようにしたらいいなと、よく感じる。私達の年齢だと家に閉じ篭っているせいか、人と会うと必要以上に興奮して嬌声をあげる。で、自分の事は分からない。

 今も来る時、それを感じた。私の後ろから来る人が、外だからいいようなものの、すごく大きな声で話していた。この時間だからがま口に来る人だな、声が聞こえているうちは大丈夫と思って、道を間違わないで来れたので、今日の場合はいいけれど、バスの中や公共の場で、本当に大きい声で話している人には、自分の嫌な面が出てしまう。いや――な顔をして見上げている。
(笑い)自分も同じ事をやっていると思うけど、最近、よく感じる。私も人と話す場が少ない方なので、こちらがなくなるのは残念だと思っている。

●月1回テーマを決めてお話をするという事を、ずーっとBさんがしてきて、がま口塾の便りでだけで参加していたが、1回、本物の塾生になってみたいと思っていて、やっとその夢がかない、石川県から来た。(へーえ!) 

 皆の話を聞いていて、がま口塾という場が持っている力の事、特に
Mさんの話の時、他の方の話の時もすごく感じた。これだけ色々な人がいたら、色々な意見が出てくる。「そうそうそう!」だけで終わらない。「私は違うよ」って言う、この場所は話すと同時に聞く場でもあるから、こんな考え方の人もいるんやと思って。

 第一期から来ている人達が自分の変化の事を言ってらしたけど、これだけの物差しで生きてきた人が、色々な人とここで出会って、話を聞いているうちに、きっとこんなにワイドに…ここの
(腰に手)ワイドもあるかも知れないけど(笑い)、ほんとにどんだけ人を育ててきたかと、さっきからジーンとしていた。

 本当に安心できる場所で、話したい事を話せた時に、ゴンベンの「話す」は、開放の放の「放す」になると思うし、話す事で、話す前は想いがここ
(※胸)の中にあるから見えていないんだけど、外に出した事で、『ああ、こんな事思っとったんや』とか、恐る恐る出した事が、ちゃんと受け止められた時に、本当にもう1回自分の気持に気づく。話さないと気づかない。ここ()の中で堂々巡りしている間は、きっと自分で自分の気持に気づかないんだなって思うから、人と話す事は、あらためて自分の気持に気づく事かな。

 気づいても、それは安心という場が条件なので、誰とでも話せる訳ではない。ここは長い時間をかけて安心できる場所に、これだけの年代の違う人が、最初は知らなかった同士がした。すごい力やなあ思いながらいた。

●こんなに沢山の顔ぶれが揃ったのは、寂しいけど、これが最終回だからかな。私にとって話は飢えていない。寝てる時と食べている時以外は殆ど話している(笑い)。私がここに来たのは、色々な方と知り合いになりたいから。自分も話をする事が好きだし、皆さんの話もそうだが、何よりも1人1人の人間の顔を見て、新しい方に会えるのが、第一の喜びだ。

 日本に来た時に「言わぬが花」とか
(笑い)「無口な女性は上品に見える」、それが美徳だと言われたが、私はそこから全部外れている(笑い)。どっちかと言うと関西人のよう。ただ、私の国(ロシア)では、「言わぬが花」という言葉は、男性についてよく使われる。どちらかと言うと、女性はおしゃべりであるという前提で文化が成り立っているので、家庭の中でも女性はよく喋り、「明るい家庭では主婦が黙らない」と言われている。(ふーん)

 
だから家の中では子供と喋ったり、旦那と喋ったりするけど、相手が何も言わなくても一方通行で1人で喋れば、向こうは聞く耳を多少持っているから、普段、人と話す事は不自由しない。それは私にとっては楽しい事。自分の考えがどこまで届いているか分からないけど、相手の顔、目を見て新しい出会いを毎回毎回楽しみにしている。

●人と話すことはすごく楽しい。人の話を聞くと言うのもすごい楽しい。実は第一回目に参加した時の記事をもってきた(ヒエーッ!)88年の419日の記事。私が名古屋に引っ越してきたのが、44日。読んだら転勤族でここへ落ち着いたと書いてあって、私も転勤してきてまだ1週間ちょっと。最初は朝日新聞をとったが、419日から1ヵ月くらい後、中日新聞の方が来て、「ここに来たら中日をとらないと、色々な事が知れないからぜひ中日にしてくれ」と言われ変えた。(へーえ)(ひえーっ!) ほんのちょっとの間に、彼女が「ひととき」に出してくれたおかげで、ずーっと参加した。

 チェルノブイリや沖縄や中国に行った時に、残念だなと思いながら休み、再開の時は飛んで来た。
18年間のつきあい。私も話す事は仕事の中で限られる。先生達と子供をどう教えたらいいとかと、本当に限られた話になるが、がま口塾ではテーマを決める。色々話したいなと思っている事を、自分達でテーマを決められた。

 職場ではそういう事を話しても聞く事もないし、そういうのがここで話せた。それがとっても嬉しかった。今、
1人で住んでいて、1週間位人と話さないというのが普通の生活になっている。又それもカッコ良く言えば孤独を愛する(笑い)事で平気。だけどやっぱり本質的には、人と話す事が大好き。Bさんや皆に会えた事はとてもいい経験だった。ありがとう。

●私は二期から友達の紹介で来るようになった。元々話をするのが上手くないので、子供が小学校に上がった時に、生涯学習センターとか受講したが、自己紹介して下さいと言われて、自己紹介がある講座は嫌だなって、人と喋るのが苦になっていた。がま口塾を重ねる度に、少しずつは喋れるようになって、ドキドキ感も和らぐようになって、これは場慣れかなあ、数を踏めば、少しずつ喋れるようになるのかなあと思って、関心のある事には参加するようにしていた。

 最近は環境の事で、講座に参加するようになって、環境オタクって自分でも思うが、講座で聞いた事を誰かに言いたいなって事がある。だけど、硬いというか、あまり面白くないという話って、人は聞いてくれないし、友達と話しているとシラーっとしてくる
(笑い)。そうした時にこういう所があって、テーマは違うが、少しずつ余談で言った事もある。

 
10年位自分の家で生ゴミリサイクルをしていて、何とか皆に広めたいなあと思いながらやっていたが、推進センターという所で 活動というのがあって、そこで講師をしないかという事になって、土曜日に何とか講義をやってきた(拍手)。それはやっぱりここで、人と話す事が苦手だった私が、少しずつ慣れというか、自分自身が勉強してきたおかげかなあと思って感謝している。

●今日で2回目。この前は今から10何年前(笑い)。今日、出がけに主人が「何人集まるんだ? 5人だったら5分の110人だったら10分の1だぞ」。という事は、私は人よりもの凄く喋る(笑い)。ところが、もの凄く大勢の所だと真っ白になってしまって全然喋れない。一番いいのは5~6人。60歳を過ぎたら、同窓会の回数が4年に1回が2年に1回になったり、「あの人が亡くなられた」という話が多くなるので、だんだん集まりが増え、気の合う人、合わない人というのを凄く感じるようになってきた。気の合わない人と1日付き合って帰って来ると、ストレスが溜まって、考える。でも、その日の方が学ぶ事が多い。

 旅行に5人で行って、写真が出来上がって皆に配った。「お金とってよ」「いつも有難うね」とか色々ある中で、自分の写真を見て「何―っこれっ!」ってビリーッと破っちゃった。(エーッ!)(すごーい!)その人に、私今まで随分写真あげたから、家へ帰って破られた事はあるかもしれないけど、目の前で破られた事は初めて。私達から見たら、後ろから横顔を撮った普通の写真だが、その人は自分でその方向から自分の顔を見ていない。目の前で破ってくれる位親しいのだと思えばいいのだけど、たった1枚の事で色々思った。

 その人が一番知らない顔を皆は知っている。私も自分のスタイル、後ろ姿を見て、ワーッと思っても破らなかったなあと
(笑い)。例えばクシャミする顔を自分で見ようと覚悟して鏡を見ても、もう終わった時の顔しか見ていない(笑い)。でも、し始めの顔は見られる。だから、今度その人がご機嫌がいい時に、「人から貰った写真は家に帰ってから破った方がいいよ」と、幼馴染なので注意してあげた方がいいかなあと思ったり。

同じAさんの事を「あの人良い人よ」「悪い人よ」って言うけど、よく考えると「都合の」良い人、悪い人。それを聞く時に、自分で「」をつけて聞けば、(笑い)他人の言葉で中傷される事も無いんじゃないか。私から見たその人でいいんじゃないかなあと思う。気の合わない人と会いたくないと、何もこの年になって思わなくても、会う事で学ぶ。

 若い時は、年をとれば皆丸くなると思っていた。
(うんうん)そうじゃない(爆笑)。だんだん欠点がハッキリしてきてグレーだったのが黒くなる(笑い)。気の合わない人に昔だったら「私はこう思うよ」って言ってたが、ちょっと間を置く様になった。

 大体商売では同業者は悪口言うし、松尾和子の「皆が悪い人だというのに私から見たら良い人だった」って歌詞に、私は赤線でグーッと引っ張っている
(爆笑)。悪い人だと皆が言っても、そう決め付けなくてもいいと、特に最近思うようになった。(笑い)(拍手)

●歳とともに煮詰まるという言葉を私も何かで読んで、友だちに聞いたら、皆も「その通り」って言った。私も丸くなると思っていたら、加齢と共に我侭だったら、いよいよ我侭になるし(笑い)、好き嫌いが激しい人だったら、より激しくなる。そうでない人もいるが。

 書く事も話す事も全く論理的でなくて、夫や娘達から注意ばかりされる。支離滅裂に話が飛ぶ。女同士だと割りとそれはいい。映画の話をしていて、「この前読んだ話が面白くてねえ」って言うと、「この前、誰それと久しぶりに会ったよ」と、めっちゃくちゃに飛び交っていても、不思議と思わない(笑い)

 老人ホームでもお婆ちゃん同士、ちょっと呆けてて、お茶を飲みながら皆めちゃくちゃの話してても、外から見ると和気藹々と話しているように見える
(笑い)。で、お爺ちゃんはポツンポツンといて会話がないと言うのを読んだ事がある。光景が目に浮かぶような気がする。

 「地図が読めない女」とかいう本を読んだが、私の夫は私が問いかけると、その事について色々色々説明してくれる。私の頭の中は『この前新聞で読んだあの本が面白そうだな』
(笑い)、議論している途中に飛んでいて、急に他の話をしたりするから精神病じゃないかと言われる。娘にも「指示語が多い」だとか、「話が飛ぶ」とか注意ばかりされる。おしゃべりは好きなんだけど、論理的に話せない。書く事も出来ない。

 つくづく分かってきたけれど、がま口塾の継続の力は素晴らしい。いつでも来られるという気で、自分の実家のように思っていて、なかなか来られなかったけど、最終回というのを先日知って、びっくり仰天して来た。お喋りだけで迷惑かけてすみません。有難うございました。

●娘と来た。第一期の時は、今20歳のこの娘と、この下の男の子の2人を連れてはなかなか来られなかった。「イエローケーキ」という原発反対運動をやっていて、その通信を出していたので、がま口塾の通信と双方の想いを交換していた。一期には2回位しか来れず、二期になって、やっと子供達も大きくなったので何回か来られて良かったなと思っている。

 夫と喧嘩する時は負ける喧嘩はしないぞと
(笑い)、組み立てて算段して、こうやって喋ったら絶対負けないと頭で考えてから喋るが、相手も喋る人なので(笑い)

夫の母が隣に住んでいるが、4年前に脳梗塞やって、呆けも入ってきたかなと思っていた。認知症の外来が精神科にあるから、脳外科にかかっていたけど、精神科に連れて行ったら、「脳外科の薬を全部やめてみろ」と言われ、止めて脳の検査もしたら、全く問題なかった。

 「でも先生、変な事を言うんですよ」と言ったら「コミュニケーションの問題だろう」と言われた。お婆ちゃんは人の話をきちっと聞かない。聞く気をもって聞くと通じるが、聞く気がなくて、サラッと流していると話題についていけない。今の話のように飛び交う感じ。家族でご飯食べながら、今、喋っていたのに、いきなり違う事を言うっていうのは、その話題から自分の気持はずれている。それはコミュニケーションの問題なんだと言われて、成る程ねと思った。

 私は
1つの話題をきちんと話す方が好きで、あちこち話題が飛んで結論が出ない井戸端会議は好きでない。何かそこで得るものがあり、考えを深める場に自分を置きたいと思うので、がま口塾は安心して自分の考えが言えて、教えも乞う事ができて、とても良い場。

 こういう場で、たいてい私は輪の中の若い方。私より若い人の輪にあまり入った事がない。いつも年上の方の中で話を聞きながら「私、こう思うんだけど」って言い、又それに対して言われる。上に立ちたい、教えてあげたい気はあるが、じっくり話し合ったりする所だと、年上の方たちの中の方が居心地がいいのかな。

●今回、私が一番年下だと思う。お引き回しの程宜しくお願いします(笑い)。今日、皆さんの話を聞いていたら、すごく楽しくなってドキドキワクワクしている。テンションが高くなっているので、「この若輩が!」と思われる発があるかも知れないが、そこはナマアタタカイ目で見て下さい(笑い)

人と話す事は、私にとっては浄化という意味がある。今大学生活を送っていて、日々不安や不満との戦い。色々考えたり、ショックを受けたり、感動する事もあるが、色々心の中に溜まっていくのは、綺麗な事ばかりでない。自分が思っている汚い事とか外から入ってくる汚い黒々としたもの…黒って言う表現はありきたりだが、それを口に出して言うのは、洗って貰うというイメージがある。

 私はこう思うと人に話したり、人の目で自分を見て貰う事によって、黒い部分をゴシゴシと洗って貰い、それを又中に入れて、『あ、そうか、これは私が思っていたより黒いものじゃなかったのだ』とか、『ちょうど汚れが落ちて良かったなあ』って。悩んだり行き詰っていたりすると、とにかく解決方法としては人と話す。自分の中で答えが出るまで、しっかりじっくり考えるタイプの人とか、もっと色々やり方があると思うが、何かあったら人に話し、人に自分の気持を見て貰うのが、自分に一番合っている。

 親友と話していると、刀を研いでいる感覚に陥る。刃と言うと、武器とか人を傷つけるイメージがあるが、この場合、私が刃を持って戦わなくちゃいけないのは自分自身だったり、不安とか不満であると思う。「話す事で刃毀れを直したり、鋭敏に研ぎ澄ましたりする感じじゃないかな」と言ったら、友達からも「そういう風に言ってくれると嬉しいな」と返ってきた。

私達の年代でも、そこら辺のおばさん達の会話と変らない人が多くて(笑い)、学校生活で「そんな事話してて楽しいか?」「どうでもいいじゃん、そんな事」「レベル低いなあ」って思う。ちゃんと考えたり、自分の意思をもって話しているのかなって、すごく思う。

 どっかで聞いたような話を、そのまま鵜呑みにして、友達とのコミュニケーションの材料にして、満足しちゃっている。コミュニケーション、話の仕方が荒んできている。程度が低いというか、風俗的。そういう子ばかりではないが、そう感じる事が多々あるので、こういう場所に、自分自身をもってきてあげる事で、自分の刃を上手く研ぎ澄ませる事ができたらいいなと思っている。
(拍手)

20歳の息子が3歳の時にここに来た。引っ越して間もなく「ひととき」を見て来た時は全く誰も知らず、出会いを求めて来たが、ここで出会った色々な人との繋がりが、私にとっては宝物になっていて、感謝している。ここは安心して喋れるし、自分が喋る事で自分の中ではっきりしなかった考えが纏まって行く。言葉のキャッチボールをしながら『あ、そういう事だったのか』と。人と喋る事は、けっこうシンドイ事もあるので、引き篭もりたくなる事もあるが、やっぱり人と話すと、自分の考えが整理されていく。

 二期になって仕事を始めたので、なかなか来られなかった。今年
3月で仕事を辞めて、3ヶ月程ピースボートに乗って旅をして、1週間前に帰った。私も、こういう場とか、気の合う仲間とか、同じ様な考え方の人達の集団の中で過ごす事が多かったので、そうじゃない集団に、3ヶ月缶詰になっているのは、非常にストレスを感じるものだと初めて知った。

 年齢層も幅広くて、
3歳から92歳の大集団。好き嫌い、年齢に関係なく、常に誰かと話をするという空間の中で、やっぱり私と全然考え方が違う人達と話す時、攻撃的な事を言われる事もあったり、そういう経験は初めてだったので、かなりショックを受けた事もあった。でも、それが普通なんだろうな。私自身が、今まで気持のいい集団の中にいる事が多かったんだろうなという事が分かった。

 地球大学というゼミをとったので、1020代の人達とずっと勉強した。自分が歳をとったなあと感じたのは、1020代の子達は感情をもろに出すものだから、すごく激しくて、色々な人達と、ハグしながら泣くみたいな経験を何年かぶりにした。そういう意味では年齢を重ねるという事は、そういう感情を、ある程度おさえている部分もあるのかなと感じながら旅をしてきた。もう1回乗るとなるときつい部分があるなと…(笑い)。でも、90代、80代の人もいっぱいいて(へーえ!)、 1人暮らしのお年寄りには非常に楽しい空間だろうな、と思った。

●人と話す事が結構苦手になってしまっていて、7~8年前は、近所の人に挨拶する声すら出す事が怖くて貝になっていた。N市に住み、Tさんや、Bさんを慕うような方達の中にいる中で、だんだん声を出す事ができるようになった。

 がま口塾には、まだ
4回位しか来ていないが、あったかい気持で話せるのがとても好き…とは言え、「人と話す」事がテーマになってしまうと、どうしようかなと思いつつ今日、たまたま誕生日なので来た。(ウワオーッ)(拍手と手拍子)(全員合唱♪ハッピバースディOさん…)(50歳おめでとう!)(爆笑)(30いくつ?)

 ちょうど
20年前に中学3年生。チェルノブイリの事故があった年に、このエネルギーを、人を殺める為に使ったり、間違った使い方になってしまうよりは、何か他にも人を助ける為のエネルギーに、少しずつでも引っ張り出して、何かに使えるのではないかと、ふっと頭に浮かんだ。やっぱりNO!と思うかもしれないけど、と思いつつ、とりあえず歩き続けて、12年前に、その後もんじゅの事故を起こした動燃に勤める事になった。

結局そこで、核の削減条約にも関わってくるような、核弾頭の中の燃料を、別にロシアの原子炉の中で燃やしてしまうというタイプの研究に関わる事ができた。が、もんじゅの事故やら何やらで、前回のメディアのテーマにも関わってくるけど、外からのバッシングとか、その中での、人が壊れていく姿を見たり、とかで、よけいに人と話す事が苦手になって、いつかはBさんの周りにいる方達からでも、もうちょっと喋れるようになっていこうと思っていたが、とりあえず最終回になってしまったので、こういう者ですがという事もある。

私が今どこの位置に立っているかは、すごく不安定で、どう考えても多分「えっ!?」という感じで見られてしまうと思うけど、すごくあったかい人達。さっきも人と人を繋ぐという言葉があったが、閉じ篭っているままでは、本当に何もできないし、一歩一歩下がったりしながらも、とりあえず動かないと、何も動いていかないと思うし、動かないまま済ませる訳には、子供達とか、その他先の世代の為にも、どうにもなっていかないなと思うので、とりあえず逃げないで、この場だけにでも来たいなと思って来た。Sさんにもお目にかかる事ができたので、とっても嬉しい。(拍手)(司会:誕生日おめでとうございました)(笑い)

●今日で3回目位の参加。いつもニュースレターで元気を貰ったり、インターネットのHPの日記で勇気が出たりしている。この3月で定年をまっとうしないで仕事を辞めた。私は人と話す事は苦手。自分の想いが上手く伝わらないという事が何度もある。今も知らない方達の中でドキドキしているし、何を話していいのか分からないが、それでも勇気を出して出てきて、話せば自分というものが出てくると思う。自分が何を考えているかという事が分かってくる。

私は犬が好き。何かに「犬は遊んでくれる人、褒めてくれる人がいい」と書いてあった。私自身もそうで、「遊んでくれる人いいな、褒めてくれる人いいな」。

 遊んでくれる人というのは、そこから何かを生み出すとか、勉強するという事ではなくても、とにかく時間を一緒に過ごしてくれる人。褒めてくれる人というのは、先程言葉を交わすのは剣を研ぎあうところがあり、お友達がそれを肯定的に「ありがとう」と言われた、という話があったが、私の理解が間違っていたらごめんなさい
(いえいえ、そうです)

 私は言葉が武器というのが怖い。学校で教えていたので、若い人達のやりとりが、先鋭でなかなかついていけない。競い合い、せめぎあうという中では、自分が誰かと比較して、「ああ、私が優れている」「私はダメなんだな」という価値観の中にはまっちゃうので、安心してドジができない。友人も活躍し、職場でも活躍している同僚の中で、私はそれに比べて何もできない。人から「あなたはダメ」と言われた事はないけれど、ま、言われた事もあるけど
(笑い)、自分がそう思っちゃう。

 そういうのが、褒めてくれる人、褒め言葉でなくても「うん、あなたはそれでいいのよ」って言ってくれるのがいいなと。そういう人間の安心感の中から自分が進めるのかなあというのが、最近、退職してから考えられるようになった。話す事は非常に怖いんで、今も『あら、喋っちゃった』って感じ
(笑い)

Sさんの本を買って2冊持っていて、今日お会いできて良かったなと思う。実際に参加したのは10回位だが、自分が出た時のレジメを読むのと、自分が出なかった時のレジメを読むのとでは、やっぱり感じが違う。自分が出た時のを読むと、一生懸命簡潔にしてある事がよくわかるが、あの時、皆で笑ったなあ、こういう冗談を言ったなあとか、こういう顔をしていたなあとか思う。

 やっぱりここに来て、皆の顔を見て話す事がすごく良い事なんだなと、ずっと思っていた。この前、脳の仕組みを研究している、川島竜太先生がテレビで、「電話で話している時と、実際に目を見ながら話している時では、脳の働きが全然違う」と仰っていた。

 確かに電話で話したり、メールで文章を打ったり読んだりという事は、中身は伝わる。でも、やっぱりこうやって目を見て、あ、あの人ああいう顔をして聞いてくれたな、とか思いながら話すのとでは、違うのだという事が実際分かった。やっぱり人と話すのは、電話やメールでなくて、顔を見て話したいなって、よけい思った。

母は77歳で、ちょっと体を壊して、実家のC区から私の家、M区に来た。5人家族の私の家は、夜、皆が集まるのは、11時、12時の生活で、母が誰とも話さないで家にいる、結局、夜は安心して寝られるが、昼間全然人と喋らないというのを数日続けただけで、もう参ってしまった。近所の人が話に来てくれて、「どう、元気?」とか、惣菜を持ってきてくれたりするのが、凄く支えていたんだなというのがよく分かって、人とはこうやって顔を見て話さないと、とても生きていけないなと思っている。

 仕事で小さい子供と接する事が多いが、小さい子供は、もの凄く自分の事を話したくてしょうがない。「今日学校でこういう事があってね!…」。やっぱりきちんと目を見て話してあげて、関わった子供に対しては、最後の「さようなら」も、目を見ていないと「もう一度目を見て」とやり直す。

 中学生位になると、私に対して意識して「生きてて何が楽しい
?」とか言われたりする事がある。やっぱり大人が活き活きと生きていないと、子供達は大人になるのが嫌だなと思うだろうから、自分の子供でなくても、話してあげるのが出来ていったら大丈夫じゃないかと思って、人と話す事は大切だなと日々思っている。(拍手)

私は最初から参加している。最近はチョコチョコしか来ていない。私は話をする事が苦手。これだけ大勢になると苦手で何を言っていいか…。やっぱりここへ来て凄く楽しかった。お便りを読むのも大好きだった。それがなくなると思うと寂しいが、又の機会を信じて又来ようと思っている(拍手)(※司会の言葉に皆、爆笑しているが、聞き取り不能)

遅刻したので、自己紹介だけする。Bさんと一緒に北京放送で仕事をしていて(へーえ!)、去年の10月まで、ニュースのチェッカーをしていた。契約切れ後、京都で在宅で、(中国の)人民日報のニュース翻訳を引き続きしている。

 母が弱ってきたので帰るというのを条件で北京を引き払ってきたけれど、私を待っていたかのように、母がこの前亡くなった。帰国したら、がま口塾に一度は参加したいと思いながら、とうとう最終回しか来られなくて…。
HPは覗いたりしている。

彼女は子豚1号、私は2号と呼び合っている。後姿がそっくり(笑い)。皆さん、今日はようこそ私の生前葬にお出で下さいました…(笑い)と言おうと思っていたけど、縁起が悪いと言った人がいるので止める。でも本当に遠くからも来てくださって有難うございました。

 がま口塾がどうして始まったか、新聞にはカッコよく書いたけど、本当の理由を言うと、視覚障害者の朗読奉仕者養成講座の講師をしていた事がある。あちこち転勤して名古屋に帰って来た時、当時の受講生の方たちから「先生、話し方教室をやって下さい」と言われた。「先生なんて言うの止めて!話し方って何?私が訊きたい位です」。

 巷には「話し方教室」というのがあって、どうしても許して下さらないので「そうしたら、勝手に我が家に来て勝手に皆さんが話して下さい」と言うに至った。で、どういうメンバーにするかが問題になって、「ええい!じゃ、新聞で公募しよう」という事で「ひととき」に投稿した。それを知らないで集まってきた皆さんは、気の毒だった
(笑い)18年経って、間にお休みがあっても来て下さって本当に嬉しいと思う。

 

私を励まし続けて下さったのは、勿論会員の皆さんだが、S(水野スウ)さんの存在が大きい。私より何年か前に自宅を開放して、毎週水曜日、毎週ですよ!水曜日の午後全部「紅茶の時間」をされている。Sさんは本当に癒しの場というか、テーマは決めないで、優しくどんな話も受け止めている。私は「ダメ!」とか「はいはーい」とか、脅したり流したり(笑い)

 それでとても共鳴して、あ、同じ事やってる人があるって、
Sさんの著書「まわれかざぐるま」(若草書房)100冊注文した。以後Sさんは私を人に紹介する時「100冊の人です」って言う(笑い)。その頃は、がま口塾は1ヶ月に2回開いていたし、人数も多かったので、100冊位何でもなく、すぐ捌いた。(私も買った!)

Sさんには1人娘のMさんがいる。(講演に来て頂いた時、連れていらしたMちゃんが8歳位で眠っていたのを覚えている。金沢のキルト展にも行った)Mちゃんが大学の卒論で「場の持つ力」を研究し、それを冊子に纏めた。「話し合う場」の持つ力を科学的に分析、考察していて感心した。若々しい親しみやすい表現で、読み手を誘ったりしていて、素晴らしいと思った。

 
Sさんが…何年でしたっけ? (23) 23年間、毎週水曜日「紅茶の時間」を続けてこられ、それで育ったMちゃんだからこその論文。300円で、今日は少しだけあるが、特別、Sさん発行の「いのみら通信」もつける。(※読んでみたい方は坂東まで連絡して下さい) Sさんが講演等で留守や間に合わない時は、夫さんが開けられるまで教育された(笑い)。それに励まされたという事。

 

昨日まで、やっぱり閉会が寂しくて、思い出の便りを1号からベタベタ貼ったり、写真を並べたりと今朝の2時頃までやっていたが、昨夜遅くOさんからFaxがガタガタ入って、何と!「がま口塾天道支店」を開店して下くださるという「お知らせ」でした (拍手)(わーっ!)(笑い) 心がパーッと明るくなって、いっぺんに元気が出たの(良かったあ!)。皆さん、今後とも支店をお引き立てくださいますよう、宜しくお願いします。(笑い)

<Fax・メール参加>*********************************************************

人と話す事はお喋りとは違う。テーマがあったり、何か目的があって話す事かな〜。そしてエネルギーが要る。自分の事ばかり話していては話が噛み合わないし、聴くばかりでも噛み合わないし、頭も耳も目も使って、自分の意思表示もして、エネルギーが要る!エネルギーが要るからこそ、話し終わった時に満足感があり、又次のエネルギーが沸く。話しすぎて、時には力一杯落ち込む時もあるが…やっぱりメールでは一方的になってしまうね!

.人と話すことは理解しあうこと。/人と話すことは違いを知ること。/人と話すことは話を聞くこと。//人と話すことは自分を見直すこと。/人と話すことは考えの未熟さに気付くこと。/人と話すことは考えを深めること。/人と話すことは仲良くなること。/人と話すことは別れること。/人と話すことは好き。/人と話すことは怖い。/人と話すことは楽しい。/人と話すことは苦手。/人と話すことは嫌い。/人と話すことは生きていること。/私は人と話すことを求めてきたし、これからも求めている。

●投稿と言う形で参加をさせて頂いていたが、当日出席をしていたら、思うような話ができていたかしら、と考えてしまう。自分の思いを話すには、できるだけ沢山の材料があったほうがいい。体験、学習、全てが材料。自分はどれ程の材料を持っているか、そう考えると自信がない。薄っぺらな自分に気がつく。豊かな体験にプラス「話術」が伴った時に、人は人を引き付けられる話ができるのではないかと思う。

 毎回、皆さんに話すようなつもりで自分の思いを書く。それが話をすることの訓練、学習の入り口に繋がるのかな、そんな気がする。「人と話すこと」。それは自分自身を見つめ直す事でもある。そして「がま口塾」から大きな頂きものをした。沢山のお話を聞く事で、私自身の興味、関心の対象が大きく広がった。「人と話すこと」で自分の世界が広がる。「話すこと」ってすばらしい!

 人生後半でめぐり合えた「がま口塾」で、これからの生き方のヒントを頂いた思い。「がま口塾」に出会えたことに心から感謝。

●話し上手は聞き上手!他人の言う事を良く聞いてあげてこそ話上手と言えます。(拍手)

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●本当に今日まで、皆さん、無口な私を支えて下さいまして有難うございました(笑い)。それでは大西恵子さん、皆さんにご挨拶を。

【大西】こういう集まりが、このままで、休みとは言え、何ヶ月、何年という休みの間が寂しいと思って、できれば細々とでも続けたいと思って考えた。録音とかテープ起こしはできないし、やろうと思うと重くなるのでやらない。パソコンもなーんにもできない、今の私でやりたい。宜しくお願いします。(うんうん)(拍手)

 家に映画会やコンサートで来て下さった方もいるので、来易いかなとも思った。わりと今、「哲学カフェ」だとか「フラットカフェ」だとかある。カフェを借り切って、そこで討論会をやるとか、クラフトの手芸の集まりを持つとか、昼間の空いている時間にやっている。そういう所とタイアップしてという事も考えたけれど、ここみたいな、何を喋っても、あったかく皆が受け止めてくれるという、そういう空間は、カフェで、誰が聞いてるかも知れない所ではできないかな、やっぱり自宅の方がいいかなと思った。ちょっと不便な所だけれど、皆さんお越し下さい。

(※開催日の案内が欲しい方は、今回同封の申し込み用紙を大西さんに直接郵送して下さい)

●安城市から来たNです。88日に安城で「ぞうれっしゃ」を上演する。 (名古屋で孫が出た。南京まで応援に行くよ!)。名古屋は270人の舞台だったが、私達は70数人。今、必死で頑張って練習しているので良かったら来て下さい。

●スウさん、万依ちゃんの本の事、ちょっと話して。

●娘がよもや「紅茶の時間」の事を社会学的に研究するなんて事、思ってもみなかったので、実際に「卒論書けたよ」って言って、それは勿論、絵など入っていない、真面目な卒論がコピーして送られてきた時に、読んでびっくりした。私自身が長い事やってきたけど、そんな視点を持っていなかったので、何度もハッとして、そうなんだという事があった。

 本に纏めようと思った時に、ちょっと難しいから、何とか最後まで読んで貰うように、ちっちゃい女の子が出てきて、めげそうになると「頑張り!」っとか言ってくれているような本。
100部は、腱鞘炎になりそうになりながらコピーして、アンケートに協力して下さった方にあげてしまったので、じゃ、こっちで印刷しようねって、冊子にした。今日は「話す」って事がテーマなんだけど、「聞く」って事が、私が読んでも24頁辺りから「はーあ!」って所がいっぱいあって、紅茶のお母さんが「読んで難しかったけれど、諦めずに読んでいったら、24頁は私の為に書いてくれたんだね、いつも人の話を、家族の中で奪って省みなかった私自身が、聞くという事にそんなに意味があるとは思っていなかった。話す事の方が大事で、聞くって事にどんな意味があるかと思っていた」と、言ってくれたりしたのは嬉しかった。

 東京に、JHCという、心の病気の人達の居場所やお店や作業所をしている組織があるが、セルフヘルプグループという視点から、娘の本を
80冊も注文があり、びっくりした。ある方は「話を聞くという事は民主主義の原点だ」と言う。私はそんな読み方はしなかったので、皆読み方は様々だなあと思った。Hちゃんは大学で何を学んでるの?

●造形芸術。芸術というと、日本画とか洋画とか彫刻とか色々思い浮かべられると思うが、私は総合造形という学科で、12年生で、絵画・彫刻・写真もつまみ食い程度に全部やる。先生達の意向としては、現代美術で新しい表現の仕方を追求していくという学科にいる。

Hちゃんの話を聞いていて、社会学部の人かなと(笑い)思った。きっと言葉が刃のように研ぎ澄まされていくって言うのは、(※ドアチャイムの音で聞き取り不能)娘も同じような事を言うので、社会学って常識を疑えっていう学問だよね。だからドキドキして聞いたの。

●さっきからスウさんって、水野さんの事?ここにいない人の話しかと思っていた(笑い)

●ゆったり工房所長のKです。日進市で精神障害者の小規模通所授産施設で、3年前に

社会福祉法人をとって活動をしている。今、15名のメンバーが日常生活訓練や作業訓練を通しながら、社会参加を目指して頑張っている。今年活動を始めて11年目。「第11回あじさいコンサート」を29日に開催する。昨年は10年の節目で、Bさんのナレーションで10年をふり返ったコンサートで、1000人ホール満席のお客様に来て頂き好評だった。

 去年は私が実行委員長で、今日の服はその時の衣装
(笑い)(行ったよ!) 有難うございます。にぎやかしいけど(笑い)10色で織ったさおり。一番育ったのはメンバー。去年はメンバー自身が、1000人の前で自分の病気の体験を話した。その人が今年は実行委員長(ほーっ!)。もう11回であじさいコンサートが終わってもいいと思う位感激している。

 所詮メンバーはとても疲れやすいし、再発しやすいという重みを持っているけど、彼は去年のコンサートの後、ヘルパーとしてちゃんと就職し、今年は、去年私がやったコンサートでの役割を立派に果たしている。チケットがなかなか売れなくて、今やっと
450枚売れた所。

 今年はせめて
6割でやりたいという彼の希望を、どうやって皆で心を1つにして作るのかなと必死。後一週間だが、頑張っている。近くの方は、土曜日だが、ゆったり工房の「あじさいコンサート」に来て頂けたら、本当に有難いと思う。宜しくお願いします。

●私はゆったり工房、メンバーさん、職員さんを少しでも支える事ができればと支える会に入っていて、「ボランティアゆったり」でお手伝いをしている。メンバーが年々力をつけて行くのを見て、ボランティアの本当の意味を私が体験させて頂いている。皆と一緒に楽しみたいというあじさいコンサートで、司会もメンバー自身がやり、しかも今年初めての人がする。「やります」って、自ら手を挙げた。それが大事な事だなと思い、私達もそれを支えなくてはと頑張っている。皆さんに声をかけているので宜しくお願いします。(拍手)

【司会】午後もあるが、とりあえずここでBさんに大きな拍手を!(ワーオ!)(拍手)

B】皆さん、有難うございました。Oさん、宜しく願いします。

O910月に関してはもうお便りを出さないので、渡したチラシを見て来て下さい。

がま口塾天道支店開店のお知らせ

塩釜口本店塾の休店を悲しむ皆様―――

細々とでも営業を、の思いで天道支店を開店いたします。

 坂東塾長のようなパワーをもたない見習い塾長の営業する塾ですが、あんなに楽しくて、タメになって、心安らぐがま口塾がお休みになるのは、さみしいと思っている皆さま、支店もごひいきにお願いします。

 ただし、支店ですので、本店並みのサービスは難しいものがありまして、

話の録音、テープ起こし、ましてや皆さまへの発送はいたしかねます。……です。

毎月の塾の日程・テーマなど、最低限のお知らせのみハガキかファックスでお送りします。ご希望の方は大西か坂東塾長へ。

第1回天道店塾

  914()午前10時〜12時 テーマ「夏をどう乗り切ったの?」

2回天道店塾

    1020()午前10時〜12時 テーマ「コトバは乱れているのか」

                        がま口塾天道支店

                          大西恵子 пFax 052-834-4041

がま口塾天道支店での日程などお知らせを送ります。切り取ってお渡し下さい。

お名前

住所かFax番号

468-0057  名古屋市天白区御幸山12-14-201 пEFax 052-834-9457

坂東弘美 bdk@dp.u-netsurf.ne.jp がま口塾  http://www1.u-netsurf.ne.jp/~bdk/