検索でここを発見いたしました。
今日は5年生の卒業試験日なので普段は研究以外には
使わない文明の利器でこのような出会いが生まれました。
私は一関市の生まれで彼らとは3才年上の不良助教授です。
彼らが敬愛する本校の大不名誉教授と波長のあう高専という
堅物の棲む教官の中では異端児を通している男です。
地元のバンカラ高校を卒業した後は、仙台、水戸、名古屋ではなく
逆Jターンで八戸と渡り歩き12年前に、愛する古里、
NSPの香りがもろに漂う一関に転任して参りました。
当時のかれらを暖かく見守ってくれたH名誉教授が
亡くなった後一周忌記念で久々にコンサートを開いたということも、
あとになって風の噂で聞きました。
H先生は私を採用する時の副校長でしたが定年退官の折、
私に向かって「きみはもうけものだった」と言わしめた
大人物でした。関係があまりないことをいってしまいましたが
私も私の妻もデビュー時から全ての詩とメロデーを
愛してきた同郷人です。
|
|