この「炭鉱会社の建物」は、造りは立派でもあくまで「市内の営業事務所」であり、炭坑そのものは街の外の山にある。集まった炭坑夫志願者たちは、専用送迎バスに詰め込まれ、送り出された。
(でっかい蒸気自動車だなぁ・・・こんなの初めて乗ったぜ)
窓の外を流れる、バスが吐き出す黒煙を眺めながら、ゾロは内心で思う。こういう物のことを、知らない訳ではなかった。
海賊狩り時代、凶悪犯を倒して海軍へ届けたら、歓迎されて将校用の蒸気自動車に乗せられたことがある。最初は妙な馬車だと思っていて、馬もいないのに走り出したので仰天したが、馬鹿にされそうなので我慢してポーカーフェイスを保った。そんなことを久しぶりに思い出す。
石炭を動力とした「蒸気機関」とかいうものは、近年急速に普及し、様々な所で使われているらしい。サンジいわく『バラティエにだって、ああ見えて実は載ってたんだぜ』ということだ。
ゼフがグランドラインから持ち帰った「航海日誌」には、その設計図が書き写されていた。バラティエの帆が、船体の大きさに比べて小さいのは、そのためもある。
もっともゼフは「石炭の火力を生かした優秀なコンロ」が欲しかったのであり、バラティエの補助動力に蒸気機関をつけたのは、そのついでだったというが。
そして。新しい力に、もちろん海軍も目をつけている。このグランドラインで、蒸気動力を搭載した軍艦が建造され、実戦投入が始まっているという。帆船と違い、逆風でも高速航行が可能なそれらの軍艦は、海賊相手に並々ならぬ戦果を挙げているそうだ。
(この島は、その艦隊の母港だそうだな・・・)
夕べの酒場で、ナミがそうした情報を集めていた。今や工業用にも、艦隊の燃料としても、石炭の需要はいくらでもある。だからこそ、ゾロのような身元のはっきりしない者でも、炭坑夫として潜り込めたのだが。
(だが、島を脱出する時が問題だな。最悪の場合、最新鋭の蒸気艦隊を相手にせにゃならねぇのか・・・)
ナミが「民間人を装ったまま潜伏する」ということに、こだわる理由はそれだろう。何事もなしに、民間船として島を離れられれば、それが一番安全なのだ。
・・・バスは街を出て、山へ登り始める。窓の外に、黒い小山がいくつか見えてきた。石炭を積み上げてあるのだろう。
じきにバスが止まり、そこで降ろされた。目の前にあるのは、黒く煤けた、街の事務所よりはかなり質素な建物群。炭坑夫らしい、つるはしやスコップを担いだ男たちが行き来している。
その向こうには、山の岩壁。坑道の入り口らしき穴があり、トロッコの線路が中へ消えている。
「よし、あの中へ潜るんだな?」
呟いたゾロに、案内役の炭坑夫が苦笑する。
「気が早いな兄ちゃん、新入りはまず研修だろ。張り切りすぎると、長続きしねぇぞ」
「研修?」
「ああ、炭鉱で働く時の諸注意とか、色々叩き込まれるんだぜ。下手すりゃ大事故になるんだからな」
「ふぅん」
頭より身体を使う方が、俺には楽なんだが。内心そう思いつつも、ゾロは他の志願者たちと一緒に、建物の一つに通される。
粗末な学校という感じの、黒板がある大部屋。並んだパイプ椅子の、一番後ろの列にゾロは座る。
待っていると、いかにも「親方」という称号の似合いそうな、汚れた作業服を着た壮年の男が現れ、黒板の前に立った。
「第十一班班長の、バークだ。これから、お前たちの指導を受け持つ。いいか、真面目に聞きやがれよ」
白髪混じりの、栗色の髪。そして濃緑の鋭い瞳。ゾロはふと、父親を思い出した。似ているという訳ではなかったのだが、頑固親父らしい雰囲気には、近いものがある。
懐かしいものを覚え、つい笑みが浮かんでしまった。・・・丁度その時、一同を見回したバークと、目が合ってしまう。一瞬、バークがいぶかしげな顔をした。
ゾロが慌てて表情を引き締めると、バークも視線を外し、何事もなかったかのようにチョークを手に取った。
「よぉし、それではまず、仕事場での諸注意からだ。第一に、石炭のある所では火気厳禁!」
少し話は戻るが、炭坑へ向かう前、写真撮影があった。それは研修の間に現像され、社員証に張り込まれて、新入り炭坑夫たちに手渡されるのだ。
この社員証を示すことで、送迎バスを使用したり、一部の店舗で職員割引を受けたり出来るそうだが。そうした制度のことを、ゾロは宿を出る前、ロビンに指摘されていた。
『写真は、職員リストにも載る。あまり都合良くないわよね、その顔が書類に残されたら』
『そうか・・・考えてもいなかった』
『でも、今更やめる気はないんでしょ?』
事情を察していたらしい彼女は、見透かすように言う。
『しょうがないわね。撮影の時はなるべく、ロロノア・ゾロらしくない顔をしておきなさい』
『どうやって?!』
そんなことを言われても、と戸惑うゾロに、ロビンは含み笑いと共に答えた。
『働きに行く目的があるでしょ。噂の「魔獣ゾロ」がするとは思えないこと。それを思い浮かべながら、写されればいいのよ』
働くことの、目的。
(確かに・・・らしくねぇよな。海賊狩りの魔獣が、プレゼント買うために真面目に炭坑通いします、だなんて・・・)
その金を稼ぐために、これから働くのだ。ごく当たり前の人間がするように。仮初めの名と身分を隠れ蓑にした、思ってもみないチャンスを与えられて。
新しい調理用具を、サンジはどんな顔で受け取るだろうか。口では悪態をついて見せながら、きっとその青い瞳は、少年のような抑えきれない輝きを宿すだろう。
(こんな風に、大切な奴を祝うことなんて、一生ねぇと思ってたのによ。この俺の血まみれの手が、あいつのために働けるなんて。食と命を生み出す道具を、贈ってやれるだなんて)
そして。ロビンの狙い通り「デューク」は、少しはにかんだような初々しい微笑と共に、社員証の写真に収まっていた。
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