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マイナス31

マイナス31

昭和7(1932)年5月27日〜昭和8(1933)年4月

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p.130 「ゴールデンバット」
タバコの銘柄。1906年(明治39年)9月に、当時の大蔵省専売局(後の日本専売公社の前身)から発売された。現在販売されているタバコの中では日本最古の銘柄として有名で、2006年には発売100周年を迎えた。(cf. ゴールデンバット - Wikipedia)
p.131 「昭和38年の十円玉」
現在流通している10円硬貨は発行は1953年(昭和28年) からであるが、製造は1951年(昭和26年)からである。
p.132 「海軍記念日」
日の丸が掲げてあったのは祝日だったため。第二次世界大戦以前に5月27日を海軍記念日としており、休日であった。1905年(明治38年)5月27日に行われた日本海海戦を記念して制定された。1945年に敗戦とともに廃止された。(cf. 海軍記念日 - Wikipedia)。
p.133 「五・一五事件」
1932年(昭和7年)5月15日に起きた大日本帝国海軍急進派の青年将校を中心とする反乱事件。武装した海軍の青年将校たちが首相官邸に乱入し、当時の護憲運動の旗頭ともいえる犬養毅総理を暗殺した。(cf. 五・一五事件 - Wikipedia)
p.133 「もうじきオリンピック」
1932年のロサンゼルスオリンピックのこと。(cf. ロサンゼルスオリンピック (1932年) - Wikipedia)
p.133 「西中尉は必ず優勝するよ」
西竹一。ロサンゼルスオリンピック馬術競技の金メダリスト。男爵の爵位を持つことから「バロン西」の異名をもつ。1945(昭和20)年、硫黄島にて戦死。(cf. 西竹一 - Wikipedia)
p.137 「先代の羽左衛門」
歌舞伎役者、市村羽左衛門。ここでの「先代」は16代目市村羽左衛門を指すと思われる。(cf. 市村羽左衛門 (16代目) - Wikipedia)
p.141 「鮒佐」
浅草橋にある佃煮屋。創業文久二(1862)年。日本橋にも同名の店があるが、「蔵前に行ったついで」に寄るならこちら。

1 昭和7(1932)年5月28日

p.152 「ショーワ、ショーワ、ショーワノコドモヨ、ボクタチワア」
「昭和の子供」(ref. p.160)、作詞:久保田宵二、作曲:佐々木英。昭和6年にコロムビアレコードから発売。(cf. d-score 楽譜 - 昭和の子供 .... 久保田宵二/佐々木英)
p.162 「楠正成の銅像のマークがついたチューブ入りの練り歯ミガキ」
中山太陽堂(現在のクラブコスメチックス)の「クラブ歯磨き」。(cf. クラブコスメチックス - Wikipedia)

かつて発売していた歯磨き粉「クラブ歯磨」の商標は楠木正成の像(現在皇居前にあるもの)を使用していた。

p.163 「東郷元帥」
東郷平八郎。昭和9年(1934年)、87歳で死去。 (cf. 東郷平八郎 - Wikipedia)
p.165 「中山の競馬」
現在の中山競馬場。(cf. 中山競馬場 - Wikipedia)
p.169 「エンパイア・ステート・ビル」
完成は1931(昭和4)年。(cf. エンパイア・ステート・ビルディング - Wikipedia)
p.170 「三笠」
戦艦三笠。(cf. 三笠 (戦艦) - Wikipedia)
p.171 「少年倶楽部」
大日本雄辯會講談社(現:講談社)発行の月刊少年雑誌。1914年11月創刊、1962年12月に休刊。(cf. 少年倶楽部 - Wikipedia)
p.171 「斎藤五百枝」
挿絵画家。「桃太郎」の挿絵が有名。
p.172 「樺島勝一」
挿絵画家。軍艦・戦車・飛行機・動物などの、重厚で細密なペン画を提供、少年の心を強く魅了し、「船のカバシマ」などの異名を得た。(cf. 樺島勝一 - Wikipedia)
p.172 「鈴木御水」
挿絵画家。横尾忠則などもファンだったらしい。
p.176 「鉄腕アトム」
手塚治虫の漫画。初出は「アトム大使」の1951(昭和28)年。(cf. 鉄腕アトム - Wikipedia)
p.176 「のらくろ」
田河水泡の漫画。雑誌「少年倶楽部」での連載は1931年(昭和6年)1月号〜1941年(昭和16年)10月号。(cf. のらくろ - Wikipedia)
p.184 「武内宿禰」
『古事記』『日本書紀』で大和朝廷初期(景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の天皇の時期)に棟梁之臣・大臣として仕え、国政を補佐したとされる伝説的人物。
武内宿禰の百円札
今まで気にしてなかったのですが、ネットで調べられる限りでは、武内宿禰の肖像が使われた百円札の存在が確認できません。十円札ならあるみたいなのですが。

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p.187 「和光」
和光のビルが完成するのは、翌月である、昭和7(1932)年6月。(cf. 服部時計店本店落成 - 日本の時計会社の歴史)
p.187 「内務省」
旧内務省庁舎(現在の中央合同庁舎第2号館の場所)が完成するのは、昭和8(1933)年9月。隣の旧警視庁庁舎は昭和6(1931)年8月に完成。(cf. 文部科学広報−第44号−)
p.187 「日本劇場」
現在の有楽町マリオンのところにあった劇場。(cf. 日本劇場 - Wikipedia)
p.187 「三越」
三越が銀座にできるのは昭和5(1930)年。(cf. 企業情報 歴史 | 株式会社三越)「屋上に鳥かごのような骨組み」というのが、下記のページの写真で確認できます。
p.188 「五丁目側の角はエビスビヤホール」
現在の「ライオン 銀座五丁目店」の場所を示していると思われるのですが、昭和7年当時その場所にあったのは「カフェーライオン」のようです。「ヱビスビヤホール」は銀座8丁目のあたりにあったとのこと。ただし、p.266では「エビスビヤホール・ライオン」と書いているので、いくつかの呼び方があったのかもしれません。
p.188 「三愛の場所にあるキリンビヤホール」
三愛のビルができるのは昭和21(1946)年。(cf. San-ai WEB|三愛ドリームセンターの歴史)
p.189 「松屋」
松屋の銀座進出は1925(大正14)年。当時の松屋の敷地は現在のものより狭い。(ref. 伊東屋)(cf. MATSUYA---企業情報)
p.189 「東竜太郎」
第4・5代東京都知事。昭和38(1963)年時点での東京都知事。(cf. 東龍太郎 - Wikipedia)
p.193 「向かい側の十字屋」
銀座十字屋は1874(明治7)年創業。(cf. 十字屋 (楽器店) - Wikipedia)
p.194 「爆弾三勇士の歌」
(cf. 爆弾三勇士の歌 - Wikipedia)
p.194 「伊東屋」
文房具店の銀座伊東屋は、明治37(1907)年創業。現在の位置に店舗を出したのは、昭和27(1952)年。現在の松屋の建物は「第一伊東屋ビル」といい、昭和40(1965)年に新築。昭和7(1932)年当時は、昭和5(1930)年に同地に建てられた「伊東屋ビル」にて営業。つまり、昭和7(1932)年当時は、松屋の場所に伊東屋があった。昭和20(1945)年、空襲により全焼。(cf. GINZA ITO-YA)。
p.194 「鈴幸洋品店」「明治製菓売店」
旭屋書店銀座店でコリンズを買う。1930年代東京の空にはアドバルン。 - 日 用 帳 より。

明治製菓銀座売店は大正13年3月に銀座東三丁目に開店、隣の「鈴幸洋品店」の土地を吸収して増築して、昭和8年2月11月に新装開店と相成った。

つまり、この翌年には「鈴幸洋品店」はなくなってしまうようです。
p.194 「松島眼鏡店」
創業明治7(1874)年。現在の「松島眼鏡店」は「松屋」の向かいにあります。(cf. 会社概要 |  株式会社松島眼鏡店)
p.194 「三共薬局」
現在の「ブルガリタワー」の場所は、元は第一三共薬品の「三共ビル」で薬局があった。(cf. ゲンダイネット)。現在は、近くに「三共ファーマシー」という店があるみたいですが、ここは三共とは関係あるの?
p.194 「菊秀刃物店」
銀座菊秀は現在は歌舞伎座の向かいにあるようです。(cf. 京浜刃物専門店会|銀座 菊秀)
p.194 「オリンピック」
現在のティファニーがある場所。オリンピックビル、銀座館ビル/銀座2丁目 - ぼくの近代建築コレクション より。

中央通りの伊東屋(写真右)という有名な文具店は現在も変わらない。その隣は現在ではティファニー銀座本店だが、以前はオリンピックというレストランが入ったオリンピックビルだった。中央通り銀座2丁目の東側は大震災後に軒並みカフェーが立ち並んだ場所になった。北から、ロンドン、銀座劇場、銀座会館、黒猫、オリンピック、キリン、である。

p.194 「服部時計店」
この時点では和光の時計台は建築中。大正9年に銀座2丁目に仮営業所を移転。(cf. 服部時計店の変遷 - 日本の時計会社の歴史)
p.194 「安田松慶商店」
仏壇の安田松慶堂。現在は、昭和通りの近く、演舞場通りに面したところにある。
p.194 「トラヤ帽子店」
現在は二丁目にある。

銀座に出店したのは昭和5年(1930)3月31日続いて昭和6年に日本橋店、丸ビル店と出店する。昭和20年(東京大空襲)により閉店を余儀なくされる。昭和23年、銀座店を再開する、同時期に浅草店も開店。昭和35年(1960)現在の二丁目店にて営業中。

つまり、昭和38(1963)年時点の視点では「元の世界では向かい側にある」ことになる。
p.194 「金ぷら大新」
1870年ごろ(cf.天プラの全て2000)創業のてんぷら屋。現在は「ぎんざ大新ビル」がある。伊勢伊ビル、他/銀座1丁目 - ぼくの近代建築コレクション に昭和61(1986)年時の写真あり。「KINPURA」の文字が読める。現在は南麻布で営業しているらしい。(cf. News:ニュース)

名物「金ぷら」とは天ぷらの衣に卵の黄身を使用し、その色合いから名づけられました。

p.196 「第一相互館」
現在の「第一生命相互館」。昭和7(1932)年時点では、第一生命相互保険会社本社。(cf. 年表|第一生命105年の歩み|第一生命)
p.196 「浅草の十二階」
凌雲閣。通称「浅草十二階」。(cf. 凌雲閣 - Wikipedia)
p.196 「高さ70メートルの新議事堂」
現在の国会議事堂は大正9年(1920年)に着工され、17年の歳月をかけて昭和11年(1936年)11月に完成した。中央塔の実際の高さは65.45m。(cf. 議事堂建築の概要「議事堂の建築」)
p.204 「ミニチュア管からはじめて〜」
真空管の種類。(cf. 真空管 - Wikipedia)
p.205 「池田園」
現在の「銀座コージーコーナー本店」の所在地。
p.209 「33回転のレコード」
普及前のLPレコード。History overview より。

LPレコードは、SPレコードの演奏時間の短さを大幅に改良するものとして生まれたわけであるが、実は、1931年にRCAビクターが、33・1/3回転の長時間レコードを発売している。残念ながら、RCAが長時間レコードを発売した当時は、レコードの材質の悪さ、ピックアップの重量などの問題を解決できず、発売後まもなく発売中止となってしまった。

「去年、ビクターが発表」材質は「シェラック」というのも一致する。
p.212 「さくらフィルム」
現在のコニカミノルタの前身、小西六の発売していたフィルム。

3 昭和7(1932)年5月29日(日)

p.212 「鶴見の花月園」
花月園遊園地。1914(大正3)年オープン。現在は花月園競輪場。(cf. 鶴見の歴史・花月園)
p.214 「虎屋黒川の羊羹」
p.218 「相撲協会の紛争」

4 昭和7(1932)年6月6日(?)

p.225 「落語の『船徳』」
p.228 「武蔵野館」
現在の新宿武蔵野館。(cf. 新宿武蔵野館 - Wikipedia)
p.228 「武蔵野館でストライキ」
弁士によるストライキは4月から広がっていた。武蔵野館でのストライキは6月5日から。(cf. 誰か昭和を想わざる シネマは揺れる)

5 〜昭和7(1932)年6月30日

p.239 「上根岸の『笹乃雪』」
p.242 「鴻池善右衛門」
江戸時代の商家である鴻池家で代々受け継がれる名前上方落語の「鴻池の犬」、「はてなの茶碗」に鴻池善右衛門の名前が登場する。(cf. 鴻池善右衛門 - Wikipedia)
p.243 「中将湯ビル」
「中将湯」は現在の「ツムラ」が販売していた入浴剤。「中将湯ビル」と呼ばれる建物は昭和27(1952)年に完成。それ以前もビルがあったのでしょうか?(cf. ツムラ 会社案内 歴史)

6 昭和7(1932)年7月1日〜

p.248 「大洋丸」
p.251 「村岡花子」
「赤毛のアン」の翻訳者としても有名。(cf. 村岡花子 - Wikipedia)

7 昭和7(1932)年9月1日〜9月17日

p.253 「この春開場した羽田競馬場」
羽田の競馬場は1927(昭和2)年にはできていた。昭和7年は移転してリニューアルオープンした年。

8 〜昭和7(1932)年9月30日

p.265 「正睦会」
銀座の屋台の自治体。 中央区民新聞 より。

銀座煉瓦街が出来た後、銀座通の広い歩道の車道寄りに夜店が出始め、365日営業を始めました。 明治政府も暗にこの方々の更生を保護し、明治末期には銀座通の東側一帯に夜店が櫛比(しっぴ)するようになりました。自然に自治組織が出来、その名を「銀座正睦会」と称しました。 もう一つ、現在の松屋通にも夜店が出て、これは「蟹睦会(かにむつかい)」と、称しました。聞き慣れない名前ですが、銀座通の正睦会に対し、横丁にあることから“蟹の横ばい”から蟹睦会と名乗ったわけで、しゃれた名前です。

p.266 「鳩居堂」
和文具・香を扱う老舗。1880(明治13)年に銀座に東京出張所を開設。
p.266 「ユニオンビールのネオン」
p.266 「カフェー・タイガー」
p.267 「銀座の柳」
p.268 「天金」
「和光」の向かいにあったてんぷら屋。
p.268 「煉瓦亭」
創業明治28年の洋食屋。
p.268 「お多幸」
創業大正18年のおでん屋。創業時は銀座四丁目にあった。
p.268 「梅林」
創業昭和2年のとんかつ屋。
p.269 「薔薇のタンゴ」
p.272 「映画『モロッコ』」
p.271 「アマング・マイ・スーベニール」
p.274 「すし幸」
銀座寿司幸(創業明治15年)のことか?しかし、他の店は中央通りから一本裏の店ばかりなので、現在の場所とは異なる。バー「モロッコ」はここの隣。「モロッコ」は(銀座四丁目から見て)五丁目側にある。(ref. p.288)
p.275 「遊就館」
現在は靖国神社付属の軍事博物館。関東大震災後、昭和7年に再建。
p.278 「それ、翻訳出てるかしら」
小説「タイム・マシン」は1895(明治28)年。大正時代には既に翻訳されていたようす。[タイム・マシン (小説) - Wikipedia|http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%83%B3_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)]によると以下のとおり。

日本では1913年(大正2年)、『八十万年後の社会』の題名で黒岩涙香が「萬朝報」に連載。大好評を博した。涙香は連載の予告に、「荒唐無稽なる想像小説と同じからず、……今の世に住み、社会と文明との間に身を置く者は、何人といえども一読せざるべからず。」と、この奇談を紹介している。

p.282 「葵自動車商会」
p.287 「天賞堂」
天賞堂時計店。明治12年に現在の松坂屋のあたりで創業。現在の位置に移転したのは昭和21(1946)年。(cf. 天賞堂の歴史|天賞堂/Tenshodo)
p.288 「ダットサン自動車」
「ダットサン」のブランドができたのは、この年、昭和7(1932)年。「四月十五日にこの店を開店」(ref. p.291)(cf. ダットサン - Wikipedia)
p.294 「フェートン」
ダットサン・フェートン。
p.303 「水の江滝子」
p.304 「山田わか」
p.305 「水原茂」
p.305 「田中絹代」
p.312 「平凡社の江戸川乱歩全集」
昭和6(1931)年刊行開始。全13巻。

9 昭和7(1932)年10月1日〜

p.315 「リットン報告書」
リットン調査団 - Wikipediaより。

1931年(昭和6年)、南満州鉄道が爆破される柳条湖事件が発生した。翌年、関東軍は清朝最後の皇帝溥儀を執政として満州国を建国した。同年3月、中華民国の提訴により連盟からリットン卿を団長とする調査団が派遣され、3カ月にわたり満州を調査、9月に報告書(リットン報告書)を提出した。

p.317 「明治屋」
明治屋の創業は、明治18(1885)年。現在は銀座に店舗はないが、「ダンヒル」のあるビルが「明治屋銀座ビル」。
p.318 「丸善」
創業1869年の書店、出版社。本店は日本橋で明治3(1870)年開店。
p.318 「浅沼商会」
明治4(1872)年創業の写真関連用品を扱う商社。(cf. 浅沼商会 - Wikipedia)
p.318 「銀座八丁目の伴野商店」
伴野文三郎商店。写真機・映写機関連を扱っていた。
p.318 「菊水」
明治36(1903)年創業。煙草、喫煙具の専門店。
p.318 「ゲルベゾルテ」
ドイツたばこ。(cf. 廃版たばこ写真館3)
p.321 「リンゴ事件」
1933年10月22日に東京六大学野球で発生した大乱闘事件。(cf. リンゴ事件 - Wikipedia)
p.324 「白木屋」
現在の「コレド日本橋」に場所にあった百貨店。1662(寛文2年)年に日本橋に進出。
p.328 「六区」
六区映画館街。

10 昭和7(1932)年12月17日〜

p.337 「ズロースをはいてなかったんで」
「着物の裾を気にして」という通説には疑問が多い。(cf. 白木屋 (デパート) - Wikipedia)

当時の女子従業員は和服で、下着を着けていないのは珍しいことではなかったが、この時代状況をもとに「下着をつけていなかったため、裾の乱れを気にしてロープによって救助されることを躊躇した者が多く、犠牲者を増やした」という説が、その後広く信じられている。しかし、井上章一の考察(『パンツが見える。――羞恥心の現代史』)は、「記録によると、1人を除いて犠牲者は全て飛び降りや帯・避雷針などで降りようとして失敗したことによる転落死だったことに加え、多くの従業員が消防士の救助で助かっている」などと指摘し、この説は事実無根であるとして強い疑問を唱えている。

p.340 「宝丹」
守田宝丹。吐き気や二日酔いなどに効く薬。(cf. 宝丹)

11 

p.344 「羽田国際飛行場」
現在の羽田空港の前身。民間による「羽田飛行場」になったのは昭和6(1931)年。(cf. リンク集 | 羽田運輸株式会社)
p.346 「南海高島屋」
高島屋の大阪店。大正11(1922)年に移転。

12 昭和7(1932)年末〜昭和8(1933)年4月

p.360 「両国の国技館」
明治42(1909)年に完成した、旧両国国技館。日本初の大空間を有するドーム型建築物である。(cf. 国技館と共に歩んだ近代都市(前編))

関連リンク