ミュンヘン
Munich

川崎・チネチッタ4

とりあえず、上映時間が長い作品は、時間があるときに見ておかないといけない のでつぶしとく。本日は「 ミュンヘン 」。

やはりまだ話題作なので、真ん中あたりは埋まっている。一応スクリーンの内側 の席を確保。

時間まで「あおい書店」に行く。光文社文庫の「 江戸川乱歩全集 」がついに完結。伊坂幸太郎が文庫になっていたのでそれも確保。

「ミュンヘン」。1972年、ミュンヘンオリンピックに参加していたイスラエル選 手団がテロの標的となり、全員が死亡という結果となった。イスラエル政府はこ の事件の報復として、モサドの一員であったアヴナーを刺客として送り込んだ。 4人の仲間とともに、11人の標的を殺害するのが任務だ。

スピルバーグ最新作。アカデミー作品賞にノミネート。「 シンドラーのリスト 」「 アミスタッド 」以来のシリアス路線。私の中では「 プライベート・ライアン 」はエンターテイメントなので。

今回、はたして、スピルバーグが何を意図して、何を表現したかったのかという ことを考えると、一筋縄ではいかない。「アミスタッド」の時に「作っていて楽 しいものと、作るべきものがある」と言っていたスピルバーグ。当然、この作品は 「作るべき」作品のひとつだ。

彼自身はユダヤ系だ。したがって彼にとって、イスラエルとパレスチナの対立を 描くことはデリケートな問題のはずだ。事実「中東の政治問題を扱うことに抵抗 すら感じて」いたという話もある。それなのに何故この作品を撮ったのか。

事実、この作品に対する評価は、イスラエル・パレスチナの双方ともから酷評さ れているらしい。当事者としては肯定できないのは当然だろう。そのような反応 は予想できたはずだ。ということは、イスラエルとパレスチナにどうこうしてほ しいということで作ったわけではないのは明らかだ。

つまり、他の理由があるわけだ。それは何かと考えると、この作品を見終わって 最初に感じたことがその答えだと思う。それは「報復の虚しさ・無意味さ」だ。

イスラエル・パレスチナだけの問題ではなく、イラクや、そしてアメリカをも含 む、全世界に対してのメッセージ。

ラストシーン、後にそびえるのは今は無きWTCビル。ここにもスピルバーグのメッ セージが込められているような気がする。

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