第2章 準備

11月から3カ月間はフルマラソンの体力作りと走行ぺースを覚えるための期間だ。

朝5時に家を出て長男の通う中学校のグランドを借りて6〜7キロを走る、これは月150キ口(練習のノルマ)をキープするための最低条件だ。今にして思えば妻と二人だからできたかもしれない。トレーニングから朝6時半頃帰宅するが周囲はまだ真っ暗、体は汗でびっしょりだ。

1月などは雪の中を何度も走った。走って帰ると朝食はごはんでないと何か物足りない。つい腹いっぱい食べてしまう。そして、朝が早いものだから夜の10時には眠たくてしょうがない。子供達の方が遅くまで起きている。

雪の中のトレーニング

そんな折り、12月に入って左膝に激痛が走った。11月に出た5キロレースで少しおかしいなと思った左膝だったが、どうやら関節炎を起こしたらしい。この症状が休日の10キロ以上のトレーニングを少しハードにすると出るようになった。

1月からは少しぺースを落とそう。

今までの経験では関節炎になっても1ヶ月あれば治っている。それよりも怖いのはインフルエンザなどで欠場になること。早速、うがい薬を家に常備した。中国支店の管理部にも薬箱の常備をお願いする周到さ。そしてこの時期は体重のコントロールも重要だ。秋に61キロあった体重を2月には4キロぐらいは落としたい。

忘年会や正月のご馳走が恨めしい。

食事の内容は雑誌の情報が随分役に立った。靴の選定、ストレッチ、痙撃やマメを防ぐさまざまな手段、素人の私達にとっては「ランナーズ」誌の情報が頼りだ。編集長の下条由紀子女史と会えるのも、この大会の楽しみだ。

大会一週間前のレース出場は、山口県大島で行われた「サザンセト大島ロードレース」、昨年5キロを25分だったが23分台で走ることができた。妻は26分。42.195キロは何とか6時間以内で完走したいものだ。

「無理だからやめろ、やめろ」と言っていた子供達が留守番をしてくれる。両親のいない三泊四日の留守番も決して楽ではないはず。不安と期待の気持ちが収まらないまま、大会前日私達は旅立った。

しかし、そんな思いを吹き飛ばしてくれたのがここ与論の空と海だった。その日の午後3時には快晴の暖かい風の中で私達は碧い海を見ながらジョギングしていた。同じ様な仲間も大勢いる。島の人が「明日、応援するよ。その帽子だね」と嬉しい言葉をかけてくれた。会社の福祉会も会員になっている宿泊先のプリシア・リゾートはこの日ばかりはトレーナ姿のランナー達で溢れ、合宿所のような雰囲気だった。

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