第3章 大会の日


スタート前の選手達は大騒ぎだ。
浴衣で走る女の子、風林火山の旗を担いで走る学生、私達のランニングシャツのユニシスのロゴを見て、懐かしげに語しかけてくださった会社OBの佐々野さん、亡くなった方の遺影を背に張り付けている人などなど、自分の周りだけでも随分いろんな人がいる。

全都道府県から千人以上のエントリというから相当なものだ。島を挙げてのお祭り騒ぎというのもうなずける。ちなみに与論島の2月は砂糖きびの収穫期、皆さん多忙なはずなのだが精糖工場もストップさせて応援依頼が町から出ていると言う。

日曜とはいえ、異例なのだそうだ。

出走前の朝日を浴びて

さあスタートは8時00分、千人の後ろの方にいると、スタートの花火も上がったというのに、動き出すまで相当時間がかかる。やっと動き始めて、全員が歓声を上げながら走り出した。
「Let's go surfin' now、everybody's learning how Come on a safari with me」
ビーチボーイズのサーフィンサファリが流れる中、軽いステップで第一歩を踏み出した。

周囲22キロというこの島の海岸沿いをまる一周したあたりから折り返し、スタート地点まで戻る日本陸連公認コースは、アップダウンのきついことでも有名、「ここで5時間台なら、よそでは4時間台だよ」と言う人さえもいる。

空を見上げると快晴の南国の空、本部発表16.5度の気温とあって、昼にはもう10度くらい上がりそうとのこと、マラソンには少し高すぎる。
スタート直後は島の銀座通り、唯一の信号機も止まり、応援の観衆の拍手が鳴りやまない。

エンゼルフィッシュの形をしたこの島の尻尾から腹に沿って口元へ回る。プリシアの前で最初の給水だ。水は欲しくなってから補っていたのでは遅すぎる。先を見越して少しずつでも口を湿らせておく。

南国レース・ヨロンマラソンの特徴は2.5キロ毎にある給水所やエイドステーションだ。これだけあれば干上がる心配も無い。「すぐ戻るからねー。」威勢の良い声が軽く口から出る。
まだ5キロあたり

リーフの遥か彼方に沖縄の辺土岬が見える。あれは確か、たったの200ドルを持って渡った18歳の冬だった。復帰前の沖縄の人と与論の人がこの海の上で、年に一度酒を酌み交わすという話に涙してこの島を眺めたことがあった。こちらから見ると、とても大きな島だ。

7キロを過ぎたあたりで年輩のランナー達が意識的にぺースを落とし、どんどん後退していくのがわかる。私は、オーバーぺースなんだろうか? 若い人達に混じって予想以上に脚が軽く感じられる。

そう思った時、前方にとんでもない長坂が現れた。前日、コース下見のためのバスが出ていたのだが、それには参加していなかったので、初めて見る光景だ。地元の小学生が名付けたというこの「翔龍橋」は、橋といっても川の無いこの島だから、これは橋ではなくロング・アンド・ワインディングロード、しかも一気に50メートル以上は駈け上がる難所中の難所だ。上りあれば下りあり、当然帰路での足切りポイントとも言われている。周囲の人達も皆、ふうふう言いながら上っている。

上り切ったところで、広い大海原がまた目に入ってきた。みんな、まるで捜し物でもするかのように海を見つめている。昨年はここで、鯨が見えたのだ。

今年もほぼ毎日見られるとのこと。このマラソンの楽しみの一つだ。しかし、ゆっくり海を見ていることも、この急坂の下りでは無理というもの、ぺースを守ることに専念して10キロポイントヘ進んだ。

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