第3章 その2
10キロ丁度1時間、ちょっと早いかとも思いながら、隣を見れば妻もまだ頑張っている。沿道では相変わらず応援の人々が、鐘や太鼓やガードレール、家から持ち出した鍋の底をガンガンと鳴らしている。今の私にはまだ、「これで洗ってね」と使った後のスポンジを渡す余裕があった。三線をかきならす人の前では両手を上げて踊ってみせたりもした。
バナナやみかん、特産の黒糖を貰いながら20キロも2時間ジャストで通過した。
この辺りから、妻と少しずつ離れていったように思う。
走る前は何か記念になるようにと思い、例えば無線機を携帯し、マラソンをしながら「CQ,CQ」とやってみるといった計画はあったのだが、結局「ちょっと、重いか」ということで、「写ルンです」をウェストバッグに入れて走っている。
思えばマラソンを楽しんででいたのは、この辺りまでだったかもしれない。バレンタインのチョコやスポーツドリンクを、自分の手から取ってもらおうと、どんどん前に出てくる子供達を避けながらおどけていた私も、三時間経過したというのにまだ30キロにほど遠いことに気付き、急に焦りを感じ始めた。
プリシアリゾートの前
「どうしたんだろう、脚が出てこない、強く地面を蹴れない。これ以上力を入れて走ると、痙撃を起こしそうだ!」
周りにも立ち止まる人が目につくようになった。脚をもみながら辛そうな表情の人、マメができたのか靴を脱いでいる人。「妻はどうしているんだろう。折り返してすれ違ってからどれぐらい経つんだろう。
脚が上がらない」とうとう、走れなくなった。悔しいけど走れない。自分の脚が棒のようだ。止まりたくないので、歩く。
「頑張って!」の声にまた走り始める。
また歩く。また走る。
30キロで3時間20分を経過していた。まだ12キロも残っている。「翔龍橋」も待っている。
もともと初マラソンの私には、目標タイムなど無かった。無かったけれど折り返した辺りでの想像以上の快調さに、できれば5時間以内で完走したいと思っていた。苦しいことは想像していた、それを耐えるのがマラソンだと格好良く考えていた。
しかし、脚が出てこない。顔がクシャクシャになっているんだろう、励ましの声が一段と大きく聞こえる。脚全体がだるい。37キロまでの7キロを一時間、走ったり歩いたりしていた。
「あと5キロだ!?」浴衣姿の女の子に抜かれた、年輩のベテラン達がマイペースのまま私を追い抜いて行く。マラソンは自分との戦いだ、とはよく言ったものだ。何しろ誰に抜かれようと関係無い、悔しくも無い。人のことなど考えてる余裕など今の私には無いのだ。ただ、このまま走れないのは実に悔しい。ゴールは走って通り抜けたいものだ。
残り5キロを20分で走れば4時間台ではないか。「もう歩くまい。歩くわけには行かないぞ!!」
「頑張って下さい」沿道の声が背中を押してくれる。走りながら案外いろんな思いが、頭の中を駈け巡るものだ。「今まで苦しいこともいろいろあったじゃないか、このマラソンのために朝、暗いうちから走って頑張ってきたじゃないか、ここであと5キロ走り通せば、試験に合格したみたいに、自分を褒めてやることができる」、と。
ぼーっとした頭の中に白い羽根を付けた天使の自分が「やるからには5時間を切れよ」と言っているのが確かに見える。足元に「そんなことにこだわるなよ。5時間過ぎてもいいじゃないか」と笑っている黒い悪魔の自分を踏みつけながら。しかし、あと5キロにそれほどアップダウンが無いのが幸いだった。その後は歩くことなく、4時間台をキープして、おそらくすごい表情でゴールへ飛び込んだ。迎えてくれた人達の何と大勢なこと。
貰った花束を妻に渡そうと、そのまま道路にへたりこんだ。体を触るとザラザラしている。何と、塩だ。空気が乾燥しているから汗が流れる前に塩になったんだろう。そういえば、走っている最中に汗が流れることが無かった。こんな経験は初めてだ。15分も経っただろうか、アナウンスで妻の名が呼ばれている。こんなに早く帰って来るとは。共に完走できたのは、沿道の応援の人達のおかげだ。
また、走り終えた私達を盲学校の生徒さんたちがマッサージまでしてくれたり、島全体で盛り上げてくれたこの大会のおかげで私達は完走できた。