□ 幕間2 「迷い子」〜460年 3/14 夕方の出来事 □


「聞いてもらいたいことがあるんだ……」

村長との談合を終えた帰り道、セリフィアが思い詰めた様子で言った。常にないその口調に、ヴァイオラは目を眇めて傍らを歩く少年を見上げた。戦士として鍛え上げられた巨体と、無愛想なその顔を見れば大抵の人間は除けて通るに違いない。

しかし、彼女にとってはただの迷い子にすぎなかった。

 

しばらく後――川を見下ろす崖の上、村人もあまり来ないであろう草地に二人は居た。暮れなずむ薄明かりの中、柵にもたれ並んで座る。対岸の森の梢をかすめ、いくつもの鳥の群が鳴き交わしながら飛び立っていく。その光景をぼんやりと見つめ、セリフィアはおもむろに話し始めた。
「俺はハイブへの憎しみから剣を振るってきた。それ自体は今も変わらない。けど、セロ村に来てからそれだけじゃなくなってきているのも感じてた。仲間を思う感情もあるし、誰かをいたわる気持ちもないわけじゃない」

セリフィアは眉を顰め、苦しそうに胸の辺りを押さえた。
「カインが目の前で恋人を失い、ラクリマはまるで生き写しのような人間が爆死している。二人がどれだけ辛いかは想像に難くない。……だが!俺の感情を今支配しているのは二人へのいたわりでも思いやりでもなんでもなく!ハイブへの憎悪だ!」

吐き出すように半ば叫ぶ彼の目には何も映ってはいなかった。隣にいるはずのヴァイオラに語りかける体裁をとってはいるものの、いま、彼は自分自身に語りかけていた。
「村長の話を聞くまでは違ってた。少なからず二人を思ってた。けど今はどうしてもハイブへの憎悪が先にきてしまう。大事な人を失う辛さはよくわかるはずなのに。理性は二人を思いやっても感情が憎悪で埋め尽くされてしまう。

俺はこの数ヶ月間で少しは変わってきたつもりだった。けどそれは表層だけだったのかもしれない。中は憎悪の塊のままだ。自分が人なのかどうかさえ疑わしくなってきたよ……。

もしかしたら俺の血の半分は魔か何かかもしれないとさえ思えて来る」
少年は似つかわしくない、暗く自虐的な笑みを浮かべた。
「こんな本性、Gが知ったらどう思うだろうな……」

最後の方はほとんど独り言のように呟き、少年は遙か下方にある川面に視線を落とした。

 

彼の告白をヴァイオラは黙って聞いていた。一度として目を合わさないその横顔を見つめ、静かに話が終わるのを待った。

そうして、独白の最後の呟きの後、少ししてからぽつりと言った。
「一緒に泣くだけが優しさじゃない」

振り向いたセリフィアを見上げ、ヴァイオラは微かに微笑んだ。そっと片手を伸ばして手のひらで彼の目を覆う。瞬間、セリフィアの肩が揺れた。しかし振り解こうとはしない。いつのまにか、それだけ彼女を信頼するようになっていたのだろう。
(この子は感情の表し方を知らないのだ。だから歪む。撓められた枝が元に戻るように、感情の波が迸ってしまう)

ならば、少しずつ教えていけばいい。

ヴァイオラは手を当てたまま、囁きに近い柔らかい口調で尋ねた。
「……考えなくていい。感じてごらん。その怒りはどうして生まれたのか。それはどこからやってきたの」

セリフィアはしばらく黙っていた。やがて、胸の裡を覗き込むように、ぽつりぽつりと語り始めた。その口調は、まるで幼子のように覚束なげだった。
「ハイブは……ラストンを襲った。ラストンには母さんと弟が残っていた。大事な家族……。

数少ない味方……。母さんはいつも俺をかばってくれた。俺が何をしても受け入れてくれた。

魔法を使えなくても、誰かを殴っても。すべてを許して受け入れてくれた。

母さんだけが。……ハイブが!ハイブさえいなければ母さんは……」

彼の目から一筋の涙が流れた。

 

ヴァイオラはしばらく黙って泣かせていた。その激情が少し静まった頃を見計らい、濡れた頬を軽く拭ってやる。
「君は、本当に不器用なんだね」

そのまま両手で彼の頭を胸元へ抱え込んだ。置いて行かれて泣いている子供は、抱き上げて安心させてあげないといけないのだ。きっと、セリフィアも。
「ずうっと怖かったんでしょう?大好きな人がいなくなって。あんまりその事を考えると、本当にそうなってしまうと思ったのでしょう。だから目をつぶって、せっかくそれを見ないように、考えないようにしていたのに、また思い知らされた。

だから、そうしたいろんな不安や怒りを、ハイブにぶつけただけの事――」

子供をあやすような声で、ぎゅっと腕の中に抱きしめる。
「大丈夫、君は優しい良い子だよ」

セリフィアは堰を切ったように泣き出した。

 

ひとしきり声を押し殺すように泣いたあと、彼はすっと立ち上がって涙を拭った。
「ショーテスを出るとき、強くなるんだって誓ったんだ。もう誰も失わないように。

――ありがとう。もう大丈夫。今度こそ、誰も死なせない」

そう言って頭を下げた。

心なしか照れくさそうに――けれど晴々とした表情で――、柵を越えようとするセリフィアの後ろ姿を眺め、ヴァイオラはニヤリと笑った。ぽん、と彼の肩を叩く。
「強くなるなら、まず酒を飲めるようにならないとね」

そしてそのまま肩を組み、半ば引きずるように宿屋に向かって歩いて行った。

 

夕日もそろそろ落ちきる頃、宿屋の手前でふとヴァイオラは気づいた。セリフィアはいかにも泣いた後という顔をしていた。目も赤くなっている。さすがにこのままでは彼も気まずいだろう。彼女は少年を引き留めて言った。
「お子さまにはこれをあげよう」

懐からハッカ飴を取り出し、ポイとセリフィアの口に放り込む。
「それが無くなったら戻っておいで」

そう言って、さっさと一人で歩いて行く。いきなり一人取り残され、目をぱちくりしていたセリフィアを振り向き、人の悪い笑みを浮かべて言った。
「ついでに顔も洗うといいよ」

 

 

○ お笑い劇場版 ○

 

 

 

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文責:柳田久緒