2月25日(金)
サンパウロから北西に8時間。
真夜中を走ったバスが田舎町に着く。
東の空が朝焼け。
薄闇のテルミナール。
ぽつりぽつりと座った男達。
降ろした荷物の周りを子犬が歩き、とことこと去る。
「パラ・コミュニダ・ユバ?」
ローカル・バスに乗り換える。
何も無い土地にぽつんと残された。
放牧された牛がこちらを見ている。
深い赤土の上を荷物を引きずりながら弓場農場に向かう。
弓場農場は日系人によるコミュニティ。
「芸術・宗教・百姓のハーモニーが人間の求める本質的な生活」
そんな理念を持って約20家族・70名が自給自足の生活を実践している。
「御飯あるから食べて」
挨拶をすると、いきなり食事を勧められた。
使い込まれ黒いツヤが年月を感じさせる木造建築の食堂。
100人は座れるであろうか。
天井が高く、風通しの良い空間で思い思いに食事をしている。
日本食を中心にしたセルフサービスの食事。
食べたいものを食べたいだけ食べるシステム。
献立を考えて食事を作るのは女性の仕事。
1週間ごとの当番制になっているそうである。
各家に台所は無く食事はみんなで一緒に食べるのが原則。
トイレ、風呂、洗濯場も共同だ。
「ここの部屋を使って下さい」
食事時間以外は何も知らされずに部屋に残された。
何をすれば良いのだろう。
まずは農場内を歩いてみるか。
食堂の周りには赤い屋根の家々が建っている。
洗い物や洗濯をしている女性の姿がちらほらと見える。
その他に人の気配はない。
それぞれの仕事場へと散ってるのだろう。
木々に囲まれた気持ち良い空間だ。
緑と光が眩しくぶつかる。
酸素を深く吸い込みながら歩く。
開けた空間に気持ち良さそうな木造の家があった。
吸い寄せられるように中に入る。
弓場農場の資料館だった。
民族としての誇りなしに、国際社会で、真の交流は出来ない。
館長であるマサカツさんが語ったことが印象に残る。
ちょうど、ふたつの思いが自分の中で交差している時だった。
国籍にこだわらず良いものを受け入れながら変化してゆくこと。
表面的な便利さに流されず変わらずに受け継ぎ残してゆくこと。
資料館の裏には図書館もあった。
午前中は弓場農場について調べてみることにした。
日本からブラジルへの移民が始まったのは1908年のこと。
1908年6月18日、移民団を乗せた笠戸丸がサントス港に着いた。
以後、太平洋戦争を挟んで1975年までに25万人の日本人が移民している。
アメリカがハワイ・カリフォルニアへの日本人受け入れを中止したこと。
ブラジルでのコーヒー栽培が盛んになり多くの労働力を必要としたこと。
この2点がブラジルへの移民が始まった理由だ。
現在は120万人もの日系人がブラジル社会で暮らす。
弓場農場があるのはサンパウロの北西600kmに位置するアリアンサ村。
1924年、アリアンサはNGO運動によって移住者のブラジル定住を目的に開かれた。
お互いが協力しあう理想の村を目指し「共に手をとりあって」(アリアンサ)と名付けられた。
1926年、19歳の弓場勇が家族10人と共にブラジルにやって来る。
アリアンサ村の広大な原始林のエネルギーに感動。
「この大地に日本人の特徴を生かした新しい文化を創造しよう」
1933年、弓場勇をリーダーに志しを同じくする仲間たちで共同農場が創られた。
「耕し、祈り、芸術する」、弓場農場だ。
角笛が鳴る。
たっぷりと昼食をいただく。
さあ、午後だ。
自発的に動かないと、弓場農場では単なるタダ飯喰いになってしまうようだ。
「何か仕事を手伝わせて欲しいのですけど」
「じゃあ、2時くらいに、この辺にいて」
「長袖のシャツは持ってる?長靴も必要だ。軍手もいるな」
貸してもらった野良着を着る。
巨大なトラクターに引かれる荷台へと跳び乗る。
普段よりも少しだけ高くなった視線と、歩くより少しだけ速いスピードが新鮮だ。
まっすぐに射す強い光。
風景の色と輪郭が立ち上がる。
ゆるやかな丘の連なりが、濃厚な命に包まれている。
光と風のハーモニー。
夏の雲がぽかんぽかんと青空に浮かぶ。
初仕事は草集めだった。
ススキのような固く長い草が、既に機械で刈られ横たわっている。
まずは、刈られたそれを数箇所に集めるのだ。
腰をかがめ全身を使い両手いっぱいに草を抱え込む。
身長の倍ほどもある草。
えいさっと持上げ、数メートル歩く。
マックスに抱えた草は重く、歩くと足元がふらふらする。
体ごと倒れこむようにして、決められた場所に置いてゆく。
炎天下。
汗が噴き出す。
尖った草が腕や首をチクチクと刺す。
すぐに絞れるほど重くなったシャツが肌に張り付いた。
30分ほどで休憩になった。
僅かばかりのトラクターの日陰に潜り込むように座る。
ポリタンクの水を廻し飲む。
こんなにも水を美味しく感じたのは久しぶりだ。
「いやー、金子さんに煽られちゃったなあ」
普段よりもハイペースで仕事が進んだようだ。
それもそのはずだ。
自分は初めての仕事なので実際はどんなものなのか分からない。
ペース配分も分からず、久しぶりの労働の軽い興奮状態もあり、とにかく目一杯動いた。
周りの人もそれに釣られてしまったみたいだ。
しかし実際このペースで、1日中働くのは不可能だ。
「まだ働ける?」
「全然いけますよ。楽勝です」
そうは言ったものの、くたくたで、本当はあと30分動けるかどうか。
「まあ、これが、一番しんどい仕事だから」
それからは集めた草を機械で裁断する作業に移った。
この草は牛の飼料にもなるし、堆肥にもなるそうだ。
今日、集めたものは細かくして土に混ぜて、堆肥にする。
再びの炎天下。
拭っても拭っても噴き出す汗。
つぎつぎと目にも入ってくる。
もう汗を吸い取れないほどにシャツが重く濡れた。
くたくただ。
帰り道の夕焼けだ。
体は疲れたけど、気分は良い。
ベッドに倒れこんだ。
夜半すぎ、20日ぶりの恵みの雨が落ちた。