2月27日(日)


ぼんやりした意識の中で角笛が聞こえる。


ベッドから出ることが出来ず、また眠りに沈んでゆく。


はっきりと体が疲れているのが分かる。



今日は日曜日。


弓場農場も休みだ。


7時半にやっとのそのそと起き出し食堂に向かう。


いつもと比べて極端に人が少ない。


やはり日曜日には、ゆっくり寝る人が多いようだ。


それにしても体が疲れている。


一昨日着いて、ほんの少し働いただけなのに。



食後に洗濯を済ますと、またベットに横になった。


気がつくと12時だ。


体が切実に休息を求めているのが分かる。


何かに引きずり込まれるように、また寝てしまう。


こんなに眠るなんて自分でも不思議なくらいだ。



結局起きたのは午後3時。


やっと一日が始まった。


本を読んだり、写真を撮ったり、泳いだり。


やりたいことは、たくさんあったのだけど。



とりあえずカメラを片手に農場を歩く。


太陽の光を浴びる。


体も意識も目覚めてゆく。



様々な音が聞こえる。


鳥のさえずり。


牛の鳴き声。


風に乗って届く。


輪郭が柔らかなアコーディオンの音。


遠くから這ってくるバスドラの音。


楽器を鳴らし、それぞれの休日を楽しんでいるのだろう。


のんびりした空気。


放課後の学校に雰囲気が似ている。


食堂を覗くとピアノとアルトサックスのセッションが行われていた。


さすが芸術する農場だ。



平日の夜には自由参加によるコーラスの練習もある。


アトリエと呼ばれる絵画の時間があったり、


子供たちのヴァイオリン教室が行われたりもしている。


絵本を書いたり、木や石を使ったオブジェを作っている人もいる。


そういった活動が生活の中で自然に行われている。


生活に根ざした芸術。


農業も芸術も生活の中で同列だ。



弓場農場の特筆すべき芸術活動にバレエがある。


指導を行っているのは、夫婦で弓場農場の一員となった、小原明子さん。


彼女を中心に、1961年、「ユバ・バレエ団」が結成された。


裸電球の下、週3回2時間ずつの練習が開始。


農作業や家畜の世話をしていた人々がバレリーナに変身。


手作りの半野外劇場「テアトロ・ユバ」が農場内に誕生。



ブラジルの大地で生まれ土と共に生きるバレリーナ。


1974年と1991年には日本公演が13箇所で行われている。


ブラジルの日系社会などで行われる公演は750回にも及ぶ。



テアトロ・ユバでは一般に開かれたバレエ教室も行っている。


ブラジル人の子供たちがお母さんの運転する車に乗って農場にやってくる。


農作業の合い間に小さなバレリーナの練習を覗くのも楽しみのひとつだ。



この日は、テアトル・ユバにて公演が行われた。


政府から援助を受けているブラジル人によるバレエ団の公演だ。



夕食が終わると弓場の人たちによって出店が作られた。


うどんや味噌おでんなど簡単な食事の出来る店。


手作りの饅頭や味噌を売る店。


ビールを買った。



普段はトラクターが走り回る食堂前のスペースに、たくさんの車が停められた。


観光バスに乗ってやってきた一団がいたのには驚いた。


深い暗闇の所々に裸電球が灯る。


のんびりした笑顔。


おしゃべり。


祭のような華やいだ空気があった。


幕が開く。











時を忘れた。


場所を忘れた。


楽しんだ。


音楽に合わせて体を揺らしシャッターを切った。


良かったなあ。


楽しかったなあ。


ありがとう。



食堂に行くと、いつものメンバーが飲んでいた。


前衛的なバレエに早々とリタイアしたようだ。


「意味が分からない」


「何を表現したいのか分からない」


酔っ払ったヨウイチさんが同じ言葉を何度も繰り返す。



自分は表現を前にした時に意味を問わない。


表現者の意図のようなものが何となく伝わってくる場合もあるが


それよりも自分が何を感じるかが大切で、何を表現してるかなんてどうでも良い。


楽しいか、楽しくないか。


好きか、嫌いか。


感じられない自分を他者のせいにしてはいけない。



「これはどうして撮ったんですか」


「これは何を表現しているのですか」


写真展を開いた時、一枚一枚の写真を指差し説明を求められた事があった。


「見てのとおり」


何度も言いそうになった言葉を飲み込んだ。


簡単に「なぜ」と聞く者が苦手だ。


分かることよりも感じることが大切だと思っている。


表装を突き抜けて現れる内的なものに焦点を合わす時に「なぜ」という疑問は邪魔になる。


深く感じることが理解することだと思っている。