小説 その1

Vd: 1998.8.30

母のなりわい

 ランドリーから怒鳴り声が聞こえた。すぐにシャロンが飛び出してきて、そのまま走り去っていった。角を曲がりぎわに彼女が涙を拭ったように見えた。ランドリーにはシャロンが洗濯し終えた衣類が山になっている。それにズボンが一本落ちていた。ロディはそれを拾い上げると、恨めしそうにバーツを見た。バーツは頭をかき、ポケットに手を突っ込んだ。
 ロディはズボンを山の上にのせ、廊下に出た。今バーツと話すと、とげとげしくなりそうだった。彼は目でバーツをうながし、二人は並んで歩き出した。ややあって、ロディが口を開いた。
「とにかく、シャロンに謝らないと」
「――おっ、ペンチ、シャロン見なかったか?」
「見たけど、あなたたちまた何かやったの?」
向こうからやってきたペンチが逆に尋ねた。ロディは「また」にひっかかったが、あえてそれにこだわりはしなかった。
「たっ、大したことじゃないさ。で……」
「きっとあたしたちの部屋よ。でもノックは忘れちゃダメよ」
「わかってるよ」と答えてロディがまず駆け出し、バーツも続いた。バーツが首を曲げて後ろを見ると、ペンチはランドリーに入るところだった。どうやら彼女ははっきりと気づいてはいないらしかった。
 ブリッジの手前で右に折れ、シャロンたちの部屋が近づくと、自然と足取りが遅くなった。自分たちの足音が耳についた。二人はドアの前でしり込みした。ちょっと視線を交わしてから、ロディがノックした。もう一度。さらに中に呼びかける。バーツは構わずスイッチを押した。
 ドアが開いて、最初に目に入ったのはシャロンの背中だった。彼女は部屋の真ん中に突っ立っていた。手を握りしめて。二人は中に入ったが、ロディには、自分たちのと同じはずの部屋がやけに狭いように感じられた。そして彼女の肩が小さく震えているのにすぐに気づいた。
「シャロン……」
ロディは何と続けるか迷った。バーツがやおら切り出した。手はポケットから出していた。
「すまん、俺たちが悪かった。おまえには嫌なことを言っちまって……謝る、この通りだ」
そう言うと、彼は頭を下げた。ロディもそれにならう。
「ごめん、シャロン。馬鹿だったよ、あんなこと聞いたりして」
「――もういいよ」
声が震えていた。バーツは唇を噛んだ。ロディは横目で彼の方をちらっと見た。バーツは、ロディ同様、下を向いたままだ。ロディは姿勢を戻して、思い切って言ってみた。彼女の背中に向かって。
「いや、よくない。教えてくれ、どうしたら君の気がすむんだ?」
「土下座でもなんでもするぞ」
「ほっといてくれって言ってんだ!」
絞り出すように叫んだその声に、二人はただ出ていくしかなかった。バーツはドアを閉めるときにもう一言謝ろうとして口をつぐんだ。シャロンは背を向けたままだった。
 二人はシャロンを怒らせる気はなかった。別にからかうつもりではなかった(今となっては自信を持てないが)。半分は単なる興味だった。もう半分の下心は「男なんてどいつも」と見透かされていた――よく考えれば当たり前だ。バーツは、またロディも結局、「おふくろ」について話すときの口ぶりで、彼女を甘く見ていた。スコットのエロ本事件の彼女を見て、たかをくくっていた。だからさっき彼女に話しかけたときも、そういうにやけた調子だった。いかにもあけすけな聞き方だった。そして、振りかえった彼女の顔がみるみる赤くなった。耳たぶまで赤く染まった。シャロンのあんな剣幕を見るのは初めてだった。あんな顔も、あんな目も、あんな声も。二人とも一言も言い返せなかった。最後のほうは涙声になっていた。彼女が手に持っていたズボンが力任せに床に投げつけられ……。

 結局午後じゅうシャロンの顔は見ずじまいだった。この件はみんなには、とくに女の子たちには、とても明かせなかった。二人はRVの整備で気を紛らせようとしたが、できなかった。何か話すとすぐこのことになりそうだった。だいいち、バイファムもネオファムもちょっと前に整備したばかりだった。ロディは、いっそ敵が来ればとさえ念じた。バーツは、「てめえがやっちまったことだから」となかばあきらめていた。二人はなるべくみんなと顔をあわせないようにして、そのまま夕食どきをむかえた。
 ロディはわざとゆっくり食堂に近づき、中の様子をうかがってみた。バーツは実はもう観念して腹をくくっていた。しかしロディの気持ちも分かるので彼につきあっている。食堂からはいつものざわめきが聞こえてきた。二人はそのまま中に入った。シャロンはいない。二人とも一瞬ほっとしたが、次の瞬間思わず足が止まった。みんなの顔がこちらを向いたからだが、彼らは何気なく見やっただけだった。みんなまだ何も知らないようだ。
 食堂の中は今日もにぎやかだ。ジミーはもうナイフとフォークを持っている。ケンツはマキに催促している。フレッドとペンチはノートをひろげておしゃべりしている。カチュアは手を洗っている。マルロとルチーナはおとなしく座っていられなかった。スコットはみんなの様子を眺めて満足そうな顔をしていた。そんなみんなと一緒にここにいるのが後ろめたかった。本当ならマキとクレアの料理を楽しめるはずだった。食事の支度はそろそろできていた。クレアがみんなに呼びかけた。
「シャロン遅いね」とフレッドが言ったのが耳に入った。
「あいつ、来ないかもしれないな」
マキにトレーを渡されながらバーツはつぶやいた。ロディも自分の分を受け取る。確かにありそうなことだ。そうなったら、とみんなに白状するときのことを考える。ため息がもれる。
「……まずいことになったよな」
マキが「まずい」を聞きとがめたのに急いで訂正した。バーツはトレーに目を落とした。今夜は魚だ。
「飯も食えないってなると、相当深刻だぜ。……今からもっぺん行ってみるか?」
「おー、今夜のメシはなんだー?」
とっさに声のほうに振り向いた。そこに立っているのはまさしくシャロンだ。二人は顔を見あわせた。二人のスープが少しこぼれていた。シャロンは二人のほうには目もくれず、涼しい顔をしていた。二人はとりあえず席に着こうとして、サラダを取り忘れているのをクレアに注意された。やがて全員席につき、ペンチが食前のお祈りを始めた。食堂は静かになった。そしてスコットがいただきますを言った。
 シャロンの目がこちらを見たので、視線がばっちりあってしまった。二人はあわてて目を伏せ、また食事をつっつき始めた。タラの身がくずれている。
「オッ、おめーら珍しく腹が減ってないみたいだな。ちゃんと食わなきゃダメだぜ。いっちょまえの男なんだろ」
何気ないような最後の言葉に、二人は縮こまるばかりだった。そんな二人をよそに、シャロンはもう食事をたいらげていた。彼女はごちそうさまを言うと、食器を始末してさっさと出ていった。爪楊枝で歯をせせるのをクレアにたしなめられるのも普段どおりだ。なにも彼女が食べるのがはやいのではない。ケンツもジミーもあらかた食べ終えている(二人ともおかわりしていた)。スコットはコーヒーをすすっている。ロディはパンの残りをほおばり、スープでそれをのどに押し込んだ。バーツが立ち上がった。ロディも席をたつ。クレアとマキの視線を感じていたので、二人ともそそくさと食べ残しと食器を片づけた。二人は周歩廊の暗がりに出た。
 ほっと一息つき、シャロンを追いかけようとする二人を呼び止めたのはペンチだった。彼女は二人の前に回り込んだ。
「あなたたち、シャロンによほどひどいことを言ったんでしょう」
やはりそうきた。しかし二人には彼女の表情はうかがえなかった。それで二人とも黙っていたので、ペンチはそのまま続けた。
「あたし、びっくりしちゃった。あのあと部屋に入ったら、いきなりシャロンに抱きつかれたんだもん。シャロンったらあたしにすがりついて、ずいぶん長いこと泣きじゃくっていたのよ。彼女、みんなの前では平気な顔してるけど、二人ともちゃんと謝んなさいね」
「とっくに謝ったよ」
「そうさ、君が部屋に戻る前にね」
「それで、なんて言ったの?」
「えっ? それはもちろん、嫌なことを聞いてすまなかった、って……」
「あら、それじゃダメよ。いい? シャロンは自分よりも、お母さまのことで謝ってほしいんじゃないかしら。シャロンはね、泣いている間ずっと、おふくろ、おふくろ、って何度も言ってたんだから。きっととてもいいかたなのね、シャロンのお母さまって」
 あの時のシャロンの声がぽっと浮かんできた。おふくろをバカにすんな。おふくろはオレをちゃんと食わしてんだ。おふくろの仕事に文句あんのか……。
 今度は二人がペンチに抱きつく番だった。あやうく抱きつきかけてもう一度はっと気づいた。バーツは、もしかしたら自分よりシャロンの方がよほど大人びているということを。ロディは、自分の知らなかったシャロンをまたかいま見てしまったことを。そして二人とも照れくさかった。かわりに声をそろえて大きく、サンキュ、ありがとう、と言うと、二人は駆け出した。さっきよりはずっと軽い足取りで。「あたしがしゃべったってシャロンには内緒よ」とペンチの声が追いかけてきた。

うだうだ

こんなショート・ショートというと聞こえがいいが、実際はただの小説の切れっぱしを最後まで読んで下さったかた、ありがとうございます。自分で言うのも何ですが、はっきり言って面白くない、つまらないです。それにたかがこの程度のことでこういうことを言うのも、何を知ったふうな口を、というそしりを受けそうですが、物語を創作するってつくづく難しいです。
結局二人が何を言ってシャロンを泣かせたのか分からないって? タイトルと最後近くのペンチとのやりとりからある程度は察しがつくと思います。 本当ははじめ、そこのやりとりを冒頭にあてていたのですが、それだとあまりにどぎついのと、話があまりにありきたりになってしまうので、こういう形にしました(それでもオチがまだいまいちなんですが)。多少独りよがりだったかも知れません。あとはこうすれば最後まで読んでくれるだろうという打算もあったりして……どうしても知りたければ「バイファム」第38話感想を読めばばっちり分かるでしょう。実はこの話はそのときにふっと思いついたものです。でも違うことを考えたかたは、それはそれでいいと思います。よかったらそれをメールで教えて下さい。
そうしてみると、実にいやな話ですね。ロディもバーツもこんなひどいことを言う二人ではない、と思うかたもいるでしょう。でも一人では言えなくても、二人だと言えてしまうことってあると思います。「周歩廊」は本来全然別のものですが、ここでは例の遊歩道のことです。
どうもバーツがよりヤなやつになってしまったのと、二人の心情の差があまり明確にならなかったのが心残りです。

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