ヒゲよさらば〜短所篇

「ヒゲよさらば」、第四回 (初出 2002/9/27)

「ヒゲが濃いこと」の短所とは一体何であろうか。
以下に列挙してみよう。

短所@モテナイ
ヒゲが濃いとモテナイ。
これはもうあまり多弁を要さないのではないだろうか。
実際私がモテナイということが、最もわかりやすくて説得力のある証拠であろう。
人には誰しも欠点があるが、私にはそれがほとんどない。
強いて挙げれば仕事ができない(というより仕事してない)、お金がない、足が短い、やる気がない、病弱(特にお腹が弱い)、意志が弱い、男らしくない、面白くもない、スケベ、ケチ等々くらいのもので、数え上げても数百にも満たないのだ。
その私がモテナイのは、どう考えてもヒゲのせいとしか考えられないのである。
もし私のヒゲが濃くなかったら、十中八九ジャニーズに入り(TOKIOのリーダーのキャラポジション希望)、女の子にキャーキャー言われてたはずである(キャーキャー言う理由はさておいて)。

ヒゲが濃いが故にモテナイというこの事実は、モテタクナイと思っているごく一部の男を除き、基本的にモテタイと思っている男にとってはデメリット以外のなにものでもないのである。


「ヒゲよさらば」、第五回 (初出 2002/9/30)

短所Aめんどくさい
いつめんどくさいのか?
そう、それは勿論ヒゲを剃るときである。

ヒゲの濃さはいくつかの要素に分けられる。
1.ヒゲの本数が多い
2.ヒゲ自体太い
3.ヒゲが生えている部分の面積が広い
4.ヒゲが伸びるのがはやい
等々。
実際にはこれらの要素が複雑に絡み合って「ヒゲの濃さ」を現出させるわけであるが、「めんどくさい」という短所は、まさにこれら全てのベクトルに関わってくる。

ヒゲの本数が多かったり(1番目の要素)生えている部分の面積が広い(3番目)と、剃るときに余計に手間がかかる。
また、1本1本が太い(2番目)と、余計に力を必要とする。
特に肌が弱い場合には、余計に力をかけた結果、かみそり負けする(私の場合、よくかみそりがヒゲ負けする)こともあり、出血のリスクも背負わなければならない。
まさに命がけの作業になるのだ。
だからこそ男たちは、古来よりヒゲを剃る前には必ず神に祈りを捧げ、安全にヒゲソリを終えられるように祈願した。
「かみそり」の「かみ」は、「神」に由来するという説の根拠ともなっている(民明書房刊、『男とヒゲとふんどしと』第四版より)。

しかし最もめんどくささに拍車をかけるのは4番目の要素、「ヒゲが伸びるのがはやい」ということである。


「ヒゲよさらば」、第六回 (初出 2002/10/1)

「ヒゲが伸びるのがはやい」ということと、「ヒゲを剃るときのめんどくささ」の関係は一体どのようなものだろうか。
本論からは少し剃れる、もとい、逸れるのではあるが、この問題について多少の考察を加えてみたい。

まず、なぜヒゲが伸びるのがはやいとヒゲを剃るのがめんどくさくなるのか。
答えは簡単である。
「剃らなければならない回数が増えるから」である。

例えば、仮に1日1回ヒゲを剃ればなんとかギリギリ大丈夫(見た目などに関して、社会的生活の中での常識的な観点において)な人・Aがいたとする。
Aの2倍のはやさでヒゲが伸びる人・Bがいたとすると、Bは1日2回剃らなければならないであろう。
実際タレントの小倉久寛は1日2回ヒゲを剃るらしいが、彼は、ヒゲの伸びるスピードがはやいがために、1日2回のヒゲソリを余儀なくさせられているのである。

ヒゲが伸びるのがはやいと剃るのがめんどくさくなるということは、これでわかってもらえたと思う。
しかしこれだけでは「ヒゲが伸びるのがはやい」という要素が他の3つの要素よりも強くめんどくささを助長するという、前回の主張の説明にはならないだろう。
また、今回の冒頭で述べた「はやさ」と「めんどくささ」の関係も解明されていない。
スペースの関係上、これらの説明は次回に譲りたい。


「ヒゲよさらば」、第七回 (初出 2002/10/3)

今回は、前回の予告通り、「ヒゲの伸びのはやさ」と「ヒゲを剃るときのめんどくささ」の関係、及び「伸びのはやさ」が最もめんどくささを助長するという事実を明らかにしてみたい。

ここでは「ヒゲを剃る仕事量」を仮にHと置き、Hを求める数式を提示することによって客観的考察を試みることにしよう。
このとき、Hが大きければ大きいほど「めんどくささ」は増すことになる。

前々回で述べたが、「めんどくささ」には「伸びのはやさ」以外にも、「本数の多さ」「太さ」「生えている面積」が関わってくる。
そこでヒゲの本数をn、太さをt、面積の広さをa、伸びるスピードをsと置く。
nとaが増加する(本数と面積が増加することと同じ)とヒゲを剃る時間が延びるし、tが増加する(太さが増加する)と、ヒゲを剃るのに必要な力がより大きくなる(前々回で述べた通り)。
また、sが増加する(伸びるスピードが増加する)と、ヒゲを剃る頻度が増すことになる(前回述べた通り)。
つまりどの係数が増加してもヒゲを剃る仕事量Hは増えるので、単純に考えてHは、
H = n・t・a・s ・・・(1)
と表されるであろう。

ただしこれだと伸びのスピードsが最もめんどくささを助長しているという事実は認められない。
しかし(1)の式には欠如している要素がある。
それは・・・


「ヒゲよさらば」、第八回 (初出 2002/10/5)

それは「ヒゲソリに付随する作業・仕事量」である。

あなたは「さぁヒゲ剃ろう」と思い立ってすぐに、一瞬の間もおかずにヒゲを剃るだろうか。
そうではないだろう。
まずはヒゲを剃る場所(洗面台のあるところとか)に移動しないといけない。
また、T字カミソリで剃る場合は、シェービングフォームなりジェルなりを剃部に塗布する必要があるだろう。

ちなみに私の場合、T字でないと剃り残るが、最初からT字で剃るにはヒゲの抵抗が大きすぎるので、まず電気カミソリで均してからT字で剃る。
つまり電気とT字で、計2度剃るのである。
往年のテレビ番組『クイズダービー』で、解答者の篠沢教授がただでさえ高倍率なのに「倍率ドン。さらに倍」とされて20倍の超高倍率になるようなものである。
私へのヒゲソリ負荷がいかに大きいかが読者にも想像できるかと思う。
ちなみのちなみに同番組にゲスト解答者で出演したガッツ石松は、問題の答えを書く欄に「はらたいらに2000点」と書いたという。
真偽のほどは定かではないが、今も伝説として語り継がれている。

閑話休題。
とにかくヒゲソリには上で述べたような準備(移動やシェービングフォームを塗る、など)が必要である。
さらに剃った後には顔に残ったヒゲくずを洗い流したり、剃り跡に天花粉をまぶしたり、鏡の前で「う〜ん、マンダム」(古すぎるか)と言ってみたりしないといけない。
このように、ヒゲを剃るときには、純粋にヒゲを剃る作業以外にも、それに付随する様々な作業を行わなければならない。
この作業が前回の(1)の式では考慮されていないのである。

ではそれを勘定にいれると、「ヒゲを剃る仕事量」=Hはどのように表されるであろうか。


「ヒゲよさらば」、第九回 (初出 2002/10/9)

(1)の式で表される「ヒゲを剃る仕事量」=Hは、「純粋にヒゲを剃る作業のみの仕事量」であった。
「ヒゲソリに付随する作業・仕事量」を(1)の式に組みこみ、Hを「総合的なヒゲを剃る仕事量」とするとどうなるであろうか。

「ヒゲソリに付随する作業・仕事量」をhと置くと、Hは(1)を踏まえて次のように表されると考えられそうである。
H = h + n・t・a・s ・・・(2)

しかし(2)もまた正確ではない。
思い出していただきたいのは、sがヒゲの伸びのスピードであり、ヒゲソリの作業量に対しては「頻度」に関して作用するということである。
つまりsは「ヒゲソリの回数を増やす係数」であった。
sが2倍になれば、ヒゲソリの回数も2倍になるのである。
ここで、sが「ヒゲソリに付随する作業・仕事量」=hにも作用することは自明である。
具体的に考えてもすぐにわかるであろう。
例えばシェービングジェルを塗るという作業は、ヒゲの太さや本数に関係なく(全くというわけではないが、全体の作業量と相対化すると無視できるくらいの差異しか産まない)、ヒゲを剃る度に行われる。
2回ヒゲを剃るとすれば2回シェービングジェルを塗らなければならないのだ。

以上を鑑みるとHは次の式によって表される。
H = s ・( h + n・t・a ) ・・・(3)
ヒゲの伸びのスピードs(=剃らなければならない頻度)は、ヒゲソリそれ自体のみならず、それに付随する作業にも影響することがわかるだろう。
よって、4番目として挙げた「ヒゲが伸びるのがはやい」という要素が、最もヒゲ剃りの作業量を増やすファクターとなるのである。

これで前々々回からの課題であった「伸びのはやさ」と「めんどくささ」の関係は解明された。
「伸びのはやさ」が「めんどくささ」に最も寄与するものであるということも証明された。
・・・・かなり疲れたので、そろそろ3番目、次の欠点に移りたい。


「ヒゲよさらば」、第十回 (初出 2002/10/19)

短所Bチクチクする
ヒゲが濃いと、剃ったあともすぐにチクチクするようになる。
それで何が困るのかというと、愛しのあのコに「ほおずりできない」のが困る。
ほおずりの対象は彼女とは限らない。
子どもがいればその子どもにもほおずりできないし、ホモセクシャルであれば彼氏にもほおずりできない。

ほおずりくらいで何を、という御仁もいらっしゃるだろう。
だがしかし、実はかなり重要な愛情表現なのである。
私は今の彼女と付き合って7年以上になるが、ヒゲのせいでほとんどほおずりをしたことがない。
最近二人の間にケンカが多いのは、おそらくそのせいであろう。
「ほおずりしていないストレス」が、お互いに7年の間蓄積されてきているのである。
男性読者のなかで、彼女がいて且つヒゲが濃くない人は、今日からでもコツコツほおずりしていった方がいい、と老婆心ながらアドバイスしておく。

推測の域を出ないが、ヒゲが濃い→ほおずりができない→離婚、もしくは別離、という夫婦・カップルもかなりの数に上るであろう。
たかがヒゲ、と馬鹿にできない。
「チクチク」は、今まで挙げた短所のなかでも特に恐るべき点ではないだろうか。


「ヒゲよさらば」、第十一回 (初出 2002/10/22)

短所Cだらしなく見える
「不精髭(ぶしょうひげ)」という言葉がある。
「不精髭」は、辞書によれば「のびてもかまわずにそらないでいるひげ」とある(三省堂国語辞典・第四版・・・会社の先輩にもらったやつ・・・より)。
簡単に言えば「だらしないヤツが、だらしなく伸ばしているヒゲ」といったところだろうか。
私はよく「また不精ヒゲはやしてー」などと言われる、というか罵られる、というか嘲り笑われることがあるが、これはほとんどの場合、誤解である。

「不精ヒゲ」の定義通り「そらないでいる」わけではないのだ。
「そっている」にも拘らず、伸びるのがはやいせいで「そっていない」と誤解されているのである。
しかもヒゲが濃いだけに、常人よりも手間をかけて、一所懸命ヒゲをそっているにも拘らず、である。
それで「不精ヒゲ云々」と罵倒されるのは、かなり不当であると言える。

私が言いたいことは、ヒゲが濃い人は日常ちゃんとヒゲを剃っていても、不精ヒゲをはやしていると思われ、だらしない人と思われるということである。
かく言う私も決してだらしない人間ではない。
最低1ヶ月に1回はヒゲを剃っているし、あごひげがヘソにつく前には必ず剃っている(ウソではない)。
意外にマメなのだ。
それでも「不精ヒゲ」と言われ、だらしない人間と思われているのは、心外である。

ちなみに「泥棒ヒゲ」という言葉もあるが、あれも失礼な話である。
この言葉のせいで「泥棒にはヒゲ」という固定観念が定着しているのではなかろうか。
ヒゲが薄い泥棒がかわいそうである。
泥棒界にはヒゲが薄いがために周りからいじめられている泥棒もいるであろう。
全く関係ないが、もし「ヒゲ泥棒」というのがいれば、是非とも私のヒゲを盗んでいって欲しいものである。


「ヒゲよさらば」、第十二回 (初出 2002/10/30)

これまでヒゲが濃いことの短所を列挙してきたわけであるが、そろそろ長所の方に移りたいと思う。
しかしその前に、どういう短所を挙げてきたかを整理してみたい。
そうすることによって、これから挙げる長所との比較がより容易になるであろう。

私が挙げた短所は四点である。
すなわち、
@モテナイ
Aめんどくさい
Bチクチクする
Cだらしなく見える
であった。

特に「Aめんどくさい」の件では、少し横道に逸れて「ヒゲを剃ることのめんどくささ」と「ヒゲが濃いということ」の関係を、(無駄に)数式まで用いて解明した。
ヒゲが濃いことの短所の考察からはかけ離れたものであったことは否めないが、しかしまたヒゲに関する一考察としての価値は高かったと自負している。
そして、面白さを度外視してとにもかくにも突っ走って書き上げた私自身に拍手を送りたい。

さて、既に述べた通り、私はヒゲに対してポジティブでありたい。
それ故に長所を後述するのであり、私がヒゲにポジであり続けられるかどうかは、長所に関する考察の如何にかかっていると言っても過言ではないと言っても言いすぎではないと言っても決して大袈裟ではない。
果たしてこれから挙げる「ヒゲが濃いことの長所」は、上の4つの短所を凌駕することができるのだろうか。

次回は長所の一つ目を挙げて、それについて考えてみよう。

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