コラム・日々是牧歌的 過去ログ(2004年7月)
314.
やっとかめの更新
.
. . 2004/07/05 (Mon) 22:37:31
実に三週間ぶりぐらいの更新です。
いろいろとありまして。
先週金曜日に祖母が亡くなりました。
お通夜とお葬式で、土曜日から今日・月曜日まで、実家の大阪に帰っていました。
あまり辛気臭い話をするつもりもありませんが。
人はいずれ死にます。
普段は意識しませんがね。
もちろん私も死ぬわけです。
一秒一秒死に向かってるわけです。
なのに・・・何やってるんでしょうか、私は。
もっと真面目に生きよう、とか思うのでした(明日には忘れてるでしょうけど)。
それと、私が死んでも葬式なんかはして欲しくないなぁ、って思います。
お金もかかるだろうし、いろんな人に来てもらうのも悪いですしね。
だから遺言します。
私が死んでもお通夜もお葬式もいらん、と。
もし何かやりたければ、式でかかりそうな費用分のお金で居酒屋かどっか行って飲んで騒いでくれ、と。
それに墓もいらん、太平洋にでも散骨してくれ、と。
ところで、実家帰って自分の部屋を整理してると、大学時代の私のエッセイもどきの文章が見つかりました。
学祭においてサークルで配布したものです。
次回以降で転載していこうかなぁとか思います。
すっごく恥ずかしいモノなんですけどね。
恥ずかしいけど、ここでのネタにはしばらくは困らない・・・などと打算的なことを考えるのでありました。
315.
W近道
.
. . 2004/07/07 (Wed) 01:47:58
前回予告した「エッセイもどき」の文章、今テキストに落としてみました。
しかし・・・内容も文章もちょっと・・・
いけてません。
ここに出すのを迷ってしまいますが、せっかくタイプしたので転載したいと思います。
初出は私がW大にいたときに、学祭において私のサークルで配布した冊子『'94
W近道』です(歳がバレるな・・・)。
私のサークルでは学祭で「受験相談」のブースを設けて一回500円で相談を受けていたんですが、『W近道』はそこで相談に来た人たちに配られたもの。
つまり、受験生用に書かれたもので、他の人たちは受験のテクニックやら役に立つ参考書やらを紹介してるんですが、私は何を勘違いしてたのか、単なる自分の足跡を辿っていくようなエッセイを書いたのでした。
まぁ内容は読んでいただければわかるでしょう・・・
後ほど自ら評価しますが、とりあえずは次回から転載していきます。
いや、しかしまだちょっと迷いが・・・
316.
W大学物語 〜読まずは二度死ね!(その一)
.
. . 2004/07/09 (Fri) 21:24:10
いわゆる受験勉強を始めたのは高校二年の秋ぐらいからだった。
受験勉強といっても一日一時間程しかしなかった。
それまでテストの前日以外に机に向かったことが一分もなかった僕にとっては大進歩だった。
実は夏休みから勉強するつもりだったのだが、恋愛のことで悩んでいた僕は、ほとんど勉強しなかったのだ。
冬になり、修学旅行を終えると、周りは一斉に勉強しだす。
先生も「修学旅行が終わったらすぐ勉強せんと、大学受験に間に合わん」と、口酸っぱく言うようになる。
私立専願を決めたのもこの頃だった。
それまでは神戸大ぐらいの国公立をただ漠然と目指していた。
しかし数学がめっちゃ嫌いで、大の苦手だったので、スパッと諦めたのだった(この辺に筆者の人生観が表れている)。
理数がなくなって、英国社しか勉強しなくてもいいとなると、結構やる気がでてくるもので、勉強時間も少しずつ増えていった。
しかし、順調にいくかに見えた僕の受験勉強も、まさかの失恋で再び暗礁に乗り上げた。
この精神的ダメージは殊の外大きく、三学期には一時的に復活するも、春休みは勉強時間ゼロというダメ人間生活を送ることになる。
(つづく)
317.
W大学物語 〜読まずは二度死ね!(その二)
.
. . 2004/07/12 (Mon) 21:40:34
そんな僕も高三になって新学期が始まる頃には完全に立ち直った。
それからは勉強もそこそこしたし、模試の成績もなかなか良かった。
「ひょっとしたらW大に受かるかも」とも思った。
そして受験。受けた大学は、W大(政経・商・教育・一文)、K大(文・商)、D大(経・商・文)、KG大(経・商・文)、Y市立大(商)。
友達から「多すぎる」と言われたが、とにかく浪人だけはしたくなかったのだ。
毎日勉強するような性格じゃなかったし、どこでもいいから大学に入って遊びたかった。
そして文学部が第一志望だった。
心理学がやりたかったのだ。
別に心理学者になってテレビに出たいとか、女性心理を勉強して将来テクニシャンになって隙あらばオッパイのひとつでも揉んでやろうとか、そういうことではなく、純粋にカウンセラーになりたいと当時は思っていた。
(つづく)
318.
W大学物語 〜読まずは二度死ね!(その三)
.
. . 2004/07/15 (Thu) 20:47:21
結局D大(経・商)、KG大(経・文)、Y市立大(商)に合格。
あとは落ちた。
W大に行きたくはあったが、絶対に浪人したくなかったし、「まあ別にD大でもええか」と思い(この辺に筆者の人間性が窺える)、合格した中で一番ラクそうだったD大学商学部に入学した。
D大に入ってからは、それまでやりたいと思っていたことをやりたいだけやった。
一人暮らしもしたし、音楽もサークルに入って積極的に活動した。
そして恋愛もした。
楽しいが何か足りないと思っていた僕は六月の半ばには大学をやめる決心をするのだが、その十日ぐらい前にその人と出会った。
(つづく)
319.
W大学物語 〜読まずは二度死ね!(その四)
.
. . 2004/07/18 (Sun) 22:20:04
彼女は文学部の二回生(関西では一年生、二年生と呼ばず、一回生、二回生と呼ぶ)で、一つ年上の人だった。
関東出身の彼女は、コテコテの関西人の自分にとって新鮮に思えた。スタイルも良かった。
結局僕は六月下旬から大学へ行かず、本格的に勉強を始めた。
七月に彼女から電話があった。
二人で会った。
飲みに行った。
その日から彼女のことが気になって、勉強が疎かになっていった。
しかし、漫画『BOYS BE・・・』に出てくるような純情・純粋なガキの僕に、百戦錬磨の、あまつさえひとつ年上の彼女を落とせるわけがなかった。
結局フラれた。
次の日から勉強しなくなった。
寝たい時に寝、起きたい時に起き、食べたい時に食べ、再放送の『予備校ブギ』を毎日見る、というウンコちゃんのような生活を送っていた。
結局八月中の勉強時間は0分。
こりゃヤバイ、と九月から難波にある予備校に通う。
しかし、大阪の片田舎に住んでいた僕には、難波は恰好の遊び場なのであった。
友達に誘われるままにゲーセンやカラオケに行くようになった。
それにしても浪人生活があんなに楽しいものだとは思わなかった。
D大にいた時より楽しかった。
(つづく)
320.
W大学物語 〜読まずは二度死ね!(その五)
.
. . 2004/07/21 (Wed) 19:39:48
しかし九月の模試では、八月に全然勉強しなかったにも拘らず、クラスでトップ・校内四位という快挙を成し遂げたのだった。
「なんや、やっぱりワシ天才やんけ」、そう思ってからは勉強するようになった(といっても、それからもよく遊んだが)。
そして再び受験。
W大(政経・法・商・教育・一文)、K大(文・商)を受ける。
どうしてもW大に行きたかったし、D大を辞めた以上、受からなければならなかった。
K大は受けただけで行く気はなかった。
W大の前の肩慣らしというところか。
K大しか合格しなければ、二浪することを決めていた。
結果、W大(一文)以外全て合格。
あまり勉強していたとは言えない僕に対して「そんなんでええんか!!」とツッコんだ読者達よ。
君達は間違っている。
勉強のしかたは人それぞれなのだ。
コツコツやれる性格の人なら、コツコツやれば一番いいだろう。
僕はそういう性格ではないので、短期間に集中し、工夫して勉強した、ただそれだけのことなのだ。
性格というものは、そう簡単に変えられるものじゃないし、変えるべきでない。
また、受験は単なる努力の総計で決まるものではない。
実力の差と、ちょっとした運で決まるのだ。
それを肝に銘じて、自分の性格にあった受験方法を確立し、そのうえで努力すべきなのである。
(了)
321.
W大学物語について(その一)
.
. . 2004/07/25 (Sun) 09:01:19
自分で書いたエッセイ(もどき)ですが、これに対してひとこと言わせてください。
「何様のつもり?」、と。
最後が随分とエラそうです。
第一志望に合格して天狗になっていたんでしょうか。
いや、そうでもなかったと思います。
現役で合格したわけでもないし、最高峰の大学に合格したわけでもないし。
そもそも私は12歳の頃から異常にひねくれていて、かつ大槻ケンヂの影響もあって、キレイごとを言うのには抵抗があったんですよ。
特に「努力すれば合格できる」とか、「とにかく頑張れ」とか、大っ嫌いなコトバでした。
そういうのは私が書かなくても他のやつらが書いてくれるだろうという計算の元、一人個性的なものがあってもいいだろうということで書いたんだと思います(多分)。
うわー、まだ書きたりないので次回続き。
(つづく)
322.
W大学物語について(その二)
.
. . 2004/07/26 (Mon) 00:28:10
しかしまぁ十年前とはいえ、かなり恥ずかしいものですな。
一部括弧の使い方や、どうしてもおかしいところは修正してます。
文章そのものは、直したいところはいっぱいありますが、基本的にはいじってません。
自分の恋愛についても触れてたりして。
「関東出身の一つ年上の人」とは、今は勿論連絡を取ってはいませんが、その人の実家からそんなに遠くないところに私は現在住んでいます。
なんだかちょっぴり切ないですね。
後日談を語ると、大学1年の時これ書いたあとすぐに、もう一回その人と会ってます、なんだか間抜けな話ですけど。
しかももう一回フラれたりして。
若いっていいですよね(苦笑)。
恥をさらしついでに言うと、この頃まではほんとにもてませんでした。
何度も何度もフラれる、ってことを繰り返してました。
この次の年、つまり大学2年の頃は急にモテだしたりして…嗚呼、その頃が懐かしい。
最近はそういうことってないですからね。
ぬお、まだ書き足りん・・・
(つづく)
323.
W大学物語について(その三)
.
. . 2004/07/26 (Mon) 19:48:36
もう一つ間抜けなのは、合格して蹴ったK大文学部に、現在在籍してるんですよね…
最初からそっち行っとけば、今もっと楽だったのに。
私の人生、遠回りが多いです。
と、自分の文章までレビューしてしまいましたが、皆さんにとってはどうだったんでしょうか。
少しでも楽しんでいただけたのなら幸いですが。
ま、何分十年前に書いたものなので、お粗末なところはご容赦くださいますよう。
(了)
324.
合掌
.
. . 2004/07/29 (Thu) 15:14:48
中島らもがお亡くなりになりました。
酔っぱらって階段から落ちて脳挫傷、外傷性脳内血腫。
不謹慎かもしれませんが、「彼らしい死に方だなぁ」と思ってしまいました。
去年だったか大麻で捕まったときには「カッコ悪いなぁ」って思いましたが、酔っぱらって階段から落ちて死ぬなんてのは、カッコ悪いというよりも、「彼らしい」としか思えませんでした。
また、「棺には原稿用紙、ウイスキー、ギターのピックなどが納められ、白装束ではなく、Tシャツにズボン姿で旅立った」そうです(zakzakより引用)。
ここも彼らしい。
私は留学していたとき、授業中「どんな風な人生を送りたいか」というテーマで話し合い(ディスカッションというにはちょっと軽い)をしたことがありました。
そのときに「私が死んだあと、思い出話ででも私のエピソードがでてきたときに『あぁ、それはたいがらしいなぁ』って言ってくれるような、そういう人生を送りたい」と言ったことがあります。
つまり自分の個性をはっきりと持っていて、周りの人もそれを認知してくれている、そういう状態。
しかも「あんな立派なことするなんて、たいがらしいなぁ」といったものじゃなくて、「そんなアホなことやってたのか。たいがらしいなぁ」と苦笑されるような、私が死んだあとでさえ笑ってくれるような、そういうたいがらしさ=個性。
中島らもの人生は、まさに今上で言ったような人生だったような気がします。
「酔っぱらって階段で落ちて死ぬなんて、アホやなぁ。中島らもらしい。」
享年53歳。
彼の死は、私に「自分の個性」を再考させます。
私らしさって何なんでしょう。
自分ではわからなくても、周りの人は認知してくれているだろうという甘い期待を抱きながら・・・
合掌。
325.
タイトルについて
.
. . 2004/07/30 (Fri) 09:31:42
当コーナーのタイトル(あってないようなものですが)を、『〜日々是牧歌的(ひびこれのほほん)〜』から、『徒然ジワタネホ(つれづれじわたねほ)』に変更しました。
「ジワタネホ」ってのは映画『ショーシャンクの空に』で、主人公アンディが脱獄したあと辿りつく土地の名前で、メキシコにある太平洋沿いの小さな町です。
"Zihuatanejo"と綴るようですね。
このタイトル自体は、サイトをリニューアルするときの「サイト名」として前から頭にあったものですが、このコーナーの名前としては考えていませんでした。
それを急にこのコーナー名にしてしまったのは、暇を持て余した末の思いつきといいましょうか・・・
ロゴもなかなかいいでしょう?
内容的には全く変更ありません。
今まで通り。
ご覧になる方も、今まで通りでよろしくお願いします。
326.
スクーリング日記'04(その一)
.
. . 2004/07/31 (Sat) 23:56:27
今日から夏期スクーリングが始まりました。
やっぱり100分授業4発はキツイです。
それと、相変わらず教室は鬼のように寒い。
防寒具が必要です。
勿論私は持っていきましたが。
今日は相互リンクさせてもらってる、yasuさん、keiさんにもお会いすることができました。
お食事、ご一緒していただき、どうもありがとうございました>yasuさん、keiさん。
またお付き合いのほどよろしくお願いしますね。
帰ってきてからは、洗濯して、あまりの疲労にちょこっと寝て・・・たんですけど電話で起こされました。
同じ職場の人からの電話なんですけど、わずか20分の睡眠に終わり、なんだか不満です。
これから寝るか、卒論やるか。
卒論・・・全然やってないのに指導教授には「来週中には一節出します」ってなことをくちばしってしまったのでした。
やらざるをえません。
というか、元々やらざるをえないんですけどね。
明日は休みです。
今度こそ絶対に卒論やります・・・ということで、今日はもう寝て鋭気を養うか(こればっかり)。
|