タイトル■突刊マット
書き手 ■谷田俊太郎

マット界の出来事について、徒然なるままに
思いついたことを書きます。わけがわからない
話が多いかもしれませんが、それだけ熱くなれ
る魅力があるものなんだ、ということだけでも
伝われば、嬉しい限りです。どうぞよろしく。


<第1回 2001.12.28>

リングスが死ぬ


12月28日・金曜日。
快晴。

8時に目が覚めたが、
寒いので二度寝して9時に起きた。

今年最後の仕事を
昨夜のうちに終えたので
気分爽快な朝だった。

顔を洗い、歯を磨き、
「特ダネ」を横目で見ながら
流しの洗いものをし、
コーヒーを沸かし、
そのへんの一連の作業が終わると
暖房を入れ、机に座り、
音楽をかけ、
パソコンのスイッチを入れた。

いつも通りの朝だった。

メールチェックを終えると、
まず「日刊バトルニュース」に
アクセスする。
これまた、いつも通り。

しかし、そこにはこんな見出しが…

リングス、2.15横浜で解散

「リングス前田日明社長(42)が27日、記者会見を開き、
 来年2月15日の横浜大会(横浜文化体育館)を最後に、
 団体を清算すると発表した。
 
 日本人主力選手の相次ぐ離脱や大物外国人選手のPRIDEへの大量流出、
 衛星放送のWOWOWとの契約が、3月いっぱいで満了することなど悪条件が重なり、
 経営が行き詰まった。所属5選手の去就など、今後のことはすべて未定。
 年明けにも再会見が予定される。」

遂に来るべき時が来てしまった。

いつそうなってもおかしくない状況だったが、
まさか本当にそうなってしまうとは…

リングスが解散

いま、頭の中が真っ白である。

「長い前書き」「狼男の記録」にも
たびたび名前を出しているので、
その存在くらいは覚えてもらえてるかもしれないが、
「リングス」という団体は
僕が最も思い入れを持っている団体だった。

約10年前に、
当時、一世を風靡した「UWF」という団体が解散。
所属選手は3派に別れ、それぞれが新団体を設立した。
リングスはそのひとつで、
当時UWFのエース的存在だった前田日明が設立。

しかし、エースでありリーダー
だったにもかかわらず、
前田についてくる日本人は一人もおらず、
結局、前田はひとりぼっちで
リングスを旗揚げした。

だが、オランダ格闘技界の首領・クリス・ドールマン、
また空手の正道会館の石井館長(後のK-1プロデューサー)、
あるいは、ロシアのサンボ連盟の協力で、
従来のプロレスとは一線を画す、
すべての試合が「異種格闘技戦」という
まったく新しいスタイルの団体になった。

現在、人気を集める「K-1」や「PRIDE」の
源流はリングスにあるのだ。

当時放送が始まったばかりの
WOWOWが独占放送することになり、
リングスは、UWF3派の中でも
最も注目を集める存在になった。

前田日明のカリスマ的人気に加え、
未知の格闘家が世界中から集まるリングスは
まったく新しい魅力に満ちており、
「総合格闘技」という新たなジャンルの
礎を作った。

そして僕も夢中になった。

この10年、東京近郊で行われる大会は
ほぼすべて、また大阪や博多にも何度も行った。
ロシアにまで見に行ったこともある。

結婚式で、僕の父親が
「息子はアントニオ猪木の追っかけみたいなこと 
 ばかりしていて、この先が不安でしたが…」
と語っていたのだけど、
厳密に言うと、僕が追っかけていた対象は
「前田日明」であり、「リングス」だった。

しかし、時代が進む中で
団体が増え、「アルティメット大会」など
リングスよりも過激な試合が生まれるようになり、
徐々にリングスの人気は低迷していった。

それでも、僕は前田日明を支持した。

前田の弟分だった
高田延彦がヒクソン・グレイシーに破れ、
誰ひとり立ち上がらないプロレス界の中で
前田だけが「オレが高田の仇をとる!」と宣言した。
シビレた。

しかし前田を支持するマスコミは全くなく、
浅草キッドさんだけが「前田支持!」を表明したので、
キッドさんに連絡を取り、
「アキラのズンドコ応援団」を結成し、
「前田vsヒクソンへの道」という連載を始めた。
微力なりとも前田を応援したかったのだ。
(結局その試合は実現しなかった)

前田はその一本気な性格が災いし、
様々な人間関係のトラブルを起こしている。
ほとんどの人間が前田から去っていった。

僕も何度か話をさせていただく機会があったが、
前田日明という人物は
ドがつくほど「純粋すぎる」人だという印象だった。

そして今ではもうほとんど
失われた「男気」を持つ数少ない人に思えた。
「サムライ」というのはこういう人なのだろう、
そう思った。そしてますます好きになった。

だが、「純粋すぎる」性格は
現代には合わなかったのだろう。
去っていく人間の気持ちもわからないではなかった。
どこまでも不器用な人だったから。

ここ数年は
資本力豊富な「PRIDE」が人気を集めていくとともに
リングスは低迷していった。
次々と人気選手を引き抜かれ、
観客動員は低下する一方。
客席が半分くらいしか埋まらない状況が続いた。
所属日本人の離脱も相次ぎ、
逆風が吹きまくっていた。

選手も観客も少なくなった会場からは
熱気も失われ、僕の中の熱も低下していった。

だが、前田日明は
世間に媚びるような真似は一切せず
己の信じるやり方を貫き通した。

そして、そんな苦境の中でも
リングスは新たな路線を模索し始め、
僕の中でも、つい先日の大会で
新たな光明、魅力を再発見したばかりだった。

リングスこそが
新世紀的な世界であり、
生き方の指針にさえなる、
そう思ったばかりだった。

そんな矢先の解散宣言。

シャレで「いつ潰れてもおかしくないよ」
なんてよく言っていたが、
まさかこんなに早く、その時が来るとは…
シャレじゃなくなってしまった。

この原稿には、
特に何か言いたいことがあるわけじゃない。

ただ、ショックだ、
悲しい、
それだけである。

茫然としたまま、ただ書いた。
何かを書かずにはいられなかった。

僕の90年代の青春は
リングスと共にあった、
といっても過言ではない。

それがなくなる。

僕にとっては、身内の死に
匹敵する出来事である。

「これが死か…!!」

何を大袈裟な!
と笑われるだろう。
でも、そうなのだ。

前田日明が死ぬわけではない。
彼のことだ。
きっとまた再起してくれるだろう。
それはそれで楽しみだ。

しかし、「リングス」という
場はもうなくなる。

さびしい。

ただただ、さびしい。

それしか今は言えない。

俺は落ち込んでいる!

それしか
今はできん!!





[谷田俊太郎の自己紹介・のようなもの]

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