がま口塾
がま口塾ってなーに? CDロム・本の紹介
がま口弘美の日記 がま口塾便り
がま口弘美の日記 バックナンバー

[ 先月 ] [ 来月 ] [最新版]

2002年9月1日(日)  

中華料理店を開店するのに、メニューの写真を撮る。撮るためには全部料理する。それで食べに来ない?と中国人の息子に誘われてフラフラと出かけました。ダイエット中の身なのに・・・。20種類目でギブアップ。つまみ食いでもそんなに食べられるものではありません。厨房の中の中国人コックさんの手元をだまーーーーって見ているだけでも、楽しい一日でした。

2002年9月3日(火)  

「東海音声表現研究会」という会に初めて行ってきました。9月例会の今日は、半田市で開かれた、「かっぱかっぱらったかい」という谷川俊太郎の詩を朗読する会の発表会がテーマでした。新美南吉の詩の朗読も発表されて、ビデオテープを見せていただきました。

 私は新美南吉が大好き。父の故郷が知多で、彼の作品を読むと、父の話し言葉が彷彿としてくるからです。同じ東海地方でも、名古屋の市内とは何ということなく言葉が違うことを幼い時から私は感じとっていました。名古屋で異邦人として暮らした父。その言葉ゆえか、最後まで、知多の海の方が似合いそうな人でした。
 故郷の言葉で語ることは本当に安らぐこと。故郷の言葉が体に宿っていることは、ありがたいことと思います。
 二次会はメッチャクチャの名古屋弁だったで、笑えてまったがね。

2002年9月4日(水)  

疲労や多忙で、書くべき文章がまとめられない。あっ!そうだそうだ坂東さんを遊ばせておく手はないと・・・そんな風に仕事が転がり込んできました。我が家で半日お昼ご飯と夕飯も一緒にしながら、ずーーーっと「お話」を聞いて、『こんな楽しい仕事!』と幸せな気分です。
 
 その関連で城みさをさんの「感力へのめざめ」という本を一気に読みました。「さをり」という差異を織ると言う意味の手織りの話です。誰が織っても何を織っても、たとえ失敗したと思っても、それは失敗ではなく、アートになりうる、不思議な不思議な手織りなのです。1913年生まれの城さんが57才で始めたこの手織りは、日本のみならず世界中に感動とともに広がっていきました。

 徹底した「型にはめてはいけない。教えてはいけない。コピーを作るのではない。才能を引き出すのだ」という姿勢。障害をもった方たちの作品が光り輝く謎が分かります。日本語に体力、知力があるのに、どうして「感力」がないのだというのが、城さんの一大発見で、「私の長寿食は夢を食べることです」と著書がしめられている。

 さて、私の夢もついでに言うのは何ですが、「90歳のディスクジョッキー」。金さん銀さんよりそれでも若い再デビューです。私のおしゃべりをラジオやテレビで聞きたい方は長生きしてね。

2002年9月7日(土)  

私の友人がやっている大正琴の会の定期演奏会が11月にありまして、そのワンステージに「むらさき花だいこん」の絵本の朗読をさせてくれることになりました。南京大虐殺事件の時に、紫金草の花の種をほんの一握り持ち帰り、犠牲者の供養に、平和への願いをこめて日本中にその花を広めた兵士の話で、これは実話です。

 その打ち合わせを今日したのですが、喜納昌吉の「花」と山口百恵の「コスモス」がバックミュージック。ギターと大正琴に合わせて朗読してみたら泣けてきてしまいました。琴を弾きながら皆も泣いてしまい、先生に叱られてましたけど。

 共感が共感を呼び、この話がこんなふうに広まっていくのは本当に嬉しいことです。休憩の時のおしゃべりで、「父から、戦争中、中国で頭蓋骨をポール代わりにして遊んだって聞きました」ってことも飛び出して・・・。音楽は音楽として楽しめばいいのですが、音楽と朗読がいっしょになってより効果的なアートになれば、幸せな仕事です。

 「歌う天国、聞く地獄」という言葉を最近聞きました。これはカラオケでマイクを握って離さない人のことらしい。でも、これは、座右の銘にしなくてはと思いました。泣かないで淡々と、しかも豊かな表現で・・・
観客を地獄に落とさないよう、これから研究です。

2002年9月9日(月)  

先日NHKで「聞き書きボランティア」の番組やってましたけど、私はお仕事でそれをやっています。それで、文章まとめて朗読して写真やビデオとCDロムにするんです。これからの世代に残すにはいい方法だと思ったんです。
 で、昨日は92歳の現役のお茶とお花の先生と打ち合わせをしてきました。ほ〜〜〜〜〜〜〜んとにきれいな女性でした。美しい。京都から名古屋にきた時、お姑さんが「おみゃあさまは名古屋のことは何にもしりゃあせんでなも」とおっしゃったそうです。大笑いしましたが、とっても楽しみにしてくださっているので、私も元気が出てきました。90歳のディスクジョッキーは何としても実現させねば!

2002年9月11日(水)  

テレビのハシゴをしました。今はもう今日・・・12日です。そして、又あした今日が来る・・と思っていても、来るかどうか。
 去年の9/11、私はロプノールの湖底を中国隊と日本隊、20人ほどで走っていました。ニューヨークで起きたことは敦煌についてから。それも中国人の運転手さんからです。「はっきり分からないけど、ニューヨークで何か大事件が起きて、みんなが泣いていた」と。詳細が分かったのは、北京にもどってきてからです。
 国際放送局で仕事をしていましたので、他の国の人の反応が気がかりでした。でも、みんな冷静でした。
 ベトナムから来ていた女性が小声で言ったことが忘れられません。
「言葉」は何のために発しられなければならないか。考えさせられています。

2002年9月12日(木)  

中公新書ラクレから「100人@日中新世代」が出ました。我が町の本屋さんで買い求めて感慨一入です。私のよ〜〜〜〜く知ってる人たちが書き手として参加しているし、又、紹介もされていてつくづく中国の近さを思います。『新世代かあぁぁぁ・・・・・・・・』

2002年9月15日(日)  

中華料理店「中華縁」の開店が来週の日曜日。今日は味見の仕事はなくて、テーブルクロス作り。赤い布の端っこをミシンで縫うだけですが、何か私まで店員になった気分です。30代の中国の若者達が、不況の中で皆で助け合って一生懸命頑張っている姿を見るのは感動物です。
 
 蕪湖市で日本語教師をしていた時の教え子達が日本に留学して4年が経ちました。9月留学でしたから、「来週、卒業式です」と連絡をくれました。卒業式に行ってやりたいのはやまやまですが、仕事で行けません。せめてもと、ブラウスを選んで送ってやりました。:デパートは敬老の日のグッズが前面に。私まで「どうぞ鏡でご覧下さい」と勧められましたので「若い方に贈りますので」と断りました。

 私たちが居住していた関係で沖縄に留学したのもいます。みんな頑張っていて、本当に嬉しいです。本当に嬉しいんです。嬉しい。

2002年9月17日(火)  

拉致問題。テレビの前で泣いてしまいました。中国人の友達から今日のニュースについてメールをもらいました。大切なメールです。南京でも揚げパンの食中毒・・・。ニュースをどうやって共有していくか、共感していくか。
 中国国際放送局に勤務していた時、北朝鮮から仕事の依頼があったことがあります。アナウンスの仕事でした。とてもとてもとても複雑な心境でした。依頼の様式といいましょうか、過程がとても奇妙でした。ただ、北朝鮮から来ていた方とは、そのことがきっかけで、笑顔で挨拶できるようになりました。

 今日、その方に会っていたら、私はどんな顔をして挨拶したかしらと考えていました。
「言葉もない」・・・そんな日があるんですね。

2002年9月18日(水)  

仕事帰りに、又ふらりと栄の「麺処らく楽」に行きました。今日はちょっと昼の混雑のピークを外したので、がま口塾会員の看板娘?女将さんとお話もし、彼女の習慣である、私のポヨンポヨンの手を触ることも満足させてあげられました。「つぶやき帳」という大学ノートを暇そうな?客には差し出す店でして、お店を始めてから8年間、休業日以外、一日も欠かさず続けられていて、もう80冊になるんですって。
 毎日女将が新聞の切り抜きも貼っていて、それに対して、あるいは、おかまいなく、何でもお客が書き込み、それに女将が返事も書いちゃうという、つまりアナログの掲示板です。今朝の切り抜きは、やはり、昨日のニュースでした。変わったうどん屋さんでしょ?
 
 中国でも拉致に関してはふれずのニュースだったようです。正しい情報の共有はどんな組織でも、(国同士でもうどん屋さんでも家庭でも)仲良くやっていくための根幹になる条件だと思いますので、共感しなくてもいいから、共有していく努力をしたいものです。口で、あるいはペンで闘うのは許されると思うのです。「正しい」の定義は別に論ずるとして。
 国交正常化のためには、まだまだ涙が続くのかしら。

2002年9月19日(木)  

友遠方より来る。福岡からのその友が出品しているので、愛知県美術館ギャラリーで「形象派展」を一緒に見ました。その道の人の解説を聞きながら見ると楽しさ数倍。絵画とはこんなにも自由でいいのかと思うし、又、アートが心を創って行くということも分かります。友は生活の中にアートをと提唱し、アートセラピーのような活動をしていること、熱く語りました。

 久々の名古屋城の木蔭のベンチで、ゆったりと二人の時が流れていきました。15年も前、福岡でいっしょに図書館で子どもの読み聞かせのボランティアをしていました。もちろんがま口塾の会員として福岡での銃規制の署名活動、コンサートも中心になって頑張ってくれました。15年の時の流れの中で私たちはどれだけ変わりえたか、時間が経つのを忘れて、一日中語り合いました。

2002年9月23日(月)  

聞き書きの仕事にのめりこんでいます。これは、歴史の勉強に他ならず、例えば「オルガン」という言葉が飛び出したら、『あれ?オルガンって日本にいつ入ってきたんだっけ?だれが?』って調子です。お寺の方のお話なので、無知な私のお勉強は、宗教の入り口で『えーっ。シルクロード探検隊の大谷光瑞って、あの時代にすごいことやったもんだなあ』とか、宗教が音楽、絵画の芸術や科学そして旅行?の世界にも広範に原点をもっていることに驚いています。いや、求めてさすらう「旅行」がそもそもの原点か・・・。等と、若いうちに勉強を怠けたので、正に神仏が今、私に勉強を与えてくれてます。ありがたいことです。

 日曜日に北京からNHKののど自慢の放送があったんですね。ちょうどその時間に中国から研修にいらした方たちと食事中で、「出演できるかもしれない」と、かつての私の相棒の国際放送局の姜平アナウンサーからメールを貰っていましたが見られませんでした。結果は笑いはガールフレンドと二人でとったけど鐘二つということらしい。で、ちゃんと録画しててくださってた方があって、送ってくださるとのこと。しあわせ〜です。あの日ののど自慢見た方あったら、感想お知らせくださいね。

 今日の中日新聞は何か身内の記事がテンコ盛りでした。昨日に引き続いて「結んで開いて」は日中国交回復30周年もので、私関連。生活面に「女性議員への懲罰問題」。がま口塾の仲間の議員さん達が大変な状況の中で頑張っています。市民版には義姉が参加している市民参加のミュージカルの紹介も。

 しみじみと満月をあおいだことでした。月は誰もいない荒涼とした砂漠でも空にありました。

2002年9月28日(土)  

最近テレビを見るのが忙しいです。拉致問題もそうですが、日中の国交回復30周年の特集番組が色々あって。若い人達の交流、草の根の交流の大切さを、結局は痛切に思います。政治的問題に触れる時は、両国の隔たりの大きさに愕然としてしまうのが常です。
 話し合っていくことの大切さをやっぱり感じます。

[ 先月 ] [ 来月 ] [最新版]
bdk@dp.u-netsurf.ne.jp


Akiary v.0.51