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がま口弘美の日記 バックナンバー

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2002年10月6日(日)  

日記さん、御無沙汰です。長江(揚子江)の三峡下りから帰りました。何せ80歳の母を連れての旅ですから、大変大変。朝は4時くらいから、「遅れたらいかんがね!」と起こされますし、小船に乗れば、岸から、河の中から引いて下さる方に申し訳ないと言って降りたいと言い出すし、白帝城に登るのにお籠に乗せてもらえば「おそぎゃあ!おそぎゃあ!歩く」と言い出すし、中国人に名古屋弁で話し掛けて通じていると思い込んでいるし。ツアーの皆さんは優しくて「おばあちゃん!おばあちゃん!」と声をかけてくださるので、いい気になって、超ローカルな話しを披露しだすし・・・・。ああ、私も老いるとこうなるのかと思った旅でした。

2002年10月6日(日)  

日記さん、御無沙汰です。長江(揚子江)の三峡下りから帰りました。何せ80歳の母を連れての旅ですから、大変大変。朝は4時くらいから、「遅れたらいかんがね!」と起こされますし、小船に乗れば、岸から、河の中から引いて下さる方に申し訳ないと言って降りたいと言い出すし、白帝城に登るのにお籠に乗せてもらえば「おそぎゃあ!おそぎゃあ!歩く」と言い出すし、中国人に名古屋弁で話し掛けて通じていると思い込んでいるし。ツアーの皆さんは優しくて「おばあちゃん!おばあちゃん!」と声をかけてくださるので、いい気になって、超ローカルな話しを披露しだすし・・・・。ああ、私も老いるとこうなるのかと思った旅でした。

2002年10月29日(火)  

はーーーーーっ!本当に御無沙汰です。長い旅からもどってきました。何度もホームページにお出かけくださった方にはお知らせしないままでしたので、御迷惑をおかけしたと思います。ごめんなさい!
 10月11日大連経由で吉林省の延吉へ。12日に張陽君の結婚式に日本の母として出席させてもらいました。新婦が延吉出身の朝鮮族なので、朝鮮の風習にのっとった結婚披露宴が行われました。同じ中国人でも言葉が漢族とは違うので、司会は中国語と朝鮮語の両方で、そこへ私が入り込むので何やら言葉だけでも賑やかな宴でした。
 せっかくなので北朝鮮との国境の図門まで出かけました。橋がかかっていて、川の真中が国境だそうです。緊張感はほとんどなく、あらためて、中国は北朝鮮の友好国であることを実感しました。監視兵たちは若く、春節や8月1日に鍋を囲んで交流会をするって言ってました。1年に1万人くらいは川を渡って逃げてくるそうですが、80%は帰され、20%が成功とのこと。「じゃ、今日も川渡ってくる人あるの?」って聞くと、二十歳の私たちの付き添いの監視兵は「うん」って言ってました。 

 延吉から一人で乗合バスに乗って北上してスイフンガというところに行きました。かつて東海林太郎が歌に歌った最果ての地で、関東軍が国境警備と称して駐屯していました。ロシアとの国境です。今はロシア人が観光バスのような大きなバスに乗って毎日買い出しに訪れ、おおきな荷物を持ち帰る国境商売でにぎわっていました。もちろん中国人はロシア語で商売しますし、私もロシア語で話しかけられます。小さな私は背の高いロシア人ばかりが泊まるホテルに泊まって荷物のダンボールに紛れそうになりました。

 牡丹江、ハルピンを通り、瀋陽で一泊。60年前、北京放送から第一声を出したのは日本女性の原清子さん。残念なことに60周年のお祝いの直前の昨年10月に89歳で亡くなられました。北京放送の日本人専門家の友人と、彼女の足跡を研究中で、彼女と合流してお墓参りを兼ねて取材活動をしました。

 秋色の中国大地の広大な景色を列車の中から楽しんで北京に帰り、1週間北京泊。北京では、グレイのコンサートが話題になっていました。
 又大連経由で名古屋に帰りまして、翌朝、今度は高速バスに乗って金沢へ。日本で研修中の北京放送の中国人アナウンサーと、金沢の紫金草合唱団の方達に招かれたのです。25人も集まってくださって百万石の料理をたっぷりいただきました。この日中の平和を願う紫金草の物語を歌う紫金草合唱団は全国にあって今、大きく広がっています。
 ついでなので、若い中国人アナと母娘旅行のように高浜へ足を延ばすことにしました。志賀原発の地。案内をしてくださったご夫妻は退職教師の方で、先日北朝鮮から一時帰国した寺越さんが行方不明になった時の学校の先生でした。当時は先生や町の人が本当に一生懸命探し回られたそうです。

 というわけで、昨夜名古屋に帰りました。まだ家の中には扇風機がおいてありますが、私はストーブを出してきて今、暖をとりながら久し振りのパソコンに向かっています。

 日本は陸続きの国境がなく、国境という緊張感を味あわないで暮らしてきた民族だと思いました。
「国ではなく人」というのは私の信念ですが、国の交渉は粘り強く話し合いで進め、再び銃で解決が急がれることのないようにと、深く心に願った旅でした。

2002年10月30日(水)  

はーーーーっ!バチが当たりました。北京で足を挫きましてね、一日二日は宿主の丁重な看病に神妙にしておったのですが、歩き回らずにはおれない貧乏性、ずっと歩き回ったのでした。いっこうに腫れが治まりくませんで、ついに今日接骨院へ参りました。

 生まれた時から膨れている両の足首をじーっと眺めた先生曰く、「捻挫って馬鹿にしちゃだめですよ!骨は何ともなくても靭帯が伸びちゃってますからね!」・・・そういえばお相撲さんもテーピングしてでも勝負するよな・・・なんて思いながら、テーピングをしてもらって派手に包帯を巻いてもらったのです。接骨院で面白かったのは、ほとんどが老人で(私も初老かも・・・)、待合室での会話を聞いてると微笑ましくって。可愛いですね、お年寄りって。

 そんなわけで明日は「がま口塾」の日ですが、お掃除をしません!いい口実ができました!

2002年10月31日(木)  

無事に第四回がま口塾終了。遠くから近くから来て下さる皆さんに感謝感謝です。以前の第一期の時のような賑やかさはあまりないのですが、私自身がまったく無理なくズボラにノー天気にやっているからでしょうか、こじんまりと、しかも「がま口塾」っていいなああああって自分でしみじみ思えるのです。めでたいのかな?私って。
 今日も出かけました、接骨院へ。となりに座って治療を受けていたおばあちゃんが、夫がカラオケに行く話しを一生懸命先生に話していました。ニコニコとそれを聞いて上手に会話を進める先生。つくづく偉い先生だと思いました。昨日の包帯をとったらすこうし脹れがひいていて、瞬間に先生が「あっ、幾分よくなってる!」って嬉しそうにおっしゃった時の私の嬉しかったこと!共感を受けるってことの大切さ、喜びを学びました。楽しい通院になりそうです。


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Akiary v.0.51