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2003年2月1日(土)  

もう2月。知事選挙は明日。又、ウグイスになりました。そして、名古屋駅前で候補者と皆と合流して最後の候補者演説。名物「ななちゃん」の長い足の下でビラ配り。ブルブルの寒さでした。
演説の後で沖縄の若者達が、キーボードやサンシン、タンバリンなどで、沖縄の歌を歌いました。とってもとっても懐かしかったです。若者達がボランティアで大活躍した候補です。勝って良し、負けても愚痴は言うまい。みんな精一杯やった晴れ晴れとした顔。私はほんとにちらっとしかお手伝いできなかったけど、でも、手伝えて嬉しかった。明日は何年かぶりの投票です。

 ついにCDロム試作品到着!うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーむ。ふーーーーーっ。
問題多し。又多難。あとひとふんばり。何度目のひとふんばりじゃ!

2003年2月2日(日)  

投票に行き、後の時間はCDロムの依頼主と、試作品の綿密な校正作業が夜まで。
途中で、ロスアンジェルスのケビン・モールさんから電話がかかってびっくり。シャトルの話かと思ったら、戦争に関する日本の反応は実際どうなの?という質問だった。アメリカでは、大都市で2月15日に戦争反対デモが行なわれるという情報。アメリカでも、色々な意見があるが、イラクに関しては、そこまでもやらなくていいという意見が一般的だよということだった。大きな活動はできないけど、自分の回りでできることはお互いにやっていこうねと約束しあった。そして、ユニークな柔らかい運動のアイディアが浮んだら、お互いに教えあってやろうね、と。
 息子に、こんなふうにケビンさんから電話があったと伝えたら、「アメリカってそんな人がいるってとこがすごいよね」。全く同感。本当に心が温かくなる電話でした。

 知人の高世仁さんたちは、拉致問題に関する意見広告を12月23日にニューヨークタイムズに掲載しました。掲載後、ニューヨークタイムズに北朝鮮による日本人拉致の問題に関する記事が頻繁に載るようになったほか、外国の他のメディアでもこの問題についての報道が増えていて、著名なコラムニストやアメリカのメディアから、取材の申し込みがきているとのこと。2473人がカンパをして総額は1396万5888円に達し、意見広告に要した費用をのぞいた全額744万円あまりが、拉致被害者家族連絡会(家族の会)に寄付されたそうです。

 銃は持たなくても出来ることはいっぱいあるのですね。勇気ある人達を心から尊敬しています。

2003年2月4日(火)  

まだCDロムに没頭しています。一時はすぐにでも北京へ泳いで行きたいくらいだったのですけど、現地で窓口になっていてくださるWさんが、電話してきて「来なくっていいーーーーって!」を20回くらい仰ったので、一晩寝て、頭が冷えたので、せっせと訂正箇所の文字化に励んでいる訳です。もう歯痒くてしかたがないのです。北京が自転車で行けるくらいの距離だったらと思います。

 福岡のまのあけみさんから電話。「唐揚げの歌」を作ってね!と勝手なことを言っておいたら、ほんとに「出来たよーっ!」。それを中国語に翻訳して欲しいと言ってきたので、今度は又張陽に電話。
ところが、彼に聞けば、新妻が私が北京に行っている間中、流産の危険があって入院していたという!
 皆、人生本当に大変。まのさんだって冗談で生きているんじゃないんです。真剣に「唐揚げの歌」を作っているんです。

2003年2月5日(水)  

選挙事務所に私のホームコピー機をお貸ししてあったのですが、夜、持ってきてくださいました。みんなボランティアで頑張った人です。爽やかでしたと感謝とねぎらいの言葉をかけると、それでも、うなだれていらっしゃてました。そして、誰々さんが「宜しく」と言っていたと仰る・・・。

 私は人の名前が本当に覚えられません。昔はこんなじゃなかったのにと情けなくなるくらいです。でも、相手も相手です。「確か、通訳をやってらした・・・」という前置きが付いてたと聞いて、吹き出してしまいました。博多弁と名古屋弁の通訳ならしていたかもしれません。何せひっこし人生。中国でも4年半に3回引っ越して、4つの家に住みました。日本では、生家から数えれば、今は9回目の家ということになります。夫の単身赴任の家を含めれば、現在も入れて、11軒。ああ!計15軒の家を我が家としたことになります。
 ので・・・、もう頭の中がぐちゃぐちゃになってしまったのです。どこでどうしてお会いした方か、ほんとうに分からなくなるのです。ので・・・、私がすぐ思い出せない時は、どうぞ、何をしていた時の私だったか、面倒ですが、教えてくださいね。何せ職業も転々で・・・。フーテンの弘美と言われても抵抗いたしません。私は寅美です。

2003年2月6日(木)  

今日は服部デー。その1,もと、名古屋で新聞記者をしていて、事情で今は一般の会社員になってるKさんが、服部美恵子さんに年賀状からの延長で、電話があって、10年前の話に花が咲いたそうです。そして、その、元記者さんが東京に転勤した、他社の記者さんとも同窓会のように会ったりすると、「あの頃は良かった。服部さんや坂東さんの家にケーキを持って取材に行ったら、お茶をだしてもらって、色んな話しをして、ホッとするひと時だった」と話題になるとのこと。美恵子さん「事件はホッとするドコロのことじゃなかったけどね。ハッハッハッー」と大笑い。「ケーキってもらったっけ?」と、ふたりで大笑い。でも、本当にあの頃の若い各社の記者さん達には、ご飯を食べていってもらったり、アットホームに付き合っていただいたものでした。「何か忘れないでいてくれて嬉しいねえ!」と笑いながら、あったか〜〜〜い気持ちになりました。
 
 その2,YOSHI基金でミネソタ州から水戸市の県立水戸二高へ留学していて、この2日に帰国したエリザベス・ラリーさんが、前日開かれた、県国際交流協会主催の「外国人による日本語スピーチコンテスト」で金賞を受賞したそうだ。1日の朝日新聞の地方版に大きな記事がでたようだけど、先日名古屋で彼女に会った時も、素晴らしいスピーチをしてくれました。このことも、美恵子さんは「自慢の種になりそうだわ」と言っていました。

 なるぺ゛く嬉しい話を心に持って頑張りたい。皆がそれぞれいっぱい「大変」を抱えて生きているから。  

2003年2月7日(金)  

思いがけないニュースその1, 大阪の探検隊の隊長さんから、大金のお返しが届きました。がま口塾で、遠慮なく頑固爺さん!って悪口言ったからでしょうか?大和男児は死語ではないんですね。素直に受け止めて、はてさてと又宿題を抱え込んだ次第。探検社の方の案内をすべて録音して、日本語で記録を提出していたので、ごくろうさま!のねぎらいの言葉を戴いてのことでした。ほんとはとっても優しい方なのです。

 思いがけないニュースその2, 私が中国に赴任していた時、同じ学校で英語の教師をしていた劉さんが、今は、琉球大学の留学生です。1年あとからやって来た奥さんは沖縄大学に留学しました。ふたりとも、今日の発表で、日本語の一級に合格したとの知らせ。とくに奥さんは、夫より、1年後に日本に来て、ほとんど話せなかったのに二年目にしての快挙なのです。一年目にして沖縄の外国人日本語スピーチコンテストで3位に入賞したくらいの努力家です。本来は中国で医者をしていました。
 中国と言えば、経済最優先のニュースが目立ちますし、実際にもその通りと、言わざるをえないのですが、チャンスを逃がさず、貧しくとも、コツコツと誠実にひたむきに勉強している彼らも、確かに、新しい中国の姿です。

 嬉しい日でした。優しさや誠実な努力の結果を目の当たりにすると、元気がでてきます。あ、そうそう隊長さんから、万里の長城に咲いていた朝顔の種が、小袋に入って送られてきました。紫金草と一緒で、日中の平和を願っている方で、育ててくださる方がいらっしゃったら、差し上げてくださいというメッセージが添えられています。この春、お庭にまいてみようかなと仰る方はご連絡くださいね。
 

2003年2月8日(土)  

アメリカ、ロスアンジェルスのケビンモールさんからのメールです。私は地球を抱きしめたい!

 突然ですが、戦争反対の運動に、何かの形でご協力をいただければと思います。2月15日は多くの国々で反戦のデモが行われます。日本では少なくとも東京、松本で行われます。名古屋でもそういう企画があれば、WWWのリンクをメールして下さい。

 東京の方は、
http://give-peace-a-chance.jp/215/というふうにニューヨークのホームページに載っています。各国各都市の2月15日企画がhttp://www.unitedforpeace.org/article.php?id=725に載っています。

 ロスは、午後1時よりホリーウッドでマーチなどやります。ビーチなどでもいろいろなアクションが計画中。名古屋とロスは姉妹都市ということで、何か名古屋市民よりのメッセージがあれば、それをステージ上で読んでもらって、みんな盛り上がると思います。ロス市民よりも何か協力しようというメッセージも書いてもらえると思います。もしかして、俳優のマーティン・シーンに、市民代表として出してもらえるかもしれません。とりあえず今日はこんなところ...

 平和でありますよう                                  Kevin

2003年2月9日(日)  

愛知県海部郡の佐織町中央公民館で、教育委員会主催のまのあけみコンサートがあり、「百日紅」をメニューに入れて欲しいという希望があったとかで、私も朗読で登場させていただきました。
 ピアノ、アメリカのダニー、パーカッション、ペルーのルベン、ギター、渡辺のりおさん、照明、音響、舞台進行、会場受付・・・そして、何よりも、私の町で開きたい!という思いで、チケットを一生懸命売ってくださった方たち等々、舞台を創るには、本当に大勢の人の力が要ります。500席満席で、タイムリーに戦争にはノー!の歌を歌えたのもありがたいことでした。(私が歌った訳じゃないけど)。本当に気持ち良い多国籍?楽隊でした。感謝感謝です。

  2/15 ピース行動のサイトを色々見ていたら、喜納昌吉とチャンプルーズがバグダッドへ行く情報に遅まきながら当たって驚きました。「すべての武器を楽器に」が彼の主張です。沖縄の国際通りのお店の事務所で何度か、喜納昌吉さんと会合してお話ししたことがあります。武器は楽器に変えるべきだし、(楽器が出来ない人は、ボールでもいい)心あわせてできる事を!絶対正義の名で人を殺していいはずはない!良い戦争と悪い戦争があるはずがない。自分の子どもが殺されても良いと・・・あるいは、人を殺しても良いと思っている母親がいるだろうか。そう思って子供を産んだ母親が世界中のどこにいるだろうか。

 今夜は、この歌手が当家に宿泊中。次回のCDロムはこの歌手のお母様の自分史なので、打ち合わせのためです。お母様の写真の中には「兄が刑務所を出て来たので、兄弟で今後のことを話し合っているところ」なんてのが出てきます。戦争に反対することが犯罪になった、そう古くない昔のことです。

2003年2月11日(火)  

がま口塾の特別例会、縁縁コンサート、無事終了。皆か゛楽しかったと仰ってくださいました。ほんとだったら嬉しいです。食べて、歌を聞いて歌って、食べる側と作る側の皆で中華料理の思い出を語り合って、3時間はあっという間に過ぎました。皆さんに感謝あるのみです。歌手の控え室がトイレへの入り口で、そこから登場!には、大笑いで、世界初のケースであったかもしれません。皆がこれで元気になれますように。

2003年2月12日(水)  

生協の関係の方たちの会で、伏見のライフプラザの12階の研修室でお話しをさせていただきました。中消防署の上にこんなノッポのビルが出来てたんですね。
 「むらさき花だいこん」の物語の紹介や、ビデオの紹介。とても熱心に聞いていただき、感謝。
 今からがま口塾便りの印刷に。明日までに発送を終りたいと考えています。

2003年2月13日(木)  

友遠方より来る。名古屋駅のツインタワーに上りて語る。レストラン街の12階フロアーが、林の散歩道って感じになっていて、びっくりしました。小鳥の鳴き声にせせらぎの音まで演出してあります。菜の花ももう咲いていました。
 私はあちこち飛び回っているような人に思われがちなんですけど、お酒も全く飲めないし、本当に、用が終れば、真っ直ぐさっさと家に帰る人。家でひとりで何かしら、ごそごそやっているのが大好き。だから、今日のように、どこかへ案内していっしょに食事となると、どこへ行っていいのかさっぱり分からず、ウロウロ探しているうちに、名古屋駅の変わりようにびっくりしたわけです。これ、たぶん、4〜5年遅れてる感想だと思いますが。
 
 明日から、1週間不在です。日記を休みます。あれこれ片付けていて、ふと、夫に明日から出かけることを連絡するのを忘れていたことをに気が付きました。夫さん!明日から、一寸出かけてくるね。

2003年2月23日(日)  

お久し振りです。出張から帰りました。今日は、CDロムの初仕事をさせていただいた主人公、93歳の藤井キクさんの御誕生日です。完成品は何とかセーフでまにあったのでした。
 ちょうど御子息の藤井知昭氏の写真展が電気会館であったので、出かけていきました。完成品がご家族の皆さんにどう思われるか、それはそれは心配で、入学試験の結果発表を待つ気分。会場でキクさんが、ちょうど杖をつきながら息子さんの写真をご覧になっていらっしゃるところで、私がそっと後から肩を叩いたら、びっくりして振り向かれ、おもいっきり優しい笑顔でお礼を言ってくださり、本当に嬉しかったです。私はキクさんが大好きです。
 
 写真展は「麗しのバーミアン」というタイトルで藤井知昭氏がアジア諸地域を中心に100回をこえる海外学術調査をされた折に記録された写真が何とスライドで20万枚!1964年からの第一次名古屋大学アフガニスタン学術調査から20回近く現地を訪れられたそうです。既に失われた原風景の記録ということですが、私が楼蘭に行った時に見た、広漠とした土色の景色に似たものもあり、敦煌をも髣髴とさせ、本当に興味深い写真ばかりでした。音楽好きな民族で、会場には調査の折に採取された貴重な演奏がずっと流されていました。親しかった多くの方の消息が分らないままになっているとか。平和で豊かな文化を、歴史という名の時間が殺していきます。胸が張り裂ける平和な写真でした。

 ロスアンゼルスのケビンさんからメール。なのに今日の日本政府のニュースにガックリ。戦争は絶対にやってはいけないのに!

 <ケビンさんのメールです>
 
 ロス市議会がイラク反戦決議。名古屋市民の声、上がっていますか。傍聴席の「約200人の市民」の内に私も入ります。写真の移ったところの2列前に座っていました。(本当は、傍聴席には、400人くらいいました。議会室に入れなかった100人以上の市民は別の会議室で音声だけ聞いていました。)
 小泉内閣は世界の声、市民の意見を無視して、ブッシュ、ブレアーにしたがってしまっているようですが、日本の多くの都市、都道府県などで平和運動できないでしょうか。名古屋市、ロス市が姉妹都市ということで、名古屋市議会でとくにがんばれば有意義だと思います。イラクの子供たち、一般市民が全世界の市民に期待しているでしょう。何かお手伝いすることあったら、ご連絡下さい。
                                           ケビン・モール

2003年2月24日(月)  

1月の北京行きの折りのメンバーが、私の慰労会をしてくれました。遠慮なく甘えました。
ホテルのフランス料理のフルコースなんて、中国料理に慣れてしまっている私には新鮮で、何だか良家の奥様になったような気分でした。もっとも北京放送の日本語部にいたときは、私は皆にそう呼ばれていました。(自らそう言っていたので、皆は言わざるをえなかった!)。又の別名は「美人」。これは必ずサインに「弘美人」と書いていたから。今でも、「美人様」と日本語部の皆に言われてるんですよ。皆・・・と言っても若い子たちだけからですけど。同世代はあきれ果てて無視で・・・。えっと、それで、今日はハッピーでした。
 お友だちが車で迎えに来てくれて、小雨の中を久々に走り抜けた町内になななななーーーんと!桜が咲いていたのです。あれ、確かに桜だったと思うんですけどね。明日、ゆっくり散歩に行って確かめてこようと思っています。私が町内を歩いても、誰もサインをねだりませんからね。

 マイケル・シャクソンの独占番組を見てしまいました。彼の暮らしはこの世の話ではないですね。可哀相な人。本当に美人になったり、お金持ちの良家の奥様になってしまうと、「皆から気にされない」という「幸せ」がどっかへいってしまうのでしょうね。夫を忘れたり、夫に忘れられたりの私の今の幸せを、私は絶対手放したくありません。

2003年2月25日(火)  

やっぱり桜の木が3本。寒そうにだけど、咲いていました。桃でも梅でもありません。今日はしっかり散歩して見てきました。その根元には水仙が群生していて、花にまつわる色々なことを思い出していました。沖縄にいた頃は1月30日に桜祭が始っていたっけ・・・なんて、ずっと忘れていたことを思い出しました。花って色々なことを思い出させてくれるんですね。
 北京の精華大学と北京大学で火薬らしきものの爆発事件。北京の西の北。二つの大学とも私の住んでいた友誼賓館の近くでした。精華大学の学生さん達ともコンサートを通して知り合っています。無事でいてくれますように。

2003年2月26日(水)  

スイートピーの花束のプレゼントが届きました。それもピンクの!
 いつからスイートピーがこの世で一番好きな花になったのか、はっきり覚えています。かれこれ17、8年も前になってしまいますが、福岡で、親子劇場などの活動で仲良くしていた方が、ある雨の日に雨に濡れたままのスイートピーを庭から切り取って持ってきてくださったの。マメ科のクニャクニャの茎に、自由自在にピンクや白の花をつけて、「雨に濡れて、畑のだいこんやキャベツと一緒にいたよ」って顔して、何だか本当にいとおしかったのです。
 堂々とした出自を誇る花ではありませんでした。あたりを圧倒する自己主張もありませんでした。どれだけでもくねってみせますというとらえどころのない身体でした。
 
 お花屋さんのスイートピーはさすがに立派ですね。茎もしっかりとまっすぐ揃って、花瓶に生けても涼やかです。 まるで恋人に人目を忍んで目配せするように、一日中、チラチラと眺めています。私のお葬式は、式をしなくて良いから、この花だけ飾って欲しいと遺言してこうと思いました。

2003年2月28日(金)  

栄の老舗「蔦茂」で、日本料理をプレゼントされました。それも和室一室借り切って!
93歳のキクさんからCDロムの完成慰労をしていただいたのです。末っ子のお嬢さんと私の3人で。 ここの料亭のシェフさんがキクさんのお花のお弟子さんです。料理をする人も、お花を習って、料理に生かす努力をされているのですね。感心してしまいました。
 キクさん、お部屋に入ったら、床の間の生け花をちょっといじって、「ちょっとのことで、違うんですよ」。一秒の技で、グッと雰囲気が変わりました。プロの目はすごいです。

2003年2月31日(月)  

私の昨日の感覚はやっぱりある意味で、現実感のあるものだったと思いました。新聞によると、最初500人だったのが、デモの間に呼びかけにこたえて1000人になっていたそうです。各務原市でも、もとがま口塾のKさんが反戦のデモをしたと載っていました。
 テレビの討論も見ています。核の保持を堂々と口に出し始めた政治家!こういう政治家を送り出す選挙民がしっかりしなくっちゃね!世論の構築が鍵だと思います。私はそう思ってデモに参加しています。今度の日曜日は久屋公園の広場(松坂屋の前)。午後1時半からです。
 金沢に送る、折鶴キルトを縫って送りました。白い布の部分にメッセージを描く事になっているので、「目には目薬、歯には歯ブラシ」と刺繍で書きました。「愛」を選び取ることです。日本人としての誇りはそこにこそあるべきで、核によっては絶対決して永久に得られるものではないと思います。抑止力にも絶対にならない。考えの違う人達との融和は爆撃と同じぐらいエネルギーの要るものだと思います。でも、同じ苦しむのなら、その方がいい。


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Akiary v.0.51