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がま口弘美の日記 バックナンバー

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2003年3月3日(月)  

 雛祭りというのに姫は別宅の大掃除。何故男は掃除が出来るように育たなかったのだろう?何故女性は仕事も、料理も掃除も、洗濯も買い物も、くくるくるくるくるくくるくるくるくるくくるくるくるくるくる回りまくって出来るようになってしまったのだろう。

 やっと泥棒に入られても恥かしくない部屋になりました。と、別宅の男曰く「これでしばらく何がどこにあるのか、探しながらの生活か・・・」。
 でも、本宅に帰宅したら、留守電に「ありがとうございました」とメッセージが入っていました。可愛い夫には旅をさせよと古来から言いますが、当たり前だと思わせないように、小さいときから基本的生活習慣は男女ともに身につけるべきなのですね。かく言う私、本宅の2名の男の教育にも失敗してしまいまして、まことに遺憾です。それでいつも春の嵐の様にくくるくるくるくくるくるくる。

2003年3月3日(月)  

雛祭りというのに姫は別宅の大掃除。何故男は掃除が出来るように育たなかったのだろう?何故女性は仕事も、料理も掃除も、洗濯も買い物も、くくるくるくるくるくくるくるくるくるくくるくるくるくるくる回りまくって出来るようになってしまったのだろう。

 やっと泥棒に入られても恥かしくない部屋になりました。と、別宅の男曰く「これでしばらく何がどこにあるのか、探しながらの生活か・・・」。
 でも、本宅に帰宅したら、留守電に「ありがとうございました」とメッセージが入っていました。可愛い夫には旅をさせよと古来から言いますが、当たり前だと思わせないように、小さいときから基本的生活習慣は男女ともに身につけるべきなのですね。かく言う私、本宅の2名の男の教育にも失敗してしまいまして、まことに遺憾です。それでいつも春の嵐の様にくくるくるくるくくるくるくる。

2003年3月4日(火)  

何かの占いが好きな娘(前述。岩手に住む、沖縄で拾った、私達の変な関係の?娘)が、私と彼女は「旅人京」の星のもとに生まれているのだと言っていました。で、彼女は最近、アっというまに結婚して人生の旅もなかなか目まぐるしい人なんですが。
 私も今夜から1週間旅に出ます。取材の旅です。いざ。

2003年3月12日(水)  

ただいまあ!九州の取材旅行から今朝帰りました。深夜バスの往復ですから、けっこう時間の節約ができました。中国の深夜バスとは違う!としみじみ日本のいたれり尽くせりのサービスに「帰って来たんだなあ」と、帰国の実感をした次第です。もう、帰国して1年も経っているのですが。
 小倉で下車して若松へ向かい、若松で撮影や図書館に立ち寄って、博多へ。博多から浮羽郡の吉井町へ。久留米や筑後にも足を伸ばし、あっちこっちの図書館にも行きました。吉井町の雛人形めぐりはとても有名で、ちょうど今は、その盛り。町のどのお店にも雛人形が工夫をこらして並べられていて、観光客がそれを見るために、まるでお遍路さんのように巡り歩くのです。
 
温泉町で山のてっぺんの露天風呂にも入りました。もちろん私は裸になりながらもカメラを片時も離さず、撮影成功!おばあちゃんのセミヌード?も次のCDロムには登場するはずです。
博多の図書館で、マイクロフィルムで古い新聞記事を探していましたが、5時間粘っても見つからず、最後の最後にもう1回と思って、再度資料の提示を御願いしたら、若い職員さんが、気の毒がって、あるかどうか分りませんがといいながら、フィルムにもなっていなかった、すっかり黄色くなった新聞のつづりを持ってきてくれ、みごとに記事を発見した時は、胸が震えるほど感動、感謝しました。気持ちが通じ合ってよい仕事がお互いに出来るのは、「幸せ」というものです。彼女も嬉しそうでした。

 帰って見れば我が邸宅の惨状はいつものこと。郵便物は局に戻っていってしまっているし、あちこちからの連絡で現実との闘いです。でも、友人のお子さんが難関中の難関を突破して、念願どうりの医大に合格されたとのメールには感動しました。ご両親の医療の志を受け継いで、きっと素晴らしい勉学を積み上げて行かれることでしょう。

 私も一生懸命、真面目に仕事をしていきたいと改めて思っています。

2003年3月14日(金)  

何かをやりだすと止まらない。誰にてもそんな習癖はあるのだと思います。今の私はちょっとひどいです。とにかく仕事に夢中です。いや、趣味と言っていいかもしれません。楽しすぎるのです。
又、来月北京へ行って2作目を完成させます。

 Heat of Africa の三浦さんから「南アフリカの手仕事展」の案内絵はがきがたくさん届きました。今月の20日〜25日まで、栄の妙香園画廊で開かれます。刺繍やビーズに興味のある方はぜひお出かけください。とっても楽しい手仕事で、心から癒されます。

 万里長城学術調査隊の福田隊長さんからは、塾の方に差し上げてくださいということで、又山野草や高山植物の種子が送られてきました。けっこうたくさんあります。園芸が好きで、興味のある方はお知らせください。たくさんありますのでどぞご遠慮なく。でも、名前がとっても難しいんです。隊長さん曰く「名古屋にはナンジゃモンジャの木があるそうで、難しい植物が良いと思って、難しい植物の種子を選んで送ります」・・・・・!

 デジタルカメラで写真を撮ってきたら、コンビニで自分でプリントアウト出来ちゃうって、初めて知りました。私はかなり遅れてるんでしょうか?ほんと、写真やさんと全く同じに、あっという間に出てきちゃうんです。携帯電話も使いこなせないのに・・・ほんとにすごいスピードで世の中が変化しています。
息子がコンビニの機械の前まで連れてってくれまして、「はい、ここを押して・・・はい、次はどうするのかな・・・はい、よくできたね。・・・・」何かいつかどこかで聞いたセリフ。聞いたんじゃないわ、私が息子達に言っとったセリフだわ。つくづく私も老人になっていくのかと思い始めたのでした。「タクラマカン砂漠東西1200キロの横断探検」にお誘いを受けているなんて、言えやしない。もっとも先立つものがないので、これもきっと息子に言われるわ。「僕は貸してあげないよ」。
 
 ほんと、いつのまに逆転してしまったのかしら?世界情勢も感動の逆転があって欲しい!

2003年3月15日(土)  

久屋公園のピースアクションの集会に出てきました。先回は多かったんだそうですが、今日は、雨がぱらぱらする寒いお天気で、600人ほどでした。服部美恵子さんと二人で並んでいるとやっばり目だってしまって、記者さんは、見つけて、「一言」と乞うし、主催者はアピールをと言われます。もち、美恵子さんにですよ。彼女は今日は断っていましたが。
 小学生の時、伊勢湾台風がきっかけで知り合って以来、不思議な不思議な関係が続いている私の「おねえさん」とも20数年ぶりに出会いました。懐かしい顔、顔、顔・・・。故郷を長く離れていたんだなあと思いました。

 放射能による障害に既に十分に苦しみぬいている子供達を更に不幸に陥れていく、この戦争。絶対に止めて欲しい。命を産む女性として、チェルノブイリを見てきたものとして、耐えがたい想像です。想像力を働かせれば、戦争なんて耐えがたい頂点の悪夢なのに。

2003年3月16日(日)  

恩師の退官記念パーティーに出席しました。30年間、一度も毎年の同窓会なるものに顔を出さなかったのですが、やっぱり優しく暖かくご指導いただいた先生のご恩が忘れられず、今、お目にかかっておかないと、もう、絶対会えないと思って、出席の連絡をしておいたら、今までの罪滅ぼしに司会をしろと言われて、何とか無事務めて来ました。まさに浦島太郎。ペアで司会をしてくださった現役の助教授の先生も私より10歳も若く、見知らぬ先生。隔世の感あり。でも、恩師は春色の着物に身を包み、あの時代と全く変わらない、優しい上品な笑顔で静かに挨拶をされました。突然私の名前を出されて「言語障害児」の研究をしたエピソードを紹介されました。

 そうだった!すっかり忘れていたのです。障害を持った児童を特別扱いせず、普通学級で能力を伸ばしていく事の大切さを私はこの先生から学ばせていただいたのでした。あの頃、言語障害児教育はアメリカに40年遅れているといわれていました。先生が東京で研修を受けられた頃は、名古屋から東京まで8時間かかったそうです。まだ、新幹線もなかった時代でした。

 私は、学園闘争が吹き荒れた中、ピケを張って学長を拉致?監禁?ドクターストップでようよう解放したという、とんでもない時代の劣等生です。しかも、皆が次々学校に就職していく中、そのために養成されたのに、私ひとり「先生にはなりません」と、堂々と言いに行ったのが、昨日のように思い出されます。
 今日、150人ほどの参加者のほとんどが現役の先生達です。でも、私のお世話になった先生達は皆優しく、フーテンの私を認めてくださっているのです。「普通」とは何か。「障害」とは何かということを考える基本を私は先生に教わったのだと思いました。私は、卒業生の中の異端児。いや障害児だったかもしれません。その私を見守っていてくださったことに対し、しみじみ有り難く、幸せに思ったことでした。

2003年3月17日(月)  

夜、春日井市のある会に呼んでいただいて、お話をしました。場所は「秘密の隠れ家」。びっくりしました。世の中には、そんな部屋があるんですね。まあ、そこに集う人々の元気のいいこと!これもびっくりしました。がま口塾の上手です。元気があるっていいですよね。こっちが元気をもらって帰って来たくらいですから・・・まあ、想像してみてください。真剣に自分らしく生きている人はいっぱいいますね。

2003年3月20日(木)  

信念をもって戦争回避を述べてほしいのに、アメリカに追従する日本。人間としての誇りはどこにあるというのだ!首相のテレビ会見を見て気持ちを決めました。
 栄の妙香園画廊で「南アフリカの手仕事展」(初日)を見てから反戦集会とデモに参加。伏見までシュプレヒコールをしながら幟や看板を持って歩きました。平和のための戦争なんてありえない。人間は愚かです。人間は愚かです。

2003年3月21日(金)  

今日、私は分りました。愛を生むのは愛です。憎しみを生むものは憎しみです。勇気を出して、誰かが連鎖を断ち切ること。誰かが変わること。変わるという信念を持つこと。「強い」ということはそういうことなのです。ミサイルで攻撃することが強いという事ではないのです。とっても簡単なことですが、今日、私は分りました。

2003年3月22日(土)  

アメリカのケビンさんからのメール。
 土、日曜日の二日連続、アカデミー賞会場の前または近くで反戦デモをやることになっています。
世界中のテレビ局がそれを放送してくれるでしょうから、日本語などのプラカードもいくつか出したいものですね。この反戦の動きが地球的であることをアピールすること。(うまく表現できない けど、お分かりでしょう...)。日本語のプラカードをバイリンガル(和英)で作ります。

 My ideas:ヒロシマ繰り返すな No more Hiroshimas。今こそ平和を! Peace Now!...

日本語のみのプラカードもあってもいいでしょう。日本人に直接声かけるスローガンとか。(「小泉・ブッシュ・ブレアー:国民の声聞け!」?)

 アカデミーの会場というのは、タイムリー。アメリカ人が日本語というのも素晴らしい。アメリカ人が「ヒロシマを繰り返すな!と言ってくれます。ケビンに心からのエールを送る!

2003年3月23日(日)  

ロサンゼルスのケビンさんから電話。ロスでは、道路に座り込んで抗議をする人があり、警察の取締りが厳しいそうです。ケビンも逮捕はされないけれど、移動できない状態になったので、困って携帯電話で119ではない警察へ連絡して訴えたそうです。そしたら「分った。近くの警察に言いなさい」と言われ、「その警察がぼくを拘束してるんだよ」と言って、なんとか脱出できたとか。
 アカデミー賞の会場へのデモも厳しい規制がひかれるとのこと。

 彼は日本の様子をとても気にしていたので、皆が頑張って集会やデモをやっていると伝えました。
 イラク報道の後、忽然と「ツギはスポーツです」・・・と、私ども夫婦の旧友のお子さん富川悠太さんの登場。テレビ朝日に就職直前、沖縄へ卒業旅行に仲間といらした時、会いました。赤ちゃんの時に会っただけなので、その立派な姿に本当にびっくりしたのですが、考えてみたら、こんなに、エネルギッシュで溌剌とした若者達が敵対しあって戦争をしているのです。人生の最も輝かしい季節を人を殺す活動に費やす愚かさは、何度繰り返せばやまるのだろうか。居たたまれない気持ちになりました。

2003年3月24日(月)  

昨日、むらさき花だいこん(紫金草)のコサージュをつけてデモをしたのですが、先日の春日井の会でも、主催者は家の庭に咲いていた本物の紫金草をテーブルに飾って迎えてくださって、とても感動しました。この花は世界中に広めなければいけない。こうやって無言でも、花は1人で人の心を動かしていくのだから。
 夜のニュースワイドで視聴者のメールを紹介していて、その中で、「戦争に反対している人は、自分の身内で犠牲が出ても、なすがままにするのか」というのがありました。私はあえて報復は報復しか招かないと言いたいです。YOSHIの会が訴えたのは、銃を向けた人も銃の犠牲者だということです。愛することを選んだのです。日常的な場面でも、そういう小さな選択を私達が選びとる練習を重ねることがもっとも大切なことだと思います。
 花は既に銃を持たず、愛することだけで生きているのですから。

2003年3月25日(火)  

友人に会っていっぱいお花を貰いました。その中に根っ子のついた紫金草があり、すぐベランダの鉢に植えました。ずっとお花を植えるのは止めていましたが、久々の挑戦。無事に生きてくれるかしら?
 砂漠の砂嵐は、本当に大変なものです。楼蘭の東18キロにベースキャンプを張った時や、魔鬼城というヤルダン地形の沙漠でテントを張った時、ものすごい砂嵐を体験しました。と、言っても私達は探検隊の隊長の命令を守って、テントの中でひたすら静まるのをじっと待っていたのですが。とても外にいられる状態ではないのです。そんな中からも日本の報道陣は、実況しています。身に刺さるものがあります。こんな紹介のあるサイトに行きました。

 現在米国のテレビCMで流れているハリウッド女優スーザン・サランドンさんのナレーションです。 
 「アメリカの若者達が遺体袋に入れられて帰ってくる前に、イラクで女性や子供たちが命を落とす前に、知っておきたいことがあります。イラクは私たちに何をしたでしょうか」 

 中国人の友達から来た、日本人のメールの転送。多くの人への転送を希望されているそうです。
(以下転載)***************
>
> 秋貞さなえです。
> ヨルダン、アンマンから送信しています。
>
> 日本のニュースでは、
> 昨日のアメリカ軍のトルコからの攻撃で
> たくさんのクルド人が死んでしまったこと、
> 伝えられていますか?
>
> こちらのTVでは、
> 頭が半分吹き飛んでしまっている男の子の遺体、
> 手を宙に浮かせたまま固まったようになって死んでいる男性の遺体、
> 男性なのか女性なのか、大人なのか子供なのか、
> もう、何もわからなくなってしまっている遺体。
> または、それらしきもの…
> その映像が放映されていました。
>
> 数百人、死んでしまったそうです。
>
> バスラの人たちは、
> 確かに、
> アメリカ軍が街を制圧したことを喜んでいるのだと思います。
> 実際にイラクの人達と話をして、よくわかったのですが、
> 多くのイラク人が、
> フセイン政権の終焉を望んでいます。
> 「フセインとともに戦う!」
> と勇ましく叫んでいる人たちも、
> ほとんどが、
> それは表面的なポーズなのだということを、
> みんな知っているのです。
> フセインの独裁は、
> 人々を、苦しませ続けてきたのだということは、
> 私たち日本人も、心で、知らなくてはならないことだと思います。
>
> でも、そのこととアメリカの武力行使の正当性には何の関係もなく、
> どんなに酷い独裁者が支配している、どんなに人々の不満の多い国にでも、
> 爆弾を落としていいわけなどないということを、
> なぜ、小泉首相は言えないんだろう。
> 北朝鮮の問題があろうと、
> ほかのあらゆる複雑な問題が、どんなにたくさんあろうと、
> アメリカの武力行使を支持するという選択肢など、
> 最初から、あるわけがないと思う人たちが、
> 過半数を占めている、日本の首相が。
>
> 私は今日、これから、
> イラクへの国境へ向かおうと思います。
> イラク国内に入る人に、
> 劣化ウラン研究会の山崎久隆さんからの情報を託すために。
> マスクを付けて、
> うがいを頻繁にして、
> 被害地での飲食はしないで、
> など12の項目のアドバイスを、
> 英語とアラビア語に訳したチラシを、
> できるだけ多くイラク国内に届けたいと思います。
> この情報は、
> まだ、肝心のバグダッドに届いていないのだそうです。
> 少しでも早く届けたいと思います。
> マスコミの方にも協力していただけないか、相談してみようと思います。
>
> 昨夜泊まったダマスの安宿には、
> イラク国内の大学に通っていた大勢の外国人が泊まっていました。
> 医者になるための勉強をしていた人、
> アラビア語を学ぶために留学していた人、
> 彼らは、戦争が始まったために学び続ける権利を奪われてしまいました。
>
> 何も書いていない真っ白な旗を持ち、
> バグダット入りを目指す日本人たちと一緒の飛行機で
> ダマスカス空港に到着したMr.NADIR。
> その旗にはバグダッドに着いてから、
> 平和のメッセージを書くのだと話していました。
> 世界中の友人へメールを送信がうまくいかず、
> 調子の悪いパソコンに向かって、
> 日本語で「バカ!」と言いながらゲラゲラ笑っていた彼。
> 信号などないダマスの車優先の道路を横断する時、
> とろい私を、
> いつも、いつもエスコートしてくれた彼。
> 彼は相澤さんたちと一緒に、
> 昨日、無事、バグダッドに到着したようです。
>
> 思いやり、優しさ、ユーモア、ほんとうの強さ、
> それらが殺されない地球でありますように。
>
> 自分が何をすべきか、
> 一生懸命考えて、
> 少しでもよい方向へ向かうよう、
> 努力したいと思います。
>
> 悲劇は、もういらない。
>
> (転載おわり)*****

2003年3月27日(木)  

がま口塾3月例会。テーマは選挙。出席は私を入れて4人!すごいね!新記録でした。・・・遅れて終了後に滑り込んだのは、本物の市会議員さん。でも、すぐ又飛び出して行きました。超多忙な中、とにかく来てくれて有難う!
 色々色々色々色々考えました。がま口塾みたいなものがあれば、私は出席したいのです。私が知らないだけなのでそういうところがあるかもしれませんが、ないので、自分でやっているんですが。泣いた赤鬼のような心境というか・・・・がま口塾、私は皆に迷惑をかけているのかしら。1年続けられるかなあ。ちょっぴり自信をなくしている弘美なのでした。

2003年3月28日(金)  

弱音を吐いたら、色々励ましのメールを戴いて元気が戻りました。やれやれ、なさけない弘美です。やっとがま口塾便りを書き終えました。4人の密度の高い話をそのまま記録すると3倍のページ数が要ります。削りまくっての便り。よろしく!

2003年3月29日(土)  

今日、やっと発送です。4人の出席で90人に発送(ネットは何人見ててくださるか分んないけど)は、あまりにもバランスが悪く、やっぱり色々色々色々色々色々考えています。まあ、でも、元気を出して、誰かに「迷惑だ!」と言われるまで、頑張ろう。
 友人の退職お疲れ様会に呼び出され、江南市の市民会館傍の広い公園でおしゃべり会。どこかのレストランへ行くものと思っていたら、菜の花寿司?などの自家製お弁当が出てきて、ダイエットを誓ったばかりの私はガツガツいただきました。サクラ、ユズリハ、ハナノキ・・・・たくさんの春にあって心が癒されます。観光地でなくても何気なく外でご飯を食べるのもいいものだなーって思いました。
でも、話題はね、やっぱりね、人間の愚かさで。
 こんなメールを戴いています。有難うございます。

 ●ニイハオ!
  言わせて下さい。毎日毎日戦争を見ながら生活するってたまりません。 テレビでは、いろんな   知識人が、入れ替わり色々と言っています。 時にはテレビに向かって叫んでしまいます。正直  ひたすら終戦を祈ること しか出来ないのが悔しい。桜の開花のニュースが空しく聞こえます。
 
 ●松蔭さんが囚人として入っていた時、他の囚人の方々にも学問を教えたというお話は有名です   が、教えただけではなくて、習字の上手な方には、「習字を皆さんに教えて下さい」と頼み、俳   句の上手な方には「俳句を教えて下さい」と頼み、一人ひとりに愛情深く関わっていらっしゃるこ   とが素晴らしいと思いました。
           〜〜中略〜〜
   松蔭さんが、江戸に引き立てられて、謀反の企ての罪で30歳で死罪が言い渡されたときに、   作られたという歌――「親おもふ心にまさる親心 今日のおとづれ 何と聞くらむ」を目にした時   には、子としての松蔭さんのお気持ちが心に飛び込んできて、涙が止まりませんでした。
   このように松蔭さんのことを、今さらのように書いていますのは、時代という大局を感じつつ、今   なすべきことを切実になしてゆく人、その時の名もなき一人一人が、本当に起こすべき時代を    動かすムーブメントを起こしてゆくのだと実感したことを、お伝えしたくなったからです。
   私は何もしていなくて、申し訳ないのですが、私もこの場でやるべきことをやってゆくことがたく   さんの方の心身の癒しになることを信じています。吉田松陰さんと言えば、「至誠而不動者未    之有也」(至誠にして動かざるものはいまだこれあらざるなり」という言葉が有名ですが、「人は   まごころを持ってすればどんなものでも感動しないものはない」という意味とのことです。(皆、こ   の気持ちになれば、このイラク戦争だって回避できたよね。ガンジーさんが生き様で示して下さ   ったように。)

2003年3月30日(日)  

今日もデモに。デモに出る人がメチャクチャ多くなったら、歩道をポツリポツリと歩いている人は恥かしくなるだろうなと思いながら、シュプレヒコール。今はどっちが眺めている人達か分んない。東京のデモは出発の人と、最後尾の人の時間差がすごいとか。名古屋はちょうどいいくらい。歩いていると心底自分の育った町だと思う。こんなところにミサイルが飛んできたら、どんなに理不尽に、そして恐ろしく思うでしょう。名演小劇場で中国映画を見て帰る。
 金沢の友人達から、平和の折り鶴のキルトを作る案内がきたので、さっそく始めることにしました。「この子らの夏」の朗読の女優さんたちも自らキルトを縫っているとか。みんなの小さなピースを合わせて大きなキルトを完成させるのです。

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Akiary v.0.51