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2003年10月1日(水)  

講演会です。順調にプログラムが続いていました。もうすぐ私の番。さあ、いよいよ司会者が次の私に繋げる口上を述べました。司会者は私の古い友人のアナ仲間。なかなか登場しない私を庇ってバックミュージックを長々とかけて引っぱっています。
 
 私は朗読する予定の資料を忘れたのです。最近家を引っ越して色々なものがガタガタになっていて、そんなことをすっかり忘れて会場へ来てしまっていたのです。さあ、会場はちっとも私が登場しなくて音楽ばかりなので、1人2人と帰り出しました。私はあわてて「えいっ!」と舞台に飛び出しました。資料は、似た様な者がカバンに入っていて、それでなんとかなると考えて、これ以上、時間は延ばせないと思って飛び出したのです。そして、どんどん客席が櫛の歯が欠けたように人が減っていきますので、私が「帰らないでください!これからが大切なプログラムです」と言いました。

 すると、帰りかかっていた客席のあるお母さんが立って、「ここへ来るのにどれだけ我が家で葛藤があったことか、あなたは知っていますか!あなたはぺらぺらしゃべるだけの簡単なことでしょうに!」と意見を言いました。それからは、もう客席が舞台になって、舞台は客席になって意見が怒号のように飛び交いました。客席には色々な国の人がいて、国連みたいになって、特にアジアのお母さんが何やら怒って泣いていました。皆が私を、きちんと資料も用意しないで、1人だけいいかっこして!と攻め立てるのです。客席の人が・・・です。
 
 しかたがありません。司会者は何とかそれを収めて、私の次に講演をする方の時間を1時間から30分に削ってしまい、何とか会は終わったのです。でも、私は資料を忘れて、うまく予定が進まなかったことで、関係者に無言の叱責をかい、何を言っても口をきいてもらえなくなっていました。今までそんな怒り方をしたことのない人から。私は体がガタガタガタガタふるえ出しました。
・・・そして夢から覚めました。怖かったです。

 今まで私、不用意に人をいっぱい傷つけてきたと思うんです。傷つきもしました。「ごめんなさい。これからはこんなことしません」と謝って終わりにしてきたつもりです。でも、世の中には、それでも許してもらえない苦しみが存在するってことですね。たぶん、私はそんなものをいっぱい知らず知らずに背負っているのだと思いました。「私のような者が生きててごめんなさい」と思う本日の朝です。怖い夢でした。

2003年10月1日(水)  

<奇妙な日>

 夕飯の仕度をしておりまして、スープにかきタマをと思って1つコツンと割ったのです。
そしたら、卵の中の卵!最初は梅干をおとしたのか、どっかから転がり込んだかと思ったのですが、絶対そんなことはありません。デジカメで思わず撮りました。そして生産者さんに電話をしましたら、そういう卵があるとはきいていたけれど、実際に自分の農園の卵で聞いたのは、20年養鶏をしてきて初めてのことだと驚いていらっしゃいました。
 我が家が週一回とっています、「とりのさと農園」の卵を紹介しますと、

 10個1パック\450。養鶏は少羽数平飼い。およそ600羽が15坪の面積に120羽ずつ入っています。南向きの鶏舎で伸び伸び、野菜や野草をたくさん投与しています。薬品は一切与えず、60日令にND(ニューカッスル病--法定鶏感染症)ワクチンを接種するだけ。 養鶏の技術や玉子の品質については、一定の評価があります。なんと言っても、玉子かけご飯! 論より玉子。

2003年10月2日(木)  

<特報>

 メーテレ(名古屋テレビ)がご覧になれる東海地区の皆様!明日のスーパーJチャンネルで、私の卵事件が放送されます。多分私が送信した卵の写真がアッというまに写って・・・それだけのことと思いますが、とっても愉快ですね。久々に笑えそうです。

<奇妙な桜>その@

 我が家の東側のベランダにお隣の桜の枝が入り込んでいます。「すみません。いつでも切ってください」とお隣のIさんはおっしゃるのですが、竹林だって桜だって、新しいお家が建つ時にバサバサ切り倒されて、『止めて!』って心で叫んでたくらいですからね。大歓迎の桜なんです。そそそそれが!今朝朝焼けをみようとベランダに出たら、桜が咲いているのです。
 ひとしきりデジカメで撮ってから、ふと、誰かが巧妙にセメダインでくっ付けたのだろうかと冷静な気持ちになりました。昨日の卵も、誰かが私を脅そうと(元気をださせようと)注射器かなんかで手品のように細工をしたのか・・・と。

そのA

 会員さんから、「新聞に明日南生涯学習センターで講演会って同じ名前が出てるけど、あなたのこと?」と電話がかかってきて、大騒ぎして日記まで書き出して、まだ新聞を読んでなかったことに気がつきました。したらば・・・うーん、やはり新聞ネタになることではあったのです。ちゃんとプロの写真入りで、大府市の熱田神社の境内でソメイヨシノが咲き出して、参拝客を驚かせているって名古屋版に出ています。

 私は気象庁に電話してみようと思っていたんですが、記者さんは、東山植物園に聞いたようです。害虫や台風で葉が落ちた桜にときどき見られる現象で、適温で落葉すると開花の抑制が利かなくなるのが原因との事。植物園のソメイヨシノも相次いだ台風と8〜9月の熱波で葉が落ちていて「ひょっとすると開花してしまうかも」と、締めくくってありました。

 なんだ、人間も一緒だわ。育て方が早すぎたり、遅すぎたり、嘗めまわしてあれこれいじると咲き方がおかしくなるもんね。うちの子達はほったらかしたので、ちっとも咲きませんが。

 南側のベランダからお向かいの櫻井さんちの桜の大木がみえるんですけど、なるほどこっちは葉がしっかりくっ付いています。ずっと、東側の桜はどうしてこんなに早く葉が落ちちゃったのかしらって、不思議に思っていたんです。疑問が解けてすっきりしましたが、午後、塩釜神社の桜を見に行ってきます。

 そのB

 我が家から徒歩2分の塩釜神社にも、続きの山のてっぺんの御幸山公園にも行ってきました。どこにも桜は咲いていませんでした。で、まだ疑問が残るんです。害虫に食べられちゃったのはし方が無いとして、台風のために葉が落ちたなら、どうして、葉が落ちない木と落ちる木があるのかってことです。塩釜神社の桜は夕方の風に枝を揺らしながらも、葉っぱはけっこうしぶとく枝にしがみついて、平気で風のなすがまま。うーむ。こうなると遺伝子の問題か?風や害虫に弱い性格の桜なの?で、来年の春は咲くのだろうかとどんどん謎めく桜です。
 

 

2003年10月3日(金)  

講演会です。18:30からですからね。もうすぐ私の卵の放送が始るう!と思っても絶対不可能でありました。ま、ビデオで見ましたので。

 南生涯学習センターで、中国からの帰国者の皆さんとの交流の公開講座でもう14年もつづいているそうです。父と同じ戦地にいらしたKさんが、83歳の身に鞭打つように帰国者のお世話をしていらして、もう40世帯200人の方の定着に心と身体を尽くしてこられていて、今日も日本人に混じって参加していた中国残留孤児帰国者家族の皆さんから「おじいちゃん」「おじいちゃん」と言われていらっしゃいました。

 私の話の通訳をしてくださったお嬢さんも、12才で帰国して信州大学の大学院まで出て、教師をしているとのこと。講演(「実話実説」を見て頂きました)後、回転寿司でおじいちゃんといっしょに食事をして、家まで送って下さったTさんも黒龍江省ハルピンからの帰国の2世。5人兄弟がつぎつぎ帰って、現在29人の親族が近所で暮しています。みんな本当に頑張って仕事をし、勉強してるんですね。おじいちゃんのご苦労も多いようですが、1ヶ月入院したら、ボランティアの仕事がたまりすぎ、無断で退院してしまったと笑っていらっしゃいました。おじいちゃんがいないと200人のだれかに次々問題が発生してどうにもならないんだそうです。
 
 本当に関係者から直接話を聞くと政府に疑問を感じ、思わず、謝礼の半額を活動費にとおずおずお返ししました。それから、会場近くのがま口塾の会員Aさんが、私の為にアツアツのふわふわリンゴケーキを焼いて届けてくれたのですが、、車で送って下さったので、Aさんの心のこもった手作りケーキであることを話して、ご家族で召し上がってくださいと差し上げました。Aさん!ごめんね。ありがとう。

2003年10月4日(土)  

日記に感謝。偉い日記です。
お昼にドアチャイムがなったので、ドテーッとめちゃくちゃひどいカッコウして出て行きましたら、昨日リンゴケーキを会場に届けてくれたAさんが、ニコニコ立っていました。忙しい人なのに寸暇を利用して又リンゴケーキを作って、仕事の通り道だからって、私に届けてくれたのです。なんて優しい人達に私は囲まれて生きているのでしょう。ありがとうAさん!今度はお茶が怖いけど・・・。

 ドテーって言うには訳があって、朝から大掃除・・というより重箱の隅をつつくような掃除を始めたら、手におえないほどの汚れようで、夢中になってあちこち「家」と格闘していたのです。お客さんに泊っていいよと気楽に言うものの、いざ家の中を老眼鏡をはめて点検すると、まーあ。それはそれは汚い。お蒲団干して、台所にこもっただけで、1日過ぎてしまいました。

 お蒲団を干していたら、お隣のHさんがベランダごしに「いいお天気ねー」ってにっこり明るい声をかけてくれました。何かとっても嬉しかったです。さあ、もう少し、掃除。
 がま口塾便りの発送は、そんなわけで、明日にまわしました。以前の私には考えられない、許しがたいなまかわぶりです。すみません。

2003年10月5日(日)  

 今朝1時半頃まで泊り客のスウさんと色々話していたのです。話していた時は冴え冴えとしていたので大丈夫と思ったのですが、さすがに今日一日トロントロン。スウさんのお土産はみすず書房、斎藤道雄著「悩む力」。早く読みたいし、ほかにやるべきことあるしと、それで又トロントロン。

 サンデープロジェクトの「検証アメリカの戦争A=ブッシュ政権と戦争利権―失われた《大義》とチェイニー副大統領の疑惑」は高世さんのジンネットの取材。本当に悲しい戦争だと思いました。アメリカは戦争株式会社じゃありませんか!

 いまイラク全土の石油関連施設の復旧を担当するのはKBRという会社。2千7百億円という巨額契約を国防総省と結んだ。KBRはさらに、駐留米軍の基地整備や住宅管理、兵站、洗濯などの業務を独占的に請け負っている。
 その利権の背後にいるのは、新保守派をブッシュ政権に引き入れ、最も早い時期からイラク戦争を煽ってきた政権ナンバー2、チェイニー副大統領。実はチェイニーは1992年、国防長官として、米軍の後方業務を民間に委託するシステムを作り上げ、さらに1995年から2000年にはKBRの親会社「ハリバートン」の最高責任者CEOをつとめていたのだ。
 
 戦争利権の構造がスクープ取材されていて、来週も続きます。危険な場所にも敢然と出かける報道マンの心意気を感じる映像。渾身の仕事。

2003年10月6日(月)  

 いったん枯れ木になったベランダごしの桜は、毎日葉を何枚かづづ増やしていて、花も増えて、春ほどのあでやかさ、色っぽさはありませんが、何かそこはかとない清楚で、静かで、秘密めいた美しさを雨に揺らしています。素敵なので、ボーッと見とれています。御近所の誰も気がつかない、私だけの秘密の桜です。スウさんが、ぐっと下を覗き込んで、いったん切られてから再生している桜だよって教えてくれたけど。スウさんの金沢の家も森の中って感じで、木が大好きな人です。なんせストーブも薪を山からとって来て炊いてる位ですから。

 でも木と言えば、岩手娘のなっちゃんを語らない訳にはいきません。なにしろ、木登りが趣味。今日も東北地方は地震があったみたいだけど、なっちゃんは地震になったら木に登って助かると信じています。先日のメールでは新夫?とツリークライミングしたそうで、

 「風も強かったから、木の上にいるときはぐらぐら揺れる木と抱き合って揺られていたよ。だけど不思議と怖さはなくて、木が人の肌とおなじように温もりがあって、抱かれていることに安らぎを感じました。なんとなく、こんなふうに生きて、死ぬときさえもこんなふうに木のように靜かにあるがままにいられたらな」と。

 私も木登りしてみたいなーって思っています。皆さんに本当に心配のメールを戴きました。感謝です。お蔭さまで元気になりましたので安心してくださいね。。

 「悩む力」読書中。なかなか面白い!ふっと、『そうだ私の夢は90歳でディスクジョッキーやることだった』と思い出しました。どんどん悩むこと。それは、順調に「悩んでる」ってことです。

 高世さんに番組の感想をメールしたら、ものすごい反響のようで、全国からいっぱい感想が届いているのでしょうが、こんな返事を戴きました。

 「取材には2名のスタッフを派遣しましたが、イラクの治安の悪さは予想以上で、いつ撃たれるかと毎日怯えていたそうです。アメリカが標的になっているので、私は、「米軍とは一緒に行動するな」と指示することしかできませんでしたが、無事に帰ってきたときには、さすがにほっとしました。来週はいよいよ軍需産業を取上げ、何人ものブッシュ政権関係者を登場させます。ぜひ、ごらんください。」

 アメリカのライフル協会も行きつくところは一緒。アメリカが巨大なコスタリカになってくれたら地球はどんなにか素晴らしくなるでしょう。 

2003年10月7日(火)  

 斎藤道雄著「悩む力」読了。

「べてるの家のテーマというのは、決して精神障害者を理解して、精神障害者を社会復帰させてはげますことにあるんじゃなくて・・・いわゆる“和解の達人″である、べてるの一人ひとりの導きと支えと助けによって、誰でもが自分自身との和解を経験する場である、そして自分を回復する場である、ということがべてるのテーマだと思う。そして自分自身と和解することのできた人のみが、人とも和解できる」

 という、向谷地さんという「べてるの家」に最初から関わってきたソーシャルワーカーの方の言葉が心に残りました。べてるの家のメンバーたちは全国に講演会にも行くんですね。それで、この5日の日曜日に名古屋でベてるの家の講演会があったので、スウさんが、北海道までは行けないけど、名古屋だったら是非行きたいと金沢からやってきたわけで、私にこの本をお土産にくれた訳です。

 著者はTBS「報道特集」のディレクターで、「ニュース23」のプロデューサーもされていた方。「べてるの家」は既に報道もされ、本やビデオもたくさん出ているのです。ごらんになった方も多いのでしょう。私は知りませんでした。

 ☆北海道浦河町は、えりも岬に近い人口1万6千人の町。浦河赤十字病院の精神科を利用する当事者と地域の有志によって開設した生活・事業の拠点。最初は、教会の古い会堂を借り受け住居として活用すると共に、そこで5人のメンバーが日高昆布の袋詰めの下請けをはじめた。そして10万円の元手で仕入れた日高昆布を全国各地に出荷する事業や、地域のお年寄りに紙おむつの宅配をするサービスも手がけ、その後有限会社を設立し福祉用具や介護用品の専門店も経営、現在は、年商1億円に達し、地域に密着した多種多様な事業に総勢100名余の人材を抱える地域の重要なサービス拠点となっている。

 本の感想は別として、私としては、TBSのディレクターがこういう本を書かれたことに思いを深くするものがあります。報道側にいる人々に興味があるし、私の数日の「悩み」もまさにそれに関わりのあることでしたから。報道側にある人の「心のありかた」で報道は微妙に味つけされ、私達はけっこう右往左往します。悩む力があることは凄いんだって気がつきました。
 だって、戦争に突っこんでいって、皆が他国の大地で人を殺して大喜びして「勝った勝った」って提灯行列で練り歩くなんて、悩む力のある人のすることじゃないんです。悩む力のあった人は自分で気が狂うか、拷問で殺されるかひどい目にあうか、思想改造させられたんです。遠い昔のことじゃなくって、ほんの一寸前。悩むって素晴らしいことなんだわ。

 報道する側には、文句のつけようのない立派な人達ばかりでなく、悩む力のある人、弱い人が必ずいて欲しいのです。精神科を利用する人達の本を読んでこんなこと言うのは、ちょっと変なんですけど、しょうがないんです。私はそう思っちゃったんです。素敵な本でした。

2003年10月8日(水)  

 皆さんから9月号の誤字脱字の多さを指摘されております。自分でも呆れていますが、上の空の9月でした。やっとはい上がった感じですが、今朝、新聞を広げて思わず声をあげてしまいました。
 
 ステファニー・レナト神父が東ティモールで事故死。66歳。どうして良い人から亡くなっていくのでしょう。ティモールの独立記念館建設中に。
 がま口塾に来て下さったのは1989年の8月5日。<ホーム画廊・ちょっと知りたいニカラグア>。出席は15名と赤ちゃん1名。司会は、17歳の高校生と記録されています。冗談をさらりと言う方で、日本にいついらっしゃったのですかという質問には、「東京オリンピックの時。金メダルをとってそれを売って帰りの旅費にするつもりだったけれど、失敗しちゃったの」といつも笑っていたレナトさん。

 25年間日本にいて思うことはどんなことかの質問に対して「日本の社会のことを一番知らないのは日本人だということ。自分達はどういう社会なのか、さっぱりわかっていない」」ときっぱり答えていらっしゃいました。今、あの日の19ページのがま口塾便りを読み返しています。

 東ティモールの虐殺のビデオテープを全国のマスコミに発表された時、テレビで解説されていた姿も忘れられません。チェルノブイリの救援活動の講演会の時も、通訳として助けてくださいました。日本語も英語もペラペラでイタリア語にスペイン語に・・・いったい何ヶ国語話せたのかしら?まぎれもない地球人でした。なくてはならない人でした。

 前レバノン大使天木直人氏の発言に感動。戦争をしている最中に復興支援を口にする不可解さは私も感じていました。戦争はしてはならないこと、当たり前の、しごくもっともなことを建議して解任になるなんて(単なる人事異動ということですが)・・・。

2003年10月9日(木)  

クリントン元大統領が、11月に愛知学院大学にやってくる!シュワちゃんどころじゃない!とばかりに、愛知学院大学に電話。「是非ほんの僅かでいいので、お渡ししたいものがあるので、会わせていただけないでしょうか」と・・・・。

 主催者の立場になって、冷静に考えると大変あつかましいことを言ったものです。大学の事務長さんは、学長さんとも相談してくださったとの事ですが、本日当然のごとく丁重なお断わりの電話を戴きました。すべてエージェント電通を通さねばならないとのこと。2000人の客席で、一般からも200人の聴衆を募集しているのです。昨日の新聞発表で、現在既に2000人の応募があるとのことで、「厳正な抽選をしますので、どうぞご応募ください」とのこと。当日、参加者からの質問の時間もあると書いてありますが・・・」としつこく言うと、「それは、一般の方はご遠慮いただいて、すでに発言する学生も決めております」・・・。これも当然といえば、当然か。テレビ局が呼ぶんじゃないもんね。

 渡したい物というのは、ニューヨーク大学の(現在香港大学)クリスティン・チョイ教授が制作した映画「世界中に轟いた銃声」(配給会社クロックワークス)のビデオが、9月26日から発売されたのです。1万円。それをまず、クリントン氏にプレゼントしたかったのです。アメリカはもうこれ以上武器を取らないでほしいのです。
 服部夫妻はホワイトハウスではお目にかかったし、自宅に電話ももらったのだけれど、名古屋に来たから簡単に会えるって訳じゃない人なんですね。エージェントの壁がありました。タダではクリントンさんを呼べないものね。はて・・・。とりあえず学長さんにプレゼントしようかな。張陽も学院大の卒業生だし・・・。

 

2003年10月10日(金)  

昨日、とっても嬉しいことがありました。ホッとしました。
 今日も嬉しいことが二つありました。その1つは、沖縄に留学している蕪湖の学校の時の英語教師だった劉さんが琉球大学の大学院に合格したことです。ヘトヘトになるほど頑張ったようです。
 もう1つはくも膜下出血で入院している友人の、退院できそうだというニュース。本当に気持ちが落ち着きました。

 愛知学院大学の学長さんに手紙と写真と本を送りました。張陽が在学中にYOSHIの会で仲間として一緒に活動したことを綴りました。彼もデモ行進する時に使うためのキルトに「和平」と字を書いてくれたことを鮮やかに思い出したのです。「アメリカに対してこういう活動をした、貴大学の留学生がいたことをクリントン氏とご歓談のおりにでも、お伝え戴ければ幸いです」と祈りをこめて書いたのでした。

 いつこの世と別れてもいいように、1日1日、大袈裟に思われてもいい、淡々と、やれるだけのことをやって・・・いる・・・かなあ・・・。

2003年10月11日(土)  

愛知学院大学の事務長さんからわざわざお電話を戴き、郵便物は必ず学長に届けますとのこと。??????学長さんにあてた小包なのに、どうして事務長さんの目にとまったのかな?私の名前、覚えててくださったことは確か・・・。それに学長さんに私の手紙が確実に届くなんて感激。感謝。ありがたいことです。さて、どう展開しますやら。服部美恵子はモンデール元駐日大使に手紙を書いて、そちらからクリントン攻めに入ろうかと・・・。当たって砕けろ、大法螺吹こう、みーーーーんな人間だい!

 高校時代の友人がお連れ合いの赴任先から一時帰国していて、ひょんなことから連絡があって、25年ぶりくらいに会いました。老人介護の話でもちきり。80歳代が100歳代の介護という現実の話で、もう無理なんですよね。色々な手続やらケアに海外の赴任先からも駆けつけなければならないという、本当に新しい時代の介護問題です。私も3人送って、後は、恐怖の母ひとり。歩き回ってくれているので、つくづくありがたいと思ったことです。

2003年10月13日(月)  

 深夜のテレビは相当頑張らないと見られません。「拉致問題帰国から1年。拉致被害者達の素顔」を見ました。みんなの目に晒される日々もどんなにか辛いことでしょう。
 来週は日本テレビ「NNNドキュメント」(深夜0時25分)「彼女がめざした故郷―脱北日本人妻の180日」です。今年の冬、ひとりの日本人妻が、凍てついた国境の川を、娘とともに徒歩で渡り、北朝鮮から命がけで脱出し、中国から日本にいる母親に連絡を取ると、受話器に返ってきたのは「お前は親兄弟を捨てた、帰ってきちゃいけないよ」という母親の冷ややかな言葉。引き裂かれた家族の歴史。ジン・ネットのカメラが、中国国内での潜伏生活、日本領事館による保護から3月末の日本帰国、日本社会への定着へと日本人妻に完全密着して、わだかまりをかかえる家族との50年ぶりの再会、幼なじみや恩師との再会・・・を追うとのこと。こちらは50年の空白です。

 朝の「サンデープロジェクト「検証アメリカの戦争B=そして軍需産業が勝った・・・―ブッシュ政権・戦争利権の正体」米軍が破壊したイラクの施設を米企業が修復して莫大な利益をあげるというイラクの皮肉な現実。「イラク戦争の勝者」(NYタイムズ)と呼ばれるのが米政権と太いパイプを持つ世界最大の建設会社ベクテル。

 見ていたら・・・ブッシュは軍需産業で演説して「あなた達は多くの命を救ったのです!」と称えました。そして大拍手。何と不気味な!日本の首相もそう思っているのかしら?そうですよね。とってもいい関係だから。ブッシュの支持率がアメリカ国内で落ちているのに一縷の望みをかけています。

 北朝鮮もアメリカもイラクもどこの国も日本に関係ないことは1つもなく、また、日常生活のどんなことも政治に関係ないことは1つもなく、過去からの歴史はみんな自分に纏わりついて、やっぱり一つ一つ悩み、選択、片付けて生きて行かなくてはならないんですね。

2003年10月14日(火)  

 御幸山公園は明治天皇が行幸し、野立てをしたとして記念碑がたっていますが、今は犬の散歩集会所? 5〜6人の犬のお母さん?たちが楽しそうに笑って犬達と公園から出てきました。思わず「遠足ですか?」と声をかけたら、大笑いがおきました。八事までの尾根歩きは楽しくて、あちこちの木々を眺めて歩くのですが、今度は途中で、ベランダに出ていたおばあちゃんと目が合い「お出かけですか?」と、道路の私ににっこり声をかけられました。全然知らない人達との会話です。幸せな平和な風景とはこういうことを言うのかもしれないと思いました。

 今日は岐阜で友達の仕事のピンチヒッターをして、岐阜の別宅に泊り、明日は、大掃除をしてから、名古屋に帰宅予定。そして張陽のお母さんが帰国するので、お別れ夕食会を我が家で。次の日は東京です。16日の夕方、銀座で夕食会の予定です。みんなに声をかけていますので、この日記をごらんになっている方で、お時間のある方はどなたでも6時に銀座の「江南春」へどうぞ。御連絡くだされば、地図をお送りします。

 そうそう、電話で保険会社からも声をかけられ、思わず入ってしまいました。夫にかけて私ががっぽりいただきます。「ご主人様のお仕事はなんですか?」「会社員です」「はい。会社員様ですね」 ・・・「会社員様・・・?するてえと、自営業様とか運転手様ってこと?教授様?教祖様・・おや、これはぴったりだワ」・・・まあ、社長様という言い方があるから、会社員様があってもいいかと奥様は思った事でした。

2003年10月15日(水)  

 岐阜での仕事はカルチャー教室。20人くらいの方と久し振りに発声練習をしました。ピンチヒッターなので、何をしてもいいと言われていて、簡単に自己紹介をして、皆さんに、私への30秒スピーチ質問をしていただいて過ごしました。皆さんに質問されて、自分自身で発見したことは、「美しい言葉」というものに対する考え方が、若い頃と明確に違ってきたということです。人に質問をされて答えるということも、随分勉強になり、自己確認になるということがわかりました。どっちが先生だったか分からない教室でした。

 別宅泊で、掃除・洗濯・コマネズミ。名古屋へ帰って又掃除・洗濯・お買い物マシン。これでも「御主人が理解があって、やりたい放題の奥さん」と言われるのです。来世は、男でも女でもない、中性に生まれたく候。

中国の神の船、有人で宇宙へ。今日は、ちょうど張陽のお母さんが土曜日に帰国するので、 我が家で送別会をやっていたのです。私の恐怖の母も、手作りの赤ちゃんの木目込み人形をプレゼントに携えやって来ました。スターは、宇宙飛行士もなんのその、1ヵ月半になった赤ちゃんで、打ち上げを報じるTVニュースをバックに皆で記念写真をとりまくりました。マーマに「赤ちゃんを連れて帰ったら?」と言うと、「私はそうしたいけど、2人が同意しなかったの」だって。張陽も「息子のことを完全に忘れちゃった」と笑っていました。

 岩手の一関市の病院を熊が走りぬけたってニュースに仰天!なっちゃんのいる町です!けが人ナシにホッとしましたが、本当に何が起きるか分からない世の中。

2003年10月17日(金)  

16日は上京。溜池山王のK会社へ、万里の長城学術調査隊の隊長さんと秘書長さんを案内しました。来年秋の、世界初タクラマカン沙漠横断冒険旅行(2ヶ月)の準備を色々されている一環です。K社はヤンキースの松井選手のお父さんが石川県で以前勤めていらっしゃったとかで、CM契約をしているのでしょう、入り口ホールに等身大のベニヤ?の松井選手がいて、レッドソックス戦さながらの臨場感あるフォームで迎えてくれます。

 夕食は「旅チャイナ」のホームページのオフ会?のような集まりを銀座八丁目の中華料理店「江南春」で。地下のお店ですが、階を下りていく壁際に、紫金草の物語に感激した北京の画家が、北京でのコンサートの時にプレゼントしてくださった大きな墨絵が、立派な額に入れて飾ってあって、びっくりもし、とっても嬉しくもありました。
 掲示板の書き込み仲間に会うというのも初体験でなかなかのスリル。出あった事のない職種の御年配の男性に初めてお会いして、色々な人生があるものだと思ったことでした。ちゃんと女性もいますので御安心を。退職の記念にご夫婦で100日間世界一周の旅なんて、ほんとにされる方が・・・目の前に・・・いらっしゃったのでした。うーーーーん。私は1人でしたい。(もし○○が有ればの話。時間はなくてもつくっちゃう!)

 紫金草合唱団のO御夫妻もお店まで迎えに来てくださってちょっとだけ合流。夜のレインボーブリッジをドライブして、駒込の自宅まで。深夜までお喋り。

 今朝は旦那様の案内で2人だけの散歩。いいでしょ?都電が走っているというので見に行き、早稲田行きに乗って、一つ目の駅ですぐ下車。東京外国語大学(一年ほど前に移転して今は廃校)をぐるりと回って墓地に入り込むと、芥川龍之介や高村光太郎・千恵子等のお墓がありました。ほどよく疲れて帰れば夫人の手作りの朝食が待っていて・・まあ、毎日こんなだったら、私絶対昇天します。

 のぞみに乗って優雅に帰宅しました。深夜バスの旅とはまた違うのですが、どうしたものか、私はやっぱり深夜バスの方が遠足っぽくて楽しい性分です。

 

2003年10月18日(土)  

張陽マーマを名古屋空港で見送りました。いよいよになったら泣き出してしまったマーマ。別れは辛いものです。

 今池のガスビルホールでチェルノブイリ救援中部主催の講演会「小さき人々の未来」が開かれました。語るはベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシェービチ。金沢でチェルノブイリの小さな村の小学校とずっと素晴らしい交流をされた、金沢のA先生が講演を聞くためにいらっしゃったので、今日は我が家に泊っていただいています。飛行場と時間が重なって参加できなかった私はAさんから内容をきいたのですが、ベラルーシ政府は「大地はすべてきれいになった。何も問題ない。あれはもう過去の話だ」と言っているとのこと。「政府に圧力をかけられるのは、やっぱりインターネットを駆使した外国からの真実の情報であり、期待している」とアレクシェービチさんが言っていたのが印象的だったとAさんは言います。大きな権力の横暴に翻弄される小さき人々。それはしっかりしていないと、私自身のことでもあり、哀しい気持ちでいっぱいになりました。

 千種のモンゴル料理店「ハムティバイナ」が不況の波に抗しきれず、今月いっぱいで店じまいとのこと。店主のMさんは名古屋へ初めてチェルノブイリ被害の情報をもたらした人です。彼女との出会いがあって、私の人生は大きく変わる事になりました。金沢のAさんをつれて、最後の食事に行きました。

 ロスのケビンさんからメール。クリントンの件と、映画の情報。今日上映が始まった
「Runaway Jury」(ジョン・グリシャム脚本)は銃会社に対する裁判の話が中心とのことで、これはマイケル・ムーアの「ボーリング・フォー・コロンバイン」より国会議員に圧力がかかる内容のよう。

 世界のあちこちに、良心を忘れない、小さき人々の精一杯の告発があります。

2003年10月19日(日)  

申し分なき「秋」。素晴らしいお天気なのでAさんを名古屋駅に御見送りがてらの御幸山から八事への尾根歩き。右や左の豪邸を見ながら、「あそこの家のあのガラス張りの部屋でがま口塾をやったら、皆さんどんなに嬉しいかしら?」「あの家のベランダだってがま口塾やれるよ。お茶や焼き芋じゃだめだから、『チョコレートパフェでございます』とか、『シフォンケーキ焼きましたから』なんちゃって皆さんにお出ししてね・・・」等と私が解説して歩くので、Aさんは笑いっぱなしでした。
 ずっと売れるのを心配していた邸宅のオープンハウスをまだやっていたので、2人なら勇気百倍。今日部屋に入って見せてもらいました。「・・・!・・・・!!!」の連続。1億円の宝くじが何回当たれば買えるのでしょう、申し分なき「家」。

 太陽の恵み。自然の恵み。雨露しのぐ屋根があればいいではないかと分かっていても、人間の欲はきりがありません。ああ、またがま口塾。ただただ平凡なマンションにおいでくださる皆様、せめて、八事からの尾根を歩いて30分ほどの散策をお楽しみくださいませ。小鳥の声と秋の木々がおもてなしです。放射能に汚染されていない幸せに満ち満ちていることを私は知っています。

2003年10月20日(月)  

「むらさき花だいこん」という絵本を中国やアメリカで出版したいという話はもう2〜3年ほど前からしていて、私も実際北京で仲介者と一緒に出版社に出かけました。アメリカでは、ロスアンジェルスのケビン・モールさんが、私が絵本を送った時から、ずっと翻訳したいと言っていました。

 話が進む時はおかしなもので、ドドーッと重なるようで、何と、アメリカのインディアナ州からも高校の教師をしている日本人女性が翻訳の許可を求めて来たそうです。

 今日考えた私のアイディアは、全世界に対応できるようにCDRを作っておいて、基本的に日本語の朗読にしておいて(中国語・英語バージョンもいいでしょう!)各国の字幕で対応するというものです。DVDやビデオにもできますし、とにかく大きなスクリーンにプロジェクターですぐ映せます。学校などの教育現場では、とても便利なはずです。バックミュージックはすでに出来上がっていて、演奏者は日本全国にもう2000人もいます。皆がボランティアで参加して素敵なCDRができ、世界中の言語に簡単に対応できる!ワーーーーオ!

 アイディア倒れの大法螺吹きのがま口弘美、今日も健在也。すみません。聞き流しといてね。

2003年10月21日(火)  

 ケビンが今日、映画「Runaway Jury」を見たとのこと。彼の言葉によると「銃会社の悪いことが多く出て、なかなか面白い映画でした。たばこ会社がアメリカで嫌われるように、銃会社もそのくらい嫌われるようになるかも。ただ、たばこと違って、銃会社の方が裁判でつぶれてしまう可能性も少なくありません。」・・・・だって!ほんとかなあ。

 ちょっと待てよ。どうして戦争に対してアメリカ人は裁判をおこさないのかしら?マクドナルドのコーヒーをーこぼして火傷したって裁判してすっごいお金をとっちゃう国でしょう?銃の会社の製造責任を問うのなら、戦闘機の製造責任はどうなるの?「戦争だから」と言っちゃえば、人を殺してもいいのかな?すべてクリアしちゃうのかな?

 これは何年も何年も続く話になるんでしょう。日本がしでかした戦争だって、戦後58年たってもまだまだ次々裁判です。

 福岡市のSさんもニューヨークで息子さんを殺され、裁判で戦い抜いて、銃会社の製造責任を問うことに成功されました。鬼気迫る勢いだったこと、今でも思い出します。ケビンの映画の感想は、銃のない社会になってほしいという期待が加算されているように思います。

 

2003年10月22日(水)  

SARS支援の会の時の話です。突然プロジェクター操作人が必要になり、楼蘭に行った時、9日間ずっと同じ車に乗って砂まみれの探険同級生だった H さんが快く引き受けてくれました。でも、会の当日まで、彼が会場の皆さんに、突然発言するまで、私は彼がどんな職業なのか、全く知りませんでした。だって探険隊のクルーの時は仕事を辞めて参加してたんですものね。
 何と、彼は中国に駐在する日本人向けの保険会社で仕事をしていて、実は、今年のSARSの時期も、お医者さんといっしょに北京や上海でセミナーをやっていたのでした。

 その彼がSARSに関しての本を出版したいということで相談を受けていたので、八月書館を紹介したところ、うまく進みそうで、八月書館の I さんから昨日電話をもらいました。彼への手紙という形で、チャリティのお金を北京へ届けた時の様子をちょっとだけ書いて欲しいという依頼でした。お引き受けしたので、今日は1日中作家???活動。手紙くらい書けるわと思っていたのですが、書き終った時にはけっこう疲れておりました。トシです。まだこれから書き直しが繰り返されるのです。うまくいかなかったらボツになるやもしれません。ほんのちょっと・・・と言えども、編集者は容赦しない。書く事は辛い。

 それにしてもHさんとは八月書館同級生にもなりそうで、不思議なご縁です。はい。トシも同じです。明日はがま口塾。テーマは口癖ですね。私の口癖は「トシだねえ・・・」かな?

2003年10月23日(木)  

がま口塾。今日は、自分でメモをとり、カセットで録音し、MDもイヤホーンで確認しいしい、しかもマイクロフォンも変えて収録!やったあ!全部◎。失敗をすると、こりてこうなるのですが、又、気がたるむころあぶないよね。とにかくホッとして、テープ起こしも快調です。

 八月書館からもOKが出て、やれやれ。あーーーーーっ。今日は寝ます。ぐーぐー。

2003年10月24日(金)  

できたあ!今回は早かったぞ。えっへん!がま口塾だより「口癖」とにかくテープ起こしだけは記録しました。メール参加2名。皆さん有難うございました。

 ポカポカととっても良い天気。街を歩いているとあちこちに蒲団が干してありました。で、昔々のポカポカの光景を思い出し懐かしい気持ちになりました。
 我が家では2階の屋根に蒲団を干していました。そこに猫といっしょに寝転んでよく本を読んでました。いえ、少女雑誌か何かで・・・。とにかくよく屋根に上ったのです。女の姉妹がなく、自然と男のようなことしてたんでしょうね。

2003年10月25日(土)  

 大正琴の定期演奏会まで1ヶ月。打ち合わせに行ってきました。「千と千尋の神隠し」の一部の朗読を大正琴をバックにするのですが、私も衣装を着たほうがいいということになり、ハクのイメージで自作の予定。ちょと心配也。

 「嵯峨御流いけばな展」を丸栄スカイルに見に行きました。明治の偉人の短冊に花を寄せるというテーマ。もちろん藤井喜久甫さん94歳の作品がまずのお目当て。感動。大らかな作品でした。いけ花はたしなみませんし、喜久甫さんを知るまではあまり花展に出かけることもありませんでしたが、良いものに出会いました。発想が豊かで心潤う素晴らしい作品空間でした。

 続いて名古屋市博物館へ。「神原梅子 藍・絞り染め展」です。父と同じ戦地にいらしたということで1年前に知りあった神原さんの奥様は染色家。それも60歳から始めていらっしゃいます。現在77歳。個展は2年ごとにされていて、今年は第7回なのですが、個展の3日前に足を骨折され入院!会場入り口に不在の詫び状が掲げられていて、これもびっくり。でも、ご家族が力をあわせて無事展覧会は開かれています。これも素晴らしい優しさに溢れた藍の作品でした。

 昨日、愚息に「あなたは究極の無趣味人間だ。文化的な趣味をもったらどうなの」と言われた私。ムッとしたのですが究極の毒舌家を生んだのも私。黙って聞いておきました。うーーーん。やっぱり私には文化が不足。まだまにあうかしら?刺激的な1日でした。 

2003年10月26日(日)  

ゆったり工房祭り。精神をやんだ人達の施設の年に一回のお祭りで、バザーや、よさこいの踊りや、太鼓や、フォーク喫茶や、五平餅や、みたらしや、カレーや、芋掘りや、焼いもや・・・とにかくお祭です。大勢の人出で賑わいました。

 私は「さおり」という織物の部屋でコーヒーとパンを出しながら、皆さんとおしゃべりをするお手伝いをして欲しいと言われて行ったはずでしたが・・・・、「さおり」の体験織りをしてもいいと言われて、お客さんをほったらかして夢中になって織りまくり、気がついたら夕方の5時半になっていました。マフラーの1m80pくらいのを2枚も織ったのですから、いかに夢中になっていたかわかるでしょ?
 私にも「文化」はあったのでした。手芸が好きなのです。力任せのとても乱暴で粗雑な作法なので文化とは言いがたいのですが、この「さおり」は私向きです。「差を織る」という意味で、きちんとした規格品では、「差」がないので「さおり」にはならないのです。大人も子供も女も男も障害者でも、健常者でも、誰でも自由に織れば、それがその人の、他の人との「差」おりなのです。横糸には着古した着物を細くさいて織り込んでもいいし、毛糸でも、綿でも化繊でも、何を織り込んでも、不思議とたまらない魅力を漂わすのです。

 織り機を買おうかなー。織姫ならぬオリババの冒険か・・・・。

2003年10月27日(月)  

ホークス日本一・・・の話題ではなくて・・・

友人のTさんから「こんなメールが回ってきたよ」と回ってきました。日本の選挙じゃないんですが。

★「核廃絶,軍縮,全ての大量破壊兵器の廃棄,地雷撤去にとりくむ」。こんな公約を掲げた素敵な大統領候補,デニス・クシニッチを応援する声がアメリカで広がっています。アメリカ追随の外交を続ける日本に住む私たちにとっても,どんな人がアメリカ大統領になるのかは大きな問題。あなたも,デニス・クシニッチのことをもっと知って,アメリカの“新しい選択”を応援しませんか?
 
===デニス・クシニッチ 6つの公約===
1.原発撤廃,再生可能エネルギー,自然エネルギー使用,京都議定書に加盟。
2.全世界と協調し核廃絶,軍縮,全ての大量破壊兵器の廃棄,地雷撤去にとりくむ。
3.平和省を創設し,紛争の解決は武力でなく国際法で対処する。あらゆる軍縮条約に調印し,  国際刑事裁判所に加盟する。
4.グローバリゼーションと称して,全ての国の小農家や労働者を直撃するNAFTAとWTO  に反対。
5.全ての人に仕事と適正な賃金と健康保険を。
6.幼稚園から大学までの教育費を無料に。

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平和省という発想はいいですね。できれば銃器制の公約も明確に掲げて欲しい。
とにかく、アメリカが変われば日本も変わる!哀しいかな・・・。

2003年10月28日(火)  

衆院選公示。電話がよくかかります。

「○○党ですが、今お時間はありますか?」「すみません。料理中です。はいはいはい・・・」

「××カントリークラブですが」「私はゴルフはしません」「ああそうでしょうね」「?」

「先日お届けした乳製品の試飲はいかがでしたでしょぅか?」「我が家は牛乳アレルギーで」「それでは一部だけでも更に試飲できますのでお届けできますが」「いえ、アレルギー・・・」
 
 それでも食い下がる人々。みんな必死なんですよね。灯油屋さんさえ雪も降っていないのに「ゆーきやこんこんあられやこんこん♪」と車で売り歩き、カラスもカアカア何やら言っています。私は・・・黙って封筒にがま口塾の住所のハンコ押し。宛名書き。

2003年10月29日(水)  

署名の依頼がよく巡り回ってきます。

@原啓一郎@東弁54期様から

 つてのある皆様にご迷惑省みずお願いのメールです。新聞・テレビでも報道されましたが、不 当な国外退去命令により一家が離散の危機にある事案があり、ぜひとも彼らを救いたいと思  い、署名のお願いです。

 <10月25日付、朝日新聞記事より>
 超過滞在のミャンマー(ビルマ)人の夫と不法入国したフィリピン人の妻が東京の片隅で知り 合い、結婚して11年。日本で生まれた2人の子どもは小学4年生と幼稚園児になった。その 幸せそうな家庭に、国外退去と家族離散の危機が迫っている。

A灰谷健次郎・石坂啓様から

  辻本清美さんの裁判の日程が決まり、初公判が11月20日東京地方裁判所で開かれることに なりました。今後は四方の判断を待つことになりますが、見通しは必ずしも明るいものではあ りません。ぜひ趣旨にご賛同いただき、ご協力いただけますようお願い申し上げます。

 1,昨年3月には、議員を辞職し政治的責任をとったこと。
 2,昨年8月には、秘書給与の全額を利息付で返還し被害を弁済したこと。
 3,公的活動をいっさい控えて反省してきたこと。
 4,受領した秘書給与を私的に流用していないこと。
 5,秘書給与については不適正な実態が指摘されており、衆議院では、
   秘書給与のあり方についてプール制採用などの検討を続けていること。
 6,1年4ヶ月後の逮捕について広く疑問をもたれていること。

  これは東京地方裁判所刑事第二部へ

B市議調査研究費の情報公開を求める名古屋市民の会様から

 政務調査費に領収書を添えた収支明細の報告を義務付けること。

 等等。署名に到る苦悩の道筋、憤懣の想いにこちらも暗澹とした気持ちになります。
Aに関しては、法律で冷たく裁くだけでなく、「現場主義」で裁くような特別省があるといいなと思うのです。フィリピンからの不法入国はやっぱり良くないことです。でも、ミャンマーからの難民としての扱いが何故できないか、不思議です。ちゃんと何度も何度も申請してるんです。
誠実に日本で暮していて、周囲の信頼も厚い家族なら、一家の幸せのために現場主義を適用してあげてほしいと思います。

2003年10月30日(木)  

 やりました!!! クリントンに届きました!!!

 However, President Clinton would certainly
like to at least pull the Hattoris aside
at Aichi Gakuin to greet them and shake hands.

 これは、ニューヨークのハーレムにあるクリントン事務所のスタッフから、ロスアンゼルスのケビンさんに届いたメールのごく一部です。ケビンさんというのは、がま口塾の「アメリカ」のテーマの時(2002/8/23)参加してくれたYOSHIの会のケビン・モールさんです。

 ケビンさんがCSGV(全米銃暴力阻止連盟)のマイケル・ベアードさんに連絡、今日クリントンさんの事務所からOKが出たという訳です。

 クルーは、19日の本番の1週間前にニューヨークから名古屋入りして準備をするそうです。
服部家族の他に1〜2人いいということですが、私は名古屋弁しかできないので、遠慮?・・・私が張り切って付き添っていっても、カメラには嫌われるし、でっかいクリントンの視線のはるか下。縁の下の力持ちが私の領分です。とっても嬉しい日でした。ケビン!有難う!

2003年10月31日(金)  

中国西安市の大学での日本人留学生と教師が起こした破廉恥な事件。それによる大学生達の抗議行動の騒動。カリフォルニアの州史上最大の森林火災、バクダッドからの国連の撤退に似た虚しさを感じています。

 個として人を見るとしても、民族という塊の個もあり、逃れられないダメージにちがいありません。哀しいです。私が娘のように信頼し、愛し、仲良くしている中国女性が、北京の放送局である日言いました。「坂東さん、ひとつだけ聞きたいの。どうして日本人は百人切りをするの?」
 これはもちろん南京の話の一部です。中国人なら小学生からお年寄りまで、誰でも知っているということを(正否は別問題として)日本人が殆ど知らないということ。ギャップがありすぎるからこういう問題がおきるのだと思います。
 
 勿論彼女も優しい日本人にいっぱい出会い、日本の良いところも沢山知ってくれています。でも、お互いの国が「他の国をどのように報道し、世論として定着させていくか」が問題です。日本と中国の報道は違いますからね。とても哀しいです。

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Akiary v.0.51