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2004年1月1日(木)  

 明けましておめでとうございます。毎年大晦日は、1人暮らしの母の所に皆で集って年越しそばを食べ終わるまで、ひたすら飲んで食べてテレビをみて、勝手にベチャベチャ喋って・・・という極めて家庭的な過ごし方をします。今、午前2時になろうとしていますが、お腹がはちけそうです。

 今年初めてホテルの三段重ねのおせち料理を兄が買ってきましたが、人気なし。おばあちゃんの懐かしい手料理や、料理の上手な義姉の定番の料理の方が美味しいのです。私は福岡で暮らしていた時、友人に「坂ちゃんの真心のこもったまずい料理」とあだ名をつけられたほどの腕で、ひたすらお喋りで盛り上げる人。食客に徹します。ボブサップも曙も他の格闘技もタケシの番組も紅白も、あっちこっち眺め回して、やっぱり平井堅と九ちゃんのハーモニーだけには心奪われました。こんなこと、九ちゃんが生きていた頃、誰が想像できたでしょうか?!

 張陽は9時頃、そわそわと帰って行きました。中国では誕生から100ケ日に記念写真を撮る習慣があるそうで、写真館で撮ったディンディンの写真を皆に見せて「可愛いでしょう!」と親ばかをやって笑われていました。いそいそと早々に帰って行ったのは、今夜は長春とインターネットのテレビ電話で家族とお喋りする約束になっているからだそうです。これも、彼が日本に来た頃、ほんの10年前、誰もが想像できなかったことです。

 塩釜神社への初詣の人々の声が聞こえてきます。お正月を皆で迎えられた幸せに感謝。

2004年1月1日(木)  

 皆でおせち料理をつつきながら、大阪市初の女性助役のことが話題に上りました。私は「だからあなたも生き抜いて」(講談社)大平光代著を、まだ読んでいませんでした。2000年2月の出版ですから、日本にいなくて知らなかったのです。212万部のベストセラー、気にはなっていたのですが、まさか恐怖の母が「私、すぐ買って読んだよ」と言うとは思いませんでした。引ったくるように持って帰り、すぐ読み終えました。元旦に読むには良い本だったと思います。14歳で割腹自殺未遂、16歳で暴力団組長の妻、29歳で司法試験一発合格。学校は中学校しか行っていない。

 色々なことがうまく行かなかったり、友人とギクシャクしたりすると、今でも人のせいや自分以外の条件のせいにしたがる私。やっぱり元旦に当たって、心を入れ替えようと思いました。一つづつきちんと目標をクリアしていこうと思ったのでした。
 

2004年1月2日(金)  

中国国際放送局日本語部でも元旦に紅白歌合戦をやります。聴取者が投票で勝ち負けを決めますが、だれがどんな歌を歌うか興味のある方は
 ttp://jp.chinabroadcast.cn/redwhite/index.htm
を訪問して下さい。勝った方に投票すると抽選で1名様に北京旅行が当たります!あ、私が応募すればいいんだわ! 
元旦の万里の長城を取材した「燕の中国便り」の燕こと王小燕さんによると、日本人ばかりでびっくりしたそうです。北京から長城まで自転車で往復の若者も日本人。日本と中国は本当に近い!陸続きなら私も自転車で出かけるかも。ああ・・・旅に出たい!

 カナダに赴任していて帰省中のT夫妻と我が夫婦で久々の面会。私達の結婚祝賀会で実行委員会を担当して知り合ったT夫妻。電撃結婚をして幾星霜・・・。生まれたお子さんはAテレビのアナウンサーで、今日はたまたま正月休暇がとれて東京から帰省。私達に合流して下さったのですが、専用バッグに黒いトイ・プードルを入れて、お店に入って来てびっくりしました。溺愛のパパぶりです。都会のど真ん中で、1秒2秒に神経をピリピリさせる仕事では、こんな犬が癒してくれるのかもしれませんね。微笑ましい光景でした。
 
帰宅してチャンネルをひねると、鶴瓶さんや志村さん達とお笑いの?お仕事をしている、さっき会ったばかりのプードルのパパ。東京もすぐ近くなんだなあ。

 T氏はワシントン経由で明日カナダに帰国。テロの危険があるとのこと。旅には出たいのですが、リスク覚悟の大変な世の中になってきました。どうか無事にトロントに到着されますように。

2004年1月3日(土)  

「SARS その時」(八月書館)広瀬茂著 ¥1200 完成!!!

 9月に北京へ出かける時、東京駅で広瀬さんとデイトしました。渋谷でやった「とどけ北京へ」の時、楼蘭行で生死の運命を共にしたよしみで、彼にプロジェクター係りを図々しく頼み込んだのでした。そのお礼も兼ねての再会だったのですが、彼が「SARSの本の出版がしたい」と話していたので、「それなら八月書館のIさんも渋谷の会に来てくれてたから、話してみたら」と口から出まかせを言ってしまいました。彼はその日のうちに連絡をとったらしく、話はトントン進んだのです。そして年内には出版したいと頑張っていたのですが、ついに完成して、今日真新しい本が送られてきました。私も4ページ程、「手紙」の形で書かせていただいてるので、やっぱり嬉しいです。

 広瀬さんは中国に進出している日本企業のリスク管理や日本からの留学生・観光客の医療アシスタントサービスを10年前から手がけている保険関連の会社に勤めています。中国では17都市に拠点をおいて日本語医療通訳やサービススタッフを駐在させているとのこと。SARSの時も彼は、感染症専門の医師といっしょに上海・北京・香港・大連・青島の、SARS真っ只中に飛び込んでセミナーを開いていたのでした。

 この冬、SARSはどうなるのでしょうか?このまま何事もなく夏を迎えられたらいいのですが、どうしてもSARS対策が必要な企業、留学生の方たちには、なかなか参考になる本だと思います。
 八月書館(03-3815-0672 Fax03-3815-0642)
 発行は1月16日付けですから、全国の書店で並ぶのが楽しみです。

2004年1月4日(日)  

 大体無理な計画を立てすぎるんですよね。今年は1日1冊は読もう!とか、もう何十年と同じパターンで元旦に決心して、たいてい3日で壊れています。突然色々なものが送られてくるので、それもあれも読んでると、何となく1日がボーッと終わってる。

 今日は突然大工仕事がしたくなって、お風呂のスノコ修理。のこぎりで古い板の傷んでいないところを切って、新しいのとあわせて釘で打ち付けて・・・ベランダでやっていると汗が出てくるほどの穏やかないいお天気でした。これってやっぱり12月のうちにやっておくべきことだっけ?いや、たぶんもう今年の12月の仕事をやったのであります。

 明日からは通常パターン。お正月休みとは、何を称して休みと申すのじゃ?1日3食のために台所に立っていると、さすがに疲れてきます。人生って茶碗と鍋を洗うことかって。若いときもよくそう思いました。でも、今は茶碗と鍋を洗っていられる幸せも知っています。昨夜「戦場のピアニスト」をビデオで見ましたからね。ナチスドイツの映画は永遠に作られ続けて行くような気がします。中国で、いつも日本軍の映画がテレビで流されているように。

2004年1月5日(月)  

本年最初の「がま口弘美の部屋」のお客様。疲れました。4〜5時間一対一で真剣に話し続けることは2人とも大変な体力?が要ります。理解とか共感に辿り着くために費やされるべき時間と言うのは、際限がないような気がします。場合によっては数分で済むことも稀にはあるかも知れませんが。

 信頼し、感性がほとんど同じ人と話し合うだけでもこんなに疲れるんだもの、千差万別の世の中と和して生きぬくのは大変。

 教え子の陳さんは成田空港の入管で通訳のアルバイトをしています。最近偽造パスポートの入国がとても増えていて忙しく疲れるそうです。でも、「自分のひらめきで発見した時は嬉しいけれど、それは恥かしいことでもある」と、年賀状をくれました。大学院卒業まで頑張ってほしいものです。

 もう一人の教え子、広州の張君は、「明けおめ」というメールをくれました。こんな省略日本語?知りませんでした。勤務の日系会社は日本の新年も中国の新年(毎年違います。今年は1月22日が春節最初の日)も休みで、ガールフレンドのいない彼にはどうやら長すぎて疲れるようです。今日広州市で新型肺炎確認。本当に他人事ではありません。

 私もあなたもみんなみんな生き抜こう!

2004年1月6日(火)  

 インドとパキスタンが対話を始めました。頑張れ頑張れ。

 年賀状の追加書きをやっと終えました。ダメですねえ。頑張れ頑張れ。
イラクの署名を学校でやってくると子供が言ってるから、用紙をファックスで送ってほしいという電話をもらいました。テーマアンケートの返信に署名を入れてくださる人もあります。ありがたいことです。諦めない諦めない。

2004年1月7日(水)  

「あけおめ・ことよろを知らないの?」と<愛の息子>に言われて仰天、本日「2ch語」を学習しました。

  要するに略語(ry)←(ryaku)で、アメリカなら笑うを(laugh)と書くと面倒だから(lol)と書くそうな。oはofの略らしい。
 
 「日本は(笑)で笑ったことになって、それ以上簡単にする必要ないじゃん」
 「笑は古い。wです。もっと言えば藁」
 「????藁をもつかむの藁か?」
 「ワラウと打つよりワラの方が速い。嘲笑の意味が含まれる笑いというニュアンスもある」
 「だれが私に断りもなくそんなん決めたん?何でそんなに早く喋り終わらなあかんの」
 「犬が体感している速度をドッグイアーと言うの。もっともっと速いのはマウスイアーー」
 「?」
 「犬の一生、鼠の一生・・・人間と同じように年月を感じてないでしょう」
 「人間が犬や鼠にならんかていいやん。なんでそんなに急いで言葉を使うん?」
 「ネットの時代が言葉を変えて、言葉を作って、新しい生き方も生んで行くんだわサ」
 
 アメリカの歌手ブリトニー・スピアーズが冗談で結婚式をあげて、2日程ですぐ離婚したってニュースがありました。ラスベガスでは、「ドライブスルー結婚式」って言うのもあって、車に乗ったまま3〜4分で結婚式も挙げられるそうです。
 
 B・スピアーズのテレビニュースを見ながら<毒舌の息子>が言いました。
 「ケビンさんと御飯食べてた時、あなた、ケビンに質問したでしょう?
  『子役タレントの家庭教師の仕事って、ケビンは例えば有名な子役も担当するの?』って」
 「はい。子役は有名でないけど、そのお姉さんが有名ってのはあるって言ってました」
 「そのお姉さんだよ」
 「誰が?」
 「冗談で結婚した歌手!」

 そうだったのです。その話を聞いた<愛と毒舌の息子達>は、あの時、メッチャ興奮しておりました。私だけ名前を聞いても訳ワカラズ。ポケッとしていたのでした。「マドンナくらい有名だよ」と言われたことは覚えています。

 とりのこ。いえ、私が今日作った新語です。時代に取り残されそうという意味でございます。

 

 

2004年1月8日(木)  

学校や会社で署名を頑張って下さっているという連絡をいくつも受けているのに、情況は刻々とせまっています。報道陣も100人行くんですって?!・・・・。狂ってる。

 昨日、ウィル愛知の「風"s」というフェアトレードのお店に、忘れ物の本をとりに行ったので、今日は存分に「魂にふれるアジア」松井やより著(朝日新聞社)を読了。1981年秋にシンガポール総局に赴任されてから3年半、歩き回られたアジアの国18ヶ国の有り様が書かれています。1985年末が第1刷なので、もう随分経っています。アジアに関心を持って活動している人達や、女性問題に取り組んでいる人達にとっては、バイブルのように読まれている本なのでしょうが、私は本当にノロイのです。

 読んでいると、本当に北京の国際放送局でいつも一緒の専用バスで通勤していたアジアからの人達の顔が浮んできます。カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム、マレーシア、タイ、インド、スリランカ、フィリピン・・・何せ38ヶ国から来ている人達が、一つのホテルから一つの局に毎日2回(昼休みも帰るので)行って帰って行って帰ってやってるんですからね。

 私はマレーシアのアリヤさんととても仲よくしていて、いつもバスは隣同士に座ってエンドレスのお喋りを楽しんでいました。ある日、例によって突進型の私が、紫金草合唱団の話を夢中でしていましたら、じーっと聞いていたアリヤが「ヒロミ、日本軍は中国だけじゃない、マレーシアにも来たよ」と言ったのです。私は口が固まってしまいました。「・・・知ってる。ごめんなさい」。それが精一杯でした。

 この本は若い人達にぜひ、絶対読んでいただきたい本です。私としては、今頃読んでごめんなさいの本。

 「SARSその時」の本も手元にありますので、読みたい方はご注文ください。又、広州で1人感染者が出ました。新京報の、SARS治癒後の患者の後遺症に関する記事の訳も燕さんにもチェックしてもらって、今日、やっと終えました。情報を知りたい方はご連絡下さい。こちらの本は、中国にひんぱんに行かれる方や、中国に赴任していらっしゃる方にはぜひ読んで欲しいです。

 私は死ぬまでにどれだけの「知らなかった」に出会えるのかと思うこの頃です。

2004年1月9日(金)  

広州の張君からメール。
  「もう、大変ですよ!あのSARSの確定者は私と同じ住宅地に住んでいた。
 でも大丈夫、私の後ろは大根姫がいるから。」

 冗談言ってる場合ではないよう!彼は春節に故郷へ帰る予定だそうですが、広州駅は1日の乗降客10万人ですって!私も広州駅に降り立ったことありますが、本当にものすごい人で殺人的な混雑でした。彼は飛行機で帰るし、弘美姫が応援してるから大丈夫と言ってる訳ですが、こんな時にSARSが広まったら・・・と思うと本当にゾッとします。昨年の経験を最大限に生かして、何とか乗り越えてほしいものです。頑張れ、頑張れ、中国!

 と、思っていたら、中国国際放送局東京特派員の藍さんから電話がかかって、メディアのあるべき姿について話し合いました。一緒に番組を作っていたので、何でも遠慮無く話せる元同僚です。2人共熱が入ってくると、どんどん早口になって話が長くなります。西安のこと、福岡の一家4人殺人事件、ロックコンサートの偏向記事、元旦の首相の靖国神社参拝、政府とマスコミの関係・・・40分程話し合って結論として「メディアの仕事は真実を一般の国民に知らせることだよね」というところに落ち着きました。でも、それはなかなか難しいということも一致しました。

 中国でも、一部に民族主義的立場から、必要以上に、反日の大衆感情に迎合する記事を書く記者もいるでしょうし、SARS報道に見られる賀カメラマンのように「真実を伝える」ことに命をかけた仕事をするジャーナリストもいるわけで、それは、日本の記者にも極左から極右まで、ペンの針はどのようにでも振れていると思われるのです。
 
 小泉氏は「敬意をもって暖かく激励してほしい」と言いました。私は敬意をもって暖かく行かないでいいよと叫びたい。戦争が清らかなもののような表現にそら恐ろしさを感じます。報道規制は安全のためか?情報管理が始まっている。報道は自主規制もしないで欲しい。負けないでほしい。

2004年1月10日(土)  

  昨日名古屋空港にイラクから、白血病と闘うアッバース・アリ君(5歳)とお母さんと2人の医師が到着しました。セイブ・イラクチルドレン・名古屋代表の小野万里子弁護士によると、アッバース君は、名古屋大学付属病院で治療を受け、医師達は白血病等について研修を受けます。「ヒロシマの国」である日本から、白血病が治るという希望のメッセージをイラクに伝えたい、という思いで取り組むものであるとのこと。

 医師の研修は、「今後2、3年のうちに更に増大するであろう癌や白血病の子供達に対処するために、早期に医療技術を修得したい」というイラク側の強い要望を、名古屋大学病院小児内科が受け入れ、実現したそうです。劣化ウランの被爆被害こそ救うべきなのに、むしろそれを撒き散らす側に立って、何を支援と言えるのでしょうか。

 デモが終わって8人でティータイム。年末にタンザニアのキリマンジャロ(5895m!)に登った方の話が印象に残りました。サポート隊としてついてくれた山の麓の村の青年が、日本人だと言ったら即「日本はどうして自衛隊を派遣するのか」と質問したそうです。
 そう質問されて、ただ微笑んだり、逃げたりは出来ない訳です。 

2004年1月11日(日)  

「締め切りに追われるなんてかっこいい☆★でもホテルや旅館で三食おやつつきでなく自分で作り掃除洗濯も家族の分もやっての原稿書きは大変ですよね。」

 ↑は先ほど友人がくれたメールです。実は、「けさらんぱさらん」のことを日記に書いたら、「ふわふわふとん」の絵本をちょうどその日に買ったばかりとか、絵本を持っていると言う会員さんから連絡を貰って、一緒に読もうと誘われていたのです。ああそれなのにそれなのに、つれない私は「締め切り原稿があるので」なんちゃって断っていたのです。ばれるわね、作家じゃないもんね。お見通し。

 沖縄にいた時、沖縄大学が徒歩5分の所にあって、暇つぶしにシンポジウムなどに出かけておりました。親切に沖縄大学地域研究所の研究員に推薦して下さった先生があって、外部の研究員という意味の「特別研究員」にして戴いたのです。それでもういいかげんに研究?したことを発表しないと除名になりそうだと背水の陣をしいて、必死に原稿を書いていたのです。
 
 沖縄にいないのに?と不思議でしょ。琉球を中心にして、改めて地図を見て、東シナ海(中国では東海と表記する)の海水をググーイッと飲み干します。すると、台湾や本土(お江戸は北の果てだけど・・)中国沿海部、朝鮮半島、台湾などが奇麗に環になって見えてきます。かつての琉球王朝に属していた、九州の南端から台湾に至る海上に連なる島々が、琉球弧と言われる弓の形になってはっきり目に映ります。それが研究の対象になるのです。
 琉球はこういう環状の中で地の利を生かして活発に交易をしてきたのだと、初めて知った時は新鮮な驚きを感じました。黒船だって浦賀に来る前にちゃんと沖縄に来てるんですよね。沖縄に住んで実感したことは、自分の身を置く場所で、世界観が全く違ってくるんだなあということでした。

 で、私は海水を飲み干せば地繋がりの北京の事を書いているのです。先回は2,000年に所報に載せて頂きました。ですから、締め切りに追われていると言っても、3年も前からというお怠けなのです。でも、今日やっと書き上げました。何のことはない、日記の長めのって感じ。それでもへとへとに疲れたので、校正はもう明日にしよっと!という相も変らぬ悪い癖。お休みなさい。

2004年1月12日(月)  

 書き終わりました。ポストに入れました。後は野となれ山となれ!審査がどうなるかは考えなーい!とにかく15日必着はクリアできたと思います。・・

  それにしてもです。無理をしてでもパソコン操作を力任せにやっていると、失敗しながら、すこーーーしづつ、すこーしづつできるようになってきて、すこーーーし嬉しいです。(性格上、教科書をみっちり読んでからきちんと積み上げる練習が出来ない・・・)
 評価がどうのこうのじゃなくて、自分として、出来なかったことが、ふと気付くと出来るようになってるって最高の気分です。この年で。遅すぎるか?半年も前の卵を食べさせられる退化よりは進歩してる話だと思っています。

 馬鹿正直や馬鹿真面目って馬鹿なことじゃないですよね。”時代”が速すぎて”わがまま”だと思うんです。成人式で暴れ狂う極々一部の若者も、ゆっくり生きる大人が傍にいたら、何らかの達成感を手にして、可愛い笑顔を見せられると思うんです。

2004年1月13日(火)  

  Googleでの調べ物は時に奇跡を生むものです。この度の、真面目になったがま口弘美さんの原稿書きは、かなりGoogleさんにお世話になりました。辞書や百科事典を引かなくてもいいんだもの。で、ふと気になるホームページに引っかかりました。出かけてみると、それは、何と2002年5月1日の、中国中央テレビ「実話実説」の収録の日に100人の討論参加者の席に座っていた1人の方で、しかも堂々ときちんと発言した日本からの女子留学生!ずっとどなたなのかしらと思い続けていた、その方のホームページでした。日記にその日のことが書いてあったので、「あっ!」と叫びました。びっくりしたのなんのって。
 
 私が持っている「実話実説」。あのビデオは千葉のがま口塾の会員Tさんが、お友達に頼んで、日本で中国の番組を放送する大冨TVから、日本で放送された「実話実説」を収録してもらって、それを私に届けてくださった愛の贈り物です。講演会でもよくこのビデオを使ってお話させていただくので、その中で何度も何度もお目にかかっているお嬢さん。ついにメールでお話することができました。1年の留学を終えて、現在はA大学大学院で勉強されています。これからどんな展開になりますことか、嬉しいできごとでした!!!

 インドのガンジス川をさかのぼるヒマラヤ山中、チベット国境に近いレニ村というところで、「木を切るなら、私の体を切ってください」と木に抱きついて森を守る「チプコ」(抱きしめる)という運動がヒマラヤの緑を守ってきたし、今も世界の森林を守る運動に大きな影響をあたえていると、松井やよりさんの本に書いてあります。それは女性達の「木を抱きしめる」運動だったのです。

 「憲法9条を抱きしめるようにしようじゃないか」と今日のニュースステーションで言っていました。ふと、「チプコ」という言葉が頭に浮びました。

2004年1月14日(水)  

 ブッシュ氏は9.11前からイラク戦争を計画していたと、アメリカで暴露本が出ました。日本では陸海空軍幕僚長の定例記者会見がなくなるとか。これ、おかしいですよ!それで自衛隊員が亡くなっても「だから、屈しないで、彼らのためにも復興支援を続けるのです」と小泉さんは言い続けるのでしょう。政治からすっかり人間らしい表情がなくなっています。私達は脳味噌をとられた気のいいロボットにさせられる。

 17日(土)12時30分から、小牧基地で人間の鎖が行われます。雨が降っても雪が降っても、行く。私であるために。明るく楽しく静かに穏やかに。人間らしく人間の鎖になる。

2004年1月15日(木)  

 エリンギが透明の深いカップに入って「広告の品」となって売られていました。「広告の品」とか「今週の奉仕品」に弱い私は買って帰りました。そしていざ料理!

 カップの上にキチンと並んで乗っていた大きなふとーいのを3〜4本取り出した時でした!ちっちゃな頼りなげなエリンギが無造作にゴチャゴチャッと現れたのです。思わず涙ぐみました。グスン。

 「人間」の詰め合わせだったら、間違いなく私は下に敷かれる・・・そう思ったのです。なんでこんな風に売ろうとするのかしら?悲しいじゃありませんか。これを詰め合わせた人の詰め合わせている時の気持ちってどんなんかしら?

 NASAのジェット推進研究所が火星で着陸用カプセルから火星探査機を降ろすのに今夕成功しました。何か巨大な四足のダチョウのようなカッコウで、火星をのっしのっしと歩いています。こんな宇宙の時代にどうして私は「エリンギの詰め合わせ方」に泣しているのでしょう・・・。

2004年1月16日(金)  

「ふわふわふとん」の絵本を持って、友、近辺より来る。可愛い絵本でした。楽しいひとときでした。リトミックという、子供の心と体を一緒に成長させる、音楽を全身で感じて楽しく創造と想像に溢れた体験を積み上げて行く音楽教室(私の解釈ですが)で、この絵本を使うつもりということだったので、それなら子供達と、このけさらんぱさらんを飛ばして遊んでねと、と持って行ってもらいました。岩手娘のなっちゃん、素敵なプレゼントありがとう。役立ちそうですよー。(今頃大雪で震えている頃かしら?)

 ピアノの先生も、人生で何に巡り会うかで、その人にとっての音楽の意味が違ってくるのですね。我が家の階下もピアノ教室で、いつも夕方から、ずっとピアノのお稽古の曲を聴きながら過ごす毎日です。ピアノの音は好きなのでラッキーです。で、先生のSさんは実は昼間は音楽療法の先生で、随分前から熱心に研究されています。
 今日、リトミックの話を色々教えてもらって、私も小さい時こんな風に音楽に出会いたかったなと思いました。そして、老いた時も音楽と共にあったら幸せだろうなと思います。

 「国際社会と協力して安全と平和を確保するのか、一国平和主義になるのか」と私達の国の代表者は青筋たてて演説しています。国際社会と協力して平和に尽くしている人は本当に大勢いらっしゃいます。イラクにも。権力もお金もない名誉欲もない日本人がほとんどでしょう。誰が銃を持って迷彩服を着て行っているでしょう?劣化ウランの情報をネットで調べては、暗澹たる日々です。自衛隊先遣隊出発。

2004年1月17日(土)  

雪降る中、自衛隊小牧基地で人間の鎖、1400人分の1。なかなかいい気持ちになれました。街宣車が2台。ガーガー、ウルサイウルサイ。基地前の道路をノロノロと行ったり来たり。後に車が渋滞してしまいます。その横を私服の警官が背広とコート姿で2〜3人伴歩。雪の中、傘もささないで、厳しい顔して行ったり来たり、歩きっ放しでした。歩いてスピーカーでがなって移動している右翼さんにも警官が2人ついてまわっていました。警察のお仕事も本当に大変です。機動隊ももちろん出動。

 雪の中、いたって整然と私達は1400人が手をつなぎ、ウェーブもやって、3回の人間の鎖を成功させました。街宣車組は、せいぜい4〜5人の参加でしょう。あれでいくらアルバイト料がでるのかなあ。「自衛隊は戦争に行くのではな〜〜〜〜い!我が身を犠牲にして復興支援という尊い仕事をしにいくのだあ〜〜〜〜!自衛隊のみなさ〜〜〜〜ん武運長久を祈りま〜〜〜す!」だって。矛盾と本音。ふと、小泉首相と同じこと言ってると思いました。武運というのは、戦の時に使うんだってば!

 北京で仕入れた毛糸のズボン下に薄いズボン。その上にもう1枚登山用のズボン。靴下は普通のにもう1枚厚手のをはいて2枚。そして、二度とはかないだろうと思ってしまっていた登山靴を引っ張り出してきて履きました。上はシャツ2枚にアンゴラのセーター2枚。その上に内モンゴルのおば様風、綿入れのロングコート。その上に中国の人達が雨の日に着用する自転車用雨合羽!もう見てくれはどうだっていい、凄まじいいでたち。ちっとも寒くなかった。私の隣はがま口塾のHさん。皆で手をつないで気持ちがあったかかったです。

2004年1月19日(月)  

  長電話でズルズル予定時間がずれて、日付が変ってしまい、昨日の日記はパス。かかった時に『これは長くなるぞ』と思って時間も計りました。45分。人間は多かれ少なかれ皆人間関係の悩みを抱えているのではないかしら。家庭や職場、地域・・・。どれも避けて通れない関係の摩擦の場合、本当に誰かに理解してほしい!聞いて欲しい!と悶えます。相談する誰かがいるのは救いです。私自身もそうなので、人の場合はよく分ります。「うんうん。うんうん。そうそう。そうさっ!ふんふんはーーーあ。ふーん。そーお。ふーん」。

 理不尽なことの多い世の中。人間関係ならしばらく距離をとってストレスを避けるという策があるのですが、毎日のニュースは困りますね。見たくないけど見なきゃいけない。知りたくないけど知らなきゃいけない。神様仏様、良き物を生み出す日々を!良きニュースがある日を!

2004年1月20日(火)  

「プロジェクトX」を見ました。ブルドーザーのお話です。戦後の復興に、戦時中、機械の設計図を土の中に埋めて隠した技術者は「図面には魂が宿っているから捨てられなかった」と言いました。アメリカのキャタピラに10年の遅れをとっていたのを何くそっ!と研究に研究を重ねた技術者達。若い技術者を好きにやるようにと腹をくくって励ます先輩技術者達。何かテレビ画面が燃えそうな勢いの技術者達の執念が描かれていました。

 実は同窓会でひーーーっさびさの再会をした同級生から、彼の会社にもNHKの取材班が行ったので、新年になったら放送があると知らされていました。でも、精密機械の彼の会社の取材部分はベアリングの部品だけでアッという間でした。数え切れないほどの多くの会社のプロの技術が結集、協力し合って一つの会社の製品を作っているんだということが分りました。

 スタジオに招かれた元社員の方は89歳と91歳。こういう方達の頑張りに思わずもらい泣きをしてしまいました。テレビニュースの登場の仕方で、環境破壊か建設かと訝しく思う時があるブルドーザー。こういう会社に家族が勤めていると、正直、肩身の狭くなることを市民運動などで言われることがあるのです。それをこぼすと「道を歩くな」と常々言われます。

 災害地で働く姿は頼もしいです。この会社は「日本花の会」というボランティア活動もしているし、つい最近では、12月24日にアフガニスタン向け対人地雷除去機2台を開発しました。世界各国で働く姿が、平和の建設に役立つようにと祈るものです。

2004年1月21日(水)  

  国会は騒然。小牧基地では座り込みを続けている人があります。(いっこうに報道されませんが。1400人の人間の鎖でも一字も一枚の写真も載らない時があるもんねえ)
 一軒の家の中でもですが、「不平不満だろ!後で聞いてやる」・・・こんなこと親に言われたら、わたしゃ、すぐ「不良になってやる!」って決意しちゃいます。不平不満じゃないんです。意見です。考えです。気持ちです。小泉さんだって、自分(自民党)の意見であり、考えであり、気持ちで仕事をしてるのでしょう?まさか人の意見、考え、気持ちで生きてるんじゃないでしょう?

2004年1月22日(木)  

がま口塾第20回無事開きました。参加者も毎回顔ぶれが変って、本当に有り難いことです。とにかく自由な場所のままぼちぼちと続いて行けたら最高です。さっそくテープ起こしをしているのですが、友人から(会員でもあるけれど)電話。これまた『あ、長くなるぞ』。1時間くらいだったかな?彼女は今、がま口塾どころじゃなくて大変な戦いをしているので、今日が、がま口塾だったとか、私が今必死に書いてる最中だなんて、全く念頭にありませぬ。彼女の方がもっと必死。又私は「うんうん。ふーん。ひどーい!すごーい!えーっ!ふーん。うんうん・・・」。
実際、本当に緑化土木行政は????な事が多いのです。

1年程前、彼女の住む街に突然道路が出来る事になっておかしい!と言い出した人が1人2人と増えていって、今は「環境を守る会」という会が生まれました。名古屋の千種区に池内猪高線ができることによって生活が脅かされる人達や環境問題を大切に想う人たちが結成した会。

 排気ガスや騒音などの公害がなるべく出にくい道路であってほしい..
 自然をなるべく残して鳥や昆虫がいて..人間が共棲してる。
 そしてその道路は美しい道路であって景観が素晴らしく
 市民には憩いの場であって地域住民には自慢できる..誇りにできる。
 そんな道路を造りたいって想いを胸に秘めて・・・

 彼女は日課の様に役所に通い、担当官と議論しあったり、強行に進め始められている工事現場の方達と仲よくなったり、あらゆる手段を講じて頑張っています。今日が、がま口塾の日であることを忘れていても(気にしていなくても)どって事ないよ!行政に勇敢に疑問をぶつけ、粘り強く環境保全を訴えている友人を誇りに思っています。

2004年1月23日(金)  

滑り込みセーフ!日にちが又変る所でした。何とか色々懸念していたがま口塾のメモをやり終えました。急いだには訳があるんじゃわいな。

 明日から沖縄へ3日間行って来ます。お留守番、皆様よろしゅうに。既に浮き足立っております。姪と母との3羽ガラスの旅は初めてです。さて、どのカラスが一番煩くてわがままでしょう。母でしようね。あと何年も生きられません。毎年、「これが最後」「これでお終いかも」なんてわめいてますが、1年、1年と伸ばしていけたらいいんでしょう。だとしてももう数年の事だと思います。一緒に生きている日々を尊く思います。

2004年1月26日(月)  

★24日:名古屋→那覇→石垣島。 那覇の乗り換えの時、もう風がビュービューで寒い寒い。皆ダウンジャケットやオーバー手放せず、びっくり仰天。
 
★25日:石垣島→西表島→由布島→西表島→石垣島。 気温10℃の異常気象。由布島の水牛車でのんびり楽しむはずが、ブルブル。魚がいっぱい死んでいました。西表の魚は熱帯魚なので、10℃で凍死するんだそうです。仲間川のボート遊覧でマングローブやサキシマスオウノ木の見学は2回目でしたが、やっぱり冒険チックでいいものです。


★26日:石垣島→名古屋。 天皇ご夫妻の初来島で、沖縄本島と福岡から警察が1000人!島の人がこんなに警察を見たのは初めてだって言ってました。とにかくそこらじゅうに日の丸もって迎える島人。トンでもない時に旅行したものです。
 
 曇りで青い空もエメラルド色の海もほとんと見られなかったのですが、今日の午前中は、ちょっとだけ晴れ間がひろがり、島の最北端の平久保岬では何とか沖縄らしい景色を楽しむことができました。ただ、その後が天皇さんのお蔭で渋滞に巻き込まれ、焦りまくりました。
 日の丸を揚げていた個人の家はグルっと島をひと回りしましたが、1〜2軒でした。でも、皆がぞくぞくと日の丸を持って沿道へいそいそと急ぐ姿は、まったく目を疑う光景でした。沖縄も変ってきたなあ・・。

 天皇ご夫妻の泊られた全日空ホテルは、2人の宿泊に全館貸切。特別機も飛行機に乗って飛行場の中で初めて見ましたが、もうそれはそれはゾロゾロと皆が並んで、タラップまで赤い絨毯。ご本人達もこんなに騒がすのは本意じゃないでしょうけど、日本一窮屈なお仕事でしょうね。天皇制について母と論争を1分しましたが、私はすぐ論戦の戦意を喪失。

●姪が、「友達に『お婆ちゃんと叔母さんと旅行する』と言ったら、ご愁傷様と言わんばかりの目でびっくりされた」と言うので、大笑いです。確かに三代の3人旅行はけったいですね。お婆ちゃんは出資者として娘と孫を旅行させてるつもり。娘は母のエンドレスの繰り返しの話を、さも初めて聞くようにヒタスラお聞きする傾聴ボランティアのつもり。孫はレンタカーの運転手としてお婆ちゃんと叔母さんに孝行してるつもり。三者三様に少しずつ忍耐して何とか争い事もなく無事帰名しました。3日が限度です。あ〜〜〜〜あ疲れたあ!

2004年1月27日(火)  

友遠方より来る。北京から元日本人同僚のT君が名古屋のお婆ちゃんのお見舞いに春節のお休みを利用して帰国、近くなので我が家に遊びに来てくれました。息子とほぼ同じ年の青年と友人というのは嬉しく有り難く、大変貴重で、本当に北京時代はお世話になりました。
 イラクへの自衛隊派遣に関する中国人の考え方とか、両国の問題に関する報道についてとか・・・たわいない話もまぜこぜで、お昼御飯を共にして夕方までずっと積もりに積もったお喋り。楽しいひとときでした。

 C130輸送機、名古屋空港でこれも飛行機の中からしっかり見ました。のんきに同じ飛行場から旅行に出かけた後ろめたさ。皆がデモをしたりして頑張っていたのに・・・とちょっと辛い疲労がのし掛かる日でもあり。

2004年1月28日(水)  

編集者で作家でデザイナーの坂井泉氏からメッセージを戴きました。転送・転載自由とあるので、今日の日記は転載です。手抜きではなくて、ほんとだなあと思ったからです。
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★イラク派遣についての、新聞各紙の論調★ 2004.1.28

 1月28日付朝日新聞朝刊に、自衛隊のイラク派遣に関する各紙の論調がまとめてありました。とても興味深い記事ですので、お読みになることをお勧めします。朝日新聞を購読していない場合には、1ヵ月以内でしたら販売店で購入することができます。
 この記事には各社の社説がダイジェストされていて、それぞれの新聞がどんな立場から報道してきているかが明確にわかります。(中略)
 取り上げられたのは、産経、日経、東京、毎日、読売、そして朝日の6紙。かねがね右傾保守と言われている産経、日経、読売は言わずもがなの論調で戦争に向ってひた走る政府の後押しをしています。反対に、朝日、東京の2紙は自衛隊のイラク派遣には明確に批判的姿勢をとっていました。毎日新聞は過去においては自衛隊の海外派遣に慎重な態度をとっていましたが、ここにきてそれを容認する姿勢に変化してきているようです。首都圏をカバーする6紙の論調を並べてみると、新聞がそれぞれどんな立場で記事を書いているのかがはっきりと浮き彫りにされて、実に良くわかります。
 
 自衛隊のイラク派遣に賛成している各紙は、その根拠を国際社会との連帯、あるいはその安定のために必要なこととしています。そして、国際社会の安定こそが、(日本の)国益に通ずる、と言うのです。しかしここで言う国際社会とはあくまでも「アメリカを中心とした」国際社会であって、世界の多くの国々の総意に基づくものではありません。朝日新聞が言うように、復興支援とは「占領を早く終わらせ、国際社会の総意で国づくりを助ける」のが前提であって、東京新聞が言うように「イラク国民が自衛隊の派遣を望むことを確認し、そのうえで部隊を送る」ことが基本ではないでしょうか。
 
 読売新聞の社説の中には「戦後の一国平和主義が生んだ、歪んだ心理構造からもはや脱却する必要がある」と書かれています。しかし、戦後の平和憲法を一国平和主義にしてしまったのは、まぎれもなく延々と続いた日本の保守政権です。現在の日本を一国平和主義というのなら、それは脱却しなければならないでしょう。しかし、ここで大切なことは、どの方向に向って「脱却」するのかです。平和憲法を持つ日本を起点として、それを世界に発信し、より多くの国が平和に向って連帯できるように働きかけるのか、それとも、好戦的なアメリカに追従して、もとの帝国主義に戻り、武力で平圧することを国際平和主義と言うのでしょうか。答えは明白です。
 
 今こそ私たちは、暴走を始めた政府のみならず、それに追従する国会、マスコミに対し、総力を持って歯止めをかけるときではないでしょうか。          坂井泉
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『全国お郷ことば・憲法第9条』いよいよ締切り間近!
      応募締め切り日 2月10日(火)

いよいよ応募の締め切りが迫ってまいりました、まだ応募されていない方はお急ぎください。
特に、以下の府県にかかわる方言をご存じの方は、ぜひご応募ください。応募数が少なく、掲載される可能性が高くなっています。北海道函館・宮城・福島・新潟・茨城・千葉漁師言葉・群馬・山梨・福井・岐阜・奈良・山口・佐賀・沖縄

●憲法九条原文
1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

●標準語意訳
わたしたち日本の国民は、みんなが正しい考えを持っていて、世の中が乱れることのない、安心して暮らせる平和な世界を心から願っています。ですから、国と国がごたごたをおこしていがみ合ったとしても、そこに出かけて行って、武力を使って力ずくで解決するようなことは、これから先永久にしません。そのために、戦争をするための陸軍、海軍、空軍や大砲だのミサイルだの爆弾などの兵器は、いっさい持たないことに決めました。そして、国には戦争をする権利があるなどということは、日本の国民は絶対に認めません。

※応募方法の詳細は、ホームページ http://www4.ocn.ne.jp/~gallap/ をご覧ください。

2004年1月29日(木)  

 がま口塾便り発送終了!いつもスキッとする瞬間です。「インターネットで見るから送らなくていいよ」と言って下さる方には送っていませんが、どっちにしても感想をちょっとでも言って頂くのが、何よりの喜びです。

 琉球大学の劉さんが卒論を書いていて、私に見て欲しいと言ってきました。なかなか大変です。外国人の日本語で、かつ内容が国際関係で頭がフラフラしてきます。しかし、これが面白いので、もっとややこしい。
 「アメリカの外交特徴から見る将来における米中関係」に迫っていますが、
 〜〜〜アメリカ的資本主義に内在する自由やデモクラシーという理念を外交政策に応用すると、世界は一つの「ゲーム場」に過ぎない。利益は常に最後のゴールである〜〜〜
というような書きっぷりです。

 ゲームねえ。

2004年1月30日(金)  

北海道で箕輪元郵政大臣が自衛隊のイラク派兵の差し止め訴訟を起こしました。気骨のある姿をテレビで見ていただけでしたが、何と!私も原告になれそうです。名古屋でも池住さんを中心に訴訟の準備が始まり、原告を募集しているのです。目標は1000人。現在既に100人集っているそうです。詳しい事を知りたい方はお知らせください。詳細記事を転送します。

 国会は今、日付が変りそうなこの時間も混迷状態。与野党対決が頂点に。派遣承認案単独採決の与党。本当にこんなことでいいのでしょうか?質問に真っ当に答えないし、人を馬鹿にしたようにニヤリと笑いながら答弁する私達の国の首相。誠実に懸命に説明する姿はどこにもありません。戦争する大義がなかったことがハッキリしてさえも、何が何でもブッシュのご機嫌伺いの私達の国。やるせなく情ない気持ちでいっぱいです。

 3月に紫金草合唱団の清華大学公演などを聴くために北京へ行くのですが、「東海・音声表現研究会」の皆さんも、以前研究会の例会として、CDR「雑踏に酔う」の上映会をしたのを機にぜひいっしょに行こう!ということになって、暇のある?10人が集りました。今日は金山の居酒屋でメンバーの6人が顔合わせ。ワイワイと弾みました。引率?責任を考えると重いのですが、会の趣旨を生かした北京旅行になるよう、これからスケジュール作りを楽しむつもり。 


2004年1月31日(土)  

昨日届いた野菜と卵の箱の中に「くらしを耕す会」の会報が入っていました。“とりのさとQ&A”という記事に驚きました。主なQ&Aを拾ってみると・・・

 Qどうして平飼い?
 A鶏の生理にかなっている。卵の安全性や公害(臭い、ハエ)。
  飼育密度が低い為、土が常にサラサラで鶏舎のにおいが気にならない。
 
 Q飼育密度は?
 A1坪、ブロイラーでは50〜100羽、ケージ飼いでは40〜50羽、
  通常の平飼いは10〜20羽、とりのさとでは、7〜8羽。
  1棟の鶏舎に鶏が120〜130羽いて、鶏舎は全部で8棟あって
  うち2棟は常に空いていて鶏舎も休ませる。
   
 Q有精卵か?
 A毎日産む玉子がほとんど有精卵である為には雌鶏100羽に対して
  雄鶏10〜15羽混入させる必要がある。
  そうするとメスの羽が折れたりして疲れる。飼育密度が高くなる。
  とりのさとでは、オスは2〜3羽しか入れていない。オスが数羽いることで
  メスのストレス解消になる。

 Q鶏の病気対策は?
 A抗生物質やホルモン剤などの化学物質は一切投与しない。
  ヒナの時に必ず出るコクシジウムに対しては育成時に飼育密度を低くし、
  かつ地面(鶏糞)から離して飼育することで経口感染を防いでいる。
  成鶏で恐ろしいニューカッスル病のワクチンは必要に応じて接種。
  (発生すると近隣の養鶏場にも出荷停止命令が出る、激しい感染症の為)
 
 Qどんなことが大変?
 A休日がない。家が空けられない。奥さんと二人三脚で23年間
  一日も休まずに働いてきたこと。

 23年間1日の休みもなく働いて働いて、安全な食べ物を、こうやって生産して届けて下さっているのでした!飼育密度の考え方には大いに納得。そして、オスの数が多くても、全くいなくてもストレスになるっていうのが、とっても人間的で笑えました。我が家はオスばっかり・・・。
 

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Akiary v.0.51