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2004年10月1日(金)  

お昼ごはんも忘れて、集中してテープ起し完了。勉強になりました。依頼者は気を遣ってお菓子を送ってくれますし、この日記を見て、お手製のスイートポテトを届けてくれる友もあって、何か申し訳ない気分。ダイエットを始める決心が鈍ってばかり。ほんと、ダイエット・・というより、ちゃんと何か運動をしなくちゃと思っています。体がガチガチ。今日も「できないことは明日やろう!」
 
 ドラゴンズの優勝、名古屋らしいね。延長で負けて他力で・・。地味でかっこよくなくて。でもコツコツとコンスタント。じわじわー。イチローは多分明日でしょう。
 報道ステーションのTアナ、名古屋の取材が多くなって、カナダから帰国中のお母さんとうまく接触できるといいんだけど。次から次への取材で、ちっとも会えないそうです。

 ケリーとブッシュの舌戦もチラチラとテレビで。ブッシュという人は、身内の聴衆の中ではプロンプターを使って用意された原稿を読むのだそうです。討論のようなアドリブ、原稿のない場面では、だからオームになってしまうのね。大統領がプロンプターをつけてるなんて・・・。イラク戦争のテーマでは、ケリーが攻勢だったというのが大方の評なのですが。

2004年10月2日(土)  

イチローが大記録を打ち立てたのですが、アメリカの持つ顔が??二十面相に見えてきます。何でもありなんだなあって。

我が家にも奇跡的な客人があって、なんと、ほんの1時間程度であろうと思われた面会が6時間近くに及んだのであります。ふーーーーーーーっ!これは私の新記録でしょう。で、何が奇跡かと言いますと、我が家の玄関には、もう10年前からネパールヒマラヤのアマダブラム(6,856m)のパネル写真が飾ってあります。ここに引っ越して来た時に、釣りキチの兄がお祝いにくれたので、無造作に飾っただけの話。魚拓をとってパネルにして自慢するのが兄の趣味で、私は「そんなもんいらん」というので、しかたなく山の景色なら良かろうと、どこかから写真を持ってきて、パネルにしたのでした。だから、「いい景色だなあ」と10年間、そう思っていただけです。

したらば、本日の客人は、その写真を見て、「アマダブラムですね」と言うや、ここに道があって、ここからここをずーっと歩きましたよ」ですって!その上、私が死ぬまでに一度は行きたいと思っているカイラスには、3回も行ったって!それで放浪の旅やチベットと中国、韓国の話が弾んでしまったのでした。旅は言語と概念について考えさせてくれるものかもしれない。

2004年10月3日(日)  

 JRでK市へ。JRK南口から出るのは、実に30ウン年振りで、あまりの変わりようにびっくりしました。教生で、K南中学に1ヶ月通った頃は、木造の小さな駅舎だったのに・・・。H小学校のS先生に迎えてもらって、喫茶店のモーニングでお茶しながら、研究授業の教科書のアクセントチェック。ほんと、日曜日も先生は子供たちのことを考えて一生懸命です。

11月6日にK市市民会館主催で、音楽の集いがあり、コーラスの司会のために今日は練習の見学と打ち合わせ。午前中は男声のトワイライト・シンガーズ。何故トワイライト?・・・。でも、なかなかしびれます。午後はH小学校PTA合唱団の女声と合同練習。若いお母さん達は、小さい子供を連れてやってきます。女の子が2年生だって言うので、「1年生の時、私と朗読の授業やったでしょう?」って聞いたら、「アイウエオを象さんの歌でやったね!」って言ってくれて、大感激。いっしょに歌っちゃいました。ほんと、嬉しかったです。

 その後又喫茶店で打ち合わせ。アナウンス原稿を書かねばならなくなりました。さあ、大変。

 永住申請の書類を色々取りに来た張陽一家と夕食。保証人の源泉徴収やら、在職証明やら、何やらカンやら、けっこう必要書類があるのです。大人達には関係なく、ディンディンはごっきげん。たった2週間会わないだけで、はっきり成長が分かります。「マンマ」と夕食を指差して言うのですが、これはまったく日本語と一緒でびっくり。靴をはいて、ちゃんと歩いて帰って行きました。一日はあっという間に飛んで、飛んで飛んで、私もトワイライトハルモニになるはずです。


2004年10月4日(月)  

アナウンス原稿を2つ仕上げてホッ。やってみれば、それほど量が多いわけでもなく、サボっていただけです。あとはもう一つ。これも今は気が重いのですが、やってみれば、やり遂げたときは爽快かも。もうちょっとトンネル。

 日本にいるのがちょっと・・・ニュースを聞いていますとね。そろそろ又逃げ出したい心境。脱日?原因はやっぱり一昨日の客です。カイラスが頭から離れない。異界だっていうもんね。自分がもっていた既成の概念がググーッと広がって、日本語では表現できない世界があらわれるんだってね。空想が麻薬のように私を襲ってきます。

2004年10月5日(火)  

音声表現研究会。先月台風で警報中のため、途中で終わってしまったので、今日はもう一回「マザーグース」。Uさんの楽しいレポートでした。私、英語はできないけど、Uさんの発音とマザーグースの音とリズムが本当に心地よいのです。イギリスでは「きれいな声ではっきり話すのは大人へのチケット」と言われていたり、フランスなんかでは「○大統領は非の打ち所のない、すばらしいフランス語を話す」などと、国民が誇りにするって話が出たけど、朗読教育が小さい時から徹底しているのだそうです。

 日本の場合は、音声表現より文字表現の方に重点が置かれてきたと思います。そう。私なんか「ぺらぺらしゃべるんじゃないよ。ものを言って、橋の人柱にされた娘があるんだから」って母に言われて育ったのです。それでこんなに無口になったの。

 原稿を書く静かな日でした。


2004年10月6日(水)  

昨日、隣の2歳の女の子が庭でママと一緒にデンデンムシの歌を歌っていました。よく降りましたもんねえ。デンデンムシはきっと気持ち良かったろうな。でも、今日はすっかり晴れて見事な秋。デンデンムシはどこへ行ったのかな。

 恐怖の母も自転車に乗ってやって参りました。わずかばかりの野菜を載せて。『原稿が・・・』というのをグッと心にしまいこんで、どうでもいい繰り返しの話。お茶を飲んで食事して、さもあわてたように帰って行きました。

 20年ぶりかなあ、福岡時代の友人から、突然の電話。毎日新聞で記事を見たから、本を送ってほしいと。親子劇場でいっぱい遊びまわった時代でした。「楽しかったよねえ、あの頃は・・・」としみじみ。なんてったって親子劇場発祥の地でしたし、博多の女性の働きっぷり、元気良さには、本当に驚いたものでした。学校のマラソン大会になったら、皆もう旗もって道路に並んで声援するんです。お祭り好きの土地柄ですからね。田島征三さんと小室等さんを呼んで畑歌コンサートを皆でワイワイやったことも思い出してしまいました。

 自分の住んだことのある土地のことは、やっぱり気になります。友達がいるからですね。沖縄の米軍の戦闘機事故も心が痛みます。那覇でさえ、米軍の飛行機が飛んでいると、テレビの音が聞こえなくなっていました。基地の町の人々の怒りや哀しさが、どうしても心に刺さります。

2004年10月7日(木)  

又台風。沖縄にいた時、台風のあくる日に「昨日はすごかったですねえ!」って言うと「いやあ、そよ風ですよ」とにこにこ。強い。昨日の地震も、関東の皆さん、大丈夫だったでしょうか。

 先日姫ちゃんが家に来た時、非常袋の中身を聞きました。しっかり者だなあと感心したのですが、子供を負ぶう紐だけは、玄関先においといてねと頼んでおきました。事実、私たちも岐阜に住んでいた頃、水害で、子供を背中に縛り付けて腰まで水に浸かって逃げたのです。(相棒はひざ小僧までですけど・・・)

 何故そんなことを突然思い出したかといいますと、先ほど突然、岐阜時代の仲良くしていた方から、本を読んだからって、何年かぶりに電話を頂いて、懐かしくってそんな話になったのです。避難先に指定されていた小学校の方が土地が低くて、大被害でした。とにもかくにもそんなこんなで幾星霜。とにもかくにも無事に生きながらえています。そして、とにもかくにもひとまず頭の痛かった作文の一つを書き上げました。これから検討。

2004年10月8日(金)  

よく降ります事。三連休の予定が狂っちゃってる人、きっと多いでしょう。私は明日は大正琴コンサートのリハーサル。皆さん集まるの大変です。大丈夫かなあ。

 衣装をずっと悩んでいたのですが、今年の朗読は、「風切る翼」。2001年の秋、作家の木村裕一さんと画家の黒田征太郎さんがニューヨークのアトリエで、一緒に絵本を作ることを計画していましたが、9.11のテロのため、計画は実現せず。でも二人はあきらめず、2002年夏、東京のアトリエで「3日間の公開ライブ創作」をして、一冊の絵本を作りました。それが『風切る翼』。珍しい創り方をしたものです。

 登場する二羽のアネハヅルを表現したくて、大塚屋をグルグル回って、ついに演劇用品のコーナーでスパンコールの鳥をみつけたのです。一羽は白いのにしました。それで、今日はせっせと心をこめて黒い上着にそれを縫い付けました。

 肝心の朗読の練習がしてまへーん。

2004年10月9日(土)  

台風22号、大変。名古屋は大したことなく通り過ぎましたが、被害地の皆様にはお見舞い申し上げます。新幹線も止まってしまったんですものね。困った人大勢いらした事でしょう。

 リハーサルは気を遣ってくれて、私を早めに帰してくれたのですが、家に帰って間もなくすっかり雨が止み、ほっとしました。残ってリハをされていた人たちが楽に帰れますから。おかげでゆっくり「NHK全国学校音楽コンクール東海北陸大会」を見る事が出来ました。中学校の時、合唱部でしたので、合唱を聴くのは大好きです。そして、懐かしくてたまりません。高校を卒業した年、名古屋市立北高校の合唱団に通って、「眠れ幼き心 」のナレーションをさせていただいたことがあります。死んだ女の子の役でした。背が低いと、いいこともあるんじゃ。
 北高は今もしっかり伝統を引き継いで大会に出ていたのですが、惜しくも銀賞でした。金賞の岡崎高校も本当に素晴らしかった!課題曲の詩は大江健三郎さんの詩。心にしみる歌でした。自由曲は、今はほとんど無伴奏で、ハーモニーやリズム、音の装飾が本当に高校生とは思えない技術で、吸いつけられるように全部聴いてしまいました。選に入っても漏れても、皆涙涙。青春、夢中になってぶつかったんだもん、泣けるよね。こっちまで胸がいっぱいになりました。高校野球もいいけど、合唱だっていいぞ。

 明日は、私も本番だけど、合唱も全国大会の生放送があるって言ってたっけ。全国から東京に集まるっていうのに、今日のこの交通網の乱れじゃ、関係者は気が気じゃないでしょう。
皆が無事に集まってコンディション良く歌ってほしいな。私もベストコンディションで。

2004年10月10日(日)  

大正琴の会、本番でした。今年はページを2枚めくってしまうこともなく、まあまあ、無事に朗読もできました。「ジプシーの月」「アメージンググレイス」のバックミュージックもピッタリで、気持ち良く終わりました。何度も音とあわせて練習したかいがありました。やっぱり練習は大切。気持ちに余裕がでます。趣味とはいえ、会の皆さんの上昇志向には、ほんとうに感心。又、会長としてとにかく12年間、毎年コンサートを続けている、幼馴染Hちゃんの精神力にも心から乾杯したい気持ちです。

 衆議院議員のK氏。終了間際に息もハアハア駆けつけられました。「元衆議院議員だったよね・・・」と小声でHちゃんに聞いたら「逮捕された議員に代わって繰り上げ当選されたばかりだよ」・・・。あ、そうだった。去年より明るい表情で、飛び込んだまま舞台挨拶して、又、はぁはぁと息を切らして飛び出して行かれました。汗をふきふき「すみません。今日は祭りや運動会で忙しくて忙しくて・・」ですって。議員さんにとって、秋はまさに運動会。体力の要る仕事です。私は陰マイクと朗読だけでへたばっています。これでは議員にはなれへんわ。

2004年10月11日(月)  

「燕の中国便り」をアップしました。図們(トゥメン)は陽のお母さんの故郷。2年前に行ったのでとても懐かしいです。それでもう我慢できないくらい旅に出たくなって、燕様を「チベットへ取材に行かない?私をつれて」とそそのかしました・・・ところ、スグ返事が来ました。

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チベットは一度は行ってみたいところだし、それに、弘美人ママは本当にいい道連れだと思っています。何処に行っても良く食べられるし、寝られるし、笑えるし、おまけに中国語がつばめほど精通していないので、言うことを良く聞いてくれそうだし。Hen好!!

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「Hen 」は、「とっても」。好は「いいよ!」っていう意味です。私からすれば、燕は典型的な「やせの大食い」で、食べ物はとられるし、荷物は散らかして寝るし、遅刻魔だし(食べていて遅れる)・・・でも、まあ、危機に陥ると泣き出して年相応になって可愛いし、中国語はまあまあだし、中国旅行の道連れとしては、Hen好!!  行くぞーーー!

 今日は贅沢して、お蔭様で全国合唱コンクールの高等学校の部、生放送を完全視聴しました。10校の個性、練習風景など、私としてもいっぱいヒントがありました。宮城の自由曲の民謡がとっても新鮮でいいなと思っていたら、金賞でした。愛知の岡崎高校は銅賞だったけど、結果発表の時、キャーッって喜んでいて可愛かった。銅賞のもう一校は、発表を聞いて、瞬間は、がっかりしてたような気がした。(間違っていたらごめんなさい)全国大会連続出場の名門校は、プレッシャーか強いんでしょうね。

 どこの学校もそれぞれ工夫して、皆ものすごい発声練習をしています。鏡で表情をいつも見ながらやっていたり、朗読をしあって詩の内容をしっかり掴んだり、言葉の意味を確認したり、とにかく感心しました。今日は課題曲「新しい人」の作詞者、大江健三郎さんも出席されていたので、皆、本当に緊張したことでしょう。この生徒達が故郷へ帰っても、駅で迎えてくれる人山はないだろうな。オープンカーにも乗らないだろうな。未来の日本の文化を支えていく生徒たちなんだけどな。私が市長か知事だったら、駅か空港で、彼女・彼達の臨時コンサートをしてあげるんだけどな。市長でも知事でもなくてごめん。

 でも、アメリカの大統領もね、自分の言葉で話せなくて、無線機つけて演説してるってうわさがあるよ。自分の言葉にして、その言葉を澄ませて、個性を集合させて、皆の言葉をハーモニーにして、人々の心に届けと、正々堂々と歌った高校生達は本当に偉い。

2004年10月12日(火)  

何をして過ごしたのやら。郵便局行ったり、スーパー行ったり、あれこれ読み散らしたり、録音したり・・・。私的には、平和でだらりとした一日。だから言われる。「何をなさっているんですか」。「・・・・・・・・・・・・・・・」。してることはしてるんだけど、何とも説明できない。何かスポーツをやらねば、このままだと私は街のポストのように動かない箱か、座敷豚にになってしまう。

 そう!今日、豚のペットをつれてラーメン屋さんに入ってたお客さん見ました!もち豚は店の中に入ったらチャーシューにされそうなので、玄関のドアーにながーーーーい紐を引っ掛けて、入口の外のコンクリートでお尻をゴリゴリこすりつけて遊んでいました。ここは学生街ですからね。ホントに珍しい光景が見られます。豚になってもいいけど、ペットにはなりたくない。アメリカのブッシュ様が「お手!」って言ったら犬の○○氏が前足の片方をサッとその手に預けるお芝居、どっかの番組でやってたの。本当に哀しかったです。

2004年10月13日(水)  

 金沢で地域通貨「KOKU」というものが10月1から流通しているらしい。賞味期限6ヶ月(もっと色々あるのかな)とか。石川県の平成16年度コミュニティビジネス創出支援事業としての認定を受けて行われているものだそうです。 発想した人もすごいけど許可した人もすごい。又、それを面白がって実行するKOKUの使い手達もなんて好奇心の強い人たちだろうと思います。金沢にいっぱい友達がいるので、私は金沢が気になって仕方がありません。国会の昨日・今日の演説は頭に残らないけど、金沢のニュースはひっかかります。

 スポーツクラブをのぞいて来ましたが、どうもいまいち踏みだしたくなるものがなくって。根っからの怠け者です。そのくせ演説の練習は一生懸命やれちゃう。

小泉さんや岡田さんの演説、変えちゃってしゃべってます。(私ならこう表明!こう答弁!楽しいです。誰も私の演説聞いてないから。)やっぱり好きなことでないと意欲って出ないな。政治家の人たちは政治が好きで好きでたまらないんだろうな。



2004年10月14日(木)  

大統領選も秒読み。ケリー対ブッシュのディベートを見ました。司会者は3分以内で話してくださいとか、30秒で答えてくださいって言います。さすが。日本じゃ、見たことのない政治家のディベート風景です。先回、背中がポコッと膨れているのを、「背広のしわだ」って説明しているらしいけれど、我が家の連れ合いや息子たちの背広ならありがちですが、世界に君臨するアメリカの大統領の背広が、しかもテレビに出るっていうのにあんなに「しわ」になって膨れていたら、怪しまれるのは当然です。

 おれおれ詐欺の被害が多いそうです。最近無言電話があるし、変な電話がよくかかって、よく判断に迷います。単身赴任の家庭は、特にしっかりしないと。「奥様ですか」と言われても絶対答えません。余裕があるときは「母はいません」って言うのですが。ちゃんと「どちら様ですか」、「何の御用ですか」と聞くのですが、折り返しかけるからと言って、その言われた電話番号にかけてもいけないんですね。プライベートな情報を記録する通信機器は信じられないほど発達してますからね。 

2004年10月15日(金)  

 笑っちゃいます。あわや3度めの連続ぎっくり記録かというところでしたので、即下呂膏頼み。何とかなりそうです。とにかく今月と来月はどうしても立っていなくちゃ。

 昨夜、北京放送のRさんが東京から電話をくれました。1ヶ月くらいのNHKでの研修だそうです。一緒に旅の番組をやっていたので懐かしく、二人でキャッキャッワーワーと長電話でした。彼女と子連れで取材旅行したこともあります。中国の女性は本当に逞しい。子連れでも平気だし、1ヶ月や1年の出張でも、びくともしません。ちゃんと都合をつけて働きます。

 今晩はアメリカからもお客様。コロンバイン高校の銃乱射事件で息子さんを亡くされたトムさんを服部夫妻が出迎えているはずです。今日はホテル泊。明日は打ち合わせと名古屋見物。あさってが本番です。多くの方に来ていただきたいと思っています。皆で手分けして仕事をしています。私は司会ですが、英語ができないので、ドジをしないかと心配。ちゃんと堪能な人もいて、明日のトムさんの見物もバッチシガイドします。「皆違って皆いい」って本当にYOSHIの会のことみたいだと思っています。

2004年10月16日(土)  

タクラマカン砂漠横断の熟年隊の冒険をNHKで見ました。2ヶ月半お風呂入らんかったんやねえ!と、ものすごい感動。変なことに感動するとお思いでしょうが、私10日間入らんかって、砂漠を抜けて、敦煌へたどりついて入ったお風呂の味が忘れられないのです。5分しか時間がなくて、誰もお風呂になんか入ってなかったけれど、私だけ水しか出なかったお風呂でバーーーーーッって体洗って頭あらって髪の毛から砂出して、サッパリして皆の所へ出て行ったら、まあ、皆さんびっくりしてはったわ。皆ベッドで5分のびてたらしい。 NHKの番組の中の女性の3人はたしか名古屋地区の方だったと思います。以前、新聞で見たもの。あの髪の毛のガサガサの逆立ちが懐かしくて懐かしくて。

 世界では、戦争・紛争・犯罪が絶えないというのに。私は罰当たりなことを考えています。
 中日新聞・朝日新聞にも紹介されました。明日、皆様、どうぞ愛知大学車道校舎においでください。お待ちしています。 

2004年10月17日(日)  

「安全・安心な子どもたちの未来のために〜愛知大会〜」終了。がま口塾の皆さんが、何人も来てくださいました。有難うございました。スタッフは老若(高校生も含めて)30人をこしていまして、頑張ったのですが、集客がちょっと手薄になったようです。秋は学園祭や運動会など、色々行事が重なって、皆さんお忙しいということもありますし、「銃」の問題は身近でないということかもしれません。

 YOSHI基金で留学している高校生のコリー君の日本語のスピーチは立派でした。日本とアメリカの文化の違いを率直に自分の言葉で語ってくれました。「日本の学校の先生は一人でしゃべっているので、びっくりした。僕の国では生徒のディスカッションばかりです」と言っていたのが笑えましたが、銃についてもディスカッションしていってほしいな。でも、こういう留学生が毎年増えていって、本当に嬉しいです。

 トム・マウザーさんの話も素晴らしかったです。一番会場がシーンとしたのは、トムさんが靴を脱いで、それを顔の位置まで持ち上げて皆に見せた時でした。コロンバイン高校で射殺された息子のダニエル君がはいていた靴だったのです。彼はアメリカでも講演会へ行く時は必ず彼のスニーカーを履いていくのだそうです。背広を着ているトムさんが何故スニーカーなのかと一瞬いぶかしく思ったのですが、理由を聞いて涙が出てしまいました。彼は職場を1年間休んで、銃規制を訴え続けたそうです。ポーリングフォーコロンバインをビデオでごらんになったら、ぜひトムさんの所を注目してみてください。彼は、息子亡き後、中国人の2歳の女の子を養女にして育てています。アメリカらしいなあと思います。いずれにしても皆ケリーさんに勝ってほしいのです。

 帰宅してから今日のことをいっぱい書こうと張り切っていたのですが、中国語教室でお友達になったNさんから電話。訃報でした。台湾と中国で単身赴任歴16年のお連れ合いが亡くなられて1週間・・・という話。何とか飛行機に乗って日本に帰って2週間目だったそうです。蕪湖の学校の就職説明会では、わざわざ社員の方を派遣してくださったり、蕪湖の学校のテレビ番組をCBCが制作した時は、会社でインタビューに応じても下さった社長さん。本当に中国と日本との合弁企業の草分けの方でした。離れ離れだったけれども信頼しあっていた家族だったと。気が狂いそうに哀しくなると、夫のサンダルをはいて歩くと気分が落ち着くとも。

 「靴」って、魂がいっしょに歩くのかも。

2004年10月18日(月)  

キャンプ座間の問題に暗然。沖縄だけでも哀しいのに。もちろん他にもいっぱい米軍の基地があります。いっそ小泉氏の私邸を基地周辺にされたらどうかしら。とっても安全?でしょう?基地の町で何がおきるのか、おきているのか、レポートしてほしいです。

 共同通信とAP通信から取材?質問の電話を受けました。共同は女性記者で日中だったので、まあまあ答えたのですが、夕方、ごぼうの皮をむいている時にAPの方と話していて、今年の「YOSHI'Sギフト賞」をCSGVに贈るという話で、CSGVのフルネームが言えなくってオタオタしてしまいました。あわててパソコンあけて焦れば焦るほど、いっぱい英語が浮かんでは消えて、まいりやした。少々あきれた感じで電話を切られてから、途端に分かりました。
 昨日皆につけてもらった名札のロゴマークはCSGVのもので、ちゃんとフルネームが記入されていたのです。「COALITION TO STOP GUN VIOLENCE」。ただ恥をかいただけの電話。情けなくて悔しくて。私の人生を象徴している出来事でした。いえ、服部美恵子は今日はトムさんを京都へ連れて行っていて、不在。こっちへ回ってきたのでした。銃規制をしてくれる政党に政権をとってほしいのは私たちの当然の願い。大統領選に関する記事を血眼で探している記者さんたち。秒読み段階に入りました。

2004年10月19日(火)  

書くべきことはいっぱいあるのですが、どういう訳か、夜は呆けーーっとしていて、「とにかく日記を書いて寝よう!」。 朝になって「ありゃ、書こうと思ってたことあったワイ」状態です。北京放送の時代の同僚のT君は、私の1週間後に赴任してきた、親子のような友人です。5年の任期が終わって、帰国するのに、こんな中国NO.1の素敵なバンドと一緒!すごいなあと拍手。以下、お知らせ二つ。

その@ 中国音楽(ロック)ファンへ、(T君から)

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僕も、結局、なんじゃぁーかんじゃぁーと、5年も中国国際放送局で仕事をしてきてしまいました。中国ロックに惚れて、北京にやってきて、この5年間、毎週のように色々なバンドを見て来ましたが、なんと、この度、その集大成を東京に持ち帰る事になりました!!!

10月22日(金) @ 渋谷eggman
『TOKYO ASIA MUSIC MARKET TAM LIVE SHOW CASE 〜CHINESE DAY〜』
 参加バンド;与非門、二手メイグイ、冷血動物ほか
  詳細は→を、http://www2.pf-x.net/~chinagaga/
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そのA 会員Hさんからのお知らせ

 11月10日(水)午後に時間と興味のある方は「王朝継ぎ紙」一日体験講座を受講しませんか?「王朝継ぎ紙研究会」は日本最古の和紙工芸であり、平安末の宮廷女房たちの手によって、王朝の雅び豊かな芸術の域にまで高められた技法で、やがて戦乱の世になり絶えてしまったそうです。文筆家、近藤富枝先生はその継ぎ紙の魅力に惹かれ、現代に復興させたいと1979年に研究会を設立し、甦らせ、全国に普及しつつあります。

★王朝継ぎ紙については、http://www.acc-n.com/ (スタッフカフェというコンテンツの中の「りん」のページにHさんが紹介しています)詳しくは坂東までお尋ねください。



2004年10月19日(火)  

今日の日記のそのAです。

 中日新聞の一面のコラム「中日春秋」(天声人語のような・・・)に17日の私たちの講演会の事が載りました。ちゃんと聞きに来てくださっていたんですね。会のHさんが、いつもマメに論説委員の方と連絡をとってくれていて、お蔭様なのです。本当に私たちは色々な特技?集団で、歌手までいるもんですから、退屈もしません。

 バトンルージュのルイジアナ州立大学のK先生も、アメリカから色々(ゲストのフライトチケット獲得に至るまで・・・)助けてくださったので、無事終わったことを喜んでくださいました。メールの最後に

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今日、庭先にさしてあったVote for Kerryの看板が2枚盗まれたKでした。近所
でも何軒かありました。そこまでして勝ちたい?
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と、ありました。本当に熾烈な戦いになっているんですね。

2004年10月20日(水)  

 大変な雨風です。ベランダにあるものを部屋の中に入れ、もう一度戸締りを確認して、家族の帰りを待つということぐらいしかできないのですが、その家族(子供たち)が帰ってこないんですね。日本人って本当に融通を利かせず働く人種だと思ってしまいます。

 台風情報と国会の中継を交互に見ていました。日中関係、首相のハンコを押したような答弁。何か数学的な記号で論理的に答えを導くようにでもしないと、と思ってしまいます。「極東」の解釈も、もはや日本語の範疇じゃありません。
13日深夜から14日午前にかけてこんなニュースがネットでかけめぐったそうです。
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●現地時間で13日午前11:50 イラク南部の都市サマーワの日本兵士2人が早朝殺害された。イスラム・メモの通信員は、現地時間で5時30分にパトロール中の日本軍の車に炸薬が爆発し、ジープは使用不能になり、日本兵2人が死亡した。日本は約550人の兵士をイラク南部のサマーワに駐留させている。
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この誤報で実際に政府機関やメディアが確認の為に動いたのです。今回は誤報であっても、いつ現実になるかもしれないと関係者が思っているということです。新聞社は予定稿を準備し、防衛庁も沈痛な顔つきで発表するはずの声明を作っている。ぞっとします。

 かつて米国戦略情報局が天皇死亡デマを流した場合の日本人の行動パターンを「科学的に」分析して日本に対する「心理作戦」を準備したことがあるそうです。虚やデマも、政治のうち。

 「もうひとつの世界」の可能性をしっかり心の芯に据えていないと。私は輝いていたい。武装して強くありたいということではない。大きな家に住んで、美しい服を着て、美味しいものを食べて、ダイヤモンドをもっているということでもない。

2004年10月21日(木)  

台風23号、被災地の皆様お見舞い申し上げます。私はベランダの大掃除ぐらいで済みましたが、犠牲者が多く出てお気の毒に思います。

 沖縄へ行った友人が、土地の人から、沖縄の海がどうしてあんなにきれいかっていったら、「いつもいつも台風が来て、海の中が根底からかき混ぜられ、それでいつもきれいに生まれ変わるんだ」って聞いたと話してくれました。『ふーん』と感じ入りましたが、それにしても過酷な話です。

 アナの友人が仕事の帰りに呼び出してくれて栄でお茶。本をいっぱい売ってくれました。G県の中年女性ばかりの会が10年以上続いているそうですが、その数が年々増えて、今は2000人近いのだそうです。年会費1万円で、年6回、女優さんを招いたりの講演会。先日はジュディ・オングさんで、その前は綾小路公麿さんで国際会議場が入りきれないくらいにハチキレタそうです。「あれから40年・・・」で笑うのも大いに健康に良い。

 自衛隊派兵差止訴訟の原告費用は年会費3000円で誰でもなれるし、今も募集しているけれど、その2000人の中年女性たちは無料でも裁判に来ないかもね。私は多分1万円でも裁判を選ぶと思うわ。だってすばらしいんだもの。

 アメリカからわざわざゲスト(ごく普通の市民)を招いて、大学の最新鋭機器を備えたコンベンションホールを好意でお借りして、必死に頭と時間と力を使って、無料の講演会をしても100人たらず。どこがまちがっとんのやろ?笑えんもんね。皆、わが身に降りかかると、ガーンってことよね。降りかからない人の方が圧倒的に多い・・・んだろうなあ。

 友人は20万円のドイツ製のスーツをスラリと着こなしていました。プロ。
 私?北京にいる時、布屋で買った布で、自分で手縫いで作った、マレーシアの民族衣装。1000円もかかっていません。とても仲良くしていたマレーシアのAさんの服を脱がせて型紙をとったものです。これを着ると、彼女の思い出があふれてきます。生き方がまったく違う友人と、もう四半世紀の付き合いをしています。これからどうなるかなあ。

2004年10月22日(金)  

17日の会のテープ起こしの担当。トムさんや砂田さんが自身で語られる、我が子を亡くした場面を活字にしながら何度も手が止まっています。

 そこへ環境を守るための道路工事の中止を求める住民運動をしている友人から、運動の経過報告。裁判にもちこんだので、とりあえず、工事は中止になったそうです。当初まったく何も分からなかった彼女。お役所にあっちこっち出向いて、猛烈な勉強をしたようで、当初の頃の沈鬱な怒りが消えていて、「勉強になったわあ」と明るい声でした。我が友ながらあっぱれと嬉しくなりました。
 何故何故と追求していく集中力、粘り、足で稼ぐ根気。その事が又住民を変え、動かしていく。やっぱり住民も団結すると、それぞれが特技をもっていて、不思議に有機的につながって、総合的に力を発揮しあっていくとのこと。「わかるわかる。YOSHIの会も一緒!」なんて私。ハ〜〜〜1時間半くらいの長い電話になってしまって・・・・。

 そこへ先日のNさんが、追悼式が中国で行われることになって、挨拶文を書かねばならないという事で、相談の為に文章を送ってくれました。泣けてきて・・・。総経理夫人として、中国語で、スピーチするのだそうです。亡くなる寸前の言葉が「ニイメン ミンテン・・」。会社で皆に「君達、明日はね・・・」と指揮をとっているつもりの言葉だったとか。心のこもった文章でした。

 台風で大勢の方が亡くなりました。人の生死の境がせまる日々。なかなかテープ起こしに集中できないのです。二階への階段の真ん中まで、泥水がダダダダダターーーーッと上がってきた、あの恐ろしかった伊勢湾台風の日が、どうしても甦るのです。

2004年10月23日(土)  

「風の会」で講演。マレーシアのアリヤのことを思い出したので、又その服を着て出かけました。何せ「エンドレス」という渾名がついたくらいのおしゃべりに明け暮れた2人でしたからね。どうしてるかなあ、今頃。会いたいなあ。

 ミャンマーで政変がおきてるようだけど、揺れてるんだな・・・ほとんどニュースが入ってこない。あ・・・揺れてる・・・私疲れてるのかな・・・いや、電灯が揺れてるよ。震源地新潟、震度6だって。名古屋は震度2。もう台風の被災地は踏んだり蹴ったりですね。震度6は立っていられないって。

 テープ起こし完了。急ぎました。だって明日とあさって、2泊で旅行です。お土産話、待っててくださいね。
 
 
  

2004年10月26日(火)  

 ただいま。母と叔母と、それぞれの長女の4人で木曽へ旅行して来ました。地震で、被災地では、大変な思いをされているのに申し訳ないような気持ちでした。木曽路も台風の爪跡で橋が落ちているので、野麦峠へは別のルートをとったり、牧尾ダムの湖は倒木などがあちこちに浮いて、とても汚れて混濁していました。名古屋ドーム55個分くらいの貯水量だそうですが、自然の威力をとにかく感じさせられた旅行でした。クマ避けのベルが設置されていて、リンリンカンカン鳴らしたのも、何だか昨今のニュースで、現実味のあることでした。

 この4人の顔ぶれの旅行は初めてのことで、非常に珍しいことなのですが、ホテルでも、ずーーーーっと地震のニュースばかり見ていたこともあって、もっぱら戦争時代の話になりました。叔母(77歳)は学徒動員で、女学校に月謝を払いながら、愛知時計に仕事に行かされていて、空襲の何日か前に別の工場に移っていて、命拾いをしたそうです。会社の従業員2000人が全滅、死んだそうで、空襲があったら、眼が飛び出ないように、耳の鼓膜が破れないようにと、眼と耳を押さえるように練習させられていたそうですが、学校の友達達は、皆もっとひどい状態で死んでしまったそうです。昭和19年の戦時中の地震もすごかったそうで、当時は地震の後も何の情報もなく、ただただ忍耐あるのみだったとか。

  タイのチャットさんから、留守中に
I've heard about the quake and is worry about you and friends I have there. Are you all right? Hope you and your family are all fine.

 というメールを特大文字で頂いていました。勿論北京の燕ちゃんからも日本の皆様にとお見舞いの言葉を貰っています。

 天災、人災をかいくぐって命を頂いていることの奇跡、幸運を思わずにはいられません。被災地の皆様に心からお見舞い申し上げます。

2004年10月27日(水)  

午前中は仕事の打ち合わせに行きましたが、すぐ帰宅。ニュースに噛り付いていましたが、悲しくてへこたれてしまいました。台風に地震にイラク人質に。

 昨日、田の原天然公園では雪がうっすらとあって霙が降っていました。まもなく山荘は雪に埋もれるので、店を閉めるとのことでしたが、新潟の被災地は、夜は、きっと同じくらい寒いと思います。地震の震源地が分かったときから、ご実家が新潟の会員さんのことを心配していたのですが、親戚のおじいちゃまがやっぱりショックで亡くなったとのこと。妹さんの家のお庭が地割れしたとか、怖い、お気の毒な話。それに午後ずっと、生埋め母子の救出の実況放送にメイン全局切りかえられ、坊やが助かったのにお母さんが亡くなって、もう悲しくて。その間にイラクの人質。もう打ちのめされてしまって・・・・。悲しいです。

 とにかく早く余震だけでも収まってほしいですね。どうしても伊勢湾台風の時のショックがいまだ甦るのです。家屋倒壊、家業の倒産・・・。地震で倒れた家々をみると、我が家のあのぺしゃんこになった時の光景が思い出され、とにかく皆さんに頑張ってほしいと祈る思いです。

2004年10月28日(木)  

栄の郵便局で、ちょっとお金を引き出す時に横に置いた、N企業の大型封筒があっと
いう間に無くなっていました。もうスゴーク怖くなりました。中身は問題ない書類ですが、そういうことに自分が気がつかない間にはまっていたことに愕然とするのです。

 N社の仕事を今度することになって、今日「警備員現任教育」という、言葉遣いやマナーの研修会があるというので、参考の為に見学したのです。よって、私の袋の中身は、そのためのテキストなどが入っていた訳で、泥棒さんがよく勉強してくれれば、とってもハッピーなんですけどね。(例えば、物を拝借するときは「失礼します」と声をかけるとか・・・)泥棒さんに会ってから、大勢の警備員さんに会った私も相当な頓馬です。

 頓馬な私の、しっかり者の友人がくれたメールが素敵だったので、ここに書かせていただきます。同じ郵便局の場でも、登場人物が違うと、素敵な話になるんです。しょぼん。
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 たまたま郵便局に行ったときに、フロアーのテレビに3,4人の方が釘付けになっておられるので、一緒に待ち時間、座って凝視していたのですが、この時にちょうど男の子が車から助け出されたのです。皆さんの口から「ああ、生きてる――。良かった!」と声があがりました。全然知らない同志なのに、「良かったですねえ――。お母さんが守ったんですねえ。暗くて寒い中、よくこの子は頑張りましたねえ……」と、もうどこかの男性(たぶん食べ物店のご主人さんのような感じ)も涙をにじませていらっしゃいました。誰もが同じ気持ちになっていました。本当に人間ってつながっているんですねえ。 皆、同じ涙をにじませていました。
 そして、残されたお母さんや女の子はどうなっているのか、本当に心配でしたが、お母さんはとても残念でした。でも、絶対にこのお母さんの魂がこの子を守ったんだと思いました。それにしても今年の台風の多さや、この地震、イラクのこと等々、本当に情勢はどんどん悪くなることばかりのように感じますね。

 その中でも、いつもどこでも支え合って、道を開こうとする人々がいること、そのことが一筋の希望です。ちょっと話は飛ぶ面もあるかもしれませんが、事態の深刻さに打ちのめされるけれども、また、試練や後悔が大きいからこそ立ち上ってくる人間の意志の光があること――それが唯一、やっぱり救いです。

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2004年10月29日(金)  

がま口塾例会日。「失言」というのは、言った、言われたという自覚がない限り「失言」にならないんですね。人間はみんな、それぞれが自分の辞書を心に持っているということが話題になったのですが、そうだなあと思いました。人の辞書を開くことはあまりしない。自分の辞書を開いて諸事決済して生きているんですね。ふと日本語とアラビア語の辞書・・・・どっちかが、あるいは、両方が相手の辞書を開かないと歩み寄れないんですよね。

 東京で『TOKYO ASIA MUSIC MARKET TAM LIVE SHOW CASE 〜CHINESE DAY〜』を済ませた北京暮らしのT君が名古屋に住むおばあちゃんを訪ねて、いつものように、名古屋のお姉ちゃん(???)にも会いに来てくれまして、がま口塾にも飛び入りでした。外国で暮らしていて日本に来ると、当初、はっきりモノを言い過ぎて、『?』という会話の空間を作ってしまう事があります。だから今日はT君は、多分、皆どうしてそんなに気を遣って暮らしているんだろうって思っただろうな。

 16人の中国ロックバンド3組様の日本演奏旅行の引率エピソードなど、二人で夕方までたっぷりおしゃべりしました。渋谷で街宣者でアジっていた右翼を見て「かっこいい!」って言ったのがいたそうです。中国人ですよ。もちろん日本語が分からないので、何を言って、やっているのか分からなくって。要するにロックと同じ感覚で受け止めたのでしょう。これって意味が分かっていなければ、日本人も中国人も関係なく、若者がパフォーマンスとして、面白く感じることなのかもしれません。
 靖国神社へ行きたいと言ったのが二人いて、案内してあげたとか。

 私とほぼ同時に北京放送に赴任して、彼は5年の期限をびっちり勤めました。中国の今のロックシーンを語れる、貴重な存在の彼。今後どのように生きていくのか、彼の未来のキャンパスは白くて広い。とても楽しみです。(ふと気づけば、我が息子と同じ年・・・)大きなスーツケースをひっぱりつつ坂道を登って来てくれた彼に感謝。

2004年10月30日(土)  

がま口塾便り10月号完成。明日、印刷と発送。早ければ月曜日にお届けできます。芸能界用語で「尻カッチン」。急がねばならない事情が山積みで、焦ってやりましたので、間違いが多いかもしれません。とにかく10月が、何度カレンダーを見ても31日まであるので、ほっとしています。

 ワシントンポスト社説がケリー支持。NYタイムズもLAタイムズもケリー支持。シカゴトリビューンはブッシュ支持。アメリカの新聞は支持候補を発表しちゃうんですね。公正・中立がメディアのルールだと思い込んでいたけれど、アメリカにはアメリカのやり方がある。それでどうなるのかしら。刻々とその日は近づいています。お隣のHさんは、娘さんのお産のお手伝いにアメリカへ行って、帰っていらしたばかり。土産話のお産の話も珍しかったけれど、大統領選挙でどこの家も、どっちを支持するか、リボンを家につけてはっきりさせてるんですって。びっくりしていました。

 天皇の、日の丸・君が代「強制にならないように」発言も、象徴天皇が人間の声、意思を発せられたようで、これぞサプライズ。私たちは人間。権威・権力に関係なく、「私の考え」を持ち、尊重しあうのは基本だと思います。

2004年10月31日(日)  

ジョンズ・ホプキンス大学のレズリー・ロバーツ氏達は、今回のイラク戦争でのイラク市民の死者数は、推計10万人を越えるという論文を発表したそうです。アメリカは今まで米兵の死者数は発表していますが、イラクの市民については、一向に数えていませんでした。愛知県で言えば稲沢市、三重県なら伊勢市、岐阜県なら多治見市くらいの全部の人口がすべて死人だと想像したら・・・絶句。

 服部美恵子から電話。こうださんの事をずっと心配していて、彼の為に何も声を出さなかったことを悔いていました。今回の残酷なニュースは剛丈君のことがフラッシュバックして気分的にもとても辛いようです。ご家族は気も狂わんばかりでしょうと、気遣っていました。

 全米ライフル協会やキリスト教原理主義など、巨大な組織をバックに票固めをしているブッシュ氏。彼の言うまま、くっついてきた結果が今日の事件でしょう。堕胎は認めないが、戦争で死ぬことは、しかたが無いという・・・。これって何?

せっかくがま口塾便りを書き上げたのですが、パソコンがしばらくストをおこしてしまい、ポストのタイムリミット3時半に間に合わず、夕方の投函になってしまいました。到着はあさってぐらいと思います。
 便りを印刷に行ったコピー屋さんで大失言!コピーを始めたら、「トレイに紙がありません」と字が出たので、大きな声で「すみませーん。トイレに紙がありません」と言ってしまって、皆の視線を浴びて『ハッ・・・・』。今日あった、私の本当の失言です。

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Akiary v.0.51