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2004年11月1日(月)  

K市S小学校5年生で音読の授業。「雨にも負けず」です。わずか40分で、発声・発音・アクセント・鼻音化・無声化まで説明して、全文の朗読までひっぱっていくのは、かなりの力技です。気持ちを掴むために、今回の台風と震災の新聞記事をドッサリ持って行きました。東西南北、賢治は人の助けになるために、オロオロ歩いて行きたかったのです。

 賢治はこの詩を37歳で亡くなる2年前に書いているんですね。病の床に伏せっていて、遺書まで書いて。傍らの手帳に書き付けたこの詩は、元気いっぱいで、張り切って書いているのでない事が、私にとっては、私の「生きる」意味に迫ってきます。10万人の人たちが避難生活していて、そこへボランティアがお手伝いに行ってるね。でも、10万人のイラクの人たちも死んでしまったね。さて、K市の人口はと質問したら、やっばり10万人ちょっとという答。ゾッとしました。

 授業が終わって、担任の先生が子供達に聞いたところ、「疲れた〜〜」が半分、「もっとやりたかった〜〜」が半分だったそうです。もっと疲れていたのは、一日の授業を終えても、まだ勉強させられる先生方だったと思いますが、とっても熱心で、よく笑って、楽しい研修でした。温かい先生達。

 校長先生は、昔から、私ども夫婦が親しいS氏の高校の同級生で、合唱部で一緒に活躍されていたことが判明。そして、先生達に「むらさき花だいこん」を朗読して、実話が元になっていることを話したら、校長室に帰ってすぐ、書棚の牧野富太郎の本を取り出して「諸葛菜」「オオアラセイトウ」等を調べてくださいました。結果、記載なし。「分かった。富太郎が書いた時点でやっぱり日本になかったのだ」と理科が専門の校長先生。感動の一日でした。

2004年11月2日(火)  

東海音声表現研究会。別世界で楽しいです。今日は「源氏物語を紫式部がしゃべったとおりに実現してみると・・・」なんて考えるだけでもミステリアスで楽しいテーマでした。関(観世)弘子、村山リウ、幸田弘子、白坂道子の4人の朗読を聴き比べましたが、関弘子さんの朗読は、金田一春彦さんが音韻考証を担当していて、これが本当に面白いのです。タ行は所謂タティテゥテト。は→ファ、へ→フェ、せ→シェ・・・エトセトラ。

 日本語の歴史の上で、一番詳しく、具体的な発音が明らかにできそうなのは、キリスト教の宣教師がローマ字表記して残していった戦国時代だそうで、平安朝時代はあまり資料に恵まれていないそうです。
 アクセントについては、平安朝末頃の京都語について夥しい数の資料などがあるそうです。そんな頃からちゃんとアクセント記号がついていたので、紫式部が朗読したら・・・という仮定の朗読がちゃんとできると言うわけ。いやあ、びっくりしました。でも本当に正しいかどうかその時代に生きていた人は今いないので、分からないです。でも、それを試みようとする、その発想が、全く日常的でないので、別世界へすーーーーっと入っていけます。とにかく面白い会で、来月は長谷川テルの朗読の話なので、今から楽しみです。

 原告の陳述書にサマワにロケット○着弾を大急ぎで書き加えました。自衛隊の方たちの思いや如何に。

2004年11月3日(水)  

 K市市民会館でコンサートのリハーサル。本番は6日です。H小学校のPTAのお母さん達は26人。小さい子供達もお母さんにくっついて客席で待機。ま、それはそれは広い遊び場で、おりこうに待っていました。こんな風にコーラスを楽しむのもいいなあと思います。トワイライト・シンガーズという男声合唱団もいます。文化の灯を「私の街」で点し続ける人々。最近K市とのお付き合いが多いのですが、きどりのない、あったかい街です。

 北京放送日本語部の短波放送番組の「ホットホット通信」で、夏にラン記者が我が家に取材に来た時のものが放送されたとのこと。千葉の会員さんから連絡を貰って、あわててホームページをのぞいたら、ぷくぷくに太った私メがニソーッっと笑っていたのでした。ギャ。 本の宣伝をしていただいています。日本語部の皆さん、有難う。辞めても繋がっていられる幸せ。感謝あるのみです。

2004年11月4日(木)  

 昨夜は気分が落ち込んでいまして、ぐっすり寝て、やっぱり明るいことを考えるようにして過ごしました。悲しみや怒りの自家中毒になったら大変です。私がこんなですから、アメリカでケリー氏を応援していた人々、ケリー氏ご本人は、どんなに辛い日だったことでしょう。アメリカは真っ二つになってしまいました。ファルージャで空爆は続いています。この憎しみの連鎖の飛び火は必ずアメリカに。日本に。
 香田ご夫妻が何も語らず、ただ、2人で手を硬くにぎりあっていたのが心に残りました。悲しいとき、辛いとき、寂しいとき、苦しいとき、人は人を感じていたいよね。独りで耐えられないよね。独りで耐えている人はどんなに寂しいことでしょう。

 又震度5の余震。辛いよね。悲しいよね。不安だよね。怖いよね。私がそんな立場におかれたら、どんな態度が取れるだろうと考えています。最後は生身。この体の中に、できるだけの荷物を積み込んで、なるべくすっきりとした態度でいられるようにしたいなあ。
 
 ラン特派員から電話。「国際放送局発行の新聞、『世界報』に載せるため、中国語で4000字くらい書いたから、チェックしてみてね」ということだったので、ギョエッっと思ったのですが、だいたい自分で喋ったことなので、皆目分からないと言うわけでもなく、ヒーヒー読みました。書き出しはこうです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 「私は今でも坂東さんに会った日のことをはっきり覚えている。とってもとっても小さい体で、カラーのメガネをかけていて、お化粧をしていて、笑っていた。声だけだったら20歳は若く思う人だった・・・」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ありがとね、ランちゃん。ノッポのランちゃんの腰は私の胸の辺り。おそらく放送局一の長い足の持ち主でしょう。

2004年11月5日(金)  

イラク派兵差止訴訟第3回口頭弁論。今日の原告意見陳述は原告団代表の池住さん、坂東さん、在日コリアン3世の朴さん、ペシャワールの会の五井さん、名古屋大学名誉教授で80歳の憲法学者の長谷川さんでした。他には弁護団から準備書面の要旨陳述、不法行為の成立要件に関する書面、平和的生存権が裁判で使える権利であることの書面、この2ヶ月の事実関係書面など・・・名古屋大学医学部に研修に来られ、先日帰国されたたイラクの医師モハメドさんのイラクからの手紙も弁護士さんから朗読されましたが、彼らは自衛隊の駐屯を望んでいないのです。悲惨な状況が切々と綴られていました。

 坂東さんは本当はトップバッターでしたが、香田さんの事件が突発的におきたりしたので、急遽代表の池住さんが、トップで短い陳述をされました。それでちょっと気が楽になったのですが、やっぱり自分の採点では60点の陳述でした。私の担当として弁護士さんがついて下さって、その弁護士さんと言うのが、先日、裁判の打ち合わせと称して、我が家で延々とカイラスの話や世界放浪の話をしていたU弁護士だったのです。文章はあらかじめU氏と弁護団に見ていただいていたのですが、一字も直されることなく、私の作文のまま陳述しました。

 問題は、証言台に立って意見を述べると言う、生まれて初めての体験!やっぱりドーッと疲れました。ヘタクソでした。色々間違えてしまったし、感情的になってしまったところもありました。だって悲しいから。本当に悲しいし、悔しいから。

 原告は只今3046人だそうです。裁判官が公正な、しかも人間的な判断をするためには、やっぱり世論の後押しが必要でしょう。遺書を書いて、判決文を読むなどということを裁判長にさせてはいけないだろうな・・・原告の数が増えるといいなとひたすらに思います。実質戦闘地域になっているサマーワ。犠牲者が出ないように「祈り」あるのみ。私に今日の機会を与えてくださったすべての方に感謝しています。

 

2004年11月6日(土)  

 K市市民会館「音楽の集い」、本番無事終了。朝9時半からリハーサルがあって、あれこれ失敗をしましたが(急に真っ白になってしまって、あわててメモを見たり、言うべきことを抜かしたり、論理的に変なことを言ったり・・・)、本番では、まあまあ80点ぐらいだったかな。落ち着いてできました。

 3部構成で、トップバッターが私達の「H小学校PTA合唱クラブ」と男声合唱の「トワイライトシンガーズ」。第2部は「H中学校の吹奏楽部」。第3部が、I精機株式会社の「Iオールスターズ」というジャズのビッグバンドです。中学生達も社員も各自司会をこなしていました。フィナーレは全部が舞台に乗って、おじさんも子供もおばさんも、皆で「翼をください」の演奏と合唱。感動。

 K市は借金ゼロの全国的にも5本の指に入る裕福な市だそうです。市民に潤沢な文化費や教育費を注げるのも、やっぱり豊田関連の好調ということがあるかもしれません。単に企業の中の同好会というレベルを越えたバンドの存在もすごいなあと思います。中学生たちも連日夜9時まで練習。土曜日も日曜日も返上して練習を続けてきたそうです。なかなか見事な演奏でした。

 夕方帰宅したら、先日のK市立S小学校5年1組の子供達全員と、担任の先生と校長先生から手紙が届いていました。閉じ合わせた手紙の表紙には、私が宮澤賢治の「雨にも負けず」をカレンダーの裏を何枚も貼り合わせて、ダーーーーッとマジックで書いて準備したのをバックに、授業をしている写真がアレンジしてありました。子供達の手紙には、思わず吹き出したり、感心したり、なかなか楽しいです

 平和とはこういう日を言うのでしょう。感謝でいっぱいの幸せな一日でした。

2004年11月7日(日)  

朝、スイスのYさんからメールが届いていて、何事だろうとびっくりしたら、何と!今日はHさんの生誕の日だったのでした。不覚にも・・・忘れておりました。だから不覚というのでしょうが。モンブラン1周コースにあるボンノム峠(Bonhomme・2329m)に行ったとか。イタリアへ続くアルプスが見えて<山ばっかりやんか!>とあらためてあきれて?しまいましたと、その時の写真をお裾分けのプレゼント。素晴らしい山々の景色です。

  いい気持ちになっていたら、ボーイフレンド?からメール・・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
おめでとうございます。山に頂上があって、頂上を
越えると今度は下りますね。歳も、どこかに線を引いておいて、そこからは毎年
数が減っていくようにすればいいのですけどね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ほっといてちょうだゃあ。

いいことmありました。今度はS小学校の2年生の授業をしてくださいとM教務主任先生から依頼が来ました。
 
只今から別宅へ参って、掃除洗濯エトセトラ。優しい王子様はいっこうに現れず、シンデレラにはなかなかなれません。でも、掃除できる家があるのは幸せです。被災地の皆様のことを思うと本当にお気の毒ですから。




2004年11月9日(火)  

2泊。散らかし方がすごいので、なかなか片付かないです。床に這い蹲ったり、踏み台で荷物を上げたり下ろしたり。何とか整えて帰宅の電車に乗れば瞬く間に居眠り。下車駅通過。下車駅を変更して金山から地下鉄環状線に乗れば、逆回り。全く何をやっているのやら。

 無事本宅についてPCのメールをあければ、迷惑メールが70件。ご苦労様。そして、私の誕生日にはイラクは全土戒厳令で、爆撃のニュースばかり。それでもサマワは非戦闘地域で安全らしい。人の命を何だと思っているのか!!!!
イラクからのメールが転送されてきましたので、私も貼り付けます。
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アンマン滞在中の原文次郎さん(日本国際ボランティアセンター/ イラク現地調整員)から、バグダッド市民の緊急メールが転送されてきました。転送・転載可です。

囚われのファルージャ  原 文次郎 訳 


誰もが、全てのものがファルージャで囚われの身になっている。女性、子ども、家族、歴史、人間性、そして平和が。そして世界は米陸軍部隊が市民を殺す様子、どんな爆撃機が使われるのか、どんな兵器がファルージャで試されるのかをただ見ているだけだ。世界は死に体になっていて、いなかる感情も、反応も示さない。

あなたはファルージャが意味するものを知っていますか?それはこの世界のどの都市にもあてはまることです。それはヒロシマであり、カブールであり、ファルージャは人間性の漆黒の将来‐民主制と平和の名のもとに行われる殺戮を意味します。ファルージャはファルージャの人々のもとにあるものを意味するだけではありません。ファルージャはこんにちの世界のシンボルなのです。大魚が小魚を食べてしまうような世界の。

沈黙を保っていると、あなた方の街が、あなた方の歴史が次の番です。いかにして最新の技術が容易に無実の子どもたちや脆弱な人々を殺せるのかを見続けなさい。そして次はあなた方の番です。誰でも、きょうの犯罪に否定的な立場を取る人々が、歴史と人間性
の前に照らして、(あすには)この犯罪に手を貸す者になるのです。誰もが臆病さやおびえから免れられないのです。それが、シェイクスピアの言うところの「なすべきか、なさざるべきか」という問題なのです。

ファルージャはわれわれの嘆きを期待していません。ファルージャはすべての良心を呼び覚ますような強い叫びを必要としているのです。
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Kidnapping of Faluja

Every Body, every thing is kidnapped in Faluja, Women, Children,
families, history humanity and peace. And the world is only watching,
how the US army will kill civilian, and what military plane will be
used. What weapons will be tested in Faluja. The world is become just
dead body has no feelings, and no any reaction.

Do you know what Faluja mean, it mean every city in this world. It
means Hiroshima, Kabul. Faluja means the black future of humanity and
the killing by the name of democratic and peace. Faluja isn't
belonging to Faluja people only; it is the symbol for today's
world. The big fish eat the small one.

  Keep client and your city will be the next, and your history will be
the next. Keep watching how the new technology can very easily kill
the innocent kids and week people. Then the next will be you.

Every body with negative stance from today's crime, he will be partner
in this crime, in front of history and humanity. Nobody will excuse
the cowards or the scared. It is as Shakespeare said "TO BE OR NOT TO
BE "

Faluja not expecting cry from us, Faluja need strong shriek.....to
make all consciences wake up.
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2004年11月10日(水)  

とても悲しく気分の悪くなる残酷なことを聞きました。ネットの時代は本当に残酷。ゲームと現実とが分からなくなっているように思います。若い人たちは刺激を楽しむのか・・・。人間の尊厳を守りたい。「死」がショウのようにネットを回るなんて!

 海上警備行動発令。中国? 北朝鮮実務者協議。シュワルツネッガーTV出演。カリフォルニアのCMを無料で提供したみたいなインタビュー。この人が大統領になる日があるのでしょうか。映画か現実か、ここでも区別がつかなくなってしまうのでは。

 我が家で、たった一つ自慢できることがあるとすれば、靴下の繕いを気にしないということ。繕うと「ありがとう」と言うこと。ささやかな幸せで充分な家族です。神様、これ以上の幸せは望みません。世界の戦争をなくしてください。 

2004年11月11日(木)  

 瀬戸内寂聴さんの法話集のカセットテープ12巻を聞いています。次々聞きたくなるので、あっというまに8巻目。叔母と従妹と母と先日旅行したとき、叔母が寂聴さんの法話集を全巻買って持っていると言っていたので、聞きたいと、おねだりしておいたら、すぐ送ってくれました。叔母はどうしてこれを買ったのだろうと考えてしまいました。従妹も私より年下なのに、もう未亡人になって7年。叔母も比較的若くして未亡人になっています。人生、色々あって、こういう法話を聞いてみたくなったんでしょうね。叔母の考え方がけっこうさっぱりしていたのも、旅行中の嬉しい発見だったのです。旅は楽し。

 3月の北京旅行の時、皆さんと北京外国語大学へ行って交流会をしたのですが、その時の大学院生が2人、名古屋外国語大学に9月に留学して来ていて、今日その歓迎夕食会を藤が丘の韓国料理の店でしました。東海音声表現研究会のメンバーともども9人集合。旧交をあたためたわけですが、いやはや、大変優秀な、北京で・・いや、中国でトップクラスの学生さんであることはまちがいありません。とてもよく勉強していて、立派な応答に皆感心しきりで、日本語に関する議論が大いに沸騰しました。1年間、できるだけ朗読などの交流を深めましょうと約束しました。

2004年11月12日(金)  

k市S小学校2年生90人と音楽室で音読授業。1クラスだけと思って行ったので、びっくりしましたが、何とか汗びっしょりの45分、頑張りました。20日に市の小中学校の代表校が市民会館で音楽界をするのだそうで、S小学校の2年生も代表校になって発表するのだそうです。ピアニカや太鼓、歌と朗読が一緒になっている構成で、私にとっても、とても新鮮・刺激的な教材でした。校長先生に愛知県の設楽郡にある、朗読教育が素晴らしい小学校の群読発表会のビデオを見せていただき、「音読の響きあう町」という本もお借りしてきました。町全体が朗読が好きなのです。何だか、私が勉強させて頂いている感じ。

 校長先生が自分で作ったというスモークサーモンを頂いて・・・新幹線名古屋駅へ走り・・・国際放送局の時の同僚?アナのリャオリイを待ちうけ、只今我が家で宿泊中。食事は名古屋コーチン入り赤みそ煮込みうどんとサーモンサラダ・・と言いましょうか何と申しましょうか・・・。中国の?原子力潜水艦のニュースを2人で一緒に見ました。彼女は只今、東京、NHKで研修中で、渋谷のニューススタジオも勿論見学。電子辞書を片手にニュースを見ていまして、分からない言葉はすぐ引いて、私にも質問します。延々12時まで大議論を続けました。34歳。面白い女性です。本日は声が枯れました。

2004年11月13日(土)  

突然来訪したリャオリイを我が家から1分の塩釜神社に散歩に連れ出したら、七五三で大賑わい。初めて見る日本文化だと言って喜ばれ、思わぬ名古屋観光になりました。

 その後は私の本来のスケジュールに合わせて豊田市の産業文化会館へ。きくちゆみさんの「平和の作り方」という講演会でした。ここでも、彼女は電子辞書をたえずひいて熱心に聞いていました。「こういう、平和を願って活動している市民グループが日本にはいっぱいあるんだよ」とアピールしました。彼女とは昨日からずーっとメディアのありかたを論じあっていたのですが、マスコミ倫理に関しても、彼女が研修中の東京のNHK放送センターは、只今会長の首が掛かっている激震中で、それはそれで、日本のマスコミの成り立ちや、中国の報道の成り立ちなどを論ずるときに、とても分かり易い、具体的な論材となったのでした。報道すべきこと、報道されないこと、それはなぜか・・・本日も、彼女とはずっとその議論ばかり。

 それにしてもきくちさんは、講師として会場に登場する時、自分で「グリーンスリーブス」をフルート演奏しながら現れました。声高に話す訳でなく、優しい口調で、希望を語る彼女。千葉県の鴨川で、築200年の廃屋を改修して、自給自足の生活を実践しています。9/11以後の彼女の活動はすさまじいもので、「戦争中毒」はすでに7万冊が売れたそうです。ビデオ「ボーイングを探せ」の日本語版も完成しました。すごい!


説得力抜群の講演会で、リャオリイも思わずきくちさんに「あなたの言っているとおりだと思います」と挨拶していました。名古屋城へ行くより貴重な経験ができて良かったと言ってくれ、やれやれでした。

 栄の「オアシス21」やNHK、芸術文化センターと、名古屋駅のツインタワーなどをブラブラして夕食。北京での再会を約して別れました。

まのあけみのホームページにこんな書き込みがありました。
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投稿者:妻ヶ丘中3 投稿日:11月13日(土)00時32分12秒

こんばんは。今日の鑑賞教室では本当に有難うございました。とても楽しい時間になりました^^特に、「海をこえて 銃をこえて」には胸を打たれました。なぜなら、この歌に出てくる留学生が、私たちの先輩である井之上さんと重なるからです。どちらの方も外国や日本のためにがんばろうとしていた方だったのに、このようなことになるなんて信じられませんでした。
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まのあけみも、九州都城の井上外交官の出身中学でコンサートをしていたのでした。だれもが平和を求めているんだけど、アラファト議長の死と、遺産の報道に??????
人間とはなんだろう。

2004年11月14日(日)  

だらーーーりの一日でした。瀬戸内寂聴法話集、全部聞き終えました。

2004年11月15日(月)  

2ヶ月くらい前にお話を頂いて、打ち合わせに社員の方が2名、我が家にいらっしゃって、その次は私がその会社の部長さんに面会に赴いて、その次に、その会社の、ある研修会を見学させていただいて、その次にその会社の別の事業部の会社に赴いて、ギャラの振込み関係の手続きをして、そして、何度もファックスや電話でお話して、講演の内容と進行表を書いて、戦争のことはちょっと避けてくださいと書き直したものを受け取って・・・。それで先方の会社の許可をとっていただいたとか。

 更に、当日のレジュメをあらかじめ印刷するので、送ってくださいと、2度催促を受けました。講演は今月の27日です。大きな会社というのは、本当に大変だなあとつくづく思いました。誰に叱られたわけでも、何かを言われた訳でもないのですが。私のような風来坊は、受け入れて下さる方もやりにくいだろうな。

 瀬戸内寂聴さんの12巻の法話テープのうち、最終巻を除いて、全部、言わば、ご自宅の道場「サガノ・サンガ」で収録されています。講話代は無料で、誰が来ても来なくてもかまいませんという中で、実にのびのび話していらっしゃいます。でも、最終巻は、故郷、徳島での、男性が多い広い会場で収録されている感じ。のびやかさが全く違うんですね。声の音質も高い。リズムが定まりがちで壊れる楽しさがありません。はっきり言って、最後の巻だけ私はつまらないなと思いました。他が実に自由で楽しく面白いという意味でもあります。

 人の話も自分の話しも、自分らしいものであること、その人らしいものであること。それが一番生き生きしてるんじゃないかなあ。レジュメを見ながら聞いていただく授業のような講演は私はちょっと苦手です。

アメリカは裂州国ではないかと言う人、選挙は本当はケリーが勝っていたのではないかと言う人、(土曜日、きくちさんもそう言っていましたが・・・)。自浄力を信じたい。

2004年11月16日(火)  

「五体投地礼」というのを寂聴さんがされているんですね。比叡山では、それを三千回する修行があって、彼女もちゃんと三千回やってフラフラになったという話を実に面白おかしく話して、集まった人たちを笑いの坩堝に巻き込んでいます。

 私はカイラスへ行く目標を立てていますので、チベットのことをあっちこっちで拾い読みしているのですが、チベットの五体投地は、両手の掌を合わせ、はじめは頭、次に口、最後に胸にあてて、手を離し全身を前に投げ出します。「この身体がこれまでになしてきた罪を清めたまえ」「この口がこれまでになしてきた罪を清めたまえ」「この心がこれまでになしてきたし罪を清めたまえ」。
 でも、寂聴さんは比叡山で両膝・両肘・おでこを地につけて拝んで、立つときは手は汚れているから、手をつかないで、両手を腰にあててスーッと立つ。これを一日に三千の仏の名を唱えながら三千回なんて、運動の嫌いな私は仏教も嫌いになってしまいそうな話です。

 土地にはそこに生きた人たちの魂がこもっている。土地にはそこを通った人たちの嘆きや喜びや歴史の吐息が伝わってくると寂聴さんは言っています。一木一草に歴史や文化があると。

 イラクの土地に魂があることをブッシュさんは知らないのではないか。感じる力がないのではないか。横田めぐみさんの嘆きの涙は北朝鮮の大地ににしみこんでいます。家族と暮らした短い日々の喜びは日本の大地にしみこんでいます。それが歴史というにはあまりに酷です。テレビでお母さんの信仰からくる発言でしょうか、めぐみさんの生死に関するあまりの深い言葉に、涙がポロポロこぼれてしまいました。

 歴史の中で日本もやった事。どれほどの家族の涙がこの星の大地に流されていることか。五体投地は私には到底できそうにないけれど、一木一草に魂があるのだと、忘れまじ。

2004年11月17日(水)  

スーパーへ行く途中に、故銅・非鉄金属、銅製造原料を扱っている会社・・・というか、巨大な物置って感じの場所があります。今までぼんやりとしか見ていなかったのですが、今日は、そのトラックが出入りする入り口に、メガネをかけた老紳士の実物大の銅の胸像がドテッと捨ててあって、それはもうビックリ! 気になって気になって・・・。何であの人は捨てられたんだろうって・・・。

 『銅像が倒されるニュースは彼と彼と・・・あの人はまだ倒れてないなあ・・・ブッシュって銅像あったっけ・・』なんて、いっぱいいろんなこと考えちゃって。何度も何度も後ろを振り返って見たのでした。踏んづけられるように放られた上半身。『きっとどっかの会社の創業者。そして会社が倒産して、故銅屋さんに売られたのよ』と想像を逞しくしたのでした。諸行無常、盛者必衰。今日はものの哀れが身に滲みました。

2004年11月18日(木)  

今日はビックリすることばかり。私はビックリ病か?

@自分史CDR打診の話が突然思いもかけない所から舞い込む。
A小学校で戦争の話をしてくださいと依頼を受ける。
B坂東浩美という人が報道ステーションでレポートしていた。
C毛丹青という人の文章について友人がメールしてきた。彼を知ってるかって。
  知ってるどころか北京のFMで彼の本を毎週朗読していたよ!会ってるってば!
Dめったに電話などしない△さんから唐突に電話。旅に出るってだけのことだけど。
Eめったに電話などしない□さんから唐突に電話。旅の話の時間変更のことだけど。
Fめったに食べ物などお誕生日のプレゼントにしない親友から柿が送られてきました。
G金沢のスウさんから私の誕生日に金沢でしたことのメール。さて・・・。
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水野スウです。金沢発のシール投票、あなたの街でもやってみませんか。金沢のpeaceつながりのわかいお母さんの発案です。私も11月7日、金沢や内灘(津幡の隣町)での投票行動に参加しました。楽しかったよ、いろいろなひとの意見が聞けることが何よりいいです。全都道府県でできるとすてきですね(^-^)みなさんのネットワークで、全国にたくさん広めていただけるとうれしいです。したいけど、う〜ん、という方ももちろんいらっしゃるでしょう、こういう動きがある、ということだけでも知っててくださったらうれしいのです。

 転  送  大  歓  迎 (シール投票をやってみませんか)

イラク自衛隊の派遣延長スル?シナイ?市民の手による意見投票!
   http://members3.jcom.home.ne.jp/support-sdf/
 
12月14日の自衛隊派遣期限を前に、与党内にも期限延長に慎重な声があがっています。小泉首相は派遣延長について「世論の動向も判断基準になる」と発言しています。
(11/3 朝日新聞)「世論」、とはなんでしょう?世論調査の結果? テレビや新聞の論調?新聞投稿? 首相官邸へのFAX?でも、わたしたち市民の生の声は、誰が政府に届けてくれるのでしょうか。そんな「誰か」を待っていないで、街に飛び出しませんか?

こう呼びかけて、11月5日(金)から14日(日)にかけて各地でシール投票をしたら、こんな結果になりました。

あなたは自衛隊派遣の期限延長に、賛成/ 386 (13.6%)反対/2,076 73.1%)
わからない/ 379 (13.3%) 計/2,841

結果の数字だけでなく、「賛成・反対の意見が聞けて、おもしろかった」「市民同士、話ができた」など、反響が大きく、それを受けて、やりたい、との声が各地から出てきました。そこで、派遣期限の12月14日まで、シール投票を続けることにしました。全国各地の市民の声をどんどん累積し、じかに国会に届けます。みなさんも、お住まいの地域でやってみませんか?タイミングは今です!

用意する物はスケッチブックやボードに「賛成」「反対」「わからない」の三つの欄をつくった表とカラフルなシール、意見を書いてもらう紙と筆記用具、あるいは録音するレコーダーなどだけです。3、4人いれば、人通りにもよりますが、1〜2時間で100人近く集めるのもむずかしくありません。(けっこうたのしい(^-^))うまくいけば、地元メディアで取り上げてもらうことも可能です。すでに北陸中日新聞・毎日新聞・朝日新聞・京都新聞・西日本新聞が、取り上げています。

※準備や当日の様子、プレスリリースなどはホームページにあるものを参考にしてください。  http://members3.jcom.home.ne.jp/support-sdf/
準備不足?時間がない?でも、何より大事なのは、タイミングではないでしょうか。今月の間、政府も結論を出さないことが考えられます。世論を盛り上げるのなら、今のうちです。思いきって、ご一緒にやってみませんか。1時間でも、2時間でも。実施県は(予定を含む)15都府県に広がっています。個人ではいくら思いがあっても、かたちにするのはとても困難なことです。署名や意見広告ぐらいです。署名でも敷居が高い、という人も多いのが現実です。”シールを貼るだけ”という、時間をとらず匿名性のある方法で、それも市民が相手ならば、あまり抵抗なく自分の意思を表現できます。なによりも、話の「場」が生まれるのです。いま、怖いのはあきらめムードです。「自分がなにをやっても変わらない」というあきらめは、無関心につながります。わたしたち市民は無力ではないことを、ともに感じましょう。
_________________________

<質問項目> ・・統一してくださいm(_ _)m・・

問い1★現在イラクに派遣されている自衛隊は12月14日が派遣
    期限です。あなたは派遣の期限延長に、

  ・賛成  ・反対  ・わからない  (三択)

問い2★それは、なぜですか? (理由・年代・性別)

_________________________
<投票期間>  
11月5日(金)から、12月14日(火)まで。<留意点>期間中の投票はひとり一票のみ。(厳守)<連絡先>実施予告・結果報告・お問い合わせなどは、
support-sdf@jcom.home.ne.jp まで お寄せください。結果は、ホームページ上やマスコミに随時公表するほか、まとまった時点で国会や首相官邸に届ける予定です。

◎最新情報はWEBでご確認ください!
 派遣延長スル?シナイ?市民の手による意見投票!
http://members3.jcom.home.ne.jp/support-sdf/
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2004年11月19日(金)  

笑いきのこを食べたかと思うほど笑いました。めったに食べ物を送ってこないYちゃんにお礼メール出したら、彼女じゃなかったんです。確認したら、まのあけみからでした。そう言えば、彼女は毎年送ってくれるのです。でも、誕生日とは思っていないはずだし、悪いことに、前日にも柿がどっさり送られてきていたので、私が、又きた・・・と思って、よく見ずに、いつも誕生日に贈り物をしてくれるYちゃんだと思い込んでしまったのでした。ワハハワハハで、お詫びメール。そしたら返事。「私のは明日届きます」ですって!ウヒャア!私完全犯罪やわ。ごめんね、Yちゃん。

 芸術創造センターで、久々に観劇。仮面によるギリシャ悲劇「アガメムノーン」。報復は報復の連鎖を呼ぶ。2500年も昔の演劇人が作った劇。初演は紀元前458年ですもんね。つまり、人間は何千年経っても同じことを繰り返しているってことです。

 名古屋市民芸術祭2004主催事業ですから、主役は天鎮さんはじめ、そうそうたる演劇、音楽人。私の青春時代にスターだった方たちです。皆さん、お年をめしたなあと思ったのでした。でも、出演者のすべてが素晴らしい声量。さすがです。衣装や舞台は現代日本の演出で、シンプルでかつ印象的な色彩、光彩。なかなか整理された力作でした。

 ここでも大失敗。東海音研のMさんは分かったけど、Fさんがいないいない、出て来ないと思っていたら、ダブルキャストで、昼の部の私はアウチ!本当にしみじみおっちょこちょい。情けない、でも平和でありがたい一日でした。そのうち、名古屋喜劇を著わそう。国内外にあまりに残酷な事件が多いから。

2004年11月20日(土)  

超幸せな一日でした。

@Yちゃんから暖かいプレゼント。まあ、私が請求したみたいなもんですが、とっても優しい言葉がそえてあって、お姉ちゃんと言われている私が妹のようなもので。幸せです。

Aがま口塾の会員のUさんとウィル愛知のホールへ。「Wong Wing Tsan と平和を祈るピアノコンサート」。主催はGAIAの会で、主宰のDさんが半年も前から一生懸命宣伝していただけあって、600人くらいは入っていたかな?収益は松井やよりさんが提案して逝かれた「女たちの戦争と平和資料館」の建設費に寄付されます。NO WAR というネガティブな表現ではなくて、Yes Peace!という希望をつなぐコンサートです。Dさんの飾らない挨拶が素敵でした。頑張ったね。
 ウォン・ウィン・ツアンさんはNHKスペシャル「家族の肖像」等のテーマを作曲した方で、童謡「里の秋」「月の砂漠」「みかんの花咲く丘」「五木の子守唄」等も素敵な編曲で弾いてくれました。最後の20分間の即興演奏もとても心癒される、清水がせせらぎを流れ遊ぶような優しさにあふれた演奏でした。この人も飾らない魂の持ち主でした。

Bカイラスとインド、ネパール、タイ、ミャンマー、韓国の放浪の旅の写真をCDにしたものとチベットの本を4冊リュックに入れて、弁護士のUさんが来宅。私は朝からボルシチスープを煮込んで、コンサートから飛んで帰ってご馳走しました(エッヘン)。まあ、それはそれはすごかった!感動!「日本語の言葉では表現できない美しさ」「神がいると直感した」とか、彼も夢中でおしゃべりして堪能された様子。本は全部英語で、全頁、それはそれは丹念に読み込んである事が一目瞭然。いわゆるトレッキング。バックパッカーの旅で1年半放浪したら、もういいと思ったそうです。カイラスへの訓練は、山歩きというより、高度に慣れることだというアドバイスに納得。

 12時近くまで、時間を忘れて写真を見ていました。これを幸せと言わずして、何を幸せと言いましょう。神様仏様、神々、御仏のおわします、山々を有難う!

2004年11月21日(日)  

沖縄で、歌声祭典が開かれています。紫金草合唱団も参加合唱団として全国から参集、100人以上が全曲歌ったはず。参加希望者があんまり多いので、舞台に乗るかなあと心配していたのですが、私は我慢して、観客として参加しませんでした。Sさんがお土産は何がいいかとメールしてきましたが、「空と海の青」以外答はありません。沖縄から飛び立った米軍機がイラクで何をしているか。空と海の青に恥ずかしい。

 幼馴染のHちゃん来宅。皆で夕食。今日は親子丼。何も特別にしない、普段どおりの食事でした。幼馴染には気取る必要がなく、ありがたいことです。せめて、にこやかな会話があればいいのですが、男ばかりの家族はこんな時華やぎがなく、何か物足りない。

2004年11月22日(月)  

千種のIMYホールで、南アフリカから18時間飛行機に乗ってやってきた合唱団の「 ゾラ・セントラル・ユース・クワイヤー、ゴスペルコンサート」。がま口塾で5人参加していました。いっちばん前列に陣取って、もう床も心も揺さぶられっぱなし。土の臭い、空の色が見える迫力。美しい声、会場いっぱいに響き渡る生のハーモニー。プロではなく、色々な職業の普通の生活者。いつものメンバーは100人ほどいるそうですけど、選抜された男声7人、女声6人の13人のゴスペルは、素晴らしいの一言でした。あーあ、楽しかった! もったいないほどの幸せです。

 アパルトヘイトを潜り抜け、歌で自らを鼓舞し、闘い、抵抗し、泣き、喜び、日々を紡いできた人たちの歌。とにかくパワーがすごい。歌いながらの振り付けも楽しいものでした。アンコールで最後に「ウィシャルオーバーカム」を歌った時には、涙がでてしまいました。ラストは国歌。全員起立。南アに敬意を以って幕。

 Mさん、南アの民族衣装を着て司会をしていました。生き生きと。良かった。

聴きながら、何故かしらんブルガリアの合唱を思い出してしまいました。日本でも、民謡の合唱団なんかがあったら、きっとこれに匹敵すると思ったりもしました。家元制の個々の民謡ではなく、デュオでもトリオでもなく、100人くらいの、現代的な民謡合唱団があったらいいなあ。あるかな?

 日中首脳会談、言葉が噛み合わず・・いや、噛みわせず。涼しい顔の首相。つじつまのあわない日本語。どこにも日中のハーモニーがありません。どこにも感動がありません。

 

2004年11月23日(火)  

がま口塾「誇りとは」。うーむ。テーマが難しいし、祭日だから、皆さんなかなか家を抜けられないだろうな・・・と思って、勝手に2~3人の参加に違いないと何故か決め込んでしまったのでした。もともとは、お勤めの方から、休みの日にあったらいいとリクエストがあったのでそうしたのですが。結局12名の参加になって、出来心で紅茶を入れ始めた私はパニックに陥ったのでした。でも、学級委員ももう何人もできていて、私がいなくても大丈夫。ありがたいことです。

 まず一番乗りは、しばらく顔を見せなかった○さんが7s痩せたというスマートな姿を現してくれ、ビックリ。元気そうで安心。次も男性が「お早うございます」・・?!夫人が出席できないのでとお連れ合いがいらしたのでした。次は「ドーブラヤウートラ(お早うございます)」とは言わずに「久しぶりだったから迷っちゃったア」とウクライナのタチアナさん!付き合いはもう15年くらいになりますが、何年ぶりかの再会です。 その次は母娘のツーショット!長い間お休みだったお医者さんも来ました。もっとびっくりしたのは、やっぱり山を1つ間違えちゃってと、1時間以上遅刻した方。フーフーハーハー、とにかく暑かったらしく、落ち着きません。躁鬱なので、躁の時は外へ出ないとダメなのと、最後にいっぱい話をしました。司会者は30分も延長してるので、ハラハラ。でも切れない勢いでした。

 つくづくつくづく色々な人がいるって思います。皆、自分の気持ちを話したいし、人の話も聞きたい。「母を連れてきたいけど、何を言い出すか心配で」と言っていた人もあります。全く! 私の恐怖の母も恐ろしくて参加させられません。「母連れがま口塾」を特別にやったら、皆一緒で怖くないかもしれませんが。需要は絶対これから増えていくと思います。傾聴ボランティアより踏み込んで、お互いに話し合う精神で、何かできたらいいと思うのだけど。

2004年11月24日(水)  

奇妙な日で、マスコミがらみの情報が2つ。1つはキナさんの息子さんのスキャンダル?報道について、彼の事務所からのもの。ため息のでる政治の闇。誰かを陥れようとするのに手段を選ばない黒い影。悲しいね。

 もう1つは、とても嬉しく、又同時に胸の締め付けられる悲しさがこみ上げること。詳しくは今は言えません。

 上記2つの政治がらみの事件は全く奇怪奇天烈で、訳が分からないけれど、科学的にきちんと分析すれば、どこかから晴れ間が覗くのではないかとも思います。人間の尊厳や自由を侵されている人達が世界にあまりにも多い。「船こぐ我は鎖に繋がれ、苦しい時に母の面影 自由と平和に 身を捨てて行け・・」。大好きなロシア民謡です。自由である私の幸せは奇跡に近いものかもしれません。祈ること。最近の私の技です。自己流で。

2004年11月25日(木)  

がま口塾便りを書く時は、とりあえず録音されたものを、なるべく忠実にバンバン書きまくります。今回、ふと気がつくと、21ページになってしまっていました。これは印刷にも発送にもにもデッドライン。12ページに減らそうと努力を重ねましたが、皆さんの発言の心を思うと削るに削れません。それでも心を鬼にしてなんとか16ページに収めました。B4裏表4枚になります。明日印刷に出かけ、発送の予定。

 ネットは、あまり削らない状態のものを読んでいただけるので有難いです。楽チンなのです。でも、欠点は、読んでくださったのか、くださらなかったのか、全く分からないこと。いったい何人くらいの読者がいるのか、私は全く把握していないのです。だって全て自由の会ですもんね。

 先日K市のS小学校に行った時、先生方が全員廊下に並んで見送り(恥ずかしくてたまらないシーンだけど・・・)して下さったのですが、1人の先生が近づいていらして「女房が出版記念会に行って、本にサインしてもらって来ました。あの坂東さんですね」と言われるのでビックリしました。A新聞の記事を見ていらしたのだそうです。その先生もさぞかし、その著者が学校に現れて、朗読がどうちゃらこうちゃらとペラペラ喋ってびっくりされた事でしょう。次に行った時には、ついに私のサインまで証拠品として見せられ真っ赤になりました。

 本当にどこのどなたが読んで下さっているのでしょう。(この日記もですが・・・)どうか感想など時々はお聞かせ下さいね。私はがま口塾に来て下さる方達が大好きです。又、いつも感想を寄せて下さる方もあって、とても感謝しています。皆さんのお陰で成り立っていますもん。いつまで続けられるか全く自分でも分かりません。家族の状況にもよるからです。でも、こういう、何気ない、どこの人ともしれない人とのお喋りがとっても大事だって事だけは、身に滲みて感じるようになりました。今後ともよろしくお願いします。

2004年11月26日(金)  

 韓国の入試に携帯でものすごく巧妙な手口が使われてたんですね。唖然としました。よくまあ考え付くこと! それはあまりにも入試の競争が激しいという原因の背景があるんですね。

 でも、韓国で「ゆっくりゆっくり子供を育てよう」と説いている小児精神科医がいるんですね。申宜真さんです。「韓国における早期教育の現状と課題」という分厚い論文(書籍)が、国立教育政策研究所国際研究・協力部の総括研究官の一見先生から送られてきました。申先生は「子供自身が喜ぶ遊びをさせてやる。子供は自主的に遊びから多くを学んで行く。その自主性こそが大切。又子供に無条件の愛情を注いでやること。そしてもっとも大切なのは、焦らず、急がず、絶えず励ますこと。ゆっくりが結果的に子供をのびのびと成長させる」・・・と言っているのです。

 この研究書を読みきるにはだいぶかかりそう。我が家のようにのびのび育ててのびきってしまってどうにもならない大人になるのも問題だと、最後の行に私自身が自主的に書き込もうと思っています。読むのが楽しみな本です。

2004年11月27日(土)  

A市の文化センターでS社の三河本部社員研修会。私は、N社の契約講師という形で、午前中のセンスアップセミナー3時間を担当しました。次男坊に言わすと「貴女がセクハラの講師をするなんて詐欺に等しい」という事になるのでありますが、これでも努力でなんとか乗り切ったのであります。N社からは担当部長さんと社員の2人、S社からは会長さんと専務さんも御臨席で、9時から12時まで、途中10分休憩をとっただけで、160人のS社からの派遣社員の皆さんに対するのは、しんどくないことはない・・・。でも、皆さんとっても熱心に聞いてくださったし、ハプニングもあって、なかなか楽しめました。(私が楽しんでいては本末転倒ですが)

 @前半の話の中で、G放送のサテライトスタジオで仕事をしていた話をしたのですが、休憩の時、専務さんがG放送の受付も当社からの派遣ですとおしゃったので、わが生涯仕事の部ではビッグニュースに入る大事件を久しぶりにパッと思い出しました。早速後半の講演の中にアドリブで入れました。異常状態の男性がサテライト前に陣取って大騒ぎになり、受付嬢は逃げ出して職場放棄。とにかくロビーが警察と野次馬と、駆けつけた社員でごった返す中で、私はそ知らぬ顔でにこやかに生放送をし続けたのでした。「よく頑張ったね」と褒められたのは、あの時だけ。良いことを思い出せて下さった専務さん、ありがとう。放送禁止用語にふれるのにもいい流れができました。

 A年配の会長さんは、私に思わず「可愛いね」とおべんちゃら。これはグレーゾーンで、私がなんとも思わなかったらセクハラにはなりません。チビちゃんだという意味や他の意味に受け止めて私が不快感を表明すれば直ちにセクハラで民法709条に抵触するでしょう。私の答は「はい。可愛いでしょ?有難うございます!」これも皆さんに披露して大笑い。

 前半は、基本的に私自身の「言葉」の歴史をお話したので、必然で紫金草合唱団の話もしました。車椅子の障害者の方が、南京で不自由な言語も物ともせず、真心込めて歌い、皆を感動させたというお話等紹介し、後半の最後は「むらさき花だいこん」の朗読をするという、なんとも我田引水、自分勝手な講演にしてしまったのですが、終了後何人もの方が、名刺や「がま口塾便り」が欲しいといって前に出ていらっしゃっいました。その中に「私は合唱をやっていて、沖縄にも行ってきました。紫金草の話はよく知っています。作曲者のO先生のことも」と言われたのには、本当にたまげました。彼もとても感激していた様子。講師が合唱の話をしだしてさぞかしびっくりした事でしょう。しっかり握手させて頂きました。

 今日の仕事の出来不出来で、今後の仕事が決まります。果たして・・・。

 帰宅後、昨日できなかった便りの印刷に。これから折りたたんで封筒詰め。明日ポストに投函します。到着はあさってになってしまいます。ごめんなさい。

2004年11月29日(月)  

  昨夜UPの手さばきを間違えたらしく、せっかく書いたものを消してしまいました。睡魔に勝てずダウン。呆け防止策に我が身に課した一日の終わりの仕事。怖い怖い。

 昨日は、@がま口塾便りポストに投函
      A日本国際ボランティアセンター(JVC)イラク現地調整員、
      原文次郎さん(アンマン滞在中)のイラク報告会(名古屋工業大学にて)

 一昨日アンマンから戻ったばかりという原さんは、9−11事件を契機にアフガン問題を通して平和を求める市民運動に触れ、その後、在日のアフガン難民支援の集まりに加わりました。2003年1月末に、約17年間勤めた電機メーカーを退社。2003年2月〜5月、イラク戦争前後を通じて米国サンフランシスコに滞在し、難民救援の国際NGOであるIRCにてインターンを務め、この間にイラク反戦市民運動に参加。2003年7月より日本国際ボランティアセンター、イラク現地調整員をしている方です。

 きくちゆみさんもそうですが、9.11は本当に多くの人の人生を変えて行ったのだなあと実感します。大企業を辞して、ボランティアの道を選択された原さんの、控えめな静かな語り口が、私のようなバリバリの大声の話し方とは違う、芯の優しさをにじませていました。多くのイラクの子供の写真を見せていただきましたが、皆、「この子も死にました、この子も・・・」ばかり。劣化ウランで汚染された、放置戦車で遊んでいた子供達のビデオも見ました。今はもう片付けられているそうですが、どうしてアメリカはこんな道を選んでしまったのでしょうか。

 税金を出してイラクに自衛隊を派遣してもらっているのは、この国の構成員である私です。自衛隊を派遣しないで欲しいと、年会費3000円出して裁判の原告になっているのも私です。戦争を支持したのもこの国であり、構成員である「私」も含まれます。人も心も物もメチャクチャにして、それを復興支援をするのも、国際協力するのも煎じ詰めれば「私」です。だって私はちゃんと税金を払っている国民なんだもの。

 原さんの活動にカンパ金を出しながら、情けないほどの矛盾、無力を感じました。そして、会場では又様々な市民運動の情宣を受けます。ノーモア南京名古屋の会の方に、今度の集会(上海市民の証言集会)で10分ほど話して欲しいと頼まれました。チラシを見るだけで、私は針に刺されるように心が痛い。それを証言者の、生き残りの中国人の前で語れと言われる辛さは例えようもない事です。もう許して欲しいと叫びたい気持ちです。小泉さんが一言優しい言葉を言って、素直に謝って、合祀ではなく、分祀策でもいい1pでも歩み寄る姿勢をとってくれたら、学校教育できちんと教えてくれていたら、こういう集会をいつまでも繰り返さなくてもいいのです。

 しかたがないなあ・・・そういう思いで、又賛同金を出してお引き受けしました。きっと生きている間、この責めは負うのでしょう。集会に来る人は意識を持っている人達ばかりで、本当に知って欲しいと思う人達は、うっとうしい、厄介な政治集会だと思って絶対参加しない。ヨン様追っかけ人は何千人いるというのに、本当に真摯にボランティア活動している人々、平和の為に働いている人々の所には、おっかけ群はなかなか来ない。あの人達は歴史は関係ないんだろうなあ。でも、経済効果は絶大で、それが軋みを和らげることもあるでしょう。

 ふと、「市民運動はとってもおしゃれだ」という意識革命をすれば流れを変えられるのではないかと思ったのですが。

B夜はまのあけみ忘年会にT市まで出かけました。今日の愛知私学父母懇のフェスティバルでのコンサートのついでの家庭的なゆったりした夕食会でした。

 善良な市民はいっぱいいます。「善良」とは何か。当たって触って自分の意見を持つことでしょう。「自己主張をしない、おとなしい穏やかな良い方」は、私は本当に苦手です。心から苦手です。絶対に信頼できないから。

2004年11月29日(月)  

そのA
  ウクライナが大変。黄色と青の国旗は、大地と空だと、ライ麦畑を背景に説明をうけた日の事が、国旗を見るたびによみがえります。ターニャはウクライナとタタールのハーフだって先日の会で言っていたけど、東西南北、国境が陸続きの大地で生き抜いてきた人々の感覚は日本人には理解できないものがあると思いました。ネチポレンコさんもオレンジ色に染まってデモをしているのかしらん。

2004年11月30日(火)  

 天白図書館へテクシー。川を2つ越えるのにどの道が近いか・・・。ショートカット発見!(いったい何年私はこの街に住んでいるのか)。
 
 がま口塾の会員さんで(便りを送りつけてる感もあり)、一宮の観音寺のご住職、中野見夫さんがご長男を3歳で川で亡くされてから、一宮だけでなく全国で子供達の安全のための活動を、長年献身的に続けられ、中日社会功労賞を受賞されました。北京にも、国際放送局の60周年記念行事のツアーで来て下さって、ユーモラスな、貴重なムードメーカーをして下さいました。嬉しくて新聞で何度も確認したり、カイラスの本をあさったり。昼は植田川の土手でお弁当。そのまま地下鉄で鶴舞図書館へ。

 カイラス(6656m)三昧。

 「大昔の事だがカン・リンポチェ(カイラス=雪の活き仏)には悪神が住んでいたんだ。そいつはな、カン・リンポチェを背負って今のスリランカの国に運ぼうとしたんだ。見てごらん。かけた縄の跡があるだろう。そこで釈迦牟尼が彼の心を変えさせようと、ここに来たんだよ。タムドン・ドンカンに釈迦牟尼の足跡があっただろう?もう誰もカン・リンポチェを盗ることはできないんだよ」。

 土地の人の話のスケールの大きさに、思わず息を飲みます。アメリカもイラクを背負って自分の国に持って行きたかったんだね。アメリカの足に踏んづけられてもう10万人の土地の人達が死んだんだよ。でも、アメリカは自分の足が痛かったことしか話さないんだよ。日本もずっとお手伝いするらしいよ。

 ふと、『ディンディンもそろそろ図書カード作るといいな』なんて。馬鹿だねえ、私。
 
 今日は1人で市内旅行? でしたが、明日はちょっと友人と伊勢湾をお茶碗にして鳥羽の料理を食べてきます。食べきるのに2日かかりますので日記はお休みです。

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Akiary v.0.51