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2005年1月1日(土)  

明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願いします。
我が家から徒歩3分の塩釜神社が初詣ででにぎわっています。「普通の日々」が如何に幸せであるか、今ほど感じる時はありません。私の友人夫妻がスリランカの義捐金の口座を開設しました。

 バンダーラさんは実はお坊さんで、スリランカでは大学で教鞭をとっていた方です。日本の京都のお寺に修行に来ている時に、8年ほど前、当時京都で仕事をしていたAちゃんと恋に落ち、ありとあらゆる難関を乗り越えて二人は結婚しました。もちろんバンダーラさんは結婚したら僧籍には戻れません。二人は「愛」を選択して、現在息子さんを得て幸せな家庭を築いています。Aちゃんは中学生の頃からの私の友人?というより、娘のような関係で、高校時代からアメリカに留学し、現在は通訳として活躍しています。2人の結婚式には、私の息子や張陽も出席していまして、家族ぐるみでとても古くて長い付き合いを重ねてきました。バンダーラさんは本当に誠実で優しい人柄です。2人の今回の活動にご賛同して頂けましたら幸いです。

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スリランカ津波被害への義援金のお願い

連日の報道で既にご存知かと思いますが、去る12月26日、環インド洋諸国は、スマトラ沖地震によって引き起こされた大規模な津波に襲われ、沿岸の漁村やクリスマス休暇で賑わうリゾート地は壊滅的被害を受けました。特にスリランカは巨大津波の直撃を受け、30日現在確認されているだけで日本人を含む死者2万7268人、民族問題から調査が進んでいない東部・北部での被害は更に甚大なものが予想されています。津波での直接被害に加え、沿岸には貧しい漁民や、観光業に頼る人々が多く住んでおり、不衛生な環境からコレラ、赤痢といった二次災害や家族や財産を一瞬にして失い、食べる物にも事欠く状況に陥った人々による略奪すらも懸念されています。

 これは当国二千余年の歴史上稀に見る大惨事であり、スリランカと隣国モルディブの両国政府は全土に国家災害非常事態宣言を発令しました。スリランカにおいては長い間続いた内戦がようやく終結し、まさにこれからというときに起こった未曾有の大惨事であり、しかも死亡者の多くは子供であったという事態が国民に与えたショックと悲しみは計り知れません。 

 皆様におかれましては、年の瀬押し詰まった多忙な時期に、私どもへ安否確認のご連絡を頂戴致しましたことを、まず御礼申し上げます。私の近い家族親戚友人またその家財資産に直接の被害の無かったことを報告させて頂きますと共に、今回私どもに賜りましたお心を、スリランカの苦しむ人々への一助とさせて頂きたく、今日ここに皆様に義援金の寄付をお願いするものであります。

1. 義援金の主旨
 現在スリンカの国民は、「違いを忘れて、助け合おう」という、大統領の呼びかけに応じ、物品や資金の供出を進めており、また世界中から援助・義援金も集まりつつあります。しかし、こうした大規模な被害は復興までの長期にわたるきめ細かい支援が必要となります。私どもは可能な限り早く被災した方々が自立できるよう、また被災地の村や町が復興できるよう、この義援金を役にたてていく所存でございます。

2.義援金の使途
皆様からお預かりする義援金は、現地の救護所や診療所、そして家を失った人々へ、直接届く形でお届けします。その際は私の現地でのネットワークを生かし、然るべき仏教寺院を通して活動いたします。お預かりする物品については、私が現地に渡航する際、手渡しにてお届けいたします。活動の結果につきましては、後日報告させて頂きます。

3.募金方法
下記の口座を新設致しましたので、ご賛同頂ける場合は、ここに振込みをお願いいたします。

郵便貯金口座 「ぱるる」
記号 12100 番号 73913441
口座名義 アップハミゲ ティキリ バンダーラ

*窓口でお振込み頂く場合は、通信欄に「スリランカ津波被害救援」と明記してください。受領証が必要な場合は、下記連絡先まで振り込み後にお知らせください。

4.お問い合わせ先
 代表 アップハミゲ ティキリ バンダーラ (Appuhamige Tikiri Bandara)
 山崎 敦子 (Atsuko Yamazaki)
住所 491-0831 愛知県一宮市森本5-1-11、蓑島ビル3F
電話 (FAX兼用) 0586-23-5480  
 電子メール info@tea-lanka.com
 ホームページ http://www.tea-lanka.com

5.募金期間
締め切り … 平成17年3月31日
  ※期日を過ぎる場合はお問い合わせください。

以上、なにとぞご協力をお願い申し上げます。
 平成16年12月30日 アップハミゲ ティキリ バンダーラ・山崎敦子

2005年1月2日(日)  

堪能しました。昨日と今日のNHKの「シルクロード」。特に今日は「楼蘭」だったので、もう懐かしく夢中になって食い入るように見ました。一緒に行った仲間からも「見ようねー」とラブ?メールが来て、自分だけで盛りあがっておりました。

 25年前の中国の人民軍の楼蘭行は設備的に本当に大変だったと思います。同行とテレビ撮影は外国人はダメ。中央電視台だけが許されたのだそうです。石坂浩二がスタジオで当時のナレーションを振り返って、楼蘭へヘリコプターで行ったのは、半ば緊急の救助に近かったっていう裏話を聞いたと言っていたけれど、さもあらんと思ったのです。又彼は西安や敦煌へ行った時の事を話して「楼蘭へ行くなんてトンでもない話ですし・・・」と言っていましたが、本当に全くそうだと思うのです。そんな所へ私は、よく分からないまま、成り行きでよくぞ行かせて戴いたものです。あらためて幸運だったと、運命を噛締めました。隊長さんに心から感謝。映像もほとんど私が見たものと一緒。360度、ヤルダンの地形の中のただただ砂と仏塔と無言の世界でした。

 ヨーヨー・マのシルクロードアンサンブルの音楽はなんとも言えない民族の融和を感じさせる素晴らしい響き。チェロもいいし、ハープも琵琶もパーカッションも心の琴線に触れます。バイオリンが切なさを増幅させて、砂に滲みていくような夕陽に入っていくように流れるボーカル。感激の時間でした。
 朗読は音楽とのキーがあわないと出来ないという話や、言葉の分量が多すぎると朗読できないと言う石坂さんの話も納得。

 昨日からジョギング(競歩に近いかも)を始めました。夕陽に向かって走るのもなかなかのものです。私は自分の人生で後何日夕陽を見るのでしょうか。明日も走ると、まず3日坊主にはなれます。頑張る!

2005年1月3日(月)  

 三日坊主になれました。ちょっと嬉しい気持ちですから、いかに私が私に要求している水準が低いかわかろうというものです。天白川の土手を走る人や犬や寝そべる猫。若者達がトランペットの練習もしていて、今までとは別世界が見えてきました。

 2年間は730日ですから、730日ウォーキングのようないいかげんなジョギングが続けられたら100点満点。まず無理でしょうから730分の幾日になるか楽しみにします。遥かな遥かな夢です。(他に楽しみない・・・)

 ドンドン広がるTSUNAMI災禍になんとなく晴れやかになれないお正月。個人的快楽にふけるのがはばかられるのです。犠牲者の皆様に黙祷。 

 

2005年1月4日(火)  

再度メールを出したのですが、タイのチャットさんからの連絡が依然としてありません。気になって仕方がないので、世界地図を出したり、ネットで探してみるのですが、住所の場所が探し出せません。優しい人だから、いち早く救援に駆けつけているのかもしれないと思ったりします。図書館へ出かけてもっと詳しいタイの地図で住所を当たってみようと思っています。

 郵便局へ行って、早速バンダーラさんが開設した「ぱるる」の口座に義捐金を振り込みました。名城大学前の郵便局の皆さんは、私をよく知っていて下さるせいか、別に何も言わなかったのに「こういう義捐金の場合は振り込み代金が無料になるはずなんですが、申請されてないようですね」と、ちゃんと調べてくれました。申請するにはかなりの時間がかかるようですし、大きな組織でないと申請はかなり難しいようです。それから通信欄に、例えば「スリランカ津波被害義捐金」等と書くと300円かかるそうです。ですから、それは書く必要ありません。口座そのものが義捐金だけのものですので。振込み代金だけは少々かかりますが、もし振り込んで下さる場合はご負担下さいね。

 Aちゃんのお母さんからのメール。
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 正月早々スリランカの津波義援金をお願いしてすみません ・・・・貨幣価値が日本とは違いますのでほんのお気持ちでお願いします。百円が五倍にも六倍にも価値がある国です。東の地区にもやっと救援の手が届き始めてほっとしています・・・
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 バンダーラさんのホームページをぜひご覧下さい。スリランカがちょっと身近に感じられるかもしれません。 http://www.tea-lanka.com 素敵なBGMも流れます。その中で、私の心に残った彼のスリランカ紹介文章
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 日本では不思議なことに余り知られていませんが、サンフランシスコ和平交渉の時に当時のスリランカ大統領が、仏陀の言葉を引用し、「憎しみによって憎しみは終わらない。愛のみによって憎しみは終わる」と、率先して多額の賠償金請求権を放棄し、日本の窮地を救った事実もあるのです。今もスリランカ人の多くは、日本がスリランカの窮地を助けてくれるのは、日本人が過去の恩を忘れない、礼を知る民族だからだと思っているのです。
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賠償金ではなくて、賠償心を今こそ!!!!!と思う、がま口弘美。

2005年1月5日(水)  

親切に「チャットさんの住所は?」と聞いてくれた会員さんから「ノンチャブリはバンコクまでの通勤圏内。アユタヤへ行く時の船の乗り場のある所です」と教えてもらいました。私も英語で検索して図書館へ行くまでもなく、詳しい地図を見る事が出来ました。バンコクより北20キロ。海岸でない事だけは確認できたのですが、何かの用で海辺や島にいたかも知れないと思うと心配でたまりません。今度は手紙を出してみようと思っています。日本人でも世界各国でも、まだまだ安否不明の方が大勢います。本当に心配ですね。

 バンダーラさん一家のお正月は募金のための準備活動一色で、各新聞の取材も受けて大忙しだったようです。HP表紙に案内しましたので、ご覧になってくださいね。インドが面子や政治的な立場から外国の援助を断わっているというニュースを聞きましたが、何と哀しい意地。

 夕焼けは遮る雲が多い方が面白く変化が美しい気がします。眺める方の欲が深いということかもしれません。

 海は人を食べた。空も食べるか。空は何を食べるとあんなに茜に染まるのか。

2005年1月6日(木)  

 日本ではNHKのテレビやラジオの中国語講座などでファンの多かった陳真先生が1月4日19時12分、北京の病院で満72歳の生涯を閉じられました。翌朝の北京はこの冬三回目の雪が降ったそうです。最後の入院前夜、医師の旦那様の介護を受けながら、十数分おきに嘔吐しながらも、筆を執り続け、深夜に4万字の原稿校正をやり遂げて、翌朝の郵送に間に合わせたとのこと。すさまじいまでの執念。

 中国語をかじり始めた時、テレビの講座でお目にかかっていたのですが、実は先生はずっと北京放送で仕事をされていたのです。1年半ほど前かしら。北京放送の専門家である日本人のYさんとの共同研究で、陳真先生に協力を仰ぐため、ご自宅に伺った事があります。記念の写真を撮って、名古屋まで日をおかず送って下さったことを思い出します。「はだしのゲン」全10巻を小包で送って、中国での出版の可能性についてご相談した事もありました。先生は北京の出版社に当たって下さったのですが、結局どこも「時期尚早」という答だったとのこと。いきなり北京の先生から名古屋へ電話を戴き恐縮すると同時に、日中の関係の複雑さも噛締めたのでした。日本を理解する大変貴重な人材を日本はなくしたことになります。戦争や文化大革命を潜り抜けた、時代の生き証人でした。心から陳真先生のご冥福を祈ります。

 Aちゃんから電話。既に目標額の半分を超える募金が集まったとの事。尤も目標額というのが、ささやか過ぎるので、もうちょっと希望を持ってもいいでしょう。現地の人たちの将来の生活に必要なものを買って対応したいそうで、例えば漁師のボートとか網などを買えば、村人達が共同で使って、仕事が再開できるそうです。全てが流されてしまっていては、自立もままなりませんから、なるほどと思いました。私はいい考えだと思います。
 
 ふと、「3月にスリランカへ行く前に、がま口塾で皆とおしゃべりしない?」と提案したら、夫妻も願ってもない事と賛成してくれました。昼食にバンちゃん特製の本場のカレーを振舞ってもらって、その代金も救援にしたらどうかな?でも、日曜日に10人~15人くらい集まるかなあ・・・。まだアイディアが固まらないのですが、とにかく3月13日(日)と決めました。皆でスリランカのことを、いつものようにワイワイ話したいです。

2005年1月7日(金)  

良かった!!!!本当に良かった!!チャットさんは無事でした。夢に見るまで心配でたまらなかったのですが、金沢のプロジェクト・ゲンのAnさんに連絡したら、ちゃんと30日に連絡が取れていて、たまたま引越しで忙しいということでした。なーんだって感じです。お陰でタイの地図を見たし、今までよりずっとタイが近くなった感じがします。

 さてスリランカはAちゃんからの情報。現地の親戚から毎日のように電話やメールが入っていて、可能な者は全て被災地にて救援活動に従事するよう国家の命令が出ているとのこと。
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医師や国連職員として現地入りした義弟たちの話では、つい最近までLITTE(タミルイーラム・解放の虎)として「自治政府」を作り、反政府運動(=内戦)を繰り広げてきた勢力も、武器や人員に壊滅的被害を受け、抵抗する気力も萎えて援助を求め投降しているそうです。 よほど被害がひどいのでしょう。ようやく難を逃れた秘密の通信機器(海外と「自治国」が交信するための)も、津波直後の集中豪雨で流出し、ゲリラの親玉は溺死したという噂です。
今回津波被害が大きかった東部や北部は、もともとタミル人やイスラム教徒が多い地域で、ジャングルを越えないと行けない場所。外国からの援助部隊もジャングルと、「自治国」のミリタリーチェック、コレラ・マラリヤ・赤痢の恐怖に恐れをなして、なかなかそういう奥地に入れないので、うちの義弟のような町医者まで狩り出して援助させている状態らしいけど、「この世の地獄だ」って言ってた。「コンクリートの固まりの下や建物
の下敷きになった腐乱死体がごろごろ転がっているのに、片付ける人手も無く、とにかく生きている人のケアで精一杯。 トイレもまともに無いところで何百人ものケガ人や妊婦、子供たちが雑魚寝・・・・これじゃ真剣に疫病が広がるよ」って言ってた。
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 想像だに出来ない悲惨。せめてこれを機に自治国と政府が手をつなぎ、新たな一歩を共に踏めたらと願います。

2005年1月8日(土)  

ジョギングは続いていますかと尋ねられました。ウフフです。買い物にちょっと急ぎ足。これも私の辞書ではジョギングと申します。寒椿の垣根の横を通ると、垣根沿いに重なって奇麗に並んで落ちている桃色の花弁たちが、「ゆっくり見て行って」って誘惑します。ゆっくりゆっくり。スローライフと言いつつ、気持ちは何か焦ってる。「ねばならない」がいつも追っかけて、何も出来ていない自分を攻めたてます。止めよう止めよう。ゆっくり生きよう。もうお正月も終わり・・・。

2005年1月9日(日)  

17777の切り板を見てみたいと思っていたのですが、知らないうちに17796になっていました。残念無念。

 鶴舞図書館へ行って、又チベット漁り。山と渓谷社から出ている後藤ふたばさんの女ひとりラサへ、カイラスへ「チベットはお好き」(1993年刊)を即読了。ネパールからチベットへビザなし入国。ハラハラドキドキ、ついつい引き込まれ、まるで女・川口慧海という感じ。面白さこの上なし。

 宿泊客がありまして、ここのところ掃除ばっかりしていたのですが(まだ掃除は終わっていないのであります。本質的に何か清掃態度に欠陥がある模様)さて、「どうぞお風呂に」と言ったら、ガスが故障!あえなく諦めて戴いたのでした。何、カイラスへ行ったら、何日も風呂に入れんのですぞ。一日くらいどってことございません。(デモこれって家主の発言としては不自然でしょうか)。津波の救援に出かけた人たち、被災者の方達には申し訳ないと思う贅沢な日々です。

2005年1月10日(月)  

昼食・夕食を共にする来客2名。3人は「チベット」のキーワードで繋がれています。なんたって20代の拘置所勤務の青年と弁護士と私が延々と本や写真やCDの見まくりと喋り捲り(私は食事の作りまくりも・・・)であっと言う間に夜がふけました。現在台所の流しが食器の山になっていますが、話した事の山の方がもっともっとうず高く、心が満腹しています。「異業種間交流は大切ですね」と青年がしみじみ言っていました。若者と話すのも気持ちのいいものです。
 
 タイのチャットさんからやっとメールが来ました。引越しで、コンピューターとつなぐ電話線をひくのに時間がかかっていたとのこと。そして、やはり南部へ行って、救援活動をしていたそうです。歯科医チームに入って、死んだ人の歯型の検証の手伝いをしていたとのこと。英語の通訳などを手伝っていたのでしょう。見たこともないほどの辛くて恐ろしい経験だけれど、協力できることは自分自身の精神世界の意義のある鍛錬だったと書いてありました。素敵な方だなあと思いました。

 

2005年1月11日(火)  

 昨日、遊んでばかりいた訳じゃございませぬ。弁護士さんからは、派兵差止め訴訟の会の事務局長の弁護士さんの方へ、拙著を3冊ずつ、計9冊届けるようにとのお話を戴きました。関係方面へ陳述の証拠品として添付しようということになったのだそうです。また、陳述の内容ももう少し膨らませたりして、より充実したものにしていこうという話になっているそうで、まだまだブッシュ・小泉さんとの闘いは続きそうです。

 燕の中国便りも更新アップしまして、本の発送やら、そんなこんなで一日がアッというまに暮れまして、ジョギングもサボろうかと思ったのですが、頑張って寒空の中に飛びだしました。まだ続いています。明日走ったら三日坊主×4です。道遥か也。

2005年1月12日(水)  

 「文明舗の桜の木」一老兵戦場からの陳述書・・・。一昨日、中国人の友人から送られてきた本を読了。うーんと年上の、亡くなられた日本人のお連れ合いの書かれた本であることはすぐ分かったのですが、途中で倉橋綾子さんの「憲兵だった父の遺したもの」の中に紹介されていた方だったことにハッと気がついて、つくづく我が鈍さが情けなくなったのでした。

 「文明舗」とは著者元山俊美氏が最後に凄惨な戦いをした土地の名前。「桜の木」とは、贖罪と日中の真の平和と友好の未来を願ってその地へ彼が植樹した200本の木。彼は「戦争に税金を払わない!市民平和訴訟」と「PK法違憲訴訟」を提訴、兄弟訴訟として最後まで闘った方。その陳述書を読んで、驚いてしまいます。今回の「イラク派兵阻止訴訟」にも全く当てはまる、普遍的なことを述べておられるのです。青色ダイオードの中村先生は8億円の和解に、司法が腐っていると怒り心頭に発しておられますが、元山さんもまけず劣らず、五臓六腑から司法に気骨をぶつけておられます。
 
 市民平和訴訟に対して裁判所は、印紙代として三兆四千二百六十億円を要求しました。総額九十億ドルの支出と賠償に、ひとり一万円の提訴だったからです。一万円の賠償請求に裁判手数料が三億二千万余という計算になるのだそうです。元山さんは、早速豆腐四丁をお盆に載せて裁判所に持って行って、これでお釣りをくれと迫ったそうです。

 「憲法前文の平和的生存権は、抽象的概念で、裁判規範、現に実施している法律上の権利基準ではなく、単なる願望、理念に過ぎず権利と言う名に値しない」というのが司法の言い分。今回の私達の裁判も、まさにこの司法の態度にぶつかっているのです。弁護団がこれを切り崩そうと苦心惨憺、それこそ怒り心頭に発して闘っているわけです。

 元山さんの意見はこうです。崇高なる国家の平和理念、その実現こそ国民の活力、生きがいではないか、平和的に生きる。これは人の自然権であり、人類の哲理だと。例えば憲法には思想信条、良心の自由があって、名誉毀損罪は心の痛みが中心。これも平和的生存権ではないかというのです。何故名誉毀損があって、良心毀損、人名毀損、平和心毀損がないのか、しかも権利という名に値しないなどは暴言の至りと悲憤されています。

 彼は「課題は一つ。一人一人が内に籠もらず、皆一緒になる事だ。それがないから国が反動化し、裁判所は高慢になる。国民にとってこれは悲劇だ。行動しない良心は悪の味方である」とも。昨日話していた弁護士さんは、仕事で従軍慰安婦の問題にぶつかって、とにかくまず言語を学んで韓国の人とじかに話すべきだと考え、語学留学したのだそうです。そして現地の人との討論で、両国が一緒になってきちんと時代を検証して、詫びる点はきちんと詫びて、それから、ヒロシマ・ナガサキが語れると思うと言ったそうです。彼はナガサキの生まれ。アメリカでの留学でも同じ事を話したと。

 両国が手を携え一緒に歴史を検証して未来に向かう事。そのことの大切さを、昨日今日、私は思いっきり学んだのでした。
 

2005年1月13日(木)  

水中エアロビクス開始!けっこう勇気が要りました。まずは水中ウォーキング。おっおっおおおおーーー・・・・。プールって段々深くなってるんですよね。「小柄な方はサイドに逃げましょう」ですって。はーあ。ため息だ。でも、そんな事に負けていられんぞ。なんたって10回のコース貫徹の決心したんだもんね。やるったらやる。少々足が短くても溺れる事はない。だって20人足らずの生徒に先生3人。監視員2人。助けてもらえるに決まってるわ。

 1時間半、パンチの効いたミュージックにあわせて、地上ではとても出来そうもない足上げ手上げ腰ひねり。やったやったあ、やったぞー。超運動嫌いの私の信じられない挑戦第一日でした。又来週。

2005年1月14日(金)  

「幻想のカイラス」を読む。著者の野口信彦氏は日本勤労者山岳連盟の事務局長をされていた方だそうで、どこから見てもカイラスを目指して当然の実力の方ですが、「幻想」とタイトルされている通り、カイラスには到達できず、マノサロワール湖からナムナニ峰が眺められただけでも奇跡的な快挙というべき、難行苦行の旅だったよう。ランクルが河の真ん中でスタックするシーンがこれでもかこれでもかと出てきて、本人達より、読んでいる私が震え上がる思い。ただ、チベット族と漢族の歴史に刻まれた人間模様が著者の目で綴られているのが興味深かったです。

 歴史というのは、教育、与えられた情報で認識する部分が少なからずあるわけで、又、『そうあってほしい』と権力を持つ人たちは過去を現在の自分の立場の保護の為に幻想するのではないかしら。「歴史認識」は正しく言ったら人間の数だけあるのではないかしら。NHKの今回の騒動を見ていて、思わず松井よりさんのアジア女性資料センター発行の「女たちの21世紀」(特集)<50人が語る松井やよりの人と仕事>をパラパラめくりました。

 「女性国際戦犯法廷」は間違いなく彼女が最後の命の火を燃やしてした仕事であり、命がけでNHKを提訴したもの。色々な人が彼女を語っています。沖縄大学の名誉教授の宇井純氏が文章の最後に「あなたは十分世のために働いた。以って安らかに眠られよ」と書いておられます。(宇井先生は沖縄大学でちょくちょくお見かけしたし、町の食堂で偶然隣の席で食事をしたこともあったからという訳でもありませんが・・・)今、私も同感です。4年前のことがこうやって明るみに出て、政治家とNHKと朝日新聞があれこれコメントして。やよりさんは今でもペンで揺さぶり続けているではないか。

 報道ステーションの古館さんは「自主規制をするのをどこまで規制できるかにかかっている」と言っていましたが、全く。マスメディアで働く人たちだけでなく、私達一般人の暮らしでも、いつでもそう自分に問われ続けているのではないかと思ったのでした。『誰かに何かを言われるんじゃないかしら』。ひょっとしたら人生も大きな「幻想」かも。だから私はカイラスに行きたいのかも。

2005年1月15日(土)  

 名古屋市女性会館まで往復徒歩。片道1時間20分くらいです。帰り道は雨になりましたが、ヤッケを着ていたので傘もささずテクテクテクテク。これで気圧が高かったらどうなるのかなあと色々想像しながら。

 シリーズ講演会「女も男も輝いて生きる」の第一回。メンズセンター運営委員長や会員の男性3人の話。今日は、男の現状本音でポロリというテーマだったのですが、メンズリブの運動が始まったのは90年代。男の立場で語られる場は私は初めてだったので、色々新鮮に聞きました。この問題も本当に両性でということでしょうね。

 山崎バンダーラ夫妻からスリランカの情報が届きました。当然ですが、まだまだ大変。
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現地からの連絡では、まだまだ被災地はかなり混乱しています。タミル人居住区に入った義弟の話では、「子供が連れて行かれる」との噂が広まり、負傷している子供を抱いたまま離さず、医者に触らせようとしない母親や、発狂した孤児が一日中なにかつぶやいていたりと、物心両面での支援が必要だとのことでした。
ちなみに小さな島の中に多民族が暮らすスリランカでは、民族が違えば言葉と宗教が違い、その違いがアイデンティティとなるので、英語が話せない階層だと、同じスリランカ人同士でも言葉が通じないということになります。文字もかなり違うので、筆談もできないようです。
 
 今回の津波は少数民族の居住区、イスラム教徒の村、漁村、スラムなどが集中して被害にあっており、山の手のお金持ち(スリランカのお金持ちは信じられないくらい正真正銘のお金持ちです) には何の被害も及んでいないという事態をひきおこしました。
今後具体的な使途を決めていきますが、もう少し落ち着くまでまとうと思います。
また報告します。
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また、ここでお伝えしていきます。

2005年1月16日(日)  

 小幡緑地西公園で集会。デモ3km。守山基地人間の鎖行動(基地への申し入れ行動)。迷彩服を着た、れっきとした隊員の方が、正門の所でちゃんと申し入れを聞いて、申し入れ書を受け取っていました。ヒロシマからの方も一生懸命申し入れ書を読んでいらっしゃいました。
 人間の鎖は成功しました。警察、私服の公安の方たちにものものしい警備をして頂いての活動ですが、右翼街宣車が「きさまらわあ・・・」どガンガン。乗っている人数は1人2人。殆どの警備はそちら側のためじゃないのかな。デモの安全配慮もしていただいたのだと思うけど、極々わずかな人たちの脅しに負けるな。元気に楽しく完全に基地を包囲して何度もウェーブを繰り返しました。
 サマーワには脅迫状も届いています。現在現地にいる隊員、これから出発する隊員のご家族は、どれほど心配な日々を送っていらっしゃることか。「誰も殺すな殺されるな」。これが私の気持ちです。死んでお役に立ったと喜ぶ家族なんていない。

 A新聞のお姉さんとずっと一緒にいて、その後お茶。伊勢湾台風で救援した人とされた人の関係で45年間お付き合いしています。このお姉さんは今は退職されたけれど、まだ少し整理部で仕事しています。ここのところ一般からの電話がとても増えていて、細心の心配りで対応しているとのこと。話は山盛りあるのですが、新聞社は圧倒的に男の職場であるということを知りました。松井やよりさんもお姉さんの家に泊まられたことあったって。正確な記事を書く人だったって、その貴重な女性記者の才能の喪失を残念がっていました。
 
 このお姉さんは、とても厳しいことを言う人で、私は時々苦手だなあと思うのですが、「褒めてくれる人は要らないのよ。あれこれ批判してくれる人の方が大切なの」。・・・がま口塾便りについて「見出しをつけたりしたら読み易いのに」等と欠点もあれこれ言われたけれど、私、ひひひ「がま口塾便りはあれでいいんです!ありのままでダラダラでいいの!」だもんね。こっちもけっこう頑固な年になっておりまして。長い付き合いです。気がついたら2時間もおしゃべりしていました。

2005年1月17日(月)  

 築400年の友人宅の掃除の押しかけ手伝い。今はビフォー。今年中にアフターになりますように。家を建てる時、どう生きるかという魂がこめられれば素晴らしいと思います。私は生まれてから何軒の家に住んだかというと、12軒。自慢じゃないけど、一度として自分の生き方を反映させた家に住んだことがありません。出来合いの家に家具もライフスタイルもむりやり押し込んできました。

 今日は6433人の死者を出した阪神淡路大震災から10年。 新潟の地震やスマトラ沖の津波の報道も生々しい時、住む家があることにとりあえずは深く深く感謝。ライフスタイルよりも耐震補強の家にしていたいのですが。命を守る家であることがトップ条件でしょうね。やっぱり。

 超紫陽氏死去。ニュースでは、天安門広場に入るのに身分証明書のチェックをしていました。故宮の前で、ひとりでミニディスクに向かっておしゃべりを録音していて、捕まったことあるんですけど、「不審人物」の条件って何なのかなあ。

2005年1月18日(火)  

元旦より初めて一歩も家から出ない日となりました。明日一年生と授業がありますので、今日はひたすら心身の養生。年も考えず、ちょっと酷使いたしまして・・・。

 教材作りバージョンに心を盛り上げていくまでがなかなか大変で、あれこれ考えて、結局、とっぴな事は考えずにシンプルにまとめていきます。そして具体的に制作・・・といってもたいそうな事ではなく、裏の白いカレンダーやポスターに、五十音を書いたり、詩を書いたりするだけ。あとは時間配分とおまけの事。もうちょっと頑張ります。楽しみ楽しみ。明日はどんな子供達かな?

2005年1月19日(水)  

 すっかり行き慣れたH小学校。1年生の2クラスで発声・発音練習の授業をしました。授業は本当にナマモノ。最初のクラスは、子供達の反応に助けられ、まあまあこちらの誘導にうまく乗っかってくれた感じ。次のクラスへ行ったら、個性的な子が多くて、何だかスイスイ子供先導。最後にちょっと時間が2分ほど余裕が出来たので、「何かもう1回読もうか?どの詩がいい?」って聞いたら、「雪の日のゆうびんやさんのお話を先生に聞かせてあげたーい!」とひとりの女の子。他の子に聞くと皆も大賛成するので、何と、私は生徒になって皆が先生になって、私はクラス全員に読み聞かせをしてもらったのでした。

 給食はじゃんけんで勝ったグループのテーブルに招待されて一緒にうどんやわかめサラダ、コロッケ、牛乳。とにかく私がもてなされているのです。最後にお別れをしても何人も何人も走って来るので、最後まで追っかけて来た子を抱き上げてあげたら「わー!僕坂東先生に抱っこしてもらったよーっ!」って走って帰って行きました。可愛い時代ですねえ。我が家の息子達もあんな時代があったのかしら。忘れてしもうた。今やったら完璧に病院に入れられる。

 途中の休憩時間は校長先生とお話。学校の施設は平成元年の新設校なので素晴らしいの一言。運動場はどんなに雨が降っていても、地下に2時間で水を吸い込んでしまう仕掛けがしてある緑の人口砂。
 子供達の椅子は毎年卒業生の数だけ新しいのに替えるので、6年間で全部新しい物になるとのこと。捨てた椅子はどうなりますかと聞くと、業者が多分解体しているでしょうとのことでした。津波や戦争で学校をなくしてしまった子供達に比べると本当に夢のような学校生活。

 PTAの父母会活動もユニークで、毎年のPTA総会では父母達の、7つの合唱や演劇
、卓球、バレーボールなどのクラブ活動の勧誘アトラクションを舞台でやりますよと笑っていらっしゃる。地域とのコミュニケーションをはかるのにとても自然な形のように思います。皆がお互いの親子を知っていることの大切さ。
 
 おいとま後はK小学校の教頭先生と喫茶店で打ち合わせ。又来週からK市の小学校で子供達と遊ぶ機会ができました。我ながら本当に私は何者かと思うものであります。
 

2005年1月20日(木)  

水中エアロビクス2回目。2日間大事をとったので体も復調。水の抵抗に立ち向い、水の力に助けられて動き、まあ1時間半、お風呂につかっている♪ようなものですが。スッキリサッパリ、楽しい時間になりつつあります。水着のカッコイイのを買いたいのですが、ダサいので我慢我慢。全部皆勤したら買おうかな。

 アンヌ・モレリ『戦争プロパガンダ10の法則

(1)「われわれは戦争をしたくはない」
(2)「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
(3)「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
(4)「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
(5)「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
(6)「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
(7)「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
(8)「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
(9)「われわれの大義は神聖なものである」
(10)「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」

 アメリカはきれいに法則に乗っ取って動いているのではないでしょぅか。大統領就任式の物々しさ。水の抵抗に抗うのはなかなか決意が要ります。気迫が要ります。 

 

2005年1月21日(金)  

「名古屋学生青年センター」という所は前々から住所としてはヨーク知っていたのですが、今日初めて出かけました。派兵差止訴訟の事務局がその一室にあるからで、ボランティアの要請があって出かけました。センターの事務所で鍵を貰って部屋へ入って・・・まるで侵入者のようです。だって誰もいない。訴状を組み合わせてホッチキスで止めるただけの仕事がテーブルにおいてあったので、ひとりで黙々とやって、さっさと帰っただけですが、訴訟の基本である訴状をあらためて読みながら、『こういう小さなワンルームで本当に大切な仕事を皆ボランティアでしてくださっているんだなあ。こういう人たちは皆どんな生き方をされているのかしらん・・・』等、複雑な思いを抱かざるをえませんでした。感謝。

 名古屋大学まで往復テクシーですが、ショートカット研究のため、八事霊園の中をめぐりました。まーああるある色々なお墓。立派なミニ公園のようなお墓もあれば、モニュメント、少女の胸像、十字架・・・お墓が主張するところは諸々あるわけで、またまた生きるって何だろうって考えてしまいました。迷いつつ名城大学に入り込み、学生たちの学ぶ姿、生きている人たち見て、何だかとても不思議な空間を通り抜けた感覚の一日でした。

2005年1月22日(土)  

「女も男も輝いて生きる」第2回講演会<女の現状 比べてみよう〜日本と諸外国〜>。講師は東京都立大学人文学部社会学科教授の江原由美子さんと広島文教女子大学人間科学部人間福祉学科助教授の吉田あけみさん。ほぼ2人の対話形式で進められました。

HDI・・・人間開発指数
GDI・・・ジェンダー開発指数
GEM・・・ジェンダーエンパワーメント指数

等という見慣れない、聞き慣れない言葉から始まって、まずは日本の女性の現状。HDIは175ヶ国と香港とパレスチナ中9位。女性の社会進出度38位。中でも議会の女性議員比率は9.9%でジンバブエに次ぐ101位、賃金の男女比では、カボベルデ(こんな国あったっけ?)次ぐ100位・・・なーんてショッキングな数字に目を丸くさせられました。とにかく日本の女性の社会参画度は諸外国に比べて低いということが分かりました。特に行政管理職、議員、専門職の分野に圧倒的に女性が少ないのですね。アメリカを除いた殆どの先進国では、割り当てるという意味のクォーター制を取り入れていて、女性の数を確保しているのだそうで、日本は本当に指導的立場に女性の進出が阻まれているという事に気がつきます。

 会場から男性が質問しました。「何を言ってみえるか。諸外国との比較なんか資料を見れは分かるし、そんな数字なんかたいてい信用ならない。日本は先進国のデータだけを必要とすればいいのだ。どうして専業主婦を働かせようというようなことばかりいうのですか」・・・これをきっかけに一気に迫力が出てきて、講師の先生達の説明を楽しく聞きました。この男性の先入観や固定観念というのは、残念ながら今の日本を象徴しているように思いました。講師の先生達はライフスタイルの選択は自由であることは大前提として発言されているし、男女の両立のための社会制度を問題にされている。先進国といったってアメリカなんかブッシュ政権になって近代に向かって後退している観さえあるし、ブータンやコスタリカなど、先進国と言われなくても素晴らしい精神を掲げる国もあります。先進国の定義も考えなくっちゃね。江原先生によると、今は、アメリカ型のグローバリゼーションとヨーロッパ型が綱引きをしている状態だそうです。

 私自身の卑近なことを考えると、どう働いてきたかってことだけど、専業主婦でもなし、キャリアでもなし、転勤族で夫の会社の命ずるままにカルガモの赤ちゃん状態。できる限り、フリーで仕事を続けてきたけれど、姑を引き取って介護のためにわずかな仕事も断念せざるを得ず。ようやく見通しをつけて中国へ単身赴任すれば、家庭を放ったらかしてとさんざんなブーイングを受け(夫が単身赴任の場合は、ご主人は大変ですねえと同情を受ける)

 ほーんとやってられないって思うけどね。日本の世間の評価は、私はやりたい放題の女という事になるのです。姑のおしめを息子達が使った布おしめでやりとおした話をすると、皆びっくりする。まだ介護保険のホの字もなかった時代です。私は、私が決めて生きてきた。これでいいんじゃない。一つ一つ選びとってきたのは私。グチャグチャ言わんよ。それにしても、こういったジェンダーの学問からの発言によって、私達は本当に恩恵を受けていると思ったのでした。更なる発展を!

今日は片道だけ、女性会館から帰路を徒歩にしました。1時間半。人生の道を含めて、色々な道を歩くのは本当に楽しいです。

2005年1月23日(日)  

女性会館の資料室で借りてきた本も読みたいし、読まなきゃあ! その前に先日鶴舞で借りてきた本もドッサリあるので、返却日が迫ってる! 何か宿題をやっていない学生の気分になってきてイライラしてきました。やっぱり無理をしちゃいけないんだわ。そういう時は何かをバサッと切って、本を一冊にしぼって読む・・・のだけど、テレビでは憲法九条の討論を延々やって、気になって仕方がないし。

 はーあ。でも、読んだのだ。「西蔵・聖地カイラス巡礼」(NHK取材班)。すごい。安心して読めるんだもの。ものすごい財力と人力。政治力。1986年6月。取材班スタッフ4人、日本ヒマラヤ協会・チベット遠征隊メンバー4人。中国登山協会、主・副連絡官、通訳、運転手、コック・・・総勢17人だもんね。取材の人は4人・・・・。こういう番組の制作にかかわった人はラッキーだよね。もちろん命の危険ということはあるけどね。自然が相手だもの。言葉には表せないほどの美しいカイラスを見たのだもの。天皇の戦争責任がテーマじゃなくてラッキー。

 でもね、こういう番組で「何も持たない」巡礼の人々を映し出し、視聴者の心を純化させていけたなら、それはすごい力。とにかく報道は、やっぱり何に感動し、何故伝えたいかを純粋にもっていれば力を発揮する。私達は力を受け止めると思います。

2005年1月24日(月)  

県民皆の図書なので、ずっと持っていたくても返さなくっちゃ。中には2万3000円の素敵な写真集もあるんだもの、もう一回もう一回と未練がましく舐めるように眺めつつ返しに行ったのでした。それにしても作家っていうのはどうしてカッコイイ事がサラサラッと言えるのかしら。

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夢枕獏; 魂の飢え。人はそれによって旅をする。幸福な人間は危険な旅には出ない。

色川大吉; 永い間、私が求めていたのものは、この大きな荒涼なのだ。それが私の原風景であったと直感した。(中略)チャタン・カイラスへの私の執着は死や未知へのロマンが動機ではなかった。私の深部にあったものと出会いたいという衝動がそれであった。夕景の荒野の峠に風に吹かれてタルチョーが一本立っている。それが私だった

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ホント酔いしれています。特に夢枕さんは愉快。川口慧海が1900年の7月にチベットに入り、1901年3月にラサ入り。1902年の5月まで滞在しています。スウェン・ヘディン(スウェーデン)は1899年から1902年にチベットに入り、ラサ入りは失敗。その後が痛快でシャーロック・ホームズ(ロンドンベーカー街221B)は1900年前後にチベットにいて、ダライラマに会っているのだそうで、3人がダライラマの密命を帯びてカイラス山に登るという小説をたちまち思いついて、カイラスへ行こうと決意するのです。その後、この小説は発表されたのかしらん。

 とポケーッと考えていたら突如、何の前触れもなく「ピラミッド物語@A」と、メールを送ってきた人がいます。昨夜テレビでやったらしく、昨年ピラミッドへ行った彼女は感動のあまり、その余韻を誰彼に伝えたかったのでしょう。うーーーん。人の魂というのは揺れるんだよね、確かに。

 でも、私はカイラスなのじゃ!権威が造り給うたものより宇宙が造り給うたものが荒野の峠で私を待っておるのじゃ。

2005年1月25日(火)  

苗字を聞いて故郷を直感することがあります。このところガスの問題できてもらっている、東邦ガスから紹介された風呂釜店の青年がとても感じが良い働き者でした。それで安心感もあって雑談となり、苗字からふと、ひょっとして・・・と我が故郷を言ったら、大正解。母の実家(つまり私の祖父母の家)から100メートルも離れていない家の方でした。

 父は養子ではないのですが、母の実家の近くに家庭をもったので、私は祖父母の家の近くで、結婚するまでずーーーーっと暮らしていましたから、その青年とは小学校も中学校も同じで・・・・と、まあ、よくある話かもしれませんが、びっくりしました。「見積もり次第ではお断りするかもしれません」なーんて言っていたのに、こりゃあ、断われなくなってきました。・・・ということは関係ないはずなのですが、私はそれができない。情に弱い。

 「あの、お宮さんがあるでしょう?あそこからどっちへ行くの?ああ、昔オシマ婆さんがいたわね」「ああ、はいはい、そこからもう一本前の道に校長先生の家があって、その裏の畑の隣の・・・・」・・・笑ってしまいました。メインストリートはお宮(神社)さんの道。同郷の人以外絶対チンプンカンプンの会話も楽し。

2005年1月26日(水)  

 K市K小学校。1年生で1時間目と2時間目、音読授業。4時間目6年生と5年生100人近くに戦争のお話。初めての学校で、しかも1時間目からですので、遅れないように6時30分に自宅を出ました。今日はちょっと、さすがに冬の寒さでした。

 H小学校と全く同じ「詩」で発声や発音を勉強したのですが、今日も全く違う展開になり、カタツムリがカタリとも音を出さないというところになったら、何と皆が床を這いずり始め、アラアラ、全員が床をゴソゴソゴソゴソ・・・どう始末しましょ。「みんなゆっくりお家に帰ってね・・カタリとも音をたてないでね」。やっと机に座ってくれました。言葉に命を吹き込んでいくこと。言葉に命を感じてくれますように。

 図書室は畳が敷いてありまして、100人ほど入るとさすがにムンムン。45分間(実質40分)で戦争の話をどう話すか。私の身にはあまる仕事です。しかし、引き受けた以上やらねばね。ワラジをはいて小学校に通ったという父の子供時代の話をするのにワラジを昨日も街で捜し歩いていたのですが、(中国で買ったものは一応持っていくのですが)何と、この学校には郷土資料室みたいな教室があって、ちゃんとワラジが展示されていたのでした。灯台下暗し。海に近い小学校で、近くには縄文時代の人骨が出たり、古い歴史のある学校です。

 給食は校長室で教頭先生と。今、愛知県で盛んに行われている、「愛地球博」がテーマの友好国の料理。K市の友好国はカナダとジブチ共和国。え?そんな国どこにあるの?って感じですが、12月には、この共和国の環境省の職員がちゃんと学校を訪れていまして、子供達と友好を暖めたそうです。先生達もジブチ共和国の衣装を着てファッションショー・・・。どうせならその国の給食を食べたかったのですが、それは2月に出されるそうで残念。カナダの料理はシチューとフランクフルトソーセージとブロッコリーのサラダ。これ、もはや日本の家庭料理じゃん。

 東アフリカのジブチ。アル・カーイダによると見られるテロ攻撃の脅威情報が外務省から出ています。世界の博覧会も子供達の心を曇らせる事件がありませんように。

2005年1月27日(木)  

友人の教育が専門の学者さんから子供達の学力低下の問題に対して

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「総合的な学習」の時間も見直しなのでしょう?あんなに現場が反対した「ゆとりの時間」を、ごり押しして、鳴り物入りで押し込んだ「総合的な学習」を、いまや学力がつかない時間だ、なんて・・・。
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という意見が来ました。漢字も書けなくちゃいけないし、自分の意見も堂々と表現する訓練も国際社会に立ち向かうためには必要です。ゆとりの時間って何でしょう。私の頂いている時間は国語の時間です。念の為。

★寺町みどりさんから『む・しの音通信』が届きました。
「NHK番組への政治介入に対する東大教員有志の声明文」
http://www.nulptyx.com/nhk_seimei.htmlについて教えてもらいました。

★水野スウさんから『いのみら通信』がきました。9条を活かしたいと願う人のお名前を集めています・・というチラシが入っていました。スウさんの「きもちは、言葉をさがしている」が「ふえみん」の1月25日号に紹介されてるよって、FAXを入れてくれる人もあり・・・

 もちろん守山自衛隊前座り込みは毎日10人ほど参加があって31日まで継続しているそうです。色々応援のお願いもきます。他にフェアトレードの勉強会とかDVの会からも誘われたり・皆本当に一生懸命。皆皆とっても大事な事ばかり。だからってそのどれにも参加していると、私自身の人生の時間がなくなってしまいそう。だから、自分で選び取って生きていくんですね。自分がしっくり無理なく出来る事を。皆で力を出し合って気持ちのいい社会を作っていかなくっちゃね。

 皆さん、ごめんなさい。私は今日も自分の為に無邪気に時間を使っています。水中エアロビクスに行きました。そして明日はがま口塾です。

2005年1月28日(金)  

がま口塾。私に勝手に学級委員にされているUさんが、地下鉄の乗り継ぎの調子が良かったらしく、30分早く到着。ついつい色々話すので、私は、やろうとしていたある事をすっかり忘れてしまったのでした。今日は次々新年の挨拶がてら懐かしい顔が現れ、まあ賑やかな開幕となりました。1年ぶりとか10年ぶりとかの古参も道を迷い迷い。後で聞いたら、すぐ近くの方なのに、久々で、やっぱり山をグルグル回ってついに到着しなかった人もあったそうで。

 それで、がま口の話も迷走謎走?なかなかテーマに戻らなくてハラハラしたのですが、最後は何とか着地してホッとしました。今日の話では、親子の関係が印象に残りました。私達は親を選んで生まれて来れませんでした。結婚だって何かに浮かされて訳の分からぬままよく分からない人と・・・というのが多いかも(個人的な意見ですよ)。
 男性の出席者に「こんな話ばかりでごめんね」と高齢のKさん。私も若干心配しないわけでは無かったのですが、「いえ。声を聞くだけでも母のイメージが出来て嬉しいんですよ」と答が返って、本当にハッとさせられました。誰にも飽くなき理想の母の像というものがあるのではと。虐げられた記憶があればあるほど、それは強烈な渇望とも言えるでしょう。人生とは1人の道ではあるのだけれど、そして、たいていの人が1人の自由な時間を「好きな時間帯」と思うのだけど、渇きというのは、心の特別の袋にあって、好き嫌いに関係なくしぼんだり膨らんだりしているような気がします。

 あ、それで私がしようとしていた事なんだけど、皆が帰ってしまった後、トイレに入って気がついたの。便座カバーを装着するのを忘れていました。我が家はシンプル貧乏ライフ。今時の電気は通じていないのです。♪ベンザベンザベンザがあーれーばー・・・ああ、皆さん冷たかったでしょうね。ごめんなさい。お風邪を召しませんように。

2005年1月29日(土)  

ヤッホーッ!終わりました。「がま口塾便り」のテープ起こしが順調に行くと本当に嬉しいです。だって、他の事が気にならずにゆっくりできるから。それで・・・

 ピースアクションのデモにもぐり参加しました。私はメンバーではないのですが、お誘いを頂くので、できる時は参加しています。昨日、大野防衛庁長官から守山第10師団に編成命令が出され、守山の基地内で編成完結式が行われたのです。座り込みを続けているメンバー他、40人程が抗議行動をしたそうです。マスコミ、警察などもいて、少し騒然とした雰囲気の中、完結式を終えた各部隊が60台程の大型トラックやジープで車列をつくり、各駐屯地へと帰っていったとの事。「イラクへ行かないで! 」と訴える人々。何事もなかった様に静かになる正門前。哀しかったでしょうね。

 栄をシュプレヒコールをしながら歩くのですが、いかんせん人数が少ない!今度デモがある時、どなたか一緒に歩きませんか?!キッパリとデモっている人達を見ていると本当に涙が出そうになります。礼儀正しく優しい人々です。危険な人達ではありません。危険なのは、首相の方なのです。自衛隊を行かせる前に、「どこが戦闘地域か私に分かるはずがない」と言ってまだはばからない、日本国首相がまず行くべきです。私は怒っている。

 太鼓やフルートで沖縄民謡のリズムで歩く時、沖縄にいた時のエイサーを思い出してしまって複雑な気持ちになります。「殺すな、殺されるな」これに尽きるのです。沖縄の人達は、最後には日本軍にさえ見捨てられました。政府って最後まで責任をとるのでしょうか。私は沖縄に住むまで、沖縄の人達が本土の私達に対して抱いている想いについて、全く考えた事がありませんでした。ものも言えないほど恥ずかしかったです。
 
 アメリカがどんどん尊敬されない国になっているように、追随する日本もどんどんそんな道を歩み始めています。恥ずかしいという気持ちがこみ上げてくるのです。国会の首相のニヤニヤした答弁を見ると、本当に恥ずかしくてたまりません。人が毎日死んでいるのに、どうして真剣な表情ができないのか。どんな答にせよ、真剣な討論で出した答なら、真剣な眼差しで語ってほしいのに。愛の溢れる心で語ってほしいのに。

2005年1月30日(日)  

がま口塾便りの印刷と発送完了。3月13日のスリランカ料理の会のお知らせも入れました。15人程集まればいいんだけど。迷いに迷った決断でした。考えてみれば、Aちゃんとバンダーラさんが結婚して仲良く暮らしているって凄い事。人間の命ははかないものだけど、魂というのか、心の結びつきっていうのは、不思議な時空を超えたさまよいや、永続を感じさせてくれる。物理的にできるかどうか心配ばかりしているより、心を届けるよう「願い」を持とうと吹っ切りました。明日届くように天白区郵便局のポストまでテクテク。今日はよく歩きました。

 さあ。溜まった本や新聞、ミニコミなど、今から今から。

 アメリカの3大ネットワークのアンカーマンは全員バグダッドから放送し続けているそうです。イラクの選挙、もうまもなく締め切られるようですが、今日も沢山の死者が出ています。内戦状態にもつれ込んだらいったいどうなるのでしょう。
 市民団体は「自衛官・家族ホットライン」を27〜30日まで開設していましたが、これも今日で終了しました。どんな本音が届いたのかしら。どれくらいかかったのかしら。
  

2005年1月31日(月)  

 BSを見ていたら、フランスでトンネル事故の大きな裁判があったそうです。何せ死者が30数人とかで、遺族会の原告団が大勢であることは当然ですが、被告人は関係各社、各署、各所のトップなど16人、弁護団は50人という巨大な裁判で、特別に裁判所外のどこかの大きなホールを法廷にしつらえている様子を写していました。『アッ! やるじゃん!フランス。フランスでできるなら日本だってできるじゃん!』と思わず画面に吸い込まれました。派兵阻止訴訟も全国的にあって、特に名古屋は3000人を超えているのだから、皆が入れるように大きなホールを用意してくれたらいいのに。いや、要求してるんだから、するべきです。きっとこれからも大きな裁判はあると思うので、臨機応変に柔軟な対応をして欲しいとつくづく思ったのでした。

 だから、800万人が投票したというイラクの選挙の報道もアメリカ・イギリスは同じようなものだけど、フランスはちょっと違う。面白かったのは、アメリカCBSのアンカーマン、ダンラザーがアメリカに向けてバグダッドからレポートしている所を、フランスがレポートしていた事。

 ダン・ラザー、73歳。3月に引退するからかもしれないけれど、アブグレイブ刑務所での虐待をスクープしたキャスターだと紹介し、場面はダン・ラザーが、選挙を厳重に警戒している海兵隊兵士にインタビューしている所。死者を大勢出してまでの選挙の監視活動をどう思うかという質問をします。1人の若い兵士は「使命を果たすのみだ」と答え、もう1人は「これほどの死者を出してまでする価値はない」と答えていました。フランスのピリッとしたキメにうなりました。

 選挙にからんで米軍機墜落で31人死亡。英軍機墜落で9人死亡。各地の暴動ではそれ以上の大勢の市民が死んでいます。その人達の死の意味は何なのでしょう。
 お馴染みのABCワールドニュースツゥナイトのピーター・ジェニングスは「明日からは又戦争にもどります」とレポートを結びました。日本のテレビでは「選挙は成功を収めた。これからも復興支援をする」と首相がくたびれたコメントをしているのが写っていました。

 次にスペインの新しい首相が写ったら、とてつもなくさわやかな風が吹いているように思ったのでした。ヨン様よりはるかにカッコイイ。

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Akiary v.0.51