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2005年2月1日(火)  

  夜。東音研2月例会。雪も降らずラッキー。全国の大雪ニュースに呆然。特に震災を受けた新潟の皆さんの心細さは大変なものでしょう。豪雪地の皆さん、お見舞い申し上げます。

 さて、今日は主宰者の一人でもある俳優のFさんのレポート。この会は上下関係が全くなく、Fさんももちろん会費を払ってお話をされます。ついこの前まで学生だった人あり、大先輩ありと、いつでも誰でも集う事許され、皆一律の500円会費。すごい民主的な会だなあと思います。
 
 Fさんのテーマは「科学的朗読法」。興味津々で出かけました。要するに「声の訓練」「言葉と音の訓練」「耳の訓練」「頭の訓練」「心の訓練」に帰するという事。朗読は数学だ、科学だ、と言う訳です。作品の内容を的確に理解し、表現の為に確実に分析、組み立てができること。うんうんとうなづいてしまいました。大先輩の女優のMさんが感想を問われ「当たり前の事をよくまあ、真面目に・・・」で大爆笑。「こういうのは今までにテキストになってなかったんですかねえ。」という事で、元NHKアナのTさんが発言。

 国立国語研究所が以前作ろうとして機運が高まった事があるけれど、とうとう出来ずに今日に至っているのだそうです。全国の小学校や中学校に一人ずつ、そういう朗読の講師を設置すれば多くの役者さんやアナ経験者がお役に立てるだろうにという話にもなりました。(それで役者さんも食べていけると・・・)。教育基本法ならぬ朗読基本法の制定を!と提唱されていましたが、まんざら冗談でもなく、CDを作ったらどうかなんて考えていらっしゃるようです。

 とにかく"よく聞く事"が上達のポイントみたい。良き物、悪しき物を聞き分ける耳を肥やす。私は、音痴で朗読といえば昭和天皇並みにハラハラした恐怖の母に育てられ、今日ほど母に感謝した事はありません。良い見本でした。娘、違いの分かる女になったもーん。娘、明日、小学校で授業するんだわ。

2005年2月2日(水)  

今日はオーマイゴッドの日でした。受験生も大変だった事でしょう。通勤通学の皆さんにお疲れ様の言葉を捧げます。

 朝、ドアーを開けてビックリ。雪が・・・。塩釜口から八事へ。乗り換えて金山へ。7時半前なのにもうホームに溢れんばかりの人。待って待って待ってやっと来た電車に乗ろうとしたら私の前の人が満員で乗り切れず、諦め。又待って待って待って、40分。1時間目の授業に間に合うかどうかと心配し始めたのですが、やっと乗車して又ノロノロ。やっとK駅に到着したら、下りた人と遅れている電車を待つ人でホーム自体に人が溢れて、エスカレーターに乗るのに延々の列。やっと外へ出てタクシー乗り場に並んだら長蛇の列。いつも迎えて下さる教頭先生も今日は徒歩通勤したので、タクシーに乗るよう携帯に連絡して下さいました。時間割を変更したので大丈夫ですと連絡を受けましてホッ・・・。結局すっかり体が冷える40分をタクシー待ち。諦めて歩き始められる方たちが病院通いの方たちで、お気の毒だと思いました。

 よって授業は、2、3時限4年生「ごんぎつね」。4、5時限2年生「名前を見てちょうだい」。さすがに今、のどがガリガリです。先回の戦争の話の6年生の感想文集を頂きました。先生が何も言わないのに、子供達が私に手紙が書きたいと言い出したのだそうです。素朴な感想、しっかりした内容。感動しました。しっかり受け止めてくれている子供達に感謝。可愛い1年生達も一生懸命手紙を書いてくれまして、思わず笑ってしまいます。皆日本語に鼻濁音があることにびっくりしていました。

 さて、塩釜口まで帰ったら家の鍵を持っていない事に気がつきまして。もうこの先は恥ずかしいので書きません。おやすみなさい。

 その前に思い出しました。列車に乗った時「真ん中の人達、もっと詰めたれやー!皆の気持ちを考えたらんかあー!分からんやっちゃなあ!」と大声を出していた人。それを聞いても動かない中ほどの人達。だって、こんなにぎゅんぎゅんでは、どんどん中へ行ったら、降りる時に降りられなくなるものね。ああ、私もその1人。でも、声を出した男の人、偉いなあと感心したのでした。私、あんな時、そんな風にちゃんと声が出せない。恥ずかしい人間です。

2005年2月3日(木)  

 やっぱり本日午前中はエンジンかからず。ポワンポワン過ごして、午後からゆーくりやらねばならぬ仕事にかかりました。昨日、2、3、4限と続けて授業して、給食を頂いたら、5時間目まで15分位あるわねえ。先生ったら、「かさじぞうとゆきのひのゆうびんやさんを読んでもらえない?録音機もってくるから」ってカーンタンに仰るんですよー。そりゃあ、5分そこそこと、7〜8分の短いものだからね、やってやれない事ないけどね、けどね、5時間目もあるし・・・ってわけで、空テープを頂いて、教科書もコピーしていただいて、宿題として家に持って帰ったのでした。先生の都合で早くできればできるほど嬉しいという事だったので、今日録音して投函する約束をしたのでした。

 5分の作品でも、自分の気に入った録音ができるのに、1時間はかかります。「かさじぞう」はもうちょっと長いし、やっぱり練習を含めて、2時間くらいかかってしまいました。納得できないんです。自分の朗読が。生だったら、一発勝負で諦めがつくんだけどね、録音って残るものね。

 ついでに6年生全員一人一人に、一言二言の短い返事を書きました。テープと一緒に封筒に入れて投函。ホッとしました。

 アクアビクス。本日も頑張って出席。水との格闘戯。本日はバテバテ。若い先生、水に入らないでプールサイドでマイクでビートにあわせて「ハイッハイッ!ソオレイ!」。
マイク、私代わってあげようか・・・といいたいけど。でも、終わった後はサッパリして本当にいい気持ち。

 機関銃を撃つロボットがイラクに何台か持ち込まれるそうです。全くエアロビ感覚で戦争やりたいんじゃないの?
 

2005年2月4日(金)  

派兵差止め訴訟第4回口頭弁論。閉廷後近くのホテルで報告集会。

 今日の原告の1人は85歳の元高校教諭の女性。伊勢市からはるばる出廷、陳述されました。聖戦を信じて女学校の教師として戦争に全面協力。戦後、ファシズム戦争であった事を知った時のショックから、平和活動を今日まで続け、中国にも過去53回行かれ、レインボープロジェクトで河南省の僻地に2校小学校を贈られたとのこと。かくしゃくとした立派な陳述でしたが、15分という時間内で話すのは本当に大変で、裁判長に優しく注意を受けていました。

 そう!裁判長が、以前より若干理解ある優しい態度に感じました。拍手の制止も一回形式的にしただけ。後の報告集会でも、被告(国)側の態度にも変化が見えてきた事が話題になりました。少なくても意見を聞く態度になってきたのです。・・・やっとです。彼らも心では理解できているはずなのです。

 もう1人はいつもいつも集会やデモのお世話をしてくださっているYさん。3人の子どもを育てたお母さんです。朝鮮半島・アジアなどの様々な問題をはじめ、大学時代から一貫して平和運動に頑張ってきた方。いつも受付やお世話で法廷にも入れないでいるYさんの陳述の後姿に、思わず感謝。

 準備書面の要旨陳述をされた弁護士さん達の迫力は鬼気迫るものを感じました。皆さん、今朝の1時2時まで頑張って膨大な書面を作成されていたのです。新聞雑誌等のイラク情勢等の事実情報をいつも整理して陳述される若い女性弁護士のTさん。途中涙まで溢れさせての切々たる訴えでした。私もポロポロ・・・。
 
今まで法廷で原告達が述べてきた被侵害利益が法的に保護されるべき権利・利益であることを正面から主張された弁護士も、土俵に上がろうとしない被告の心を向けさせるべく、論理を尽くしたものでした。

 公務員である裁判官達が、何の不安もなく、良心に従った判決を下せるには、やっぱり世論の支えしかないと訴えられた弁護士さんもいました。皆、本当に誠実で真剣な仕事をしている方たちばかりです。本当に清清しい人的空間。全国の訴訟の連絡会で、弁護士さんなどの有志で近々ヨルダンへ行かれるそうです。イラクには入れないのでアンマンで少しでも実態を掴んできたいという気持ち。もちろん皆さん自費で。私の担当をしてくださっているU弁護士もヨルダンへ行くそうです。出来たらメールを現地から送ると約束してくださったのですが、果たして・・・。無事に帰ってきてくださいとお願いしておきました。世界を放浪された弁護士の経験が物言う時でしょうか。

 帰りに丸栄スカイルの8階で旧友(かつての手作りネクタイの講師の先輩)の「手作り工房作品展」会場へ。何十回とお誘いを受けていても行けなかったお詫びを言いに。10数年ぶりの再会でしたが、元気に相変わらず素敵なネクタイを創作し続けていました。フロアーはさっきまでの裁判とは別世界でした。 

2005年2月5日(土)  

 自衛隊守山第10師団から派兵。正門前には9時過ぎから全学連やら市民団体やら右翼やら、1mほどの歩道の幅の両脇に警察がズラーと人間垣根を作っていて、小さい私はまるで警察の制服(機動隊)のトンネルをくぐる様にして門の方へ歩いて行きました。(私の母なら絶対足がすくんで反対に向かって逃げたでしょう)公安、機動隊・・・マスコミと、ものものしい雰囲気でした。池住さんが門の前できちんと礼儀正しく申し入れ。「上司に伝えます」と、ちゃんと聞いて受け取って下さるそうです。(私はその他大勢で眺めているだけ)。

 門の中ではテントが張られて、出発式に参加する家族の受付をしたりしています。12時半頃、いよいよ隊員のバスが小牧に向かうという事で、門前は騒然としてきました。警察と言い合いになった場面あり。だって、あれはやっぱり警察がおかしい。「門前は危ないので、もう少し離れた歩道に移動しなさい。邪魔はしないから」と自分達から場所を指定して移動させたら、今度は「ここは歩行者の迷惑になるので、もっと奥の路地に入りなさい」。
 それはさすがに皆が怒って跳ね飛ばしたのだけど、いよいよバスが来るとなったら、横断幕の字が全部隠れるくらいマンツーマンで私達の前に対面式で機動隊がズラーと並ぶのです。歩道上でとても紳士的に非暴力で市民が表現活動をしているだけなのに、眼前に機動隊のバリケード。だまし討ちジャン。学生たちの方は、ヘルメットにサングラス、タオルの覆面なので、その壁は3重4重列。

 私は訴訟の会代表の池住さんやKさんの傍にずっと立っていたのですが、池住さんは、眼前の若い機動隊員に 静かに穏やかに、いかに今回の派兵が憲法に反したものであるかとか、憲法で保障されている権利、私達の穏やかな非暴力の平和運動に対して警察がこのような態度を取る事は恥ずかしい事だとか、コンコンと、本当に大学で授業されているように説明されていました。じーっと無表情で聞いている2~3人の若者(県警)。
  
 ベレー帽の隊員のバスは4台ほど門から出て行きました。その後から見送りの家族達のバス。誰も行かないで欲しいけれど、誰も殺し、殺されないで帰ってきて欲しい。国際貢献なんかじゃないよ、アメリカ貢献なんだよ。こんな税金の使い方空しいよ。

 一緒に立っていた隣の60歳半ば?の女性のお父さんはフィリピンで戦死されたそうです。隊員を見送る時、ハンカチを出して泣いていました。皆は小牧基地から飛立つのを阻止・・・するため移動して行きましたが、私は帰リました。無理はしない事にしています。

 日の丸のデッカイ旗を何本もふって、がなっていた右翼達の前も機動隊の人間壁。それはまあ、いつも見るものとしても、日の丸の小旗を手に手に持って、まるでマラソンの応援のように繰り出してきたオバ様達にはびっくりしました。平成の国防婦人会???
 帰りに、守山自衛隊前から瀬戸線に乗ったら、お客さんは、ほとんど国防婦人会ならびにそちら系の初老の男性達。ずっと真ん中に埋もれて立って、(皆の視野から外れているのも時には役に立つ)彼らのおしゃべりに耳を傾けていました。「自衛隊のOBの方達だったかもしれません。自衛隊の人数は、実際は減らしていない。うまく帳尻をあわせている。外務大臣がよく頑張っているらしい・・・」みたいな内容でした。

 やがて、人間は「孤」として死んで行く。どこに群れて、何をやって死んで行くかの問題。
 
 タイのチャットさんからメール。「歯形の照合ボランティアにずーっと関わっていて、やっと仕事に戻ったが、しばらくは寝込んでしまった。まだ軽い余震が続いていて、依然として津波のショッキングステージにいる」とのこと。苦手な英語で返事を書くのが辛いです。

2005年2月6日(日)  

最近、友人・知人のアドレスから添付メールが色々届いていますが、大体分かるので、すぐ削除しています。でも、私のアドレスからもあちこち届いているようで、ご迷惑をかけているようです。私は日本語でちゃんと件名を具体的に書きますし、添付するにしても、ちゃんとご挨拶の文章は日本語で(日本語しかできません)書きますので、絶対開けないでくださいね。

 名古屋国際会議場(白鳥センチュリーホール)で愛知工業大学名電高等学校吹奏楽部の第40回定期演奏会。友人の親戚のお嬢さんがクラリネットで出演ということで、私まで親族?扱いで誘って貰いました。部員150名。昨年はウィーンでの吹奏楽ワールドカップで、1位の金賞をとって来たと言う、素晴らしい実力です。イチローの出身校ですからね、伝統校です。甲子園でも、このブラスバンドは、スタンドで大活躍をするのだそうです。

 3階席まで定員3012人満席。昼夜2回ですから、1日で6000人のお客さんを魅了してしまうのです。ムソルグスキーの「展覧会の絵」とかビートルズのヘイジュードとか、なじみの曲も出てきて、3000人の手拍子も受けて、本当に楽しめるエネルギッシュな演奏でした。

 ステージドリルはどこかの宮殿の衛兵そのもの。行進がまるで音楽を奏でる巨大な生き物のように様々な形に、小気味良く変化していきます。高校生の青春のパフォーマンスという感じ。本当にさわやかな舞台でした。ブラスバンドにハープが二台、ピアノ、ベース、様々なパーカッション・・・。近頃とんと遠ざかっていた高校生の空間に飛び込ませてもらって、リフレッシュ。

 それにしても、こんな会場で裁判ができたらね。原告全員入れる〜〜〜〜〜!

2005年2月7日(月)  

タイのチャットさんに頑張ってメールを書いたら、「優しい言葉を有難う」と、すぐ返事が返って来ました。

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津波災害のボランティアに行った訳は2つあります。
1つは彼らが心から可哀想に思ったからよ。
もう1つは、人は必ず死なねばならないという人生の真実をみつめたかったの。
お金持ちの人も貧乏な人も、全ての人が裸で同じコンクリートに横たわり、
自分が誰であるか見つけてもらうのを待っていたわ。

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考えさせられた1日でした。
色々な物をどんどん捨ててシンプルになりたいと切に思う也。

2005年2月8日(火)  

久しぶりの雨。くたびれてきた我が家はガステーブルとレンジフードとお風呂の給湯器を新しいのに変える工事。少々風邪気味で寒くて仕方がないのに、取り付け工事の為にベランダのドアを開けっ放しで寒い寒い。

 ゴッチャゴチャの中に客2名を迎え、ゴッチャゴチャの中で新しいガステーブルでお客様に鍋焼きうどん。1名の歌手は泊まりますので、お風呂も第1号で入っていただきます。火傷しようが温かろうが、被験者は宿泊客。

 ああ。やっと夜がきました。私の好きな時間帯は断然「夜」なのです。昼間の国会中継を、折り紙をしながら見ていましたが、悪夢も「夜」は忘れて眠れるのです。おやすみなさい。

2005年2月9日(水)  

鼻が詰まって、く、く、く、くるしーい。ティッシュボックスが離せませーん。でも頑張ったもん。台所整備。捨てよう捨てようと心がけても、やっぱりなーんとなく元の状態に。

 宿泊の歌手が、5枚ストッキングを履いて寝るといいとか、5つ指の靴下を履くといいとか、薬指をのぞいた爪をマッサージするといいとか、風呂は腰湯がいいとか・・・とにかく健康に関することをせっせと実行していて、私にも「だまされたと思ってやってみな」と勧めるのですが・・・。お互い声が資本の仕事なので、ちょっとは私も聞く耳をもたなくっちゃいけないけど、これがなまかわで・・・。本当に珍しく風邪をひいてしまったのですが、気合で頑張るんじゃ!

 今夜は朝鮮と日本のサッカーに日本中が熱中している感じだけど、がま口塾の市会議員のGさんたちの呼びかけで始まったチャリティもすごかったみたい。私はなーんにもしなかったけど、会員のSさんから報告を貰いました。感動。お疲れ様でした。
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日進・東郷・長久手・三好のスマトラ沖地震・津波支援ネットワークの活動で忙しくしていました。募金集めや1月30日のチャリティーコンサート、バザー開催準備から当日まで、多くの善意が寄せられて(金額で301万円、関わった人は何人かわからないくらい)
フィナーレまで感動的でした。何とかしたい、力になりたいという気持ちは一人一人の中にあってもなかなか見えないもの。ところが、一旦あらわになるとすごい波が起きるんだなと実感しました。

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2005年2月10日(木)  

蕪湖の教え子で日本で既に7年目の陳さんが、昨日、「春節おめでとう」の電話をくれて、ああ、中国じゃ旧正月の大移動が始まっているんだと懐かしく思ったのですが、日本にいると、全くキョトンとした感じですね。私は昭和・平成も何年かさっぱりピンと来ないです。西暦の思考回路です。

 2宿?????飯の恩義にと、歌手がギターを爪弾きながら新曲を歌ってくれました。
「2人がま口塾してくれたから、2人ライブだよ」って。贅沢をさせてもらいました。
「大丈夫!」という曲で、1、2、3番にそれぞれラップがつきます。中学校でそれを校長先生や教頭先生にさせるんですって。「どこの学校でも断わられた事ないんです」って最初の学校から騙してしてやってもらっているそうで、それが生徒達にバカ受けで、めっちゃ盛り上がるそうです。

 大丈夫!と言う割には、個人的には危なっかしいことが多い人生。まあ、いいやね。私も今から隣の県まで「むらさき花だいこん」20冊持って「話し方教室」です。話し方なんて、私知らへんのよ。何を頼まれても「むらさき花だいこん」なの。大丈夫、大丈夫!我田引水は我が座右の熟語。明日、名古屋に帰ります。

 それにしても、昨日負けた北朝鮮のサッカーチームは、帰国後は大丈夫かなあ。

2005年2月11日(金)  

昨夜の話し方教室はJRのG駅すぐ西のパルルビルのカルチャーセンターで。いつの間にこんな立派なピルがニョキニョキ建ったのでしょう!G駅辺りは本当に見違えるような変貌を遂げています・・・なんて言っているのは、あっちこっちウロウロしていた私だけかもしれません。
 
 1分間スピーチに皆さん一生懸命。がま口塾の言いたい放題とは全く違う、お行儀の良い教室で、ピンチヒッターの私も先生然とする訳ですが、後半は「むらさき花だいこん」で染めてしまいました。感動してくださった様子。広がれ!花だいこん物語。

 さて、「鼻大根」の私はついに限界を迎え、パルルまで迎えに来てもらって別宅に到着するや否やバタンキュー。朝、ひどい声でTアナの電話に出たものですから、彼女、驚いてあわてて電話を切ったほどでした。薬を飲み飲み、熱っぽくてだるくて何もする気がせず、夕方まで布団の中。お昼に眠り姫が所望した御寿司とプリンとお茶がベッド脇に並んで出てきたのには感動しました。「やればできるじゃん!」。こんな事、毎日私は病気でもない家族の為にやっている事なのに、私がされたら、涙が出るくらい嬉しい!

 夕刻名古屋に向かう車の中に歌手より電話。「あのう・・・今晩も1泊・・・」「いいよ。3人で川の字で寝よう」と、運転手「貴方を家に届けたら僕が帰ってもいいよ」・・・さて、結末は。川の字こそなっていませんが、今夜は我が家は歌手を含めて5人家族です。(家族の1名は、G県に単身赴任していて、名古屋には1ヶ月に1、2度かえるだけ、という事情を分かって頂いている方には分かっていただける話だと思うのですが、状況は大変複雑です。)

 
 

2005年2月12日(土)  

守山の基地へ行く予定にしていましたが、諸事情にて断念。ニュースを見ながら悔しい思いをしました。皆は 抗議行動に出かけているはずなのに、なかなか報道されません。既に第5次イラク復興支援群(約500人)の第2陣約200人。こんな事が許されていいのでしょうか。

 先日の裁判の準備書面(認否について)を訴訟の会のKさんが送ってくれました。夜を徹して弁護士さんが書き上げたとても重量のあるものなので、ここに書き切れるものではないのですが、私なりに簡単に把握するに、
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@提訴から1年
  政府は,国会での議論を回避し,国民の6割が反対する中,自衛隊の派兵延長を閣議決定で断行した。我が国は立憲民主主義国家である。憲法の枠の中でのみ国家の行為は是認される。少なくともこの1年間の派兵の憲法適合性についての議論・検証は,当然国会で行われるべきであった。
 
A違憲審査権限の行使をすべき
 戦争国家は,民主主義を,立憲主義を,国民主権を否定する。そして私たちの人としての人権を根こそぎ否定する。立憲主義の立場に立ち,明らかに違憲の自衛隊派兵を正面から違憲と批判し,戦争国家への流れに楔を打つことが,違憲立法審査権を与えられた裁判所に課せられた憲法上の義務ではないか。

B全国の市民の声
 現在、北海道,宮城,栃木,東京,静岡,山梨,愛知,大阪,岡山と9つの地域で実に5000名にも及ぶ市民が派兵反対の声を挙げている。まさに立憲主義の崩壊を食い止めるために,裁判所の職責である違憲立法審査権の発動を行うことを強く求めているからに他ならない。裁判官は,自らの憲法上の,また歴史上の職責を自覚し,正面から違憲立法審査権を行使すべきである。

C実質的審理を
弁護団は,イラク戦争の凄惨な実態,その国際法違反性,憲法9条違反,そして原告らの具体的な被侵害利益について主張をしている。単に「平和的生存権」という「枠」を主張しているのではなく,原告各人それぞれの具体的な被侵害利益について主張を行っている。これは事実の認定の問題であって,被告国が言うような「外交政策の当否」「法律判断」に止まる問題ではない。被告は,原告の主張に対して正面から認否・反論を行うべきである。札幌地裁においては,裁判所が国に対して,自衛隊の活動目的や活動実態など基本的な事実関係について認否を行うよう促した。この法廷においても,国及び裁判所が,ありのままの事実を見つめ,実質的な審理が行われることを強く求める。

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何で日本語が通じ合わないのでしょうか。

 今日の2人ライブは「ひなまつり」。生まれてすぐに亡くなった娘の為に、毎年集めた雛人形がテーマになっています。母の祈り。立派に成長した息子や娘が、例え、どんな理由であれ、過ちであれ、人を殺したり、殺されたりする、するかもしれない事に、誇りを感じえるか。
 

2005年2月13日(日)  

「がま口塾」のネーミングの由来を聞かれると、「お金持ちになりたいから」と、ひとまず冗談を言って、「大きながま口を開けて笑って喋って・・・、地下鉄で下車する駅を忘れないように『塩釜口』からとったのよ」と言うと、どなたも「ああ、そうかあ」と納得されます。
 
 本日その地下鉄「塩釜口駅」が全国ニュースに現れ、びっくりしました。風邪の終息期で用心して一歩も外へ出ていないので、ニュースで事件を知りびっくりしました。エスカレーターで高校生達が次々転んで怪我をしたという程度のもので、大事に至らなかったのでホッとしていますが、怪我をされた方達には心からお見舞い申し上げます。名城大学で模試とか、色々な講習会とか、検定試験などがある時、塩釜口は本当に1000人を超える人でごったがえし、切符も買えない時が、稀にあるのです。

 がま口塾にいらっしゃる皆さんどうぞお気をつけ下さいね。

2005年2月14日(月)  

明後日の授業の教材作りに夢中になっている最中に、テレビニュースが寝屋川の小学校の事件を伝えました。

 私の場合、車で送迎して頂く時は別として、1人で行く時は、学校の門がいつも閉まっているので、1人で開けて入って行き、玄関に、心配りの迎えの掲示があるので、1人でサッサと校長室に入って行きます。一度も誰かに咎められた事はありません。私以外の人でも、隙をつけば、けっこう入って行けそうな感じ。まあ、親しみのある体型のコロコロした女性が危険な行動をしそうには思えませんわね。17歳の卒業生だって、校内に案内するのは、人間として、教師として普通の活動に思われるのに、何て悲しい事件! 心が寂しい人がいっぱいいるんだなあ。SOSが溢れている。

 アーサー・ミラー氏が亡くなったニュースにも、失礼ながら『まだ、ご健在だったんだあ』とびっくり。大学の演劇部で「オール・マイ・サンズ」という彼の作品をやった事を突然思い出しました。戦争で息子が死んだ事で、戦死者の全てが皆自分の息子だったのだと気がつく父親の台詞がラストシーンだったと記憶しています。

 全く!オール・マイ・サンズ!様々な事件に出会う時、切実に私達はそう気付くのです。

2005年2月15日(火)  

担任の先生を突然殺された5年生の子供達の気持ちを思うと、重くて重くて。
明日は、5年生に谷川俊太郎の「生きる」の朗読の授業です。頭が混乱しています。

2005年2月16日(水)  

 1限と2限は5年生「生きる」。3限は突然6年生に同じ内容でいいからと授業を頼まれ(担任の先生が突然休まれて、朝、坂東が来たら頼んでみようという事になったそうで)・・・。タイのチャットコーンさんのボランティア活動の話や服部君事件の話しを写真入で見せますと、皆真剣に聞いてくれます。誰の話でもない、先生と繋がっている人の実際の話だから。担任の先生は「僕はその時中学生でしたから、よく覚えています」とおっしゃる。年月の経つ速さよ!!!!

 4限は1年生が、どうしても勉強の成果を聞いて欲しいと合同で朗読をしてくれまして、そのまま1年生と給食。5限は身障児学級でも朗読の授業。

 3つのパターンで教材を作るのが大変でした。やり切れるだろうかと心配でしたが、何とか乗り切りました。今日はかなり「がま口疲労身」です。

 1年生は60人弱が可愛いの何のって!先回約束したので、唇パクパク折り紙を一人一人に御褒美でプレゼントしたら、それにサインをして頂戴と取り囲まれてしまいました。こんなにもてるの生まれて初めて。

 5人の障害児学級も自分達の朗読劇を披露してくれまして、可愛いことこの上なし。何か心にサラサラ風が吹いているようなひと時になりました。言葉遊びで「♪さよなら三角又来て四角〜〜〜〜電気は光る、光るはオヤジの禿げ頭!」で、アッというまに暗記してしまい、寿限無寿限無までスラスラ。小学生の発声練習としては、けっこう面白いものであることを発見しました。声を出す事が楽しいという事を実感してほしい。

  校長先生は大忙しでした。卒業していく6年生達は、毎日6人づつ校長室で給食を食べながら校長先生とお話しています。「○○君は中学校へ行ったら、部活は何をするの?」等と校長先生も暖かい言葉かけをされていました。
 来年度は年間計画で朗読指導を取り入れる事になったそうです。「言葉」を発しあう事の大切さ、楽しさを、朗読の授業で感じてもらえたらなあ。

2005年2月17日(木)  

先週休んだので、今日は久々のアクアビクス。アクア(水)とエアロビクス(有酸素運動)を掛け合わせた造語だそうですが、1時間半の水中運動は、けっこうきつくなってきました。慣れてきて、ちゃんと運動らしくなってきたからかもしれません。「手と足が逆ですよ」と先生に言われてビックリ。地上で歩いてそんな間違いをした事は生まれてこの方ないのに、水の中だと何かわけがわかんなくなる事があります。

 激しい運動には思えないのですが、水の抵抗・浮力・水圧など、少しの運動でもエネルギー消費が大きいそうです。基本動作は、ウォーキング・ジャンピング・スクワット・腕の開閉など。蟹股のすり足ウォーキングなんてのは大変で、先生は私を見ながらクスッと笑って、「沈まないでくださいね」ですって。沈むに決まっています。ヒーヒーと、何とか続いています。

 本日セントレア空港開港。展望風呂が話題になっていますが、私にはプールに見えて仕方がありません。

2005年2月18日(金)  

 出席するかしないか、しないかするか、するかしないか。朝からずーーーーーーっと悩んで悩んで、ついに出席しました。イラク派兵反対の訴訟の会のスタッフ会議。毎月2回行われているそうで、私は全くスタッフではないのですが、いつもお世話いただいている事には本当に感謝あるのみなので、その気持ちは機会あるごとに伝えています。

 会のKさんが、いつの頃からか会議の模様や連絡を送ってくださるようになり、ぜひ会議に来て下さいと言われていて・・こっそりと。一言も発言せず、とにかく静かにしていましたが、ただただ皆さんに感謝です。7時から10時まで延々と会議。皆仕事を終わって疲れた体で集まるのですから、本当に大変。私が迷うのは、責任を持ってやリ切れない仕事は安易に手を出してはいけないと思っているから。手作業などは引き受けさせて頂くつもり。原告になるかならないかでも、悩む方は多いと思います。なる事で発生する面倒な事に対する不安もあるでしょうし、1年間3,000円という会費の問題もあるかもしれません。私はそれは悩まないけど、責任をきちんと果たせそうにないので悩むのです。

 それはそれとして、U弁護士は無事帰国して会議に出席されていました。約束通り、エルサレムから英文でメールを下さったそうですが、どうやら、アホな私は、1日に40くらい入るいたずらメールとまぜこぜにして削除してしまったらしい。ヨルダンとパレスチナのお話、電車の中で切れ切れに聞き、よくまあ無事に帰っていらしたと思ったことでした。報告会をしてくださるそうです。

2005年2月19日(土)  

シリーズ講演会「女も男も輝いて生きる」の最終回。いつも入り口で迎えてくれる女性会館情報資料室のTさんに「皆勤賞だね」って褒められましたけど、暇だって事だよね。

 今日は「改正DV法がめざすもの」。御茶の水女子大学の戒能教授と愛知県女性相談センターの後藤所長さんの講演。配偶者からの暴力の防止および被害者の保護に関する法律であるDV法は12月2日から施行されたばかり。どこが変わって何が課題なのかと言う話、女性相談の実際を聞きました。

法律とは「家族は円満である」という前提で作られているという話にハッとさせられました。平成15年度で日本で夫に殺された妻は133人だそうです。今の日本は、被害者は逃げなさいという考え方が基盤にあって法令が作られているそうですが、DVに付随する問題はそんなに簡単ではない。児童虐待防止法、児童福祉法などとも連携して効率の良い法律で救ってほしい訳ですが、改正されて新しい考え方が取り入れられてきたものの、まだまだ。でも、こういう学者さんたちの研究成果や、市民の献身的な活動によって法を動かしてきたこともよく理解できます。

 相談員の数も少なく、嘱託の身分で職員としての扱いはありませんし、県などが行政として催すのは「自立支援ボランティア講座」。専門性も責任感も大いに必要とされる仕事をボランティアという善意に頼る姿勢はいかがなものか。会場から鋭く追及する質問が出ました。おっ!がま口塾一期生のSさん! がま口塾のG議員は、挙手しても時間切れで当ててもらえず、終了するやいなや楽屋に突進して行きました! 皆の迫力に呆然。
 
 Gさんは会場でバッタリ会って隣同士の席で聞きましたが、先日のチャリティで300万円作った疲れも微塵も感じさせず、現場と行政、学問などでネットの網を細かくし、とにかく足で稼いで市民の気持ちをカバーしていく姿勢には、本当に感動してしまいます。
 
 母の時代にDV法があったら、私はどういう人生だったかなあと思います。皆我慢我慢の忍耐の人生を強いられた時代。とりわけ戦争体験をしてきた夫達の心の荒みは弱い女性や子供にぶつけられていたと思います。私は児童虐待どころか、とても家族にも周囲にも可愛がられて育ったので幸いでしたが、それでも、DVは、児童の精神に大きな影響を与えます。私に関わりのなかったと言える訳でもないのです。

 戦場に子供や女性や老人が駆け込むシェルターなんかありません。究極のDV。究極の平和的生存権の侵害。家庭や地球を戦場にしないように!

昨日と今日、訳ありて、新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」をずっと心の中に持っていたのですが、ちょっと元気になりました。頑張っている友人達に会えたからか。

2005年2月20日(日)  

セントレア空港へは連日何万人もの人々が出かけていますが、皆がお引越しをした後の小牧の空港はどうなっちゃってるの?

ご安心を!???? ちゃんと自衛隊がしっかり活用しています。陸上自衛隊第10師団から第3次派兵。守山の基地前で派兵される自衛隊員を見送りました。バス3台。その後に家族のバスが続いて行きました。私は「死ぬな」という看板を持っていた人があったので、端っこを持たせてもらって頭の上に掲げました。私達に手を振って行った隊員たちが今回は数人いました。

 明日からオランダ軍は撤退開始。イギリス軍が守ってくれるんだって。イギリスに対するサマーワの人達の感情は、歴史的に特に悪いそうです。今後何か事件が起きた時、小泉さんはどう発言するのでしょうか。「お国の為に立派に死んでくれました。素晴らしい国際貢献でした」か。

 門の中には、日の丸の旗を持った人達が並んで「頑張ってきて下さい」の幟をたてていました。どうしてあの人達は中に入れて、私達はいつも外で警官にガードされなきゃいけないのかなあ。自衛隊の人やご家族とお話したいのになあ。
 
 門の前を左折する車は皆警察がストップの掲示をして止めてから左へ誘導、許可します。でも、中には、速度は落としても止まらない車もあって、『自爆テロ簡単に出来そう!』って思いました。実行犯の候補者名を出して笑いあったのですが、もし私がやったら、まあ、新聞には載るでしょうけど派兵は止まらないよね。
  
 3月20日に世界規模でデモが行われるそうです。自爆テロは思いとどまって、そちらに参加しまーす。警察や自衛隊のように強そうな制服が着られないので、私はヨレヨレの服を着て静かにヨタヨタと歩く。
 
 時の政府というのは普遍的な存在ではない。ラムズフェルドは神でも仏でも天でも良心の人でもない。シルクロード第2集、トルファンを見たけど、お釈迦様は「すべてはうつろうもの」と言って死にましたという朗読が心に残ってしまいました。ヨーヨー・マの音楽はやっぱり素晴らしい。

2005年2月21日(月)  

 外走りを歩きに変えていますが、さすがに冷たい。ほっぺを刺すように風がなでていき、木々の芽がキュンと縮こまってます。春を覗き見したいだろうな。もうちょっとだよ。

TBSのアメリカ支局長Kさんのサイトによると、NBCのニュースで、アメリカの学校で「進化論」を教える事がタブーになりつつある事を果敢に報じたそうです。「人間は神がお造りになったものだから、猿から人間が進化した等とは教えてはならない」という保守化の波が学校にまで押し寄せているのだね。これって思想の巨大津波だよね。

 ある調査によると、アメリカでは進化論を「受け容れている」人の割合が45%しかないそうで、敬虔なカソリックの国ポーランドでさえ、75%の人が進化論を受け容れているそうです。その他の先進国では80%以上。日本に至っては96%の人が進化論を正しいと認識しているとの事。ジョージア州の公立学校の教育課程から「進化」という言葉が不適切だとして削除されようとしていて、その他の州でも同様の動きがみられるそうです。これぞブッシュの得票の本質ではないでしょうか。こういう事実を「果敢に報道」しなればならないって・・・アメリカのマスコミもそうなんだ!報道は神様が囁くまま!
 

2005年2月22日(火)  

 申し分の無いお天気のがま口塾。地下鉄の中で予習(テーマに関わる記事を夢中で読んでいたそうです。)?!していて乗り越してしまったり、乗リ合わせた人を心配している間に塩釜口で降り損ねたとか、色々あっても、ちゃんと坂道を登って来てくれる面々。本当に感謝。みなさん有難う!
 このテーマは語り易いようで語り難く、でも切実で。爆笑場面はいつもよりウーンと少なかったのですが、情報としては色々面白かったです。

 夕方からG市へ。又話し方教室のピンチヒッター講師のためなのですが、今日は駅に生徒さんのお迎えがあって市内を突っ切るドライブを楽しんでカルチャーセンターへ。本来の講師のTアナがちゃんと「むらさき花だいこん」の朗読を勉強することに段取りをしておいてくれましたので、マタマタ紫ジャック。父の本も紹介してエネルギー全焼。
 
 終了後、若いお嬢さんが本を買ってくれました。玄関の出口で又顔があったら「私ずっと戦争の話が聞きたいと思っていたので、今日はとても嬉しかったです。本、楽しみに読みます」「ああ。お若いからなかなか体験者から聞く機会がないのね」「いえ、イラク戦争の派兵の訴訟に関わっている弁護士さんも知っていて、とても関心を持っています。戦争の実際を知りたかったんです」・・・ほーーーーうっ!

聞けば司法修習生。まもなく弁護士さんなので話し方も勉強したいとこの教室に通い始めたのだそうです。それで派兵訴訟の弁護士さんの名前を聞けば、何とK弁護団事務局長さん。彼の法廷の姿には本当に、いつも感動させられています。(我が息子と同じ歳とは信じられない堂々たる物!)でも、彼女は「飲み会で一緒になっただけで」ですって。まあ何でもいいわね。人間、本当に不思議に繋がりあって生きているものです。

 心ふるえる1日でした。

 

2005年2月23日(水)  

春一番が吹き荒れたとか。いよいよ春。でも名古屋はどうって事なかったです。

 テープ起こしは4分の3まで出来ているのですが、残念無念。明日の授業の案やら準備をしなくっちゃ!心を鬼にして。いやいや、そんな事言ったら子供たちに悪いですね。待っててね、子供達。

2005年2月24日(木)  

 H小学校の1年生2クラスで授業。今日は私の指導案がまずかったと反省。リンゴや襟巻や郵便カバンにウサギの衣装・・・。小道具を使いすぎたかなあ。子供たちをハイテンションにさせすぎて、ちょっと散漫になってしまったように思いました。なかなかうまくいかないものです。でも、給食は引っ張りだこ状態で、おんぶにだっこにキス?のしまくりで、これが大人の男性だったらと思わずにいられませぬ。

 午後の6年生の合同授業は卒業式の「お別れの言葉」の練習。去年までは1人だけが答辞を読んでいたけれど、今年は全員の言葉を組み合わせて、群読する事になったのです。私はケーキをつける役目?体育館でけっこう素直に声も出て、楽しかったです。
 群読のなかにフライシュレンの「心に太陽を持て」の詩が入っています。

 心に太陽を持て/嵐がふこうと/吹雪が来ようと/天には黒くも/地には争いがたえなかろうと/いつも心に太陽を持て/くちびるに歌を持て/軽く、ほがらかに/自分のつとめ/自分の暮らしに/よしや苦労がたえなかろうと/いつも、くちびるに/歌を持て/苦しんでいる人/悩んでいる人には/こう、はげましてやろう/「勇気を失うな。くちびるに歌を持て。心に太陽を持て」

 こんな風に生きたいものですし、生きて行って欲しいと思わずにいられません。終了したら「僕は児童会のSです。3月3日に感謝の会をする計画ですが、坂東先生も来て下さい。予定は入っていますか?」ですって。昼間は空いているので「いいよ。なにするの?」「先生は只、座って見ていてください。でも、一言挨拶考えといて下さい」だと!
いやあ、参りました。イヤイヤ、6年生の担任の先生達の方がもっともっとビックリ。「直接交渉してるのお!」。とにかくハプニングの突撃依頼でした。

 子供たちは本当に素晴らしいです。悪いのは大人なのです。
 水中エアロビクス、今日もサボらず頑張りました。

2005年2月25日(金)  

がま口塾便り完成。とにかくホッ。明日印刷できればもっと嬉しいけど。

『む・しの音通信』45号発行の知らせ。みどりさんのサイトを見たら、一昨日、岐阜県知事相手の行政訴訟の地裁判決が2つあった事が書かれていたので、原告のお連れ合いのY市議員の寺町さんのサイトへ飛んだら
 「情報公開訴訟は、一部勝訴だが、裁判所の個人情報に対する非公開傾向にあきれる。 住基ネットにかかる個人情報保護条例と処分性についての訴訟は、処分性は県の主張を否定してこちらの主張のとおりに認定してくれたが、違法性はないと結論では請求を棄却する判決。どちらも控訴すると表明した」と書かれていました。

 弁護士を頼まない原告の本人訴訟ですので、又大変なエネルギーを費やす事になるんですね。

 数日前からHさんからは原発に関するロビー活動のお誘い。東海地震の心配から、危険な浜岡原発を止めるため動きませんか?という請願活動。車椅子の斉藤議員が紹介議員になってくださるそうです。

 昨日の夕刊では名古屋挺身隊訴訟で韓国人女性と遺族達の賠償が認められないという判決が大きく報じられました。ニュースや新聞の写真に現れる支援者、弁護士さん達は派兵訴訟の顔と重なっています。

 ため息。宮沢賢治の詩のようにデクノボウになりたいのですが、何とか自分の空間で息をついているのがやっとです。

2005年2月26日(土)  

  戦争メモリアルセンターが名古屋にはまだありません。もう12年ほど前から呼びかけがされているそうです。それで今年はその呼びかけコンサートが開かれる事になり、朗読と歌で構成される舞台です。朗読の部を東海音声表現研究会の高野さんが担当され「日本国憲法」の群読をする事になったのです。今日、愛知県芸術センターで第1回の顔合わせがありました。誰でも参加できます。
 高野ゼミの学生さんたちも賑やかに参加し25人くらい集まりました。いつものごとく平らな関係で、「皆で力を出し合って」という感じ。今日は簡単に前文の読み合わせをしましたが、なかなか難しいものだなあと思いました。

 栄から金山まで夕食会に突っ走りました。30年前、ひょんな事で文字通り若輩の私達が仲人となってI夫妻の結婚式をしました。それから20年になろうとしていた時、親友のI氏は突然の事故死。今年は13回忌になるそうです。3夫婦で毎年食事会をしていたので、今年も2夫婦と1人、彼を偲んで食事会。M大男声合唱団の団長だった彼が、舞台で挨拶した時カッコ良かった話、引越しを何度もする我が家の、どの家にも(東京にも福岡にも)必ず訪ねてくれた事、水害の時は、真っ先に夫妻で消毒器を持って駆けつけてくれた事、思い出話は尽きません。I夫人、やっぱり寂しそうだったけれど、お孫さんも3人できて、家族としては一番大家族で賑やかになりました。若い40代の遺影は「ジイジ」と呼ばれているそうです。
 
 コンサート「今こそ平和のうた(歌・詩)を」の第一部はM大男声合唱団OB有志のステージです。生きていたら、I氏も必ず参加する事でしょう。服部君事件の時は一生懸命署名を集めてくれ、CD制作のための100人のボランティア合唱にも参加して大いに助けてくれました。それからまもなくだったのです。召されたのは。
 
これからもこの食事会は最後の1人になるまで、生きている限り続くと思います。最後の1人になるぞ。

2005年2月27日(日)  

 一人一人に、ほんの一言だけど、顔を思い浮かべてメッセージを書き添えていると、けっこう時間がかかるもので、今日やっと印刷発送できました。明日かあさって到着すると思います。遅くなってごめんなさい。ネットで見てくださる方も、感想など下さったら嬉しいな。でも3月は皆、皆忙しいものね。

 珍しく将来の事を真剣に考えました。いつまでもフーテンやってらんないものねえ。どう生きるかっていうのは、やっぱり「死ぬ」ことより何倍も難しいわ。とりあえず、今日生きた事に感謝。

2005年2月28日(月)  

 午後訴訟の会の資料発送作業のお手伝いに。元高校の社会科の先生や元キャリアウーマン?の大先輩の2人と一緒に賑やかにおしゃべりをしながらの作業です。一番賑やかなのは・・・?。
3000人を超える原告の皆さんへの配布資料ですから、とにかく印刷、組み合わせ、袋詰めと、大変な作業量です。でも、とっても素敵な先輩達で、楽しく癒されるひと時で、ちっとも疲れませんでした。明日も時間があれば行くつもりだけど。

 先日の挺身隊の訴訟が6年かかって敗訴。弁護士の皆さんもボランティア、支援をする人達も皆がボランティアで訴訟を支え続けたのですから、その悔しさ、悲しさ、落胆は想像を絶するものがあります。この訴訟はどうなるのでしょうね。皆勝ちたいと思っています。司法が生きてくれますように。

 H小学校から、3日の案内を頂いて、もう嬉しくってニッコリです。児童会から招待されるのは3人で、交通指導のおばさんと、魚の世話をしているおじさんと、そして私。笑いがこみ上げてにこにこしています。ホントにホントに自慢したくて今日の日記に書きました。エッヘン!

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Akiary v.0.51