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2005年3月1日(火)  

 午前中は明日の3年生と5年生でやる「詩」と「文章」と睨めっこ。いつもB紙やカレンダーの裏にマジックで書いて、それを黒板に貼ったり、紙芝居的に使ったり、あの手この手です。だいたい書いているうちに、教案がゴニョゴニョ生まれてきますが、まだまとまっていません。あとちょっとでもう明日になっちゃうのに。

 午後は学生センターで昨日の続き。今日は訴訟の会代表の池住さんまで封筒にラベル貼り。皆ちょっとの時間を生み出してかけつけています。

 9種類の紙を順番にとってはセットするのですが、原告が第5次まであるので、それぞれ入れるものが微妙に変わったり、原告で亡くなってしまう方もあり、本当に作業は煩雑。

 昨日も今日も一緒だったNさんと著書の交換をしました。「歴史への旅立ち〜授業を豊かにする史話集〜」。中学も高校も社会の時間は好きだった事を思い出しました。(倫理社会はただただ眠かったが・・・)先生の生き方がビンビン伝わってきたからかしら。

 夜は東音研3月例会。NHKのカルチャーセンターで朗読の講師をしているIさんがレポーターで、何と「夢十夜」と「注文の多い料理店」を朗読。その勇気に感嘆しました。だって、本当に海千山千の大先輩も大勢おられる中で、「私の朗読を聞いて感想をお願いします」って感じですよ!怖いよー。でも、今日は「一人一流」という言葉を知り、とても気持ちが救われました。人の数だけ朗読はあるのですね。

 それと、もっと驚いたのは、私の行っているH小学校とK小学校の先生達が4人ズラーリと参加していた事です。それも「注文の多い料理店」の載っている5年生の教科書をしっかり持って。疲れた体に鞭打って、一生懸命勉強しようとしている先生達。次回は彼女達がレポーターになることに。朗読は幅も広いし奥も深いものです。

2005年3月2日(水)  

今日はK小学校3年生と5年生の授業。1・3・5時間目だったので、初めてゆったり時間が過ぎました。3年生の詩は「やまのくちぶえ」

たかいやまの/はるのくちぶえは/ぶっきょぶっきょ/ひりひりんひりひりん/きょろんきょろん/ちゅり/そこへうぐいすが/飛んできて/ほうほけきょ/ほうほけきょ・・・これが夏・秋・冬と続きます。

もう一つ。「今日からはじまる」は

あなたに会えてよかった/空が青く/大きいことも/あなたがいて気づいた/この光もいま届いたばかり/一億五千万キロのかなたから/今日からはじまる/何かいいこと〜〜中略〜
わたしに会えてよかった/胸の鼓動も/ときめきも/私がいて気づいた/誰も知らない音だけど/私の殻をやぶる音/今日からじまる/何かいいこと

 担任の先生が詩が大好きで、毎日子供たちに色々な詩の載ったテキストを配って音読を楽しんでいます。子供というものはグングン吸収するものだなあとしみじみ思いました。

 5年生はもう顔なじみ。今日はマザー・テレサに関する教科書の音読。 「貧しい人は美しい」というテレサの言葉、教科書のテーマを大切に、「間」が持つ意味を印象的に指導したつもり。SARSの時、北京で訪ねた家庭が、この上もない悲劇に見舞われていたのに、とても優しく暖かく生きていた事が今でも印象に残っていて、その話を子供たちにしました。自分の経験は、自分の全てに役立って行くのだなあと思います。「言葉」は経験という力が魂を吹き込んで立体化するような気がする。どんな辛い失敗の経験も。(実はほとんど失敗人生・・)

 

2005年3月3日(木)  

  我が家只一人のお姫様はH小学校で感謝会のひな壇に並びましたぞ。交通指導員のIさんとお魚の世話をされているTさんと私は体育館で全校生徒419人の拍手に迎えられました。プログラムは@お客様紹介、A金管バンド部の演奏、B劇「ありとキリギリス」、C感謝の手紙・花束贈呈、D校長先生の話

 昨日の夕方、児童会の先生から、私が3人の代表で挨拶をするようにと電話がかかっていたのですが、僭越なので硬くお断りしておいたのです。でも、結局は私が言う羽目になりました。Tさんは本職は床屋さんですが、お休みの日は、他の小中学校も含めて10校あまりの池や水槽の魚の世話をされていて、その他にも老人ホームの散髪ボランティアもされていて、年がら年中お休みなしだそうです。不要になった歯ブラシやスポンジで真冬も池の中に手を入れて、ゴシゴシ掃除をされ、魚が死ぬと、又川で魚をとって来るとのこと。

 交通指導員さんも、毎日の仕事。ふざける子供に気をとられているうちに車が突っ込んできそうになったりしてヒヤッとしたり、子供達が毎朝風邪をひいていないかと、心配で顔色をみるというような話を校長室でされていたので、その事を紹介して、ノーベル賞を貰ったくらい嬉しいですと感謝の言葉を締めくくりました。

 なかなかの素晴らしいバンド演奏、障害児学級の子供も含めた劇、進行のアナウンスなど、全部子供たちがやります。感謝の手紙は子供たち皆からのものですから、本当に分厚くてずっしり。ちょっとウルウルしてしまいました。
 
 6年生の中に「発音練習なさる時の坂東さんと、戦争の話をなさる時の坂東さんは同じ人とは思えない別人でした。つらいお話だったと思いますが、本当にいろいろありがとうございました」という手紙があり、6年生は大人だなあとつくづく感心しました。

 もう今年度はこれで終了!と思って帰宅したら、早速教頭先生かメールが入っていて、5年生に「命」の大切さを服部君の話等からしてやって欲しいという依頼でした。3月内に又H小学校に行く事になりました。あっちこっちの学校のあっちこっちの教室で何をしゃべりまくったのか、コンガラガッテしまって、3年間の日記から学校へ行った日を拾い出して、もう一度何を喋ったかの点検をした次第であります。ええかげんな事をやっていては、だんだん持たなくなってきています。反省。

2005年3月4日(金)  

突然呼び出されて名駅でお茶。彼女、鬘をかぶっていて「可愛いでしょ?」。しょっちゅう美容院へ行く人だから、「楽で楽で〜」とまずはかつら談義。5月にYさんと男女アナのトークバトルの会をするそうで、チケットは7000円。Rクラブの会で飛ぶように売れたそうです。ファンクラブがあるもんね、彼女。ある社長さんの人生を4時間彼女が朗読した、立派なケース入りCDセットを見せてもらった。

 いつも思うんだけど、どうして私はこんなに貧乏なんでしょう?そんな事聞かれても知らんでしょうけど、仕事で自立もできず、フーテンばかり。今夜はイラク派兵差止め訴訟の会のスタッフ会議。スタッフじゃないけど、覗いてるだけだよ。1年が過ぎて、2年目の年間会費3000円を原告の90%が払ってくれないと、活動が難しくなるという話など。(1年で、3000円を払わないか、払えない人がいるって事?)今度、派兵差止め全国弁護団有志8人の「アンマン訪問団」の往復運賃は10万円。U弁護士は又行きます。それに宿泊費やら通訳の費用やら、雑費諸々みんな、みんな自費で行かれます。

 来週の金曜日11日の夜は名古屋のYWCAで中谷弁護士の講演があります。「戦争をしない国に生きる権利」というテーマで参加費は500円。17日は大阪の訴訟の原告になっているイラク人のハッサンさんの講演会。現在はバビロン・ヒッラという所に在住だそうですが来日中です。イラク人から現状の話を聞こうという会で、会費はたぶん500円。興味のある方はどしどしご連絡くださいね。
 
 明日は、今、日本を訪れているハサウネ氏(フセイン元大統領の弁護士)がわずかな時間新幹線で名古屋に降り立たれ、訴訟の会の代表や弁護士の方たちがイラクの実情を聞く為に会います。

 皆それぞれ目の回るような忙しさの中であれもこれも引き受け、お金のやりくりをしてヒーヒーやってるのじゃないかしら。少なくても20万円あったら、即活動費だろうな。

 日々の暮らしの意識がまるで違っても、繋がれるところで大らかに繋がっていよう。私は変わらない。私は私。

2005年3月5日(土)  

「財産とは忘れ去られた略奪である」って教えてくれたのはタチアナさん。ニーチェの言葉だって。帝王と言われていた人も70歳で牢獄。かつて児玉誉士夫がニュースを賑わした頃の事を父は書き残しているけれど、私はカットしています。クマさんハッつぁんの類の文脈だもの。でも、上海で略奪したもので・・・って書いてた。そういう人がお金を出して政党が作られて・・・皆都合の悪い事は貝になるもんね。オリンピックも一面悲しい。

 燕ちゃんは14日まで全人代の取材とか。北京のオリンピックや上海の万博までに、中国はどうなっていくのかな。富める者と貧しい者の差はどうなっていくのかな。 

2005年3月6日(日)  

 家から一歩も出ず。資料整理。ちょっと油断するともうゴッチャゴチャ。友人がいつも切り抜いてくれる新聞記事も、山となっていましたが、やっと読みこなし感謝。まだまだまだまだ片付けなくちゃいけないものばかり。

 金沢のスウさんから特別通信が届きました。4月10日「100人の村から憲法が見えた」という池田香代子さんの市民公開講座のカラフルな印刷の案内でした。裏面が100人の人達のメッセージでびっしり埋まっていて、主催は石川県保険医師会、核戦争を防止する石川医師の会と実行委員会の3本立て。本当にチラシに現れているように夢があって明るくてダイナミックな息吹が石川県からピューッって吹いてきた!希望を持とう!って言ってるみたいだよーっ!

2005年3月7日(月)  

ささやかだけど、スリランカの救援がま口塾のラッパを吹いたので、頭の中はその事が駆け巡り始めています。『10人でシュミレーションやったら、採算が合わないってAちゃんが言ってたっけ。義捐金は10人で5000円かあ・・・。そんなんだったら、私が何もラッパ吹かないで5000円寄付した方がよほどしんどくないよなあ・・・』なんて。

 塾の皆さんからは、振込みをしておきましたと色々何人も何人も連絡を頂き感謝でいっぱいの気持ち。有難うございました。これ以上、お誘いするのは本当に心苦しい。本当にスリランカに興味を持っていて、こんな会があったら来てみたいと思っている人に出会うにはどうしたらいいのかなあ。
 15日、キャンセルがバタバタ4人ほど出て、頭を抱える也。旅行、引越し、子供の行事等々。本当よね。3月は皆本当に忙しいもの。でもあと、4~5人で15人になって、まずまずの会になりそうですが。こんな、素敵でも何でもない普通の質素な家でご飯食べるの、やっぱりまずいかなあ。

 「さあ!よってらっしゃい、食べてらっしゃい!2000円のスリランカ料理!貴方が食べれば、被災地の船が買えるよ!」って、塩釜口の駅で呼び込もうかなあ。

 どなたか、「行こうかどうか迷ってたわ」っていう方、ぜひいらして下さい!私は非常手段で恐怖の母や親族も呼び込もうかと(葬式じゃないけど)絶壁に立っております(そんな大げさなあ・・・)

2005年3月8日(火)  

 何とまあ!神様・仏様には耳と目があるのですね!昨夜の私の愚痴が届いたのか、会員のFさんから嬉しいメールが届きました。

 「自立のための道具の会」と言う会があります。家庭や仕事場で使わなくなった道具を回収し手入れして、主にアジアの国々に送っているNPO団体で、道具を送るだけではなく、その国の人々の自立と生活向上の為の支援も行っているそうです。
 
 以前Fさんがその会員さんが(名古屋在住)スリランカの被災地へ行ってらしたので、参加して戴いたらどうかしらと提言、Nさんに連絡をとってくれたのだけど、ご本人がとても謙虚でシャイな方でお断り。ずっとそのままになっていたら、今日、ご本人から、被災地を回った時の様子を20分に纏めたビデオもあるので、行ってもいいという連絡があったのだそうです。お昼ご飯も一緒に食べてくださる模様。

 つくづく私は不思議な「ご縁」に恵まれる人間だと思います。お金持ちじゃないって日記に書けば、ちゃんと「人」を持たせて下さる神様仏様、本当に有難うございます。かくて、「歩く100億円」と言われる名古屋の女社長の向こうを張って、私は「歩く5円」。貧乏だからこそこんなに幸せになれるんだね。お金を寄付すればいいって事じゃないんだわ。財産って、顔を見て、話して、肌に感じる事なんだわ。

2005年3月9日(水)  

 今年度最後の授業。H小学校5年生、谷川俊太郎の「生きる」。昨日、服部君事件のA3新聞スクラップブック12冊を久々に取り出して懐かしく読みました。事件当初の記事、遺体安置室での親子写真、3万8000足の銃犯罪による年間死亡者の靴を並べる、ワシントンでのサイレントマーチ、ホワイトハウス執務室での服部夫妻とクリントン大統領の写真、愛知学院大学での、アメリカからの留学生や夫妻や私と元大統領との再会の写真等々・・を見せて、「生きている」という言葉を掴んで貰いました。憎しみの連鎖はやめて「愛」を選ぼうと。何せイラク戦争での市民の死亡者はK市の人口と全く同じなのですから。
 
 体ほぐし→顔の表情訓練→発声基本練習→発音練習→言葉遊び→アクセントと鼻濁音の基本→強調と間の工夫をしながら本番!
「詩は生き物だよ。言葉も魂を持ってるよ。皆自由に自分の気持ちで読んで良いんだよ。上手とか、下手なんてないの。詩の言葉を伝えようという気持ちを大切にすればいいんだよ」と。2クラスとも、それはそれはすごい集中力で頑張ってくれました。ああ。楽しい授業だったなあ。ヨシ君より一、ニ歳年上の男の先生は「涙が出てしまいました」と言ってました。全く、ヨシ君も生きていたらこの先生のように立派な職業人になっていたんだなあ。

 突然の依頼だったので、学校は予算のやりくりに相当悩まれたみたいで、苦肉の策で、今日は図書券。校長先生と大笑いしました。
 
 かくてやっぱり貧乏な「歩く5円」は、帰り道の金山駅のコンコースでがま口塾の会員Kさんとバッタリ。中国人の張さんと一緒だったので、お互いにびっくりしました。張さんは、心配をかけない為に、国の両親には内緒で入院していたので、私も心配していたところでした。すっかり元気になって、今日は友達が天津へ帰国するので、セントレアまで見送りに行くのだと笑顔。医者の紹介、入退院、退院後のケアなど、Kさんは、徹底して彼に寄り添い、尽くしていました。

 優しい人達が私の周りにはいっぱいいます。全人代の報道も毎日あるのですが、政治的には色々あるけれど、市井のこういう日常的な優しい営みを、神仏、政治家、その他誰でもいいけど、皆見守っていてほしいと思います。

 



2005年3月10日(木)  

 奇跡がおきるといいな、「歩く五円」。今日ある国のある市長さんに手紙を書くチャンスをくれたTちゃん。ダメ元でいいからと早速書きました。これがダメになれば一時の素晴らしい夢を見た事になり、実現したら、これはすごい!何がすごいって、私の価値観の中ですごいって事で、人様には軽蔑されるかもしれません。とりわけ家族はウンザリするでしょう。ひひひ。

 13日の出席予約者は15人を越えました。ウンザリの筆頭株主、恐怖の母の家に食器を借りに行きました。こういう時は笑顔で揉み手のアタクシ。後はあんまり関わりあいたくないです。うるさいんです。昔から私が何かやろうとすると、「まあ、そんな人様に迷惑かけるような事やりゃあすな」ばっかり。それはブッシュに言ったりゃあせ。

 水中エアロビクス、今日で最後。来週の最終回はイラクの方のお話を聞きに行くので出席できません。他にはピンチヒッターの仕事を頼まれた為休んだので、まあ、10回講座のうちの2回休んだだけ。運動嫌いの私にしては上出来だったのではないかしら。

2005年3月11日(金)  

雨。街を行く人達のコートが軽やかになって来ました。季節の変わり目の雨の日は必ず腰が痛み出し、気合を入れては立ち座りをしています。会員のAさんが近くを通る用があるからとお茶いっぱいだけの時間、立ち寄ってくれました。さりげなく13日の参加人数を心配してくれているのです。私の何倍も何倍も忙しい人なのに。感謝。もう大丈夫です。

 憲法第二章第九条;日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。A前項の目的を達する為、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 第三章第十三条;すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由、及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 そうよね。私には「戦争をしない国に生きる権利」がある。YWCAでその「戦争をしない国に生きる権利」というテーマで、訴訟の会弁護団の中谷弁護士の講演がありました。第二次大戦後、「平和」は人権になったのです。戦争は(戦争に加担する事も)、憲法に矛盾している、違反ジャン!と叫びたい時、私達には「抵抗権」や「違憲立法審査権」っていうのがあるんだって。それは正当に選ばれていない政府である時と、政府が権限を乱用した時に使えるって、ちゃんと憲法に保障されとるんだがね。

 なのに被告の国は、私達、原告が主張する平和的生存権は具体的権利として国民個々人に保障されたもんじゃないって言うんだよ!前文と9条と13条をよーーーーく読んでみやあ!否認するなら理由と根拠を並べてちょ!って話なのです。

 「人間は関係性の存在」という弁護士の説明が身に滲みました。外傷性逆転移の例としてナチスのホロコースト生存者と治療者。PTSD被害者と家族の例をひかれ、他人の体が危険に直面した時、治療者や家族も深刻な精神症状になる・・・これはもう現代の科学が証明している事で、私達はイラクで10万人もの一般市民が殺されてしまった、その殺した国を加担していると考えるだけで、胸がかきむしられるように辛いのです。平和に生きる権利を侵害されているよ、はっきりと。

 それを国際貢献だ、復興支援だって????「大東亜共栄」とどこが違うって言うの!? 福岡の靖国参拝の判決は、裁判官が遺書を懐に出されたものだそうですが、司法って、私達に「大丈夫だよ、守ってあげるから」って励ましてくれるものだと思っていたのに、私達が裁判官を「私達が後押ししますからね、勇気を出して判決を出してね!」ってはげまさなきゃいけないって、絶対変だよね。人間の良心は、そんなに脆い価値の低いものだろうか。

2005年3月12日(土)  

お疲れ様、私(笑い)。まーあ、汚い汚い。整理しても整理しても汚い。明日、総勢17人ほどのがま口塾昼食会。どーなることやら。でも、国会議員さんのようにワイセツ行為で逮捕はされてないもんね。汚くても法にはふれません。お客様が我慢すればすむ事です。

 私はお酒が一滴も飲めないので、「飲みに行く」「誘われる」という事がいっさいありません。(あ、今日、同窓会の仲間達から温泉への一泊旅行に誘われたけどビシバシ断わっちゃったなあ。嫌われるだろうなあ)。カラオケも日本では行った事なし。歌う事は好きだけど、人様の前では自信ないし。それで、掃除も好きでないし。私って、じーっと家にいて、何やって暮らしているんかなあ。
 
 本日はこれにておやすみなさい。

2005年3月13日(日)  

晴天!と思って、とっても嬉しかったのですが、午後からちょっと雪が降り出してあわてました。すぐ晴れましたけど、大急ぎで帰った皆さん足下は良かったかしら。

 本当に大勢の方が集まって下さいました。感謝の一言です。そりゃあ、狭い家に18人が押し込まれて、グチャグチャで食事するんですからね、色々行き届かない事ばかり。でも、皆が集金だの、お給仕だの、楽しく食べる事?など、手伝ってくれまして、無事終わる事ができました。ココナツのカレー、ココナツのプリン、ココナツのヨーグルト、何でもココナツ。おなかがすいたら、木からココナツやマンゴをとればいいのだそうです。Tシャツ一枚で暮らしていける幸せ。「幸せ」の定義を考えざるを得ない日でした。バンダーラさんの話は何か、あったかかったなあ。お鍋や食器や紅茶や炊飯器や、5歳のダイちゃんの玩具も持参でI市から走って来たのですから、本当に大変です。

 道具の会のNさんのビデオもやっぱり臨場感があって、1月に行ってらしたばかりですから、生々しかったです。観光地など、被災地でない所は全く大丈夫なのだそうです。気負わず、ニコニコと語って頂きました。 アッちゃんが結婚式の時に着た衣装や宝石など、民族衣装もたっぷり見せてもらって、「試着したい人?」に3人が元気に手を挙げました。好奇心の強い、生き生きとした人達。楽しい会でした。

 メガネって家の中にけっこう転がってますよね。度が合わなくなったものとか老眼鏡なんか。父の遺品が我が家にもいっぱいあります。それを供養してスリランカに送っているお寺(めがね弘法、大智院)の関係者も参加で、本当に不思議なご縁で皆繋がっているなあと思いました。バンダーラさんもずっと以前にメガネをたくさん届ける活動をしていたのです。

 そうそう、がま口塾の皆さんの募金がとても多くて、ボートが1隻買えるそうです。それでがま口塾で1つ、ボートの名前を考えてくださいと言われました。大募集します。いい名前を考えてくださーい!

2005年3月14日(月)  

夢中でテープ起こしをしていますが、いまいち馬力か豚力が出ません。よく電話がかかってくるのも面白いです。普段かけて来ない人が、こういう時をめがけてかけてくるんですよね。不思議なものです。私から御礼すべき所にはちっともご挨拶していません。お許しを。

 私の秘密の手紙はある市長さんに届きました!さてさてどんな展開になるか?体当たり人生、やけくそ人生、何とでも言うてくれーい!それにしても体力がついていかない昨今です。ずっと椅子に座ってパソコンばかりしていると、エコノミー症候群みたい?ガクガクとよたついて歩いています。全ては健康あっての事。いや、全てはテープ起こしと印刷が終わっての事。頑張る!

2005年3月15日(火)  

昨日は嬉しい事があって天国にいる気分でフワフワしていたのに、今日は一転、暗黒の日になってしまいました。上階で「ビフォーアフター」が始まったのです。

 ガガガガガガーッ!ゴリゴリゴリッ!ガンガンガン!が朝9時から始まりました。あの部屋、この部屋、台所にトイレに天井から降り注ぐ猛烈な攻撃!途中で電話がかかったのですが、受話器をとっても、相手の声が全く聞こえませんでした。大声で事情を話して切りました。

 全く終日続く空爆そのもので、午後3時についにパソコンと携帯電話をリュックに放り込んで、不二家レストランに逃走したのでした。あわれケーキに食事にと子豚の餌は増え続け、被害はシボウに至ったのであります。

 分かりました。人の苦しみは、その苦しみを味わった者でないと分からないという事が。イラクで空爆の恐怖に曝されていた人達の苦しみ。戦争のすべてがこんな恐怖にあるのだと。「人の痛みを知りなさい」なんて簡単に言えるものじゃないんだね。私もいっぱい、知らないうちに人を痛めつけてる。

2005年3月16日(水)  

印刷を終わって、テクテク帰る途中の川縁の公園でお弁当を食べました。室内空爆下の食事は避けたかったからなのですが。(結果としては今日は停戦でした)
 私がベンチに座ったら、途端に鳩達が寄って来ました。お弁当をくれと言います。中には嘴と嘴でかみ合い、つつきあって喧嘩する輩もいました。やっぱりこんな世界にも強弱がある。逃げても逃げても追っかけて苛めてた。

 朝、カーテンをあけて、向かいの桜の木を眺めます。しばし鳩やらカラスやら雀やらヒヨドリやらが遊んでいるのをニターッと眺める事も多くなってきました。春ですもんね。わざわざ折れそうに細い小枝につかまって揺ら揺ら揺れているのに、飛び立とうとしない奴は、何を考えてるのだろうと思っていたら、小枝のその又小枝を嘴で噛み切って口にくわえてサーッと飛んで行きました。巣を作ってるんだね。見上げたら、桜の木のテッペンにも、けっこう立派な巣が出来ていました。

 猫達もギャーギャー鳴いてます。恋の季節かあ。

 イラクの暫定国民議会が開会して、バグダッドの女性達が、スカーフもせず、宗教に縛られない政治を訴えている様子を報道していました。

 北京にいた時に親しかったマレーシアのアリヤはモスレムだから、いつもいつもスカーフをかぶっていた事を思い出します。旅行に一緒に行った時のホテルの部屋で、住んでいた北京の彼女の部屋に招かれて行った時に、彼女は真っ黒な長ーい黒髪を、腰までたらしていて、びっくりした事があります。「部屋の中ではしなくていいんだよ」って教えてくれました。小学校の時に、後ろの席の男の子が、彼女の髪を結ってしまって喧嘩したとか、面白い話ばかりする人でした。

 当たり前の事ですが、彼女は私がスカーフをしない事に対して、何も言いません。私も彼女がスカーフを夏の暑い日でもしている事を不思議に思いません。お互いに丸ごと受け止めあっていたからでしょう。人種、主義、宗教、主張を丸ごと受け止めるという事は本当に難しい。領土の主張のし合いで、日の丸を焼かれるシーンを見るのは、本当に苦痛です。日の丸は好きではないのですが、何故か悲しい。

2005年3月17日(木)  

 中小企業センターでハッサン・アリー・ハッサン・アボッドさんの講演会。38歳のイラク人。2001年から3年間岐阜大学に留学していました。戦後の6月に帰国。以後1年間中日新聞の特約特派員としてレポートを続けました。先月2月に再来日。24日、大阪地裁で、全国初の自衛隊撤退を求めた陳述を2時間にわたって行った方です。

 ただ「悲惨」が存在するのみの国情を切々と語り、とどのつまりは、日本とイラクの未来の良い関係のために、軍服を着た日本人には来てほしくない。そういう事でした。医療者と医療施設が全土にほしいという事。何もかも破壊され、滅茶苦茶で暴力的になっている国。イラクへ帰って不自由な生活は続くけれど、真実を伝えようとするメディアが全くない中で、新聞社を立ち上げて、できる限り、真実の報道をする仕事をしていきたいと「希望」を捨てないハッサンさんでした。どうかご無事で生き抜いてほしい。

 ジンネット便りが来ました。北朝鮮の公開銃殺のビデオ映像を入手したとの事で、きのう記者会見をしたそうです。ニュース会社が自社で記者会見を開くって、かなり珍しい事ではないのかな。本当におぞましい話です。

 暖かい感動的なニュースを聞きたい!

  

2005年3月19日(土)  

 昨日・・いや、日付が変わったので、一昨日かな?のハッサンさんの講演会のテープ起こしをやっつけました。別に誰に頼まれたわけでもないのにね。でも、イラクから生きてる人が危険をおかしてまで、脱出して日本に来て状況報告してくれたんですものね。貴重な講演会でした。読んでみたい方は、遠慮なく連絡して下さい。送信します。がま口塾便りと同じ位の量です。(A4、11ページ)

 やれやれと思って、訴訟の会の、7時からのスタッフ会議に駆けつけたら、即刻議事録をとる様、命じられました。10時近くまで会議をしてかえって又パソコンとにらめっこです。見学していただけのつもりがいつのまにかスタッフ。

 「世界がもし100人の村だったら」って本、ご存知ですよね。翻訳者、池田香代子さんが4月22日の口頭弁論で意見陳述します。その夜、YWCAで講演会です。新しい著書「えほん教育基本法」もちょうどその頃出版されるそうなので、ワクワク。皆さん、ぜひおいで下さい。

2005年3月19日(土)  

(その2)
栄、教育会館の「愛知万博を考える会」へ。「これでいいのか!愛・地球博」の講師は鎌田慧氏。その後の対談が、フリージャーナリストの前田栄作氏と週間金曜日の北村肇編集長と、「反愛知万博市民運動連合代表の影山健氏。愛知万博に反対する人々は、マンモスの供養大法会もやったんですね。

 何故私が出かけたか。もうじき国際放送局日本語部の同僚だったシエトンが我が家に1週間来るのですが、愛知万博を見たいと言うのです。「ジャーナリストとして、又、上海万博を控えている中国が取材すべきは、反対運動があることである!」と私は叫んで・・・いや、シエトンもぜひそういうものも勉強したいと冷静に答えましたので、関係者の方に、「お話を聞かせて下さい」と申し込んでいたのです。YOSHIの会のAさんも影山氏に連絡をとって下さり、訴訟の会のKさんも紹介して下さるとの事で、今日のイベントに参加したという訳です。

 Kさん、開会中に影山先生をロビーに連れ出して、私を紹介してくれました。恐縮至極でした。愛知教育大学名誉教授。万博反対を掲げて知事選を戦われ、善戦でした。レシピ「愛知万博の迷走と反対運動の歴史」を読むと、中国の諺が書いてありました。私がシエトンの事を話すと影山先生は「弄虚作○」(○の中は暇の偏が人偏の字で偽という意味)「労民傷財」と言う字を名刺に書いて、説明をされました。虚言を弄してごまかし、庶民を苦しめるという意味だそうです。シエトンに会って下さる約束をして貰いました。皆さんに感謝。

 今日の集会は栄のデモもありましたが、実は、同じ時間帯に憲法の朗読会の学習が入っていて、私は途中で芸術文化センターの12階へ走り、遅刻。何だかちょっと疲れた1日でした。お昼は訴訟の会はビラまきを近くでやっていたはず。万博がらみのイベントもシリーズ報道も目白押しですが、反対派も頑張ってアピールしているのです。でも、一向に報道して貰えないから、こういう超ミニコミでも、一寸の虫が書いているのです。
 

2005年3月20日(日)  

掃除・買い物・洗濯・ピースアクションでイラク戦争から2周年の抗議、栄のデモ。チャンヤン一家に迎えに来てもらって、一緒に帰宅。恐怖の母も招いて皆で食事。

 ヤンは7時半を過ぎたらソワソワ。北京、長春、延吉と毎日パソコンのカメラでディンディンを見せながら30分~1時間テレビ電話?やってるんですって。「帰らなくっちゃ!」って。信じられない時代になりました。

 お遊戯が色々出来るようになって、本当に可愛い可愛いディンディン。1歳半。お蔭様で病気もせず、スクスク育っています。日本語・英語・朝鮮語ごちゃ混ぜで、いっぱい遊びました。4月から保育園に通います。だって全部の言葉に反応するんです。中国語が影を潜めているのは、ちょっとアッパーが可哀そうだけど。

 恐怖の母はディンディンより80歳も年上で、家は「お風呂もコンロもオール電化です」といつも言います。それで色々声が出る電化製品にいちいち「はいはいと返事しとるがね」って言うので、若いヤンと姫ちゃんに爆笑されておりました。

 お昼に福岡で震度6と聞いてびっくり。すぐ会員のFさんに電話。「怖かったよー。今、逃げようとしとーとよ!」。他の友人達にも歌手にも電話したけど、もうつながりませんでした。元気でいてほしいと祈っています。

 そんな訳で、今日はやっぱり平和。何でもない1日が愛しいのでした。

2005年3月21日(月)  

朝早く、福岡のFさんから電話。昨日は逃げようとして車に乗り込んだ所へ私が電話をかけたとか。私が以前住んでいた辺りは香住ヶ丘という位だから高台です。(伊勢湾台風と安八の両方の水害にあっている私達は高台を選ぶ習慣)なのですが、海が近いので、津波を警戒して逃げようとしたそうです。美術をする彼女は「大事にしよったメジチの石膏像が落ちて割れたけん、残念だけど、皆無事でおるけんありがたか。いざという時って何もしきらんとよ。やっとこ財布持ってウロウロするだけやったとよ」。

 歌手に電話。ほとんど被害はなく、無事でしたが、地震の直前から携帯が繋がらなくなって、今も繋がらないのですが、地震の前にそうなったのを不思議がっていました。

 Gさんに電話。こちらも無事で、「なーもなかけん安心して。ニュースはひどいとこばっか写しよるけんね。屋根瓦がずれたけん、青いシート被せたぐらいよ。ナフコはシートが飛ぶように売れてて品切れったい。姉は地下鉄に乗ってて、電車が止まってしまって、震度4位に感じたって。でも天神について6って知ってびっくりしたって。皆が道路に出てて、どんたくより人出が多かったって言うとんしゃった」。博多人らしい表現で、まあ、これにもホッとしたのですが。被害にあわれた皆様にお見舞い申し上げます。

 眠くて眠くて眠い。聞きたい講演会もあったけれど、自粛。家で勉強しました。訴訟の会で、いつも献身的に活動されているNさんが、高校の社会科教師を退職された記念に纏められた冊子を、最後の一冊という貴重品なので、カバーを作って心して拝読。生徒達に教科書の補助のように発行し続けた通信から選んで纏められたものです。
 平和の為に努力した世界史の人々、日本軍を含めた人間の残虐の歴史が先生の感性を通して書き尽くされていました。最後のページに長野県の上田市にある「無言館」の事が書かれてあったのですが、私は、亡くなった画家の卵達が無言であるという意味だと思い込んでいました。「見終えた者が事実の重さに無言になると思い至った」とNさんは書かれていました。『真摯な授業をされた先生だったのだなあ』と静かに読み終えました。

2005年3月22日(火)  

 ミネソタの高校で銃乱射事件。コロラドの事件を大方の人がすぐ思い出した事と思います。尊厳死をめぐって宗教右派が「命は大切だ」というのにブッシュが加担。死刑制度を支持し、イラク戦争を支持する矛盾。アメリカは大きな国だという妄想はもたない事です。どんな国も、小さな人間の寄り添う悩める国だと思います。

 テレビ局の「ホりエモン」報道で、堀江社長が銃をもって、狙い撃ちをしている写真がよく使われているので、私は気持ち悪くてしかたなく、又、子供たちがカッコイイと、知らず知らず、インプットされていくのではと心配で、テレビ局に抗議のメールを入れてあるのですが、今日も又使われていたし、何の回答もありません。

 信じられないことですが、10年前、頭にピストルを突きつけているロゴのカバンや傘や文房具が売られていた事がありました。八事のジャスコのカバン屋さんで見た時、私は怒り心頭に発して、すぐさま「店長を出しなさい」と詰め寄りました。私達や連携したアメリカ人たちとの抗議行動で、アメリカのその発売元のビッチという会社はロゴを破棄しました。つまり会社はなくなったのです。

 些細な事、と見過ごす事が悲劇を生んでいくと思うのです。そうそう、珍しく怒ったついでに。マラッカ海峡の拉致事件で、拉致されたのは3人なのに、写真は日本人2人にして、外国人船員はカット。嫌ってる。安否がまだ確認されない時のテレビニュースのテロップも「日本人2人の消息は不明」とか出てて、何かとっても不愉快に感じていたのでした。一緒の船で一緒に仕事をしていた仲間でしょうに!これも些細な事だからいいのでしょうか。日本人さえ無事ならいいのでしょうか。私はこういう事の積み重ねが、「命」の意識に影響を与えずにおかないと信じています。

 ミネソタの子はどんな風に育った子だったのでしょう。銃がピザを注文するように、通信販売で自宅まで届けられる国。こんな国がイラクで大量の殺人をしています。かき集められた州兵たちは怖いから撃つのです。やみくもに撃ってしまうのです。銃社会の構造が、そのまま戦争になっていると私は思ってしまいます。

2005年3月23日(水)  

 「燕の中国便り」更新。今回は両会レポートです。日本ではあまり「両会」という言い方はしないのだけど、政治協商会議と人民代表大会。双方3000人ずつの議員が集う、1年の最大の国家行事で、毎年、3月は局内が何となく緊張した感じになってたなあ。私の背中に座席があった、大先輩の李さんは、政治協商会議の議員さんで、こんな時期は「あ、テレビに写ってるう〜」って感じでした。文人で博識、ハンサムで優しく親切で、素敵な方。「北京は50万年の歴史があるんですよ」が、李さんの口癖。もっともっと北京で私は勉強すべきだったと思います。

 局の庭(とにかく広い!)に日本のリスナーから贈られた桜が何本か植えてあります。毎年成長していて、日本語部の皆は、つぼみの頃から、本当に楽しみに眺めています。

 燕ちゃんに雲南の取材に一緒に来ないかと(冗談かリップサービスかも知れないけど)言われて、手帳を何度眺めても行けそうに無く、(チラチラ財布も頭をよぎりまして)悲しくて、今日は妙に北京に郷愁を感じています。

 ああ、旅に出たい! そう言えば、全国弁護団一行8人は明後日アンマンに出発します。先週、池住さんやU弁護士に「ご無事を祈っています」って言ったら「日本の皆さんこそ」と言われました。万博が開幕するからです・・・。

2005年3月24日(木)  

 BSでフランスのニュースを見ていたら、「名古屋で万博が開かれる」とアナウンスしたので興味津々で目と耳を集中しました。

 「ルイビトンがパリより高い値段でよく売れる。フランス語の看板の店が多いが、市民でその意味が分かる者はいない。オリンピックを北京にとられたので、どうにか勝ち取った万博」エトセトラ、言いたい放題の感あり。失礼な奴ちゃ!でもなあ・・・なんとなく笑っちゃうんだなあ。フランス人の痛烈さ。当たってるもん。

 影山先生のお宅に電話をしたら、万博会場との事。テレビを見ていても、反対派の活動なんかチラリとも写りません。昨日メーテレが、会場の為に森を破壊され、自分の農地がつぶされ、アイデンティティの喪失感を訥々と語っていた人を鈴木元知事の回顧談義と対比で放送してたけど。
 夜、影山先生から電話を戴いて取材の打ち合わせ。中国が第2の故郷だとおっしゃって、留学生の面倒をよく見ていらっしゃるようです。女子マラソン監督の竹内先生の教え子である事を告げたらびっくりされていました。影山先生の電話の最後の言葉は笑みを含んだ「再見!」でした。そういえば、竹内先生が北京へいらっしゃった時、局のスタジオでインタビューしたのはシエトンだったわ!

 そして竹内先生を車で局まで送って来て下さった担当通訳の方が、偶然、陳真さんの姪御さんだったことを思い出しました。「伯母は何とか頑張っています」等と、会話を交わしたことをはっきり覚えています。

 訴訟の会のNさんが貸してくださった野田正彰著「陳真」を読了。「激動の時代を生き抜いた中国人女性の物語」と帯にあります。まさに。それ以上言えない人生。先日手紙の整理をしていたら、陳真先生が北京から下さった直筆の手紙が出てきて、粗末にしていたのでヒヤリとしました。ご自宅を訪ねた時に撮ってくださった写真が同封されていたもの。病魔に冒されながらも本当に気丈に誠意を尽くしてくださったのだと、改めて壮絶な人生から、多くのものを学びました。

2005年3月25日(金)  

  玄関のドアクローザーが壊れて久しい。ホームセンターで、ちゃんと計測してもらって、絶対大丈夫というのを買ってきたのですが(8500円!)、頑張ってもできなくて、工務店にSOSしました。「餅は餅屋です」と笑われ、餅屋がすぐ出来ますと胸を張ったのに、発注した工場が火事になり、特別に外注したのがようやく今日届いて、新しいクローザーがつきました。22000円だから、前のを合わせると3万円以上の代物をしみじみ眺めおります。

 先日の我が家の空爆で電話の声が聞き取れなかったのは、この工務店の営業の方からの電話でした。それで「あれはどういう機械ですか?」と質問。生まれて初めての日本語を知る事となり、感動しています。「はつり機」と言うんですって。

 昔の大工さんが、鉞(まさかり)、斧(よき)、手斧(ちょうな)などを足元に向けて振り降ろして木を削ったりするような仕事を「はつり」仕事と言い、現在「はつり屋」さんと呼ばれる人は、コンクリートを、タガネやハンマ−や電動叉はエアーを使った「はつり機」で削ぎ落とす仕事の人。

 丸太を「はつって」八角にするとかって日本語があったのだ!そのはつった丸太の「はつり肌」が魅力的とかって言うんだね。はつっていたのは木挽きさん。民謡の「木挽き歌」の主役です。ついでに「まなぐ」という日本語も知りましたが、そんな言葉を使う人はほとんどないかもしれません。木挽きさんがいなくなった近頃では、大工さんは電動はつり機を使って「はつって」いるわけです。

 本日も時折上階は「はつって」いるので、気晴らしに名古屋大学まで散歩。豊田講堂で卒業式をやっていました。大学をぬけて学生センターで、1人で原告募集資料をセットするボランティアをして、帰りは地下鉄。脂肪を「まなぐ」のは大変難しい。

2005年3月27日(日)  

(昨日土曜日)

岐阜に「女あそびの会」という読書会あり。上野千鶴子さんの著書「女遊び」からとった名前で、4年前から彼女の著書を読み進め、昨年末に「当事者主権」(中西正司・上野千鶴子著)岩波新書を読み終えたそうです。同じタイトルの講演会が企画され、私は純粋に客として申し込んだのですが、録音係りがいないという事で、臨時スタッフ?を仰せつかりました。主催者以外録音禁止。テープ起こしも禁止。失敗は絶対許されないのです。緊張して、金曜日の夜から録音できなかった夢まで見る始末。結果は無事に出来ましてホッ。

 JR岐阜駅にある会場、ハートフルスクエアを出られる時に、世話人のみどりさんが、上野さんにスタッフ一人一人を、パパパッと紹介してくれました。私、ここぞとばかりに自分の苗字を勝手に長くして「カイラスに行きたい坂東です!」と大きな声で言いました。嬉しかった!!
それがどうしたと言われればそれまでなんだけど、上野さんは、東大大学院人文社会系研究科の教授で、小柄でほっそりとした方たけど、実はスポーツウーマン。色川大吉の「雲表の国チベット踏査行」を読んだ時に、同行されている事を知ったのです。カイラスの学術調査隊、とりわけ色川氏は生死をかけるほどの大変な苦労をするのだけど、、隊員の中で彼女1人だけ、健康に何の問題もなく、4500メートル級の峠を巡るカイラス巡礼をスイスイとされたとのこと。心身ともに屈強な方なんだなあ。

 「当事者主権ー私のことは私が決める」が講演テーマ。「当事者主権」は上野さんの造語。とても分かりやすい説明をいっぱい聞きました。例えば、車椅子の障害者が付き添いといっしょに電車に乗ろうとする。駅員は「どこへ行かれますか?」と付き添いの人に尋ねます。これ、おかしいですよね。電車に乗って出かける人は車椅子に乗っている人。当事者は障害者であって、彼がサービスを受けるニーズの主体。付き添いの人に聞くのはやっぱりまずい。屈辱、怒りの感情がムクムク起きますよねえ。私も間違いをやらかしそう。

 「人に迷惑をかけないように」は「人に関わるな」というメッセージを出している事。「迷惑を受け入れてくれるような友達を、できるだけ増やせるような人になること」の方が豊かな生き方ができるという事。関係を受け入れるのが友情、愛情、配慮。
 
 「私は人に迷惑をかけずに生きてきた」と豪語する人は貧しい人かもしれない。とっくに、迷惑をかけてきたかもしれないのに、迷惑をかけたという自覚がないのかも。加害者という名の当事者になるのが、世の中で一番難しいのだそうです。

 人の助けを調達できる権利と能力を「自立」という。なるほどなあと思ったのでした。私は助けられてる助けられてる。自信を持って言えるので、経済的に自立していないのを嘆いてばかりいたけど、ちょっと救われました。

(本日日曜日)

かくて夫の助けを調達できる能力に優れている私は、助けてもやらねばならないと、別宅の掃除と洗濯に精を出したのでした。たまたま講演会場の近くに別宅があるので、宿泊したともいえるけんど。

2005年3月28日(月)  

 先日、ジンネット便りを貰いました。ぜひ見てみたいと思っているのですが。こういう報道が大きなうねりになりますように。

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 ◆4月3日(日)TBS「報道特集」(午後5時半〜)
「軍閥を武装解除せよ―アフガン復興を支える日本人」
取材はジン・ネットの後藤秀典と秋山英樹。

 ▼北朝鮮公開処刑映像の反響

 APTNから配信された映像が先週末に世界各国で流れたあと、反響はさらに広がっています。国内だけでなく、「ニューヨークタイムズ」(21日に記事)、ドイツ通信社、ドイツとデンマークのラジオ局など、多くの海外メディアがジン・ネットを取材しました。

また、海外のNGOからの問い合わせが多数あり、北朝鮮の人権状況への関心を高めるために映像を提供してほしいと要求してきました。ジン・ネットはこの声に応えるべく、日本のNPO「北朝鮮難民救援基金」に協力して急遽、英語版DVDの制作に取り掛かりました。英語のテロップとナレーションつきで13分弱に編集されたDVDは、徹夜作業のなか24日に完成し、きょう25日午後、「基金」にお渡ししました。

「基金」によれば、DVDはすぐにジュネーブに運ばれ、いま開かれている国連人権委員会で30日に上映会が開かれるとのことです。拉致問題も北朝鮮の人権問題の一つです。ジン・ネットは、この映像が、人権問題で北朝鮮を追い詰めることに貢献できればと期待しています。
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2005年3月29日(火)  

『シエトンが来るから家の片づけをしなくっちゃ』って思った。可笑しいです。だって、この前パーティの為に一生懸命やったはずなのにね。基本的に片付いてないってことなんだがね。鏡台の前に来たら、イヤリングやネックレスの玩具みたいなものばかりが、ゴッチャゴチャになっていたので、座り込んだら、そのまま1日整理にかかってしまいました。片方だけになってしまったイヤリングをネックレスのチェーンに通してペンダントにしたり、安全ピンにくっつけてブローチにしたり、間違えて買ったピアスをイヤリングにしたり、ペンチや瞬間接着剤を使っているうちに指がガサガサにくっついて。やれやれ。

 アメリカ政府がパキスタンへのF16戦闘機売却を認可したそうです。印パのような緊張地域の一方の国へ武器を売却する事が、地域の安全保障上、「緊張を和らげる」ことになるんですって!「理屈と膏薬は後からくっつく」って、上野さんも言ってらしたっけ。

 そうそう講演会でがま口塾のOさんに会ったんです。彼女、私を見てビョンピョン飛び跳ねて「今朝、プランターの紫金草の花が咲いたんだよー! 出版記念会の時にもらった種の!」って報告してくれました。別宅の近くの畑にも咲き始めていました。桜より嬉しい紫花便り。武器なんか売らんで、花の種をまけや!

又スマトラ沖大地震。ニアス島で、死者300人以上とか。玄海島もそうですが、破壊された映像ばかり見ていると虚しさに襲われ、人の死の数にも麻痺してしまいそう。現地の人達。元気はどうやったら出せるんでしょう。

2005年3月30日(水)  

 サッカーのニュースばっかり。バーレーンに勝っても選手はインタビューでニコリともしないですねえ。どうしてかなあ。スポーツって楽しい事じゃないのかなあ。

 上階、夜中の10時になっても電動工具のゴリゴリゴリ〜〜〜〜^^^^[[[///〜〜^。テレビは聞こえないし、やっぱり思考力低下。不思議な事に、怒りの感情はわいてきません。若い人達がこんな時間まで必死に働いている。夜、『せめて9時すぎたら、ちょっと挨拶においでよ』とふと、言いたくなる程度。でも、我慢我慢。私がヤクザだったら、もう今頃映画並みのシーンが繰り広けられているかもね。階下が温厚な住人でラッキーであるぞよ。

 10時40分、やっと引き上げて行きました。上階には若いご夫婦が入居されるとか。引越しシーズン。日本中で別れや出会い、寂しさや不安や期待がサッカーボールのようにあっち行きこっち行きしている季節。

2005年3月31日(木)  

(その@)

 昨夜はやっぱりちっとも眠れず苦しみました。北京で階下の部屋でパーティをやっていた時の騒音を思い出してしまったのです。

 北京に住む私たち外国人専門家は皆、友誼賓館という歴史的なホテルに住んでいました。真下の部屋のメキシコのエンゼル君が帰国する時、お別れパーティを深夜までして、それが又すごい!ビール瓶をゴロゴロ転がし、壁をたたき、レコードがんがんで踊りまくる。頭にきて、私の隣の部屋のブラジルのギー君に相談の電話しても不在。何だ!彼も一緒に騒いでるんだ!

 中南米の人達の陽気さは日本人から見ると、度が外れているのです。深夜、私は怒って「警察を呼ぶぞー!」って階下に電話をしたのでした。その後しばらく私のあだ名は「ポリス」。いい人達でした。皆どうしてるかなあ。懐かしい。

 千葉の会員さんから、やっぱり紫金草が咲いたという連絡がありました。感動!大切に育てて下さっている皆さん、有難う!世界に広まれピースフラワー!北京で紫金草合唱団とまのあけみコンサートをやった時、ブラジルのギーは恋人とちゃんと来てくれたし、(やっぱり一緒に騒いでいた)インドのビノルドは大切なボンゴを貸してくれたし、受付にも座ってくれました。世界は仲良くできる。

 ヨルダンから第一報の記事が入りました。

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 29日付のイスラム・メモがサウジアラビアのアッリヤード紙から引いて報じた。

 26日にヨルダンのアンマンに到着した日本人弁護団は、イラクに対する戦争に反
対しサマーワからの日本軍撤退を訴える日本の組織に所属している。27日夜ISN
ADのメンバーと会談の席で同弁護団のまとめ役、イコグミ(エコグメ?)氏は、
「我々はサマーワの日本軍駐留は違憲であるから反対している日本の弁護士の組織を
代表している。この組織は違法な米英のイラク占領を終結し撤退するよう両国に訴え
るデモを数多く組織してきた」と語った。

 彼は、「国際機関や民間機関、NGOの代表たちに会い、イラク占領に対する彼ら
の考えを聞く」と付け加えた。

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 イケズミさんが、イコグミさんになっちゃってるけど、とにかく無事に活動されている様子。もっとも明日はもう帰国の予定ですが。最後まで安全でありますように!

2005年3月31日(木)  

そのA

 シエトンが来ました。紫金草の写真を入れ替えたいのですが、時間がありません。明後日まで待ってください。千葉の会員さん、名古屋のふーちゃんち、皆さんの家に咲き始めたとか!嬉しいでーす。今日シエトンと名古屋城に行ったのですが、まだ桜は咲いていませんでした。でもNHKは名古屋は今日桜が咲いたって言ってます。明日はいっちんち万博。では早くねまーす。

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Akiary v.0.51