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2005年4月1日(金)  

2人で朝5時起床。6時過ぎに出発して、7時30分には万博のゲートに並んでいました。帰宅は夜10時30分。シエトンは身長168p。私は?????。シエトンが坂東は足が速すぎると言ってました。どういうことでしょうか?なかなかの名コンビでした。土産話はぼちぼちしまっさ。本日はおやすみなさい。

2005年4月2日(土)  

ちらし寿司弁当を作って御幸山公園で昼食。桜が2〜3ヶ?って言うのかな?開花していました。まだ花見ではなく、花よりおしゃべりの2人。

 地下鉄で名古屋大学へ行き、豊田講堂などブラブラしてから学生センターでの訴訟の会のスタッフ会議出席。シエトンと私は親子に間違えられましたが、最後に種明かし。皆がシエトンの会議の感想を興味深く聞いてくれました。こんな日本人達がいるってこと、シエトンにとってもとても興味深かったようです。(3時間以上にながーい会議でした!)

 ヨルダンから帰った池住さんとU弁護士の簡単な報告が驚きの内容。現地で自衛隊のやっていること、何故オランダ軍が撤退したのか、などなど、心痛むものがありました。10
日の報告会(YWCA)にぜひ大勢の方に来てほしいです。

 私を母親だと勘違いしているU弁護士、娘?のシエトンと一緒に帰宅。わが家族と合流して、お好み焼き夕食になりました。その後、延々10時半まで、皆でおしゃべり。政治的な事もかなり突っ込んで話して、楽しいひと時でした。でもみんなの母親になるのも、色々忙しいです。

2005年4月3日(日)  

本日はお喋りと、徳川園と徳川美術館見学。大須観音と、界隈の散策。 

2005年4月4日(月)  

 東岡崎に9時50分着。影山先生に車でわざわざ迎えに来て頂いて、ご自宅で取材させていただきました。話が弾んで、お昼までおじゃましてしまい、ついに美味しい味噌煮込みうどんをたべさせてあげたいと言われて、お店でご夫妻と私たちの4人の楽しい昼食になりました。全く気どらず、えばらない、本当に優しい先生です。

 現知事、神田真秋氏約135万3千票、反万博市民運動の影山健氏は約79万6千票。私もシエトンもその頃は北京にいましたので、直接の熱戦は知りませんが、堂々の知事選だったのです。何故反対なのか、オリンピックはどうあるべきか、スポーツ社会学について、次から次へと降り注ぐ先生の暖かい眼差しの講義。素晴らしいひと時でした。

 ご夫妻に岡崎公園まで送っていただいて、岡崎城の散策と、桜祭りの賑やかな屋台を楽しみ・・・ずーっとずーっと、シエトンと北京オリンピックや上海万博のあるべき姿を語り合いました。

 帰宅後、絵本「100万回生きたねこ」と「世界がもしも100人の村だったら」をシエトンに見せたら大感激。ついでに朗読の録音までさせられてしまいました。いっぱいいっぱい話しまくっています。

 明日は又忙しいです。

2005年4月5日(火)  

朝7時30分出発。8時50分津島着。吉祥寺のHさん宅でお抹茶とお花見団子を戴く。築400年のお寺は、まもなくアメリカ人のジェフェリさん(ビフォーアフターに出ていた京都在住の建築家)によって改築されます。その古いお寺のたたずまいにシエトンは大感激。

 それで地元のケーブルテレビにも吉祥寺は取材を受けることになっているのですが、そこに東音研のHさんが去年から就職していて、シエトンのCATV見学の希望をきいてお願いしてOKが出て、津島の用件が偶然重なったので、吉祥寺のHさんも一緒に見学に行きました。(というより完璧にアッシーにしてしまい・・・)・・・たらば、逆にシエトンは取材を受けて、カメラを回されてしまいました。

 岐阜へ飛んで、岐阜放送の仲間達と昼食。懐かしい懐かしい皆といっぱい会いました。Sアナ、Tアナ、Kアナ、Iアナ、フリーのTアナ、その友達のUさん(がまの会員さんでもあり)まで来て大騒ぎ。4月の番組改編で皆死にそうな忙しさの中、案内してくれました。

 その後はUさんが車でお花見に連れまわしてくれまして、金華山のドライブウェイで岐阜城と長良川の景色を堪能。まだ足りずに各務原市まで延長して、冬ソナ名所まで連れて行ってくれました。「雪だるまが必要な方はは事務所にお申し出ください」の看板が出ていて笑いました。とにかくスーパーウーマンのUさん、四捨五入すれば70歳の若さで、漫才、演劇、剣舞、朗読、書道、ありとあらゆる事をする方で、運転しながら李白の詩まで吟じてくれて、思わずシエトンは録音していました。お腹がねじれるほど笑いっぱなしでした。

 それから名鉄線犬山回りで、私の実家?の犬山城を見せながら、名古屋の東別院に6時40分頃、滑り込んで、東海音声表現研究会に出席。その後の二次会の食事会も出席して、帰宅は11時。ふーっ!シエトン、よく頑張ったね!どこへ行っても、自然な日本語に、皆びっくりしていました。シエトンも、素敵な人達ばかりに会えたと言って感動してくれました。

 正直今日は体力の限界。でも、気持ちのいい疲れです。助けてくださった皆さん、本当にありがとうございました!明日、いよいよお別れ。名古屋駅でまだ会う人が1人います。頑張るぞ。

2005年4月6日(水)  

シエトン東京へ帰るの巻。朝、私の大好きな散歩道を歩いて八事まで出るつもりが、家のベランダからの桜の眺めにキャッキャと騒いでいるうちに時間が経ってしまい、あわてて塩釜口へ。カナダから帰国中のTさんの都合で、本日しか時間がなく、シエトンも一緒にツインタワー12階の日本料理店で3人で昼食。Tさんは万博には、又全く違う立場の方で、メディアコミュニケーションを学んでいるシエトンには、それなりに意味があったと思っています。12時04分発の「のぞみ」に間に合わすべく食事をせかせ、シエトンをユッサユッサと改札口へ走らせてしまいました。ごめんね、シエトン。

 お喋りお喋り。帰宅して放心状態です。喋り続けた1週間だったもんね!TさんはTV朝日Tアナのお母さん。昨夜は報道ステーションで知多の殺人事件をレポート。帰国のつかの間、取材に近くに来ていても、なかなか忙しい息子さんに会えません。お連れ合いも、今回は1ヵ月に2回カナダと日本を往復というすさまじい忙しさ。私もシエトンもこの1週間、ほとんど余裕がなかったのですが、スケールがちょっと小さいかあ・・・。昨日もテレビは見ていません。痛ましい事件があったのですね。

 シエトンは、この1週間の日本の人々との出会いを、本当に貴重なものに思ってくれました。最初の日に芸術文化センターのアートスペースで開かれていたYOSHITAKA希望基金の展覧会に行ったのですが、医学生だった青年が山で遭難死した事を無駄にしたくないと、ご家族が、青年の遺志であったアジアの保健医療や教育の貢献を懸命に10年間にわたって続けてこられた事など(中国にも小学校が建ったり、奨学金を贈ったりしています)をはじめ、色々な、小さな市民の活動に感動してくれました。

 私たちのお喋りの結果、がま口塾のホームページに「ドンドンの出会い筆記」というコーナーを作る事になりました。王小燕さんに続く謝東さんのコラムです。彼女は、出会った人達との何気ないコミュニケーションを大切に、自分が感じた事を綴ってみたいと言っています。帰京して落ち着いたら、第一筆を送信してくれると思います。お楽しみに。そして、それをふれ合って下さった皆さんへの感謝としたいと思っています。

 この一週間にお世話になった皆様、応援してくださった皆様、本当に有難うございました。 

2005年4月7日(木)  

お向かいの桜が満開!これが散る時好き。皆さんから続々と紫金草の便りをいただき、桜の淡いピンクを見ながらも、私の心は紫に煙っています。2つ紹介!2人とも会員さんです。

@「舐めるように草をとってくださるお姑さまの目をのがれた種が、何とこの度開花!」
A「無事手術も終わり3月31日退院しました。帰宅したら紫花だいこんが咲いていました。すごく優しい紫色で感激しています。植物の命は本当に確かなものですね。花の種をまいたことって、私の人生の中で小学生の頃の朝顔以来のような気がします。だから、芽が出て花が咲いてくれたことが、何か嬉しくて・・・」

 花の力ってすごい。種の力はすごい。そう言えば、犬山から来た○○さんの孫(私の祖祖母)の名は「たね」さんでしたっけ。たねさんは偉い!

2005年4月8日(金)  

バチカンのローマ法王のお葬式をBSのイギリスの中継で見ました。「声」で弔い御霊を慰めるのだなあとしみじみ思ったのでした。言葉、歌。声明みたいだなあ。

 声明は、低い音から宮・商・角・徴・羽の5つの音があり、それらがさらに3オクターブに分かれるそうです。これは歌だし言葉。祈り、念じる。朗読も結局は「祈る」「念じる」行為かもしれません。あんなに大勢の国家元首や市民が集えるのに、どうして 人を殺す戦争が平気で出来るのかしら。

 「陳真 戦争と平和の旅路」について、疑問点が2ヶ所あったので、岩波書店、野田正彰氏宛てに手紙を出しておいたら、3月31日づけで、作家ご本人から封書の返答が来てびっくり!「今となっては問い合わせる手立てがありません」という部分がグッときました。命が細くなっていく時に、その人の人生の本の完成が太くなっていくという壮絶な状況の中で出版された本だったんだもの。今度は野田氏の自宅に葉書を出しました。

 人は死ぬ。

2005年4月9日(土)  

人生で色々失敗しているけど、今回は度外れて失敗した模様。桜が満開なのに激しく落ち込んでいます。訴訟の会のスタッフのメーリングリストに入れて戴いたのですが、勘違いして個人メールをノーテンキに送信してしまい、おまけに重い写真をご丁寧に2枚も送って・・・。超多忙の弁護士さんたちやスタッフの皆さんを呆れさせ、怒らせ、迷惑をかけた事でしょう。許してくださいと言う勇気もなくショゲています。人を殺していないだけましぐらい。

 今日は5月1日の朗読のための勉強会で栄のアートスペース。元気を出さなくっちゃ。明後日の日曜日13:30~16:30、栄のYWCAでイラク調査団の報告会があります。スタッフということで、とうとう司会をすることになってしまっています。今の心境では恥ずかしくて恥ずかしくて、とても皆の前に顔が出せないのですが・・・。

 行事の多い季節ですね。でも、もし時間がありましたら、お花見のついででもお立ち寄りください。参加費は500円です。がま口塾の皆さんから、続々出席の連絡を戴き、とっても嬉しく思っています。22日は裁判の後、「地球がもし100人の村なら」の池田香代子さんの講演会が、夜、同じYWCAであります。懸命に手紙を書いたり、メールをしたりしてお誘いしています。ローマ法王も爆撃で死んでいく罪のない市民も子供も命は等価なのにと思うと、昨日は悲しくてたまりませんでした。

 失敗ばかりのアホちゃんですが、心をこめて戦争のない、戦争に加担しない日本でありますようにと、できないなりにできることをしようと頑張っています。

2005年4月10日(日)  

イラク調査団報告会。YWCAで無事終了。ぼけっとしつつも、司会も何とか勤めることができました。何はともあれ、私が勇気を出して電話をかけたり、FAXやメールを送った人は、用のある方を除いてほとんど参加して下さって、感動!感謝! 本当に有難かったです。今数えるだけでも、10本の指では数えられません。努力はするものだと、しみじみ思いました。
 
 吹田市からいらした「イラクの子供を救う会」の西谷さんが報告された映像や大阪弁の話は迫力がありました。
 腕がなくなっている人、子供が誘拐して殺された人、そういう人達、生死をかけて平和を訴えている人達に対して、民主主義で自由な国に住んでいるはずの私達は、いったい何をむさぼっているのか・・・。自衛隊が安全であるために途方もない金額を部族長たちに配っていること、それが更にイラクの人達の誇りを傷つけていること。オランダ軍が撤退したのは劣化ウラン弾の問題であるようであること・・・。弁護士さんからの次から次への報告にグサリグサリと胸が刺されます。

 少々疲れて家へ帰ったら、7時のニュースが北京のデモの様子を伝えていました。がっくり。愛用の紫金草のフェルトのブローチを今日はつけていたのに・・・。哀しい。燕ちゃんが昨日レポートを送ってくれたので、早速アップしました。燕、こんなこと書いてる余裕なんてまったくないのに、それでも書いてしまったというレポートです。

2005年4月11日(月)  

 関東地区の皆様、地震のお見舞いを申し上げます。びっくりされたことでしょうね。東京に帰ったシエトンも、10月に日本に来てから3回目の地震でもう慣れてしまったというのですが、慣れた頃が怖いので、余震にもくれぐれも気をつけてほしいです。

 中国のニュースに一日中落ち着きませんでした。燕ちゃんが北京大学に留学している学生さんの心境を綴ったメールを転送してくれましたが、最後の部分

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17日に町村外相が訪中しますね。どんな措置をとるのかじっくり考察したいと思い
ます。北京大学内でも、全ての門で検問が行われたり、、日本に関する一切の言動の自由を抑えるなど、学内でのデモ抑制に慎重です。授業が始まる今日からが本当の正念場だと思っています。僕にとっても、今後の日中関係、東アジアの協力体制、日本のあるべき姿などを考える貴重な機会です。踏ん張ります!

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に『頑張って!』とエールを送りたくなりました。日系企業にいる日本人、中国人の友人、知人、教え子たちの顔が頭の中をグルグルめぐり心配でなりません。皆気をつけてね。シエトンも、先ごろ2年間の東京支局特派員を終えて中国に帰ったランちゃんも、とても心配してくれているようです。

 いずれにしても非暴力であるべき。これだけははっきり言えます。国家としての品格はお互いに貶めあっていいはずがありません。生まれるものは何もありません。

2005年4月12日(火)  

恐怖の母と万博。シニアの入場券を孫に4枚もプレゼントしてもらって、とりあえずは娘をせっつくわけで。83歳と塩釜口で、朝6時50分に待ち合わせ。帰宅は夜の7時ですから、恐怖と言うより驚異です。まあまあ良い子でいてくれますが、見ず知らずの会場の民族衣装のお嬢さんに、私のことを「この子」と表現するのはやめてほしい。国の名前が覚えられないのはいいとして、民族衣装のアルバイトの子を皆その国の人と思うのはやめてほしい。

 は、冗談として。往復の地下鉄やリニモの中で、若い人がまったく83歳に席を譲らないのにはびっくりしました。優先席に座っていた高校生の男子2人、優先席の目の前に立っているお婆さんに、知らん顔なのには本当に驚きました。まあ、母がそれほど元気に見えたという視点に立ってもいいけれど。

 北京の友人Tさん(青年男性)からは全く別の視点からの便りが来ました。四方八方から考えてみようと思っています。

2005年4月13日(水)  

 今朝、ダラダラと布団の中に転がっている間に電話が鳴りました。友人のSさんからで、息子さんが今日から上海に出張なので心配・・・というもの。一般的な感覚ではそう思い、思っても出張をとめることもできず・・・そんな家族も多いんだろうなと思った次第です。北京のYさんからもメールは来て、皆日本の報道や日本政府の態度に厳しい意見です。昨日のTさんからのメールの内容も、煎じ詰めれば、

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坂東さんの所の「つばめ便り」にも書いてありましたが、本当に、平和な日本の中にいては、隣国の人の感情なんて、なかなか理解できないものです。今日の北京も、とっても穏やかな気持ちの良い春の一日です。是非また遊びに来てください。怖くなんかないっすよ。

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 というもので、日本の人達がもっと真剣に中国の怒りや痛みに向き合うべきだというメッセージでした。日本のメディアは、常任理事国入り反対、教科書問題、尖閣諸島問題、靖国参拝であることは認知、報道しているけれど、だから日本人はどうしようというところがまったくぬけていると私は思います。

 私自身は五月蝿いぐらい、マスコミにも周りの人達にも、公の場でも、中国に対して考えていることを伝えているのですが、まだまだです。日本人の代表が小泉さんですから・・・。私は微弱な存在ですが、これからも双方の国が理解しあえるように努力し、発信していきたいと思います。中国にも日本にも、私の大切な日本人・中国人の友人が大勢いますもん。

2005年4月14日(木)  

小さな女の子が坂道を爪先立ちで登って来ました。桜の花びらを踏みたくなかったのでしょう。見上げれば天辺の鳥の巣にも桜吹雪。平和そのものの御幸山でした。

 シエトンから筆記(日記)の第1稿が届きました。書きたいことがいっぱいありすぎて絞込みが大変だったようです。一生懸命書いたシエトンにまずは拍手。写真をつけて、明日アップしようと思っています。「今日も、会館の外で右翼の放送が煩かった」とシエトン。あーあ。中国からの留学生が多い寮だと知って右翼が嫌がらせをしているのです。ごめんね、シエトン。大多数の中国人も日本人も喧嘩なんかしたいと思っていないのに。

 何が報道され、何が報道されないか。本当に重要な問題です。イラク調査団の報告では毎日イラクでは平均100人が死亡しているとのこと。盗賊、収奪、強盗。部族間同士のぶつかり合いがあっても、裁判所がない。野放し。警察官が少ない。いない。セキュリティーがない。死者1日平均100人。世界のどこの局もそんなこと放送してくれません。

 戦火の中のバグダード、停電の合間をぬって書きつがれる24歳の女性の日記『リバーベンド・ブログ』が、「イラクのアンネ」として世界中で読まれているそうです。2度目の占領記念日の日記を読んで、北京の友人たちからの「10日は北京国際マラソンがあって、天安門広場やマラソンコースはデモ以上に沸いてたよ」という便りを貰ったのと同じ感慨を持ちました。
 とにもかくにもリバーベントさんの9日の日記です。写真も見られるので、これはうそではないでしょう。
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2005年4月9日土曜日

残酷な月・・・

 今日、国中で何千人もの人々がデモをした。バグダードの多くの地域では交通が遮断されていた。治安確保とデモ隊に対応するため、と思う。スンニ派のデモもいくつかあったが、参加者の大多数は実はシーア派とアル・サドルの信奉者たちだった。参加者はバグダード中からやってきて、フィルドス広場に集まった。解放広場とされているところだ。何千人という規模だったのにどのニュース局もまったく報道しなかった。アル・ジャジーラは昼のニュースで抗議行動を断片的に伝えたが、ほかはどの局も別のニュースにかまけていたようだ。E(弟)が以下のリンクを教えてくれた。このサイトで抗議行動をしっかり見てほしい。 
 http://bellaciao.org/en/article.php3?id_article=5723 
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2005年4月15日(金)  

古い古い付き合いの三羽烏の恒例の花見。羽島に出かけました。百花繚乱。温泉嫌いの私が誘われるままに温泉に浸かって、の〜〜〜〜〜んびりしました。一時は命が危ぶまれるほどの病に陥った友が、ふっくらとして若返り、喧嘩っ早い友も、相変わらず社会に向かって怒っていて、頼もしく嬉しいひと時でした。

 燕ちゃんは昨日、上海で万博をめぐる中日の専門家たちによる意見交換の会議に、通訳として行ってきたそうです。空港で広島からのおじいちゃんおばあちゃんたちのツアーを見て、ほっとしたとのこと。キャンセルした人も多いけど、敢然と出かけている人も又多いということでしょうか。それにしても修学旅行などが中止になっているのは残念です。
 上海の運転手は、「自分たちは日本人が嫌いという気持ちは毛頭ない。留学生が殴られる事件が、上海で起きたっていうのが本当だったら、絶対上海に来た地方の人のやったことに決まってる」と言っていたそうです。

 中国政府も各市政府もデモの規制に動き始めているようですが、邦人社会も対策会議を開いているようです。先日日記に書いた北京大学に留学中のK君が「ニュース23」の北京での話し合いの映像の中に出てきてびっくり(燕が写真を送ってくれていたのですぐに分かりました)。しっかり意見を述べていました。

 「ドンドンの出会い筆記」。右翼の嫌がらせを窓の外に聞きながら書いた、シエトンの日記。燕の便りと共に、どうか末永く見守ってくださいますように。

2005年4月16日(土)  

 芸文センター、アートスペースで5月1日のための群読の練習。憲法を朗読します。30人ほどのメンバーは学生あり、プロあり、朗読サークルあり、誰でもいいというところが気に入っています。ホントのこと言うと、私は若い学生さんたちの声を聞くのが一番気持ちいいです。3月から始めて、本番まで、後練習できるのは来週一回のみ。皆でアイディアを出し合って、和気藹々。盛り上がってきました。
 他に名大男声合唱団OBの演奏、女優さんの「君死にたもう事なかれ」などの朗読。ソプラノ歌手の歌曲など。

 私たちが一生懸命憲法九条などを朗読している頃、上海では領事館の窓ガラスなどが割られたり、日本料理店が破壊されたり激しい1万人のデモが行われていたんですね。これは中国で報道されているのかしら。日本製品の不買を呼びかけていますが、これは夫の勤務する会社にもおおいに関係があることで。つまり、今や中国と日本は文化的にも経済的にも不可分の状況にあるのであって、お互いに罵り合ったり冷ややかに見ているだけでは解決の糸口になりません。

 今朝、読売系テレビを見ていたら、「日本人を殺せ」などの中国のネットの書き込みを紹介していました。そんな報道をしていいのかなあと思いました。日本の○チャンネルだって向こうに紹介されたら困ります。ほとんどの日本人は戦争をやりたいなんて思っていない!日本のマスコミは全力で良心を呼び覚ます報道を維持してほしい。

2005年4月17日(日)  

中国のために色々ボランティア活動をしているTさんからのメールが沈んでいて、私もまったく同じ気持ちで、何もする気がしない日曜日。アンニュイという言葉が突然浮かんできました。なんで?どうしたら日本という人格の一部である私がペットボトルをぶつけられないですむのか。何ももうしたくないような・・・そんな気持ち。

 なんて思っていると、次々訴訟の会のスタッフからメーリングリストで危機情報。22日の裁判の準備なのですが、裁判長が転勤で変わって、色々戦略が大変。重大な局面。先回のスタッフ会議をサボってしまったので、事情を飲み込むのが大変。

 なんて思っていると今度は「フェロシルト」攻撃。
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名古屋の早川しょうこです。 万博だ金シャチだなどと浮かれている場合じゃにゃー!
皆さん「フェロシルト」って御存知でしょうか?この「フェロシルト」とは、もともとは酸化チタンを作るときにできてしまう廃棄物です。そして酸化チタンですが、今や環境にやさしい商品として引っ張りだこ。昨年の生産量は約25.5万トンで、自動車や住宅の塗料など様々な 用途に使われている白色の顔料です。

 ところがその廃棄物には放射能が含まれていたのです。 それも半減期が140億年のトリウムやウラン238などです。さらに、放射能レベルも高く、一般の産業廃棄物として捨てられようとする原発のクリアランスレベル(すそ切り)」よりも、100倍も高い値となっています。それがもう先に捨てられていたのです・・・・

 ではなぜ放射能レベルが高くても捨てられるようになったのか。1990年に科学技術庁、厚生省、通商産業省、労働省が、岡山県や秋田県でたくさんできてしまったこの廃棄物が捨てられ問題になり、そこで、通達を出して大丈夫だと認めてしまったからです。 
 さらに、三重県がこの廃棄物をリサイクル製品(フェロシルト)として推奨しました。トンあたり500円で販売されることになったのです。〜〜中略〜〜

  リサイクル製品の認定を取り消してもらうよう話し合いをする予定で、申入書を提出しましたが、引き続き賛同人、グループを募集しています
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 今日、マンションの寄り合いで、桜の木にカラスが大きな巣を作ったので、今度ゴミネットを買いましょうということになりました。巣を壊しましょうという話ではなかったのでした。

2005年4月18日(月)  

どういうわけか、朝起きた時からグラグラ揺れて、結局まだフラフラ。一日床にふせていました。途中金沢のMさんから、今回の中国問題に関して心配の電話を受けました。紫金草合唱団で頑張ってきた人達の悲しみは、まったく私の気持ちそのものです。ただひとつMさんが「南京ではおきてないよ」といわれたことにハッとしました。合唱団が二回も訪れて率直にお詫びし、大きく報道されています。コンサートを通じて市民レベルにまで理解していただいたことが大きいと私は思います。

 何か動きたいのですが、体がいうことをききません。本当にどうしたことかしら。何度か電話が鳴ってもたどりつけませんでした。明日は治って

2005年4月19日(火)  

 破壊に対する謝罪と補償を公表しないが、実質では修理・補償。町村大臣が謝罪していないのに中央台は謝罪したと放送する。日本では「そのこと」を報道します。すれ違ってばっかり。
 中国国際放送局のサイトでは「アメリカの新聞によりますと、アメリカ下院の本田議員はこのほど、ロサンゼルスで、『日本は第2次世界大戦の歴史のために責任を負い、中国に謝罪し、中国侵略の歴史を認めなければならない』との態度を表わしました。」

 と書いているけど、日本の報道は各国の各紙社説、各放送をそのまま放送、日本も中国も批判は批判として報道。アメリカの報道官のデモの破壊行為批判も報道しました。

 中国の若者に私が望むのは、非暴力ならば、何百万人でデモしてくれてもいい。外圧はあっていいです。そして、私たちのような、侵略戦争を深く詫び、平和のために活動している日本の市民サイドも報道してほしいと思います。
 F社の教科書が具体的にどう書いているか、日本の新聞も、その呆れた内容をもっと具体的に国民にしっかり伝えるべきだし、中国も日本のすべての学校がひとつの同じ教科書で勉強する訳でないという事を知ってほしいです。中国は全国同じ教科書ですもん。デモの若者たちは、皆きっと日本中の子供や学生が侵略していないと習うのだと思っていると思います。日本人皆が靖国神社にお参りしたいと思っているのだと思います。こうした哀しい誤解もあります。

 そして、中国は一党体制だって皆言うけど、日本だっておんなじようなもんじゃん。派兵阻止の裁判で、この4月に裁判長が転任。今度は極めて厳しい裁判長らしいです。訴訟の会は22日の裁判にとても緊張して準備を進めています。被告がまったく土俵に乗ってこないのをよしとする裁判。こんなことがあっていいはずがありません。今まで一年間積み上げてきた裁判が水の泡となってしまうかもしれない22日の裁判。もし時間のある方は、ぜひ22日の午後名古屋の地裁に集まってください。私たち原告と弁護団もデモで頑張ります!夜は池田香代子さんの講演会もやります!

と、怒っているうちにめまいが治ってしまいました。廊下を赤ちゃんのように這っていたのは何だったっけ?昨日の日記を読んだHさんが「今テレビでめまいのことやってるからみなサーイ!」ってFAXくれまして、大いに参考になったのでした。ありがとう!

2005年4月20日(水)  

日記を見守ってくださっている方の最高齢は、多分伊東市のSさん。喜寿の誕生日を迎えられました。で、ちょうどこの騒ぎの間中、中国を旅行中で心配していました・・・が、「杭州ではホテルのすぐ側の5万人収容の体育館でデモの集会があると言う情報が入ったので翌朝はやくホテルを脱出、玄関にはCCTVの大型中継車が来ていました」とか「上海に着いたその日は午後にかなり暴徒が暴れたようですが豫園では現地の人でごったがえし、不穏な空気は感じませんでした」と、帰国報告。ホッ。Sさん勝手に転載ごめんなさいね。脱出姿を想像して、不謹慎ですが笑ってしまいました。本当にすごい喜寿!

 ジェーンフォンダの演説を久々にテレビで見ました。ブッシュに強烈なパンチ。22日の裁判ではアメリカ国籍の女性が陳述します。感動的な内容ですが、池田香代子さんともども、陳述できんようになってまったらかんでねえ。(これ英語でにゃーよ。床に伏している間に読んだ「声に出して読みてゃあ名古屋弁」のせいだがね)。

 ちゅら海をまもれ!沖縄・辺野古で座り込み中!座り込み367日目。   http://blog.livedoor.jp/kitihantai555/ 今日も完全に阻止しました!読んでるとドキドキします。ジュゴンも原告。

2005年4月21日(木)  

 収縮期血圧(最高血圧)が100Hg以下が低血圧。色々な病気や精神的ショック、暑いところでの長時間の起立、空腹などでも起立性低血圧になるんですって。
 思い出したんです。昔から低血圧だって事を。献血車に乗っても、私はいつも検査がパスしないので、駅などで行われている献血の必死の呼びかけに対して、とっても罪悪感を感じながら下を向いて足早に去っているのです。最高血圧が90mmHg未満の人はできないんだもの。めまいの原因に自分で思い当たってすっきりしました。

 明日は裁判。荒れそうな感じです。血圧が上がればいいようなものだけど、とても心配。夕方事務局の学生センターへ行って、明日の池田香代子さんの講演で販売する書籍のチェックをしたのですが、彼女の翻訳した本の多さに改めてびっくりしました。思わず役得?で、「夜と霧」と「汚れた弾丸 アフガニスタンで起こったこと」を買って帰っちゃいました。ずいぶん遅まきだけど。

2005年4月23日(土)  

寝るって幸せなこと。だって朝目を覚ますと自分は生きているから。昨日の夜、裁判とデモと講演会の後の懇親会に出て、ついライチサワーを飲んでしまいました。お酒も梅酒も一滴も飲めない私がやるべき行為ではなかったです。フラフラになって、kさんに家まで車で送って貰うハメに。時計の針はもう今日になっていました。Kさんは助手席でくたばっている私をそっとしたまま、学生センターの階段を重い荷物を持って何回も上り下りして、グッズの後片付けをしてからのことで、ホント恐縮!

 原告は160人くらい集まったかしら?今回は、傍聴に入りきれなかった方達のお世話を、U弁護士と2人で担当しました。ので、裁判を見ることはできず、私は連絡係りとして、控え室として予約していた、裁判所の隣の弁護士会館の地下の会議室と裁判所入り口を何度も何度も往復していました。今朝の中日新聞に記事が載りましたが、大荒れの裁判になったのでした。陳述の為に東京からいらした池田香代子さんと広島の呉市からいらしたマリリンさんは、ついに陳述できませんでした。

 スタッフの青年Hさんが、訴訟の会の掲示板に昨夜書いています。頭の部分・・・
  http://www.sashidome.org/phpbb/viewtopic.php?t=2
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 裁判官が変わったということは、いままでの経過を、変わった後の裁判官が把握する必要があるということです。このために、「弁論を更新する」という手続きがあります。それまでの流れで、原告と被告が同じ見解をもっていれば、「従前どおりです」の一言、5分程度でこの手続きを済ますこともあるそうです。しかし、今回の場合、これは当てはまりません。1年2ヶ月に渡り、原告側が提出した資料も、相当の分量になります。

 これらの事情を踏まえ、原告側は、(今日ではなく)別に1日とって、今までの弁論の要点をまとめた陳述をさせてほしい、というお願いをしました。別に1日とってもらった上で、今日は、前回の口頭弁論(2月4日) の終わりに決めた通り、原告の意見陳述と、自衛隊イラク派兵が違法であることを国際法に基づいた切り口から主張する予定でした。
     (以下は略) 
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   私は会場のYWCAの設営隊で、朝の散歩で摘み取った草花をペットボトルの花瓶に挿して、きれいにラッピングしてリボンを結び、講演会の背たれ看板をカラフルに図画工作して作ったのを飾りました。今日の司会は青年Hさん。さわやかな司会でした。
 
 代表の池住さん始め、皆疲れきり、虚無感に襲われた一日でしたが、最悪のラインに立ってこそ見えてくるこの国の危うさ。私はこちら側にいて良かったと思います。そして一人でも多くの方に原告になってくださるよう、改めてお願いします。恐怖の母にもじっくり話して原告になってもらおうと思っています。

2005年4月23日(土)  

そのA
芸文センターで憲法の群読の最終練習日。後は5月1日の本番を待つのみとなりました。和気藹々、皆で遠慮なく意見を言い合って、よく笑いますが、真剣な練習です。学生さんたちがグーンと上達したのには感動。老若男女30人頑張る!
昨日出廷していたUさんも一緒に練習していますから、終了後、お茶を飲みながら法廷の様子を聞き、改めて大変な異常事態だったことを知りました。

  部屋に戻って鍵をかけてしまった裁判長・・・・。
私、戦時中に「戦争をするな」と言って、どんどん投獄され、拷問で死んでいった人々のことを想い続けています。

★「武力がものをいえば、法律は沈黙す」とは、古代ローマのキケロが指摘したことです。・・・・これはマリリンさんが陳述するはずだった弁論の中にあった言葉です。
 

2005年4月24日(日)  

 名古屋市長選挙。途中の散歩が一番楽しかったです。あっちこっちわざとクネクネ道を曲がって、花屋さんにヒョッコリ出たので可愛い鉢植えを買いまして・・・帰り道に草花も摘み取って・・・あぁ楽しかった!

 花屋さんの青年が、にっこりしながら、たった120円の安い花の鉢を買った私に「花に水をかけると痛みますから、土にかけてやってくださいね」と。人間はこんな小さな物言わぬ草花にもたっぷりの「心」を降り注ぐ生き物なのに。

 私はお墓は要りません。道端に咲く草花が私の墓。そしてこの日記もお墓かも。

2005年4月25日(月)  

 朝8~9時まで裁判所周囲入り口で皆で手分けして、裁判所職員の皆さんへ抗議のビラ配り。突然のことなのに、弁護士や原告20人近くが集まりました。池住さんはいつも通り、真に紳士的。背広にネクタイでスピーカーを持ち、落ち着いた穏やかな語り口で内田裁判長の訴訟指揮の不当性を訴えます。もちろん私も穏やかな笑顔でお願いしました。

 「私達は裁判所と敵対している訳ではありません。公正な裁判を受けたいのです」と。夕方の退勤時も皆しているはず。明日も朝夕皆は頑張ります。

 95歳のキクお母さん (Tさんのお母さんだけど、私はお母さんと呼ばせて戴いています) からご指名があって、K市の素敵なレストランで昼食をご馳走になりました。花展のチケットも戴いて、キク先生の作品を見せていただくのを楽しみにしています。95歳で外食できるって、素晴らしい!「私、好奇心が強いの」と言われる通り、料理の芸術性、創造性を盛んに論じておられました。私のお手本です。

 お土産を選ぼうと果物屋さんに入った時、お店のテレビで尼崎市で大変な列車事故が起きたことを知りました。お亡くなりになった方のご冥福を祈り、怪我をされた方、ご家族に心からお見舞い申し上げます。

 ヴィクトール・E・フランクルさんの池田香代子訳の新版「夜と霧」。アウシュビッツの過酷な生活の中で、彼は「苦しむことは何かをなしとげること」だと言っています。この世は苦しみに満ち満ちているようにみえます。何をなしとげるか?

 95年前、キクさんが生まれた日、幼いお姉さんが亡くなりました。お父さんは悲しみのあまり「喜苦」という名前をつけたのですが、役所に届けに行かされた叔父さんが、あまりに可哀想だとカタカナで届けたのだそうです。人生は喜びと苦しみにあざなわれる。

2005年4月26日(火)  

がま口塾4月例会。誰が来るのか来ないのか、いつものごとく、さっぱり知りません。いきあたりばったりのこの方法も良いのか悪いのか・・・いつまで続きますやら。とにもかくにも今日も6人は集まりました。行楽シーズンだし、テーマも話しにくかったのかな?メール参加も2人のみ。いえ、2人も!感謝多謝です。

 尼崎の悲惨な列車事故のようなことがあると、がま口塾に来ていただく道中で何かあったらどうしようなんて考えてしまいます。気をつけようがありませんもんね。電車に乗るときは、昔から必ず後ろの2両に乗ることにして、ホームに並ぶ時は、突き落とされないように、絶対一番前には並ばないというUさん。すごいなあ。

 終了したら天気が怪しくなってきて、雨が降ってきたので、雨宿りのついでに、第2ラウンド。話がモリモリ盛り上がり、よく笑い、語り、ほんとの終了は3時だったのでした。一日一日「命ある」自分を生きていたい。

2005年4月27日(水)  

関西の知人(大学関係)の、教え子など2人がまだ行方不明と今朝聞いて、ショックを受けました。本当に・・・。妻を亡くされた方が「警察もJRの人も皆一生懸命誠実に対してくれた。その人達を攻めても何の意味もない。日本の社会の何かが緩んでいてこういうことになったとも言える。そういう意味で私にも責任の一端があるかも知れない」とインタビューに答えていました。最愛の家族を失った場で、何と立派な・・・。どうしたらこんなに品位を保てる人間でいられるのでしょう。

 1985年5月8日、ドイツ連邦議会でヴァイツゼッカー大統領がした演説が「荒れ野の40年」という岩波のブックレット(55)になっていて、それを今日じっくり読みました。1995年に中日新聞の招きで来日した時の演説内容が載った新聞もUさんが持って来てくれました。既にまっ黄になっている新聞に講演が紹介されていますが、

 「〜〜戦争によって起きた諸問題を克服するため、東側の諸国、特にポーランドとは条約が結ばれました。精力的な青少年交流計画も推進されています。教科書委員会が、若い世代が自分達の歴史について共通の統一された見解を持つように、という課題に沿って努力しています。人間同士、そして国民同士が和解するに至ったのであります〜〜」

写真の氏の顔は実に柔和で優しく、愛に満ち満ちています。お願いだから、私達の国を代表する人達は、愛に満ちた表情と言葉で、品格ある態度で中国政府の方たちと語って欲しい。切実にそう思ったのでした。敵対したり意地になっていては何も生まれないことを学ばさせられます。私も大いに反省しつつ。

2005年4月28日(木)  

色々なことが気になって、今回はいっこうにテープ起こしが進みません。はっきり言って怠けています。どうしてこんなに気持ちが落ち着かないのでしょうねえ。

 内田裁判長と左右の裁判官宛に、一生懸命手紙を書いたら便箋5枚になりました。地裁民事第6部合議係りにFAXをし終えてから、気が抜けてしまいました。面会を求めて書記官の部屋へ行って、部屋中に聞こえる声で申し入れ書を読み上げてきた女性が2人います。すごい!私は情けないです。抗議の文句は一言も書きませんでした。何を書いたかと言うと、どうか一緒に話し合ってくださいという事。ヴァイツゼッカーの演説を引用しました。攻撃の心でものを言ったり、書いたりして、今まで後味の良い結果があった事がなく、苦い体験を山ほど積んだから。

2005年4月29日(金)  

 がま口塾便りをやっと完成。だらけていて反省。とにかく第二ラウンドまでやってしまったので、半分に切るのが辛くって。3分の1くらいしか載せていないのです。初めて会ってもずーっと前からの知り合いのように話せるってなんでしょうね。人数も6人なので、内容に片寄りがあるのですが、話している本人達は、全てにお構いなし。楽しかった・・・それだけのがま口塾です。

でも、来てくださると、メール参加があると、手紙を戴いたり、電話があったりすると励まされます。「又やろう!」って気力が出ます。単に義理でがま口塾に付き合っているのでなく、「楽しんでいるよ!」っていう一言が元気の素になります。後2年は続けたいと思っているのですが・・・。いつまで続けられますやら。

 訴訟の会のスタッフ会議。昨日の夕方、裁判長、裁判官と書記官と、我が弁護団、代表との話し合いが持たれたのですが、何を言ってもやはり裁判長は「見解の相違」とだけしか言わなかったそうです。

 裁判官の忌避というのをもう5回も受けている、本当に私達から見れば、異常な裁判長なのです。本人は自分が正常で、見解の相違という金科玉条で生き抜いている。それでも粘って粘って一歩も引かず、正当な理論を展開した我が方の正義の人々を尊敬します。公正な裁判を受けるのに、こんなに前にはばかるのがあるなんて!

2005年4月30日(土)  

はい。やっと印刷を済ませました。コピー屋さんへの往復の道は暑い暑い。半そでのTシャツにぐっしょりの汗。すっかり夏になりました。今日これからメッセージを書き込んで明日発送できればいいのですが。

本当は学生センターへ行って、チラシ作成チームのお手伝いをする予定だったのだけど、在宅のまま、メールのやり取りでできました。がま口便りをセットしたり折りたたんだり、宛名書きしたりしながら、ちゃんとできてしまい助かりました。

 アブグレイブ刑務所でのイラク人虐待事件について、当時の軍上層部の責任は一切不問に付され、只1人、当時の刑務所管理のトップだった陸軍准将が処分を受けるのだそうです。そしてこういうニュースは金曜日の夕方にそっと流されるらしい。米軍の民家誤爆事件の調査報告なども、金曜日の夕方にこっそりと発表された・・・。日本だって、今日なんて、やばい。気持ちは100%連休の日本ですもん。

 ベトナム戦争終結30年報道が流れています。枯葉剤の影響が、孫、ひ孫にまで出ていて、本当にむごい。メディアは、大昔から戦争に反対したような顔。ホント!?今から30年たったら私は○歳・・・生きとってやる!!きっとメディアは「イラク戦争終結から30年・・子どもにも孫にも・・」と正義の顔で報道するだろうな。一生懸命反対した人たちの側にたった顔で。

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Akiary v.0.51