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2005年5月1日(日)  

名古屋に戦争メモリアルセンターを設立しようと呼びかけるコンサート、「いまこそ平和の歌」が東文化小劇場でありました。第一部は名古屋大学男声合唱団OB60人で「エルベの歌」や「フィンランディア」「死んだ男の残したものは」「呟きをささやきを声にしよう」とうりんこの、いのこ福代さんの朗読、峠三吉の「人間を返せ」より「小さい子」。

 第二部が松原実智子さんの朗読で「君死にたまふことなかれ」と「お母さんの木」。真ん中に私達30人の憲法の群読が入りました。第三部はソプラノ歌手下垣真希さんで「さとうきび畑」「長崎の鐘」「アメージンググレース」など。

 プロとアマの入り乱れて寄せ集めながら、練習の過程も本番の今日も、色々勉強になりました。憲法の群読は演出を色々工夫したし、何せ18歳からの学生さん達と一緒で未来があった!!! 彼らがぐんぐんとうまくなっていったのには目を見張りました。昼夜2回公演で疲れましたが、充実した1日でした。

 後の二次会が又盛り上がって、11時近くの帰宅。さてと。

2005年5月2日(月)  

 夜7時のNHKニュース。オペラ歌手を目指していたお嬢さんこそ、知人のオペラ歌手の教え子でした。クラスメート達が告別式で明るく送ってあげようと、皆がパーティドレスで歌を歌って・・・そして泣いていました。ビデオで彼女がオペラの主役で歌っている一部分が流されて、涙がとまりませんでした。

2005年5月3日(火)  

鶴舞の名古屋市公会堂の外はガーガーガーガー、ものすごい右翼の街宣活動。公会堂の入り口付近には私服の警官が何人かじーーーーー。憲法記念日。公会堂には3000人近い人々が続々と集まってきました。ベアテ・シロタ・ゴードンさん等の講演を聞きに、本当に万博さながらにクネクネとロープのしきりに沿って並んでいる人達!

 私は訴訟の会の、実質審理を求める署名活動と、原告をお願いする活動のお手伝い。まあ、今日参加する人達ですから、署名は自主的に回して下さるほど理解が深く、気持ちの良い1日でした。
 池住さんがそばに立っていた時、アジア保健研修所で知己であったという女性が懐かしそうに彼と話していました。私は『?!』記憶の底にある顔、話し方です。それで署名をして下さった名前を見て「ウワーッ!」。

 高校時代に生徒会の副会長をしていたBさんでした。1学年後輩でしたが、とにかく彼女はしっかり者で、当時の私は彼女の弁舌の爽やかさにいつも舌を巻いていたものです。で、彼女の方も学年は違っても、演劇部で舞台に立っていた私を覚えていてくれて、まーーーーあ、それはそれは奇跡的な40年ぶりの再会でした。団塊の世代、1学年13クラスもある高校での学年の違う同窓生を、40年経っても鮮やかに思い出せる人間の記憶力にタダタダ驚くのみ。高校の英語の教師として長く頑張ってきたようで、彼女らしい生き方を感じました。

 更に驚いたことには、彼女は天白川のむこうに住んでいるそうで、私の散歩道なのです。これからの交流を約して別れたのでした。

2005年5月5日(木)  

(ほんとは5月4日)

良いニュースばかり流す放送局を作りたい!でも「良い」が十人十色。1億3000万色あるわけで大変。でも、こんなに危なっかしい国になっているのは、やっぱりメディアの影響が強いと思わざるをえません。

 池田香代子さんが言われたように、「良い番組や記事には励ましのメッセージを送ろう」を実行。メーテレの「郵便兵と絵手紙」というドキュメンタリー番組の感想をすぐ制作の人達に送りました。ビルマで祖父が戦死。遺された1人の妻と娘に戦地から送り続けた絵手紙をモチーフに、孫娘がコンサートでピアノの弾き語りをして、祖父の魂を受け継いでいるというお話。絵手紙をたよりに祖父の戦死する地点までを旅します。

 まるで私が長男と父の戦地を歩いていた時のようでした。父は尺八を吹いて心を慰めていたし、ビルマの郵便兵は何気ないビルマの人々や景色を温かい目で描いています。人間の本来の優しい姿です。再び「他の国のために」軍服を着た「普通の真面目で優しい若者」を他の国に送らないようにしなくっちゃ!

政府はイラク復興支援特措法に基づく基本計画の派遣期限が切れる12月に自衛隊を撤退させる方向で調整に入ったそうです。イタリアが段階的な撤退方針、ポーランドも来年初めの撤退を表明したから、日本政府もきょろきょろかな。毅然とした良心(憲法)から判断し、行動する両親(国家)とともに暮らす家族であったら、どんなに安心で幸福な日々でしょう。
 一刻も早く自衛隊は戻ってほしい。

2005年5月5日(木)  

蕗、筍、椎茸をお鍋に入れてグツグツ。春を通り越して初夏のお天気です。森をみたくなって、天白川の源流にむけてドライブしていたら、あらあら、香嵐渓に出てしまいました。前々から行きたいと思っていた「足助のかじやさん」へ辿り着いて食事をしました。
1階が創業180余年の手打刃物店。2階がライブと創作料理の楽しめるライブカフェになっています。まのあけみのCDも売っていましたが、こんな掲示がありました。
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  <高田渡さん死去(享年56歳)>
当店でもなじみ深かったフォーク歌手の高田渡さんが4月16日、入院先の釧路の病院で亡くなられました。「足助のかじやさん」での初めてのライブの時、渡さんに「お泊りはどうしましょう」と訪ねたら、「段ボール箱一つあればいいよ」と言って笑ってくれた渡さん。ライブに来てくれる度に、かじやさんのオリジナルナイフや包丁を買っていってくれた渡さん。万博の準備が始まった頃、名古屋からのお迎えの車中、会場近くを通ったとき、「万博の終った後をどうするのかが、問題なんだよネ」と、愛知県の将来?を心配してくれた渡さん。
 
 渡さんの思い出は、尽きません。渡さんの、御冥福を心よりお祈りいたします
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蔵を改造したような、通り過ごしてしまいそうな小さな喫茶店で、自分の生き方を貫いているシンガーソングライターかじや喫茶店主。スーパーマンと思いきや、めがねをかけた何気ない静かな方でした。

2005年5月7日(土)  

夜スタッフ会議。楽しくないことをテーマに話し合っているのですが、とても楽しいです。無欲で嘘をつかない、優しい人達の中にいるのは楽しいです。

 裁判所の玄関で配るチラシのメニューを一部変えることになり、文章を引き受けてきて、それに夢中になっている間に今朝になっていました。弁護団のアンマン報告をシンプルにシンプルに、これ以上削れないくらい削って残った文章を以下に書いてみます。改めて、日本人の生き方はこれでいいのかと思ったのでした。個々の人格は良くても集合の人格は問題。尼崎の事故で露出した問題も、たぶん、一人一人が「言えない」「言わない」体質が究極の原因だと思うのです。集合の人格が殺人をするのだと思います。

~~~~~~~~~~<イラク市民の言葉>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~^

●「国際法に明確に違反している大嘘戦争だ。石油の支配権を大国が持ち続けるためだ」
●「今、イラクでは毎日平均100人死亡。400万人のイラク人が国外へ避難した。
●「1日50人から100人くらい殺されている。劣化ウラン弾の影響で、サマワは土地と水が汚染されていて、生活するには最悪だ。白血病の人が増加している」
●「自衛隊はサマワの全ての部族長16人にお金を贈っている。攻撃させないためだ」
●「必要なのは、人々の命、生活、健康を守るためのお金だ。決して軍隊ではない。自衛隊はイラクの人たちの生活の復興のための動きには一切参加していない」。
●「1年間で1000万ドル払うから土地を貸してくれという申し出を受けた。通常価格なら10万ドルの私の土地を駐屯地に使うという。私は、はっきり断った。」
●「自衛隊は道路の舗装を確かにしているが、国道から自衛隊の駐屯地までの道路の舗装である」。
●「自衛隊員の放射能影響は数年後必ず出るだろう。オランダ軍の撤退理由の一つだ」
●「25万人のサマワ市民への人道支援とは一体何だ。お金で人を動かすという手法をイラク人は怒っている」。
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 反論があれば、被告国は堂々と裁判で論陣を張るべきだと思います。裁判をしようともしないないのは、この国が、あの、私達の親の世代が知らず知らず突っ込んでいった時代になりつつあるってことでしょう。杞憂だといいんだけど。

2005年5月7日(土)  

日光浴をした方がいいと思って散歩。河川敷で若者達がバーベキュウ、川には鴨がスイスイ、鳩や雀がチュンチュン、犬が嬉しそうに光る草の中を駆け、散歩にマラソン、鼻歌を歌いながら自転車で風を切っていく人、夕焼けはまだだ。なんて平和で幸せな天白川の土手の光景かと思ったのでした。恋人がそばにいたら、もうこの世で必要なものは何もないと思う・・・のだけど、それがいない哀しさよ。

 燕ちゃんから嬉しい知らせが来ました。
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 先日、中国国際放送局日本語部が最近のリスナーさんの手紙を総括した文章が、記事として、『人民日報』で掲載されました。中には、紫金草のことも紹介されています! http://media.people.com.cn/GB/40606/3365477.html
《人民日报》 (2005年05月03日 第三版)

 日本には両国の友好、戦争反対を訴えて、黙々と平和の活動をしている、とても多くの市民がいる。紫金草合唱団はそういう芸術団体の代表の一つである。南京の紫金山のふもとに咲いていた花にちなんでつけられた名前だ。
 日本全国で十数団体があって、1000人以上の人が参加している。物語の作者の大門さんは、国際放送局への手紙の中で、「日本の一部の人は憲法改正を要求しているが、私達は反戦の歌をひたすら歌い継がねばならない。人々の心の中に平和の種をまき続けなければならない」と言っている。
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 かなり大きな記事ですので、割愛して、最後の部分のみ簡単に訳しました。「人民日報は」全中国で読まれている、中国最大の国家の新聞です。燕ちゃんを始めとする国際放送局の日本語部のスタッフの面々の協力に本当に心からの感謝を捧げます。一緒に頑張ろうね。


 

2005年5月8日(日)  

「 春 朗読の一日」という、朝から晩まで朗読三昧の行事が、岐阜県の美濃太田、みのかも文化の森でありました。何しろ出演者が170余人。会場一つではとてもこなせませんので、2会場に分かれて、個人やグループが好きな朗読材料を自由に選んで自由に表現します。中には母子や親子5人というのもあって、朗読も千差万別、楽しい一日でした。(私は完璧なお客さんなので、気楽ですからね)
ゲストの70?歳の女優さんの「忍ぶ川」の40分あまりの朗読は一箇所の読み間違いやつまりもなく、味わい深いものでした。目標となる生き方をされている方はいっぱい。

 各務原市で視聴覚障害者のための朗読奉仕者養成講座を20数年前に数年間担当していたのですが、その時の生徒さん達(私より年上の方が多く、とても可愛がって戴いた)も朗読に参加したり、司会したり、で驚きと感動の再会ばかりでした。皆ずーーーーっと頑張ってるんだなあ・・・。そうそう30年ぶりにMアナさんの司会ぶりも見て、昔話や今の暮らしぶりなど、昼食をとりながらの短いひと時だったけど、懐かしく話の花を咲かせました。放浪の私も、過去に出会う日がある。Mさん、細っそりとしたファッショナブルな人だったけど、今は、命は「土」にありとて、畑仕事をしているって!

 夜帰宅して、食事の準備の為に冷蔵庫を開けたら、ケーキの箱が・・・。おかしいなあ・・・未だかつて母の日にケーキはおろか贈り物なんてもらったことがありません。やっぱしね。張陽一家が留守中に来ておいてってくれたんですって。ほんと、ヤンと姫ちゃんは優しいです。

2005年5月9日(月)  

 ゴールデンウィーク中に、アメリカ詣でをした日本の国会議員数は50人を超えていたそうです。皆さん、ラムズフェルドの主催するパーティにニコニコ出席だったとか。日中関係の友好が大切だって誰もが公然と建前を言いながら、誰も中国や韓国の政治家と交流してないじゃん!イラク攻撃の責任、反日デモの原因を真剣に感じている日本の政治家はどれほどいるのでしょう。

朝、裁判所の前でビラ配り。11人ほどいたかしら。横断歩道の向こうで受け取り拒否をしていた人。歩道を渡ってこちらへ来るその人を見たら、なーんと、先日22日の横暴な裁判の時、1人で入り口に立つお当番?をされていた方でした。私も1人で結果を待つ当番?だったので、2人で色々おしゃべりしていた訳です。

 「うわあ、お早うございまーす。これ、私ですよ、私、私!」なんて、チラシに写っている私の写真を見せてニコニコしたら、彼も「坂東さんですね、頑張ってるんですね」とニコニコ受け取ってくれました。人間、体当たりもしてみるもの。話をする、おしゃべりをする、って言うのはつくづく大切だと思ったのでした。

 福岡の友人達の地震災害のことが心配で、6月にちょうど歌手のコンサートもあるので、行ってみようかなって思っていたら、「来るんだったら、ついでに舞台にでてよ」と言われ、にわかに忙しくなりそう。昨日の朗読の会はよい刺激になりました。自分なりに朗読をもっと磨き、深めなくっちゃと色々考えさせられています。

2005年5月11日(水)  

10日(火)

 本日も朝、裁判所の前でビラ配り。職員のたいていの人はちゃんととってくれます。表情の優しい女性に5枚ほど渡して「お友達にも見せて上げて下さい」と言ったら、にっこり受け取ってくれたのにはびっくり。中には「支持しています」と言ってくれた人もあるそうです。まあ、でも皆半ば呆れてるでしょうね。池住さん、毎日スピーカーで礼儀正しく抗議をしています。和歌山からも泊り込みで助っ人がありました。この訴訟の全国の原告や弁護士は、皆本当に怒っています。

 又日本人が拘束されたけれど、今回はちょっと事情が複雑。弟さんの記者会見が気の毒で見ていられませんでした。ビラを配りながらも、『民間の警備会社なんて、きれいそうな言葉使うなよ!戦争屋さんでしょうがあ・・・』と怒りが沸々と湧いてきます。自衛隊だけでなく、一刻も早く、アメリカ軍も撤退しなさい。憎しみが循環しているだけ。もう犠牲者は誰も出さないでほしい。イラクの人もアメリカの人も自衛隊の人も世界の誰も!

 夜、我が家で、ゆったり工房のKさんとコンサート10周年のステージの打ち合わせ。Hさんのピアノでナレーションをするのだけど、毎度のことで、その原稿も私が作るハメになっていて・・・。明日の第一回実行委員会までにたたき台を作ることになってます。できるかな。

 

2005年5月12日(木)  

 11日(水)

 夕方早めに家を出て、A駅に。ゆったり工房でのコンサート実行委員会に出る前に、チラシ配りをしました。こっちは裁判ではなくて、「サラサとルルジ」というヒロシマがテーマのミュージカル。「ぞうれっしゃがやってきた」の藤村記一郎氏の作曲です。公演会場がA駅に近いので、一計を案じてビラを配ることにしました。親子連れをねらっては、「すみません。ミュージカルのご案内です。宜しかったら読んで戴けませんか?」と礼儀正しく1人で活動しました。何か最近の私はチラシ配りのプロね。義姉が合唱隊で出演しますので、応援したいのです。仕事だけでも忙しいのに、義姉はよく頑張っています。

 ゆったり工房「第10回あじさいコンサート」の実行委員会には25人ほど集まっていました。メンバー、職員、家族会、職員、支援者、ボランティア、コンサート出演者・・・。例えば、足の悪い人は車椅子。耳の遠い人は補聴器。これをして補助器具と言います。精神の病の人の補助具は「人間」で、作業所から始めて10年で、メンバーは様々な「人間」との関わりの中で大きく成長したのでした。私は実行委員ではないのですが、朗読担当ですので、今日作り上げた台本の第一稿をもって、ピアニストや皆さんとの顔合わせなどの為に出かけたという訳です。

 施設長のKさん、昨夜の我が家に続いて今日も夜まで頑張っています。ちょうど今日が誕生日で、ケーキを作ってもって来る人あり、Kさんも自ら皆に心ずくしの料理をふるまって、皆で話ながら戴きました。工房に実習に来ていて、今では立派に看護士さんになっている若い人たちも参加。老若「皆で」という心地よさを味あわせて貰って幸せでした。

 

2005年5月12日(木)  

Yさんから遊びのお誘いがかかったのですが、思い切って前から気になっていることを言ったら「すぐ病院へ行け〜〜〜〜〜!」と言われて、本当にすぐ病院に行きました。お医者さんは偉いですね。私のグチャグチャ言うのをじーっと聞いて「前庭神経炎です」って、ビタミン剤を処方してくださいました。かってに血圧が低いからだと決めていた自分を深く深く反省したのでした。帰宅してググルと、まあ、それはそれはピッタリの症状なのです。

 1ヵ月ほど前、突然吐き気がして世界がグルグル回って、トイレでも座っていられなくて、必死にペーパーホルダーにしがみついていたのでした。廊下を四つんばいになって歩くこと2日ほどで次第に治っていったのですが、やっぱり目まいはするし、特に寝たり、横になったりするときの回転するような目まいには往生していたのです。町を歩いていてもときどきふらつくので、さすがに舞台で倒れちゃまずいと思って、病院へ行こうか、行こまいかと、ずっとグズグズしていたのでした。

 2〜3ヶ月で治っていくそうです。ということは、2〜3ヶ月は・・・。まあ、先に灯りがともってホッ。メヌエル氏病じゃないかと思っていたのでホッ。

 

2005年5月13日(金)  

多治見で警官から銃を奪った犯人が逃走中。日曜日に美濃太田へ行った時、乗換えで通ったばかりの穏やかな緑の街です。まだ3発残っているそうなので、岐阜の皆さん(我が家の1名含む)気をつけてください。

 テッド・コッペルのナイトラインで、アブグレイブ刑務所でのイラク人虐待事件で一人、降格処分を受けたジャニス・カーピンスキー大佐(元准将)をインタビューしていました。彼女は「収容されていたイラク人のほとんどは運悪く連れて来られてきた人達で、80%は帰すべき人達だった。でも、幹部は戦争に勝っているんだからいいんだと言っていた」と発言していました。何という感覚!人間を人間と思わなくなるのが戦争なんだなあ。大佐もこんなことで注目を集めなかったら、そんな事も言わなかったんだろうなあ。

 いずれにしてもこの人たちのトップはラムズフェルド。

 「裁判所への抗議の葉書、紫金草合唱団の人たちに知らせるから、チラシいっぱい送って」と金沢のAさんから電話。打てば響きすぎる金沢です。感謝。まともな裁判が受けられない国になりつつあることを、私は日々日記に刻印す。

 

2005年5月14日(土)  

 昨日、バンダーラさん(アッちゃん)からメールの宅ファイルでスリランカで船を買って贈呈して無事帰ったという写真をいっぱい送って来たのだけど、それをなかなかコピーできなくて困っていたら、今日、彼らのHPにアップしてくれたので、やっとコピーしてリンクをはることができました。皆さん、ぜひご覧下さい。

和訳がついていたので、よくよく読んだれば!!!なーーーんと、これを驚かずして何を驚きましょうぞ!バンちゃんは首相官邸でマヒンダ・ラージャパクサ首相と会談していたのでした。各国から色々援助はあるけれど、個人を救う形のものはほとんどないそうで、こうした船であれば、具体的に個人の漁師が仕事を再開できるわけで、私はこういう援助が好きです。顔から顔へ。バンちゃんとアッちゃん、本当にお疲れ様でした。よく頑張ったね。ありがとう。そしてがま口塾の皆様も、ご協力本当に有難うございました。

 GAMAGUCHIMARUは、情熱的な赤いボートです。スリランカへ行って、この船に乗ってみたら気持ちがいいだろうな。いっぱいいっぱい魚がとれて、漁師さんの日焼けした顔が思いっきり笑いますように。

2005年5月15日(日)  

中国の本の翻訳を引き受けることになり、もちろん私の語学力ではねっちもさっちもなりませぬ。かといって張陽や姫ちゃん達の日本語力では、これまた苦しいものがあります。で、3人寄れば文殊の智恵。3人でチームを作って仕事をすることにしたのです。

 今日、一家がやってきましたが、まーあ、デインディンというワンパク坊主がおりまして、仕事どころでございません。結局チーム名を何にしようなんて軽い話で終わってしまいました。「パンダチームは?」って言ったら、「何だか信用できない仕事しそうな名前だね」という結論で終わりました。はて。

 デインディンは保育園へ通い始めました。全てにまったく問題なく、喜んで通園していて、早速「バカ」という言葉を覚えてきたそうです。保育園では誰かが「アンパンマン」って言うと、一日中皆が「アンパンマン」って言うそうで、幼児の言葉の認知過程というのは興味深いです。先月、北京へ親子3人で仕事がらみで出かけたら、長春からも、延吉からもお祖父ちゃん、お祖母ちゃん4人が飛行機で飛んできて、それはそれは大騒ぎだったそうです。ディンディンは名古屋にもお祖父ちゃんとお祖母ちゃんがいて、一人で6人の祖父母をもつことに。何てこっちゃ!

2005年5月16日(月)  

朝のビラまき。今日はリュックに「11の約束 えほん教育基本法」11冊と「私は戦争から生きて帰った」10冊入れて背負って行きました。池田さんの本を特別に著者割引で25冊買いました。通常価格で売って、差額を訴訟の会のカンパにするのです。私の本はおこがましいのですが、それに習いました。わずかでも、原告費用の2~3人分は生み出せるのです。今日は弁護団事務局長の川口弁護士が20冊注文して下さったので弁護士事務所に届けようと思ったからです。先輩女性で、笑顔がいつも素敵なKさんが、ビラ配りが終わってから、車に乗っけてくださったので、ラクチンして届けられました。本当に超ささやかな本屋さん。

 ニュースは何億、何十億円と納税した人のランクを並べ立てて・・・。巷はジャンボ宝くじに行列が・・・。

 でも、私は楽しい。何か知らないけど、すごく嬉しい。優しい人たちが周りにいっぱいだから。そりゃあ、優しくて知的で強くてお金持ちが訴訟の会にいてくださったら苦労はしないのだけど・・・うーん。どうみてもお金持ちはいそうにないなあ。

2005年5月17日(火)  

東音研の舟木淳さんの「語りとトークの会」が揖保ジャパン人形劇場ひまわりホールでありました。76年に劇団舟木スタジオを作られてから30年にならんという俳優人生。今日の出演はたった一人。椅子1脚、マイク1つのシンプルな舞台でした。

 夏目漱石の「夢十夜」から第二夜。これから毎年されるそうですから全部終わる頃には80歳くらいでしょうか?詩とトークでは、戦後60年に当たり、戦前80年を考えるとして、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」と浅井薫の「小林多喜二よ、多くの龍吉、渡、工藤たちがいま」、竹内浩三の「日本が見えない、骨のうた」。そして最後を憲法第99条で結ばれた。極めてシリアス、重い内容でした。

 きっちり、正確、シンプル、端正な朗読でした。先日の松原実智子さんの「君〜」とは、又すっかり違う朗読で、一人一流を納得させられました。私だったら、「ねえねえ、お客さん、いいでしょいいでしょ、この詩、ねえ、私、こんなに感激してるの・・・」なーーんて感じで、溺れ、酔いしれ、どうにもならへん、みっともない朗読になっちゃうんだけど、先輩達は、そういう道を通ってきて、やがて枯れていくというか、渋い品性を朗読ににじませていくのだなあ・・・と思ったのでした。

 それにしてもです。昨日、塾の会員さんから「今、日本は自力で国を守れず、アメリカのお陰で北朝鮮からも手を出されずにすんでいる。アメリカに頼って、ノーと言えない日本の自衛隊イラク派遣もしかたがないと思う」というファックスを貰って、何か気がめいってしまっていました。そこへ首相の「靖国参拝は他国にとやかく言われることじゃない。罪を憎んで人を憎まずだ」という発言に開いた口がふさがらず、日記に留める気にもなれなかったのでした。でも、舟木さんはそのことをしっかり批判されました。60年の前の80年、日本はどのように歩んだか?今、又その歩みを繰り返そうとしていないか?ハッと気づいた時では遅い。 

 アメリカの言いなりというけれど、アメリカの一部の人の言いなりであって、アメリカにも日本にも中国にも世界のどこにでも、イラクへの自衛隊派遣に反対の人は大勢いる。そして肝心のイラクのほとんどの人が日本の自衛隊に来てほしくないと思っているのに。

 今日現代書館の「イタリア・パルティザン群像 ナチスと戦った抵抗者たち」(岡田全弘)が届いた。イタリアのレジスタンスについてはまったく知らなかったので勉強しようと思っています。だって今月末、岡田さんちに遊びに行きますので。最後の著者紹介を見たら、今は漁師と書いてあって思わず笑ってしまいました。ペスカトーレ・ゼンコウ。取れたてのお刺身をいっぱい食べさせてくれるペンション。魚を釣りながら?この本を3月に仕上げて、今は、ちょうどイタリアの友人達に本を届けに回っておられる最中だそうでそうです。平和は血と涙と嘆きと後悔の後にやってくるけど、人はすぐそれを忘れてしまう。

2005年5月18日(水)  

K市H小学校で今年も授業が始まりました。今年はしっかり予算をとっていただいたそうなので、1年生から6年生まで、1クラス、最低2回は出向くことになりそうです。今日は1年生3クラス。「あいうえお」の授業です。いったい何をやるの?でしょうね。45分間、格闘技をするのです。家へ帰ったら声がカスカスで、さすがにソファでぐったりしてしまいました。

 ほんの1~2ヶ月前まで幼稚園に通っていた子達。正しい口の形で声を出して、言葉を表現する楽しさを知ってもらうのが狙い。最後にご褒美に絵本の朗読。皆に協力してもらって一緒に読みました。午後から雨が降りそうな予報だったので、さのようこの「おじさんのかさ」を選びました。大きな傘を教室までもって行きました。「あめがふったらポンポロリン、あめがふったらピッチャンチャン」の繰り返しを、歌うようにニコニコ。
 
 授業が終わった後は、まーあ、大変!十数人に取り囲まれて抱きつかれて、身動きならず。ゾロゾロついてくるのを振り切って校長室へ逃げ込みました。
 校長先生とは扶桑社の教科書の話をしました。今年教科書が変わったのだそうです。3年毎に変わるので、その変わり目が大変なんだという解説でした。どんな教科書を選ぶか。学校の先生達も色々大変な苦労をされているようです。 

 今日は私の他にアメリカ人のN先生が英語の授業に入っていましたが(これも各学年、年間を通して授業を受けます)、校長先生は、「先生達は全てに専門的ではありえない。農家の人には古代米の作り方を教えてもらっている。色々な人に刺激を貰って成長してほしい」と言われます。

 私も良い刺激になれるよう、よく勉強し研究したいと思ったのでした。

2005年5月20日(金)  

19日(木)

 岐阜の美濃太田で「お茶の間ゼミ」。毎月1回夜、喫茶店を借り切ってゲストを招くゼミナールで、今回は私がゲスト。中国のマスコミに身をおいた体験を話させていただきました。ここのところ、色々資料を引っ張り出して、何を話そうか考えていたのですが、本当に私の北京での暮らしは、大勢の方に支えられていたなあと、改めて感謝の念がこみ上げました。20人から30人くらいの参加者と聞いていたのに、40人以上のギュウギュウでした。隣町、各務原市のかつての朗読ボランティア講座の生徒さんたちも駆けつけてくださって、懐かしかった!

 後から色々感想やら質問が出たのですが、「人生で、今まで聞いた全ての講師の中で、2番目に早口だった」と言われ、爆笑でした。恥ずかしい・・・。汗だくの喋り捲りでしたもん。もう少し整理して、ゆっくりお話しすべきだったなあ。反省。

 たまたま毎日新聞の岐阜支局長さんが取材にいらしていて、去年全国版で記事を書いてくださったH記者は後輩だそうです。そんなことはまったく知らないで、私はあの記事を皆さんにコピーして持って来たし、話しの中でも熱心で誠実な記者さんであったことを話したのでした。

20日(金)

 昨夜は別宅泊。今朝から馬力をかけて別宅の各種管理作業。帰宅してから夜はイラク派兵差止訴訟の会のスタッフ会議。ちょっと疲労身。

2005年5月21日(土)  

岐阜の西柳ヶ瀬のホテルで、友人のTアナウンサーのファンクラプと話し方教室の生徒さん達の会の結成10周年記念のパーティに出席しました。7000円会費で100人ほどの参加者でしたから、なかなか盛大なものでした。

 Tアナとは、もう30年になる付き合いです。私達の性格や生き方は水と油、野花と牡丹の花くらいの違いがあります。今日の司会や映像のナレーションなどは全て、彼女のアナウンスオフィスのスタッフだし、進行もアトラクションもお弟子さんたちがテキパキ。すごいなあ。Tアナの局アナ時代の先輩で、野球など、スポーツ実況放送でよく知られる芳村アナウンサーとのトークショウもあって、華やかに盛り上がっていました。

 私は身内?のテーブルにいましたが、彼女の姪ごさん(彼女もアナ)に、「坂東さんも話し方教室などで教えていらっしゃるのでしょ?」と聞かれ、思わず「そう。小学校であいうえお・・・」。ナーンタールチア〜♪・・がま口塾では、お掃除してお茶だして録音する係りだしなあ・・・。話し方なんて教えられへんわあ。

 60歳。真紅のブランドのコートを贈られて、ますます華やかで美しい友。私と道は違うけど、貫いてほしいと思ったのでした。

2005年5月22日(日)  

グダグダ、ブタブタ。寝っ転がってテレビ見たり、あっちの本読んだり、こっちの本読んだり。又、始まったあ。やるべき事が迫ってくると、私はなかなかそっちのことに向けない。嫌だ嫌だとダダをこねる。この性格が私の人生をダメにしてきたのだと思います。

 敵を恐れることはない……敵はせいぜいきみを殺すだけだ。
 友を恐れることはない……友はせいぜいきみを裏切るだけだ。
 無関心な人びとを恐れよ……かれらは殺しも裏切りもしない。
 だが、無関心な人びとの沈黙の同意があればこそ、
 地上には裏切りと殺戮が存在するのだ。

                 ロベルト・エベンハルト

という詩を最近お気に入りの「海亀通信」でみっけ。毎日思い出しています。ブタブタ暮らしながら。

2005年5月23日(月)  

会員さんの出演するコンサートのチケットをプレゼントされていたことを、すっかり忘れていました。それは昨日であったのだ。拙い! 手帳もカレンダーも見たくないほど、ほんと、昨日はだらけていたのです。反省。

 今日、ポストにいっぱい茶封筒が入っていて「あっ!」。そうなんだ、自分で返信が来るように、マンションの皆さんにポスティングしたじゃんか!その事さえ忘れておりました。
 先日の総会で我が家は副理事長の当番になり、色々連絡係り。住民の名簿を毎年作成して印刷配布していたけれど、今年は個人情報保護条例のこともあって、改めて皆さんの意思を確認するというような・・・そんな作業。けっこう「名簿は作らないで下さい」という意見がありました。時代は複雑に進んでいる事を実感。

 網戸が張り替わって届きました。張替え屋は兄です。父が生きている時は、ほとんど会話らしい会話を父としなかった兄なのに、兄は亡き父から、海好き(水泳と魚釣り)と器用貧乏をしっかり譲り受けたようです。我が家の全部の網戸の張替えを引き受けてくれました。「払うわ。いくら?」「お袋に美味いもんでも食べさせたってくれ」。これだけが兄妹の会話のすべてです。日本一短い兄妹の会話かな。
 

2005年5月24日(火)  

 昨日、能登島のOさんから電話があって、ペスカトーレ・全弘さんがイタリアから帰ってきたけど、「大変だっのよ」という話しが出ました。何と、13日に東京新聞に、16日には中日新聞の「春秋」欄にペスカトーレ(釣り師という意味らしい・・・)さんの、イタリア、パルティザンの本が紹介されて、皆からジャンジャン電話がかかったというのです。私はナーーーンモ知らんどったのでありまして、知らないのに、その前に本をインターネットで探して注文して読んでいるわけで、「読んだよー」って言ったら、向こうがびっくりしていました。

 で、今日は図書館へ行って、16日の中日新聞の「中日春秋」のコラムを読んだのです。Oさんは「パパがしっかりイタリア史研究家になってるから、びっくりしたわ。ただイタリアにイカレテルだけなのに」って言ってらして、傍で全弘さんが聞いてらしたけど。とても素晴らしい本であると紹介されていました。イタリアにもナチスが来て、2年近く凄絶なレジスタンスがあったなんて本当に知りませんでした。日本政府の戦後処理との比較がコラムでは結びの言葉になっていました。昨日の小泉発言も幼くて虚しくて。

 翻訳の仕事は姫ちゃんとなかなか良いコンビネーションでやっていますが、まーあ、疲れるう〜〜〜。色々講演の話も昨日も今日も舞い込み、勉強もしなくっちゃ。いやいや明日は、もうはい、がま口塾だがね。掃除もせなかんし。

 

2005年5月25日(水)  

今日はがま口塾。今はまだ早朝です。燕の中国便りを更新したついでに、ぜひ皆様に読んでほしい雑誌が2つ! 何事も後から分かってくるのです。イラク派兵は絶対絶対止めてほしい!

その@(5月24日)発売の写真週間誌『FLASH』868号に訴訟の関係記事。池住    さんが取材を受けたものです。ちょっとセンセーショナルなタイトルですが。

「攻撃するな 自衛隊がイラク現地部族を極秘買収 〜〜スクープ!部族長、地元民が信じられない”現ナマ工作”を爆弾証言」(88〜89ページ)というタイトル

そのA 先日名古屋で全国弁護団のアンマン現地調査報告会を開いた時、ゲストとして講    演していただいた西谷さんからの、訴訟の会へのメールの一部転載です。

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 現在発売中のフライデーに、「砂漠に捨てられた傭兵」の写真が、イラクで拘束中の齋藤さんの関連ウエブサイトとともに、掲載されています。「砂漠に捨てられた傭兵」の映像は、私が05年2月に、ヨルダン・アンマンでファルージャゲリラから譲り受けたものです。昨年から、米軍が傭兵を砂漠に投げ捨てている、あるいはユーフラテス川に捨てている、という噂はあったのですが、このように映像として撮影されたものはなかったので、「これは日本で伝えなければいけない」と思ったのでした。齋藤さんの事件があって、メディアも報道してくれることとなり、いかに現代の戦争が民営化されているか、がようやく白日のもとになりました。

 イラク派兵差し止め弁護団が、情報公開請求で、「自衛隊はサマワに何を持って行った」という文書を求めたところ、「黒塗り」で返ってきました。こちらの方もメディア的には面白いだろうと思って、持ちかけたところ、次号のフライデーに掲載されることとなりました。

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2005年5月26日(木)  

  昨日のがま口塾は出席8人。うち初めての参加は1人でした。本当にいつも不思議に思うのは、誰も初めての人だとか、知らない人だとか、全く考えずに夢中で話そのものに熱中しているという事です。実は、告白すると、もう止めようか、いつ止めようかと気弱になることがけっこうあるのです。でも、皆さんが遠路はるばる来て下さって、本当に真面目に楽しく、らく〜〜に話しているうちに、やっぱりやって良かったって思うんです。励ましのメールや手紙もやっぱり元気がでます。がま口塾は楽しいです!皆さんに感謝。

 テープ起こし、印刷、発送、全部完了。90人の方の顔を全部お一人お一人思い出しながら、心をこめて便りをポストに投函したこと、誓って申しあげます!特快でした。

 明日から石川県をウロウロします故、ちょっと日記をお休みします。みやげ話、きっといっぱいです。 

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Akiary v.0.51