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2005年7月1日(金)  

訴訟の会の会議の日ですが欠席。心を鬼にして。会に出席して「忙しい」は禁物で(全員超多忙)、私は「貢献できない」という苦しさに自ら苛まれます。なので、朝、テレビを見ながら、昨日買った材料で、7月の9日と10日に名古屋でする、「自衛隊イラク派兵差止め訴訟第2回全国原告事務局会議」の背ビラを制作しました。

 切ったり、色を塗ったりの工作は昔から結構好きなので、苦になりません。書道で立派に書けと言われるとお手上げですが、不思議な事に、訴訟の会は、私が変な背ビラを制作しても何も言わず、自由そのもの。今回もやりたい放題。ローズ色とモスグリーンのカラー和紙を台紙にして、刃物で字を切り抜いて、下にイラクや沖縄のニュースの新聞をはめ込みました。新聞の字が字になっている仕掛けです。

 タイトルの字があんまり沢山なので、途中で嫌になってきて、後半はマジックで書き込みました。まさに適当が好きなO型人間の私らしい・・・。しばらく会議を休まなくてはならないので、早速それを事務局に郵送しました。

 雨。渇水地域は潤ったかしら。豪雨地帯は晴れたかしら。

2005年7月2日(土)  

1日中パソコンにしがみついて頑張っておりますだ。偉いもんだ。昔から本当に勉強が嫌いなオイラ。しょうがないよね、お金戴く仕事なんだもの。先日の福岡早良市民センターでのライブがCDになって送られてきたので、時々BGにして。歌手から長崎でやらないかと誘惑の電話がかかる。長崎かあ・・・。行きたいなあ。でもね、鉄工業の会社のCDRを制作してるんだけど、会社の歴史を見ていると、時代に翻弄される、人の生業の苦しさ、辛さ、難しさをひしひしと感じ、何か私の只、口を開けて朗読するだけの仕事がヤクザに思えてきてしまいます。

 ええーい!言っちゃおう。減量開始4日目。2s減ったんです。1週間の食事メニューを忠実に実行すればいいの。先日、ピアニストの八幡さんから15s痩せた話を聞き、ビックリしてその場でレシピをコピーしてもらいました。帰宅後からすぐ実行。
 明日はご褒美でステーキを食べてもいいのです! あまりにも太って、ゆったり工房のコンサートのステージに上がる元気がどうしても出てこなかったのです。当日、工房のM子さん製作のさをり織りの衣装が着られるや否や。必死。

2005年7月3日(日)  

 泊り客あり。必死で(何をやるにも普段のナマカワがたたるのでありまして)掃除をしておったらば、緊急メールが入りました。早速議会の中継録画に飛びました。江戸時代に思想タイムスリップしている人間が、堂々と県会議員として演説しています。こんな議会中継を中国や韓国の人が見たら、憤死します。抗議したい方は寺町みどりさん(midori@kenmin.net)まで、名前を至急お知らせください。以下はみどりさんからのメールです。
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2005年6月28日(火)、鹿児島県議会・一般質問において日韓間の諸外交の懸案や男女共同参画政策とジェンダーフリーを批判する内容の一般質問が行われました。
 内容は、議会の一般質問とは思えないひどいもので、一つ目の質問では、「従軍慰安婦はでっちあげ」などと中国・韓国をひぼうし、二つ目の質問で、ジェンダーフリー批判を展開しています。
 緊急に、下記のとおり、事実関係や資料所在をお知らせいたします。私たちは、現在、鹿児島県議会議長および当該議員に、抗議および発言取り消しを求める文書を、送るべく、準備中です。

申し入れは、最終的に本日中に集まった人の連名という形で、月曜日に記者クラブ及び鹿児島市議会にFAXし、その日のうちに、議長および本人に速達で郵送する予定です。

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 6月28日(火)鹿児島県議会・第2回定例会一般質問における、吉野正二郎議員の問題の吉野議員の一般質問は、鹿児島県議会ホームページで、全文の録画を視聴することができます(とり急ぎ、下記の発言要点のみ掲載します)。
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(録画から)
 「日中、日韓間の諸外交問題に関する知事の見解について」の質問では、「従軍慰安婦などというありもしない言葉をねつ造」、「挺身隊として強制連行された慰安婦が出てきたなど大々的な嘘の報道をした」、「中韓両国はやくざのいいがかり」などと持論を展開しました。 
 「男女共同参画及びジェンダーフリーについて」の質問では、「さる平成15年6月議会におきまして、私は、『男女共同参画基本法はその制定過程において、とんでもない許しがたい思想が盛り込まれた欠陥法であること、学校現場その他で多大な混乱を引き起こしている、これを放置すれば日本のよき文化伝統すらも破壊されかねない』という趣旨の発言をしました。そして今、多くの良識ある方々がそのことに気づかれたと同時に、学校現場その他の社会の中において、手のつけられないようなおぞましい現実がはびこっていることも事実であります。それは、ジェンダーフリーという、実にいかがわしい、英語でもなくもちろん日本語でもない用語が害毒をまき散らしているからであります。・・・・・」と展開

呼びかけ人は、寺町知正、今大地はるみ、後藤尚子の3名の市民派議員。連絡先は、寺町みどりです。

2005年7月4日(月)  

よくまあ降りますこと。日中戦争の頃、中国の延安から日本(日本兵)に向かって、銃口を向けるなと反戦放送していた原清子さんに2000年に、北京放送でお目にかかったことがあります。老衰で亡くなる直前でした。原さんのアナウンス原稿のチェックをしていたのが野坂参三だったという事ですので、もう「生きている歴史」という人。

 お目にかかった時、彼女が歌ったのが「♪雨雨降れ降れ母さんが♪蛇の目でお迎え嬉しいな。♪ピチピチチャップチャップランランラン」。それはそれは無邪気なお顔で歌っておられました。望郷の念やるかたなかったのだと思います。

 雨の歌を歌いなさいと言われたら、私は何を歌うのかしら。100円ショップの傘がジャンジャンたまる我が家。お迎えを待ってランランランなんて時代は絶望的に来ない・・・。

2005年7月5日(火)  

関西の差止訴訟の原告でもあり、3月に名古屋にも来て、イラク情勢を語ってくださったハッサンさんからのレポートの配信を受けました。私が望んでいる復興支援は、フランスのようなNGOの支援です。以下、配信のごく一部だけですが、貼り付けます。「わたし」というのはハッサンさんの事です。わたし、弘美は明日は北陸に出張です。
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◆サマワに住むジャーナリストS氏のレポート◆
《私は先日来、サマワに住むS氏に数点の質問(Q)をしていました。その返事が返ってきたので、紹介します。》

Q1「日本の人々はサマワの状況に関心を持っている。サマワの人々は最近になって、ますます自衛隊に敬意を払っていないようだが?」

S:そうだ。非常に残念だが、自衛隊はイラク人に繰り返し約束したことをやろうとしない。ただ約束しただけだ。つまりイラク人を助けに来たのではなく、アメリカ占領軍を助けに来たのだということが明らかになった。
 それで6日前(5月30日)、サマワの人々は日本国旗を、通りで踏みつけた。自衛隊が初めてやって来たとき人々は歓迎したが、今や事態は完全に変わってしまった。彼らはただ復興させるとしゃべっただけだ。ウソの約束をして、何の活動もしない。大変よくない態度だと思う。

Q2「フランスのNGOアクテッドはまだサマワにいるのか? まだ水を作っているのか?」

S:アクテッドはイラク戦争終結後すぐ、03年4月20日にやってきた。その頃サマワの人々は、アクテッドに敬意を払わなかった。「スパイではないか」と警戒したのだ。なぜなら、終戦直後にサマワに入るNGOはとても珍しかったから。今は、バグダッドや全ての地域で、戦争状態であるのにアクテッドは黙々と市民のために仕事をするから、全てのサマワ市民がアクテッドを尊敬し、その活動を守ろうとする。だから、彼らは危険ではないのだ。
 アクテッドが供給する水は無料だし、サマワ市民の80%に水がいきわたっている。そしてサマワから10キロも離れたアルワーカ市など多くの町に浄水場を作ってくれた。だからNGOのアクテッドは、自衛隊だけではなく、全ての軍隊よりも高い評価を受けている。
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2005年7月7日(木)  

 6日。しらさぎの始発で小松へ。M社のYさんのお迎えで遊泉寺銅山跡記念碑を探すドライブ。本当はM社会長さんが車で案内をかって出てくださっていたのだけど、急遽御用で、社史担当窓口のYさんになったのですが、この人もまだ行った事がないという所だったのです。小松市の観光課に問い合わせても、担当者が知らなかったくらいですから、全く関係者以外には、人々に忘れ去られている所。静かな静かな山あいの村のはずれに、美しく整備された記念碑や銅像がたっていました。それから欲を出して、銅山に送電するために作られた、更にちょっと奥地の山間の神子清水発電所記念碑も探しに。Yさんが何度も村人に尋ねて探し出してくれました。

 社に戻って会長さんに2ヶ所を訪ね当ててきたと事を伝えたら、とてもびっくりした様子でニコニコされました。会長さんが、仕事の心の原点のようにしていらっしゃる所だからです。その後のインタビューは、しごく安らかな雰囲気でできました。80歳の御年。今、お聞きしておかないとね!

 YさんとSさんが会社のアルバムを山と応接室に積み上げて、せっせと写真を選んでいらっしゃる所でインタビューをしていると、今度は突然、会長さんの義理の息子さんである、超多忙な社長さんが入っていらして、話の流れが変わり、又席を立たれて、又話が戻りと、色々インタビュアーとしても四苦八苦。会長さんと社長さんのタイプが世代が違うこともあるのか、まるで違い、CDRに対してのイメージも違うようで、若い社員の皆さん達にも受けいられるものにもしなくては・・・。

 夜は歓迎の宴を、社長さん、Yさん、Sさんと料理屋さんで・・・と言っても、予め事情を説明して「小豚に餌をあたえないで下さい」と言っておいたので、ちゃんと希望通り、野菜サラダや、もずくや、じゅんさいにしてもらえました。商売の基本はお客のニーズにあるのです。開発のヒントはお客がくれるものなのです。お酒も決して無理強いされない、超陽気な社長さんたちと遅くまで楽しい真面目な「仕事論」が続きました。「坂東さんが今までに作ったことがないような物を作ってよ!」と檄を飛ばされちゃった。

 7日。ホテル玄関に又Yさんが迎えに。恐縮至極。町には七夕の飾り付けがにぎやかにしてありました。さて、今日はまず、別の会社(同系列)におられる専務さんのインタビュー。70歳をすぎても一ツ橋で学ばれたダンディな雰囲気は、これまた違うタイプ。お話がとても好きな方で、昔のアルバムを見ながら色々な秘話がつきません。やっとこさ切り上げて、今度は本社に戻って会長と会長夫人に創業期のエピソード、創始者の先代社長夫妻のお話を伺いました。創業者夫人は自ら旋盤をされていたそうです。女性史としても、とても興味ある話をいっぱい聞きました。

 午後はでっかーーーーーい、親会社の粟津工場(従業員2500人)の迎賓館に陳列してある国産のもっとも古い製品を写真に収めました。そして今度はM本社の工場に入って、溶接や旋盤の機械がブンブン、ジージー、ガンガン音をたてている、その音を収録。今はロボットが作る事が多いのですが、最後は人間の手や勘が勝負だということを何度も聞かされ、感心することしきりの取材でした。
 又応接室に戻って、今度は資料のビデオの中から、CDR社史に使いたいものを皆で探しました。古いものほど私が欲しいのです。でも古いものほど見つけにくいのです。

 何とか時間までに切りをつけ、沢山の資料をカバンに、北陸自動車道の高速バスで帰名。さて、今から9、10日の全国原告団事務局交流会の時の講演の背ビラ作り。皆は土砂降りの雨の日も裁判所でビラ配りをしたそうです。できることでせいいっぱいお手伝いしたいと思っているけど、それがなかなかできない状況で辛し。

 そう。5日も東海音声表現研究会を忘れていました。ダメな奴。

2005年7月8日(金)  

ゆったり工房でコンサートの練習。メンバーのコーラス練習。皆で小学生になって愉快な発声発音練習。爆笑の連続。その後司会をする2人と、朗読のTさんの特訓?をしました。昨日身をおいていた所とは180度回転した別世界。

 ロンドンの天国と地獄。「罪もない人々を・・・」と抗議するブッシュ、ブレア、コイズミ、そんなこと言える資格はありません。人を殺しあって解決できる事は何もなし。

 ロンドンに友人知人家族のいる人たちはどれほどショックでしょう。ジャパンも時間の問題です。だれが私には関係のない問題だと言えるでしょう。

 あれも、これも、それも、皆皆、地球に生きる人間の姿。とにかく相手を殺して解決することは何もないのだから、即刻自衛隊は帰って欲しい。引き上げて欲しい。ブッシュ、ブレア、コイズミはまちがっている!

2005年7月9日(土)  

自衛隊イラク派兵差止訴訟第2回全国原告事務局会議。北海道からは元国会議員や元大学の先生と弁護士さんが4人も来名しました。何せ北海道の訴訟は、元郵政相・元防衛政務次官の箕輪登氏が最初に声をあげたのです。原告団には公明党を除いて、自民党を含めた全部の政党が目的をひとつに闘っています。熊本、岡山、京都、大阪、静岡、東京、山梨、栃木・・・出席できなかった所も含めれば全国11箇所で訴訟が行われています。皆でノウハウと情報を共有しようと言うわけです。

 それと、「憲法を武器に闘う〜恵庭・長沼・百里裁判」と題して内藤功弁護士の講演。憲法九条にはむかうのは逆賊だという心根で闘い続けていらっしゃったのですね。弁護士は、今も憲法に違反している政府は逆賊だと喝破されました。考えればそう。数の問題ではなく、真理の問題。

 明日もペットポトル9本を一つにした花瓶にさす花と、背ビラをもって出かけまーす。

2005年7月10日(日)  

 全国原告事務局会議、第2日。朝早く起きて天白川の土手などで草花を摘んで、又昨日の特製ペットボトル9本花瓶や、ちょっと作り直した背ビラをもって生協会館ホールへ。『お花なんてなくても会議に支障はないし、ない方がさっぱりしているかもしれないなあ』と思いつつ、勝手な行動です。草花はきっと、何気ない1r程の癒しにはなったでしょう。なにせ話が重過ぎるから。

 会議は時間が足りず走る走る。貴重な土日、全国から集まって会議をするのは、時間との闘い。でも議題の一つ。今日の日付で首相あて申し入れ書を全国の会議の名で出せました。ロンドンのテロを踏まえてのことですが、簡潔に言えば、

1.自衛隊をイラクから即時に撤退させて下さい
2.今後、一員たりとも武装した人を海外に送らないで下さい
3.憲法第九条をもつ国の首相として、徹底した非軍事・平和外交を行ってください

ということです。 

 夜、蕪湖の教え子で広州のトヨタで働いているT君から突然の電話。デモの時から心配していたので全くもって嬉しい電話でした。「デモは政府がらみですよ」と、いたってクール「。学生は分かってないから、面白がっているだけです」だって。
 広州から国際電話をかけているのかと思ったら、何とトヨタ市に研修に来ていて、9月まで通訳をするのだそうです。先週も昨日も、何度も私に電話をしたらしいのですが、私、おりまへんやったわ。7月中は忙しいので、8月においでと約束・・・あ、そうだ!日進のゆったり工房のコンサートへ招待しよう!豊田から近いもの。これでひとつ席を増やした!

2005年7月11日(月)  

明日、Yは引越し。家族が1人減ります。めでたし。 男の引越しはお気楽で、私はコマネズミ。雑巾まで縫ったがね。泊り客あり。私は明日の授業の教材作りせんならんがね。なんとかしてちょーーーだい!

2005年7月12日(火)  

何とかなりました。やれやれ。H小学校、今日は1限2限は2年生。もう皆すっかりお友達。東君平の「ひとくち童話」を山と用意して、皆で楽しみながら読みました。3限は特殊学級。1~6年生12名。今日はたまたま特別に施設から通いで参加した車椅子の筋ジスの子も、お母さんと一緒に来ていました。楽しんでくれたかなあ・・・。

 汗がポタポタ落ちました。4s減量して、16日までに「後、2s」と思って頑張っていることもあって、気合だけでやり過ごした1日でした。玄関で送ってくださった校長先生がズラーリと並んだ子供達が育てている朝顔の説明をして下さって、その反対側の花壇に薩摩芋の原種が植えてあって綺麗な花を咲かせていました。1年生の子供達には何が植えられているかわざと話していないそうです。朝顔とよく似た花がさいていることにまず気づかせて、それから、朝顔も薩摩芋も同じヒルガオ科の親戚なのだと教えるのだそうです。

 戦火無き日本の子供達の日々の幸せ。それでも家庭的に問題がある子が多いと、校長先生の顔は曇ります。本を読むことが好きな子が増えますように。

 Y引っ越しまして、やれやれ。

 

2005年7月13日(水)  

コンサートの衣装の製作。一応M子さんの作品のリメイクは終え、私のサイズにしたけれど、共布のパンツや靴のカバーや、スカーフも作ってみたけれど・・・・・・・・・・・。うーむ。イマイチ気に入らぬ。明日、やりなおし。本当は肝心の朗読の練習しなくちゃいけないのに。

 スペースシャトルに乗り込む野口さんの小学校1年生の時の作文と絵をTVで見ました。すごいなあ。その時から宇宙飛行士になる夢をもっていたなんて。誰にも一生は1回。
 Yが家を出て行って、ああ、もう帰らないんだなあと思うと、私の人生の半分位も出て行ってしまった気がします。私の夢は「平和な家庭」を作ることでした。まあまあ守れた・・かな?私の半分の人生を持って行ったYの夢は知らないけれど、多分楽しい家庭を作りたいのでしょう。夢は小物なりに持って、幸せに平和に暮らしてくれますように。

2005年7月14日(木)  

昨日のやりなおし。布を買いに行くところからなので、さすがに疲れました。ものすごい暑さ。拘ったおかげで今度は納得した作品になりました。減量は明日で5s達成か?さすがにパワーが出ませぬ。頑張れ頑張れ。昨日が今日になったので、明日は今日になるわけで、予定がずれていきます。宇宙飛行もそんなものだから、それでよしとします。人生そんなもんです。

2005年7月15日(金)  

農園からトマトと胡瓜が山のように届きました。本来、トマトやきゅうりは夏の野菜だったねえ・・としみじみした次第。トマトにも冷凍していいのと、生食がいいのと、煮込むのがいい種類があるって、初めて知りました。生産者の添え書きが優しいクール宅急便です。せみも昨日ぐらいから鳴き始めました。

 コイズミさんもイシハラさんもどうしてあんなに他への思いやりや尊敬の無い話し方ができるのかしら。2人とも郵便局の窓口で一度働いてみたらいいわ。「真っ向サービス」って書いてある。ゆっくり話しても知性と教養を披瀝しても、言葉は、話し手の、元々の誠実さ、真剣さが感じられなければ、心に届かないと思います。

 いよいよコンサートは明日。新聞にも大きく出たし、皆に協力してもらっているし、なんとか1000人ホール、埋まりますように。今日は紫陽花のコサージュと朗読のノートカバーを布で作って全て完了。あとは、真剣に誠実にやるだけ。私にはそれ以外に方法がないもの。

2005年7月16日(土)  

万博に負けなかったよ!お客様960名。大ホールが埋まったのです。がま口塾の皆の顔もいっぱい見ました。皆さん、本当に有難うございました!感謝。岐阜から片道3時間かけて来て下さったり、一宮から男性も各々引っ張りこんで来てくれたり、刈谷市や春日井市からも名古屋市郊外の日進市まで、本当にはるばる来て下さって・・・。

 「若い参加者が多くてビックリした。すばらしいね」という感想を聞いてうれしかったです。藤田保健衛生大学とか、O病院とかの学生さんや職員の皆さん、ボランティアグループの皆さん、各地のコーラスグループの皆さん、日進市の児童合唱団の皆さん・・・とにかく最後の合唱では舞台と客席に溢れるように応援の人たちが並びました。

 朝、市民会館の入り口を入った時から、受付や物品販売やレストショップにスタッフの皆さんが大勢いることに感動。リハーサル中に早くもウルウル状態になってしまった私。 
 司会の男女のメンバーも落ち着いてすばらしいできでした。特にM子さんは聴覚障害者でもあるのに、一生懸命発音して、ほとんどの人にそれとは気がつかれなかったと思います。毎年ステージを踏むことで、本当にメンバー達は如実に成長しているのです。

 第一部の朗読構成の映像。途中の職員Tさん(かつて歌手を目指していた・・・)のさだまさしの「奇跡」もよかったし、メンバーの作文朗読も堂々たるもので、はちまんさんのピアノのBGも私には勿体無いほどのメロディ。こんな仕事をさせていただいて幸せでした。天白リバーバンドの演奏やメンバーとの合同も盛り上がり、第2部のはちまんまさと&トリオジャパンの演奏も素敵でした。パワフルで華麗。

 私の朗読は今日は85点くらいかなあ。自分で書いた文章だし、10年前から悲喜こもごもを知っている事だし、息遣いが楽〜な朗読ができたのでした。けっこう皆から衣装も朗読も良かった(お世辞と思われるが)と言われて、本日はご満悦也。ついでに威ばっちゃうと、3週間で5s痩せたので、コンサートさまさまなのでした。「優しい町で暮らしたい」。テーマはバッチリのコンサートでした。

2005年7月17日(日)  

今日は何もかも忘れて休もうと決め、やっと本に手を出せました。あれもこれもおくって下さった読み物や本もあるけれど、とにかくスウさんの家に泊まった時、岐阜に6年暮らしたから、岐阜が懐かしいという私の話から、スウさんがキューピットになって、岐阜市出身の松田悠八さんという方を紹介してくれました。

 松田さんはすぐに、「長良川」(第3回小島信夫文学賞受賞作)をじきじきに贈ってくださったので、それを読みたいと思い続けていたのです。金華山のふもとの長良川が松田さんの子供時代の小宇宙。{スタンドバイミー1950}の副題がついていますが、人間や自然の息遣いを本当に豊かにイキイキと、ぬいつけてある本です。いっきに読み終えました。とにかく出て来る地名もみんな分かるし、言葉遣いがまるきりの岐阜弁で、魔法にかかったように私も岐阜ワールドに浮遊。そうかあ・・・こういう風に書くと受賞するんだなあ・・・と唸った次第。東海市の27歳の中村さんも芥川賞ですもんね。

2005年7月18日(月)  

送られて来ていた冊子や本に目を通して、『すみません、すみません』とそれらに謝っています。色々と礼状も書かなくっちゃ。本当にすみません。3連休だったって?ええーっ。知らなかったよー。

 差止訴訟の会からのお知らせがあるのですが、私はとても東京まで行けません。メールが来るたびに、自分が充分スタッフの仕事ができないということに辛い思いをしています。でも、もしこんな仕事に興味があって手伝ってみてもいいという方はお知らせ下さい。チェルノブイリ救援の活動の時には、私も国会の議員会館まで行きました。今はとてもその余裕がありません。当時もなかったと思うのですが、立場上、夢中でうごいていたんでしょうね。

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■「差止訴訟」衆・参議員アンケート活動のお知らせ
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イラクからの情報がほとんど入っていない今、国民の代表である
議員が、質疑権・調査権を駆使して情報開示、自衛隊への
シビリアンコントロールをはたらかせなくてはなりません。
アラブからの声を全ての市町村に、市町村からの声を国会にとの考えから
全衆参議員に対して訴訟及びアンマン調査団の報告・資料提供をして
アンケートに答えてもらい12月の派兵再延長期限までに
自衛隊の撤兵を実現する気運を盛り上げたいと思います。

当日は札幌の佐藤博文弁護士、名古屋の川口創弁護士、
訴訟の会名古屋の池住義憲原告代表が各政党代表に面談
申し入れを行います。
それと平行して全議員に手分けして「手渡し」「ポスティング」をします。
全議員720室 3会館を手分けして回らなくてはなりません。ひとりでも多くの
原告・支援者のお手伝いをお願いいたします。
なお お手伝いいただける方は事前にメールで連絡をいただけたらと思います。

日時: 7月22日(金)
9:20  衆院第一議員会館前集合(午前中参加できる方)
9:30〜 各政党代表者に面談、同時並行して「手渡し」「ポスティング」
13:00 衆院第1議員会館前集合(午後参加できる方)
13:10〜 「手渡し」「ポスティング」
17:00 終了予定

もし当日多くの方々が来てくだされば分担し、「手渡し」「ポスティング」
の際に少なくとも議員秘書にしっかりと挨拶・説明することが可能になり

2005年7月19日(火)  

思い切って、裁判所前でのビラ配りに行きました。家で仕事していても、「皆も忙しいのに・・・誰も自分の時間を削ってやっているのに・・・」と思うと、辛くて辛くてたまらなくなって、そうやって思い悩む方がストレスになるのです。皆さんは、夕方退勤時もチラシ配布をしてから栄で街宣。これを、ずーーーーっと毎週明けに続けているのですからね。池住さんは朝、夕、それぞれ1時間スピーカーでずっと、「何故こういう活動をしているか」を演説。それはそれは紳士的に穏やかに。内田裁判長の回答があるまで続ける覚悟なのです。
 
 香港テレビで、「日本の軍事国家の可能性」について4人で討論やってました。日本領事館の松本氏も「そういうことはありえない」という意見で入っていましたが、討論の後の視聴者からのメール紹介では、85%の中国人が、「日本は軍事国家になる」と言っていました。これは若い人達の意見と思いますが、私達の存在、一般的な日本人は決して「軍事国家になって欲しい」と思っていないということを伝える力を持たなければ、両国のひずみは広がるばかりだと思います。マスコミの責任は大きいと思います。

 その後、学生センターで国会議員のアンケート活動の資料や用紙のセット。これを池住さんと川口弁護士の2人が東京まで運ぶのが又問題です。ダンボール箱3箱にぎっしり。

 帰宅後、CDR制作の仕事の音楽を聴き、BGMのデザインを考える。蝉も聴いているのか、ジイジイと鳴く。音楽を聴きながらがま口塾便りの宛名書きと切手貼り。

2005年7月20日(水)  

女性会館へ。図書室で本を探して借りました。勉強勉強・・・と思っているところへN社部長さんから電話。『ウヒャー、たまらーん。やりますやります・・・』と思いつつ、平気な顔して「2~3日のうちにお求めのもの、だします」という調子のいい返事をしておるのであります。悪い奴です、私は。

 それで必死で勉強勉強と思っていたら、コンサートを終えて疲れ切っているはずの、ゆったり工房K所長が訪れ、深夜の怪談。実際、怪談だと思います。問題はこれでもか、これでもかと生まれて、色々大変なことばかり・・・。

 人間の関係というのは、関係性の中でしか語れないです。関係がいい時は赤は赤。関係が悪い時は赤が黒になったりして。法に照らすとしても、ラインがはっきりしない。問題意識というのは、人の心の中にあって、百人百様。人間の情念とはまことに複雑怪奇です。だから2人で真夏の夜の怪談でした。弁護士さんをお願いして、まず法的に立場をしっかり持とうということに。
 「長」と名のつく仕事の責任って大変な重さ。Kさん、本当によく頑張っています。日本中で、世界中で、誰もが悩んだり、感動したり、怒ったり、悲しんだりして生きているんだなあ。

2005年7月21日(木)  

 名古屋36度ですって。暑さにもめげず、お尻に火がついている私は敢然と飛び出す。ウィル愛知で本を借り、資料をコピー。次は愛知県自治センターの県民生活プラザ情報コーナーに出かけて「愛知県労働委員会年報」の平成16年度版を一部コピー。

 次は栄の名古屋管理職ユニオンへ。1人で担当されているのだけど、私の取材に対して、とてもとても熱心に答えて下さって、お暇を言い出すのが難しいほど話していただきました。セクハラ・パワハラなど、労使の問題がこんなにもあるのかとびっくりしました。それでも氷山の一角で、特にセクハラは泣き寝入りになることがほとんどということでした。女性が最後まで闘い抜かないのです。
 ユニオンの職員の方、ご本人自身もリストラにあっていらして、ある日職場へ行ったら、机とパソコンが片付けられていて、1年間草取りをされたそうです。上層部の不正を正したのが原因で凄まじい虐めにあわれた話をじっくり聞きました。

 もう一軒、金山のユニオンにも取材に行こうと電話でアポをとったら、こちらそれほど資料もなさそうで、まあ止めました。でも、収穫の1日でした。ネットや書物では、こんな手応えは感じられなかったと思います。パワハラというのは、本当に新しい現象で、セクハラに比べて出版物も少なく、これから情報が急激に増えていくだろうなと感じました。

 万博でも、全く報道されないけれど、労働災害(調理時の火傷など)がけっこうおきているそうです。会場の中の診療所では診て貰えず、瀬戸市の病院へかけこんでいるとか。外国から来ている人たちの保険はどうなっているのでしょう。又、アルバイトなど、13時間労働もあり、とても厳しくて辞めていく人も多いとのこと。

 どんな物事にも、必ず秘匿される陰の部分があるんだなあ。

2005年7月22日(金)  

講演のレジメを仕上げてN社へ送信してから、派兵差止訴訟のニュース(臨時号)の発送作業に学生センターへ。5時頃までかかってしまい、今日は何故だか疲れました。池住さんと川口弁護士は国会議員さんへのアンケート配布に上京し、東京の人たちと大車輪で頑張っていらっしゃる。

 発送作業も昼間にできる人が少なく、大変さも分かるので、やっぱり出かけ・・それが1日仕事になるのです。昼間仕事をしている人は、夜駆けつけて作業をします。皆、本当に超多忙なのです。3000人以上の方に送付する作業は、気が遠くなるほどの根気が要ります。

 それで今日は疲れてしまって、本が読めない。仕事の勉強がおたらくになるのです。明日も予定があるし・・・。悲しいくらいに時間がありません。本当につくづく悲しくなりました。なんで戦争なんかやるの!と改めて怒りが沸々としてきます。

2005年7月23日(土)  

東京で震度5。びっくりしました。関東地区の皆さん、大丈夫でしたでしょうか。お見舞い申し上げます。怖いですね。

 エジプトからも惨状のニュースが飛び込んできました。中国国際放送局にはエジプトからも専門家が派遣されています。日本式に布を敷いて素足で使っていた私の部屋にそのエジプト人を招いた時、靴のままズカズカ入ってきて慌てたことがありました。彼女は元気かなあ・・・とふと思ったのでした。

 今日は知多武豊町民会館のゆめたろうプラザで「第7回かっぱかっぱらったかい発表会。東音研の皆さんが出演されるので、Uさんと、はるばる出かけました。谷川俊太郎さんも、従兄弟の庭瀬さんの引力で、年々はまり込んでおられるようで、今回の第2ステージはまるで谷川ショー。地元の小学生達も出演して、詩人と微笑ましい交流もでき、実にリラックスした楽しいステージでした。舟木さんと谷川さんの「これはのみのぴこ」の競演?や東京弁と名古屋弁の比較朗読は可笑しかった。「言葉」がりブームなのは嬉しいこと!

2005年7月24日(日)  

今日はじっと読書。招待券戴いたコンサートもパス(下さった方すみません)。我慢我慢でお勉強しました。この調子でいっきに宿題を・・・やれるかなあ。やらなくっちゃ!

 地震のお見舞いを関東の方にしましたが、皆さん大変だったけど無事だったようで、何よりでした。燕ちゃんが来週東京に来て、日中の平和写真展の解説員を1週間やることを表紙で紹介しているのですが、私はやっぱり出かけることを断念しました。何か事故があって、東京から帰名できず、仕事に穴をあけることだけは絶対してはいけないので。ああ。残念!

 でも、思わぬ嬉しいこともあるものです。知多の「めがね弘法」にスリランカから偉いお坊様がいらっしゃることになり、不要眼鏡を長年スリランカに送り続けているご縁もあって、ご住職が、夏休みだから子供達も招いて交流会をやろうと企画しました。それで、めがね弘法を親寺とする、子寺の住職のがま口塾会員のHさんに相談があって、バンダーラさんのカレーライスを思いついてくれたのです。私は橋渡しをしただけでしたが、バンダーラさんは気持ちよく引き受けてくれて、本日、なーんと100人の親子が本場のスリランカのカレー(4種類くらい)で交流。企画は大成功したそうです。100人分ってすごかったでしょうね。

 世界はきな臭いニュースばかり。でも、ニュースにもならない、何気ないこういうこと、大切に大切にしていきたいです。関係者の皆さん、お疲れ様でした。そして有難うございました。

2005年7月25日(月)  

一度書いたら手違いで消してしまって・・・。あ~あ。疲れましたので生川弘美寝ます。
六カ国協議も台風も気になるのですが。明日はがま口塾。皆さん、気をつけて来てくださいね。参加者少ないかもねえ。

2005年7月27日(水)  

昨夜(今朝に変わる頃)寝てしまいました。日記さんごめんね。がま口塾は、台風情報にもかかわらず7名の出席で無事終わりました。テープ起しは3日後くらいからしか始められない状況。これもごめんなさい。

 昨日の夕方、買い物帰りにふと空を見上げたら、それはそれは美しい虹がかかっていました。地上から生えて、また地上に刺さっていくような、夕焼けの大空で大縄跳びができるほどのしっかりした大きな大きな、町を見下ろす半円でした。あまりの奇麗さで道端に人が出てきて子供に教えているお母さんと「きれいですねえ!」。歩いているうちに、向こうに車のドアを開けて空を見ている若い男性と眼があって、2人ともニッコリ。「奇麗ですねえ」と男性がニコニコ言いました。携帯で写真を撮っている姉妹もいました。もう我慢できない。誰かに教えたい!と思って歩いていると、下を向いて自動販売機でジュースを買っている男の学生さんがいたので、「虹よ!」って教えてあげました。「あ!ほんとだ。久しぶりにみたあ!」だって。
 見ず知らずの人たちと「何かいいこときっとありますよね!」と言い合ったのに・・・

 山梨で,裁判所が証人・原告の申請を全員却下して,結審したそうです。判決を10月14日に言い渡すとのこと。みんな抗議のファックスを送っています。山梨は裁判官の忌避を即刻申し立てたようですが、 司法による自殺行為。 甲府地裁は被告国の共同違法審理。この国の司法は死につつあります。悲憤やるかたなし。

2005年7月27日(水)  

 ふーーーーーーーーーーーーーーーっ!あれもこれもいっぱいいっぱい考え、自分の今までの体験からあれこれ引っ張り出し、今日まで勉強したこと、取材したことを総動員して2時間、何とかパワハラについて話しました。相手はN社の管理職50名の皆さんです。明日も明後日も別の管理職の皆さん。同様だからこれでいいのかと思ったら、甘い!
 
 早速N社の担当の方から、本日行なったアンケートの集計結果報告と、人事課からの「明日からはこうして欲しい」という注文もしっかり入って来ました。厳しいね、働くってことは。B紙3枚も用意して説明をしたのですが、早速パワーポイントに入れて、明日からはプロジェクターでやって戴けるそうです。さすが。迅速な仕事に驚きます。日本の企業というのは本当に凄いと思います。

 上京しなくて良かった。今から又勉強のやり直し。時間配分と話の組立のやり直し。講演というのは辛いものです。私がこう話せばこう思ってくれるだろうと思っても、それは独りよがり。具体的であることが求められます。(一番の弱点は私が労働問題の専門家ではないという事)。

 泣き言を言わず、挑戦しようと思います。所詮人の感じ方は百人百様。価値観は千差万別。
 

2005年7月28日(木)  

帰宅後倒れるように寝込んで電話で眼が覚めて頭が大混乱。燕ちゃんが東京からかけてきたのでした。無事開幕式を終わり、大勢の人たちでにぎわっているとのこと。期日:7月28日(木)〜8月7日(日)Am9:00〜PM25:00 場所:六本木ヒルズ森タワー52階 入場料金:1500円

 森タワーでの写真展は夜の1時までやっているのだそうです。私は25時というのを勝手に5時としてしまったのですが、展望台になっているので、夜中の25時までという意味のようです。ただし彼女が何時までいるかは今の所分からないようです。ねぼけまなこで聞きました。

 時計を見たら夜の9時半。ええーっ!びっくりです。今日は0点でした。挑戦は敗北。色々原因はありますが、これは私には無理でした。敗北。働く厳しさをヒシヒシ感じています。あと1日。歯を食いしばって頑張ります。

2005年7月29日(金)  

ふーーーーーーっ!終了しました。七転八倒の3日間でした。修正に修正をして3日目に何とか形に納まったって感じ。担当の0部長さんには、パワーポイントの作成やら何やら、付きっ切りで本当に助けてもらいました。感謝。0点が2日続いて、3日目に50点かなあ。今日は誰1人眠らず、パワハラ研修に真面目に和やかに意見も出して下さった管理職さんたちでした。感謝。

 昨日は本当に自分が嫌になって嫌になって悲しかった。ある人がメールで自分が嫌いになった時は「長生きすれば恥多し」って自分を慰めるって仰って、随分気持ち的に助かりました。他にも半分半分なんだから、色々あるよって言ってくれた人もあります。友達って有難い!

 さて、今から学生センターでの訴訟の会の会議。明日、第一回の原告団総会だし、山梨の結審の危機もあるし、がま口塾のテープ起しをうっちゃって行ってきまーす。少しは心が明るくなったので。

 

2005年7月30日(土)  

訴訟原告団の総会。日本中で3251名ですが、出席は77名。中には、神奈川、熊本、鳥取、高知といった所からもいらしてました。熊本の方は新幹線の中で古いTシャツに{派兵反対などとマジックで書いて、16回往復したと笑っておいででした。

 わずかなスタッフで、皆が睡眠時間を削っての活動ですので、私が休んだ会議の日に副議長に決められていたのも致し方ないことで、Nさんが議長なので、安心して2人で並びました。川口弁護団事務局長からの山梨の証言者、「全員却下、結審」と言って逃げるように裁判官達が去っていったと言う報告は昨夜も聞いていたけど、川口弁護士は追いかけて話し合いを粘って粘ってすることにした時、涙が止まらなくて、泣きながら訴えたそうです。30代前半の溌剌とした男性弁護士が泣きながら司法の音を立てて崩れていく様を訴えたのです。おかしいよ、日本。本当に。

 司法試験に受かる人の数は増やしたけれど、裁判官の数はそのままなので、裁判官が処理した案件がおおければ、黒字になって、少なければ赤字。故にスピード結審をする人が優秀裁判官になるのだそうです。名古屋地裁の内田裁判長は、そういう意味では、真に優秀な裁判官なのです。前任地三重地裁でも何度も忌避されたことで有名な方ですもんね。

 被告国の意見もいっさい聞かされないまま、裁判が結審するなんて、絶対日本は健康な体ではありません。何かに怯えて、逆に傲慢なのではないかしら。

 インドで大雨850人死亡。イラクでテロ、4~50人死亡。地球は悲しい。

2005年7月31日(日)  

蝉もお寝んねの時間、暴走族のバイクの轟音が走っています。我が家もちょっとした音を先程まで出しておりまして・・・。

 ゆったり工房のコンサート終了後の問題発生の件でK所長来宅。U弁護士もちょうど遊びに来てくださった・・・みたいにして夕食会。問題はあっという間に解決してしまいました。だって何ら問題ないから。弁護士さんて凄い。適切な言葉がパッと出てきますからね。納得。

 たらふく食べていただいて、Uさん、ケーナを仕事のカバンから取り出して(日曜日も仕事で忙しそう)「竹田の子守唄」や「コンドルは飛んで行く」「アリラン」など次々吹いて・・・最後はネパールの曲で終わりました。この方、職業間違えたかも。

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Akiary v.0.51