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2005年8月1日(月)  

宇宙の船外活動をして「眼下に見える地球は息をのむような光景だった」というコメント。思わず、「戦争は写っていないかしら」と思ったのでした。金子みすゞの「大漁」だったっけか・・・

 朝焼小焼けだ/大漁だ/大羽鰯の大漁だ/浜は祭りの/ようだけど/海のなかでは/何万の 鰯のとむらい/するだらう。

人の生きる姿も、宇宙と言う海から見たらこんなものかも。
バグダッドのハッサンさんからのレポート。40人の死亡なんて、まるっきりの嘘っぱち!!!!
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ムサイブにおける大量虐殺、テロリストの心の闇を見た。
チェックポイント、賄賂で働かない警官

 7月16日夕刻、ムサイブ市で起こったことは、歴史上最も悲惨な出来事として人々の心に刻まれるだろう。歴史、つまりイラクにおけるバビロンの支配が及んだ地域の全ての歴史の上において。

 ムサイブ市は「ジャフ・アル・シェイカー」という近隣の地区に住むテロリストグループからのテロ攻撃に悩まされてきた。あの悲劇当日、1人の青年テロリストが油を満載した大きなタンクローリーを運転し、シーア派のモスクが建つ町の中心部までやってきた。青年テロリストは町につながる古い橋を渡ることができた。そこには警官がいたが、賄賂で警官の目は曇っていた。青年は大きなモスクの門前にタンクローリーを停車させた。そこは群集がたたずんでいたり、通行人が行き来していたり、人々が買い物をしていたり、家路を急ぐ人たちがいた。

 その汚れたテロリストは、盗んだタンクローリーの栓を開け、油を、非常に燃えやすい油を周囲に流し始めた。そして彼はタンクローリーの下で自爆したのだ。すぐに火の玉がその地区全体を覆った。店の売り子、買い物客、通行人、ただ通りにたたずんでいた人々、全てが火の玉に飲み込まれた。
 その火の玉は地上40メートルまで燃え上がった。火の玉は周囲の建物、ビルを飲み込み、そこに住んでいる人々を焼き殺した。400人以上が焼き殺されてしまった。

 罪なき人々全てに悲しい物語がある。家に帰る途中の老新聞売りがいた。病気の父親のために薬を買って帰ろうとする先生が、薬と一緒に焼け死んだ。息子の死を聞かされた父親がショックで息を引き取った。火の手が迫るビルの屋上から、子どもを投げ下ろす母親がいた。もしかしたら下で子どもを受け取ってくれる人がいるかもしれないからだ。車の中で妻と子どもとともに焼け死んだ医者がいた。

 この恐るべきテロで殺されていった市民の惨劇の、これらはほんの1例だ。ムサイブ市民の声が届きますか?この大惨事の背後にあるものは、ムサイブ市の、平和を願うシーア派の人々に対する、テロリストたちの恨み、憎しみだ。多くの識者たちは、内戦の勃発を恐れるためか、こうした事実を隠そうとするが、これがありのままの真実だ。

 世界中の人々に、テロリストたちの心の闇、腐敗した考え、汚れた手を知らせなければならない。その腐敗した心と汚れた手が世界中にテロリズムを広げていることを。自由で教養ある市民が、この脅威から目覚め、人類の敵テロリズムを終わらせることができるだろうか?ムサイブ市の人々は今、世界の人々に問いかけている。

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2005年8月2日(火)  

 N社のOさんが書類処理のため、わざわざおいで下さる。冷たいお絞りとお茶を出して5分で終了。申し訳ない・・・。

 ウィル愛知を回って女性会館へ。図書を返却しても、東海音声表現研究会にまだ時間が40分ほどあったので、東別院の地下鉄出口に新しくできていた「玄米菜食」の看板が気になっていたので、思い切って逆戻りしてお店に入った。
 
 15人も入ったら満員ほどの可愛いお店。ゆっくりくつろいで、小さい可愛い本棚を眺めていてびーーーーっくり。ネパールの写真集やアフリカの絵本など、私好みの本が20冊ほど並んでいるだけなのに、その中に昨年私が出版した「私は戦争から生きて帰った」があったのです。サインを見たら、私が出版記念会の日にサインしたもの。オーナーがいらしていたみたい。勿論全く存知じあげない方です。感謝。

 今日はH小学校のS先生が話題提供者で、先日の縦割りチームの群読の様子をビデオで見ていただいた。かっぱかっぱらった会での谷川俊太郎さんの朗読の様子とかみ合わせながら、色々みなさんの発言を聞き、色々参考になりました。ただ大きな声を張り上げることと気持ちを表現することは違うなど、わかっているけど、子供のものになるにはなかなか難しい。子供の心の中に感動が起きなければ、豊かな表現にはなって行かないだろうと思います。万博での群読が評判になっているとか。来月はその話題と決定。


訴訟の会からこんなニュース。郵政ばっかりなのに大丈夫かしら。
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 8月3日(水)衆院イラク特別委員会で民主党の島田久議員が自衛隊派兵問題を質問してくれる可能性あり。川口弁護士が島田議員に、議員アンケート、アンマン概要報告など関連資料を依頼に基づいて送ったとのこと。質問内容は、私たちが先日実施した「議員アンケート」にある項目そのままの可能性もあり。
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2005年8月3日(水)  

今日、印刷と発行までをしようと朝、硬い固い堅い決意をしていたのだけど・・・。
池住さんが資料を16枚も書き上げ、印刷して、製本して、明日200部も東京へ持参すると知って・・・。私の今日の事は明日できると判断。学生センターへ行って製本のお手伝いをちょっとだけしました。昼間動けるスタッフが限られていて、いつも退職組みの女性、男性でメンバーが決まってくるのです。明日、巧くいきますように。国会議員のアンケートでは、田中真紀子議員は誰よりも早く回答があり、はっきりと自衛隊は撤退すべきと記されているそうです。

 そんな訳で、今日はがま口塾便りを発行できせんでした。明日、決行です。大幅に遅れた今月号。ごめんなさい。でも、アップはできたので、少し気が楽になりました。

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■議員会館での報告懇談会のお知らせ

日時:8月4日(木)午後2時〜3時30分 場所:参議院議員会館 第4会議室

内容:1) アンマンでのイラク実情調査の報告
   2)「自衛隊のイラク駐留に関するアンケート」7/22実施の集約結果の報告
3) 再延長、撤退に関する各政党の見解・政策
4) 訴訟の全国状況とこれまでの被告国の姿勢についての報告
5) その他(質疑および意見交換など)

2005年8月4日(木)  

あつ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い。まさに白昼、往復80分テクテクとコピー屋さんに行きました。コピー屋さん、珍しくお客さんが誰もいなくてガラーン。汗を噴出している私を見て店員さんが「まあまあ、暑い中を大変でしたねえ!」。一瞬で爽やかになります。

 この女性の店員さんは、もう15年近いお付き合い。とにかくいつも誰に対しても一生懸命応対して、優しく気が利くこと天下一品。お客さんが何か言うと、走って傍へ行くのです。私の名前も覚えていてくださって、何も言わなくても領収書を書いて下さって、今日も昔の話が出て、チェルノブイリだの服部君だのって彼女が言ってくれるので、感激してしまいました。隣の若い店員さんとも一緒にニコニコ話して、気持ちよく又ギラギラの太陽の中へ出たのでした。便りの発送が完了して心からホッとしました。

 院内集会はうまくいったのかしら。国会、それどころじゃないような雰囲気だけど。

2005年8月5日(金)  

暑くて暑くて。あぁ暑い。

4日の参議院議員会館内でのイラク派兵差止訴訟議員懇談会は大成功だったそうです。原告、弁護士の方達が、岡山、大阪、名古屋、静岡、仙台、北海道など全国からからおよそ80名以上も参加。国会議員は直接議員本人が来て話してくれたのが8名、秘書が来てくれたのが8名。(民主、共産、社民、無所属等)非常に熱気のある集会となったそうです。 内容も、元大臣、箕輪さんのビデオレター(病床にあるため、原告としてビデオで参加)も良かったし、池住さんからのアンマン報告も非常にポイントを突いていて、迫力満点だったようです。

川口弁護士は以下のように言っています。
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 この流動的な国会の情勢の中で、しかも構えも不十分で「組織」での呼びかけもない中、議員本人がこれだけ来てくれたのは大きいと思います。次にはもっと多くの議員が「参加しなければ」と思えるような構えを作り、自衛隊撤兵の声をより大きな声にしていきましょう!
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 本当に少ない人数でギチギチの活動です。明日は又大変な1日になりそう。今日国会中継をみてたけど、つくづく小泉さんの喧嘩ごしの話し方に虚しくなりました。喜納昌吉さんも参加されたと聞き、選挙の時色々連絡をとりあったIさんに手紙を書きました。彼は2003年にバグダッドで平和コンサートやってるんです。「全ての武器を楽器に!」が彼のスローガンなんですからね。沖縄(琉球)は、王朝の時代に武器を捨てた歴史があるもんね。

2005年8月6日(土)  

芸文センターのアートスペースで、10時から4時まで8月15日の群読の練習。今回も30人近いメンバーが集まり、その半分は大学生です。若者たちと一緒にアーダコーダと憲法の朗読を工夫しているのは本当に楽しいです。それから名古屋第一法律事務所の会議室へ飛ぶ。イラク人カメラマンのイサム・ラシードさんと高遠菜穂子さんのイラク報告です。イサムさんは昨日日本についたばかりで、命がけのDVDのレポート。4日前のバグダッドの様子も見ました。迷彩服を着た日本の自衛隊を歓迎しているイラク人は今や1人もいないし、一刻も早く撤退して欲しいと訴えていました。凄惨な映像。アメリカ軍の真実に声もありませんでした。

 昨日、テレビのヒロシマ特番で、エノラゲイに搭載した原爆を作って、投下時に搭乗していて、きのこ雲を撮影した本人がヒロシマを訪れ、被爆者と対談していました。彼は、最後まで絶対に謝罪の言葉を発しませんでした。パールハーバーで多くの友人を亡くしたと言うのです。

 戦争を平気でする人たちは、想像力がないのだと確信します。ゲームになってしまっているのです。高遠さんは、「私はファルージャで捕えられた日の前からイラクにかかわっていたし、その後も何ら人間は変わっていない。私は私であり続けている。ただ、事件前にはイラクでの自分の活動に対して、マスコミは全く報道しようとしなかった。事件後は私自身が全く報道関係にコンタクトを取っていないのに、マスコミの多くのコメンテーターが、一面識もないのに、まるで私を以前からよく知っているような口ぶりで解説していてびっくりした」というような事を、参加者の質問に答えておっしゃっていました。人間って本当に勝手がいいんよね。

 今日は事前のお手伝いができなかったので、記録係で、今からテープ起こしです。がま口塾がやっと終わったばかりの私には少々きつい。けれど、本当に少ないスタッフでやっているので、皆、昼間の仕事に支障を来たし始めているのです。私も全くやるべきCDRの仕事、翻訳の手伝いの仕事も白紙状態で内心気が気でないのですが、とにかく、どうしようもありません。一刻も早い撤退をしてもらいたいのです。

2005年8月7日(日)  

テープ起しをし始めて、初めて、これは大変なことになったと思いました。イラクの人の話をイラク人の通訳が日本語に訳しているのですが(すばらしい日本語でしたが)、やっぱりそれは、日本人の通訳の言葉より聞き取りにくいし、同時に流しているDVDにイラクの言葉や音楽が入っていて、あまつさえ英語版でナレーションが入っているのもあり、音が混在して、極めて聞き取りにくいのです。速記並みに筆記をすべきだったと反省しています。そんなわけで、今日も又これから・・・。もうSOSを発信するつもりです。仕事が全く進まなくなってしまっているので・・・。皆はいったいどうやって時間を作って活動をされているのでしょう。弁護団は今日、10時から5時まで弁護団会議だったそうです。弁護士さんもみんなみんなみんなボランティアです。

 夜、熱田の名古屋市教育センターの講堂へ。人形劇団むすび座が今月末北京で「西遊記〜孫悟空誕生の巻〜」を上演するのですが、その試演会が行われたのです。オール中国語。なので、張陽一家3人と私で出かけた訳です。人形劇といっても半分演劇のようなもので、汗びっしょりになって飛び回って演じる皆さんの清清しい姿に感動しました。よくまあ、あれだけ中国語を話して・・・と。フィナーレで、「北京で頑張ってきます!」と挨拶をされたので思わず客席から「加油!」(ジャーヨウ!頑張ってね!)って大声で言ったら、姫ちゃんが私を見て目を点にしていました。

ディンディンはまもなく2歳。ハングルは全部聞き取って理解していますが、ハングルで質問されても日本語で答えます。大人3人で食事していて、私が日本語、ヤンが中国語、姫ちゃんがハングルで話しかけているのですが、神経質に押し付けず、なるようになるとして、あるがまま状態です。この先この子の言語感覚はどうなるのでしょうね。

2005年8月9日(火)  

昨日はバテテいましたので日記はパスでした。テープ起し、A4で26枚になっていました。聞き取り間違いや聞き取り不能だった所の再チェックをする元気なく、SOS発信してしばらく活動を休ませてもらう事に。更に、昨日の朝夕の内田裁判長への相変わらずの抗議ビラの配布はお休み。皆は頑張っていますので、いったいどうやったらそんなに活動できるのかしらと考え込んでしまいます。私が根性がないのか。落ち込んでいます。

 衆議院が解散。はやく立派な内閣が出来、どうかどうか早く自衛隊を撤退させて欲しい!イラクのカメラマン、イサム・ラシードさんが命がけでもって来て下さったDVDの中の悲惨な様子が1日中頭にあります。今日だって、明日だって、米兵は、無差別に何の罪も無い子供や女性、年寄り、若者達、一般市民を殺しているのです。米兵の中には、自分達で銃撃している所を撮影して、それをイラクの人に売ってお小遣い稼ぎをしている輩までいるそうです。それを見ると、本当にゲーム。人の命、一つ一つの人生を抹殺しているという感覚はありません。恐怖の為に皆テロリストに見えてしまうのでしょうか。

 私が苦しいのは、米兵の姿が父に重なるから。ああやって、父も戦争で、敵を憎いと思って撃ちまくったに違いないからです。死体にうじ虫がいっぱい湧いている写真を高遠さんは見せました。父も兵隊にうじ虫が湧いて誰だか分からないという記述をしていたし、ゴロゴロと死体や馬がころがっていた様子も書いています。米兵も一緒です。国へ帰れば、1人の人間であるのに。

 ABCのピーター・ジェニングスキャスターが肺がんで亡くなる。別にファンでも何でもないけど、北京にいた頃、BSしか見られなかったので、いつもいつも彼のニュースを見ていたので、そのまま名古屋でも見ていたのでした。アメリカのマスメディアに対して複雑な心情あるも、知人が死んだようで悲しい。人は一人一人の命。一人一人、心を持っている命。

2005年8月10日(水)  

京都より初対面の賓客を迎えました。夕食会のあれこれやら、緊張しまくっていたのですが、とても楽しい一夜となり、豊かな気持ちになれました。夫妻とも声楽家なので、色々楽しい話も聞かせてもらえ、勉強にもなりました。食べ物で性格が変わり、声も変わる話。野口体操が悩める時代の開眼になった話・・・尽きることのない話で笑い声も絶えませんでした。

 野口体操とは『人間の外側から何かを付け加えたり、取り除いたりするのではなく、人間の一生における可能性のすべての種・芽は、現在の自分のなかに存在する』と考え、自分自身の身体の動きを手がかりとして、自分も含めて誰も気付いていない無限の可能性を見つけ育てる体操をするのだそうで、声楽家はたいてい勉強するそうですし、新劇の俳優さん達も勉強するそうです。

 生きもの本来の在り方。成人の身体の60〜70%は水で、その湿っぽさが「瑞々しさ」となり柔らかさを生み出していく。『柔らかさとは、変化の可能性の豊かさ』。滑らかな動きを大切にし、「身体と意識」「身体と言葉」の関係を探りながら、体操を続けることで、あらゆる場における「しなやかな生き方」に通じる基礎・基本的な感覚が養われるというのです。柔らかくほぐれた身体に出会うことは、「身体と意識」が、丁度良い関係を見つけていく条件としてキーポイントになる。

 というのが、とりあえず分かったこと。ちょっと勉強してみたくなりました。私はもっと訓練しなくちゃいけないのです。確たるものを何ももっていない、いい加減なアナ。終生訓練は必要だろうなあ・・・。

2005年8月11日(木)  

燕ちゃんの8月の便りを更新しました。ネットは本当に便利。中国の若者の気持ちがリアルタイムで受けとめられるんだもの。色々思うことがあったとしても、燕ちゃんが素直な気持ちで日中の人々の心を一生懸命理解しようとしていることは間違いなく、このホームページをテーブルにして、皆で語り合っていけたら、それが私の本望です。書いてくれる、がま口塾北京会員燕ちゃん、謝謝!読んでくださる<がま口塾日本?会員の皆さん謝謝!時々ふらりとのぞいているだけの方、どうぞお立ち寄りを!

 特急「しらさぎ」の走る車中からファックスが届いてびーっくり。携帯電話からファックスが送れるんですねえ。発信主はN市市会議員のがま口塾古参会員のGさん。金沢に図書館視察に行っての帰りらしい。図書館で戦争に関する絵本の原画展を二つやっていて、その一つが「むらさき花だいこん」だったと教えてくれたのです。そういえば金沢の紫の君とあだ名されるMさんがそんな事言ってたわ。もうひとつと言うのは、Mさん自身の作品で富山の空襲の体験を絵本にされたのだと思います。

 友と友が輪に繋がっているって実感。嬉しいファックスでした。

2005年8月12日(金)  

  雷の雨が降ったり止んだり。野菜配達の方に「暑くて大変でしょう」って言ったら「いやあ。今日は涼しくていいですよ」と。そうだ、そうだ。人の顔を見たら「暑いですねえ」と言ってる我が、真心なき、がま口を恥じたのでした。
 
 友人の誕生日プレゼントを買いに。迷って迷って服にしました。趣味が難しいのだけど。普段着だからいいでしょう。もうずーっとずーっと長年、誕生日のプレゼント交換が続いている、世界中でたった一人の人。家族なんか、私の誕生日も気にしてないもんね。
敗戦記念日が来ると、いつも彼女の事を想うのです。

 まだイサム・ラシードさんのテープ起しにかかっています。当然の事だけど、訂正ヵ所が出てきて。でも、協力者が現れ、やっと救われました。早く忘れたい!バグダッドの戦闘止まず。NHKは米兵の死者をカウントしたけど、バグダッド市民の死者にはひと言も触れていなかった!イサムさんはイラクのあちこちの市で空爆がおきてるって言ってました。日本到着2日目の講演と映像の紹介だったけど、出国4日前も空爆があったと言ってました。もうまともに取材できる外国人ジャーナリストはいない。

 日本の選挙でイラク派兵が争点にならないなんて、信じられないノーテンキだわ。
 
 

2005年8月14日(日)  

14日になっちゃったけど。13日は皆でお盆。母を囲んで昼食会です。なかなか甥や姪が集まれないのですが、我が家だけは、ヤン一家はじめオールメンバー参加。スターはディンディン。目の前で焼いているステーキの鉄板にコップを滑らせて、割っちゃって・・・。ちょっと大変だったけど、猿みたいに反省させられていて、人間に成り行く過程を見ておりました。世間様、人間が人間になって行くには、長い年月がかかります。寛大な目でお育てくださいまし。

 仕事をするバージョンになれない自分に嫌気がさして、落ち込んでいます。バランスがとれない。

 杉並区の扶桑社の教科書採択のニュースにがっくり。これでいいと本当に皆が思っているのかしら。知らず知らずに日本が向かっている道を。

2005年8月14日(日)  

 13日(そのA)忘れ物。
 夕方芸文のアートスペースで藍染の染織作家の会員Aさんの個展があり(息子・娘さん・夫さんの家族展に感じられる形)、広々としたスペースに大きな作品が気持ち良さそうに息づいていました。色々精神的に悩んでいた時の作品について説明を受け、布に当て布をしたり、縫い込んで絞り染め、藍色の濃淡に力を借りて、心象風景をシンプルに表現する彼女の感性に感動します。

 教師という多忙の生活の中、癌からの生還で変わった人生観が、こういう作品作りの日々になっている彼女。数々の受賞もし、本も出版し、本当にすごい。

 教師の義姉も、本日、お昼ご飯一緒に食べながら言ってましたが、定年で退職してふと気づいたら、何も無かったということがないようにしたいと思って市民合唱に参加しているって。多忙を極める人たちの気力のすごさ。わたしゃ、ナマクラ者じゃ。

 

2005年8月14日(日)  

ほんとの14日の日記

 家族が集まるし、いない家族には車で運んでやろうと、リキを入れて料理を作っておったのです。そしてチンチンの熱油を左の親指にジューッ。ギャッとばかりにすぐ冷蔵庫の氷を取り出して冷やす冷やす冷やすヒヤシンス!

アホでんねん。そして思ったのだ。沖縄の6.23 8.6 8.9 8.15 ・・イヤイヤ日本全国の空襲、海外の戦地での砲火、。焼け死んでいった人たちの痛さ、辛さ、苦しさを。たった指一本の先っちょの火傷でさえ、ジンジンと熱を帯び、痛いのに・・・。イラクや世界の紛争地で傷ついている子供達の「痛さ」。それを知りなさいと天の声でした。ありがたい火傷です。
 明日の憲法の群読、謙虚な気持ちで、本気で朗読しよう。

2005年8月16日(火)  

(15日の日記)
姫ちゃんが、引越しや子育てにもめげず、コツコツと翻訳をして送信してくるのが、溜まりに溜まっていて、それでもやる気が起きずに落ち込んでいたのですが、突然気力が出て、ちょっとだけできました。何せ、私達二人でやっと一人の翻訳家?なのです。私がサボっていたら、出版社との約束が果たせません。期限が決まっているので、何とかやりぬかなくっちゃ。ほんと、中国語が出来ないのに翻訳をやろうとしている無謀な私。憂鬱の核心は、それ。まだまだ続く、先のながーい仕事です。

 勤労会館小ホールで、日本ジャーナリスト会議主催の「2005平和を語る八月名古屋集会」のオープニングに群読で出演。30人のうちの1人になりました。学生さん達が半分でなかなか面白い集団ですが、若い子達の朗読の進歩には目を見張るものがありました。そして何より、またまた高遠さんの講演をゆっくり聴き、映像はもう辛いので、下を向いて見ませんでしたが、これも学生さんたちと見られて良かったなと思っています。ホールは満席でした。

 イラクは今、最高気温が60度近い猛烈な暑さ。高遠さんは「イラク命の水支援プロジェクト」を立ち上げて懸命に生きています。敵はイラクでもアメリカでもない、隣人の無知だと彼女は言っています。

 夜、(いやここんとこずっとテレビは戦争もの)日韓中の出席者による討論会を見ていても思いました。隣人の「無知」がもっとも危険だって。各局、八月だけこんな番組しないで、レギュラー番組として日々討論会やればいいのよ。誰も絶対的な正しさを完備していないのだから。互いに互いを学ばねばならないのだから。

 高遠さんに面会を求めて、テープ起しの文の確認をしていただく事に。日本での政治的活動(例えば訴訟)には一切参加しないので、そこを注意深く扱ったら、講演内容を公開していただいてかまわないと言われたので、彼女はまだまだ深く深く傷ついているんだなあと思いました。 
 

2005年8月16日(火)  

今日は快調に翻訳の仕事をぶっ飛ばしました。あーあ、すっきり。あと少しで姫に追いつくのだ!もっと早くからやっとれば、落ち込む事なんかないのにねえ。

 先日来、チョコチョコメールをくれていた、沖縄で知り合った、東北の我が娘のなっちゃんの事が心配になって、地震のお見舞いメールをしたら、「生きてるさーっ!」の威勢のいい返信が来て、ホッ。でも、グワングワン揺れたそうですが、彼女はへのかっぱの様子。
 ちなみに彼女の最近のメールを貼り付けときます。

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山に引っ越して1ヶ月と10日。毎日のように山仕事、きこり仕事を楽しんでます!
今日はきつねと会いました。夕方、家の近くで。熊は1回目は家から20mくらいの裏山、2回目は道路で5mくらい接近していたよ!
そのときは車に乗っていたから「クマチャン!」と呼びかけたら振り返ってくれた。
ほかにもテン、アナグマ、カモシカ、リスとはご対面済みです。

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2005年8月17日(水)  

今日はすごい日でした。今頃ドーッと疲れが出てきました。

@燕ちゃんからメールが入っていて、

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http://jp.chinabroadcast.cn/

の右側の最新の番組、火曜日のところをクリックしていただき、
25分からのところに早送りすれば、つばめの真心のこもった番組がお聞きいただけます。
反ファシズム戦争勝利60周年記念特別番組(35分)Part3「中国と日本 新たなスタートを今から」。長いけど、最初から最後までお聞きいただければ嬉しいです。
なお、明日、文字の原稿が局のHPに掲載する予定です。
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それでしっかり35分、北京放送を聞いたのでした。感動。多くの方に聴いて欲しいと思いました。

A朝、出かける前にちょっとでも翻訳を進めておこうと頑張っていたら・・・

B大学時代の親友から10年ぶり?位に突然の電話。松阪からだし、仕事や勉強で多忙な彼女からの、めったにない電話なので、ついつい40分程話してしまう。今週末来名との事。楽しみ楽しみ。
 
C5月3日の憲法記念日に鶴舞の公会堂で40年ぶりに再会した高校の後輩と共通の高校の恩師にのお宅に伺う約束になっていたので、その前の昼食を一緒にとるべく、大慌てで出かける。彼女も英語教師として長年頑張ってきて、疲弊しきっている状態。
 MK子先生はもう70歳。色々あって、癌からも生還され、退職後はお寺のお庫裏さんです。先生のお宅のお寺で、それこそ40年ぶりに近い再会になりました。世界史の先生ですが、私は直接教えて戴いた事はなく、演劇部の顧問として、とても優しくして頂いた事、凛とされた、素敵な先生であったことが強烈な印象に残っていて、それは今も全く変わっていませんでした。9条のペンダントをワンピースのネックに下げられて、誰彼に聞かれたら、いつでも自然に話題にできるようにとおっしゃっていました。

 北京の大学に親友の息子さんが勤めていたので、滞在年が重なっていないかという話題になって、何と、そのM氏は、私と2人で、日本語教科書を録音したことのある、日本のO大学から北京の外語大にいらしていた先生。ビックリしました。4時間近くも、3人で夢中でお話してお暇しました。

D帰宅してポストを開けたら、なーーーーんと、M氏からの手紙が入っていたのでした。もちろん、彼からお手紙を戴くのは初めてのこと。こんな事ってあるの?信じられません。内容は、私達が録音した日本語の教科書が2002年の、第4回全国優秀教育録音製品の2等賞をとっていたという、その賞状のコピーを同封してくださっていたのでした。ちっとも知らない事でしたが、それにしても、何で今頃?そして、何で今日?と、本当に鳥肌が立つ思いをしたのでした。

それで、どっと疲れました。すごい1日でした。東北地方の皆様には、地震のお見舞いを申し上げます。私のノーテンキな疲れの比ではないでしょう。

2005年8月19日(金)  

高遠さんからテープ起し原稿のチェック返信が、すぐきました。「私ってこんな風に話してるんですか?接続詞など、もう少し整理できますか?」と、随分率直なお返事。私達は顔を見て話していたり、まして、映像もあると、それに頼っているので、又、事実随分助けられて、総合的に楽に理解しているんですね。それを文字だけにすると、本当にアリャリャワールド。聞いた側はわかっていたはずなのに、はて、ナンだったっけ。話した側は、もうちょっと分かりやすく話していたはずなのに、これはないでしょう・・・何かの間違いでは・・・と自分で絶句するのです。

 それで、又原稿とにらめっこで自然な形の整理に頭をヨイコラヨイコラ。結局いいピッチでやっていた翻訳が又ストップ。

 今日はスタッフ会議で、選挙の争点に「イラク派兵阻止」をするべく、又、9月9日の裁判の準備など、盛りだくさんの議事です。が、私は岐阜のG会で講演です。父の本を読まれた方が、ぜひこの時期に話をして欲しいという事で招いて下さったのです。ありがたい事です。どういう組立にしようか、ゆっくり、分かりやすく、整然と話せるか、頑張ってきます。

と、ここまで書いたら今回のパイプ役をしてくれているG放送のTさんから「野田聖子さんの刺客が今夜決まりそうで、張り付いてなきゃなんなくなって・・・」と、慌ただしい様子。会の代表の方も突然入院されたとかで、「あなた、好きなようにやってぇ」ですって。はい。おまかせぇ。

2005年8月20日(土)  

超早口で喋り捲り・・・何が落ち着いて心をこめてジャー!っと我とわが身を恥じいり候。結局刺客は(とってもいやーな言葉だけど)は昨日は発表されなかったので、Tさんも間に合って、やれやれ。戦争は絶対ダメ。他国にとやかく言われることではないという人たちは、米国にとやかく言われるとへへへへーーーっ。おかしい!
 そうそう燕の番組をもう1回紹介します。文字化もされましたので、ごゆつくりどうぞ。http://jp.chinabroadcast.cn/81/more/2904/ZTmore2904.htm


別宅に泊まって本日は洗濯・掃除。ぐったりと名古屋の家に到着したら、K市のどこかの小学校の先生から電話がかかりまして、1年生の朗読指導の指導の個人レッスンをしてほしいって!びっくりしてしまいました。しかも夏休み中に我が家でと。

 何とかスケジュールに入れ込んだけれど、明日は親友Mちゃんが10何年かぶりに来てくれるし、今週末は蕪湖の教え子の張君が出張先のトヨタから遊びに来るし、もう、これ以上は絶対だめ、何があっても断ろうと決心したら、電話が鳴りました。成田空港で働いている陳さんからで、今週末に遊びに来たいと・・・・。心を鬼にして断りました。もう破壊に近い状態。悲しい。ごめんね、陳さん。落ち込んでいます。


2005年8月21日(日)  

 大学の同窓会終了後、幹事さんから電話。「○△ホテルの喫茶店に、先生や皆もいるから出ておいで~~~」。うひゃ、欠席の理由を何て書いたか忘れちゃったし、出てかれへんわ。モゴモゴしてたら、すぐMちゃんに変って、しばらく皆とお喋りしてから、我が家へ来てくれるとのことで、ホッ。勉強もせず、その道に就職もしなかった者は生涯肩身が狭い。

 その道に邁進して、もうすぐ定年を迎える松阪のMちゃんと会うのは10数年ぶり。学生時代、松阪から通っていた彼女から、朝電話がかかって「電車乗り遅れてしもたー、頼むう」と言われると、私はお任せ!の代返をせっせとしたものです。彼女の人生は本当に努力、堅実に尽きます。ここ4年間だけでも、毎週土日は専門学校に通って、心理学の勉強をしていたそうです。学校の子供達に対応するのに、もう、カウンセリングの勉強しなければやっていけないと言う彼女。勉強したことを生かして感動的な結果を得たという実例などを色々聞いて、私も大いに刺激を受けました。先生の言葉かけ、対応の仕方一つで子供の心を安心させもし、不安の谷底に突き落とす。また子供の保育暦、家庭の状況の大切さ。

 今後の人生について、まだ20年か、20年しかないか、どう感じるかという話になって、ほんと、私はノーテンキ。90歳からディスクジョッキーをやる計画だから、まだ20年。彼女は20年しかないと言う。社会と、わずかでもつながって仕事を続けて生きていきたいと、堅実な彼女。まだ、しか、どっちも永久の友情で!

 立候補者全員にイラク関連ののアンケートをとる準備をしている訴訟の会のスタッフ達。こちらは限りなく「しか」の世界です。こちらもサボっている私は肩身がせまいです。9月9日の裁判にはぜひぜひ皆さんおいでください。絶対結審にはさせられないのです。じっくりと実質審理を!

2005年8月22日(月)  

家から一歩も出ず。まるで秋のような涼しい1日で、夕方からはスズムシやコオロギの声が聞こえはじめ、蝉が遠慮して鳴きやみました。蝉も虫の声が聞きたかったのかも。
ベランダに落ちている蝉の亡骸をせっせと土に戻すべく放り直すのですが、中には死んだ振りしていて、掴むといきなりビビビヒビーッと飛び出し、びっくりさせるのもいるのです。でもそれももう終わりの季節。季節が一つ動いた事を感じた日でした。

 火傷の親指に軟膏を塗り、大げさに包帯し、またすぐはずして軟膏を塗り、包帯して・・・繰り返すたびに、再生されゆく皮膚に感心しています。私はこんな末端まで生きているって思い、壊死した皮膚をはがしてゴミ箱に入れると、さっきまで生きていた私がゴミ箱の中にいる切なさに震えます。「生命」とはこんなものか。土に成り行くものなのか。

 BSで「イラク戦争とメディア」を特集していたのを見ました。あれ、再放送かな?
まだ元気だったピーター・ジェニングスがNHKのキャスターのインタビューに答えていました。「ジャーナリズムに求められるのは、質の高い、公平で誠実な報道だ」って。

 アメリカは報道も市民も変りつつあるようです。イラク戦争で戦死した息子を持つシンデイー・シーハンさんがブッシュ大統領に面会と説明を求める運動をしている事が報道されていますが、全米で5万人が参加して輪がひろがっているそうです。Before one more mother's child is lost.(子供を亡くす新たな母親が出る前に)のプラカードを手に支持する人がどんどん増えていると、会員のUさんもメールをくれました。「尊い命。どれもかけがいの無い家族の一員です。欲と権力に飢えた人たちの、おもちゃではありません」と。

 頑張れ!

2005年8月23日(火)  

K市A小学校の先生が3人いらっしゃいました。皆本当に熱心な先生達です。レオ・レオニのスィミー(谷川俊太郎訳)を11月に市民会館で演奏するのだそうです。朗読じゃないんです。事実、朗読付きの楽譜になってるんですね。小学校の1年生が4クラス合同で大ホールで演じるのですから、子供達はもとより、先生達のプレッシャーも、さぞかし大きいことでしょう。

 「頑張れ、頑張れ」と鼓舞したら、1年生の子が「先生のために?」って言ったそうです。グサッですね。やっぱり担当の先生は評価を得たい。失敗したくないもの。半分当たっているわけで。でも、やっぱり基本は子供達が楽しいこと!

 ただ大きな声ではっきり元気良くではなく、子供達がスィミーの世界で遊べるようにしてあげて下さいと言いました。誘う技量は必要でしょう。そして基本の訓練が50%。身体の体操、口の体操、表情の体操、発音・発声練習、アクセントや鼻濁音、無声音、イントネーション、間やペースの切り替え・・・エトセトラ。あっと言う間に2時間半が過ぎました。

先生達が一番びっくりされたのは「アクセント辞典」の存在でした。学校で一冊は備えて欲しいのですが、日本の学校は母国語の音声教育がスッポリ抜けているので、教育大の授業にもないので、それで先生達は困っているのです。でも、困るという事に気がつく先生は本当に素晴らしいと思います。若い先生達と楽しいひとときでした。

 翻訳、完全に姫ちゃんに追いつく。計算したら、まだ一冊の36%。ピッチをあげないとね。さて、明日からの3日間で、私は絶対にCDRの文章を書き上げなくてはならぬ。トホホ。

2005年8月24日(水)  

一歩も外へ出ず。背水の陣3日間と自分で定めた第1日。は〜あ。今が8月の最初だったらどんなに余裕シャクシャクだろう・・・・。なんて、私は小学校の時代から何の進歩もない事を考えているんだねえ。8月もあとわずかです。

 訴訟の会の皆はガンガン頑張って候補者にアンケートを郵送して、早くも返信が来ています。会からのお知らせです。自宅から出ないでやれることですので、以下にお知らせします。9月9日の裁判の為の準備書面も本当に感動的なものばかり。今、皆必死の想いで書き、話し、活動しています。被告は日本国ですから。
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 8月27日〜30日の期間で、全国のイラク訴訟のグループが各地域でビラを配り、街頭トーク、ピースウォークなどを行い、「派兵反対」を呼びかけます。名古屋では、以下の日程でビラ配りをする予定です。

日時: 8月29日(月) 18:30〜
場所: 名古屋駅 ナナちゃん人形のところ

 平日の夕方ですが、ご都合のつく方、ぜひご一緒に。「自分の地域でもビラを配りたい」という方は、チラシを郵送しますので、事務局までご連絡ください。

■ 総選挙の候補予定者へ緊急アンケート実施中

 訴訟の会では、愛知、岐阜、三重の選挙区及び比例区(東海)の立候補予定者(87名)に対し、「イラク派兵に関する総選挙アンケート」を実施しました。
以下参照ページ↓↓
http://www.haheisashidome.jp/20050824senkyo.htm

 回答結果については、公示日前日にHPに公開、9月早々に報道機関に発表して一般に公開する予定です。
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2005年8月25日(木)  

背水の陣2日目。電話もいっさいかからず(ヘンだなあ・・・)快適。あぁ・・・。あと1日。あぁ・・・。ため息ばかりの所へ喜納昌吉さんの事務所から配信。
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本日8月25日(木)TBSニュース23で衆院選沖縄選挙区の特集が放映されます。喜納議員のコメントも紹介される予定です。お見逃しなく!!佐古キャスターが選択を迫られた大分と沖縄の選挙区を直撃取材。現地沖縄から生中継でリポートします。
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★台風で停電の地区もあるとニュースが言ってますので、テレビどころでない!と叱られそうですが、早く通り過ぎてほしいですね。沖縄にいた時よく行ったチャクラのライブの様子。目に見えるように様子が浮かんで来ましたので、今日もお手軽に貼り付けます。

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みなさんこんにちは ライブハウス・チャクラ@古木です!
8月15日、日本は終戦から60年目を迎えました。しかし、沖縄の終戦の日は6月23日なんですね。今回のチャクラ情報は、6月23日の「慰霊の日」のチャクラでの出来事です。この日、昌吉さんは摩文仁が丘で行われた慰霊行事に出席しました。そこで、韓国から来ている沖縄戦での戦没者の遺族会の方たちと出会いました。昌吉さんはこの方たちをチャクラに招待し、40名ほどが遊びにきてくださいました。その時のライブでの昌吉さんのMCです。

「みなさんこんにちは。今日は6月23日、沖縄は「慰霊の日」です。慰霊の日とは決して人類は2度と戦争を起こしてはいけないという教訓です。よろしくお願いします。
(拍手)
今日は韓国の方々もいらしています。平和の礎(いしじ)には韓国の方々の名前も載っているんですね。韓国の方々は強制連行されて非常に不本意ななかで前線に送られて亡くなった方がたくさんいるんです。そしてまだ名前があがっていない方がたくさんいる。このことを日本政府はまだまだやらなくちゃいけないんですね。まだ何万人も残っているんでしょう? 実際は。だから日本は歴史問題を恐れずに、いかなる歴史問題が来ても日本はたくましく受け入れるぐらいの、大きい歴史感を持たないといけない!
(客席から大拍手)
そうすることによって我々は今、八方ふさがりの日本の外交を、平和の外交に切り替えることができる可能性がある!それでは『 アリラン 』を歌います!
 
(『 アリラン 』を歌い終わって) 

この歌を韓国で歌った時、韓国の方々は涙を流す。北朝鮮で歌った時も、北朝鮮の方々は涙を流す。この涙は共産主義から流れてきた涙ではなく、資本主義から流れてきた涙でもない。この涙は共産主義と資本主義によって分断された、朝鮮民族の歴史の断層から流れてきた涙なんです。だから我々は深く洞察しなくちゃいけない。今、日本人が流している
拉致の涙も、本当の真の犯人は38度線にある。38度線がなければ、こんな忌まわしい事件はなかった。だから金正日を捕まえても、小泉首相を捕まえても、ブッシュを捕まえても本当の答えは出ない!本当の真の犯人は38度線であり、そこに潜む、罪のない子供や母、善良な人々の血と涙を吸収しながら膨れ上がってゆくモンスター、それが軍産複合体なんです! 死の商人、武器商人、戦争をして膨れ上がってゆくこのモンスター、戦争の怪物を退治しないうちはこの人類の不幸は消えない。それを解決する方法はただ一つ!みんながみんなと友達になること!!
(大拍手)
ねっ、だから朝鮮民族と日本人は仲良くするんですよ、OK?
(大拍手)
中国と朝鮮民族と日本人が仲良くする、そして最後にアメリカとも仲良くする!
(笑)
 世界で一番武器を持ってるのはアメリカだからね(笑)。私は「すべての武器を楽器に」!OK!ありがとう!!!!
(大拍手)」

韓国側の通訳の方をとおしてのメッセージで、遺族会のみなさんはとても喜んでおられました。最後はみんなでカチャーシーをいっしょに踊り、韓国と日本は本当の友達になれると確信できるライブでした。

2005年8月26日(金)  

あとわずかで今日も終り。結論として3日間では無理でした。10日間でやろうと思っていたことだもの。夢中で文章を作っていて、ふと、気づいたら、朗読30分ものなのに、1時間ものの分量になっていて、これを半分に削るにはどうすべえーーーー。本当に助けてクレイ状態です。30分と言っても、目いっぱい朗読するわけでなく、取材音声やビデオもはさむので、実質20~25分。とすれば、「M社の70周年史を20分で述べよ」という問題であったわけ!何で今頃気がついたのでしょう。どうしようもないアンポンタンです。

 台風被災地の皆様はもっともっと凹んでいらつしゃるでしょう。お見舞い申し上げます。仕事ができる時間がまだある私は幸せです。

2005年8月27日(土)  

朝10時前に来て、夜7時半頃帰ったお客さんは、蕪湖の教え子の張君です。どうやって1日過ごそうかと昨夜は考えあぐんでいましたが、なーんのその、アッと言う間に夜になり何の退屈も感じませんでした。

 その理由の一つにインターネットがあります。驚いた事に、今、全中国で、各学校の同窓会の掲示板ができていて、(ほぼ全国の全ての学校が登録しているらしい)、私達の蕪湖の学校の私が担当したクラスの掲示板が出来ていたのです。早速張君が私を登録してくれて、証拠品として、2人で自動シャッターで写真を撮って掲示板に載せたのです。したらば、ほぼ瞬間的に「坂東老子!」という、懐かしい名前の反応が入り、本当に本当に感激しました。ずっと心配し、気にかけていた子達が思いがけず上手くやっていたり、クラスメート同士で結婚して、もう離婚していたり、中にはウェディングドレス姿を貼り付けている子もいて、感激のしっぱなし。皆と別れる時、「10年後に蕪湖で再会しようね!」と、約束していたのですが、全国にバラバラになって、もう無理だろうと半ば諦めていたので、張君の「15人は絶対集まるよ」の言葉に、思わずうなづいてしまいました。後2年半後の春節に私は絶対皆に会いに行きます。この掲示板が大いに力を貸してくれることでしょう。

8年前には、想像だに出来なかったことです。そして、中国の若者達の間に起きている現象をまさに肌で感じることができました。日本は、逆にこのネットの網を使ってコミュニケーションをとっていけばいいのです。13億の人民の全中国で・・・そら恐ろしいネット力なのです!

2005年8月28日(日)  

やったあ!やっと、やっと、とにかく30分に縮めました。がま口ヘロヘロ美、夏休みの宿題、評価は問わず、とにかく提出できまーす。故に明日から3日間夏休みをいただきます。

 原稿を書いてる最中に、あっちこっちから電話がかかります。選挙戦、もう熾烈。むきになって論争する気がない候補には冷たい事務的返事。本当はお願いするのがこっちで、お願いされるのがあっち。私達が声高らかにああしてください!こうしてください!って候補者にお願いしなくっちゃ。候補者は静かに私達の声を聞くのよ。
 
 そうだ!今度から、電話かけてきた人に「派兵差止め」をお願いしよーっと。あえて小泉さんの選挙区横須賀で派兵差止めを問うために出馬する気骨の人もあるんだもの。
候補者への派兵についてのアンケートの回答結果は訴訟の会のHPでぜひぜひご覧下さい。

http://www.haheisashidome.jp/index.htm

2005年8月31日(水)  

大きな字では書きにくいのですが、母と姪と私の恐怖トリオで、釧路、阿寒、標津、羅臼、知床、網走と走りました。知床は世界遺産になって喜びに満ち満ちていました。半島には熊が600頭いるそうですが、海岸で魚をとっている熊を2頭船から見る事ができました。番屋で夏の間仕事をしている漁師さんたちがいて、熊が出てきたら知らん顔、熊も人間見ても知らん顔で共存しているそうです。とても深いことを教えられた気がしました。

 皆選挙のことや裁判の事で一生懸命なのに、私は旅行・・・。とてもとても後めたくて。選挙さえなかったら、とても楽な気持ちでいけたのにな。申し訳ない旅でした。

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Akiary v.0.51