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2006年1月1日(日)  

穏やかなお正月です。私の目の見える範囲です。感謝。
 早々と母の家に行っても、やれという事はパッパパッパとやれば、アッという間に出来てしまうこと。「まあお茶でも飲みゃあ」には参ります。陰謀だぁ。

 続々と集まったり15人+1人。1人は本年よりディンディン改め峻君にします。静岡と京都からのニューフェイス2名。家族って血の繋がりがあるのかないのか他人が変化したものなのか、訳の分からない不思議な団体だとつくづく思います。戌年のせいか、ドッグトリマーの姪は、大晦日の最後の最後まで犬の美容に超多忙で遅れてきましたが、「忙しくても楽しいよ」と言うのを聞くと、良い仕事に就いたものと嬉しいし、甥の結婚式の時の写真が、垢抜けた素敵な本になっていて、一昔前の大方の結婚式記念写真とは全く視点の違うプロの仕事に舌を巻いたり、皆でトランプしたり・・・ナンと言ってもスターは峻君だったりと、平和そのものの大晦日でした。料理大臣の義姉に感謝。

 戴いた年賀状で、思いもかけない方々が、この日記を見ていて下さること知り、びっくり仰天。もう何十年もお目にかかっていない小学校時代の恩師まで見ていて下さるそうで、顔が赤くなってしまいました。今年も一方的に書き続けます。平和であること。それを道標に。
 

2006年1月1日(日)  

そのA

 ウィーンフィルハーモニーのニューイヤーコンサートがあんまり楽しかったので、今又BSで見ています。NHKの視聴料はちゃんと払っていますよ。指揮者の携帯電話がなったり、オーケストラが声を出したり、観客の拍手も指揮されたり。こんなにゆーっくりしたお正月も珍しいです。

2006年1月2日(月)  

 たまりにたまった読み物。ゆっくり色々読むべきものを読む。

 「愛知万博についての批判的考察」という論文を中止の会の前代表の影山先生が送ってくださったので、じっくり読みました。問題点が総括的に述べられている訳ですが、1つ、政治的動員というのが心に沈みました。ないしは「社会的馴化」。その実、市民的自由はせばめられていっているのではという指摘にドキッとしました。

「60 ともに築こう平和と繁栄  中国・日本 両国人民の友好の絵巻物」。定価6800円の名実ともに重い本。第一部、故きをたずね新しきを知る。第二部、交流の軌跡。第三部、未来に向かって。

 250頁の写真集で、様々な出来事、様々な関係者、毛沢東、田中角栄から胡錦涛さんはもちろん、福原愛ちゃんまで登場していますが、中に紫金草合唱団の事が出てくるのには本当に驚きで感無量です。そして名もなき友好の民がこの本外に溢れていること、本に書かれている事の他に、本には書けないドロドロも海山のようにあること、色々感じながら読み、見たのでした。 『歳をとったなあ・・・』と自分の感性に対してちょっぴり思っている正月です。

2006年1月3日(火)  

恒例かなあ・・カナダから正月の休暇で帰国中の友人夫妻とツーペアで夕食会。10月に胸を開いて心臓の手術をしたというので、とても案じていたのですが、思いの外元気でホッ。幸運が幾つも幾つも重なって、命を取り留めたという話をじっくり聞きました。私達の結婚披露宴の実行委員になって知り合い、半年後に結婚した2人ですから、ペアペアとしてももうウン十年のおつきあい。定年まであとわずかだから、今のうちにカナダへ是非是非遊びにおいでと言われて・・・あれとこれとそれの問題(あもこもそもないわあ、お金の問題だがね)があるなあ。でも心が傾きかけてはいます。

 どんな重い病気、大手術でも医療費は無料だそうで、福祉はとても充実しているそうです。ただし税金が50%。カナダの人達は老後の心配をすることなく、納得して、ゆったりと暮らしているそうです。日本は暮らしにくくなってると思う。老後の不安は年々大きくなっているもの。

2006年1月4日(水)  

C新聞のスクラップをお願いしていた会員のKさんとKさんの家の近くのレストランで「2人がま口塾」をしました。文字通りのがま口熟女会話炸裂!なんて、週刊紙の見出しか?週刊紙が日中の睨み合いの種をわざわざまいたりしているので、がま口の災いには今年は注意注意。

 Kさんは、1期の頃からずっと、何かと私を助けてくれていますが、普段ゆっくり話す事がありませんでした。プライベートを含めて色々初めて話してみれば、ほとんど同じ地で育った同世代。伊勢湾台風の話になって、胸まで水に浸かりながら、両親が小学生の姉弟を負ぶって逃げてくれた時、初めて親の偉大さを感じたという話に心打たれました。命がけで守るもの、全てを捨てても守るもの。やっぱり「命」だもの。

 それにしても1月からのスクラップボランティアがありません。私がやるべきか・・・と悩み中。デパートの福袋に並ぶくらい、ボランティア希望者が殺到する初夢は見・・・ナカッタ。

 「中国語の塾ですか?」と訊かれることがありますが、全く営利には程遠い会です。一度はいらっしゃった方達には、ご縁だと思って、塾便りを断りがない限り送り続けているのですがストップの準備。コミュニケーションが成り立たないのは本当に寂しいことです。心が通い会える人達と、今年もボチボチ、淡々とやっていけたらと思っています。

2006年1月5日(木)  

仕事始め。どんな仕事であれ、始める仕事があるという事はとても有難いこと。と、思ってまずは郵便局へ。フロアから職員の皆さんに「あけましておめでとううございます。本年も宜しくお願いします」と挨拶しました。同じ言葉と笑顔がしっかり返ってきました。

 M新聞のスクラップボランティアをしてくれている、ゆったり工房のKさんが、わざわざスクラップブックを持ってきてくれました。感謝。昨夜Kさんと電話した事が原因だと思うのですが、初夢を見ました。又ステージに上がる時間なのに朗読原稿がないのです。はーあ、うなされて夢だと分かった時のホッとしたこと!本当に辛い夢でした。

 日米地位協定に触れる犯罪が又発生。沖縄に暮らしていた時さんざん耳にした言葉で、色々調べてみたりもしたのですが、いかに本島に住んでいた自分が無関心できたかと申し訳なく思いました。本島にも基地はある訳だけど、日本はアメリカに守られているのか?

2006年1月6日(金)  

9.11の真相を追求する「ボーイングを探せ」というビデオを金沢のA夫妻が泊まられた時見て貰ったのだけど、ぜひ仲間で見たいので送って欲しいとの連絡がきたので、即刻郵便局へ。「通常は明日必ず着くのですが、雪が降ってみえるので、確約は出来ません」と、珍しく窓口業務の局長さん。ニッコリして「はい。分かっています」と言ったのだけど、局長さんは真剣そのもの。雪にまで敬語つけてまっこうサービス。私のニッコリの意味にも気づかないんです。

 フラッと中華料理の店へ。ほとんどのお客さんは名城大学の学生さん達のような、格安のお店です。店員さんは全部中国の人なのでちょっとおどけて「ラーミェン1ガ」と中国語で言ったら、間髪を入れずに「四川か台湾か」と中国語で返ってきました。今度はこっちがびっくり、アタフタしてしまいました。帰り際にぎこちないアクセントで「アリガトゴザイマシタ」と言うので「ツァイチェン」とさよならを言ったら、それはそれは可愛い顔でニッコリ笑ってくれたのでした。

 これから毎日ニッコリシリーズ書いたら人生ちょっと幸せで楽しいかもしれない。

 夜は訴訟の会スタッフ会議。13日に迫った裁判の相談。色々な場合が想定されるので、対応が本当に複雑になります。弁護士さんに新聞のスクラップブックを渡しました。他にもA新聞があるので、これを読んでまとめて下さる弁護士さんの苦労も並ではありません。他にも膨大な量の準備書面がありますから。感謝。

 東京本社のH記者さんから連絡があり、明日の毎日新聞朝刊に訴訟の会のスタッフのKさんが、団塊世代シリーズの1人として紹介されます。朝が待ちきれないほど楽しみです。

2006年1月7日(土)  

年賀状の整理。今年はきちんと分類するぞ。私に何か事故があった時、家族が慌てふためかなくていいように、きちんと分かり易くするぞ。まず「がま口塾関連」。次に「仕事・組織・中国関連」そして「恩師・学友・親族・近隣」等と分けているうちに、自分の人生がいかにグチャグチャか、よく分かりました。

 今朝の毎日新聞朝刊。団塊世代のあす:第1部 第2幕のベルが鳴る
/6 革命、挫折…支えてくれた夫の死
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/dankai/news/20060106ddm041040119000c.html

 近藤さんの記事を読んで、同世代の自分の生き方を、本当にキリキリと問われているような気がしました。賀状を下さった人達とどう関わって生きて来たかという事でもあるのです。賀状のやり取りをしない関係ももちろんいっぱいあるので、決め付ける訳ではないけれど、もっともっと整理して、清潔に綺麗に生きなくっちゃと思ったわけです。

 この日記を読んでニッコリする人達がいます。それは私の家族・親族。『あはは、一番最後までシブトク生き残るつもりのくせに』と。

2006年1月7日(土)  

そのA

 NHK教育TVで「核燃の村 苦悩と選択の記録」を見ました。涙と怒声、亀裂が生じた人間模様・・・。原発問題を勉強していた頃、応援部隊として一時的に六ヶ所村に移り住んで闘っていた知人がいます。年次的に考えながら見ていたのですが、チェルノブイリ原発の爆発事故があっても何のそのの流れに、今更ながら唖然呆然。私は「オルターナティブな生き方を!」という声に耳を傾け始めた時代でした。生きんがための選択をギリギリのところで迫られる時、私はどうするか。私は正道をすっきり歩けるか。歩かなくっちゃね。年賀状を整理するって、そういう事でもあるんだわ。

2006年1月8日(日)  

 美濃娘という巨大なイチゴと、ルレクチェという西洋梨が果物屋さんの知人から贈られてきました。もちろんニッコリ。イチゴときたら、普通のカップに6個で満員という巨大さ。デッカイから大味だろうと思いきや、これが又べらぼうに甘い。一つ一つピンクの紙にラッピングされて24個も入ってるんだけど、どうやって食べよう?

 ルレクチェは栽培を始めたフランス人執事の名前らしいけど、ラ・フランスというよく見かける(北京では路上でよく売っています)西洋梨の品種とは一味違って、何か魅惑的な色と形をしています。秋に収穫してから40日間追熟させるんだって!ちょうど今頃が食べごろな訳です。これは新潟の特産。作って下さった方達は、今頃大雪で大変な思いをされていることでしょう。何だか食すのが申し訳ないです。

 緑色の大根をおろすと緑色の大根おろし。これは金沢のAさんが大雪の日に、腰までの畑の雪をスコップで掘りよけて抜き出してくれたもの。とっても珍しい抹茶のような大根おろしです。Aさんの家は今、屋根に1メートルの雪だそうで、毎日雪かきばかりでヘトヘトだそうです。

 星野智幸と宮内勝典の対談を読んでいたら、

●星野 家に閉じこもってパソコンに向かっていると、なぜ自分は日本人なのかと悩んだりと、自意識がとぐろを巻く状態になってきますが、旅をすればそれを突破することができる。もちろん、日本や日本で育った自分から逃れられるわけではないけれど。

●宮内 自意識の迷路は突破できる。この日本環境の外へ、吹きさらしのなかへ出てしまえば、世界はこちらの自意識などかまってくれませんからね。そして自己を相対化できる。

●星野 限界を体験することが大切ですよね。そのことを肌で感じるだけでも旅はいい。

・・・というのが出できて、スットンと落ちました。旅に出たくなる自分気持ちが何だか訳が分からなかったのだけど、自意識をかまってくれへん、ふきっさらしの中に出たいんやわ!と。つくづく作家の言葉の豊潤さを思ったのでした。ルレクチェさんも美濃娘さんも緑大根さんもそうやって旅に出てるんやわ。

2006年1月10日(火)  

イラク派兵差止訴訟の会代表の池住さんからの年頭のメールです。何度読んでも、どこも削る事ができないので全部転載し・・・たいのだけど、我慢して中略を2回します。

誰も 法の上に 立つことはできない

        2006年1月6日 池住義憲 

「はじめたのは わたしじゃない ほかのみんなが たたきはじめたのよ
わたしのせいじゃないわ」

「おおぜいでたたいていた みんなたたいた ぼくもたたいた 
でも ほんのすこしだけだよ」

「たたいても わたしは へいきだった みんな たたいたんだもの
わたしのせいじゃないわ」

 これは、スウェーデンの社会科教師レイフ・クリスチャンセンが書いた『わたしのせいじゃない』という本の一節です。昨年暮れの12月14日、名古屋・栄のバスターミナル前広場で行なわれた「キャンドルピースアクション」で南山大学の学生グループが紙芝居でこれを紹介しました。子どものイジメで起こっている責任回避を、今イラクで起こっている現実に置き換えて考えさせるものでした。

〜中略〜

 アナン国連事務総長が第59回国連総会一般討論で行なった演説は、傾聴に値するものです。彼は、「ハムラビ法典は、力は正義なのではなく、正義が力をつくるという秩序を築こうという人類の闘争において道しるべとなるものだ。国連はこの原則に基礎を置く」と明言。2004年9月のことでした。

 紀元前1750年頃、全バビロニアを統一したハムラビ王によって発布されたハムラビ法典から3750年。以後、20世紀中頃までに繰り返した戦争の歴史に終止符を打つべく採択した1945年の国連憲章。この憲章で、世界は、国家が単独で武力行使することを原則禁止しました。戦争自体の放逐を謳って「国際関係において武力による威嚇または行使を慎む」と宣言しました。

 日本国憲法は、この国連憲章の精神を更に前進させ、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」(第9条)としました。国連憲章でも成し遂げられなかった世界でもっとも先駆的な到達点です。
    〜中略〜 

 私たちは、果たしていつまで「わたしのせいじゃない」と言い続けるのでしょうか。南山大学の学生グループの紙芝居では、最後に和田アキ子の『あの鐘を鳴らすのはあなた』の歌を大合唱して終わりました。あの鐘。あの「平和の鐘」。学生たちは、平和の鐘を鳴らすのは「あなた」であることを、自分たちを含む道行くすべての人に向かって呼びかけていました。

★もちろんこの時、私達は学生さん達とニッコリニッコリしまくって歌っていました。

2006年1月11日(水)  

 昨日から今日にかけて、聖パウロ女子修道会から、私の拙文が掲載された「あけぼの」2月号。倉橋綾子さんから「永い影」(本の泉社)。万里の長城を歩く会から通信「長城の風」。N市の女性九条の会の代表の方からN市の広報やら次回の会合の案内チラシ。会員のSさんからの通信。毎日新聞のH記者から先日の記事の東京版。十数年お目にかかっていないHさんから出版された詩集(非売品)・・・。一時にポストにドカーンと配達されて、ポストを開けた途端、ドサドサッと落としてしまいました。
 重なる時は重なるもので、13日の裁判に向けて、弁護士さんが懸命に書かれた準備書面もメールでドンドン入ってきます。あーーー!なんと膨大な論文!ただただ感謝。

 こんな時に限ってCDRの最終修正の写真等が粟津の会社からジャカジャカ入って来て、色々照らし合わせて北京へ一刻を争って送信しなければなりません。日本が正月休みを終わって始動したら、今度は中国の春節。旧正月が29日なので、北京は、今がまさに師走。ゆっくりしているとデザイナーは帰郷してしまいます。帰郷のスケールが日本の比ではないので怖い怖い。

 と、会員のAさんが「ガラスのうさぎ」の作者の朗読が聞きたいと来訪。ついでに小学校の授業に役立ちそうな、彼女も子供達とのレッスンに使ったりしている詩集や絵本を何冊かもってきてくれました。感謝。

 「長城の風」に書いてあったことは・・・隊長の「通信を送ってもウンともスウとも言ってこない。企画、材料集め、編集、制作、印刷、発送・・と沢山な作業を経て皆さんの所へ届けられています。受け取ったことや感想を言ってもらうと、この仕事をしたものにとって何よりの励ましになります。それが人の心の優しさであり、人間としての情けではないでしょうか?」・・・ちなみに70歳を過ぎた隊長さん、「がま口塾便り」を読むと、すぐに感想をFAXや手紙で届けてくださいます。

 毎日新聞には、シリーズのチームに感想を送ってもらえると励まされるとメモされていたので、送信。倉橋さんの本も365ページの力作を一気に読んで、感想をとりあえず、メール送信。倉橋さんもきちんとがま口塾便りの感想を書いて下さっています。「あけぼの」編集室にも礼状を送信。今から、又読んで読んで・・・。返事が出来ないでいる方々、すみません。

そうそう。又別宅の掃除を諦めたと燕ちゃんに言ったら「日本は『熟年○○』が流行っているらしいけど、大丈夫?」と真剣に心配されて、これにはニコニコを通り越してアハハッ。

2006年1月12日(木)  

 読書すべきものと取っ組む。Hさんの詩集を読み終え、感想文を書いて郵送。彼の還暦のお祝いに参加した時、彼はチャップリンの扮装をしていました。あれから15年。広島で育ったHさんの人生は反骨で貫かれ、本当に優しいです。面白い素敵な詩集でした。
 
 「あけぼの」2月号も全部読んで収穫収穫。今月のテーマが「現代を生きるユーモア」で、十戒はもともとは五戒だったという話にニッコリどころか声を出して笑ってしまいました。

 神は五戒をどの民族に与えようかと思案したそうです。ルーマニア人は「汝盗むなかれ」に対して「我々には無理な注文」と断る。アフリカ人は「汝ら互いに相愛せよ」に対して隣の部族を愛するのはまっぴらと断る。フランス人は「汝人の妻を恋うるなかれ」にできないと断る。最後にユダヤ人に言うと「主よ、それはいくらですか」「もちろんただだよ」「それなら二倍にしてください」。それで十戒になったのだそうで。これイスラエルのバスガイドがした笑い話だそうですが。

 拙文の隣の記事が「憲法のゆくえ 全世界の国民の平和に生存する権利」について弁護士さんが書かれていますし、その前ページには、天木直人前駐レバノン大使が「真の平和を求めて」がシリーズの2回目として書かれています。キリスト教も仏教も皆頑張っているんだなあと心強くなりました。

 明日は口頭弁論の日。寒いので、開廷を待つ人達に炊き出しが用意されます。裁判所前で炊き出しをするのは前代未聞と弁護士さんが言ってましたけど。天木さん1人は確実に仕事を辞めさせられたという損害があるので裁判はまだ続くのですが、他の原告は明日結審にされませんように。本当にきちんと原告の意見陳述を聞いてくれる裁判をしたいのです。それは私達の公平に裁判を受ける権利。みんなの必死の願いです。

2006年1月14日(土)  

帰宅が0時をまわってしまっていたのでグッタリと床へ。今朝昨日法廷で傍聴していた会員のIさんの電話でようよう起きました。昨日の裁判について、C新聞に載ってない。A新聞はちょっと・・・と。なんでえ・・・って絶句。

 A新聞には

「イラク派遣訴訟怒号の中で結審」の見出しがついていて天木直人・元レバノン大使を分離した上で、突然「結審します」と宣言。一部の原告は「何でだ」「恥ずかしくないのか」と怒号を上げたり裁判長席に詰め寄ったりし、法廷内は一時騒然となった
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 とあります。私は今回も傍聴に溢れた人達のお世話係りで、法廷を見たわけではないのですが、後の報告集会やその後の臨時緊急スタッフ会議と食事会で弁護士さん達や皆の話を聞いて、この記事にも変だなあと思います。「異議あり!」と弁護士が発言。「忌避!」と続けて言っているので、結審は成立しないそうです。したがって、原告としては「忌避理由書」を3日以内に提出するという法にのっとった行動をとることになりました。 
 
 弁護士さんが (出廷した人達も口々に言っていたけど) 「日本語のコミュニケーションが法廷で成り立っていない」と報告。内田裁判長は全く人の話を聞く態度ではなく、下を向いたままペーパーを読み上げ、法廷に「原告」がいる事を無視しているような態度だったそうです。

 私達の裁判の小さな記事の横に韓国ES細胞捏造報道の大きな記事が出ています。
総括として韓国の大学教授の解説;
 
 韓国の言論機関は、植民地時代に日本メディアから学んだ権威主義を受け継ぎ、軍事独裁時代には権力と同化した怖い存在だった。民主化されても大衆を啓発しようとする。愛国心とナショナリズムが格別に強く、英雄を客観的に見ることが出来なかった」

 話は変わり、昨日届いた金沢の紫金草ニュースの年頭所感に加藤周一氏の言葉
「日本が戦争を防げなかった理由」が載っていました。
 
 @議会に反対勢力がなくなった
 A司法がチェック機能を失った
 B労働組合が大政翼賛に組み込まれた
 Cマスコミが戦争宣伝の道具になった
 D市民運動が抑圧された

 寒い路上で豚汁と甘酒が振舞われました。私も甘酒に生姜のすりおろしたのを入れて頂き心からニッコリ。椀についで下さる男性の顔の穏やかさ。神々しいばかりでした。人間は美しい。
 

2006年1月14日(土)  

そのA
 雨。今日の雨は悲しいです。弔電をネット電報で打つ。冬の寒さは老人の命に厳しい。皆を愛し、皆に愛された命。私の命も、いつかこのように雨のように静かに土に消えますように。

2006年1月15日(日)  

 ジャン・ユンカーマン監督作品「映画 日本国憲法」を見る会に参加。劇場公開もしているし、何度も見るチャンスがあったのに、今迄見られなかったので、今日は良い日になりました。誘ってくださった世話役のKさんに感謝。これは息子達に成人のお祝いや就職でも結婚でもいいけど、贈ってやるべきものだなあと思いました。世界の様々な立場の人が9条のもつ意味を語っています。

 例えば、チャルマーズ・ジョンソンもとCIA顧問、元カリフォルニア大学教授は「武力行使の放棄を誓った第9条こそが、日本のアジア諸国に対する戦後謝罪だった」というように。日本人では日高六郎さんの、「憲法改正は国内問題ではない、国際問題なんだから」という言葉も胸にしみます。

 30人ほどで部屋がいっぱいになった集まりだったけれど、Kさん、私をみるやいなや、「視覚障害の方達の字幕の音訳を・・・」とまでは仰らなかったけど(笑)、私はサッと空気を吸ってお引き受けしました。自分も初めて見る映画で、読めない字があるかも知れない不安もあり、部屋中の方に聞こえてしまいます。冷や汗ものでした。文字だけでなく、「今、こういう映像です」と追加説明したり、出演者の肩書きや経歴も文字で重ねて出ていたりするので、けっこう早口でないと間に合わない場合もありました。早口はお任せください!
 韓国の従軍慰安婦だったハルモ二の証言の場面では、やっぱり涙声になってしまって音訳失格。峻ちゃんに可愛い声で「ハルモニ」って私も言われてるんだものね。

 自分の得意な事で人様のお役に立てるのは本当に嬉しいことで、心はニッコリ。帰りがけにニッコリとお礼を言って下さって、今度は私もニッコリ。

2006年1月16日(月)  

大学時代のミニミニクラス会。会えばたちまち20歳前後の若かりし頃に・・・戻るわけがありません。平和の話、憲法の話になるわけでもありません。親の介護や子供の結婚式の話。でも、皆が元気でいてくれ、生きて会えることだけで十分に嬉しい。年月が、「存在」そのものの関係に削ぎ落としてくれています。

 広島の「ジュノーの会」から領収書と丁寧な直筆の礼状。事務局は少人数でコツコツされているので、膨大な作業量。私もトロくて小額をチビチビ送るので、返ってご迷惑をかけているようなものです。代表のKさんは3枚に細かい字でみっちり書いて下さいました。

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海外被爆者の検診システム=モデルが、やっと一応の完成をみました。チェルノブイリ救援を始めて以来、随分色々なことで困らせられましたが、その中でも一番困ったことは「こうすれば良い」という救援のモデルがなかった事だったでしょう。15年間、道なき道を試行錯誤するしかありませんでした。到達したモデルはシンプルなものです。

@事前に受診者の実情を把握する
A当日できるだけ丁寧な検診を行い、質問にも丁寧に答える
B検診報告ノートを作成し、一人一人の受診者に届ける

 この、当たり前の事と思えるような事を国境を越えて継続できれば、そしてこのようなチームによる活動を志向する人々が増えてくれば、そこに希望を託す事ができます。

@ABの後、受診者の批判を経て作業過程全体の中に顕在・潜在する過ちに気づく事が肝要で、その過ちを踏みしめて次の検診時の@にとりかかります。このサイクルを積み重ねていく事でヒバクシャの真実に近づいていきます

 結局@を推進する人材を輩出するにはどうしたらいいかという点に目標は絞られます。ヒロシマ・ナガサキの実情理解をベースにして、生物・医学,心理,社会・歴史・環境の三側面から被災者を全人格的に理解しようというのは、相当高度な獲得目標です。教育・文化全体が高い水準を保っていなければ出来る事ではありません。チェルノブイリ支援を継続しようとして、大きな大きな目標の姿が見えてきています。

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 かなり省略しましたが、これほどまでに真剣に生きている人達がいる一方で、劣化ウラン弾で破壊しまくって、尚世界の警察面をしている人とそのポチ。Kさんが15年かけてされてきた仕事は、本当に1つの会社が成し遂げていることに例えられる程の「健康と国家間の信頼」という利益を生み続けました。ここに書くことで、私の尊敬と感謝の賞状にします。ポチは知らん顔だから。否、彼らの仕事を増やす事ばかりするのだから。

2006年1月18日(水)  

耐震偽造証人喚問。ライブドアを特捜部家宅捜査。宮崎被告最高裁判決。阪神大震災から11年。芥川賞・直木賞発表。愛媛で原油タンク爆発。テレビも新聞も昨日は通常時ならトップニュースのニュースが一斉噴出。と、我が家にも大至急の回覧板。「弥生が丘で不発弾が発見され、自衛隊による撤去作業のため、21日10時から町内に交通規制」。安全宣言が出るまでですって。幸いスレスレ退避はしなくていい距離なのだけれど、この弾丸を落としたのは、いつ、だれが、なぜ。戦後60年経ってこのザマ。戦争は絶対してはいけない!加担してもいけない!

津島の吉祥寺のリフォームが、昨日、CBCの「ユウガッタCBC 大石で行こう!」でしっかり紹介されました。Hさん、ボランティアで仏様達の埃を払う若者達やジェフェリさん達と、本当に生き生きと現れました。「愛がなければできる仕事ではありません」の彼女のコメントは今日の国会を見た人には清々しかったと思います。

 昨夕Y&Y来宅、夕食。お祖母ちゃんを亡くしたYさん、まだ涙がでます。「凛としたお祖母ちゃんで、貧しくても豊かに暮らせることを教えてくれる生き方をした人でした」。音楽を学んだYさんとモーツァルトの話になりました。アメリカの犯罪の多発するある町で、モーツァルトの曲を毎日流すようになったら、犯罪が激減したということ。天才モーツァルトの癒し。世界中に響けと、話は夜遅くまで盛り上がりました。

 昨日、区役所で私の前にいた女性と窓口の係りの会話。「これは?」「舅です」「これは?」「主人です。で、ここに何を書くのですか?」「この親です」「このって・・・どんな漢字ですか?」「子供の子です」。<この>をどうやって漢字で書くのかと汗がでそうになった私、ニッコリ。

2006年1月18日(水)  

 そのA

 母宅で、12/15に病院へ見舞った母の叔父の息子のIちゃんに偶然出くわす。64歳でも母にとっては従兄弟なので「ちゃん」。今は妻も入院して10年経ち、家には生まれた時から障害の弟(60歳)もいます。「ご飯は誰が作ってるの?」「僕がみんなやるよ」とニッコニコ。「小学生の時からやってることだからなんともないよ」だって。小学校2年生の時に母親が病死して、ずっと独身を通した父親や妹、弟を助けてきたんだものねえ。

 表具師で、茶室の仕事をするので茶華道、美術などの勉強が必要で、今までずーっと先生について勉強してきたとの事。とても楽しそうにニッコニコ。はーあ。普通なら、どれ1つとっても凹む人生なのになあ。

2006年1月19日(木)  

朝8時からの地裁前で抗議のチラシ配り。池住代表が裁判の翌々日から仕事で2週間のブラジル出張(アマゾンの流域で保健指導)なので、皆で留守を守らなくっちゃ。若いK弁護士もスピーカーできわめて冷静に語りかけます。団塊世代のU弁護士も愛車ベンツ(自転車)で駆けつける。今朝はとりわけジンジン寒かったけれど、スタッフ達も頑張ったノダ(ロシアだっけマイナス66℃の所があったそう!)。貧しい私は子供に残してやれる財産はこれしかないので・・・。マスコミは何だか「お金お金お金」のニュースばっかり。

 訴訟の会のHPにUPされたイラク人ジャーナリストのイサムさんからの報告と写真に衝撃。内田裁判長はとりあえず放っておいても、「異議あり!」「忌避します!」をちゃんと聞いたと言ったのに、後から聞いていないと言って、忌避申立理由書を弁護団につっ返した書記官に読んで欲しいと思いました。人間だったら、こんな事して良いとは、絶対思わないはずです。日本政府はアメリカに加担しているのです。正しい現地の情報をイラクの人の声を皆に知って欲しい。

イラク人ジャーナリスト、イサム・ラシードさんからの写真付きメール

http://www.sashidome.org/phpbb/viewtopic.php?t=112
DU による放射線被害を受けた少女

http://www.sashidome.org/phpbb/viewtopic.php?t=113
捜索隊に射殺された赤ちゃん

http://www.sashidome.org/phpbb/viewtopic.php?t=114
2005年末の選挙

2006年1月21日(土)  

日付が変わっての帰宅。20日の日記也。

 K市教員組合青年部平和学集会に招かれてお話に行きました。K市の小中学校は全部で21校で、各学校から1人ずつ代表で「青年」教師が出席しました。31歳までが青年だそうですので、ほとんど私と親子のような先生達です。

 「被害者としての日本はよく聞かされて知っているけれど、具体的にどのような加害をしたかは、聞けるチャンスもなく、今日初めて新たに認識した」等と、率直な感想も出て、若い人に伝えられる願ってもないチャンスで感激の夜でした。

 講演が終わると全員感想文を書かされていましたので、さすが先生達の集団だあとニッコリ。二次会の夕食会もとっても楽しかった!「戦争に行ったお祖父ちゃんは天皇だけは許せない」と言ってたとか、「おじいちゃんの指が一本黒くて動かないのは戦地での怪我のようだけど、聞いてはいけないような気がして聞けないでいる」とか、皆おじいちゃんの話がでるのです。社会科の先生も何人かいらっしゃる訳で、私のメッセージが伝わっていけばいいなあと思ったのでした。
 
 今日のスタッフ会議はお休みしてしまいました。

2006年1月22日(日)  

 笑ってしまうのですが、まだCDRをやってます。日本が動き出したと思ったら中国がお正月。どんどん遅れてまーす。

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 イラク軍の広報官が16日朝の記者会見で、既にファルージャで作戦にあたっている米軍およびイラク軍を補強するために、米軍の増援部隊1000人が2〜3日以内に市内に到着することになっていると語った。ここ数日、アメリカ軍とイラク軍は市内のイラク・レジスタンスに対して大規模な作戦を遂行している−−と話した。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 良いニュースを見たい。読みたい。書きたい。近頃切に。悲しみが飽和状態。

 結婚式に留袖を着ることにしました。「留袖も借りられるよ」と言われたけど、どうも和ダンスで見たことがあるような気がしたので、気分転換に和ダンス調査。あったあった。葬式結婚式、何でもどうぞと、35年も前に母が貧しいくせに喜々として整えたもの。未だ一回も袖を通したことのないものばかり。こんな物持ってひっこしばっかりしてたんだなあと感慨深い。娘時代は不自由な事ばかりだったので、まるでそれを取り返すかのような母の独走でした。価値観が全く違うので、私にとっては壮大な無駄。でも無駄も母の喜びであれば親孝行だったかも。

 会員さんからの寒中見舞いに「12月末に夫が、1月3日に母が亡くなりました」と書いてありました。ずっと認知症のお母さんの事は便りに書いててくれたけど。戦争中に娘時代をすごした母達。

2006年1月23日(月)  

 関東地方も雪で大変だったみたい。カチカチの道で滑らないでね。冬の中に春潜めり。春が恋しくなり候。
 紫金草の苗をK小学校の教頭先生に二鉢頂いて、初めて自分で育てています。失敗するのが怖くて(命だと思うから・・・)人様には勧めるくせに自分は種もまかなかったのです。ひどい野郎でした。心入れ替え、ベランダで育てはじめたら、毎日気になってしょうがありません。雪の日も風の日も元気でいるので、本当に健気。寒くないのかしら。

 毎週月曜日は灯油売りの車が「♪ゆうきやこーんこんあっられやこーんこん・・・」って歌いながら来てくれます。道端まで空の缶を出しておくと、満タンにして玄関まで運んでくれるのですが、今日はお買い物に出てしまったら、灯油は満タンで玄関に鎮座していてニッコリ。ワタシャ未払いよ。来週集金する積りなのでしょう。放火魔に見つからんで良かった良かった。それにしても助かるシステムです。ちょっと喧しく、そしてべらぼうに値上がりしたけど。冬の風物詩として市民権をもった感じ。

 何気ない日々。ありがたく思います。ミニミニクラス会で、「バブルがはじけた時、株の暴落でものすごく損をして3年ほど立ち直れなかった」と言ってた友あり。家が建つほどのお金を損してたなんて!自殺したくなったと漏らす友人もいたそうで。ホリエモンに関するマスコミのコメンテーター達の発言のまーあ、ううううう。ダマットコ。無縁の世界也。

2006年1月24日(火)  

ジュネーブの国連人権小委員会、NYの人権団体CCRのインターン、国連NGOの国連代表代理、司法制度調査と三つを掛け持ちしていらしたという弁護士さんからの情報をK弁護士から貰いました。   
 
@グアンタナモ基地の被収容者500人のうちほとんどの人はアルカイダともタリバンとも無関係だ、ということが、内部告発されている。これらの人たちは、今でもあまりにもひどい虐待・拷問を続けられている。

A米政府は人権団体の起こした裁判の訴訟遅延戦術に出た挙句、最高裁判例を無効にして、正当性を判断する権限を司法から奪いとる法律を委員会審議もなしに可決して、この人権問題を「終わり」にしてしまった。
 
B民間人を殺したというPTSDにさいなまれたり、負傷や、劣化ウラン等による被害をうけている帰還兵たちの多くが国から見捨てられている。志願者が激減している中で、米軍は大学構内に入り込んで、何も知らない学生たちに執拗なリクルート大作戦を展開して戦地に送っている。リクルートに反対するプロテストをした学生たちが逮捕されている。

 権力ってこういうもの?ホリエモンを選挙で持ち上げた大臣達、「あの時点では不正問題は知りえなかった」でケロリ。何が起きても「そのときは分からなかった」で終わる?

2006年1月25日(水)  

 ささやかながら元気な朗読勉強会が八事に誕生しました。10年程も前になるかしら。M町の図書館の朗読教室に行っていたのですが、その時の修了生の皆さんが読み聞かせの会を 立ち上げられて、今では図書館は勿論、学校や保健所の子供の定期健診などにも出かけて、子供達にいっぱい本を読んであげているのです。

 今度はSさんの引越し先の八事で、もう一度基本から叩きなおして、腕ならぬ口を磨きたいと依頼があり、当時の懐かしい面々等が4人集まり、今日は第1回の練習日でした。1ヵ月1回、厳しく楽しく続ける予定です。名づけて「やごと朗読バンド」。「ご」は本当は濁点ではなくて、鼻濁音の。をつけます。バンドは皆が丸く繋がって、そして私の苗字も・・という少々面映いのですが、皆のアイディアがパッパッと出て全部纏める感じでサッサと決まりました。練習会場はマンションの豪華集会場で無料。今日は発声練習をガンガンやりましたが、平気平気。皆ニッコニコ。

 「あそこにゴムバンドが転がってたからついた名前だなんて、誰も思わないよね」と、Sさんから今メールが届いたけど・・・。せっかく私がカッコ良く説明を書いたとこなのに。

2006年1月26日(木)  

デーッカイ白菜をわざわざ届けてくださったKさん、謝謝!通常は人口2名の我が家です。どうやって食しましょう?どなたか白菜を大量に使用する、美味しい食べ方教えてくださーい。で、明日は別宅です。

2006年1月28日(土)  

<昨日の日記>

 朝地裁前で抗議のチラシ配りをしてから松坂屋の旅券センターへ。母は5年、私は10年用を更新取得。食事をし、お茶を飲み、ゆっくり母の話相手。あと5年でどこへ行けるかなあ。旅券はもう要らないと言っていたくせに、全部更新のお膳立てをして、受け取りにだけ出かけさせれば、もうその気になっています。足腰の立つうちに・・・。
 
 1Fフロアに下りてきたら、突然後ろから声をかけられびっくり!あちらも母娘ペアで、なーんと、お隣のIさんで、私の声が聞こえたから分かったって!?お隣も旅券センターへいらしたのですって。お連れ合いが中国に転勤で赴任されることになり、幼稚園と小学校のお子さんの旅券申請に。家族で海外赴任は本当に大変そう。

 別宅へ。ドアを開けるや現実に唖然。「汚れている」という認識は千差万別。本人は「きれいなもんだ」と言い張っていたのにナンタルチア。大車輪で活躍す(家事は評価する人のいない世界だから、自分でしっかり記すのです)。

 別宅は沖縄から引っ越したので、色々沖縄の思い出が運んであります。蕪湖市から沖縄に帰ったため中国からの引越しの荷物もそのままあって、写真の整理をし出したら、懐かしくて懐かしくて。でも、思い出したくない写真は50枚くらい、ビリビリに破きました。こうやって年月というものは、人の洗濯ををするのだなあ。すっきり。

 <今日の日記>

 半日まだ続く大車輪。もう今年の大掃除をしてしまいました。あと11ヶ月で新年だい。
夜母宅にY&Yと集合、食事に。Yさんのおばあちゃんの歌集を読ませてもらいました。母はおばあちゃんとお互いの短歌の話がしたいと、会える日を楽しみにしていたのに、年末に入院。お正月に亡くなってしまい、残念なことでした。

 お祖父ちゃんが反対したけど、お祖母ちゃんが賛成して娘は東京の大学に。夜なべ仕事をして娘への仕送りにあてたのだそうです。お祖母ちゃんの折々の子供や孫との心のふれあいが詠みこまれた、わずかな文字の一行に、家族の風景が思い出されるのでしょう。皆が感動して泣いているのです。愛に溢れる素敵な歌集で、私もポロポロ泣きました。人は自分の涙で自分を洗濯するのだなあ。他動洗濯機。

2006年1月29日(日)  

池住さんがアマゾンの出張から無事帰国。スタッフメールで「5メートルを越すワニがウジャウジャいると驚かされたそうですが、それが当たり前のようなアマゾンの自然とその広大さに圧倒されたそうです。5メートルのワニを踏むことはなかったそうです」というニュースが流れました。広大な広大な広大なところへ行ってみたいなあ。人生観変わるでしょうから。TVで国会の答弁や記者会見の発言に腹を立てている自分にもう飽き飽き。
アメリカは一国が発言しても国際社会。韓国と中国と二つの国が発言しても、世界のほかのどの国からもクレームはないと言い切る小泉氏の知的レベルはどうなっているのかしら?

 静岡や熊本の訴訟は結審にはならなかったようで、ホッ。でも、今、熊本市の繁華街は米兵であふれているそうです。何か事件が起きないかと心配されている方は多いことでしょう。熊本の西部方面隊と米陸軍による指揮所演習「ヤマサクラ」が行われている訳で、今回の指揮所演習には九州各県の危機管理担当者が動員されてるとのこと。これって・・・これって・・・。

2006年1月30日(月)  

がま口塾。年賀状も色々あり。どれが正解不正解はないのでしょうけど、心に残る年賀状が出せるってのも、出し手、受けて双方の「生き方」にかかってくるのだと思いました。

 がま口塾で大変なのは、ただただ家の掃除。皆さんがいらっしゃるまで必死でやるので、お茶の出し方など二の次。本当にいい加減で心がこもりません。まずいお茶を飲みながら、皆さん本当によく話が弾むこと。

 今日は6人というこじんまりした会になったので、ついつい気楽に最後に紅茶を出しました。それもまーあ、濃すぎたり薄かったりの滅茶苦茶。まさに文字通り。あげくはお砂糖のつもりで添えたのが、コーヒーのスティックで、紅茶のコーヒーブレンドを飲まされた会員さんがありまして・・・。頂き物だったのだけど、思い込みとは恐ろしいものです。
 最後まで残ったお二人さんにラーメンを提供いたしました。それでも白菜や色々入っているので「豪華」だって言われて、心から嬉しく候。私の料理は本当にいい加減でまずいのだから。白菜の漬物も全部食べてくれて、感謝。

 中国は今、お正月。北京放送の旧友からメールに年賀状代わりのニュースが写真入で入ってきました。「中国の春節(旧正月)を盛り上げる爆竹と花火が13年ぶりに春節限定で解禁された北京で、旧暦の元日に当たる29日午前0時前後から、一斉に花火と爆竹の音が鳴り響き、街は光と活気に包まれた。
 (中略)爆竹・花火が禁止された理由は、劣悪品による負傷や火災が相次いだことが一因。28日夜から29日朝にかけて北京市民数人が重傷を負ったが、重大事故は起きなかった。ただ、地方都市では事故や火災が相次ぎ、新華社電によると、河南省林州市では29日夕、爆竹倉庫が爆発し、16人が死亡、多数が負傷した。爆竹は旧暦の1月15日まで続く予定。」ですって。中国の人達のスケールは計り知れませんねえ。

2006年1月31日(火)  

テープ起こし完了。明日印刷予定です。がま口塾便り発送数については、新年なので、ボチボチ整理にかかることに。勝手に送りつけられていると感じている人があるかもしれないとは、常々思っているので。折に触れ、応援の声をかけてくださる人達に支えられています。本当に感謝あるのみ。ありがたいことです。雨にも負けず、風にも負けず、欲はなく淡々と…の心境で、後1年は頑張ります!でも、雪には多分負けると思う。

 岩手の娘なっちゃんから久々の便り。想像さえしなかった世界にいたのだ!なっちゃん、頑張れ!

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普段は昼間もだいたいマイナス5度。夜はマイナス15度から20度。でも今夜はあたたかく、マイナス4度。きのう今日は、ひさびさに青空を吸い、お日様を浴び、あたたかな雨を感じ、ほっとしました。。。泣けてきます。
想像つかないと思いますが、雪かきしないと生き埋めになってしまうので蟻のようにせっせか雪山を崩しては運び、屋根に上がって雪下ろしをするのが仕事になってしまいました・・・。

この暮らしを伝えるのはなかなか難しいです。断片的に、切り取ってられないものがあります。苦難の連続で。100の瞬間のうち「喜び、楽しさ」が1か2くらい。でも、だから際立ってその瞬間が輝いて、美しいと感じられるのかもしれない。
人のやさしさ、水、太陽、食べ物のありがたさ。前にもまして感謝が深く深くなって心を支えてくれます。
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 区長さんからも早く降りなさいと言われているらしい山暮らしのなっちゃん。こんな風に生きているのが、私の娘だって!? なっちゃん、頑張れ!


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Akiary v.0.51