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がま口弘美の日記 バックナンバー

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2006年3月1日(水)  

先日北京へ向かう飛行機の中で、普段めったに噛まないガムを噛んでいたら、ガキッ…???? 不審に思ってガムの中を調べたら、被っていた金の詰め歯が外れて、ガムの中に埋もれていたのでした。6~7o四方の初対面の歯様を大事に大事にしまう事2週間。今日歯医者でくっつけて貰いました。今度彼(男が女かわかりませぬ)に会うのはいつの日のことでしょう。体の一部になっていてくれるのに、まだ対面してご挨拶もしていない部品がいっぱいあると気づきました。私を構成している全ての部品に感謝です。

 午後学生センターで封筒のラベル貼り。Nさんは調子の悪い印刷機と格闘。私とKさんは重い紙を二階から一階へ運んだり、又2階へ運んだり。封筒のラベルを貼ったり。おしゃべりが楽しみでワイワイ。どうもこの作業は、3人の仕事と定番化しているようで、それはそれで楽しいトリオです。

 控訴をするのですが、いったい続いてどれだけの方達が原告になってくださるか。財政もスタッフの仕事もますます厳しくなることでしょう。原告代理人の弁護士さんは。K弁護士が今日1日だけでも40人ほどに電話をもかけまくり、殆どの方から続いての快諾を受けたとのこと。K弁護士の地べたを這うような奮闘。荒川静香選手が氷上に舞う姿と何ら変わりはありません。美しい青年弁護士です。

2006年3月2日(木)  

新聞のイラク関係のスクラップをやる時間ができて、じっくりじっくり読む。家でとっていない新聞なので、恐怖の母に絶対捨てないように命令しておいて、運んでくるわけで、今日は1か月分を糊で貼り付けられ、ホッとしました。ボランティアを名乗り出てくださったKさんが、献身的にやってくださっていたのですけど、年末で交代を希望され、私も託す人もなく、そのまま私がやることになっている訳が…ちょっとしんどいけど、とにかく、今日だ!と思った日に突進してやれば何とかなるかな。どなたかやって下さる方があったら有難いですけど。

 おまけは意外な記事を見つける事。チベットの鳥葬見学や報道が禁止になってた事を発見。欧米諸国から野蛮な風習だって批判される事があるんですって。私なんか、カイラスで鳥葬になってもいいやと思っていたので、びっくりでした。「天葬は民族風習として国家で厳格に保護する」っていう政府の姿勢。でしょうねえ。映画「セブンイアーズ・イン・チベット」を思い出したりして、なかなか副産物の多いボランティアです。

2006年3月3日(金)  

H小学校2年生で3,4時限、「かさこじぞう」の音読授業。菅の笠は厚紙で作って色を塗り、紐をつけて5つ。6人目のおじぞう様のぶんは、おじいさんのつぎはぎだらけの手ぬぐいです。作ってみたら、どう見てもアップリケ。しかたないので、私の本物のつぎはぎだらけの靴下も持っていきました。殆どの子がつくろった靴下を見た事無いって。穴があいたらそのままはいてるとか、捨てるという答えでした。おじいさんの貧乏なんて、実感できないのじゃないかしら。その貧乏だからこその人間の優しさも。

 「じょーいやさ、じょーいやさ」。ずっさんと荷物を降ろして帰る「じょーいやさ じょーいやさ」。子供達との授業は本当に楽しいです。皆がお地蔵様になりたがり、じっさまになりたがり、それよりもっと発音練習をやりたがり、汗だくの先生でありました。

 雛祭りなので、散らし寿司と土地の名物「いが饅頭」の給食。桜のゼリーまで用意していただいて、まさにお雛様になった気分でした。その後児童会主催の感謝会。校区パトロールのボランティアのTさん、池のお魚の面倒を見ているTさん、英語のイギリス人のニック先生。そして私。子供達の金管楽器の演奏も素晴らしく、講堂の舞台にあがって、感謝の花束と作文集を貰いました。ニック先生はもう5年間も子供達と授業をしていらっしゃるのだそうですが、身長186cmが私の横にずっと立っていた・・・。

 直行で学生センターへ。訴訟の会のレター発送作業。今日は大勢で朝からやっていて、とてもにぎやかでした、私は真似事だけして帰りまして、夜のスタッフ会議は休ませて貰いました。さすがに体が重い。情けない。

2006年3月4日(土)  

 (何をするのかと煩く訊かれるのが嫌なので)恐怖の母の留守を見計らって家宅侵入。写真探し。目星をつけていた所から簡単に出てきました。新しいアルバムにちゃんと整理して移し、貼り付けてあったのには驚きです。覚悟しているのかなあ・・・。何はともあれ、私の祖祖父母の顔が出てきたのですから大発見です。さっそくパソコンに取り込みました。私物の秘密の作品とは言え、もう時間がなーい。急がなくっちゃ!

 北京よりDVDの試作品が届いたので、再生機を大須に買いに行って(我が家はビンボーでしてまだ無かったのです)、早速見る。うーむ。これからはDVDかなあ。でもCDRの良さもあるし。今回半々で作って正解だったかも。これで北京にGOサインを出して量産に入ります。商売が全くできない私。今回、色々な事を学びました。失敗が成功の元になりますように。次回からは今回の赤字を乗り越えて、本格的に仕事になるやり方で制作していこうと硬く決意。 

 

2006年3月5日(日)  

元気なし。元気ださなくっちゃ。
友人からの情報です。上海で日本語教師を募集しているそうです。興味のある方はご連絡ください。連絡先をお知らせします。

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上海水産大学、日本語教師募集中

条件:日本人、大学本科以上卒業、65歳未満、06年9月赴任、契約は最短1年より

   日本語教育経験者

待遇:大学構内での住宅提供、月給3500元(但し、往復チケットは負担しない)

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2006年3月6日(月)  

学生センターで訴訟の会の発送作業。10時からと思って行ったら、だーれもいなくて、黙々とレターをセットして封筒に入れて糊で閉じて・・・。果てしない作業です。午後から皆さんが続々。賑やかに会話が弾みます。

 2時半に失礼して、津島へ向かいました。11日に「仏様精入れとジェフリー・ムーサス、吉祥寺リフオ―ム中間報告講演会―「古寺再生写真展」(同時開催)があるので、その時に皆さんに見ていただく25分の記録番組の音入れをしに行きました。映像は長くプロカメラマンとして、私も知っている数々のTV番組を制作されてきた方で、この道40年のベテラン。屋根に登ったり、縁の下に潜ったり、大変な情熱で記録し続けてくださったのです。

 ビフォーアフターのテーマミュージックを生で住職のHさんが弾いてくれて、それにあわせてナレーションをつけ、まさに「なんという事でしょう!素晴らしい空間に変貌したのです・・・という調子。ジェフェリさんのこだわりの数々を見て感動。ちょっと元気が出てきました。「良い」ものに触れるべし。

●5日に行われた厚木基地からの艦載機移駐に反対する、 
 岩国の人文字行動に参加したスタッフの人達から、
 参加者は1500人だったと報告あり。
 
●5日の米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)のキャンプ・シュワブ沿岸部
(名護市)への移設(沿岸案)に反対する「沖縄県民総決起大会」は
宜野湾市海浜公園で開かれ、35000人が集まり、
米兵の少女暴行事件に抗議して85000人が参加した
95年10月の総決起大会以降、最大規模の集会となったとの報告もあり。

私はそこまで駆けつける事ができないけれど、「良い」政治を願い、祈ること切なり。

2006年3月7日(火)  

内モンゴルのサランさん夫妻と美味しい中華料理店でランチ。彼女の家へ。ずっとお誘いを受けていたけれども、なかなか行けませんでした。彼女自身が制作したDVD等をたっぷり見せてもらい、私も見せつつ、秘密の仕事もしてもらいつつ、やる事、話す事が多すぎて、あわただしくも効率的な楽しい充実した午後でした。

 ちょうど近くで東音研の会合がある日なので、誘ったら、即刻の参加表明。早速2人で女性会館に出かけました。今日は舟木さんの「松原英治・若尾正也記念演劇賞」受賞を記念して、演劇人生を語って頂いたのでした。リアリズムとナチュラリズムの違い、リアルで科学的なものの積み上げから創造的なものへと昇華すること・・・うならされることしばしば。充実した会でした。

 アッと言う間に1日が終わりました。

2006年3月8日(水)  

 とっても素敵な老婦人が可愛い犬を連れて散歩されていて、どちらからともなく笑顔になったら「今日はあたたかいですね」と声をかけてくださいました。黄色系のセーターとスラックスに紺地に白い水玉の小さいスカーフを首にリボンに結んで、垢抜けた散歩姿でした。老いてもハッとさせるような光を放つってすごい。

 在日米軍再編をめぐり沖縄県など地元との調整が難航、最終報告前の関係自治体の同意取り付けを事実上断念して、閣僚級の日米安全保障協議委員会を四月上旬に開催して最終報告を取りまとめることを米側に打診する方針を固めた。

 というニュース。政府って人間じゃないのかな。あの人と結婚したくないと言っても「親の言うことをきけ。家の利益になるんだから」と結婚させられた昔昔の女性達みたい。あれ?ちょっとズレてるかな?でも、そういうデタラメナ親のやり方じゃん。沖縄子さんは、どれ程悲しく悔しいか。人生は1回しかないのに。政府はあんまりだわ。
 

2006年3月9日(木)  

大須界隈を歩き回りました。着物の店を覗いたり、CDを探したり。大須は、古いものを当たり前と言う顔をしていっぱい売っています。8割がた探し物の目的を達成。やれやれ。

 今日歩いていてハッとしたのは、中学生の男の子達の下校時の様子。2人ぴったりくっついて覗き込むようにして歩いているので、何をしているのかと思ったら、なーんと、あや取りを夢中になってやっているのでした。信じられない光景で、今も心に残像があります。

 次世代ミサイル防衛だって。私は次世代あやとりの方がよほど平和的だと思うのだけど。

2006年3月10日(金)  

H小学校で 1.2.3限音読授業。「春のゆきだるま」だけれど、クラスごとに全く違う流れと展開。授業とは本当に魔物です。最後に「わすれられないおくりもの 」(スーザン・バーレイ)を読みました。亡くなる命について、本当に見事な絵本だと想います。

 M校長先生は今月末で定年退職されます。ハードだけでなくソフトにも予算をと、私を活用してくださったこと、心より感謝。授業を終えて校長室に戻って来る度、色々な教育論を語ってくださいました。ちょっと寂しいお別れでした。

 翻訳の改稿の仕事に突然追い詰められていて、絶対絶命のピンチ。一週間で一冊仕上げなければならないなんて!姫ちゃんも私も真っ青です。わけは又別の機会に!

2006年3月12日(日)  

時計が日にちをまたいじゃった!もう夢中で・・・。ほんとに全く世界中が一つの言語であればいいのに。翻訳というのはまことにシンドイ。姫ちゃんも夜中の2時過ぎまで頑張っていたようで、今日はすっかり静まりかえってしまって、倒れているのではと心配。
大丈夫かなあ。

 今日は(昨日は)、津島でジェフェリさんの講演会とビデオの上映会があった…のに…日進で田巻弁護士の九条に関する講演会があったのに…いずれも参加かなわず、ひたすら机に向かっておりました。津島は大成功だったって報告があって、ホッ。嬉しいです。

 色々な辞書が私の体の回りに散らかっています。「蠢」。春という字の下に虫を二つ並べると、音では「シュン」。訓では「うごめく」って読むって初めて知りました。ふーん。なるほどねえ。机に向かっていると、何かしら発見があって嬉しいけれど、たいていは、本来の必須の事には関係ない。だから昔から勉強が嫌いで…。 

2006年3月12日(日)  

 めがね弘法「大智院」の長谷川御住職様から直々にお電話で、昨日は大変な盛会で65人もの参加者だったという報告を頂きました。ジェフェリーさんも京都から京大の先生など、友人連れでトラックで現れたり、大工さんも家族で京都から駆けつけたりと、リフォームボランティアも含めて、本当に賑やかな心温まる集いだったそうです。

 吉祥時は大智院【知多四国八十八ヶ所霊場の七十一番札所】が親寺です。先日の日記で、吉祥寺の御住職がビフォーアフターのテーマミュージックをエレクトーンで演奏したと書いたら、「私は弾きません」と笑われました。吉祥寺のHさんは子供寺を預かり任されている訳で、この改築には本当に大きな責任を担っているのです。今後どんなお寺になっていくか、夢を語れるお寺です。

 艦載機移転の是非を問う岩国の住民投票が、今日の午後3時で、投票率50%を超えたという報告もまわってきました。50%を超えないと開票ができないそうですので、とにかく住民投票が成立したのです。

 どんなことでも、市民の力を結集するという事は凄い!

2006年3月13日(月)  

姫宅で机を並べて終日翻訳。やっぱり1人でやっているより元気が出る。姫ちゃんの翻訳した日本語を、原文と見比べて、より正しい日本語に探るのが、私の役目で、それを又、編集者のSさんが最終調整して下さるので、連係プレイが大変。

 なんでロクロク中国語ができない私がこんなことになっているのか、よくよく自分のオッチョコチョイぶりに嫌気がさしているのですが、思い出したのです。「直訳でいい。上手に訳してもらうと、かえって困るので、直訳でいいのです」と、言われて頼まれて始まったことだったと。しかし、本当にしんどいです。

 姫ちゃんは、言葉が浮かんでこないと、手ぶり激しく訳の分からない事を言い出します。????実は韓国語!母語というのはドッカリ心に住み込んでいるんだなあと感心しました。韓国語では言えるのに…と言う訳です。

 途中で抜け出して、サランちゃんから、作ってもらった秘密のDVDを受け取る。サランちゃんは明日からモンゴルだって。それで超特急で制作してもらったのです。感動。

 朝鮮自治区と内モンゴルの、中国人である姫&サランちゃん。中国語は小学校に入学してから、使い始めます。自然にバイリンガルになって、留学して日本語も普通に話せます。翻訳は癖があって、多少のミスよりハートを大切に仕事を活き活きこなすサランに比べて、姫は、もーうキッチリキッチリ。身体につく言葉って、本当に面白い!

2006年3月14日(火)  

きょうも姫ちゃんと刻苦奮励。峻ちゃんがいるので、調べものは深夜で今日は朝の4時までやってたって。私の1時半なんて、早く寝すぎだわ。それにしても目がショボショボ。姫の翻訳の癖が出る度「姫訳」と言って笑い合っています。お昼ご飯は金(かね)の箸でいただきますが、青唐辛子を生のまま豆板醤につけてはポリポリには目を丸くしました。

 雨が降ったり、雪が降ったり、春はなかなか曲者です。「む・しネット」のみどりさんから電話あり、紫金草が咲いたので、不ログにアップして、ついでに2年前に私が寄稿した花物語も付け加えたいので、了解を…ということでした。トーゾトーゾ。こちらからお礼申します!みどりさんのブログは花・ガーデニング Rankingで全国5位。すごい人気です。ちなみに本日のアドレスは

花・ガーデニング Rankinghttp://blog.goo.ne.jp/midorinet002/e/7fea1681e8609891f9c62084c5ac7a68

 我家の紫金草も蕾をつけて、もうすぐ花が咲きそう。楽しみです。

2006年3月15日(水)  

「わーっ、お母さん、すごーい!」「当たり前ジャン!日本人だもん」
 「わーっ、姫ちゃん、すごーい!」「だって中国人だもん、当たり前ですよー」
という会話を何度した事でしょう。既に姫宅通い3日目の、2人で1人の翻訳家の内幕です。
 でも、昨夜は1時間しか寝なかったという姫に、私は卒倒。今日は、毎回私が持参している手作り不味い料理を2人で食べた後、退散しました。「寝なきゃだめ!」。

 北京からDVD160枚が夜、届きました。こちらも、何をどう考えてか、S氏、EMSで送ってきて、私はこれには真剣に卒倒しました。郵便料金は2万円以上!そして、梱包に何のクッションも入ってなくて、バラバラのまま、飛行機の中で楽しいダンスをしていたようです。30枚のプラスティックケース割れ! アンビリーパボーーーーー・・・・

もう私は、泣きも卒倒もしません。今回は、想像だにしないことが、これでもか、これでもかと発生、本当に鍛えられました。次に仕事をする時は、きっと、もう少ししっかりした仕事運びが出来ると思います。本当におかげさまで発展途上人。まだまだ成長できます。

2006年3月16日(木)  

姫ちゃんダウンのため、今日はお休み。その代わり、DVDのプラスティックケースや包装用セロハンを買いに走り、30枚分を改めてセット。雨の中、ダンボール2個口にして、無事製品を発送することが出来ました。

 今回のトラブルにつき、昨夜メールで3つの解決方法を冷静に提案し、今日はチャットで北京のSさんと話し合いました。彼は、私との約束とは違う方法で発送し、且つ製品の20%近くが破損していた不注意をわびてくれましたので、私は何も責めないこととし、国際特急便代金は支払わず、破損分も請求せず、相殺ということにしました。喧嘩はせず。やれやれ。

 世の荒波よ。勉強させてくれて、感謝。

2006年3月17日(金)  

再び姫宅。楽しいけど辛い。眠い。

情商:EQ ,智商:IQ ・・・EQねえ。面白いけど、あぁ眠い。スタッフ会議もおさぼり。
峻ちゃんが保育園から帰ってきても、どこまでやれるか挑戦したら、けっこういけました。2歳半ながら、話せば分かるのかと感動。帰りがけに
「ハルモニ頑張って!」と、はっきりした日本語で言ってくれたのには驚き!子供の成長はなんて早いのでしょう!(大人はゆっくり衰えている)。

2006年3月18日(土)  

朝、ホーホケキョ♪って聞きました。春がきたようなまだ来ないような・・・。心ははずむように軽い・・・わけないよおーー

 朝、東京の編集者Sさんに、出来上がった分を送ったら「がんばれー」という件名で返事が来て、涙ぐむほど嬉しかったです。で、調子に乗って又送ったら大いに笑ったそうで・・・。

 「心がアルミニュームのように重い」って直訳について、日本では「鉛のように重い」って言うけどね、笑った笑ったですと。

2006年3月19日(日)  

午前中本とにらめっこ。午後は白川公園での

イラク派兵は終わらない。 とめよう戦争協力の拡大3・19集会
  〜あいちの空と海を戦争に使うな〜

に参加。午前中は栄の松坂屋の前の公園でも1000人だか2000人だかの集会とデモがあったようです。イラク派兵阻止の訴訟の会と名古屋YWCAとピースアクションの合同集会とデモは150人。政党に属さない少数派です。どっちにしても、それだけの人たちがイラクの戦争に加担して3年経った現状に対して意志を明確にアピールしたという事です。ますます内戦さながらの混迷に陥っているイラク。私達が知らないところでどんどん・・・という現状が、沖縄やら岩国やらの状況報告とともに、訴えられました。帰国した自衛隊員の自殺の問題も新聞にも載るようになってきましたが、本当に何のための命でしょう。知らず知らず鬼になっているのだけは、もう絶対ごめんです。

 デモに参加する余裕なく、こっそり帰る・・・。後ろめたいのですが、家ではY&Yが来宅。皆で食事をしながら色々打ち合わせ。一字でも多く翻訳したいところ。何もかも重なったときこそ、寧静淡白で。身体はいくつもないのだから、許していただく事に自己決定して、自分を納得させています。ごめんなさいを心の中で100回くらい唱えつつ。

2006年3月21日(火)  

  時計が1日またぎました。何か朦朧として日にちが有るのか無いのか、訳が分かりません。3月もあるのかないのか・・・。ついに峻君が風邪で保育園お休み。ピンチが更にピンチ。眠い。朦朧。

 姫宅に行くたびに結婚式の服の話やら、ブツ運び。峻君の背広を買って持って行ったら大きすぎて、又小さいのを買ったり、姫ちゃんたちは何を着るか?チャイナドレスは腕が出てまずいかな?寒いかな?やっぱり結婚してたら黒いのがいいかな?姫ちゃんの妹の花ちゃんは何を?ずーっとそんな話です。中国の結婚式は、全く以って気楽で、みんな服装なんて、全く気にしません。ジーパンで出かけようが、おしゃれしようが、どうでもいいんです。新郎新婦が華やかならば。

 ヤンも普通の背広のつもりだったらしいので、黒い式服を着てねと頼みました。姫は私のを着ます。「それをお葬式にも着るんだよ」というと、もうそれはそれは信じられないという顔をしています。「そんなこと、いつ誰が決めたの?」「私も知らないよー」。

2006年3月21日(火)  

そのA

Y&Yとお墓参りに一緒に行きました。

2006年3月23日(木)  

 21日の日記で不適切な記述について指摘を受けましたので、補足します。

 お墓にはお花も供え、線香も立ててお参りしました。道案内役と書いたのは、名古屋の平和公園が余りに広くて、口では説明できないので、案内したと言う意味です。けっして、亡くなった舅、姑をないがしろにしているのではないです。お墓に入られる前は、心を込めてお付き合いしたつもりです。

 基本的に、故人や先祖への想いは、人より強いと思っています。が、お墓をよりどころとする習慣が、私に限ってありませんでした。だから、お墓守としてきちんとお参りをされている方は尊重していますし、私のような、心の中にお墓を持って居る者も許して欲しいと言う気持ちで、軽く書いてしまいました。傷ついたり、奇異に感じた方には、謝ります。

 民族という言い方も、一人一人が一民族であるような気がしています。だから、こうするべきだといういうものも、なるべく受け入れながらも、どこかで妥協しあって、仲良くやっていこうという意味を込めて書きました。

 色々疲労していて、がま口塾もいよいよ幕を閉じる気持ちになっています。日記は…。

2006年3月26日(日)  

 ご無沙汰でございます。と、自分の日記に言うのも変ですが。

 25日。朝8時30分出発。一路京都へ。車4台が名古屋から走った……と言いたいのですが、事故渋滞に出会い、羽島までさんざんのノロノロ。私は着物を着ているので着替える必要はないのですが、だんだん「昼ごはん食べる時間がなくなるねー」「着替えの時間がないよー」「結婚式に間に合わない!」と、真っ青の4時間半でした。通常2時間半あれば、京都には絶対到着するはずなのに。とにかく飛び込んで全員着替えて式場へ突入という感じ。

 一息ついたのは、記念撮影になってからでした。願ってもない好天で、外で撮影しますから、平安神宮を観光中のギャラリーのかっこうのモデル。心労オット新郎・新婦どころか、私も池を散歩していたら、フィンランドからのツアーのコンダクターに「着物が撮りたいそうですのでお願いします」と言われて、外人さんたちにパチパチ撮られてしまいました。

 披露宴は場所を移して老舗の料亭で。司会者も仲人もいません。最初私に司会をやれと言いましたので「そんなアホな!」と断ってほっておきましたら、新郎が自分で「えー…私は本日の司会兼新郎であります…」(爆笑)。
 
 乾杯のお酒がつがれまして、峻君のところでジュースが注がれましたら、一同シーンとしているところで「ぼくおさけのんでいけないの?」(爆笑)

 両家の母親が双方の親族・家族を紹介しました。釣り吉、テニス吉、ドッグトリマー吉…当方の参加者の趣味を紹介したことで、あとから、先方の親族の愛犬家が、携帯に入れている犬の写真を見せたりして、メロメロの犬談義などしていました。

 最後に両家の父親がそれぞれ挨拶をしました。花嫁側は、「わがままに育てましたので…」と、謙虚な(ちょっと花嫁がかわいそう過ぎるくらいの)挨拶で爆笑。新郎側は来賓がなくて誰もお世辞を言ってくれないので、我が子ながら不憫に思ったらしく「三つほど良いところがあります。一つは、私に似て声がいいです」(大爆笑)「二つ目は悪いことはしません。私はちょっとしますが」(爆笑)「三つ目は優しいところがあります。それだけでは生きていけませんので、今後とも皆様、どうぞ見守って頂きますよう、よろしくお願いします」。

 恐怖の母も、風変わりな結婚式ながら、初孫の結婚に安心したようです。紹介する時に「何歳ですか?」と聞いたら「忘れました」とボケてましたが…。当方の親族と新婦の両親には、息子の写真のすべてから600枚以上セレクトしてスキャン、プリントアウトしたものと、CDRにしたものを「みなさんありがとうございました」のタイトルで貰ってもらいました。先祖の写真も可能な限りかき集めましたので、珍しいものにはなったと自負しています。皆の愛情に育まれて、悪い事をしない人間になれたのですから、本当に感謝感謝の一日になりました。

 翻訳の編集者から、携帯の番号を聞かれ、誤訳などの質問がくるかもしれないので、本もカバンにしのばせての、姫も私も睡眠不足のフラフラ状態の結婚式。自分の結婚式でなかっただけ良かったと思っています。

2006年3月29日(水)  

 ご無沙汰でございます。今日は何曜日?
昨日までに翻訳を全部編集のSさんに送信する約束だったので、昨日は姫宅で夜の8時まで、一日中突貫で頑張って、帰宅後から今朝まで、完璧な徹夜をしました。朝7時頃終って、寝ても興奮でなかなか眠れず、しっかり入浴したら、4時間くらい眠れました。

 野球も何も……テレビも新聞も読まず。テレビはニュース23の「イラクは内戦なのか」ぐらい。
 
 すべての予定をキャンセルしたのですが、先週の水曜日は「八事バンド」の練習日で、それだけは決行しました。。相変わらず熱心な生徒さん達で、とても充実した時間でした。皆、子供達への読み聞かせの実践では、私よりうーんと豊かな経験を積んでいる人たちなので。何をどうしたら朗読が洗練されていくのか、私自身も模索しているのだから、なかなか大変ですが、積み上げることだけは必須。コツコツやって行きましょう。

 でも、あれからもう一週間。ほんとにどうやって生きていたのか。一瞬の1週間でした。紫金草も桜もベランダで笑っていますし、弁慶草も又子供を葉っぱに宿して、元気です。

 お隣のIさんが、いよいよ明日天津へ転勤の為に転居。挨拶にいらして、こちらも全くお話が出来ないままのお別れになりました。外は春。

2006年3月30日(木)  

  明日はがま口塾。今日は一日掃除をしようと思ったのに、またまた追い討ちがかかって、当初省く予定だった、付録の、とっても難しい資料を翻訳してほしいと連絡を受け、ハア〜。何でも、中国の書としての「差別化」をするために、あえてということらしい。
「差別」って昔は悪いイメージで使っていた言葉だったと認識していますが、ここ何年かから、他とは違う特徴があるんだぞーって感じ。

 それで又、姫ちゃんは徹夜。私は朝から姫宅へ走って、お昼までかかって、アアノコウノ。今はネットで調べられるので、とっても助かるけれども、それだけに怖いし、また、それでも出てこないともうお手上げです。{翻訳は5000年生きていないと出来ない!}というのが、本日の私の結論です。古典から現代までのすべての書を読み干し、歴史も知り尽くしていたら、サッサッサッサッ♪と訳せるのでしょうが、こちとら2人とも、何の素養もなくて、本当にとんでもない仕事を引き受けたものです。まだ完成せず。悔しい!

 よくUさんが「お友達が翻訳をする時は、絶対電話にも出ないし、掃除もしないって。埃が3cmたまるって」って言ってたけど、ほんと、納得です。でも、明日の為に掃除を今から……

 あ〜あ。明日はどうなることやら。今日もGさんとのお食事の約束をキャンセル。ごめんね、Gさん。そうそう、雪がちらついたので、びっくり仰天。空にしていた灯油缶を持ってガソリンスタンドへ走りました。明日のがま口塾の間さえあればと。皆さんに風邪をひかれちゃ困りますもんね。

2006年3月31日(金)  

  がま口塾無事開催。9人の出席はすごい。ありがたいばかりです。「もったいない」という「二言目にいうことば」がスポットを浴びて、ついには皆で吉祥寺の改修工事の「ビフォーアフター」のDVDを見て終りました。こうして、色々な人の色々な想いが、人から人へ伝わっていくのだなあと実感したしだいです。見てみたい方はご連絡を。4月に希望者の「写真展」を期間限定でするそうです。こちらも興味のある方はご連絡を。

 それにしても色々な「二言目」が出ました。聞いてからやれ、叱ってもらえるのは自分に見込みがあるからだ、これって私だけ?、お母さんはこう思うよ、どっこいしょ!、まあ、これていいっかあ、サイテーッ、ごめんなさい、お金がない、心の問題だ、大丈夫?……ただ今テープ起こしが済んだいるだけで、これだけの「二言目」です。まだまだいっぱい出てきます。

 午後やっと最後の最後の翻訳を送信。超突貫の仕事。もう「気」がガクンと抜けていますが、引き続きテープ起こし。何とか便りを書きあけたく候。これが済めば春だ。とにかくゆっくり休みたい!

 いつも思うことは、「がま口塾って楽しいなあ」って事。
 皆の話を聞くのは本当にワクワクします。が、7月例会をもって終了を決意しました。マンションの理事長役がまわってきて、事務的なことは私がしなければなりません。一つ一つやれることはしっかりやりたいので、グジャグジャに全部崩れるより、まずせねばなないことを確実にすることを選択しました。

 今日の夜はイラク訴訟のスタッフ会議ですが、これも欠席。私は欲張りすぎたと反省しています。能力的にも出来ないのにやろうとする性格はもうやめないと。自分の背丈と体力で生きていく歳になったと、しみじみ思います。 

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