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2006年4月2日(日)  

 昨夕、「便り」をアップした途端、気が緩んだのか、下痢と嘔吐。一晩寝たら楽になりました。人間はちゃんと太陽の光を浴びて、程々の食事・運動・睡眠をして、きれいな空気を吸って花を眺め、音楽を聞き、読書をし、好きなことを程々にしないと調子が狂う……という当たり前の事を思うのだけど。

 私より一回りも年上の方たちが元気いっぱい。今もちょうど、全国から集まった150人くらいの紫金草合唱団の人達が南京で交流公演をしているはず。何が元気の源なのかしら。イラクの訴訟も、もうすぐ判決で、控訴したり、裁判に対する国賠訴訟をしたりと大変で、国会の議員議員に訴えに行ったり、自衛隊に申し入れたり、学習会をしたり、とにかく、考えつく、ありとあらゆる平和のための運動をスタッフの皆や弁護士さんたちが献身的に、一生懸命しています。

 私は机に座っているだけで、本当に情けない。でも、しゃーないので、今日、便りの印刷・発行に黙々と勤しみます。

2006年4月3日(月)  

便りの残りの発送を完了。ホッとするひとときです。それで地裁前の抗議ビラ配布に行きました。池住さんたちがいつも通り、端然とマイクで呼びかけられ、私たちは裁判所から退勤してくる人達にビラを渡します。

 「異議あり!」「忌避!」と弁護士さんたちや原告の皆がはっきり言ったのに、一切無視という訴訟指揮。書記官も一旦は「聞いた」と言ったのに、実際の記録からは省かれていました。こんな裁判があっていいはずはないと、メチャクチャな裁判に対して国家賠償請求をした訳です。池住さんは相変わらず端然としてスピカーに向かいます。

 ビラを受け取ってくれる人、無視する人、色々あるけれど。

2006年4月4日(火)  

昼、新聞スクラップ。夜、東海音声表現研究会。

 NHKのラジオ文芸館とラジオ深夜便の朗読の録音を聞きました。伊藤アナの「
首にまく布」、松平アナの「蝉しぐれ」、広瀬アナの、「花あらし」。担当は俳優の藤城健太郎さんで、彼自身が録音されたものですが、

 アナウンサーと役者の朗読について特徴を分ける意見と、分けるべきでないとする意見、ラジオと舞台の語りの違い、マイクがあって、たくさんの人を前にした場合、誰もいない場合、マイクなしで、たくさんの人がいる場合、いない場合、映像がある場合、ない場合、聞き手が聞く時間帯、いろいろの条件下で聞く、聞き手の心境や環境の問題。つくづく朗読も一期一会だと思うと私は感想を述べたのだけど。

 今日は出がけに編集者と電話で話したり、いろいろ緊急の連絡仕事も頼まれ、焦りと自己嫌悪等で、なかなか楽しい気持ちにはなれずに出かけたので、朗読の勉強で心を落ち着かせたかったのですが、広瀬修子アナの朗読に癒されました。品格のある声、落ち着いた朗読。これから私が修行していくべき路線だろうな。

2006年4月5日(水)  

 Gさんとランチ。Yさんと恐怖の母の家で久々のおしゃべり。Kさんと夜長電話。
重い話が多いけれど、その重い内容はそれぞれで、ため息がひとつふたつみっつ。
一日一日生きることでしかないね。3人の友人に感謝。

イラク派遣自衛隊員・同僚・家族の声を聞く、
イラク派兵差止訴訟全国弁護団連絡会議が「弁護士による何でも相談110番」を
  
  日時  2006年 4月14日(金) 午前10時〜午後4時
            15日(土) 午前10時〜午後4時
                  
専用電話  札 幌  011−252-5375(札幌弁護士会館)  
      仙 台  022−214-8790(仙台弁護士会館) 
      東 京  03−3355−2844(四谷総合法律事務所)
      名古屋  052−211-2239(名古屋第一法律事務所)
      大 阪  06−6364−8855(民主法律家協会事務所)
      熊 本  096−352-0601・0602(熊本弁護士会館)

という要領で行います。
賛同は、箕輪登氏(元防衛政務次官・北海道訴訟原告)、小池清彦氏(予定/元防衛庁教育訓練局長・現新潟県加茂市長)、協力 原告・支援者の医師

 そして、弁護士の皆さん、裁判に関して、またこの企画に関して一切奉仕です。無料のボランティアに徹しています。感謝。

2006年4月6日(木)  

 今年度はマンションの理事長の役目がまわってきて、早速4月から仕事が始まっています。町内会より、今日は引継ぎグッズを前任者が持っていらっしゃいました。空色のヘルメット!災害時には皆さんのお役に立たなくては。
 町内会費の集金は、5400円の大金なので、予め集金日を回覧板でまわします。ゆえに、「お知らせ」をワープロで打って、回覧板にくっつけて、早速配達。領収書の枚数が足りないので、町内会長さんの家に頂きに行く。21軒分の「組」だけど、今年は大規模修繕もあるらしく、あぁどうなるやら。今まで皆さんにさんざんお世話になっているのだから、やらせていただくという気持ちでやりましょう。

 4月9日(日)19時30分〜20時15まで、45分間、NHKで、ジェフリー・ムーサスさんのことが放送されるそうです。彼からのPRが今日Hさん経由で届いたのですが、最初の放送は、もう昨日の夜終わってました。再放送ね、きっと。

 ベランダに桜の枝が侵入していますが、小鳥が来て楽しそう。先日がま口が終わってもモジモジしているMさん、歯医者さんへ行く間の時間調整をしたかったのね。じゃあっておじやを作って二人で食べてる時、すぐそばに見える「桜きれいでしょ?」って言ったら
「えっ?」って……。後から手紙が来ました。「桜や花がきれいだという感情をもったことがない」って……。花や空や山がきれいだって思う気持ちを、人間に育ててもらったことを初めて知りました。「きれいよねー」って言う気持ちも共有できるようになるといい。

2006年4月7日(金)  

 新聞のスクラップ作業。溜め込んだのをじーっくり隅から隅まで読む……わけないけど、まあ、それでもイラクイラクイラク…って感じでなかなか時間がかかるのです。とにかく、とりあえず、見出しは必死で見ます。「シンベイシンホウ?」アメリカが又何か新しいことを?え?なんで相撲のこと?…何てことないわ、「新米親方」だもん。

 さんざん活字を見てて、ふっと窓の外をみてびっくり。思わず「わっ花が咲いてるみたい!」って言ってしまいました。だって本当に商店街に年中咲いてる桜みたいに桜が咲いてるんだもの。これには一人で笑ってしまいました。御幸山は今日が満開みたい。ので、郵便局に行った帰りに遠回りをして塩釜神社の桜見物をしたのでした。何で桜は桜のように咲くようになったのかなあ。

 夜、千種でまのあけみコンサート。ライブハウスで超満員でした。席がなかったので帰ろうかと思っていたら、ギターののりおさんとバッタリ。引き止められました。

 先日NHKのローカルだったと思うけど、のりおさんとバンドを組んでいる、ジャズピアニストのダニーが全盲で指にも障害のある芸大ピアノ科のお嬢さんにジャズの手ほどきをしていたのを見たので、のりおさんにそのことを言ったら、「彼女、僕もよく知ってるよ。僕は教えてないけど、大学で会ったらいつも、やあ!やあ!って言ってるよ」だって。
 
 感動、生きる元気をもらう芸術。そんなのがいいな。あれはすばらしい番組だった。ダニーの優しさがにじみ出てた。ダニーは、北京放送に来た時、キーボードがない!って私たちがあわてた時もニコニコ、悠々としていました。音楽を楽しむ人なんだろうな。

2006年4月8日(土)  

 リビングの正面に満開の桜を見ながら、パソコン三昧。幸せな一日でございました。今度は長編の実話の翻訳のリライトで、早くも先が楽しみでワクワク。こんな仕事(かなあ…)は一日中でも疲れません。調べ物をする度に賢くなれて又幸せで。(すぐ忘れるのが玉に傷)。仕事というのは、絶対稼ぎの多寡じゃないね。多く稼いだためしがないけど。

 先日、志賀原発の金沢地裁判決が出ました。嬉しかった。チェルノブイリ20年目の春で多くの取材記事も読むし、記事が出てたよって、冊子を送ってくれる友人もいます。Gさんは、わざわざ「とどけウクライナへ」を取材から帰ったばかりのC新聞の記者さんにプレゼントすると言って、本をリクエストしてくれました。K記者からの依頼で取材前に会うことにしてたけど、超多忙の記者さん故、流れていただけに、嬉しいことでした。

 美しい緑の木々、色とりどりの花々の咲く、春の故郷を、大気と大地の圧倒的汚染のために、瞬時にして捨てなければならなかった人々の気持ちはどれほど辛いものだったでしょう。春が来る度に、チェルノブイリ博物館で見た、背中に額縁に入った家族の写真をぶら下げて、仕事道具を一つだけ持って、最後のお墓参りに行く男の悲痛な後姿の写真を思い出します。「お墓」は心の中に!と、その時、強烈に悟りました。確かなものなど何もありはしない。今尚現地の人たちは病に苦しんでいる。

 劣化ウラン弾の被害に苦しんでいるイラクの人々、とりわけ子供たちがかわいそうで仕方がない。真実はなかなか報道されない。

2006年4月9日(日)  

NHKって言えどもBSでした。「住まい」をテーマに外国人たちが日本の住宅で見つけたクールなものを発表しあっていて、その中で、ジェフリー・ムーサスさんが自分の京都の住まいを紹介しながら、日本の住宅から縁側と庭をとったら、何もなくなるって…言ってたなあ。テレビは、現代のラフカディオ・ハーンだって言ってましたが。

 御幸山の頂上、中学校と御幸山公園(明治天皇僥倖の地故の名)の隣に、一軒の超豪華なデッカイ家があったのですが、(いつも映画のロケに使えそうと思っていた家です)一年ほど前だったかしら、取り壊されて(相続税などの問題かしら)ついにマンションが完成しました。40数戸。絶景の中に外人の園芸家が作った屋上庭園もあって、見学会をやっていましたので、とにかく、あそこから一度塩釜神社の桜を眺めてみたいと思って、お客になって入り込んだのでした。「眺望を第一にした設計ですので、ベランダは極端にせまくしてあります」という説明でした。南側は総ガラスだから、ベランダは目障りなんですね。

 縁側がある家…都会で探すのは大変、ジェフリーさんに言われるまでもなく、日本の家屋はどんどん密室的になっていて、セキュリティー第一。縁側があると怖いと思うよ。

2006年4月10日(月)  

岐阜との県境の木曽川沿いに「桜の里」という所があって、8キロ程の堤防に600本くらいの桜!ドライブにつれて行ってもらいました。
一宮の3羽烏の恒例?行事で、私はだだ、出かける人。車を運転する人と、お弁当を作る人と、これも恒例の役割分担。曇り空なので、お弁当はYさんのお家へ行ってワイワイ食べました。1年生になった孫のDちゃんが、お昼には帰ってきて、その後は、積み将棋に五目並べにオセロにおはじきに…と、3婆カラスは夢中で遊びまくりました。久々の休日らしい休日でした。

 がま口塾の小休止は私に孫が生まれるから、その世話でという噂があるようで、ニッコリ。全くそんな兆候はございませんし、そういう殊勝な婆ちゃんにはなれないでしょうね。でも、今日のDちゃんを見てても、子供は大切なものだなあということはしみじみ感じました。こういう子が投げ捨てられたり、切り捨てられたり、絶対絶対あってはなりません。人を殺すことも、憎むことも教えてはいけません。一緒になって遊べるのは究極の幸せというものでしょう。女良寛様になるのもいいかもしれない。

2006年4月11日(火)  

 裁判関係です。
@内田裁判長の不法な訴訟指揮に対して、裁判官忌避の即時抗告をしていましたが、10日却下決定が出ました。従って、14日の判決言い渡しは行われることになりました。

A春の人事移動で熊本へ移動就任した裁判長は…福岡地裁時代、小泉首相の靖国参拝をめぐる福岡靖国訴訟で憲法違反の判決を書いた亀川裁判官です。熊本地裁のイラク派兵違憲訴訟の裁判は4月17日。

 全く違う話ですが、最近「結納金」についての相談を友人からよく受けます。人身売買のようで嫌いだとする意見が、私の周りでは多いのですが、意見を表明することで話がこじれて壊れてはいけないと、まあまあで成り行きに任せるラインに落ち着くようです。私は当事者たちが決める問題だと思っています。「どれだけお金が出せる家か人物か」か「どんな風に育ってどんな考え方をする人物か」。その他色々相手側は自らの価値観に従って思うのでしょう。「これが正しい」というものは「ない」と思います。

 裁判も内田裁判長もいる、亀川裁判長もいる。14日は、あっという間に判決が出て終わると思いますが、その後に記者会見や集会、総会が行われます。裁判傍聴は今回に限って入れ替えがありませんが、原告になっている方、いない方、抗議の気持ち、意見のある方は、ぜひ地裁に集まってください。

2006年4月12日(水)  

 天白図書館へ。スクラップするために恐怖の母の家からどっさり持ってきたはずの新聞が2週間分紛失していて、ずっと探していたのですが、どうやら、間違えてリサイクルに出してしまったみたい。仕方がないので、図書館へ行って、2週間の記事をコピーしてくることに。

 夢中で新聞と格闘していたら、隣に座っている男性とそのむこうの男性の話声がして「あら、Nさん!」。訴訟の会のNさんもびっくり。内緒にやっていたのにばれてしまったのでした。悪いことはできない…。(それにしてもずっと隣に座っている人にお互いが気がつかなかったなんて)

 お話会のアナウンスがあったので、私も部屋へもぐりこみました。福岡にいた頃、いつも図書館で「土曜お話会」というボランティアをやっていたので、懐かしくてたまりませんでした。ストーリーテリングと、絵本と、パネルシアターと指遊びで「ミミズの体操」なんてやってた女性。なかなかの出来で、とにかく「偉い人たちだなあ」と思いました。こういう地道なボランティアがひょっとしたら、大きな社会貢献になっているかも…、いや、絶対になっています。子供たちの笑い声を聞いていると、本当に幸せな気持ちになるのです。

 夜、東京のMさんから珍しく電話。今日、イラク訴訟の傍聴に行ったというのです。東京は、一人一人が毎日提訴したので、裁判がなかなかユニークです。今日は歌手の方で、口頭弁論で「歌っていいですが」って聞いて、裁判長が被告に聞きたいか聞いたら、被告(国の代理人)は「こういう場にふさわしくないと思います」と言ったがはやいか、もう朗々とアカペラで歌っていたそうです。詩を聞いてほしいからと言ったので、申し訳に詩も朗読したけど、ほとんど歌だったので楽しかったと、彼女の報告。

 今日は明後日の判決の後の総会の背ビラを作り、スクラップも完成、宿題をやり終えた小学生の気分でランラン♪です。

2006年4月13日(木)  

朝日の夕刊に大々的に明日の判決の記事が出ました。「国のあり方愚直に問う 3237人、言葉の力で対抗」との見出し。この種の訴訟で最大規模の訴訟です。

 ろくすっぽ…というか、全くの審理なしで被告側とだけ結託しての明日。どんな判決が出るか予測を立ててその対応を準備しているわけですが、私は高橋裁判官のフルネームの読み方が分からないので、今日、民事6部に電話をしました。私だけ名乗らされて、むこうは「わからないから」と二人電話を代わって、挙句が「教えられない。代理人を通して聞いてください」の一点張り。唖然としてしまいました。公務員でしょう?裁判官でしょう?なーーーーーんで名前の読み方を「知らない」と言えるの?「教えられない」の?どっかの小学校に電話して、父母が名前を言わされて、先生の名前の漢字が難しいので、どう読むか教えてくださいってきいて、「駄目」って言われたのとおんなじことよ!

 こういう人たちがだんだん出来上がってくるのです。裁判長がおかしいから。人間らしい判断ができなくなってしまうのでしょうね。明日は又、全国で自衛官・家族110番が行われます。推進力になっている弁護士の皆さん、原告代表、スタッフの皆、協力者の皆さん…みんなに感謝。皆さんのひたむきさは並みのものではないからです。本当にすごい。

2006年4月14日(金)  

 裁判の体をなしていない。裁判に非ず!この一言に尽きる判決でした。

 名古屋地裁2号法廷に入り、2分間のテレビカメラ取材。そして始まろうとした時、中谷弁護士が事前に提出した意見書につき発言を求めました。内田計一裁判長は「開廷してから」と言いました。事件番号が読み上げられ、「開廷」が宣言され、又中谷弁護士が言いかけたら、かぶさるように、内田裁判長の超特急のお経のようなものが始まって、10秒で、3人の裁判官はきびす返して風のごとくドアの向こうに消えました。「?!」…。しばらく声が出ませんでした。

 裁判所の正面で抗議集会をしました。いつも、どんな時も穏やかな紳士である池住代表が、本当に怒りをあらわにしていました。この国は絶望に向かっているのではないか。裁判が機能しない国になりつつあるのではないか。
 私はA4で2枚の「抗議声明 裁判に非ず!」を報道全社、日本各地からの原告、弁護士、関係者の中で読み上げました。私でも世の中に役立つことがあるとするなら、そういう意味で、今日は最高の喜びとすべき日でしょう。仕事とは、今日のような日のことを言う。全身に全霊をこめて朗読しました。皆さんに「心にしみたよ」って言われて嬉しかったです。結局高橋裁判官の名前の読み方は、今日も教えてもらえませんでした。

 
 昨日、スタッフメールで名前を教えてもらえなかった顛末を流したら、弁護団事務局長の川口弁護士から「苦痛をバネに」という件名のメールを頂きました。

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坂東さん、裁判所のおかしさを、どんどん周囲に広げて語ってください。裁判所の実態を明らかにし、真の裁判所改革をさせていくことこそ、裁判所に違憲立法審査権を行使させる一歩なのだと思って、頑張りましょう!

 30代前半の若い弁護士さんやスタッフの皆の共感をもらい、励まされ、感動しました。民事6部の職場環境の冷たさ。人間の生息しているところではありません。

2006年4月15日(土)  

犬も歩けば棒に当たる。マンションの理事会の集金でウロウロ。まずは犬の散歩をしていたお隣さんに会ったら「すみません。筍を貰って頂けないですか?」「喜んで!」。まてよ、この話は犬がアッチだから、コッチは棒か?お隣の竹やぶの今朝のとれとれの筍を米ぬかつきで頂いて、しっかり夕食になりました。明日も明後日も筍料理になりそうです。

 棒も歩けば犬に当たる。いやいや今度は85歳の一人暮らしのお婆ちゃまに当たって、えらく話が弾んで(お婆ちゃまだけで…)、「私は結婚を○歳でしました」「あなたは何人のご兄弟?」等等、『集金とは関係ないんだけどなあ…』。
 朝8時から自宅にお金をもっていらっしゃる方の他、色々電話がかかって、なかなか神経を使う集金です。銀行振り込みにしたらいいのになあ。

2006年4月16日(日)  

 夕方7時半、集金終了!すぐ町内会の会計さんの家に届けました。会計さんは各組から集まったのを区の組織に届けるんですって。回覧すべき書類も次々来るので、回覧板に貼り付けて回す。

 相棒は理事会に出席。朝も夜も色々電話が飛び交って、総会に向けて会計監査やらなんやらとやってはります。お年寄りと話すのも、時間がかかって大変らしい。社会のもっとも小さな単位ですら、まとめて行くのはたーいへん。人間の数だけ、個性と考え方がありますもんね。この1年は本当に大変なことになりそうです。

 BSで仲代達矢の「喪失からの出発」を見る。「赤秋」という造語を知りました。青春に続くものとして。そうか、私は今赤いのだわ。

 

2006年4月17日(月)  

 全く気が進まないのだけど、3冊のうちの最後の一冊の翻訳リライト作業に入る。先回のリライトの時、編集者とのやりとりで深く深く落ち込み傷つき、のたうち回ったので、新しい辞書を買うことにして、杁中の三洋堂に行ったけれど、お目当てのものはなし。丸善まで行こうかと考えていて、なーんだ、パソコンで注文できるやんかと閃いて帰宅。簡単に見つかったけれど、辞書は高い!1万円近くしちゃうのよねえ。でも、背に腹はかえられませぬ。買い物籠にいれました。けど、とどのつまりは私自身の力量不足なので、辞書を買えば問題が解決するわけではないのです。かくて傷は深まりいく…

 同時進行で、もう一冊のリライトも進行中。こちらはワクワクします。読みたくて仕方がない。本屋でユン・チャン「マオ」が平積みしてありました。ワイルド・スワンを読んでるし、今度のリライトにもかかわるから手がのびかかった。でも、並べてある色々な本のぜーんたいをボーっと見渡すと、何だか意図的な臭いがしてきて、買うのはやめて店の外に出ました。本屋さんも政治と連動するんだなあ。いや、執筆者がと言うべきか、出版業界がと言うべきか。現実がというべきか…

 山崎朋子の本を訴訟の会のNさんに借りっぱなしになっているので、こちらを読み始めています。北京、朝陽門が舞台。たぶん一気に読めそう。

2006年4月18日(火)  

 山崎朋子著「朝陽門外の虹」(岩波書店)を、やっぱり一日で読み終えました。取材10年。戦前・戦中の北京で、北京の朝陽門外や天橋のスラムの子供たちを救い、教育しようと学校を建設したり病院を建設、当時の複雑な民族関係を超えた人間愛で献身的に働いた人たちの事を初めて知りました。

 今や「愛国」なんて小さなことにこだわっている時じゃないのにな。愛するなら「人間」なのにな。清水安三・美穂・小泉郁子の仕事が、今も「陳経倫中学校」として、朝陽門外にあり、過去のその仕事が、今尚称え記されているという。今度北京に行ったら、ぜひ訪ねてみたい。

 北京は今朝、ものすごい黄砂だったそうです。黄砂は年々ひどくなるようで、地球愛がなくっちゃ、もう生きられない時代です。

2006年4月19日(水)  

4月15日のY新聞にびっくり仰天。記者会見でも質問していた若い記者の記事ですが、まさかこんな記事を…
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 名古屋地裁で14日、原告側が敗訴した自衛隊イラク派遣差し止め訴訟は、騒然とした中で判決を迎えた。「裁判官は何を言っているんだ」「裁判にあらず」
 この日の判決で、内田計一裁判長が、原告の代理人弁護士の意見陳述の申し出を認
めず、主文の言い渡しを始めると、傍聴席からは裁判長を批判する発言が相次ぎ、法
廷は主文が聞き取れないほどだった。(後略)
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 現場の記者席のすぐ後ろにいた私は、絶対におかしい記事だと天地神明に誓って言えます。15秒のうちに、原告たちは傍聴席で、主文が聞こえないほどの反応はでき得ない!
中谷弁護士が、予め出していた意見書を読ませてほしいと言ったのに、裁判長が声を重ねて読み上げ、アッと言う間に逃げて行ったというのが真相なのに。。「裁判官は何を言っているんだ」「裁判にあらず」って言うのは、その後のことで、それは当然の話で、それを言わなかったら、生きた人間じゃありません。

 この記者が会見で質問した時に、他の新聞社の記者が失笑していたというくらいです。この記者は訴訟の会のビラをいっさい読まず、本当に予断を持って記事を書いているのです。

 チェルノブイリへ発つ時の記者会見でも私はY新聞の記者の質問にびっくりしたことがあります。
「名工大のY教授と違って、貴方たちはソ連へ行ったこともない。日ソ協会にも属していない。先生のようにむこうの友人から手紙を受け取ったわけでもない。未知の新聞社編集長からの手紙を信ずるのですか?その新聞社が共産党の機関かも知れないじゃありませんか。そんなアバウトな話で、救援に出かけるのですか?」

その後のことを思えば、チェルノブイリ救援中部は、今も救援を続けているし、広島のジュノーの会も他の全国の団体も献身的な活動を続けている。信州大学の医師の現地治療は、NHKの「プロジェクトX」でも放送されました。当時、全国の皆で情報を交換し、共有し、協力し合った仲間たちでした。医師を除いたとして、皆、ただの市民。(でも色々な特技をもって生きている市民。とりわけ優しい気持ちを持っ人達です)肩書きで闊歩している人なんて誰もいなかっただけ。

 原告が皆学者や政治家や財界人であったら、きっとY新聞の記者は、「裁判長は乱暴に判決文を読み上げ、瞬間、原告たちは呆然としていた」と記事を書くでしょう。守るべき法廷のルール。それは裁判長にこそ向けるべき言葉です。

2006年4月20日(木)  

 サニーさんの家で、先般のDVDの修正打ち合わせ…はほんのわずかで、ほとんどはおしゃべり、おしゃべり。3月に1ヵ月間内モンゴルに里帰りし、仕事のために、外モンゴルのウランバートルにも行ってきたそうです。モンゴルの話を聞いていると、やっぱり騎馬民族の末裔だとつくづく思います。そもそもチャイナドレスのデザインは満州族のデザインの流れ。満州族というのは、モンゴル族の流れ。そして、絹というのも、シルク道路を渡って騎馬民族が交易したもので、それがどんどん南下して杭州にまで流れ…

 「騎馬民族って言うけど、母がお産したとき、祖母は馬に乗らず、母のために卵をいっぱい持って、5日間歩いて訪ねてきたのよ」とサニー。「おかげでとっても足が丈夫で長生きしてるの。今のモンゴル族はちょっと遠いと車でなきゃ行けないと思っちゃう」。5日間歩いて、娘に卵を食べさせようと会いに行く、その愛のスケール!

2006年4月21日(金)  

 3251人の原告を3250人と1人に分けて、3250人は先日判決を申し渡されたので、控訴するのですが、問題は切り離された1人。天木直人元レバノン大使の口頭陳述が名古屋地裁でありました。

 原告は天木さん1人なので、私達は傍聴券で入廷。被告側は、外務省関係と思われる人達がいつもより多く、ズラズラと並んでいました。意見陳述について、内田裁判長「5分だけ許します」弁護士「5分の根拠を教えてください」「訴訟指揮の問題です」「予め5分と決めるのはおかしいですよ」「もう5分は始まっています」…!あきれて物が言えない!
 田巻弁護士と天木さんが大急ぎで陳述して、開廷宣言から10分で裁判終了。次回期日は7/7。又原告と被告が準備書面を出し合います。準備書面を原告・被告が出し合うだけで陳述しない裁判が普通になっているのが現状だそうです。私テレビの見すぎかなあ。丁々発止ドキドキのオンパレードだと思っていましたよ、裁判って。

 終了後桜花会館で報告集会。天木さんは明日、「外交力でアメリカを超える」を出版されます。

 3月末の紫金草合唱団南京公演の際の、南京理工大学と南京大学の学生たちとの交流討論の学生達の感想集が翻訳されてメール送信されてきました。戦争を反省している優しい日本人がいることにびっくりしたというレベルをどう考えたらいいのか…。それだけに市民レベルの真正面から討論がいかに大切かをひしひしと感じるのです。

 でも、今日の集会で、そのことを発言したけど、うまく話せなくて、今、情けない自分に自己嫌悪。

2006年4月22日(土)  

断続的にやっぱりマンションの理事長の仕事。共有部分の考え方というのが、色々微妙。イスラエルやパレスチナじゃないから大丈夫であるけれども、人間の居住に関して、権利や責任の問題は果てしなく存在するものだと思うしだい。前理事長さんのおじいちゃまとお話してて「こうやって色々ご近所と知り合っていけるんですね」との言葉に同感。プラス思考で!

2006年4月24日(月)  

 昨夜は千葉7区のニュースだけではなくて、米空母艦載機部隊の移転受け入れの是非を最大の争点にした山口県岩国市長選で、反対を訴える井原勝介氏が当選したニュースや沖縄市で東門美津子氏=無新、民・共・社・自連・社大推薦、が初当選とか、次々メールが入ってきました。 

 禍福はあざなえる縄の如し。私も落ち込んでばかりはいられませんな。今日は気分転換にミシンでさおりのベスト作りを少々。一日の中でもリライトと交互にすると、うまくいきます。掃除も台所も、みんな気分転換。きっとやり方次第でストレスはなくせると自分で自分を鼓舞。

2006年4月26日(水)  

 チェルノブイリ原発事故から20年。ジャーナリスト達が石棺を背景にレポートしているのが気になって仕方がありません。16年前、一緒に行った高世さんから、ジンネット便りで、今日の夜放送しますと連絡がきました。高世さんが代表のジンネットが取材に現地へ入ったのです。ぜひ見よう。タチアナさんのお母さんもお姉さんも、今、病気になっておられるとか。1986年から4年間、世界は全く被害の大きさに気づかなかった。物事の始まりは、いつもたいていこんなもの。その権力体質が、被害をどんどん大きくするのです。
どこの国も同じでしょう。

●日本テレビ「きょうの出来事」(午後11時ごろから)「現地リポート―終わらないチェルノブイリ」

 今日は「八事朗読バンド」の日。母音の無声化の研究に集中しました。Sさん、アクセント辞典をブックオフで新品同様で手に入れたという信じられない、ありえない快挙。すごい!だいたい一般の書店にはあまり売ってないし、本屋の店員さんでもアクセント辞典を知らないのが普通ですからね。
 それで皆で辞書を見ながら「日本の国語辞典にはどうしてアクセント記号がついてないんだろうねえ」。全くだあ!そういうことに気がつくバンドの生徒さんたち、偉い。

2006年4月27日(木)  

 がま口塾、無事開催。ホッ。本当にホッ。ありがたいことです。隣県から初参加の方あり、終わってから参加?の方あり、いつも何かかんか驚きがあります。今回、よくハンカチで目をぬぐったね。やっぱり戦争と結びついてしまう。

 最後に突然の発案で「ふるさと」を全員合唱の展開になったのにはびっくり。ちゃんとピアニストがいるのもできすぎです。明日までにテープ起こしを完了したいです。

2006年4月28日(金)  

今日はイラク訴訟のスタッフ会議がある日だけど、お休みして、テープ起こしに没頭しました。弁護士と法律事務所のスタッフの皆さんが、1114人の控訴の手続きを、休み時間どころか、夜遅くまで必死にしてくださって、控訴は無事済んだそうです。胸がチクチクします。訴訟の会の皆も、それぞれの持ち場を担当して必死に頑張っていて、本当に心から感謝。

 おかげさまでアップ完了。歌の確認をネットでしたりするので、何度が聴き入ってしまったり、つい他の曲を聴いてしまったり、誘惑の多いテーマでした。初参加のIさんは新聞記者さんだったので、テープ起こしをしながら会話を振り返ってみると、さすがにインタビュアー的センスで合いの手を入れている!って思いました。とにかく全く途切れることなくポンポン会話が弾んでいて、2時間の予定が40分ほど延長A4、12ページにまとめるために削って削って…その作業が何より大変でした。

 好きな曲が話題になっていないと思われる方もおいででしょう。あと、残り3回のがま口塾で、一緒におしゃべりしましょう!

 

2006年4月29日(土)  

 今年の10月6日〜9日に、南京で「ぞうれっしゃ 南京音楽文化交流ツアー」が挙行されます。名古屋から飛行機をチャーターして行きます。基本的には「ぞうれっしゃがやってきた」という40分の合唱組曲を歌うのですが、サポーターとしても参加できます。定員が190名でツアーの費用は11万円。私は行きませんけど・・・ただいま全国から大募集中。

 で、今日は、岡崎市の美合にある愛知県青年の家で強化合宿の1日目。昨年この合唱団の総会で幹部の方達に招かれて、お話した内容が良かったという事で、もう一度話してくださいと言われてノコノコでかけたのですが、その人数に仰天! まあ、飛行機をチャーターするくらいですから当然ですが、今日は子供が100人と大人が80人集まっていたのです。

 練習の合間の30分でお話してくださいと言われたのですが、丁寧な紹介をして下さっているうちに10分が過ぎて、正味20分の年齢幅が60歳くらいもあろうかという集団での、超特急講演なのでありました。ビデオも見ていただいての事で…もーーーーうテンヤワンヤになってしまって…毎度の事ながら落ち込んでいます。

 とにかく、すごい話。市民の、特に若い世代の草の根の交流こそ、未来へのかけがえのない相互理解に繋がります。今回のがま口塾の話の中にも飛び出した話題の、数学ソングや教育基本法の歌も作った藤村先生や、お仲間のスタッフの皆さん、合唱団のメンバーの皆さんの成功をひたすら祈る次第です。

 5月4日、プレ企画で東山動物園で公開練習が行われ、5日には子供議会が開かれます。6月18日には愛知県勤労会館大ホールで初演20年、絵本初版30年のぞうれっしゃ国際交流コンサートが開かれます。なーんと、サランちゃんも、白い馬芸術団としてモンゴル舞踊を披露します。チケットあります。

2006年4月30日(日)  

がま口塾便り印刷発送完了。連休中にでもゴロリと寝転んで読んで戴ければ幸いです。積読(つんどく)の方もあるでしょう。封も切らずにゴミ箱の方もあるかも知れない。でも、私は心を込めて送付。感想を言っていただくのが何よりの報いなのですが、義理で読んで下さって(いや、送られてきてしまっている…)方には、申し訳ないことです。
 迷惑をかけているかも知れないと思っても、どうやってそれを判断するか、難しいのです。とりあえず、失礼のない様にと、心は込めて送るのです。感想を送って下さると、ああ、送ってもいいんだ!ってホッとします。この悩みもあと少しで終わります。

 ネットの方には読みやすいように、適当に段落を開けているのですが、長いので、ダラダラ書いてあるのを読んで頂くのは大変と思います。我慢して読んでやって下さい。

 金山の地下鉄から名鉄とJRに昇っていく、たっくさんのエレベータの手すりに、カラフルなコマーシャルが貼り付けてあります。手で捕まりつつ、ずーっとついて回るので、いやがおうにも読んでしまうのですが、テレビ番組の宣伝の文句の意味がカタカナ交じりでさっぱり分らず、私はもう日本人でなくなったのかと落ち込んでいます。誰か助けて!

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Akiary v.0.51