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がま口弘美の日記 バックナンバー

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2006年5月2日(火)  

 別宅で2泊。大掃除に大洗濯に衣類整理にゴミとリサイクル品の整理。介護すべき人物は不在のヘルパーさんです。

 布団と毛布をもってコインランドリーに行きました。400円入れて毛布を入れても蓋が閉まりません。困っていたら、とても元気のいい女性が、洗濯物を取りに入ってきたので、「すみません、これって壊れてないですよね。閉まらないので、今洗濯物を取り出したところですけど」って言ったら「壊れてないと思いますよ」と言うが早いか、バーンと閉めてくれました。あややー。かくて、洗濯機は自分自身をしっかり35分間洗っておいででした。

 恐縮したのはその女性で、なんとしても私に400円をくれると言い張るのです。要らないと言い張る私と、まるで名古屋場所のような暑さの中の押し相撲。そう、昨日は岐阜は30度を越えていたのです。勝負は私の負けで、別の洗濯機に彼女がコインを入れてくれてしまったのでした。

 お店の壁に「ここで洗って乾燥機にかけると、花粉はつきません」と書いてありました。なるほどなあ。コインランドリーは不衛生だと言う人もあるけれど、まさに選択、いや、センタクの問題だと思ったのでした。

 名古屋に帰って、大急ぎで、今度はこっちの介護の要らない介護人?のために夕食を作ってから、女性会館へすっ飛びました、東海音声表現研究会の例会。CDつきの朗読研究の本を皆で作ろうという話。色々なアイディアが出て面白かった。藤城さんは名古屋の放送界の草分けでいらして既に80歳を過ぎていらっしゃるそうで、貴重な朗読を、本当に今こそ残しておかないと間に合わない…とご本人の前で言ったりして。楽しみです。

 

2006年5月3日(水)  

憲法記念日。勤労会館へのチラシまきに行きたくても色々重なって手を挙げられず。行ってくださった方にも、行事に参加した人たちにも心苦しい一日でした。今年は鶴舞公会堂は、あっち系の人たち。場所も毎年争奪合戦なんだ!

 家族ぐるみの親友が事故で突然亡くなって14年。遺された夫人を含めて3家族が毎年会うのですが、彼女が元気いっぱい、孫に囲まれたり、趣味のトレッキングを楽しんだりの近況を語ってくれて、本当にホッ。寂しさに堪えられるようになるまで5年間はかかったという話が出てしんみり。

 Y&Yを含めて夕食。ヤンに電話をして、ヤンの得意の中華料理の作り方を訊く。携帯に電話したら、今日も出勤しているとのこと。1日でいいから、ぐーっすり寝たいというのが、彼の目下の夢です。

 「憲法を変えて戦争へ行こう」という世の中にしないための18人の発言(岩波ブックレットNO.657)を読んですごす。別宅にパソコンのバッテリーコードをうっかり忘れて来て、夜までパソコンの灯がつけられず、真っ暗な1日でした。

2006年5月4日(木)  

ガスのつけっぱなしでやかんを真っ黒焦げにしていたのを、自分でやった事ではあるものの、見るのが嫌で嫌で仕方がなかったのですが、本日、意を決してやかんとお見合いをしました。やかんが「重曹を使ってほしい」と申しました故、大きな中華なべに水を入れ、重曹を振り込み、煮立ててからそのままやかんをつけて放って置きましたらば、まーあ、こすらずともしっかりとれるのですわ。楽しくなってあれもこれも放り込んで、台所は私と食器達の壮烈なる、お見合い会場に。

 子供の頃から、こんな1人遊びが多かった。子供の日を前に1枚の写真をつくづく眺め、つくづく恐怖の母の執念をありがたく思いました。写真をパソコンに入れた事で、超特大アップが可能になり、初めて、自分の顔の患部を拡大してみて、“驚きを禁じえない”という表現はこういう時に使うのかと実感しました。正直、自分の写真ながら痛々しくて辛くなってしまいました。目と目の間にこんなに大きな静脈瘤を持って生まれて、さぞかし両親は心を痛めた事でしょう。病院にも行けず、そのまま成長してしまっていたら、私は確実に暗い性格になっていたと思います。(今でも相当暗いじゃんね…)。いや、とおに死んでいたはずです。5年間も病院に通い続けてくれた母に、ここだけの内緒だけど、心から感謝。そして重曹ではなく、当時愛知県には1つしかなかったというラジウムに綺麗にしてもらったので、キュリー夫人の執念にも感謝しています。

 チェルノブイリでも、イラクでも、放射能の汚染で病気になった子供たちが十分な治療が受けられないでいると、悲しくなるのです。明日の子供の日が本当に子供のための日でありますように。

2006年5月5日(金)  

幸せな子供であった自分を思い出し、恐怖の母を誘って津島の藤まつりへ。まずは吉祥寺へ案内。なんと、がま口会員のKさんが先客でびーーーーっくり。あわてて家族を紹介。Hさん、毎日参拝のお客様に、お抹茶をたててもてなして、お寺の改修の説明をし、本当にご苦労様。夏からは宿泊棟とフリースペースの新築工事が始まります。きっと市民に親しまれるお寺になることでしょう。

 車でKさんもお誘いして天王寺公園の藤を見に行こうと思ったら、大変な人出で、どうにもこうにも動けない渋滞にはまり込み、Kさんは降りて下さって徒歩でブラブラされることに。私達は年寄りを抱えては動けないので、本人の意志に従って、ホームセンターに寄って夏野菜の苗や土を買って、母の畑へ向かいました。かつて我が家があった所で、道路がかかって引越し、土地の一部が残って、畑を作っているのです。所謂健康農園で、収穫はどうでもよく、名古屋の東の端から西の端まで敬老パスポートで動き回ることに意味があります。

 帰宅後、私も腐葉土や植木鉢を買ったので、畑で掘り起こした花の苗や紫蘇をベランダの観賞用に植えたのでした。ホコホコの土をさわって、私の手にも春がどっしり。

 イラクの子供を救う会の西谷さんは、今夜深夜便で、まずカタールのドーハまで飛び、その後アンマンへ向かい、着けばすぐにイラクのクルド人地域へ飛ばれるそうです。どうぞご無事で。


 

2006年5月6日(土)  

バスや新幹線のチケットをインターネットで買うのは、全く便利。最寄のコンビニでお金を払い、それが確認されれば、自宅のファックスなり、パソコンのプリントアウトで事足りて、座席を好きに指定したチケットが手に入ります。もっともっと便利なサービスはあるのでしょうが、私はまだこの程度で喜んでいるレベルです。

 こんなに手間を省いて短くした時間、人間は何を得したのでしょうか。100万円の時計でも100円ショップの時計でも1日は24時間。絶対1日25時間にしてくれる時計があったら、100万円は安いだろうか? 時間は誰にとっても同じだから価値あるもの。100万円も100円も等価でしょう。

 多分、インターネットで便利に短縮した時間は本質的な「生きる営み」にはかかわりのないものだと思う。ゆっくりと確実な時間をすごしたいと切望する齢になった気がします。

2006年5月7日(日)  

★明日の朝日新聞の朝刊のオピニオンの「私の視点」に燕が登場します。どこかで目にとまったら見てくださいね。
 実は「つばめの日本飛行記」の4月号に書いてくれた内容だったのですが、新聞に挑戦することになり、慌てて取り下げたといういきさつがあります。未発表のものに限りますもんね。採用にならなかったら、5月号にまわすつもりだったのですが、まわす必要がなくなりました。新聞で全国の皆さんに読んでいただけて、我が事のように嬉しいです。

 5月14日(日)午後1時半から「イラク戦争報道」で、2003年度ボーン・上田記念国際記者賞特別賞を受賞されている綿井健陽さんの講演会を名古屋市博物館でします。ぜひ大勢の方においで戴きたいです。

 スタッフの私は最近怠けているので、背ビラの制作を担当することにしました。何せ会場が大きいので、襖2枚を横に並べた大きさ。昨夜11時過ぎに事務局のKさんが発泡スチロールを持ってきてくれました。感謝。皆信念で頑張っています。励まされて、私も本日完成させてしまいました。

2006年5月8日(月)  

 燕の「私の視点」を保存しました。字数制限があるので、書きたいこともずいぶん削ったと思うけど、とにかく挑戦することの大切さを彼女は教えてくれます。テレビや新聞に向かって一人でお話していても仕方がないもんね。誰か人間に向かって考えをアナウンスしなくっちゃね。留学生らしく、本当によく頑張っていると思います。

 通りがかりに、前から気になっていた古本屋さんにフラフラッと入ってしまった。びっくりするような本、本本本本本!ここで地震が起きたら、完璧に私は本当サンドイッチ。レコード、CD、ソノシートまである。グルーーーッとまわって、やっぱり長居の場所は「言語」と「絵本」。1日でもいられそうに楽しい。大好きな絵本があったので、家にもあるのに又買ってしまいました。文字が1つもない「アンジュール」です。息子が私に買ってくれた絵本。

 アンジュールの最後のシーンの残像を心に暖めつつ、イラクを目指している西谷さんのブログを読んで暗然とする。
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 昨日、イラク南部の都市バスラで、大規模な戦闘があり、武装勢力(モクタダ・サダルに率いられたマフディ軍)がイギリス軍のヘリを撃ち落し、戦車を3台焼き討ちにしたようだ。イギリス軍とマフディ軍、互いにたくさんの人が殺されたようで、こちらのテレビでは、ヘリが墜落した現場で、踊って喜んでいるバスラの人々の様子が何回も放送されている。
同じくイラク南部の都市カルバラで自動車を使った自爆テロがあり、21人が死亡したと伝えている。さらには首都バグダッドで51人にのぼるスンニ派の人々が首をきられて殺されているのが発見されたとも。これらのニュースは日本でも報道されているだろうか?
イラクは完全に「内戦状態」に突入してしまった。おそらく51人もの人々が殺されたバグダッドでは、スンニ派が報復攻撃を仕掛け、シーア派の人々が殺されていくだろう。
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 人を殺して喜んで踊るというのは、完璧なる異常です。なぜ優しいはずの人間がこうなるか。人を殺すための子供を産んだ母親は世界中に1人もいないはずなのに。

2006年5月10日(水)  

只今千葉県の成田にいます。蕪湖の教え子の職場が成田空港なので、彼女の家に泊まりました。と、いっても明日どこかへ旅立つ訳ではありません。明日は東京です。彼女のPCで日記を書きました。彼女の部屋の大掃除をしてくたびれました。頼まれもしなかったのだけど...(笑)。

2006年5月11日(木)  

10日そのA

 陳さんは入国審査で通訳をしています。周りの人たちに愛され、信頼されてもいるようで、とにかく安心しました。同国人の不法入国をチェックするわけですから、人間の本質的な正義感が支えなのだと思います。時に「貴方は国に家族があるでしょう。ここで捕まって、却って良かったかもよ」と諭すこともあるそうです。又、バスに乗ってしまったのを追いかけてパスポートチェックをしたり、色々事例を聞いていると映画さながら。太陽のような暖かい心の仕事振りには感動もしました。頑張れ陳さん。

 「朗読アンサンブルれもんの会」の東京民話劇場。日本橋亭という100人も入ればいっぱいになる、寄席風の舞台でした。燕の「ねずみの嫁入り」は日本人の日本語の民話に同時通訳的な中国人の中国語が追っかけ、独特の楽しいリズムをかもし出していました。手には鳴り物をもって舞台狭しと動き回る演出で、よくもまあ、燕が挑戦したものだと感心してしまいました。色々演目があったのですが、最後の「どじょうの祝言」では、民話専門の朗読女優さん、少林寺拳法有段者、スポーツと歌万能の方、チーパオの燕が次々登場して全く同じ内容を、それぞれの個性で表現し、興味深いものでした。

 最後は最前列中央でかぶりつきだった私や、一緒に行った北京放送リスナーで、千葉会員でもあるTさんたちと舞台へ引っ張り出されてどじょうの踊りをさせられたりのテンヤワンヤになりましたが、民話表現のバリエーションを堪能したステージでした。

 夕方、燕の寮の部屋にTさんと直行。地下の食堂で寮生と同じメニューの食事をしました。全員中国人の寮ですから、全くの中国の日常家庭料理。まるで中国にいるような、楽しい楽しいひと時でした。

2006年5月12日(金)  

 11日そのA

 帰名した私を待っていたのは友人の訃報。北京のコンサートの時も皆と来てくれ、サーズの時も東京まで来て手話通訳をしてくれたFさん。癌で闘病していたことを、皆に隠して1ヵ月前も手話通訳のステージに立っていたそうです。

 通夜にかけつけると、いつも相棒として、チャイナ服などもお揃いで着て舞台の通訳をしていたKさんが、受付を手伝っていて、涙ボロボロ。法衣のN先生は、別院で1月に、シャンソン付き講演会をされたときの美しい彼女の手話通訳中の写真を持っていらして、お棺の中に入れてあげました。若い頃ミス○○だったという美しい彼女。安らかな死だったと聞きましたが、つくづく人間の命のはかなさを思いました。手話通訳つきのお通夜も初めてでした。車椅子の障害者の方達も何人も来られていて、優しかった彼女の仕事が偲ばれ、残念でたまりません。

 吉祥寺のHさん、観音寺のNさんと私。Nさんの法衣のシャンソンの公演会場の近くで、その時、Fさんたちと打ち上げをしたという中華料理店に行って、彼女が座ったテーブルに座って、彼女を偲びました。辛い日でした。

2006年5月13日(土)  

 燕の部屋から強引に借りてきた「橋渡る人」林同春(EPIC)を読む。華僑波乱万丈私史とあります。1925年生まれ。9歳で日本に来て、日中戦争、国交断絶、文化大革命、神戸で震災受難、香港返還…。次々と襲い掛かる時代の荒波を耐え抜き、両国や世界の平和を心から願う人の歴史は、本当に胸打たれます。それにしても、そういう人たちに対して日本人がした侮蔑、侮辱、凄惨な強制連行の歴史など、本当に恥ずかしく思う。戦争は、戦争で儲かる人だけが喜ぶことで、どの国の庶民もただただ悲惨な運命に弄ばれる。

 サマワで自衛隊へ物資を運ぶトラックが攻撃を受けたニュース。正義の戦争なんて絶対にありえない。憎しみの連鎖より平和の連鎖を!

 

2006年5月13日(土)  

どうして色々片付かないかとじっくり考えたのですが、分りました。株なし会社がま口弘美には、事務員がいないのです。それで、今日は自分の事務員をしようと決意。手紙の整理をしたらば、まーあ、振込用紙がジャンジャン。1ヶ月に10枚近くだと泣きたくなります。立木トラストとか、平和の問題とかを優先。あとはごめんなさい。私が大金持ちだったら、平和や環境のために頑張ってくださっている人からの振込用紙、1000枚だってヘイキなのに。

 又訃報。「母が一昨日90歳の天寿をまっとうしました」と1人娘さんからの連絡でした。献体を昭和56年に意思表示していらしたそうで、葬儀も決してやることならぬの遺言だそうです。立派なことだと思います。私が家族にそう遺言すると、必ず「死んだ後のこと、何やられてもわからんから、心配せんでいいの。はいはい」。ともあれ、「死」は寂しい。

 明日は、午後から名古屋市博物館ホールで綿井健陽さんのイラク報告講演会があります。ぜひぜひ多くの皆さんにご参加戴きたいです。「イラク戦争報道」で、2003年度ボーン・上田記念国際記者賞特別賞受賞。リトルバーズは話題になりました。

 イラク入りに成功した西谷さんは、11日はスレイマニアの病院を訪問。

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スレイマニアはイラクの中でも比較的安全なので、多くの人々がこの街に逃げてきているそうです。その中にはがんの患者も多く含まれていて、スレイマニアのがんセンターは多くの患者であふれている。
 例えば8歳になるアラント君。彼はハラブジャの出身で、3ヶ月前に白血病と診断された。1988年に化学兵器を使われ、一瞬にして5000人もの人々が亡くなったハラブジャ。その化学兵器は、今も多くの人々を殺し続けている。「ハラブジャ近郊では農作物が汚染されています。だからがん患者が増えています」と診察にあたった医師。
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 情報を命をかけて伝えてくださる人々に感謝。どうぞご無事で。

2006年5月14日(日)  

14日その@

日経新聞創刊130周年記念事業 、京劇「楊門女将−楊家の女将軍たち−」について。

「楊門女将、」は中国京劇界のトップスター史敏(シー ミン)率いる上海京劇院のダイナミックな舞台で、多芸多才な演劇界の寵児・厳慶谷(イエン チングー)初演出作品!
華やかな甲冑に身を包んだ女将軍がずらりと居並び、圧倒的な迫力で綴る壮大な歴史ロマン&活劇…。で、私も名古屋講演のチラシを色々なところから受け取っていますが、東京では、囲む会が開かれるという耳よりニュースがきました。残念ながら私はいけなーい。
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■史敏さん 厳慶谷さんを囲む会■
▼5月16日(火)20:00〜22:00 
▼参加費:無料(食事は出ません。お茶のみ)
▼今回は「史敏さんと厳慶谷さんの応援しましょう」ということで、会場は60名は入れますので、皆様、マスコミ関係の方、京劇に興味のあるお友達をどんどんお連れください。
▼会場は池袋メトロポリタンホテル 3階「朝日の間」。
▼当日の会のイメージとしては前半は、記者会見のようにお二人に話してもらい、その後、質疑応答。後半は自由に名刺交換など。

▼【参考】公演は5月25日〜 http://www.nikkei-events.jp/concert/kyougeki.html

2006年5月14日(日)  

14日そのA

 綿井さんの講演会、がま口塾の会員も数人来てくださって感謝。71年生まれ!若い。イラクはここ1年半が最悪の状況ということでした。3/14日にバグダッドへ入った映像を見せていただいたのですが、現在スンニ派の弁護士自身が「闇の中の内戦」と言っている状態。誰が敵で誰が味方か分らない。朝起きて、どうか夜まで生きていられるようにと思う暮らし。外での取材はほぼ不可能でNHKや外国メディアも皆イラク人に取材をさせているそうです。

 「憲法は線路。運転手と電車で運用する。今、線路を変えようという予備工事が始まっている。本線工事が始まったら、本当に大変」とおっしゃった事が印象的でした。客席にバスラの総合病院の放射線科の女医さんがいらしていて、愛知医科大学で癌や白血病、CTスキャン、MRIの技術等を研修して、イラクで役立てたいと、感謝の挨拶をされました。

 帰宅後、又訃報。元自民党衆院議員の箕輪登氏が亡くなりました。在職中は「防衛族のドン」などと言われていた方。「イラクへの自衛隊派遣は自衛隊法に違反する」と小泉純一郎首相に派遣中止を求める訴訟を起こされたのです。どれだけ私達は箕輪さんに励まされたことか!遺志をなんとか皆で継いでいかねば…

 母の日。留守にしていた玄関に、ヤンと姫からのケーキとCDRのプレゼントがぶら下がっていました。燕ちゃんからもカーネーションの写真が電送! はて?日本人の息子達は、母の日を知らないらしい(姉か友達だと思ってるんだよねー…?)

2006年5月15日(月)  

Yさんから電話ですぐ来ると言う。スワオカタヅケ!間に合わず開き直る(笑)。もう家族だもんね。逆だったら彼女は「ピンポンなっても知らん顔して、留守にします」で、大笑い。昨日、電話をくれても私がいなかったので、恐怖の母の家に行って、皆が集まって食事をしたと言う。結局、「弘美はいつもいない」という事になっていたらしい。我が一族は、何でも私が悪いと丸く落ち着きます。

 W杯サッカー選手のメンバー発表のニュースを見ていて、どうして憲法や自衛隊派遣がこれくらい話題にならないかと、ため息ばかりです。ニュースは意識的に作られるものだから。

 西谷さんのイラクのリアルタイムレポート、本日はスレイマニアで
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・・・ずっと戦争をしてきた地域なので、ここでは銃の携行は当たり前。私が外へ出て行くときは、必ず護衛がつくので、通訳のハリルはいつも「ほら、今お前は拉致されているぞ」と冗談を言うのが常となった。しかしこれだけのカラシニコフが出回ってしまうと、ひとたび火がつけば止まらないだろうな、と感じる。
 今のバグダッドがそうだ。連日50人単位で殺された、という報道が入ってくるが、現実はその倍以上殺されているだろう。報道機関が把握した数が50人というだけであって、多くは警察にも届けず、家族が涙しながら埋葬しているからだ。イスラムでは遺体はすぐに埋めなければならない。いったい何人死ねばこの戦争が終わるのだろうか。
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 ニュースはこぞって「W杯開幕まで後○日」という言い方をする。イラクが平和になるまで、あと何日だろう。

2006年5月16日(火)  

舟木淳さんの語りとトークの会に出かけました。夏目漱石の「夢十夜」より第三夜。中島敦の「山月記」。後は19歳の時、ご自身が書かれた詩や中原中也の「サーカス」他など。科学的朗読を提唱されているくらいなので、一つ一つの言葉が極めて明瞭・正確。枯れ初めの淡々とした中にも深く刻まれた長年の味。73歳ですって!恒例の1人公演ですが、80才までは続けられるようです。この道一筋。すごいなあ。

 翻訳本の3冊目の督促がはやくもきました。やる気がちっともわかなくて、サボっているのはどうしてかなあ…。そういえば、舟木さんが、最近の時代劇で「御主たち、そこで何をサボっているのじゃ!」という台詞が出てきてびっくりしたって仰ってたけど。サボタージュのサボだという事を知らない世代の時代になっていると…。

2006年5月18日(木)  

 昨日からあれこれ整理をしているのですが、やればやるほど死に切れないほどのゴッチャゴチャ。どうすべえ…

 ちょっと必要があって、がま口塾の一期から二期まで、全テーマ、日付・出席人数なども書き出す作業をしていて、まーあ、思い出すことばっかり。つくづく皆さんにお世話になったと思いますし、どうしてこんなに我が身に次々事件が起こったのだろうと思いました。あまりのことに途中で投げ出したりして。

●西谷さんは、無事イラク脱出。アンマンに戻りました。あぁ、良かった!

●FWで来た情報です。
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教育基本法「改正」問題が、ますます重要な局面にさしかかりつつあります。
この度、「教育基本法「改正」情報センター」(代表:佐貫 浩・法政大学教授)が
開設されました。重要な情報が満載されています。
 http://www.stop-ner.jp/を是非ともご覧下さい。

名古屋大学大学院教育発達科学研究科
副研究科長  教 授 植 田 健 男
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5月25日の第6次原告 第1回口頭弁論の意見陳述の準備書を読んでいて、ジーンとしました。今度は山梨訴訟の弁護人をしていらした弁護士が、原告となって名古屋の訴訟に加わられたのです。
1978年に弁護士になって以降、現在まで28年間、地域で戦争に反対し、憲法を守る活動をされた。「戦争によっては、決して人の命は守れない」という気持ちが日々の実践のなかでますます強くなってきているからと。そして、ようやく父は、一方で、侵略戦争の犠牲者であったと同時に、罪なき多くの中国人の命を奪った加害者でもあった、その長男である私が存在しているのだと、トータルに見られるようになったと…

 何と私達団塊の世代は、「同じ痛み」を抱えていることか!

2006年5月19日(金)  

がま口塾のまとめのパソコン処理に手間取ってしまい、無駄な時間が相当流れてしまいました。でも、過去を振り返ることで、しょぼくれていた自分にちょっと元気がわいてきました。7/24の最終回の午後に弁護士の川口さんか田巻さんに来て頂いて、皆でワイワイ語り尽くそうと思いつきました。そう、最終回だもん、お弁当持ちにしよう!

 夜スタッフ会議。私は議事録係り。それくらいしかお手伝いできないのですが、皆は本当に東奔西走です。裁判もややこしくなってきました。まず、内田裁判長のひきょうな訴訟指揮についての国家賠償訴訟。これは当日法廷に入っていた人たちが中心に起こしました。先日の結審に対して高裁に控訴しますので、その裁判。天木元大使の裁判が分離されてしまったので、その裁判。結審の訴訟の途中に提訴した原告の裁判。

 山梨で結審されてしまった弁護士が、今度は名古屋の訴訟の原告となって意見陳述します。陳述予定の文書を読んでいて、私とよく似た気持ちの人がいるのだなあと思いました。団塊の世代で、父親は中国へ出征後復員。結局中国の人達の犠牲の上に自分の命があるという事です。

 でも、私の友人ように「父も行ってたよ。当然殺したさあ」と、私が言うことが、幼すぎるとでも言わんばかりの人も多い。戦争なんだから当たり前…。そういう時代だったんだもんって…で、今度又そんなことになりそうなのに、全く関心をもってくれないと私は沈殿する。

 判決批判をどうするかが話題になっていました。平和的生存権は具体的権利ではないとし、原告達がもつ精神的苦痛は、多数決原理を基礎とする決定に不可避的に伴うものだとしているけど、こういう言い方だと、憲法違反もヒョロヒョロどっかへかくれんぼして、三権分立の破壊。司法の死。高校で社会科を教えているNさん。判決文を授業で使って、矛盾点を探させるって。電話帳ほどの厚さのある、他所の訴訟の判決丸写しばかりの、矛盾だらけの判決文です。

先日亡くなった箕輪さんの香典返しの挨拶文に、箕輪氏自身のメッセージが書かれていたそうです。
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   何とかこの日本がいつまでも平和であって欲しい。平和的生存権を負った日本の年寄り1人が、やがて死んでいるでしょう。やがては死んでいくが死んでもやっぱり日本の国が、どうか平和で働き者の国民で幸せに暮らして欲しいなとそれだけが本当に私の願いでした。みのわ 登 
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死をとして裁判を起こされた、元大臣の生前に用意されたメッセージ。

2006年5月20日(土)  

 旧住所を間違えて、公のチラシに連絡先として印刷されていました。私は初めての、知らない方ですし、その住所を信じて手紙を出しました。今日、その住所に新しく入居している方から電話がかかって、「申し訳ありません。封を切って中を見てしまいました。お金を振り込みますという事が書いてあったので、ひょっとしたら大切なことかも知れないと思って電話番号が書いてあったので、電話させていただきました」……。

 さっそく送り返していただくことにしましたが、なんとまあ親切なお嬢さんでしょう。感動してしまいました。いやあ、危なかった!

 ぞうれっしゃ公演成功のために、今、合唱団の皆さんは必死の活動をされています。その懸命さが伝わってくるので、私は公演当日に配布されるプログラムに5000円の広告募集に応じたのです。「CDR・DVD自分史、社史などの制作」という、その文字のデザインも含めて送りましたから、お嬢さんは、バッチリその「広告文」を読んで電話を下さった訳です。もし見ていただけなかったら、私はお金を振り込んで、広告がのらなかったはずなので、助かりました。現金を一緒に入れてたら、もっとやばい。たまたま誠実な正直な方のところだったか良かったけれど。

 こういう親切さに出会うと、ああ、私も人に親切にしなくっちゃ!と思うのです。感謝。

2006年5月21日(日)  

 備忘録の価値だけはあると思っているこの日記。今日は、マンションの総会、家族の誕生日、取材(を受ける)が重なって、あたふたしました。ややこしいので詳しく書けない備忘録ですが、一番真面目にやったことは、取材を受けたこと。

 地下鉄に乗ったら、すぐそばでリュック背負って何やら一生懸命メモしながら本を読んでいる男性…なーんだ、U弁護士じゃん。声をかけて「何読んでらしたんですか?」「英語の勉強です」。又、どっかへ放浪するつもりらしい。どうして私はこの方に、こんなにご縁があるのでしょう。名古屋駅までずっと一緒で、又チベットの話で盛り上がりました。

 私を取材された週刊誌の記者さんは、東京から新幹線で来名。4月に出版された本のタイトルは「新幹線に乗れない」。開口一番それを言ったら、「すみません」と身を丸めて笑っておいででした。思いがけなくも、訴訟の会の友人が私を紹介したという事で取材を受けることになったのですが、テーマは全く関係のない、「女子アナ」。私が爆笑したくらいですから、私を知っている友人達はひっくり返るでしょう。そのカテゴリーに、逆立ちしても入る訳ありません。

 「あなたのライフヒストリーから聞かせてください」と言われ、黒柳徹子さんにあこがれた話から始めて、小学校の先生になった話までで既に1時間。3時間以上話しても、なんだか大切なことはほとんど話せなかったような気がします。「女子アナ」が差別用語であるかどうかをかなり取材の核として据えていらしたようで、全く無名の年をとった私を対比させることで、定義をされるのかしら?全くもって不明。2~3週間で記事になそうですが、有名な正真証明の女子アナさんたちにもたくさんインタビューされているようなので、私はきっと数行でしょう。

 「○さんは女子アナだと思いますか?」「○さんは?」「○さんは?」?」「○さんは?」…。超有名アナさんの名前を次々出されて「いや、女性アナウンサーだと思います」「キャスターだと思います」…。うーん、女子アナって何?女子弁護士って言わないよね。女性弁護士。でも、女子ゴルファー…かあ。女子マラソンだってあるぞ…。

2006年5月22日(月)  

恐怖の母。後何年動いているかしら…そう思うと何がしか反応せねばと…思いつつもいい加減な返事をして…おいたら「昨日は電話を有難う」と一発きました。電話なんかしておりまへんのや。「電話するわね」とか…どうも言った記憶はあるのやわ。かけなかったので「電話をありがとう」というところが恐怖!

 それで、名古屋の東の端から西の端まで横断して、はるばるとお婆ちゃんの畑につきあうことになった。ドライバーはYさん。女三人で草取りやら蕗やらエンドウなどの野菜とりやらお花とり。生まれて初めて畑に入ったというYさんは靴をどろどろにしておっかなびっくり、「ミミズ!」って言っただけで、「キャー」(笑)。ちょっとばてていました。アゲハチョウや蛙も遊びに来て、畑は土の王国です。家に戻って、3人で食事をして、庭の白いシャクヤクも切って、今日は花瓶が賑やかになりました。婆様ゴキゲン、私、疲労身。

2006年5月23日(火)  

 今年度初めてH小学校の授業。2年生で1、2、3、時間目に「のはらのシーソー」。シーソーを作って持って行きました。「キッコン、パッタン」の表現で遊ぶ魂胆、大うけ! お人形や小さい犬のぬいぐるみ、ティッシュやハンカチ、手帳や果ては携帯電話まで重さを比べて、重さよって表現を引き出します。3クラスとも全く授業の進行が違って、私は慌てず、騒がず、現場主義。

 1組はまともに体の体操から口の体操、「おがわのはる」「いるか」を楽しんでから、本日の群読へ。好きなところを聞けば「キッコン、パッタン!」って言うので、早速大風呂敷に包んであるモノを坂東博士が研究開発したシーソーとして取り出して…(笑)。そのうち「やりたーい!」と言い出すので、次々坂東博士に成り代わって、色々なリズムで「キッコン、パッタン」…皆キャッキャッと集中します。

 後でバラバラ読み(好きなテンポや表現で皆が一緒に読む)をやったら、最後まで読んでいた女の子の声に『あーぁ、この子は自分の宇宙を持っている』と心打たれました。

 2組目はとにかく元気が良い。声が大きいなんてものじゃなく、耳を塞ぎたくなるほどの張り切りぶりです。(若い男の先生が担任だから…?) 群読で机間巡聴すると、一人一人の個性が輝いていない。全員の体や頭に手をふれて励ましていく。シーソーもなかなか上手に集中させて代用先生をやりこなしていきます。

 3組の先生は「まず、何にも言わないで聴いてやってくださいね」???? 準備体操も何もしないうちからいきなり群読に! まあ、驚きました。クラスが半分に分かれて「キッコン、パッタン」と立ったり机の下に隠れたり…トントンと釘を打つのは一斉にこぶしで机を叩きます。これらはみんな子ども達が自然に考え出して、皆で相談してやり出したのだそうです。
 もうステキに出来上がっているので、基本はいつも大切だからと、やっと体と口の体操に入って、私のメニューをこなして行きました。最後のバラバラ読みは寝ッコロガッタリの好き勝手な格好でやってもらいました。創造していく楽しさが、本当に一人一人の力になっていったら、どんなに素敵な事か!空想すること、場面を想像し、創造する事は、本当に人間的な行為だと思う。

 今年度の表現指導は名古屋の「冒険舎」のプロの劇団員の皆さんも加わる事になったようです。年間計画も渡されて、私は20回ほど学校に通うことになっていました。先生達が本当に暖かく迎えて下さるし、子ども達も授業が終わると、全員でゾロゾロ校長室まで送ってくれたりで、生きがいのある仕事をさせていただける幸せをかみ締めている次第です。…家へたどり着くと、子どもたちの若さに火傷状態。しばらく放心状態で…(笑)。

2006年5月24日(水)  

本日は「八事朗読バンド」。新メンバーが加わって、6人&私のバンドウーメン?。会場は大声を出しても全く気兼ねをしなくても良い、素敵なマンションの集会場。30分の御幸山と八事山の尾根づたいの徒歩で、緑の木々の中を歩いて行けるし、楽しみなバンドです。

 地味な活動だけど、視覚障害者のための広報の音声化や、図書館での子ども達の読み聞かせなど、音声表現の需要は多い。基本的な練習を繰り返して、気が付くと、発声、発音、言葉の表現などに敏感になっている自分がいる…そんな風に、無理せず、さりとてナアナアにはならず、皆で助け合って向上していけたらいいなあ。

2006年5月25日(木)  

6次第1回口頭弁論の日。ややこしいのです。1次〜5次までは一緒にして裁判して、天木さんだけ分離して他の原告は結審してしまいました。で、その後提訴した人たちが、裁判官が変わって開始となった訳です。長野県のM弁護士、今日は1人だけの原告陳述でした。山梨の裁判で原告代理、つまり弁護を担当したのですが、結審してしまったので、その無念を更に名古屋でと、個人で提訴され、今日は弁護士としてでなく、原告として陳述されました。とても珍しいことです。

 陳述の内容は先に読んでいたし、いつもなかなかしっかりスタッフの仕事ができないので、今日は外で1人でお留守番しました。報告集会では、昨日せっせと作った背ビラをぶら下げてもらい、少しは役立ったかな。
 裁判所(官)の戦争責任、戦後責任という事について、刺激を受けた陳述でした。なるほど…と。日本の戦後は当分終わりそうにないわ。全然戦前ってこと。

 受付も初めてやって、傍聴の事前申し込みをしていなかった方に名前を記入してもらっていて、突然お互いに「○○さん?!」「ええーっ!」「キャーッ!」∞…35年ぶりの再会でした。彼女は私の声(顔じゃない?)で分かったそうです。Cテレビ入局の時の先輩アナの妹さんで、合唱団を紹介したことが縁で、同じコンサートのステージに立ったこともあったのでした。先輩アナのお連れ合いは、元Tテレビアナで、私の恩師でもあり、あ、そうそう先輩アナには一期がま口塾の便りをずっと送り続けていましたので、色々励ましていただきました。あ〜あ、何と言う再会!終了後1時間ぐらい「お茶」をして、35年を、もどかしくも埋めたのでした。生き方が触れ合わなければ不可能な再会であったことは確か。

2006年5月26日(金)  

 ホームセンターまでテクシーで45分。1時間に1本のバスが待てないので、帰り道もテクシー。帰宅後は買った物を組み立てて、家の整理。生まれ変わったら、今度は絶対物作りの仕事につきたいです。職人になりたいです。今からでもいいけど…

 月曜日から水曜日くらいまで、学生センターで訴訟の会のニュース発送の仕事があります。人手不足です。手伝ってやってもいいよという方、よろしくお願いします。

2006年5月27日(土)  

催促がきたので、やっと重い腰を上げてリライトを始める。午後名古屋学生センターへ。私の早とちりだったようで、誰もいないので、お掃除をして帰りました。
 畑から持ってきて植え替えたアマリリスが花を開き始めました。むかーしむかーしから思っていることだけど、なんでアマリリスは一本の茎を共にしているのに、顔は互いに別の方向を見て、互いに話しをしようとしないの?

2006年5月28日(日)  

ずっと以前、テレビで見たことがあるの。渋谷(だったと思う)の路上で、若者達に絵と言葉を書いている人のこと。そしたら、その人が、ゆったり工房の招きで、今日日進市民会館へいらっしゃるとのこと。弱冠28歳の青年です。

 自分の夢を実現させる為に、@自分を知るA目的を持つBビジャライズするC口癖にするD純粋であることE感謝をすることを常に実行しているという事を言っていました。

 そうだよねえ!と思う内容でした。長野県の出身で、「ご両親は、貴方をどうやって育てられたのですか?」という会場からの質問に「普通ですよ。山や田んぼや空があって、その中を駆けずり回って遊んで、周りにはいっぱい友達、先生、他所のおじさん、おばさん、家族がいました」。そうなんだよねえと思ったのでした。
 
 目的を持ったら、階段状に上がって近づく。斜面にしないの。なるほどね。願いを持つこと。持たなければ何も実現できない。相手の笑顔を思い描くこと。そうだよねえ。私がやっと今頃わかってきたことを、ハタタケルさんは、ニコニコ優しい顔をして話していました。

 我が家の息子は「クールに生きたい」という夢を持って成長しました。家を出て、ヤクザの修行をしているかと思わせぶり…最後にクール宅急便配達のお兄さんになりました…という漫画を描いてたのを、内緒に見てしまったたことあるが。(これでバレテしまった!)ハタさんとは月とスッポンです。

 インドネシアの大地震。地球は動いているし、生きているし、笑顔ばかりを乗せられないね。亡くなった人たちに合掌。

2006年5月29日(月)  

 がま口塾。1時間と10分前にピンポーン!まさしく「ギャーッ!」であります。ドタバタする私を見て、彼は「坂東さんは家の中でよく走るんですね」。うん。北京放送でも7Fの廊下を走る日本人と言えば私のことだったの。国際的に(笑)有名なんだよ。

 初参加の方を含めて、今日は12人。なかなか賑やかでした。テーマから脱線しても皆優しいので、よーく耳を傾けて聴きます。今、リライトしている中国の本「人生の毎日の忠告」(仮題)の中に出てきた文章に、
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  人生を議論することは、1碗のご飯にかなわない、
  人生を議論することは、1台のベッドにかなわない、
  だから至る所で派手に振舞う必要はない。
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というのがありますが、人生を議論することは、ご飯にも、ベッドにも、12人のおしゃべりにもかなわない。全く派手に振舞おうとも思っていない人達の、結論も出さない、本音の素晴らしさ!今、皆の顔を思い出すだけでも楽しいのであります。

 午後は訴訟の会のニュース発行の仕事があり、お手伝いを募ったら、IさんとOさんが快く参加してくれました。Kさんの車で学生センターへ4人移動。隣の名古屋大学の学食を食べてから作業。ここでお喋りしていると、森林浴の気分。IさんとOさんに感謝。

2006年5月30日(火)  

内田国賠訴訟の第1回口頭弁論。朝から珍しいひとたちから次々思わぬ電話が入り、リライトとがま口塾便りのテープ起こしを抱えながら、昨夜姪が訪ねてきて、重要ヒソヒソ会議?をしていたので、報告集会の背ビラが作っていなかったことを思い出し、慌てて制作している間にスタッフ集合時間に遅刻。今日は10階の1004法廷。

 当然内田裁判長も左右の陪席も書記官も出廷せず、被告席には代理人。Kさん、和服のしとやかないでたちながら、鋭く研ぎ澄まされた陳述書を堂々と読みました。裁判長他、左右の陪席は無表情。被告席も退屈そう。素人として、私は裁判って、こんなものでいいのかと思う光景でした。

 夕方、一宮観音寺の中野見夫先生の放送がNHKのホットイブニングであると、一昨日わざわざご本人が電話くださり、手帳にメモもしていたのに、一日間違えて、見逃してしまいました。残念。町内会関係も電話が色々あって、はーっ…頭ゴチャゴチャ。

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Akiary v.0.51