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2006年6月1日(木)  

あやー。日にちがまたいじゃったー。しょうがないので、
その@
 スーホの白い馬の朗読を今度の東音研の例会でサランちゃんとする事にしたので、絵本を手に入れようと、先日の古本屋で見ていたので、昨日行ったら、定休日。今日も行ったら定休日。なんじゃ!図書館へ行ったら貸し出し中!なんじゃ!サランちゃんは、私が日本語を送信したら、モンゴル語に翻訳する予定で待っているのに。明日は手に入れるぞ。

 がま口塾にほとんど皆勤して四年間通ってくれたMさんから手紙が来て、本当に嬉しくてしんみりしました。1時間以上も前に玄関に現れても許そうぞ!
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 〜略〜4年かかって皆さんのやっている事が判るようになりました。児童虐待を受け、感じる事が麻痺して49年かかって初めて皆と一緒になれた。いつも全速力で突っ走ってきたけど、なかなか辿り付けなかった普通になれた。虐待を受け、回復できないで一生を終える人もいるんです。20歳までに死んでもおかしくないと言われた人が、やっと普通になった。この事実が一番スピリチュアルです。皆さんのおかげです。感謝。〜略〜
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 がま口塾をやって良かったです。話すという事がどういう事か、Mさんのお陰で深く理解できたしね。私も皆さんに感謝。皆さん、本当に有難うございます。

そのA
 印刷・発送完了。アップもしたんだけど…だけど…だけど…あーあ無常…。こんな事本当に久しぶりだけど、前回の「心の琴線に触れる一曲」の保存をせぬまま上書き!ビルダーの方も、自分の控えもパーにしてしまいました。活字では残っているので、まあ、ボチボチもう一回書くかあ…グスン。だれか、保存してくれてる人ないかなあ…

 「スーホの白い馬」、古本屋にちゃんとありました!倉庫をそのまま使っているような本当に広い、天井の高い古本屋さんで、お客もほとんどなし。本の山に隠れながら(自動的に私は隠れてしまう)、絵本目掛けて突進。あったあ!誰も買ってなくてよかったね。250円也。ただ今、モンゴル語と日本語の台本を作ったところ。と、言っても、モンゴル語はサランちゃんの手書きとなるので、今は白紙状態。モンゴル語は、日本語と同じ縦書きなんで、縦書きの原稿にしました。そして、一番困っている事は、本番までに全く打ち合わせも練習もできない事。やれやれ。

 

2006年6月2日(金)  

真面目にリライトをしました。今月の10日までに全部欲しいって連絡が来て、ウヘーッ。でも、それを過ぎたら無罪放免、遊んだる!3月の時の情けない程のストレスに比べれば、屁の河童だわ!(あ、仕事に夢中になっていて、今日のスタッフ会議、忘れてしまいました。ごめんなさい!)

 明日から遊んだる。いや、ちょっとは仕事ですたい。でも、友達に会いまくるし、能登島でペスカトーレの料理を食べるし…(玄米なら食べるとか、野菜だけにして…と、わがままな注文をしまくって!)きっと禁断の料理も食べちゃうと思うのだが。

 栃木や岡山や色々な地区の裁判の口頭陳述が、パワーポイントを使ってされている事を知り、聴覚障害の方には福音だし、判りやすい。何故名古屋はマンモス訴訟なのに、あれもこれも門前払いか、理解しかねるところ。各地の陳述書を読んでいると涙が出そうになります。真摯に生きている人のなんて多い事か。こういう人たちが共謀罪の犠牲になりませんように。

2006年6月6日(火)  

ただ今帰宅。イタズラメール250ヶ退治したところです。

(6月3日)

午後、金沢市の生涯学習センターで日中友好文通の会、石川県支部の招きで講演。私は45分頂いて、後は大学の先生の中国との植樹や希望小学校建設のボランティア活動の個人的経緯の話30分と、金沢紫金草合唱団の1曲披露と代表の講演で30分。文通や留学生のお世話など献身的にされている皆さんで、熱心に聞いて下さり、感謝。

 合唱団の皆さんは忙しい中、20人ちょっと集まっていらしたかな?もう皆懐かしい顔ばかりで、夜はAさん宅に場所を変えて持ち寄り料理で集合。同窓会か、打ち上げか、連絡会か、ただただ、賑やかに盛り上がった会でした。私以外はオール金沢弁。Aさんが、自分の担任クラスとチェルノブイリの農村の小学校と長く交流された当時の話などから、私や皆と次々繋がった経緯を皆に説明されたのだけど、あらためて人のめぐり合いの不思議思いました。その後A夫妻と深夜まで本日の講演について色々議論。昨年末にがま口塾に来ていただいているので、その事も話題になりました。根っからの教育者夫妻です。

(6月4日)

 
 金沢へ行くと、まるでお決まりなのですが、ASさんとANさんの金沢駅までのお見送りを受け、和倉温泉駅へ。Y姉(アナの先輩)の迎えを受け、食事のわがままを言った私の為に、途中豆腐屋さんに寄って、土地の「茶碗豆腐」のお買い物。ペンション、「ペスカトーレ・ゼンコウ」に到着するやいなや、ソーラが飛び跳ねて私を歓迎してくれました。抱きついてきて、まるで人間のような犬で、ちゃんと覚えていてくれるのです。
 
 玄米のカレーを頂きました。ペスカトーレもお元気で、3人と1匹で散歩。「ヒロミが来たら食べさせる」ばかりをうわごとのように言っていたらしいY姉、ワラビ取りをするというので、サンダルを履いたら、ペスカトーれに叱られる!この人、とっても怖いの。「ムカデやマムシにかまれたら、どうするんだ!なめたらあかん」。それで長靴をはいて…。生まれて初めてワラビとりをしました。途中で挨拶に顔を出しただけのお店のスタッフさんに「水蕗」の湯がいたのをたっぷり頂く。本当に村はこんな付き合いだそうです。夕飯は、その水蕗のキンピラやアジのたたきや烏賊の刺身、茶碗豆腐(中にわさびが入っている)取れたての筍ごはん等々。一口食べただけで「美味しい!」って言ったら、又「そんなにすぐ美味しいって言うな」と、叱られました。味わってから言わなきゃ本物じゃないという訳です。たいていのお客はこの辺りでへこたれますが、私はヘノ河童で闘うので、「ああ言えばヒロミ」と言われております。又、夜遅くまで夫妻と口戦。

(6月5日)

 たまたま、O夫妻が能登島の1人暮らしのお年寄りにお昼お弁当を作って届けるボランティアの日になっていて、「ヒロミもおいで」と誘われて、頭にバンダナ、割烹前掛けの制服?で。10人くらいの島の方達が島弁?も賑やかに島の弁当作り。中学校から特殊学級の生徒さんも1人実習としてお料理を手伝い、自分で作った、お年寄りへのメッセージを付き添いの先生とお弁当にくっつけていました。

 Y姉と地区の1人の年寄りの家に弁当を届けてから、「能登カフェ」という店に行きました。民家をレストランと民芸品などのお店に改造してあるのですが、お膳で玄米ご飯や山菜料理を頂き、大満足。パピという看板犬が、これまた人間みたいで、人懐っこく、じーっと私に抱かれて、島にいると犬まで犬柄が良くなるのかと思った次第。
 夕方、又長靴をはいて散歩。ソーラの野原を駆け回る写真をいっぱい撮りました。海の中にいる「海牛」も写したので、能登島シリーズとしてアップしてみたいと思います。

 夜はイタリア料理専門のシェフであるペスカトーレ(漁師という意味)のトマトの煮込み料理と、昨日採ったワラビのスパゲッティ。私もサラダとして、野菜を切るのを手伝ったり、ボランティアのメンバーの家で頂いた畑からとれたてのホウレン草を洗ったり、大活躍!ホウレン草は松の実を入れてソテーに。あくまでイタリアのメニューでした。

 深夜に名古屋のサランちゃんと電話で打ち合わせ。ほんと、ぶっつけ本番になりそうで、心細いこと。寝る前はパソコン持参のリライトの仕事もわずかでもと思って…。完璧な寝不足。

 (6月6日)
 
 O夫妻は七尾市で開かれる庭仕事の「剪定」の講座を午前中に受けるとのこと、朝、ついでに和倉温泉駅まで送ってもらい、電車を止めて、ギリギリで飛び乗る。あっけないお別れになってしまったけど、本当に緑と蒼い海に染まって、ゆったりと過ごした夢のひとときでした。イタリアレジスタンスや平和運動について執筆中のペスカトーレとの議論や、Y姉からの私のナレーションなどの感想やアドバイス、亡くなったお母様の話も心に残り、嬉しい旅でした。

 4時40分頃帰宅。着替えてすぐ又飛び出して女性会館へ。東音研6月例会。結局「スーホーの白い馬」を頭から全部私が読み、最後の数ページをモンゴル語と入れ替え入れ替え朗読し、ぶっつけ本番にしては、2人の息はぴったりで出来ました。サランちゃんのモンゴル衣装の踊りも素敵で大きな拍手を受けましたが、モンゴルの色々な話がとても貴重だったと思います。アイデンティティとする母国語の崩壊の心配は、ひとり内モンゴルだけの問題ではないようで、日本人もしっかり考えるべきでしょう。

 終了語の夕食で、早速8月に皆でサランちゃんと外モンゴルへ行くことになり、私も…かな…。そして、7月にK小学校にサランちゃんと行くことに、もう決まってしまいました。見ていたK小学校の教頭先生、踊りが終わったら、すぐ部屋から出て、学校に連絡をとって出演交渉の許可を取り付けたんですって!
 

2006年6月7日(水)  

 良い思いをした後の焦燥は毎度のことで、リライトの締め切りに泡を吹く羽目に陥っています。が、目がボーッとしてくるので、イラク裁判、国賠訴訟のニュース発送作業に出かけました。お喋りも楽しいし、帰りはKさんに家まで送ってもらい、(畑でとれたてのきゅうりの初物も頂いて!)良い事尽くめのボランティア。

 でも、家へ帰れば、あの仕事、この仕事と格闘で…。

 森林葬の現地参観、今の所、私を入れて3人。あと一日二日待ってみようかな。
 モンゴルへ行きたい人もいるかしら?

 HPの写真が×になっているの、判っているけど、訂正の時間なし。
 今日できない事は明日やろう! 

2006年6月9日(金)  

8日の日記

 報道ステーション。古館さんはドイツ。悠太さんがスタジオに入ると聞いていたので、カメラを構えてパシャパシャ。親バカじゃなくて、何? 外国にいるご家族が見られないのは残念と思って、画像を送信。写真が重くて先方には有りがた迷惑かも。

 彼が卒業旅行で沖縄にやってきて、私達に挨拶してくれた時の衝撃は忘れられません。何と清々しい青年!赤ちゃんの時しか知らなかったので驚きました。テレ朝に就職。2年ほど前に名古屋でも家族同士で会いましたが、犬をバッグに入れて、ラフなスタイルでした。マスコミに思う事はいっぱいあるけれど、若いアナさんに良い仕事をして欲しいし、周りもそのようにして欲しいと切に願うばかりです。
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 06/05/06 ガーディアン紙
-- 昨年11月のハディサにおけるイラク市民の殺害に関与した海兵隊の部隊は、当該大隊に所属するある二等軍曹の妻によれば、規律が「完全に破綻して」おり、覚醒剤とアルコールの問題も抱えていた。
ニューズウィーク誌が報じた(虐殺)疑惑は、敵に包囲され、強度のストレス下にある海兵隊員の姿を、かつてなかったほど大きな困惑をもたらすものとして伝えている。彼らの中には、ファルージャとハディサというスンニ派の拠点とされる地でのしらみつぶしの猛烈な掃討作戦に三度目の任務として携わっていたものもある。

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イラクでの1日の死者の数や、米兵による虐殺のニュースは、殆ど深刻に報道されない。ワールドサッカーがやれるなら、ワールドピースも報道してちょうだい!

2006年6月9日(金)  

早朝から、夢中でリライトに没頭していたら、マンションの管理代行会社の方から「まもなくお宅に着きますので…」「???ウウォーーー!」。忘れてたー!たまんない。色々マンションの管理組合の議事録や書類や通帳やはんこや証明書を持って、銀行と郵便局に、理事長の名義変更にいくのだったー。もーう、バタバタで銀行と郵便局に同道。1時間半を費やす。

 リライトの締め切りは明日。背水の陣で再び机に向かったら、今度はN市の市議会の傍聴に行くのに、最寄の駅まで迎えに来てくれるというKさんからの電話。又アタフタと飛び出す。

 G議員、S議員の本会議一般質問を聞くのが目的。傍聴席は障害者の方が多く、手話通訳もついていました。私を含めてGS議員の応援団がほとんどで、議員や行政への少なからぬ圧力になっていたと思います。

 いや、応援団は、G&S議員の方で、10分の休憩時間になるとは、2階の傍聴席に上がってきて、皆の話しを聞いたり、説明したりするGさんの姿に、これが本物の議員の姿だと感動しました。市民は、議会を傍聴すべきなんですね。

 行政の答弁をしっかり聞かないで、予め用意した「再質問」を、予定通り「再」質問して、時間の無駄遣いをしていた議員もいました。G市から傍聴にきていたTさんの市議会では、会議中に抜け出してタバコをすいに行ったり、居眠りしている議員が多く、あきれるそうです。私は名古屋市の議会傍聴をしたことがなく、あらためて反省。

 G議員、「今日は障害者の方も大勢傍聴されています。どういうお答えが頂けるか、ちゃんと聞いてもらって帰って頂きたいのです!」。スカッとする、鋭い喰らいつき。福祉や子育て、少子化対策など、女性ならではの質問で、彼女達を選出した選挙民に拍手。本当に誠実で、鋭く、力強い一般質問でした。

 議事閉会後、会派の部屋で休憩していたら、市長さんが入っていらして、私のことを10数年前から知っているとのこと。びっくり。「チェルノブイリの本も読みました。あの頃より随分柔らかくなりましたね」???つまりは老けたってことじゃん!とても気さくな市長さんで、一緒に写真をパチリ。うーんと、私、市民じゃないんだけど…。すみません。それにしてもG&Sさん、いくら何でも「松下政経塾出身って言う人があると、私達はがま口塾出身ですって言うんだよ」は言い過ぎだよー。

2006年6月10日(土)  

エレン・ワタダという米軍将校の声明を訳された方がいます。
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I。現役将校として、公然とイラク派兵への抗議に立ったエレン・ワタダ
中尉の声明を訳しました。彼が日系米人であることを誇りに思います。
以下、転載歓迎です。(翻訳していて涙が出ました)
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声明  エレン・ワタダ中尉   2006年6月7日
家族、友人、信仰心篤い地域のみなさん、マスコミのみなさん、そしてすべてのアメリカ人同胞のみなさん。本日はおこしいただき、ありがとうございます。私はエレン・ワタダと申します。アメリカ合衆国陸軍中尉であり、3年間服務しています。

合衆国陸軍の将校として、重大な不正義に対して声を上げることは自分の義務であると考えます。私の道徳と法的義務は、憲法に対するものであり、無法な命令を下す者に対して負うものではありません。きょう私がみなさんの前に立つのは、兵士たち、アメリカの民衆、そして声を上げることもできない罪なきイラクの人たちのために何かを行い、彼らを守ることは私の任務だと考えるからです。

米国軍隊の将校として、イラク戦争は道義的に過ちであるばかりでなく、合衆国の法をも手荒く侵害する行為であるという結論に達しました。私は抗議のために退役しようと試みましたが、にもかかわらずこの明白に違法な戦争に加わることを強制されています。違法行為に参加するようにという命令は、間違いなくそれ自身が違法です。私は、名誉と品性を重んじる将校として、この命令を拒否しなければなりません。

イラク戦争は、抑制と均衡というわが国の民主的システムを侵害しています。この戦争は、憲法の規定によってアメリカの国内法と同等とされる国際条約や国際的慣習に違反しています。ほとんど満足な説明もなされていないイラク民衆への大量殺戮と残虐行為は、道徳的に重大な誤りであるにとどまらず、陸上戦に関する軍事法そのものの違反行為でもあります。この戦争に参加すれば、私自身が戦争犯罪の片棒を担ぐことになるでしょう。

平常であれば、軍隊にいる人間も、自分の思うことを話し、自分の利益になるよう行動することは許されます。そうした時代は終わってしまいました。私は上官に対して、われわれの行動の意味するところを大局に立って判断するよう求めました。しかし、まっとうな回答は得られそうにありません。私は将校に就任するとき、アメリカの法と民衆を守ることを宣誓しました。違法な戦争に参加せよとの違法な命令を拒むことにより、私はその宣誓に従います。
ありがとうございます。
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何と言う爽やかな良心!

2006年6月11日(日)  

<二つ募集中>

@三重県大台町大杉谷集落(6/19 or 6/24 雨の日の予備)
 森林葬の場所の見学ツアー。 今の所、私を含めて6人の希望者です。

Aモンゴルツアー 東海音声表現研究会で(8/16~21の予定) 

 リライトはちゃんと終了して、10日に送信しましたが、それを又リライトしている人、つまり編集者がいまして、「言語明瞭意味不明」の箇所がかなりあるそうで、明日ドヒャーッと来るらしく、戦々恐々。出版社と連絡。「3冊訳しても、いっさいまだ契約もかわしてなーい!」と訴えました…が、1、2冊目ともあんまり売れ行きが芳しくないらしく、翻訳料が入るかどうか、全く心配になってきました。もともと頼まれてやっていることなんだけど、ベストセラーになって、ジャンジャンお金が入って大金持ちになる…はずないね。こういう貧しい宿命に生まれついたのだわ。

 マンションの隣地の住人の方から電話を受けました。紳士的なお話の仕方なので、何という事はないのですが、午前中は理事会を開いていましたから、理事長の仕事はけっこう大変だなあと(人事みたいに)思います。今まで皆さんにやっていただいて、順番なので、いくら単身赴任だろうが、隣県ぐらいだったら、引き受けないと。沖縄、東京の時はさすがにパスさせていただいていたけれど。私は理事長秘書で頑張っています。

2006年6月13日(火)  

ワールドカップが喧しいし、ソーラの写真の転送が上手くいかないし、リライトの質問事項が沢山返ってきたし、暇になったのだけれど、自分の能力不足でもたついています。全ては自分に基礎の基礎が出来ていないからです。

 リライトの質問は、例えば中国語で「ソクラテスの方法」って書いてあるので、そう訳すと「ソクラテスの弁明」のことではないかという質問が来るのです。弁明のことだけれど、その弁明の考え方を使った方法でという事なんだと思う訳で、今度は弁明を説明していたら、どんどん長くなる訳で…「人生の毎日の忠告」という、365日分の短い短い詩のような文章を訳しているのですが、「元々の作者に聞いてちょうだゃあ」と、言いたくなる、やり直しに悶々。

 

2006年6月13日(火)  

Tアナの教室にピンチヒッター。G市は6年住んだ古巣であり、教室がある所はその古巣にも近いのだけれど、大型店の進出で、すっかり様子が変わってしまっています。「話し方教室」は懐かしいG弁が皆さんのスピーチで出てくる出てくる。保育士さんや、IT関連の会社の社長さん(息子と同じ年!)、弁護士の卵さん、読み聞かせのボランティアさん、エトセトラ。みんな人によく伝わるように話したいと一生懸命勉強しています。私が今日、一番ほめたことは、「皆さん、とっても話を上手に聞かれるので感動しました」ってこと。そうなんだわ。話し方教室に続けて通ってると、人の話を聞くのが上手になるんだわ。

 昨日のサッカーのように、勝つか負けるかの世界じゃなくって、聞くか、聞かないかの世界も凄まじい力量の差があるように思ったのだけど。

2006年6月14日(水)  

大須の演芸場で、毎年夏に大須オペラがあります。200人ほどの演芸場なので、チケットの予約がたーいへん。先行発売の案内状が毎年きますので、今年は行こう!と決めて、受付開始の11時から頑張ったのですが、やっとつながったのは、2時をまわっていました。へとへと。だって、電話をかけ続けるんです。FAXやメール受付はなし。まあ、とにかく希望日に、恐怖の母を筆頭に女三代、3人分確保しました。オッフェンバックの「青ひげ」。200人席で生オケが20人ですから、すごい。

 スーパー一座の座長夫人が友人で、彼女の夫さんが脚本と演出を担当しています。彼女は…何やってるのかな?とにかく総務省だと思います。学生時代、彼女がこういう人生を送るようになるとは夢にも思いませんでした。先生になるための学校ですものねー。私と並んで変わり者ペアだったかも。今はもう、ラストスパートの日々でしょう。楽しみです。

 17日土曜日午後、日進市の市民会館大ホールでモンゴルの白血病少女を救う為の、オユンナさんのチャリティコンサートがありますが、訴訟の会では、全く同じ時間…

 17日(土)13:30から名古屋YWCA 2階ホールで『イラク最新報告』(映像も含めて)を開催します。報告者はイサム・ラシード さん(バグダッド在住イラク人ジャーナリスト)、通訳と解説 西谷文和 さん(イラクの子どもを救う会、今年5月にバグダッド訪問)『第一審判決報告・批判』など。今のイラク人による現地報告は、全くもって貴重この上ありません。興味のある方はぜひ!

2006年6月15日(木)  

 H小学校で、全校児童の縦割り群読集会。もう今年で3回目。426人が12の動物名のチームに分かれてそれぞれ、群読で詩を発表します。私の役は、その講評。何せ瞬間的に終わってしまう群読を次々聞いた後、それぞれを、1年生にも6年生にも理解できるように講評していくのは、しんどい技で、今年は一計を案じて、作戦をたて、各詩のポイントを12ヶ所選んで、大きい空き箱やダンボールをこわした12枚の厚紙に書き出して、それをパッパッとそれぞれの講評の後に見せながら、総合的に全員で練習しました。426人と先生達の真ん中で汗だくでした。

 講評が終わったら、校長先生が「坂東先生に皆でありがとうを言いましょう」と、皆を私の方に向かせたら、私、埋まっちゃうんだわ。そしたら「椅子に乗ってください」だって!折りたたみ椅子に上って、なーんと、校長先生が「有難うございました」の、低学年と高学年の輪唱群読の指揮をとられ、見事に響き渡ったのでした。感動。私も有難うのお辞儀をするのだけど、椅子に立っては不安定で、怖かったーよー。おチビは苦労する。

 校長先生は新任で、今日が初対面。国語の先生だそうで、縦割りより、横割りの実力均衡のレベルの群読を磨きたいという希望をお持ちでした。それぞれ良さがあるので、それも良しです。方言の話し、北京・モンゴルの話、CDRの話し、いっぱい校長室でお喋りしました。楽しい1年になりそうです。

 夜は名東文化小劇場で名古屋放送芸能家協議会の「赤シャツ」講演を観劇。「ぼっちゃん」の悪役の「赤シャツ」がグッドな男に蘇るという紹介がありましたが、人間は焦点の当てようで、どのようにも観察され、演じられる。よく演じ分けられていました。

 帰宅したら、19日に行く予定の三重県の大台町(旧宮川村)の、森林葬を企画されている黙雷さんから、額に飾っておきたいような書道のお手紙やら、大量の資料がポストに入っていって、感激。とっても誠実な和尚さんです。

 観劇の後に書くのは憚られますが…
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 政府は6月13日午前の閣議で、インドネシアに対し、巡視船艇3隻をODAで「無償供与」することを決定。初めて他国に公然と武器が提供される。小泉首相は、「全く問題ない。常識の問題でしょ。海賊は武器を持っているんだから。手ぶらで対応できる?」(13日、朝日夕刊)と述べ、三原則には抵触しないと強調した。この国はいつから武器輸出を常識とする国になったのか。
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 アメリカの国民が、犯罪が増えればふえるほど、市民が銃を買い求める(銃を売る)姿と同じで、病んでいるとしか思えません。

2006年6月16日(金)  

友遠方より来る。福岡のFさんは美術をやっていますが、所用で来愛知。大須観音へ行き、ぶらぶら散歩。大須の演芸場はまだ開いてなかったのですが、電灯の灯っていない小屋の舞台で、落語を練習していた人があって、「聞いてもいいよ」と言われて、2人だけの飛び込み客と相成りました。真っ暗な中で「お後は本番で」と高座から言われるまでゲラゲラ笑っていました。

 福岡の東市民センターの土曜お話し会の時の仲間で、彼女はいつも素晴らしいアートを担当してくれてました。今も子供達との造形を、お話しを読みながら、大きな模造紙に絵を描かせたり…お互いに「相変わらずよく似たことをやってるねえ…」。田島征三さんと小室等さんの畑うたコンサートも一緒にやったので、「何か2人で一緒にやれたらいいねえ」。いつのことやら。

 夜は訴訟の会のスタッフ会議。今日の夕刊を手に「自衛隊の撤退」がひとしきり話題に。首相の引き際にあわせたシナリオでしょうか。会としての声明を、明日のイラク人ジャーナリスト、イサム・ラシードさんと西谷さんのイラク報告、判決批判の集会でアピールすることに急遽決めました。

今日川口弁護団事務局長からきた転送。長いけど感動したので。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 大阪の上山弁護士が最終弁論で述べられた原稿がとても良かったので転送します。(川口)

箕輪登さんの死を悼む      弁護士 上山 勤
5月14日、北海道訴訟の中心であった箕輪登さんが亡くなった。箕輪さんは2月27日、これが公の場に出る最後ですと言って法廷で供述した。医師に付き添われ、車椅子の上から声を振り絞るようにしての供述。自分がどうして医師になろうと思ったのか、自民党の国防族でありながら何ゆえに裁判まで起こしてイラクへの自衛隊派兵を阻止したいと思ったのか、そのようなことを命を削りながら語った。

箕輪さんは生前、このような日の来ることを予想して遺言を残した。そこには次のように書いてある。
        
『何とかこの日本がいつまでも平和であって欲しい/平和的生存権を負った日本の年寄り一人が/やがて死んでいくでしょう/やがて死んでいくが死んでもやっぱり日本の国が/どうか平和で働き者の国民で幸せに暮して/欲しいなとそれだけが本当に私の願いでした』と。/
       
貧しい地域で生まれ育った傍に、差別された朝鮮人の少女がいた。彼は正義感からその人をかばった。家族が医師の診察も受けられずに死んだ。医師になろうと思った。
医師になった彼は誠実に仕事をこなし、国会議員になってからは沖縄の離島に医療の救急体制を作るために尽力する。そして、平成の時代。その少女は夫とともに彼に会いにくる。60年の歳月を越えてお礼を言いに。
         
箕輪さん。貴方は法廷で言いました。高遠菜穂子さんのことをいろいろ言う向きがあるけれど、こんな普通の女性が自分の力でイラクに小学校を三つも作っている。立派じゃないですか!自衛隊は日本の国を守るためにあるはず、遠く、イラクまで行って何を守るんですか!・・・。
         
箕輪さん。私は法廷で貴方の声を聞きながら、本当に、私とは思想が違うけれど、自衛隊がイラクへ出かけるようなことがあってはいけない、ここのところでは一致できるんだとつくづく思ったのです。誠実であった貴方となら。
           
お葬式。『葬式は私達が取り仕切る。あなた方はミノワの晩節を汚したのだ』と叫んだ葬儀委員長。しかし、本当は、その人こそが箕輪さんの真意を捻じ曲げているのだ。家族は圧力に抗して箕輪さんの遺言を会葬お礼の葉書に印刷した。家族には箕輪さんの真意が伝わっていたのだ。安らかに、お休みください。
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箕輪さんのお葬式は大変だったんだと、初めて知りました。でも、法廷はこういう感動にも満ちてもいるのです。まともに裁判をやってくれさえすれば。

2006年6月18日(日)  

 17日の日記

 朝、時間がないので墨で大胆に障子紙に字を書いて会場のYWCAホールに持って行きました。家の中では芸術家気取りでやっていたのに、いざ飾ったらメッチャ幼稚な字でバランスが悪い。終わってたたもうとしていたら、Hさんが「何か気持ち悪い背ビラだなあと思っていたら、審の字の髭がないよね。宙の字みたいな…」で、ギャッ。帰宅後寝込みました。

 第一部はイサムラシードさんと「イラクの子供を救う会」の西谷さんの最新イラク報告。凄まじい映像を見せてもらった。イサムさんは、アメリカは
 @石油Aロシアの周りに基地をおきたいBEU経済圏に対抗したい。Cイスラエルの軍事力が強くなるのを防ぎたいDフセインか石油の決済をユーロでしていたのをドルに戻したかった。

 ので、あえてイラクを攻撃したと改めて非難しました。大手メディアはスンニ派とシーア派が戦っているとして内戦をあおり、実際イラク人同士が殺しあっている混乱を招いている。コロンビア、ベトナム、コソボなどもそうだったが、民族・宗教で分断させて、混乱に乗じて統治しようとする常套手段であると断じました。
 そして、現地にはメディアが入らず、アルジャジーラですら空爆されて支局がなくなって、メディア不在のまま圧倒的に報道量が少なくなっていると。劣化ウラン弾によって癌がふえているが、肝心の医者が実態を知っているので、殺されていて、最悪の事態になっていると。

 日本は人道支援と言っているが全くの嘘で、日本とイラクは政府ではなく、一般の人と人の友情で繋がっている。陸自が撤退しても、空自がもっとアメリカに協力しているし、最大の問題は大手メディアが報道しないという事だと訴えました。

 T弁護士が「イサムさんがこうして発言する事で身の危険はないかとても心配」と質問されたら、「死の覚悟はできている。イラクは私の国だから。日本の皆さんも自分の国がファルージャのようになったら、私のようにするでしょう。日本の裁判で証言もできます」ときっぱり。西谷さんの通訳も関西弁なのでとてもリアリティがありました。「ゴチュゴチャ言わんとはっきりゆうてみい!」などと現地の市民の台詞を訳されます。こういう若い人達の仕事に、ただただ感謝。実際若い人でないとできない事です。神に感謝。

 第二部は「判決批判」。これも訴訟の会のスタッフの若いHさんがパワーポイントを使って、とても分かりやすく説明してくれて、頼もしく思いました。「裁判をして、公文書に私たちのしたことが記録された事は、まずもって、後世の人たちに見てもらえる」と、彼が言うのです。年とった私たちの世代は、後世に残すものを考えているか、恥を知らねばならないと思いました。

 川口弁護団事務局長も判決批判をされ、結局「立憲主義」が、最終的なポイントとして、会場の皆と話し合われました。日本には憲法裁判所がないという事。裁判所は独立しているので、裁判官は法と良心にのっとって判断をしなければいけないのに、戦後、ずっと日本は立憲主義を語らない間違いを犯し続けてきたのだとN弁護士も話されていました。だって、右翼だって戦前の組織がそのまま息づいている日本だもの。戦争による反省が全く生きていなくて、政府も二世が牛耳ってる。

 じゃ、私たち市民が戦争の加害者にならないためにできる事は何か?やっぱりみんなに真実を知らせる事、語り合う事という当たり前のことに帰してしまいます。判決文に「原告達は自衛隊員でないので」と言うくだりがあるのですが、会場から「僕は陳述書を書いた時、会社員であるとか何も書かなかった。原告に自衛隊員がいないって、3251人もいるのにどうして分かったのか?」と発言があって、大いに湧きました。そう言えば、治安が回復したから陸自は撤退すると言ってるけど、そもそも治安がいいから自衛隊は行ったんでしょ? ちょっと考えれば、私たちはまともな人間になれる。

 池住さんが「声明文」を提案され、皆で採択して、今晩小泉首相や防衛庁長官など、関係各所に送付しました。

 

2006年6月18日(日)  

 何回も書いているのですが、テレビのクロアチア×日本がうるさくて、ついつい覗いてしまい、何度もパー。
 
 燕の飛行記更新。長編です。凄まじき集中力!

「ぞうれっしゃがやってくる」本番。恐怖の母とYさんと三人で出かけました。鶴舞の勤労会館大ホールが満席でした。それより、出演者が子供と大人270人で、圧倒的な迫力の舞台でした。日中の国際交流ステージも第一部であって、管弦楽団の演奏や、二胡の演奏、サランちゃんの踊りやホウジンゾウさんのモンゴルの歌などもあり、アットホームで素敵なステージでした。第二部で「ぞうれっしゃ」。秋に南京で公演するのですから、大変な力が入っていました。客席から登場して客席に散らばっていく子供達の演出など、ミュージカルとして華やかさや派手さはないけれど、心が伝わる感動的な舞台でした。長野県からの参加者を含め、遠方からの参加者が一同に会すのですから、練習は、相当な困難があったことと思います。

 義姉もアルトで頑張っていて、けっこう目立つ場所にいたため、恐怖の母(姑)が客席から手をふるので、あわてて止めさせました。招待席に座らせていただいていたので、たまたま紫金草合唱団の皆さんも東京、千葉、大阪等から駆けつけていて、応援していました。汗だくの指揮をされた藤村先生、よくぞここまで漕ぎ着けられたこと。南京公演の成功を祈ります。


 

2006年6月19日(月)  

 がま口塾の仲間5人で、三重県の大台町(旧宮川村)桧原へ行きました。森のお墓・いのちの森伊勢山稜について、株式会社、大杉谷地域再生機構の社長さんである、黙雷和尚さんと奥様の薬師庵妙円さんの説明と暖かいおもてなしを受けました。JR三瀬谷駅で下車して町営バスに揺られること1時間。バス停の目の前に3階建ての会社(8年間閉ざされていた元旅館を再生)はありまして、和尚さんや奥様やスタッフが合掌で迎えてくださいました。

 お食事まで頂いて、貴重なお話しの数々を聞きました。奥様は若い時、スイスのモンブランで、海抜3800メートル地点から800メートル墜落して、奇跡的に助かったという信じがたい体験をされている方で、大変な経歴の持ち主で、それにもっと輪をかけた和尚さんの発想もすごい!

木の骨壷を見せてもらって、本当に私は、この木の壷に入って、森林にうめて朽ち果てたいと思いました。壷は生前は何かに愛用していてもいいのです。御櫃にしてもいいくらいの、木の素肌が本当に美しかった。

 森林葬を実施してもらうには、これから色々準備が要りますが、とにかく今日は、良い勉強が出来ました。丸々1日に近かった遠足?でしたが、仲間が皆楽しく、安らいだ旅でした。

2006年6月20日(火)  

Yさんと恐怖の母と3人で岐阜県可児市の花フェスタ記念公園へ。巨大な花園です。英国王立バラ協会友好提携公園で、世界一のバラ園だそうです。バラのピークは越えていて、ちょっと残念でしたが、何とか「青いバラ」1本を見ることができました。もっとも青色に近いといわれている岐阜県産、ブルーへブンはへたばる寸前。どう見ても「白」じゃない?って感じでした。
 母へブンも、ややへたばって婆へブンとなりぬるが、Yさんの運転でやっぱり極楽だったと、私は思うのだが。

2006年6月21日(水)  

 訴訟の会でも代表が声明を送りましたが、昨日、自衛隊イラク派兵差止訴訟全国弁護団連絡会議も、「イラク及びその周辺地域から全ての自衛隊の『即時撤退』を!」という声明を政府やマスコミに発表しました。

 6月16日、嘉手納基地に本拠を置く在日米空軍の10名ほどが、長良川(郡上市)で、水難救助訓練を行おうとした(結局は中止になった)という報道がありました。これにも私たちは抗議しています。
 ここまでジワジワ寄せてきていても、私たちは米軍にいて頂いて感謝するのでしょうか?「日米地位協定」を都合よく運用解釈をして高笑いされているような情けなさ。星川淳さんの記事に「人間はほっておくと戦いたがる」という言葉があって、本当にそうだと思いました。私たちは根気良く、その人間の本性と闘わねばならない。

 今日はH小学校で授業。1時間目特殊学級。2、3時間目は5年生で「大造じいさんとがん」。特殊学級の話しを校長先生としていたら、付属の研究では、担当の先生達は夜の12時前に家に帰ったことがないというくらい、どの個性の子にも同時に生かせるプログラムを作って授業をするのだそうです。それはもう、舞台に近い設定をこしらえて、そこへ子供をおき、それぞれがちゃんと集中する授業にするのだそうで、そんなのは神業じゃー!わたくしは8人に前を向いていてもらうだけでもヘトヘト。でも皆声を出すのが楽しいらしく「象さん」の歌でアイウエオをやりたいと要望が出る。ちゃんと去年の授業を覚えていてくれて、ありがたい。ご褒美に、最後に「花さき山」を読んであげました。

 5年生は全員「大造じいさんとがん」を暗記してしまっていました。皆音読が大好きなのです。 この子たちが2年生の時からお付き合いしていますので、心身の成長振りには本当に感動します。先生達の意気込みもすごくて、授業後に校長室まで質問にいらっしゃったり、感想を求められ、たじたじ。 子供達だけでなく、先生も努力の成果、手応えを感じると、生き生きとされるのだという事を、今日始めて感じました。

  家に帰ってパソコンにむかいっぱなし。今朝1時過ぎまで教材を準備していたこともあり、この夏一番の暑さ(じゃない?)と必死さで、汗びしょびしょの授業でへとへと。声もついにガラガラに相成りまして候。

2006年6月22日(木)  

 実は中国の文革時代の芸術家青年の愛の物語の翻訳のリライト中。なかなか興味深い内容です。基本的に何時代であろうと、どんな社会状況であろうと、どこの国であろうと、人間性というものは変わらないのではないか。特に「愛」において。この翻訳が本になるかどうかはまだ全く分からないけど、楽しい作業です。

 「3秒で相手の性格を見抜く法」「健康論語」「中国の人生訓(仮題)」の3冊セットの契約書について、やっと出版社に返事をしました。最初の印税が入るのは出版の5ヵ月後。印税というのは、本当に驚くほど些少です。夏場所で飯盛りおばさんをやっている方が、確実に豊かに生活できます。ベストセラーになれば、笑いが止まらなくなるのでしょうが、さて、今回の「健康論語」はいかが?装丁はさっぱりとしていて、私好み。「朝の3分今日も元気」と帯で宣伝していますが、毎朝、あるいは毎夕、ちょっと読んで過ごすのもいいかも、と、珍しく自分で思った次第。1ページずつで完結している健康秘訣集です。

 姫ちゃんはあまり喜んでいない様子。タダタダ疲れたのだと思う。大変だったものねえ。「前向き、プラス思考でいこうね」と、励ましのメールを送りました。頑張った証。誰かがこれを読んで健康になってくれたら、それも嬉しいことだし。お金だけが価値の基準じゃなし。編集のSさんの労もあわせて、心をこめて生み出したものには違いないんだもの。

2006年6月23日(金)  

布団をポリ袋に入れて掃除機を使って空気を抜いて、ペチャンコにして収納する方法を、いままでなんとなくクチャクチャになりそうなので、しなかったのだけれど、がま口会員のUさんは客布団5組をそうやって、簡単に収納しているそうで、刺激を受けて挑戦!うわー、面白い面白い。もっと早くやればよかったと思いました。あっと言う間にカチンカチンの文字通りのおせんべい。海外旅行の荷物にも、これからは応用しよう!

 大正琴の今年の童話は「かさこじぞう」か「ものいうかめ」。バックの曲を選ぶ為の、とりあえずのテープ録音をしました。へたくそー。犬の卒倒、ワンパターン。なんとかしなくっちゃ。

 それにしてもです。「ものいうかめ」の亀は優しいおじいさんとおばあさんには金の小判をあげるけど、欲張りジジイには災いを与えます。こういう話のなんて多いこと。中国の本を翻訳している中にも「漁師と金魚」というのが出てきて、金魚、実は竜宮の姫が恩返しをしますが、欲張り婆さんには、全てをなくさせる災いを与えます。これ、中国では教科書に載るくらい、誰でも知っている有名な話だそうですが、実はロシアの民話。世界中に良く似た民話があるということは、「欲」がいかに不滅のテーマであるかという事だと思う。童話・民話も政治に翻弄されながら、土着先で形を変えて生き続けるのだなあと実感したのでした。

 それにしても、これだけ民話・童話で欲張りの悲劇を幼い時から学んでいるのに、教訓はなかなか成果をみせず、世の中、欲張りが闊歩するばかり。

2006年6月24日(土)  

さっき地震が…久しぶりでびっくりしました。長野が震源。人生で確実なものって何もないです。一寸先は…と言いながら、よくまあここまで生きてきたものですが。

 むしネットのみどりさんから、【シンポジウム】のお知らせがきました。
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●政治を市民の手に!〜ひとりからはじまる
日時:7月8日(土) 午後1時〜4時)会場:名古屋市女性会館 大ホール     
第1部 13:05〜 
 基調講演「脱政党の時代に」浅野史郎さん(慶応大学教授・前宮城県知事)
脱政党をどう考えるか できたことできなかったこと
 市民自治とは何か  これからの地域社会のあり方 etc
他、パネルディスカッションなど。
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身辺整理。なかなか捨てられない。地震が来ても落ち着いていられるほど
シンプルな暮らしを目ざしたいのですが、捨てられない煩悩。

2006年6月25日(日)  

刈谷市市民会館アイリスホールは超満員。1212名の定員をオーバーして立ち見もチラホラ。第2回刈谷音楽祭が開かれたのですが、何てったって大中恩さんの指揮だもの。出演するS夫妻から招待されたので、イソイソ出かけました。中田喜直とセットで大中恩の名前はずーっとズーット大昔から聞いていたけど、本物を生で(ナマナマシイ表現許されたし!)拝見するのは初めてで…。

 とっても小柄で、ずーっと笑顔で、ひょうきんで、小々ずっこけたほど。大正13年、(1924)のお生まれとは信じられないお元気さでした。『椰子の実』の作曲者として必ず名前のでる大中寅二はお父さん。詩人、作家の阪田寛夫は従弟さんだそうで、どうりで「さっちゃん」など、一緒にいっぱい作品を作っているのですねえ。1942年に東京音楽学校(現東京芸術大学)作曲科入学。学徒動員で海軍に召集され、1943年の混声合唱曲『わたりどり』(詩:北原白秋)は戦地で果てる覚悟で書いたとか。笑顔もタダ者ではありませぬ。

 混声合唱曲『島よ』(1970年)で芸術祭優秀賞を受賞し、今日は刈谷混声合唱団が3年かけて練習してきたという『島よ』も指揮されました。1982年には『いぬのおまわりさん』『サッちゃん』『おなかのへるうた』等を集大成した「現代こどものうた秀作選・大中恩選集」で日本童謡大賞を受賞。1989年紫綬褒章受賞。

 とにかく『犬のおまわりさん』の時、急にトイレに行きたくなったとして、ピアニストに指揮を頼んで退場してしまったので「人生経験が長いと、長時間もたなくなっておられ…」と爆笑させて、しばらくしたら犬のかぶりものをかぶって惚けて登場。会場は大いに沸きました。

 実るほど頭を垂れる稲穂かな。大中恩はちっとも威張らない、優しい方だった!少年少女合唱団も大勢出演、暖かい楽しいコンサートでした。男性のSさんとは今夏一緒にモンゴルへ行きます。現地の交流会では、又チームの歌をリードしてもらいます。

2006年6月26日(月)  

マンションの理事会の仕事で、毎月末理事長の印鑑を押す…と聞いていて、今日がその約束の日で、管理事務の代行会社のOさんが来訪。玄関で宅配を受け取るがごとく「ここでいいですか?」と聞いたら、一瞬真っ白な空白があって「え、え、ええいいですよ」と言って、いっぱい書類を次々出されるので、ではと、リビングまで入って戴きました。なんと、それから1時間!(おしゃべりもあるもんねえ)

 9種類にファイルを分けて、これから毎月綴じておくという事が初めて分かりました。だから、印鑑をバンバン押しました。一つ、銀行へ出すのなんか、「ちょっとでも欠けているとうるさいんです」と言われて、思いっきり「ギュウーッエイヤアー!」と押したら、何も字が出ないの。だって、蓋をつけたまま押してたから。数字もいっぱい並んでて、いちいちの説明に、ちゃんと「はい」と言わねばならない。アー、私のもっとも不得意とする分野です。とほほ。

 大ざっぱな性格。ほんと、地下鉄のユリカのカード、先日、ブラウスのポケットに入れたまま洗濯したの。クチャクチャだわね。色も消えちゃってたからかなりの重症でしたが、頑張って駅員さんに説明したら、ちゃんと新しいのを作ってくれました。

 口だけはまだ壊れていません。多少クチャクチャですが。まあ、でも力任せに行動するのは控えようと思っているところです。

 米軍ワタダ中尉のお母さんがレターを公開しました。こういう所がものすごくアメリカ的だと思います。トップページでリンクしました。大きなうねりになりますように。

2006年6月27日(火)  

諸準備。いつもドタバタなので、前もってやれることを。

 半日かかったことは、相変わらずマンションの仕事。とにかくいっぱい書類があって、引き継いだものだけでもダンボール4箱。今日、やっとおちついてそれらを眺め回し、自分がもらった書類を仕分けしてファイルに綴じるのだけど…まてよ、1冊にして項目をその中で分ければ簡単じゃん!と思いついて、又、その区分けの工夫をしだして…こういうことをいっちばん最初にやりだした人は、なんて偉いのだろうと感心しながら、せっせと仕事をしました。

 マンションの大蔵省だけでもこんなんだもの、国の財政や諸問題を管理運営するのは、もう気の遠くなるような膨大な作業です。それを知らないで人任せにしているから、色々災いがおきるわけで。チェック機能は本当に大切である事を学びおります。真面目にチェックして物申す国民は少ないのだと思います。

2006年6月28日(水)  

 午前は八事朗読バンド。月1回のこの会ももう半年続きました。お世話役のSさんのマンションの集会室が借りられる事をはじめ、彼女の細かい心配りが推進力になっていることはまず、本当にありがたいことで、若い方たちとそれなりの年齢の人達と(笑)、熱心に勉強できる事は、とても幸せなことです。私が言わなくても、セカンドティーチャー宜しく、皆が気がついたことをバンバン言い合うのが、この会のもっとも良いところです。それと、初めて知る事に対して「はあー」「なーるほど」「あっそうかあ」「へーえ、知らなかったア」等と、真剣な、素朴な反応を皆が見せてくれるし、積極的に役立つ情報も提供してくれ、やる気満々の面々です。これも先生の(生徒じゃなくて、先生の!)やる気を育てます。

 呼吸、発声発音の基礎訓練として、今日は「おむすびころりん」を3パートに分かれてミニ群読。3回ほど繰り返していると、とても味がでてきます。子音の無声化、ガ行の鼻音化、撥音や拗音と次々と進んで、来月からやっとアクセントの問題に入ります。古い古いNHKのアナウンス読本をテキストにしていますので、「私たちアナウンサーは…」等という文章が出てきて、そこを読むたびに皆が気取るので大笑い。長く続いて、皆がそれぞれの持ち場で活躍してくれますように。

 午後は学生センターで発送作業。陳述書集発刊に当たって、陳述書を書いた人たちにアンケートをとるためです。裁判は不信な結果であっても、私たちがやった事は時代が遺します。きっちりと私達の良心を遺します。

2006年6月30日(金)  

昨日のがま口塾は訴訟の会のNさんも来て下さり、又初参加の方もあって14人の参加。眼科医のIさんも1年ぶりくらいに現れ、本当に驚きました。もう塾が終わるので、仕事をやりくりして休みをとって来たそうです。感動。昨日はあまり爆笑場面はなかったけれど、充実したひとときでした。夜、夢中でテープ起こしをしている最中に日付が変わり、睡魔に襲われスヤスヤ。本日もその気配あり、早めに書かなくてはト…思いきや…

 午前中に書き上げて、何とか午後印刷に行って、間に合うならば、一部の方には発送と、調子よく計画していたのに、めったに電話のかからない人から、サランさんの出演要請の電話。東音研での2人の発表はなかなか面白かったみたいで、サニーは引っ張りだこ。私、彼女のマネージャーじゃないんだけど、何となく窓口になってきた感あり。朗読は日本語ができれば、誰でもやれるけど、踊りは私ではね…。電話に30分以上とられてしまって焦っている所へ恐怖の母から恐怖の電話。「もう体がえらいで掃除がしたないも。どこか施設に入ろうかしゃん」ナナナナナナヌッ!素直に私に「掃除に来て欲しい」って言えばいいのに、ドラマチックに迫ってきた。「今忙しいから又後で」。

 さて、時計と睨めっこしていたら、これも珍しく会員のAさんから電話。超多忙な人が、「今日ぽっかり時間ができたので、9月のコンサートの打ち合わせがちょっとしたいけど」「3時か4時になったら印刷にいけそうなので、その時に来てくれる?」

時間は容赦なく過ぎる。テープ起こしは終わったけれど、15ページになってしまったので、3ページ減らさねばならなくなって、この作業がテープ起こしより大変なのです。4の倍数になると裏表の印刷に調子が良いけど、会員の皆さんも16ページを読むのはきついでしょう。そこへピンポーンとAさん現る。「もうちょっとまっとってえ!」「私も仕事したいからピアノ弾いてていい?」「どうぞどうぞー」。といいつつ、だんだん5時もまわって、ついに今日の印刷は諦め、Aさんと打ち合わせに入る。

 ところがどっこい、音読とリズムの話になって、リトミックをやっている彼女が、「動作でカノンがやれる」と言うので実演してもらって、私はついに生徒になって先生の後をおってリズミカルに動作をします。インターラピテッドカノンとかチェーンカノンとか、なかなか面白い。リトミックを始める時、聴診器で心臓の音を聞かせると言う話には感動してしまった。基本のリズムなんだって。そりゃそうだ…おっとっと、今日はイラク訴訟のスタッフ会議。夕食作ってから出かけなくっちゃ!

そんなわけで、スタッフ会議から帰ったけど、アッと言う間に一日が終わり…ませんね。これからまだカット作業とアップ作業。頑張ります。

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Akiary v.0.51