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2006年7月1日(土)  

 やれやれ。半分発送済み。一人一人にメモを書いていると、やっぱりどうしても時間がかかります。でも、必ず明日には全部完了に。

 山のてっぺんに中学校があるので、坂道を中学生がおしゃべりをしながら通るのは普通なのですが、昨日は元気のいい小学生達が大きな声で歌を歌いながら坂道を登って行きました。

♪世界中の子どもがいちどに笑ったら 空も笑うだろう 
世界中の子どもが いちどに泣いたら 空も泣くだろう♪

 なんて可愛い子ども達。この歌を教えた先生も素敵な人だろうな…私も幸せな時間でした。本当だよ。世界で泣いている子どもがいっぱいいる。空も泣いてるよね。

 モンゴルに行くに当たって、どうしても国際放送局で仲良くしていたモンゴル語部の専門家アジンに会いたいと思いました。私より先に帰国したので、ウランバートルにいるはずなのです。燕さん経由で日本語部長に連絡先を訊ねてもらっていたら、日本語部長さんが、すぐモンゴル語部長さんに訊いてくれて、今日連絡先を教えてもらいました。皆の親切に涙が出ます。感謝。

 それで勇気を振り絞って、直接ウランバートルに電話をしてみました。彼女、びーーーーっくり。1年ほど病気をして職場を休んでいたが、今は復帰して問題なし。放送局で仕事をしているから、見学でも何でも大歓迎するよと言ってくれました。彼女は中国語ができるので、何とか通じるのです。友達とは、なんて素敵!空が笑ったような一日でした。

2006年7月2日(日)  

朝7:30でした。リーン。はい。マンションの70歳の修繕委員会の方から。我が家の理事長さんは土曜日の夜と日曜日の夕方までしかおりませんので、皆さんに訪ねていただく時間が限られるのは致し方ありませんが、「朝早く恐縮ですが、今日、これから出かける用がありますので、今からちょっと伺わせて頂きたいのですが…」「はい。どうぞ…」。

 BGMは「剣の舞」。映像はビデオの早送り。服を着替えるのがやっとでした。5分後には到着されたもんね。かくて夜明けのコーヒーを3人で。ほんと、心の臓に悪い。

 100部印刷して3部残ったので、がま口塾便り、今回は97人に送りました。御一人ずつに感謝をこめた殴り書きをしていると、やっぱり夕方までかかってしまいました。なんとか、市内は明日届くと思います。ホッ。

 さて、明日は「アエラ」。何を書かれていますやら。ひどかったら立ち読みでおわろーっと。

2006年7月3日(月)  

AERA06.7.10創刊1000号記念増大号78頁「女子アナとは何なのか」。自分で取材して下さいと願った訳でなく、タダタダ偶然に訴訟の会の友人から紹介され、転がってきたのでした。おそれいりました。我ながら我が身のすごさに驚いています。日本に女性アナなんて何千人といるでしょうに、記者は「局アナ、フリーなど合わせて7人とそれぞれ1時間から3時間以上にわたって問答した結果は〜〜〜」と書いています。私、確かに3時間強の取材、いや、問答したもんね。

 面白い記事になっていました。「肯定的に書きます」とは、後から連絡があったけれど、私もそう願っていたので、インタビューに対して、予め自分の態度を明確にして、ぶれないでいたのは、正解だったと思いました。さすがに「世の不条理を追及し続け」て、何冊か著書を持つ気骨のジャーナリストらしいまとめ方で、私を頭と尻尾に使って下さった。

 「アナウンサーみたいな芸能界は駄目だ。先生になれ!」と頑なに私の邪魔をした両親。特に父に、この記事を見せてやりたいと思いました。

大杉谷の黙雷和尚さんのご夫人で副住職の高天原妙円さんから、御著書「いのちの作法」が送られてきました。副題は心の仏教入門。すぐ読みました。波乱万丈の人生体験から仏法を語っておられますが、何がすごいって、モンブランで3800mから3000mまで落ちて、奇跡的生還をされたこと。和尚さんとであって、14日で婚約。49日目に結婚された事。伺ったときも、「どうして又…」と驚く私達に「まあ、事故みたいなもので」と笑っておられ、爆笑になったのですが。結婚って事故なんやわ。

2006年7月4日(火)  

アエラ事件。がま口塾便りに7/3号と書いたので、皆さんわざわざ先週号を本屋で注文されたり…ご迷惑をかけています。反省。

 東音声表現研究会。今日はストーリーテリングがテーマで、日頃実践されている3人のボランティアの方達がそれぞれ実践してくれました。外国の話ばかりでしたが、例えばラオスの「小石投げの名人タオカブ」という話は、とても新鮮なストーリーで、よくまあ、あんな長い話を暗記された事と思いました。今日は、絵本と朗読とストーリーテリングの違い、子ども達の想像力がどう引き出されるかなど、時間が足りないほど議論沸騰でした。

 アメリカの著名なストーリーテラー、スペンサー・G・ショウという方は日本にも10年ほど前にいらっしゃったとか。この道の研究の原点となる方らしい。私が初めて「ストーリーテリング」という言葉を知ったのは、20年以上も前の福岡にいた頃の「土曜お話し会」で。私の疑問は、どうして、日本語に訳されずに、今もって「ストーリーテリング」なんだろうという事。土着感がない。語りべの「語り」とどこが違うだろうという疑問。

 いずれにしろ、子どもに大人が「おはなし」をするという、子どもと大人の信頼を耕す作業だと思う。双方にとって、これほど幸せで大切な時間はないでしょう。世界中でこうやって子どもを育てたら、戦争なんておきっこない。信頼しあうという事、愛情を注ぎ、貰うという事。それが「物語る」という事だと私は思うので。

2006年7月5日(水)  

本降りの中、H小学校へ。旅行バッグに色々小道具を積み込んで、麦わら帽子はかぶっていけばいいわと思っていたけど、雨じゃ…。帽子はもう一つ袋に入れて。
 4年生3クラスで1,2,3限連続で「夏のわすれもの」。今日はメトロノームを持参して、まさる君とお祖母ちゃん、怒っているお母さんの言葉の速度を考えさせる。これはよく集中しました。

 まさる君の浮き袋は、家になかったので御中元に戴いたヨーグルトのセットの箱を壊して丸く形作って持っていったのですが、授業後に「欲しい欲しい」とせがまれ、ついでに麦藁帽子もせがまれ、仲良く使うんだよと念を押しておいてきました。1年生の時からおつきあいしている4年生。責任も重く感じる訳で。皆が争って私と背比べをして喜んでいます。

 地下鉄名古屋大学駅下車。学生センターで「陳述集」作成のための文書整理ボランティア。

 Tアナに突然呼び出されて地下鉄栄駅下車。お茶。Tアナは来年アナ生活40周年だって。今日もステージの司会とラジオの収録。合間にあいた時間を私とダベリングというスケジュール。さすがに「疲れてきたネエ」という話になりにけり。

 テポドン発射に騒然の一日。叡智を!

2006年7月6日(木)  

全く未知の仕事が友人から紹介されて飛び込んできて、打ち合わせに鶴舞に出かけました。又明日行くことに。ついでなので、図書館で来週の6年生の授業の資料の仕込み。「ヒロシマのうた」なので、頭の中はずっと、どういう展開にするかばかり。前夜にはまーあ何とかなるわ…になるにはなるんだけど。帰宅後は明日の天木直人裁判の報告集会の背ビラ作り。

 裁判は5つになっています。こんな面倒なこと…と思ってしまったら終わりなので、できることをできる時にの相変わらずでやっています。天木さんは報告集会が終わったらすぐテレビ朝日へ行き、「朝まで生テレビ」に出られるそうです。

 ワタダ中尉、米軍から訴追。ニュース23でインタビューが出る。私たちの主張とまったく一緒。今、静かに支援の輪が広がっているとのこと。

2006年7月7日(金)  

ガッシャーン。?…書斎のスチール本箱が倒れていました。せっかくきちーんとあれやらこれやらガンガンに整えて入れていたのに、地震がおきたように部屋中に散らばって…しゃあないか、独身時代から使ってるんだもん、ガタがくるわいね。と、忘れることにして、昨日に続いて新しい仕事の打ち合わせに。

 午後は天木直人元レバノン大使の第2回口頭弁論。受付(お留守番)をしていて、終わりの方に滑り込んだけど、やっぱり訳のわからないやり取りを目にしました。次回は10月6日になったけど、証人申請も全然認めないみたい。「被告が裁判長やってるもんね。訴えてる相手に裁判してもらってるみたい」とは、原告のため息。

 桜華会館での報告集会で、天木氏が涙で言葉を詰まらせる場面があって、驚き、また私も悲しくなりました。レバノンに駐在されて、レバノンが大好きになったと話された後でした。悲惨な状況の中、イラク戦争が始まるのは耐え難いことだったのでしょう。きっと、当時の現地のあの人、この人の顔が浮かばれたのだと思います。こういう外交官が辛うじていて下さったことを私たちは誇りに思おう。

 親族家族の誰も「アエラ」に無反応。痺れを切らして義姉にメールしたら、優しい姉はわざわざ買って読んでくれたそうで「ひろみさんは、私には只のおばさんにみえるけど…90まで長生きしてね」だって。只のおばさんは涙。本箱が倒れて部屋中に散らかったままなのを思い出したからね。

2006年7月8日(土)  

倒れてガシャガシャになった本箱を整理していたら、読んでない本がいっぱい出てきて、何もかもやめて読書三昧の暮らしができたらどんなに幸せかと思った次第。でも、働かざれば食いも遊びもならぬわが身、「贅沢」の意味が身にしみました。

 元宮城県知事の浅野史郎さんの講演会とパネルディスカッションが女性会館でありました。本物の民主主義の反対は偽の民主主義ではなく、お任せ民主主義だとおっしゃる。なるほど、お任せがおおすぎるよね、私たち。良い知事になるためには選挙をする市民が踊り狂う選挙。後援会を持たない、政党団体の推薦を受けないこと。それが底力になる。情報公開を求めるのは、逃げよう、隠そう、誤魔化そうとする行政を正すのはレベル1で、行政側から言えば、全部提示するのが、得策。すべてというのは、市民も「知らなきゃ良かった」情報も含まれるので、問題を共有することができ、本当の意味の市民と協力し合う地方自治ができると言う訳。

 逆発想がお好きなようでなかな面白い講演でした。談論風発、超早口。なのに私は途中完璧な居眠りをしてしまいました。講演会で寝てしまうなんて初体験。たぶん彼の言葉のリズムがそうさせたのだと思う。私もとても早口で大きな声で話すので、わが身も反省させられました。

2006年7月9日(日)  

 午前相方はマンション理事会。赴任先から帰れば、ずーっと書類と睨めっこ。理事会の為に帰って来るみたい。午後私は新栄で仕事。面白い仕事ではあるけれど、時間がかかります。ちょっと厳しい。楽な仕事なんて、本当にない。SOHOで、締め切りがあるので、早速帰宅後その仕事の処理を開始。

 と、Kさんから電話で「モンゴルのことやってるよー」。それで私もサランさんに伝言ゲーム。「うるるん」でモンゴルをやっていました。ホーミーで駱駝を泣かせるというテーマです。ホーミーの音で、駱駝の目から本物の涙が出てびっくり!もらい泣きをしてしまいました。クラシックにも通じる声楽らしい。ホーミーは癒しの声なのだ。

 18歳でも末っ子であれば、母親のおっぱいを吸う…という証拠映像にはたまげました。それは民族的習慣なんですって。瞬間的に思ったことは、これでは犯罪は少ないだろうなということ。愛情は、生きとし生けるもの、すべての人がほしいものだと思うから。

「平和の共同候補」を求めるという、日本歴史始まって以来の集会が7月7日東京で行われ、北海道から沖縄まで、950人も集まって大成功を収めたそうだ。そうよ。みんなでホーミーを歌い、聴くべきかも。みんなで駱駝になる!

2006年7月10日(月)  

1日中仕事に熱中。初めての仕事なので、色々失敗があって、ほとんど空振りの1日。でも、間違えたということを学びました。偉いよね、私。こんなことでくじけとったらあかん。

 けど、恐怖の母の追い討ち。「私、もうすぐ死ぬからね。畑、一緒に行かん?」「今、私は忙しいの」。私は決してこんなお祖母ちゃんにはならないと、骨の髄まで決心した日でした。ワールドカップの決勝戦まで見たって孫に話していたの、知ってるぞ。

2006年7月12日(水)  

 午前中小牧基地へ「申入書」提出に参加する予定でしたが、体調優れず(仕事が仕上がらないという意味)、断念。でも10数人の原告達が参加したそうです。「クウェート駐留の航空自衛隊を『即時撤退』させるように働きかけてください」というお願いです。

 午後は第6次原告の第2回裁判。裁判がイラク関連だけで、5つにもなってしまって、弁護士さんたちも、スタッフも、傍聴する人たちも皆大変。長野県からの原告である毛利弁護士が、今日は原告代理人の席で本人を本人が弁護?の熱弁でした。

 イラクでの米兵達の虐殺行為を耳にするたびに、日本軍がしてきたことをイメージし、とても辛い。16歳の少女が突然家に入ってきた米兵達15人に両親や姉妹を殺され、全員からレイプされた挙句彼女も殺されて、体に火をつけられたという話。
 
 3月に起きたこの事件を、米軍はずっとテロリストのやったこととしていたけれど、6月になって、カウンセリングを受けたことで告白に至った米兵によって、事件が明るみに出たそうです。これは氷山の一角でしょう。これが戦争。

 裁判は20分でアッと言う間に終わり、いつも通り、桜華会館で報告会。意思を持続させるのは大変だけれど、どんどんおかしくなっている政府を本当に憂う。戦争をしたい人はミサイルの中に自分か、自分の大切な人を入れて、自分がボタンを押すべし。日本は憲法で戦争を放棄している。

2006年7月14日(金)  

 昨13日の日記


 新しい仕事=古い仕事。実はテープ起しをする人を探してほしいと頼まれた友人が、がま口塾便りを飽きもせず書いている私を思い出したと言うわけで、安易に引き受けたところが、お池にはまってサア大変!

 9日に、団塊の世代の男性7人のお喋り[2時間半]に立ち会って、必死に速記。テープとCDで音源を頂いて、「えー」「あのー」(業界では「ケバ」と言うそうです)以外、一字一句逃さず記録。なんとA4で54ページに相成りまして候。お洗濯は大好きなのでするけれど、食事の準備はええ頃加減。睡眠は日々2〜3時間。本日14日未明、朦朧とする中、やっと何とか仕上げて送信しました。勉強にはなりました。何でも経験は宝。私が塵芥賞をとるまでの苦難の道は長い。只今から6年生の授業にK市まで。

2006年7月14日(金)  

14日の日記(その2)

恐ろしい日でした。H小学校の授業を第3限を5限に間違えていたのでした。気がついたのは3限が始まる20分前。学校まで1時間と30分はたっぷりかかりますので完璧なアウト!結局、たまたま6時間目がある日で、しかも2クラス合同で依頼されていたので、急遽6時間目に変えてもらってセーフ。神様仏様、ごめんなさい。そして神様仏様ありがとう。校長・教頭・教務主任の先生達も6年生の先生達も本当に優しくて、有難いの一言です。

 「ヒロシマのうた」。一読に38分かかる長編。しかも、あくまで音読の授業。それも2クラス合同…。ずっと悩んでいたのですが、先日鶴舞図書館で見つけた写真を40×60cmの軽量ボードに引き伸ばしておいたのをメインに、厚紙にA3に引き伸ばした戦中戦後の写真を10数枚使用。

*母が空襲で死に、父が外地で戦死した戦災孤児、小学校4年生の男の子が、住んでいる山梨県から、靖国神社に招かれ「お国のために立派に死んだ」父の名誉を称えられ、褒美を
受けている写真。目からはくっきりと線を描いた涙が流れています。でも、少年は泣いていないのです。キリッと口を結んで耐えています。

*ヒロシマの人々の当日の様子を市民がクレヨンで描いた生々しい「絵」。原爆投下後のヒロシマの焼け野原。なぜそうなったのか。揚子江を上りつめ、軍艦が入れなくなった地、重慶の空から空爆する日本軍、それによって殺されたたくさんの中国人の市民の遺体。アジア各地の教室で、現地の子供達に日本語を教え、日本語の使用を強要している、軍服の先生。

*日本の子供達はどうか。勤労動員されて愛知県の武器工場で働く小中生やK市の女学校生。東山動物園のライオン舎で、銃で撃ち殺そうとしている軍服の大人たち。終戦直後、墨を塗った教科書で勉強をしている、妹か弟か、子供を負ぶったままの小学生。

 様々な写真を見せて、ヒロシマ・ナガサキ、日本各地の空爆や沖縄が、なぜそうなったのか。自分の体の半分は日本の被害、もう半分は日本の加害を考えて、1人の人間になるよ。日本は憲法で戦争はもうしないことを誓ったよ。

 それらの感情を共有してから、死んだ母親のおっぱいが出なくなって泣いていた赤ちゃん、ヒロ子ちゃんの気持の変化にポイントを絞って、極めてシンプルにまとめました。誰一人他事をする子供はなく、皆一生懸命ヒロ子ちゃんや、彼女を発見した兵隊さんの気持を表現しようと頑張りました。発声・発音練習も大切だけど、本当に大切なことはそんなことでないよ。文字に命を吹き込むことだよ。「気持」を理解して表現することだよ。

 戦争は絶対にしてはいけない。坂東先生も頑張るから、皆も一緒に平和な世界にするよう、頑張ろうね。

 夜は、そういう話をした者の責任として、サボらないでイラク訴訟の会のスタッフ会議に出ました。眠くて地下鉄を乗り越したご愛嬌もありました故、お休みなさい。今日はぐっすり眠るぞー。

2006年7月15日(土)  

 大須オペラ、オッフェンバックの「青ひげ」鑑賞。母が都合の悪いと言った日を除いて、Yさんと私と母の都合をあわせて、一番人気の土曜の午後のチケットを、電話をかけまくって手に入れたのに、恐怖の母は昨日になって、「私、短歌に行く日だったんだわ。あんた達行ってりゃあ」。むむむむむぐぐぐぐぐ。

 連れ合いは、何かマンションの管理の講習会があるし、甥や姪や義姉、姫ちゃんもすべて都合が悪く、ハタと思いついたのが、タチアナさん。Yの家から2分ほどのご近所さんなので、いつか紹介しようと思っていたので、いい機会でもあります。今朝電話をしてOK。かくしてロシア人と京都人を両側にして、名古屋名物をごらんに入れたのでした。台本・作詞・演出の岩田氏と夫人のSちゃんも大須演芸場の入り口でお客さんの応対に忙しそうでした。パンフを見たら、Sちゃんは照明、衣装、制作主任になっていてすごーい。入り口で立ってる場合じゃないでしょう…

 漫才師が2人立てば満員になりそうな狭い舞台に、よくもまあ20数人もの歌手がドタバタ演じましたこと。楽団も26人で生演奏。皆汗だくで、よく笑わせてもらいました。Yさん曰く「吉本のオペラみたい」「え!?吉本にオペラあるの?」「ありません」。音楽が専門の彼女によると、もともとオペラというのは、とても庶民的、下世話なものだとのこと。大衆芸能として大須オペラは立派にその伝統を息づかせていることになります。

 タチアナさんはサンクトペテルブルグの実家に(昔はウクライナのチェルノブイリの近くでした)に最近行ってきたばかりだそうで、町が嘘の様に綺麗になっていてびっくりしたと笑っていました。サミットのために急遽お化粧したんですね。

 レバノンも北朝鮮もサミットも国連も気になる中で、平和なひと時をもらって申し訳ない幸せ。

2006年7月16日(日)  

がま口塾最終回の案内に「祝電・花束・お土産、その他一切の贈り物を硬くお断りします」と書いたのは、もちろんずいぶん考え迷った挙句のことです。書くことでかえって気を遣わせ、物を送ってくる人が必ずあると思ったから。案の定、ぼちぼち宅急便や郵便が届き始め、本当に深刻な悩みです。我が家は人口2名。一人一人の方にとっては、私は1人ですが、私にしてみますと、100人以上の方々に対しているわけで、ほとほと困るのです。

 私がほしかったのは「話」です。毎回ではないにしても、時々頂く「便りを読んでいます」「次のテーマに対して、私はこう思います」というお手紙やメールに、どれだけ励まされ、支えられてきましたことか。便りは「読み物」ではなく「参加物」。わざわざ遠方から集まってお話を提供してくださった皆さんには、最大の感謝を捧げます。

 私が勝手に送りつけていた人もあったかもしれません。(そう私に言われた方はさすがにありませんが、無言だと、私がそう思うのです)。意思の疎通が無いことが一番辛く、それも今回閉塾する一つの原因です。色々ご迷惑をかけた方には、謝らなくっちゃと思っています。

 会員を増やそうとしたことは今期に関しては一切ありません。出席していただいた方にはご理解いただけると思いますが、自然のままにやってきました。「もう送らないでください」とか「めんどくさいから読んでない」とかおっしゃってくださったら、私もどんなに助かったことでしょう。商売の「塾」ではありませんでしたので。

 なぜ自分の意思をきちんと明快にしない人がいるのか、本当に私には分かりません。
 私が、祝電や贈り物を要らないと言っているのは、遠慮ではないのです。私の明快な意思です。本当に困るからです。どうぞ贈り物は止めてくださいね。「お話」を歓迎します。がま口塾がなくなっても私が真実「話」そのものを求めていたことを皆さんが記憶にとどめてくだされば、この10数年、生きてて良かったと確信を持って言えます。

 恐怖の母と食事。夏座布団やコップを借りてきました。最終回、何人いらっしゃってもいらっしゃらなくても、多分大丈夫です。ご自由に。自然に任せます。出欠の連絡も要りません。ずーーーーーーーっとそうしてきたので、そのように終われたら最高です。

2006年7月18日(火)  

17日の日記

 一瞬の操作ミスで消してしまった45号の復元。ひたすら書いて一日が過ぎました。悩み多き人生なれど、嬉しいことも多く、浮いたり沈んだりしながらがま口弘美の肉体を世に浮かべおります。模擬裁判の報告メールを転載します。詳細はトップページでリンク。
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宇都宮大学国際学部・杉原教室では、自衛隊イラク派遣の「差止・違憲確認・損害賠償請求」訴訟の第4回目の模擬裁判を開催しました。

7月13日:18時から20時/宇都宮大学・国際学部・杉原教室/学生150名/社会人の原告15名/弁護士 2名/が出席しました。/ 判決文は、模擬裁判官の中国人の留学生2名と日本の学生1名の3人の女性裁判官が判決及び判決理由を交替で全文を読み上げました。*学生が書いた判決文の一部をご覧ください。

「判   決

【主文】 国は原告一人につき1万円の損害賠償を支払いなさい。
【理由】 この裁判で原告が当裁判所に訴えている内容は、要するに、「平和的生存権の具体的な権利性(裁判規範性)を認めよ。」ということですから、裁判所はこの点について以下順を追って判断します。

第一 平和的生存権の具体的な権利性(裁判規範性)の憲法上の根拠について憲法の前文は、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と規定しています。これが、「平和的生存権」の憲法上の根拠であることは誰にでも分かることです。 

 そこに書かれている「平和」の意味、すなわち「平和って何か」ということは、決して抽象的な概念ではなく、日本国憲法第9条によってもはっきりと示されています。また、「生存する権 利」の意味、すなわち「地球上のすべての人間が平和的に生きていく権利」は、日本国憲法13条以下の各人権条項によって示されている。
 
 この日本国憲法の条文は、外国人が読んでも良く分かります。なぜなら、これは世界の人々が長い間、求めてきた9条、13条以下の条文は、どれを見ても個別具体的に定められた規定であり、平和的生存権の意味もこれらの憲法規定から見れば、裁判規範性を持った人権であることは明らかです。・・・・・」

この日は弁護士さん2名が、この訴訟の意義について、15分間説明し、其の後、原告の山口が20分間、訴訟経過と何故イラク訴訟かを「プロジェクター」で説明。そのあと
学生2名の被告・国の「争訟権なし」の弁論原告学生の国への反論があり、判決となりました。その後、学生のアンケート内容の朗読があり、それに弁護士、原告などがコメントしました。18-21歳の若い学生150名とこういう 時間が持てたことは嬉しいひとときでした。

2006年7月19日(水)  

八事朗読バンドの日。「まつり」と「おむすびころりん」の群読でワルツのリズムや高低差のないお経読みをしたりの発声練習の後、「共通語のアクセント」に取り組む。

日本語のアクセントには大きく四つの原則がある。

@日本語は高低アクセントで、強弱アクセントではない
A高低の変化は1つの拍から次の拍へ移るところでおこる
B第1拍と第2拍では必ず高さが異なる
C1つの語の中で、高いアクセントの拍が離れて存在することは決してない

アクセントの型も4種類。

平板/頭高/中高/尾高

 だから、この原則から外れて堂々と生きながらえ闊歩している不滅の言葉が「方言」というヤツで、なかなか困ったモンで、そしてなかなか愛しいモンなのです。私の事情から言えば、名古屋に幕府がおかれず、名古屋が首都にならなかったばかりに、名古屋人はアクセント辞典を片手にアクセン苦トゥする訳。

 皆が「ウエーッ!」とか「ハーッ!そういうことだったのかあ!」と言う時が私の一番楽しい時。そして、いつも本当に飲み込みの早い生徒さん達に感嘆します。キリキリ質問も来ます。八事朗読バンド、だーい好き。

 1週間ぐらい前だったか、ずいぶん暑い日の午後でした。小学校2年生の女の子がランドセルしょって、手には大きな鉢を抱えて、汗だくでフーフー歩いてた。下りの坂道で、にっこり笑ったら「おばちゃん、又山登る?」と訊くので「そうよ、あなたも?」「うん」。で、仲良くなってずっと話しながら坂を上りました。学校で植えたトマトの苗を家で育てるのだそうです。別れ際に「おはようとか、こんにちはとか、元気?って苗に声をかけてあげると、美味しくなるよ」ってテキトーなことを言ったんだけど、あの子、こえかけてるかなあ。ここんところの雨で、あの子のトマトは大きくなったかなあ。

2006年7月20日(木)  

16日(日)曜日の日記を読んでは、自分の性格の悪さに自分でイヤーナ気分になっています。手紙を書こう、返事を書こう、何かを言おう…そう思っても、何も言えない時ってあるもんね。私自身だって、ちょっとタイミングを外してしまって、ズルズルなしのつぶてにしてしまった事が再々あるのにね。

 昨夜のNHKで、イラクへ派兵されていた自衛隊の家族支援センターのことをやっていました。日本の家族がテレビ電話を使って、現地の隊員と交信している場面など、きめ細かい支援が行われていたという内容でした。私は、帰国後自殺した隊員が5人いることについて、その家族がちょっとでも出るかと思って、じーっと見てたけど、ありえないよねえ。物が言えないよね、そんな家族は。

 金沢へ行った時、皆の話題になっていた、被爆者284人の証言を集めたCD作品「ヒロシマ ナガサキ 私たちは忘れない」がパソコンで聞けることを知って、今日はディスク1枚を聞きました。被爆者の声を記録する会代表の伊藤明彦さんは、元NBC長崎放送の記者で、長崎で原爆投下後に被爆地に入り、放射線を浴びました。1971年から全国の被爆者を訪ね歩いて、直接「被爆者の声」を収録。聞き取った証言などを基に昭和20年夏、広島、長崎の原爆投下前後の状況を再現しました。作品はディスク9枚で構成され、生々しい被爆の惨状を伝えています。
  http://www.geocities.jp/s20hibaku/index.html

 何て素晴らしい記者としての仕事をやり遂げられたことでしょう。声の主達の多くは、もうとうに亡くなっていると思います。これほど貴重な仕事があるでしょうか。8月6日の体験を語る善良な人々の生々しい声を聞きながら、何故原爆が落とされることになってしまったのか。考えざるをえません。レバノンのニュースに、天木元大使は胸潰れる思いされていることだろうとか、破壊と殺戮の止まない人間界を考え込んでしまう。

 ものは言わないとね。…だから、私は言うの。お土産は要らないって。だって、「がま口塾の最終回の日行くから、足を揺らすマッサージ器を貰ってくれない?」とか言われたら、誰だって怯えるよ。私はマッサージ器より「話」がほしいんだって。黙ってお利口さんしてるうちに殺されたり、殺したりしてるのは、まっぴらだから。無言のお利口さんで死ぬのは嫌だよう。人の話をよく聞いて、自分の言いたいことをちゃんと言って、私個人の名前で死にたいよう。

2006年7月21日(金)  

幼馴染の大正琴の先生のHちゃんから、民話を録音してほしいので行っていいかと電話が来る。「私怖いけど、何かほしいもの言って。聞けばいいでしょう?」「いらんよ」「でも晩のおかずとか」「いらんってばあ」「最近日記も怖くて読めんがね」「アハハ」…。

 毎年のステージの私の写真を立派な額に入れて贈り続けてくれて、私が爆発した事件があったのでした。「自分の家の中には飾らないよ。押入れにいれて置くだけだから止めて」で、止めるかと思いきや、「やっぱり写真だけだと貧弱だったもん」と又額入り写真が届き、「もう私は出演しない」と言ったら、やっと贈り物は止まりました。ふふふ、彼女、それ以来、私が怖いそうで。

 昭和天皇が靖国神社へ行かなくなった理由について書かれた物が発見され、一斉に報道されています。あるコメンテーターが、「歴史は科学だ」と言っていました。真実・事実は1つだものね。今日、とても心に残った言葉でした。
小泉さんは相変わらず「心の問題です」と。論理的に考えてほしいのだけど。政治も科学してよ。
 

2006年7月22日(土)  

さーあ、今だ!洗濯のしまくり。豪雨が続いている所は本当にお気の毒です。がま口塾最終回の準備をコツコツとやっています。第一期の1号から第二期の47号まで、一ページ目を全部印刷しました。どこかへ展示しようと思い立ち、どう考えても襖しかなくて…エエー一イッ!とセロテープでくっつけているうちにメンドクサクナッテ、襖に刷毛でのりを塗り捲り、全部ペタペタ貼り付けました。ああ楽しかった。がま口塾便りの襖が出来たよ。でも、第一期だけで襖3本使っちゃったからねえ。第二期のをどこにぶら下げるか思案中です。

 ピースボートに3ヶ月乗って、帰ったばかりのHさんからも「友達連れて行くよー」…。どうも人が多くなりそうな気配。お茶を冷やすのに冷蔵庫だけでは心配で、兄にSOS。釣りキチなのでクーラーボックスをいっぱい持っているのです。兄が持ってきてくれたら、今度は本物のクーラー屋さんが取り付けにきました。クーラーを買い換えたのです。これで何人のおしゃべりになっても大丈夫。窓を閉め切りますから、ご近所への騒音?被害はないはず。皆さんのお弁当も、多分半日は大丈夫でしょう。

 Hさん「何か手伝うことある?」「ないないない。お話するの手伝ってね!」。
そうなのだ。メール参加、お手伝いくださーい。最後ですよー。



 

2006年7月23日(日)  

 午前中は恐怖の母の畑へお付き合い。雨で野菜がどうの、草がどうのと、ずーっとうるさいのです。名古屋の東の端から西の端まで、今まではバスと地下鉄とバスを乗り継いで元気に通っていたのに、この夏、もうガクンと元気をなくし、連れ合いと車で送迎とアイなりました。これから先のことは、皆で相談しなくっちゃ。

 夜は金山で、モンゴル旅行のメンバーの顔合わせ、事前学習会。サランさん手作りのスケジュールで皆とても楽しみにしています。

 そんなわけで、あちこち電話連絡を怠ってしまいました。明日の道順分からない人いっぱいでしょうから、とても心配。塩釜口3番出口を出たら、全部右回りですよー。大きな自転車屋さんが開店しましたので、そこを曲がってまっすぐ。歯医者さんは通り過ぎて、コンクリート塀を右へ曲がって坂道を登るのよー。と、今頃言っても遅いよねえ。電話できる所はしたけど、すみません。

2006年7月24日(月)  

午前の参加者は28名くらいだったでしょうか。ほんの10分ほどしかいなかった人達も4~5名いましたので、よくわかりせん。午後の部も28名くらい。皆さん、最後のがま口を見届けようと、駆けつけてくださって、会の存在を肯定してよいのだと、あらためてジーンとしたのでした。

 一番びっくりは、石川県のスウさん。わざわざホテルに泊まって、今朝一番に来てくれたのでした。何も知らなかったので、夢ではないかと、スウさんのほっぺをつねったのでした。北京のYさんも所要があった東京から駆けつけ、その他、岐阜県やらあちこちから20歳から70歳までの皆さんに来ていただいて、感謝の一言です。

 川口弁護士、児童虐待の子供を現場に踏み込んで保護するという仕事があって、ぎりぎりに入ってくださったのですが、辛い心境であったにもかかわらず、分かりやすくイラク訴訟の説明と自民党の新憲法草案についての指摘をされ、皆の発言も活発に行われ、充実した2時間でした。先生の送迎をしてくださったのはKさん。きめ細かいサポートをしてくださって有難いことでした。

 午前はタチアナさん、午後はHさんが壮絶なジャンケンで司会に決定。見事な進行で、本当に誇らしく思いました。最後のお客さんが帰ったのは9時。さすがにぐったりしていますが、嬉しいことばかりだった今日の、特筆は、がま口塾の天道支店が開店したこと。Oさんが、ちゃんと後を継いで、自ら「支店」と命名して今日紹介してくれたのです。こんなに嬉しいことはありません。

 とにかく今日は有難うございました。

2006年7月25日(火)  

 早朝町内会長さん宅ポストに「敬老会参加者」を届けに。ついでに理事会役員の皆さんの家のポストにも連絡物を入れる。10時から管理代行会社の方と月例の事務連絡。ハンコをポンポン押して40分。その後その書類の分類とファイリング。

 昨日、日進市のG&S議員は1日中参加する予定だったのですが、やっとお昼に飛び込み。何だと思いきや、「がま口塾の為に1日空けていたお陰で、午前中に住民監査請求を出せたよ」と言うのです。ゴミ処理施設の建設に関わる談合で、18億5400万円を返しなさいという請求です。それで又急用ですぐ帰りました。でも、そのアッと言う間にも、昨日の参加者の中にも今度の統一地方選挙で市会に立候補予定の人がいましたので、早速紹介しました。皆政治に真っ向からむかっていく、私が誇らしく思う人たちです。監査請求は、中日・朝日・毎日に掲載されたとの事。

 24日、栄の三越前で街宣をしていた訴訟の会の前にパトカーの警察が現れたそうです。2年半やってきてこんな事初めてとのことで、池住代表が例によって、街宣を何故やるのかという、訴訟のことを穏やかに丁寧に警官に講義(抗議じゃないよ!)して、どの法律に違反しているのかと訊いたそうです。そしたら40分パトカーに入り込んで出てこず、その後第何条に反しているといいに来たそうな。それでも紳士的な対応をする代表に、最後は警官が「ちょっときつい言い方をしてしまって、失礼しました」と言い、軽く会釈をしたそうです。そしてこちらも笑顔を返して別れたとの事。

 がま口会員の議員さんたちもそうです。気持の良いほどまっすぐ堂々としている、しかも謙虚で優しい人たち。私の誇りです。

2006年7月27日(木)  

その@

水野スウさんが「がま口塾」の体験記?をHPに発表してくれたので、感謝し、26日の日記に拝借。スウさん、ありがとう!
http://kimochi-tea.cocolog-nifty.com/blog/

ついでに5月11日のスウさんの日記を、ちょっとだけ泥棒します。ちょっとでも沢山でも泥棒は泥棒じゃが、ここは開き直って。

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 前略〜9teaの出前にいくようになって、そのときに必ず父の話もするので、このところ、父の存在を身近に感じることが多くて、それが、娘としては妙にうれしい。岸内閣のときの憲法調査会委員のひとりで、26人中、憲法改正に反対した6人のうちのひとりである父を、今、あらためて誇りに思うよ。とりわけ、9条を変える必要はない、と言い切っている父。すっごく保守的なひとだったのにね、15年戦争を体験してる父にしたら、そのことに関しては決してゆずれなかったのだろうな。

私が男の子だったら「憲一」と名づけるつもりだったという。父にとっては三男にあたるのに、それって不思議ですね、と、この前、9teaの取材にみえた朝日の記者さんに言われて、初めて気がついた。その意味でも、私はまさしく「憲法の夢のこども」の一人なのだと思う。〜後略
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そのAは後から。

2006年7月27日(木)  

そのA

 最終回「人と話すことは」のテープ起こし完了。のらりくらりとやって遅くなりました。何か脱力状態で進まないのです。これから「私の平和の創り方」に入ります。これはちょっと色々調べものをしながらになりそうで、やや不安。ガンバロウ!

 先日銀行で順番待ちの時に読んだ「週刊朝日」の記事が気になって気になって仕方がなく、今日又用があったので、どっちかって言うと、週刊誌を読むのがメインの目的で銀行の待合椅子に座っていました。今日に限ってお客が少なくて、すぐ順番が来て、つまんなかった。でも、記事は大急ぎで読み直せました。

 エジプトの東方の砂漠で駱駝7頭連れて1人で暮らしているサイーダという58歳の女性の言った言葉が忘れられなかったのです。97年以降雨が降らず、遊牧が困難になって、彼女の属するホシュマン族の殆どが砂漠の中の定住地に住み、観光客を相手に暮らすようになったというのです。現在は数家族しか遊牧をしていないそうで。

 彼女が駱駝とキスをしているように見える写真も相当なインパクトを私に与えましたがそこに書いてあった、彼女の言葉にシビレテしまいました。
「町は車や人がいっぱいで、自由に歩き回る事もできないし、飛んでる鳥を眺める事もできない。ラジオは壊れていて、世の中のニュースはめったに入ってこないが、戦争や人が殺された話ばかりだから、聞く必要はない」って。天晴れ!

私はよく思う。有名な立派なアナウンサーにならなくて、ショボショボで良かったって。だって、ニュースを毎日、見て聞いててごらん!殺したか、殺されたか、殺そうとしている話ばっかりだよ。そんな原稿読みたくないじゃん。きっと自分の心にも悪いよ。感動するニュースばっかり放送したいじゃん。
 

2006年7月28日(金)  

最終回の午後の部のテープ起こしもあと3分の1くらいかなあ。暑くて仕事がはかどらない時の対処法をあれこれ研究しました。ボールに氷水を入れて、タオル2本を入れ、ダホダボ状態に軽く絞って、頭に一本載せて河童。肩から羽織って、まるで海。水浴。そして腕や手も冷やす。あした完成すればいいのだけど…あまいかなあ。

 夜訴訟の会のスタッフ会議。控訴のための進行協議が20日に開かれて、控訴審は10月17日に決まりました。新しい裁判長、左右の陪審、書記官とも目をきちんと見て話す、初めて話を聞いてくれると感じた人達だったそうです。被告国からもいつもの担当者が出ていて、内田裁判長の時とは全く違う態度だったとの事。いかに内田裁判長が異常な指揮をしたかという事です。おかげで消耗しきった私達です。やや光が細く薄く射して来た感じ。

 イギリスで、家族がイラク戦争に派兵されて亡くなった4遺族が裁判を起こし、控訴審が一審を翻して、国、つまり、ブレア首相に説明責任があるとした判決をだしたという事が話題になりました。日本も小泉さんに出廷してほしい!!!

2006年7月30日(日)  

29日(土)の日記

 頭や腕や手の火照りと闘いながらテープ起しにふーふー。午後ゆったり工房のあじさいコンサートに出かけました。去年はステージ。今年は客席。どこにいても自分の位置は気持ちよく、何の違和感もないのは、すべてがあたたかいからなのでしょう。1000人ホールの6割を埋めるのが目標でしたが、700人の盛況。障害者自身が実行委員長をこなし、司会も新しいメンバーが立候補して、堂々たるものでした。年を重ねる毎、皆が自信をつけてステップアップしていくのが目に見えて分かります。
 がま口の会員さん達や、懐かしい面々にもいっぱい会って楽しかった。帰り道を送ってくれたGさんと、ちょっと途中でお茶。ええーい。テープ起こしは忘れる事にした!

30日(日)の日記

 ひたすらテープ起こし…。最終回に胡瓜のキュー?ちゃん漬を大量に作って持ってきて下さったKさんがピンポーン。又一袋届けて下さって、好評で皆に作り方を尋ねられていたようで(あの日、私は何がどうなってたかさっぱりわかりませぬ)、そのレシピを便りに同封できるよう、たくさん印刷してわざわざ持って来て下さる!うーん。今回は重さが気になっています。32ページだもんねえ。うーん。何とか入れられますように。

 時計と睨めっこで長電話を1つこなしていたら、又電話。何と北京師範大学のツァイ先生からで、名古屋駅のマリオットホテルからだって!今日の夕方しか時間がないという事で、出かける。ちょうど印刷に当てる時間だったけれど、ええーい、忘れることにした!
と言うわけで、印刷と発送は明日と明後日になりにけり。


 5年前に北京で私がお手伝いした日本語の教科書の原稿料の残りを持参して下さったのでした。5年ぶりの彼女は相変わらず173cmの長身で、かなりお疲れの様子。夏休み前に修士論文を9個も読んで、教科書作りにも関わり、授業もこなし、5s痩せたそうです。

 私達が作った教科書は、中学・高校で既にある程度のレベルに達している人達用のものだったけれど、今、中国全体では英語に重点が置かれ、日本語を早くから学ばなくなってしまっているので、なかなか売れないのだそうです。代わりに大学で第二外国語として学ぶ人の為の、初級者用がよく出ているそうです。そして外国では中国語ブームなのだそうで。ありゃありゃ、中国では日本語は姥捨て山になるのかなあ。

 頂いた原稿料は、小額だけど元だったので、とっても元?気が出て、またまた北京へ行きたい病。今年の北京は冷夏で寒く22度位で、既に秋の様だそうです。暑い名古屋にようこそ。マリオットホテルなんてリッチなホテル、すごーい!って思っていたら、トヨタの招待で、同行は北京外語大学と、清華大学に出来た日本語学部の教授。なーるほど。外語大学の教授は燕ちゃんの恩師でもあるので、先生方にちゃんとご挨拶してきました。

2006年7月31日(月)  

パソコンからプリントアウトする印刷機の調子が悪い!時間がない!ハッと思いついたのは、いつものコピー屋さんにデータもって行けば出力してくれる事。あーあ良かった。CDRにコピーして持って行きスラスラスーイスイとまではいかないわね、多すぎるわ、今回。でも頑張って半分の人に発送すませました。後半分は今夜やります…が、只今、燕が最寄の駅についた模様。迎えに行ってきます。2^3日、やかましくなるなあ。

 しばらくテレビもじっくり見てなかったら、レバノンの悲しい悲しいニュース。報道ステーションで悠太さんがニュース読んでました。どんな気持で原稿読むんだろうな。私だったら、多分普通には読めなくなっちゃうだろうな。人間は悲しい動物。

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Akiary v.0.51