女王さまのノーテンキ日記

女王さまという名前の由来はMr.ビーンの一言からだった
小柄な体からは想像もできないノーテンキさ加減にして 何事も鷹揚な所は
Mr.ビーンの心配の種 稼ぎが幾らなのか 出費がどのくらいなのか全く意に介さないのは勿論のこと
やりたい放題のマリーアントワネット おまけにパソコンにハマリまくりのネットの豚(略して  “ねっ豚”)  
Mr.ビーン曰く「ボクは女王さまにかしずく召使いだよ〜トホホホホ〜」
さぁ その日常は・・・




2005年の日記

「netton女王さまのメモメモ日記-2-」日常の画像付き日記は こちら 



  2005年12月20日『バタバタの日々』
 
  外見を見る限りsayucchiは堂々たる体格になり、もっちゃんはよくみないと妊婦だと確認できない程スラリとした体系だ。
 だから電車に乗った時等は両者の扱いに差がでてくるのだった。ところが、お腹の赤ちゃんはと言うと逆で、sayucchiに
 関してはお腹の子が育っていないと言われて、かなりの心配の種だったのである。  
  いよいよ二人が出産間近になって、もっちゃんは里帰りしsyaucchiが我が家にやってきた。
 女王さまは慣れない召使いに成り下がってキリキリ舞の日々が始まった。掃除、洗濯、食事の支度・・・それはまぁ主婦業
 として当然の事だけど、3歳になったばかりのAIBOの存在には参ってしまった。
 敵にしてみれば『グランマはボクの下女』の何物でもなく、遊びの相手、抱っこで冷蔵庫の中の食べ物や飲み物をくれる人、
 思いっきり甘えさせてくれる人、とまぁ躾の悪い仔犬状態だ。泣きたいほどに困ったのは「お風呂嫌い」「歯磨き嫌い」「寝つき
 が悪い」の3悪。しかし、敵もさるもので安静が必要な母親が入院してからはすっかり良い子に変身してしまって入浴剤効果
 もあってか、進んでお風呂に入ってくれるようになった。歯磨きは強迫観念を取り除く為に強制はしなかった。
 寝つきの悪さも根気良く「女王さまオリジナル名作童話」を睡眠導入剤に適用して成功。要するにつまんないストーリーに
 仕立て上げたってワケ。
 本物の召使いにも必要以上の用事を無理強いしてしまったのは当然の成り行きでしょう。f(^^;)

  そして、その日が来た。
 よく言ったもので『案ずるより産むが安し』でsayucchiは18日間の入院の末、チッチャイながらも元気な男の子ASIMOを
 出産し、4日後にはもっちゃんが300g上回る体重の男の子PAROを出産したのである。

 あれからほぼ一ヶ月、今日はもっちゃんとPAROが実家から戻ってくる。   
 
 

  2005年12月13日『New York イルミネーションツアー』
 
   Mr.ビーンは長期休暇を消化できないままもんもんと過ごしていたけど、ようやくその日が訪れた。でも半分。
 ビーンに旅行のキャンセルを言い渡される事は過去にも沢山経験があるので、喜びも半分にしてその日を待った。
 豪華客船でギリシャ・エーゲ海の旅、それから北欧フィヨルドのクルーズ、ピーターラビットの世界はどう?と夢だけは
 膨らんでいた。・・・がしかし、ビーンの仕事の理由だったり、娘達の出産や老母の介護などが割り込み、待っても待っても
 日は過ぎるばかり・・・。やっと旅行会社からチケットを入手したのは師走を迎えようとしている頃になっていた。
  ホテル3泊の宿泊代と往復飛行機代だけの『お手軽激安ニューヨークXmasイルミネーション・ツアー』と勝手に命名して
 機上の人となったのだった。

     

   時差14時間、飛行12時間で着いたのは前日の降雪でチョ寒のニューアーク国際空港だった。
 旅行代理店の方にホテルまで案内されたらもう帰るまで自由行動。ニューヨークのホテルは狭い部屋が多いと聞いていた
 けど、意外や意外寝るだけの部屋にしては充分すぎるくらい広かった。

     

     

  食事にはあまりお金をかけない事にして、ファーストフードっぽい人気のお店を探して食べた。それにしても最初の夕食が
 お寿司のカリフォルニア巻き弁当だったとは・・・。 f(´^`;) なんちゅ〜〜こと〜?♪
 毎回、毎回、あまりにも多すぎる量に辟易しながら、二人でチョイスして食べていた。グランドセントラル・ステーションにある
 「オイスター・バー」に行った時も当然のようにパンやおつまみがでてきて、スープとロブスターでお腹一杯〜!!

    

    

  リンカーンセンターのツリーは白一色で楽器のオーナメントが可愛く、噴水とマッチしてバレーやオペラの文化施設に相応しい
 雰囲気をかもし出していた。それと、タイムワーナーセンター エントランスの光のショーに巡り合ったのがラッキー!
 あれっ?エスカレーターの下を覗いたら初日にカリフォルニア巻きを食べた所だったぁ〜〜♪( ^▽^)σ)~O~)
 13時間も飽きずに歩けるだけ歩いた一日目だったけれども、前日の後遺症か二日目には女王さまが足首の捻挫状態で、
 ビーンが腰痛で・・・と二人共足腰が痛んでタクシーで移動する・・・という悲しい現実に出会ってしまったのだ。
 だってぇ〜!正味二日半しか遊べないんだも〜〜〜ん!!
 正統派なら「メトロポリタン美術館」や「近代美術館」「自由の女神」
 ただ、残念なことは積雪と足が痛くなった事でセントラルパークを歩けなかったのが、残念でたまらない。


     

       

  ロックフェラーセンターに行ったのは日が落ちる前だったので、これまたチョット残念。で、他を廻って再び戻ってきたら
 長蛇の列で写真を撮る事すら出来なかったし、エンパイヤステートビルではデジカメが電池切れ・・・ガーンw(☆o◎)w
 街を歩いているとスターバックスのXmasレッドカップを持った人にナント沢山すれ違った事か♪・・・すごすぎる。

  帰国後、時差ぼけのままノーテンキババ集団の忘年会に直行した事は間違いな〜〜い。

 
  

  2005年9月12日『こうのとりが運んでくるもの』
 
  Jazzyの嫁もっちゃんの妊娠を知ってから数週間もしないうちにsayucchiからも妊娠を告げられたのは春爛漫の頃だった
 ろうか?あまりにも唐突だったので思わず過激に笑い転げてしまった。
 だって、出産予定日が殆ど一緒なんだもの・・・。こんな事ってアリ?
 おまけに二人とも男の子だと予想されていて、先が思いやられる。・・・って別に女の子を望んでいたわけでもないけどね
 NHK朝のドラマ「ファイト」を見る限り、似たようなストーリーになりそうな気配なのもネタ話しになりそうだ。
 そしてもっちゃんは子供の為にと、結構気合を入れて携わってきた好きな仕事をあっさり辞めて子育てに専念すると宣言した
 のには見上げたものだと感心してしまった。
 二人とも今は穏やかな日常を送ってくれているので、こちらも安心してみている。
 今頃どんな名前を考えているだろうか? 楽しみなnetton女王さまも思わず「赤ちゃんの名前」をWeb検索してしまったり
 してぇ〜〜〜☆。 よい名前を授かりますように・・・。

  少子高齢化時代に小さな光を灯して欲しいと思わずにはいられない。
 
 

  2005年8月31日『遅まきながらの夏休み』
 
  8月も下旬になると、バカンスに出かける人も少なくなる時期。 学生達は新学期の準備、お父さんお母さん達も子供達の
 宿題のサポートでそれどころではないかもしれないね
  我が家は季節外れの夏休みで「涼しい所ならどこでもいいや」って感じで白樺湖近くの車山高原のリゾートホテルを選んだ。
 茅野市、諏訪市のあたりには観光スポットがいろいろあって、簡単に車で移動できるのがいい。
 まぁ 2泊3日、二人で喧嘩をしないで無事に戻ってこれればいいじゃないか・・・。
 ホテルのロビーに入ると迎えてくれたのは無料サービスの一杯のコーヒー。うんうんいいねぇ
 しか〜し!タバコをすわない召使いは室内の臭いに敏感に反応して「禁煙ルームはないのか?」と電話をした。ざ〜んね〜ん! 
 ところがもっと残念な事に、ノートパソコンを2台も持ち込んだのに、インターネットができる環境にないホテルに来てしまって、
 前もってリサーチしていなかった事を悔やんだが後のマツリ。
 
  この美術館が出来た15年ほど前に女王さまが「行ってみたい」と言ったとか言わないとか・・・覚えていた召使いの提案で
 「マリーローランサン美術館」
へ。彼女の生い立ちを知ると作品も新たな顔を見せてくれるのが意外だった。
 季節外れで見応えはないだろうと想像してはいたが、一度は行ってみたいと思っていた「バラクラ・イングリッシュガーデン」
 園内が静かなだけに大阪弁のおばちゃん達の大声が気になって気分を壊した。またよい季節に訪ねてみよう。
 昔、手作りベアを作っていた事があったので「蓼科テディーベアミュージアム」に足を踏み入れた。不思議なもので、自分が
 小さな子ども達を見る目になっているのが笑える。召使いもしっかり付き合ってくれて、愛車住まいのロードスターベアくんの
 ためにハデなボーダー柄のシャツを自分で選んで購入してしまった。ヾ(@^▽^@)ノわはは そして高原特有の雨。
 召使いが期待していた一時間半のウオーキングコースの「八島ヶ原湿原」を歩いた。ここでも夏の終わりの中途半端な風景は
 期待に沿ってはくれなかったが、土を踏みしめて歩くってなかなかいいじゃ〜〜ん!!途中で雨に降られたのもご愛嬌。
 本日は晴天なり” 爽やかな空気を吸い、目には緑を楽しみながら散策できる「美ヶ原高原美術館」は標高2000mに展望
 台があり、13万uの草原の屋外展示場には多数の現代彫刻が展示されていた。あまり美術には造詣が深くないので、熱心に
 作品を鑑賞することはなかったが、足元に咲く200種類の高山植物が可愛い顔で迎えてくれているようだった。

       

         


  食べる事にはチョットこだわって一日目のランチは雑誌「dancyu」に載っていた「エスポアール」というオーベルジュスタイル
 のフレンチのお店に行った。白樺の林の中の小さなレストランはガラス窓に覆われたバルコニーになっていて、2〜3組のお客
 様が出入りするだけの静かな店内だった。
 メニューは説明なしの画像で紹介することにしよう。どれも素材にこだわった贅沢で上品な味わいだった。
 一品だけを紹介すると、地元で採れた名前も知らないキノコ達をふんだんに使ったコンソメスープが絶品!と言っておこう。
 現役をリタイヤされたか上品な白髪のオーナーさんに3室しかない部屋を案内してもらいながら聞いたところによると、9月1日
 発売の家庭画報10月号にこのお店が掲載されるという。
 興味のある方はP138〜P141をチョット立ち読みしてみて下さい。

         

         
 


  ホテルに着いた日の夕食はバイキングで、翌朝もバイキングだったがエスポアールの余韻を残して充分だった。
 二日目の昼はタクシーの運転手さんオススメのバラクライングリッシュガーデン近く、石臼挽き手打ちそばの店「みつ蔵」
 前日の重たい食事から開放され、満足した。今夜はフレンチのコースが予定されているんだもの・・・。
 おしながきには「本日の蕎麦の生産者は小林一茶さん」だって うぶぶ なんだろ?
 人間って3食たべなくてはならないのだ。
 三日目の朝はホテルの朝食コース、昼は帰途に向かう途中のビーナスラインから外れた山懐のやはり蕎麦屋。拘りの店主と
 美人の奥さんが供してくれる揚げたての茸、カボチャ、オクラ、ししとう、みょうが、茄子、冬菜、といった山盛りの山菜の天ぷら
 は蕎麦をしのいで美味しかったのが心に残った。店を出るとテラスから手を振ってくれる店主、これもサービス効果・・・。
  余談 : 常連さんとおぼしき、どうみても右手が不自由そうな老夫婦が乗ってきた車がベンツのスポーツカー。我々の後ろを
  軽快に走っていたがホントにあのお二人が乗っていたのだろうか?は想像の他である。
 
  習慣って面白いもので、朝もゆっくり寛げばいいのに、6時過ぎたら目が覚めてラジオ体操(テレビ体操)の時間になった。
 テレビをつける・・・あれっ!教育テレビが受信できない・・・てな訳で音響効果ナシのストレッチングに切り替えるが、窓を開けて
 高原の空気を吸うとそのまま吐き出したくない気分になった。
 少々ぬるい温度に設定してある屋外のジャグジーが気持ちよく、やや曇り空の数少ない星達を眺めていたら俗世間を忘れて
 長時間湯に浸ってしまった。そんなに辛い苦労を重ねて生きてる人間でもないんだけどね
 召使いは今頃・・・メールチェックのためにPHSの電波がとどくエリヤを求めてどこかを彷徨っているんだろうか?
 そういえばパソコンがライフワークになっているnetton女王さまにとって持ち込んだノートパソコンが使えないのが、何故か
 片足をもがれた気分になるのだった。ランケーブルを繋がせていただける所がなく、ひたすら古い箱型ディスプレィの無料で
 使わせていただけるパソコンを発見してそこに日参したのであった。
 次回はそつなくインターネット可能な施設を探そうと思った旅のおわり・・・よ〜ぉっ!お手を拝借

      
  
 

  2005年8月22日雑感『暑かった一ヶ月』
 
  この夏はエアコンの故障に始まってまぁいろいろありました。
 故障といえば自分の体力も歳とともに次第に故障へと足を速めているように感じる。
 階段の上り下りにしても、一気に3階まで足を運ぶとふくらはぎから膝辺りにジンジンと違和感を覚える。さては血液の循環が
 悪くなっているんだな?と実感する。ラジオ体操をすればリズムが狂っていつの間にか間違った動作をしてしまう。
 横断歩道を走って渡ろうとしたら急に膝の筋肉が緩んで躓きそうになった。
 自転車に乗っても、自分はカッコよく走っているつもりが「高いサドルは危なっかしいよ」と言われてしまう。
 暑さに絶える術も欠落しているので、昼寝をしないと体力が持ちましぇ〜〜ん!で、知人から教えられた昼寝法を実行している。
 眠たい限界に来たところで、コーヒーをグィッと飲み干し、タイマーを20分にセットしアイマスクをして横になる。
 たまには失敗する事もあるけど、心地よく目覚める事間違いな〜〜ぃ!!
  故障は体ばかりではなく・・・。
 能力知力も足並みを揃えてくるもんだから、も〜〜だ!置き忘れ、買い忘れが多い。せっかく昨年末手に入れた携帯も不携帯。
 予定等は携帯のスケジュール表に書き込むので、それを見れば安心だ。けど、その安心が曲者でスケジュール表を見ないと
 サッパリ自分の予定が分からない。 なんともまぁ 悲しいではないか。
 召使いにしてもそうだ。一度「行って来ます」と玄関を出るからカギを掛けると必ず一度は戻ってくる。ある時は忘れ物をしたから
 持ってきてと言われるので慌ててすっ飛んで行って届けたのは良かったが、戻ってきて鏡を見たら寝起きのスッピン顔には眉毛
 が無い。おまけにシャツを裏返しに着ていたではないか・・・。トホホホホ
 自分を恨むより召使いを恨んでしまったが、そんな彼も今では居直ってしまっているので余計に腹が立つ。
 ・・・な訳で「絶対」とか「完璧」とかいった言葉は女王さまの辞書からはすっかり消え失せてしてしまっている。

  今年の夏も暑かった。
 新しいエアコンを設置して以来クールビズとか言ってエアコンの温度設定を28度にしたら、リモコン画面にニコちゃんマークが
 現われて苦笑した。
 来客時にエアコンをつけたままベランダの戸を全開にしたら、お客さまに「気持ちいいですねぇ 涼しい風が入ってきますよ」と
 喜ばれた。観葉植物の緑が効果を増したのだろうけど・・・。今年最高気温35度の日だった。 

 たまにはいいじゃな〜〜い?
 
 

  2005年7月26日『やってきましたエアコンの寿命』
 
  16年間働いてくれたエアコンが数年前から徐々にSOSを発してミニストライキを起こしていたのは知っていたが、まさか
 梅雨明けにダウンしてくれるなんて、想像もしなかった。
 夕食時、久しぶりに訪ねてきた息子夫婦と手巻寿司で一杯やっているところで、「どうも部屋の温度が上がったみたいね?」
 と温度計を見たらホントだ!気温が1℃上がっていた。
 そう言えば、結構激しい騒音を発していた室外機が大人しいではないか・・・。ベランダに出てみたら室外に流れ出るはずの水も
 出ていない。 これは完全なる故障である。゜(゜´Д`゜)゜。ウワァァァァァン
 それより前にこれまた頻繁にエラーを発している給湯器も交換しなければならないと思っていたのに、この夏は出費が重なり
 そうな気配である。 気配どころか実感である。
 給湯器がダウンしてしまうとシャワーを浴びる事が出来ないではないか。更に゜(゜´Д`゜)゜。ウワァァァァァン だ!
  考えている時間もないからデンキ屋のハシゴと価格ドットcomで検討した。
 ランランラン・・・なかなか素晴らしい機能を持ったエアコンたちが並んでいるではないか。
 自動で酸素チャージして換気をしてくれる。フィルターを勝手にお掃除して、脱臭もしてくれる。均一に温度がまわるように感知して
 くれる。適度な湿度を保ってくれる。・・・と、もう至れり尽くせりである。

  本日古いエアコンが取り外された。長い間我が家に尽くしてくれてありがとう!!

               
                 
 さて、次はどんなエアコンが来てくれるのだろうか?
 

  2005年6月28日『らんらんらんのプチプチ旅行』
 
  気の合う仲間とこんな過ごし方をするのって・・・どう?
 徒歩5分くらいの所に昨日オープンしたホテルに予約を入れておいたのは、数十日前だった。
 近場のホテル宿泊の前科のある4人は閑散期のスタンダードルームのバリュー料金を狙ってこの日を設定したのである。
 心得たもので旦那や子どもをいとも簡単に手なずけて、自らを主婦業から開放したのである。
  手始めは、ケーキとドリップバッグとティーバッグを持ち込み、チェックインするやいなや即刻ご旅行気分になる。
 ティータイムが終わるか終わらないうちに、勿論持ち込みのノートパソコン2台を取り出し、共通の趣味であるパソコン三昧。
 『なにも、ここまできてパソコンでもないでしょ〜〜〜?』 とおっしゃるアナタは理解に苦しむ事でしょうがチガーウ(-_-)ノノ
 メールチェックに爆笑面白サイト、ブログの更新と、ハマると腰が上がらない4人だが、さすがに空腹には絶え切れず、以前
 から目をつけておいた焼き鳥屋に直行。鳥インフルエンザウイルス事件も何のその、なかなか美味な焼き鳥だったので、
 大満足のアルコールの量も進むというもの。 
 ほろ酔い気分の頬を初夏の夜風にさらしながら歩くこの心地よさはなんだろう? これぞ現実逃避感・・・。
  ホテルの部屋に戻るとバタンキュ〜のマーライオンも居たけれども、あとの3人はまだまだ余力があって入浴後にマッサージ
 をオーダーし、パソコンを復活させて迎い酒に浸った。 いい気なもんだ♪
 そうこうしている内にマーライオンが起き出して活性化するもんだから、ゲームに興ずる事にした。
 ○×ゲームの答えを間違えると自ら顔に×シールを貼るというゲーム・・・この問題少々古臭くて興ざめだったね

       
   <左>客室に向うエレベーター <中央>ゲームの×シールを貼ってご満悦 <右>ハブまで持ち込んだパソコン三昧

  普段善良なる主婦だからこそご乱行も出来ずに一夜を明かした4人は、すっきりと7時には起床してスパに向った。
 ここは宿泊客でないと利用できないという希少の場所だったからである。もう2度と来ないかも知れないではないか!!
 何もかも新しいという事は気分も新しく感じるものだ。41.5度の温泉に浸り、ゆ〜っくりと観葉植物が茂る露天風呂で朝の
 空気を思い切り吸うと一瞬若返ったような気分になった。

       
   <左>スタンダード客室 <中央>スパは宿泊客専用で温泉・ジャグジー・露天風呂・サウナ <右>T寿司特別ランチ

  さて、朝食はどうしようかと相談して決まったのが、主婦の発想でコンビニのおにぎり&サンドイッチというささやかなもの
 で、お昼をこれまた数日前にオープンしたT寿司で豪華ランチにする為にお腹は軽〜くしておきましょうという用意周到。

 そして、お腹満腹、気分満点、それ以上何を望むと言うのか・・・まだまだショッピングへ・・・映画へ・・・と続く
 
 

  2005年6月22日『らんらんらんのパソコンごっこ』
 
  かれこれ一年になりましょうか? 週一回のペースでパソコンごっこを始めたのは・・・。
 きっかけはPちゃが「少々時間が出来たのでホームページを作りたい」と言った事からだった。それならすごい先生がいる
 から彼女にお願いしようと提案した女王さまは、やや強制的にBちゃんを先生役にしてしまったのだった。(悪い子)
 そして、女王さまは場所を提供しながら、「おこぼれちょうだい」のチャッカリ生徒さん。
  コーヒータンブラー片手にパソコンパチパチ・・・分からないところは速攻Bちゃん先生の手が伸びる。
 Pちゃんはしっかり自分の世界を持っているので、すごい勢いでページを増やしていった。それを見ているだけの女王さまですら
 毎回目からウロコだらけで 『超』 気持ちいい〜!!。
 だから、あっと言う間に時間が過ぎてしまう。これがまたなんともかんとも充実してて楽しくて仕方がないのですよ
 今日はPちゃんがランチをご馳走してくれるというので、近くのフレンチレストランへ・・・お腹も満腹、気分も満腹 (*^。^*)
 「どうぞ終わりがありませんように・・・ア〜メン」と祈った今日であった。 
 
 

  2005年6月12日『17冊の手帳』
 
  風邪が長引いていて外出をひかえていた。
 横になるほど体調が悪いわけでもなく、咳が出て多少微熱が出ている程度なので、家事には差し支えない。
  専業主婦になってからは持っていなかった手帳を、アルバイトを始めるようになってからまた持つようになった。専業主婦に
 戻った今では携帯電話にスケジュールが入力できるのだから不要になってきたのとで、今では古本と並んで17冊の手帳が
 雑然と置いてある。
 継続的に日記は書いていないので、過去の記憶や記録を辿るために取り出して見ることはあるけれども、殆どはホコリを被って
 眠っている遺物だ。薬のせいで怠惰になっている身体をもてあまして、ボーッとしながら何気にその手帳に吸い寄せられるように
 17冊を取り出してきた。 パラパラパラ・・・
 ヾ(@^▽^@)ノわはははは 自分の忘れていた過去を思い出すのって結構面白い。
 大人になりかけた娘や息子とのそれなりの葛藤が短い文面から見えてくる。読んだ本の感想とか時には短歌や俳句になって
 いるときもある。友達関係も少しずつ変わってきた。あ!HちゃんとAちゃんと初めてアドレスを交わし合ったのは3年前だったね
 まるで旧知の友のようなお付き合いさせてもらっているけど ・・・と嬉しくなったり。

 手帳に書いてあった本当に出会った面白話
 * 店員「ご自宅のお電話番号を教えてください」
   客 「・・・チョット忘れましたので、家に電話してみます」
   店員「?×?○?」
 * 花屋の店先にて 知ったかぶりの男が美人の連れに
   「この花はねぇ 知ってるかい?シンポジュームというんだよ」 
 * 父「お父さんは今年も人間ドッグを受けてくるよ」
   息子「・・・ってお父さんは犬になっちゃうのぉ〜?」
 * 娘「おかぁさ〜〜ん!入学願書に「ハジ子」って書いたでしょう。 恥じかいちゃったよ〜!聡子」
 * 妙齢のご婦人「私たちダンコン(団塊)の世代でございましょ?」
   私       「いえ!あの!あ!う!ですわねぇ」
 * ステーキ屋にて
   店員「焼き方はどうなさいますか?」
   紳士風の客「ミュージアムで・・・」
 * 女1「会員制のスイミングクラブでビギナー料金払って泳いできちゃったわよ〜〜」
   女2「貴女はビギナーかもしれないけど、それを言うならビジターって言うんじゃないの?」
 * 電車ごっこのゲンちゃん
   「右に曲がりますから50円(ご注意)くださ〜ぃ!」
 * 子供「あ〜かちゃんの時からカネボウけいと!」(ありましたね 鐘紡毛糸のコマーシャル)
   父親「コラ〜〜!(`・ω・´) 赤ちゃんの時から金儲けとはナンダ〜!!」
 * 父が昔乗っていたスクーターの番号 4256(死に頃) 気に入ってたんです。
 * 人命救助研修会にて(人工呼吸)
   「はい!いいですかぁ〜!胸のボッキ(突起)の部分を押さえて・・・・・・・・・・・」
   「ぷっ!」
  

  2005年5月30日『K先生に心からお礼を・・・』−2−

  先生自作の童話がある。その主人公のようなファンタスティックな雰囲気を持ったK先生、あまりにもお忙しい毎日を送って
 いるので、時にはズッコケる事もあったけれど、そこは愛嬌の子供の頃のニックネームは「ペコちゃん」。
 ある時メールに何気なくメル友から送られたペコちゃんの画像をパクって送ったら、「なぜ私のニックネームを知ってるの?」
 と驚いていた。・・・こっちが驚いてしまいましたよ。
 そんなお友達のようなお付き合いをしてくださった先生の下でフラワーデザインのお勉強が出来た事はラッキーだった。
 お稽古の後に車で自宅まで送り届けてくださる先生なんて聞いたことないでしょ? ホント!!
 広い意味でのフラワーデザインと言える植物で作る「童話の世界」を形にする作業のお手伝いの中からも、いろいろ学ぶもの
 あった。これは先生独自のオリジナル作品と言えた。
 今思えばもっともとお手伝いをしておけばよかったなぁ〜〜と残念に思う。 オソイ〜(-_-)ノノ!
  けれど、先生とのご縁は切れた訳ではなかった。
 それはひろりんご指導のホームページのお勉強をご一緒させて頂いていて、楽しい時間が共有出来ている。
 これはまだ終わっていないのよねぇ まだまだ まだまだ続けましょう。 ランランラン

 そして、これからに向ってお体に気をつけて、どうぞお元気でご活躍ください。
                                                          
 

  2005年5月30日『K先生に心からお礼を・・・』−1−  

  K先生を感謝をこめてお送りするお食事会だったのに、何となく寂しいテーブルになってしまった。
 モネの庭お思わせる美しいレストランの一角の・・・外は雨。
 先生のご事情で今日限りご指導を受けられなくなってしまった9人の生徒達が集まった。
  初めて先生にお目にかかったのは、U市に移ってご縁あって夢だった花屋で働き始めた頃と時期を同じくした5月29日だった。
 たまたま以前の住まいでお友達になったYちゃんとフラワーデザインの体験広告を見て行った所に、マミ・フラワーデザインの
 講師をしていたK先生に出会ったのであった。
  あれからちょうど10年。
  花屋での仕事は体力的にキツイものがあったけれども、忙しければ忙しいほど時間が経つのが早く充実していた。
 そして、フラワーデザインを習っていたお陰で、商品のアレンジメントも花束も自信を持って作ることが出来たのは、自身に
 とって非常にメリットがあった。
  ある時、フラワーデザイン展の大きなイベントがあることを先生から知らされて、興味本位で出展することになった。
 初めての体験はとても刺激的で勉強になったし、それをきっかけに限りなく広がる花の世界へとのめり込んで行ったのでした。
 そして、隔年毎に開催されるそのイベントの優秀作品として数回にわたって専門誌に掲載して頂いたのは思い出に残るもの
 であった。
 先生の更なる前進の為に大きな声で応援させていただきたいと思う。どうぞお体に気をつけてお元気でお過ごしください。
                                                                         −続くー
 
 

  2005年5月8日『時間が止まった』 −2− 

  その日は急ぎ朝のフライトで目的地に向う。 空の上ではうつろな気分が襲ってくるが涙は出ることはなかった。
 そうだ 2年間もベッドの上に横たわっていて苦しくないはずがない。母はようやく楽になれたのだ・・・と。

  2年前、事故は突然に起こった。2メートルほど下の小川に転落して頚椎を痛めてしまったのだ。それ以来一度も起き上がる事
 も歩く事も無かった母のはずなのに、苦しみのない幸せそうな顔が浮かんで消えた。
 温かく細かい心遣いで2年間ずっ〜とお世話してくれたTちゃんの尊い姿は忘れる事が出来ない。
 
  かなりの長時間にわたって、盛大な通夜と告別式が僧侶7人も並んで地方のしきたりに従った葬儀が進められていった。
 言葉は悪いがまるで僧侶の為に用意されたイベントのように思えて仕方がなかったが、鐘や太鼓や銅鑼の音とともに読経が
 波打つように遠く近く聞こえてきて、うつろな脳裏に心地よかった。

  二日間に渡ったイベントが終わって一段落し親戚達が帰って行ったその時に、私はやってはならない事をやってしまった。
 この地方では家長制度が根強く残っていて、入浴順序は今も固く守られていることは知っていたのにもかかわらず、家族の
 親しさに甘えて一番風呂に飛び込んでしまったのだった。 
 飛び込んで真新しいきれいなピンク色の入浴剤に染まった湯船を見た瞬間に 『しまった〜!』 と思った。
 あぁ〜!恥ずかしい〜!!この歳にしてなんと奔放にしてノーテンキな自分・・・。
 とうとう湯船にも身を浸すことなく、惨めに濡れた身体であがってしまったのだ。 <("O")> オーマイガッ!!!

  5月8日から自宅に戻るまで、私の中で時間が止まった。
 
 

  2005年5月8日『時間が止まった』 −1− 

  召使いは3箇所のヨットハーバーでクルージング三昧、女王さまはフワラーデザイン三昧と言う、毎年ゴールデンウィークは
 夫婦がアッチ向いてホイ!の習慣になっていた。・・・が今年は違った。
  数週間前から召使いの母親が危篤状態を繰り返していてそれどころではなく、落ち着かない日々を過ごしていた。
 やがて逝去の知らせ・・・。
 心の準備は出来ていたものの、知らせを受けた当初はやはりうろたえてしまい、頭が突然に空白状態に陥った。

  昨年春に施設を訪ねたときの事、清潔な明るい部屋には優しいクリーム色の光が差し込んで暖かかった。訪ねたこちらまで
 幸せな気分になるほど母は夢み心地に笑顔さえ浮かべてポツポツ小さな声で言葉を発した。
 『ほ〜〜!海が見える・・・あこの曲がり角にホレ!自転車が並んどるやろ?』
 『ほほほ あんたらどっから来たんや?』 『今日はぬくいねぇ』・・・と
  夏に長男夫婦を伴って見舞いに行ったときは殆ど会話らしい事はできず、二人の顔を認識することはなく、やはり笑っていた。

  勝気で頭の良い母は小学校から成績優秀で、徒競走をすればいつも一番だったそうだ。働き手として農家に嫁いでからもよく
 働いく良い嫁を演じていたのだろう。子供たちは祖母が育てたと聞いた。
 自分の手で幼い我が子をゆったりと抱きしめた時間はどれほどあったのだろうか・・・と想像してしまう。
 そんな母は、自分にも厳しく他人にも厳しかった。特に長男の嫁には・・・。
 それが、十数年前から徐々にボケ症状が現われてとうとう認知症と診断され、長男夫婦をどれだけ悩ませた事だろうか、言語に
 尽くしがたい。
 入院する前は、私などがたまに訪れるから喜んで身の回りの片づけを手伝わせたり、一緒に入浴して頭を洗わせたり、私の
 布団に入って寝ると言った事もあった。そして、聞いていてもいなくても延々と繰り返し話を聞かせて、家事を手伝っていると
 やめて話を聞けとまで言い、側に居た。正常な神経でない行動を取るのは病気のなせる業だ。
 よく、『実家に帰りたい・・・母親に会いたい』と洩らした。
  父は体力に自信があり、ゲートボールや朝のウォーキングなどの功績で、地域の運動促進団体からたびたび表彰された。
 そんな父だからこそ病気には疎い部分があるのかも知れなく、大怪我をして入院しても尚妻の認知症を認める事はなかった。
 そして、病院の指示もないのに自分流のマッサージなどを熱心に続けていたのが印象的だった。
  
 

  2005年4月26日『花の美術館最後の作品展』 

  毎年ゴールデンウイークにかけての2週間行われる花の美術館のフラワーデザイン展、今年のテーマは「ばら色の仲間たち」
 
が始まった。この作品展も8回を迎え、準備から後片付けまで思えばず〜っと参加いていたような気がする。
 フラワーデザインはYちゃんと二人で一緒に始めていろいろと花のデザインに限らず花の名前や作品をどの場面で使用するとか
 のマナーや色彩や植物にまつわるお話しなどの勉強をさせてもらった。
 勉強を始めたばかりの初心者なのに、大きなイベントの作品展も臆せず出展して多少の顰蹙をかったかもしれないが、それは
 それでいい経験になったと思っている。
 今では友人のお嬢さんのブライダルブーケなども頼まれて作る機会も増えた。
 今回の作品は初めて二人の合作となった。これが最初で最後かぁ〜〜〜!(*´・д・)(・д・`*)

  ・・・と言うのも慕っていた先生が訳あって教室をクローズすることになった。
 急な話だったので驚いたが、先生の前向きな姿勢とお人柄に打たれて蔭ながら応援したい気持ちになった。

  

   今回出展した作品2点「ご贈答用花の詰め合わせ」とYちゃんとの合作、新種のバラを使った「ブルーヘブンの迎え花」



  2005年4月7日『笑いは最大の防御なり』 

  NHKテレビで放映していた「笑いの活用」について書いてみよう。
 笑うことによって酸素が体内に行きわたり、64個の特定の遺伝子が活性化して血糖値を下げると言うものである。
 自然治癒力を高めるのに笑いが効果的だと、病気の治療に応用している話も聞いた事があった。

  20数年前に失ってしまったが、ガンコ一徹曲がった事が大嫌いだった父親(よく四角四面な人という比喩があるが、彼は三角だと
 言われていたくらいに・・・)がいた。これといって趣味のない父親だったが、仕事から帰るとキチンと和服に着替え、庭に水を撒き、
 大好きなビールを自分で用意してテーブルに座って相撲のテレビ中継を観るのを楽しみにしていた。座右の銘は分厚い百科事典。
 彼の周りにはピンと張りつめた空気が漂う。・・・がお酒が入って話が弾むとなんとも言えない粋なウイットとユーモアが飛び出し、
 皆を心から笑わせた。当時は城下町に住まいがあって、地元の人が先祖の自慢をすると東京育ちの彼は『私の先祖はサルです』
 などと平然と言ってのけ、人が演歌や民謡を歌うとドイツ語の歌やJAZZを披露した。ある朝、2階で寝ていた3人の兄弟に向って
 『起きないと拳骨だぞ!3分の余裕を与える〜〜!』と大声で怒鳴ったのを隣のおじちゃんに聞かれて笑いネタにされた事が
 あった。しかし、人を笑わせていた本人があまり笑わない人だったような気もする。そんな父親が私は大好きだった。 
  伴侶の召使いは若い頃クソ真面目な人だったのに、いつの頃からか・・・あ!そうだ!娘が嫁いでから「お父さんは壊れた」と言われ
 るようになったのだ。その頃からかどうだか忘れたが、落語にハマってテレビの「笑点」や「BS笑点」をかかさず録画して一緒に観な
 がらだらしなく笑っている。 時々発する寒〜いオヤジギャグを我慢して聞いていることが苦痛だったりするけどね。
 気のおけない友達とバカを言って過ごすのが一番の笑いの効用かも知れないなぁ〜と最近思う。
 おかげで今のところ病気には縁が無さそうである。

  人間は生まれて以来喜怒哀楽を表現する能力を持っている。それを上手に使いこなす事によって、人間関係をよりよく作り上げる
 道具になったり、身を守る為の道具のように思っている。「笑い」はその中でも気分を和らげ充実感を持たせてくれる人間になくては
 ならない武器のような気もする。笑いの効用としてはいろいろに研究され語り継がれてはいるものの、決定的な説得力はない。
 ・・・が実に心地よい現象を起こしてくれる機能なのである。
 現代病と呼んでいいのかどうか判らないけど、笑えない・・・笑顔を作ることが苦手な人が増えていると言う。そして笑顔を作る勉強を
 するセミナーまであると聞くから唖然である。
 そういう自分も普段スッキリと健康体だという自覚には乏しく、いつも気持ちよく笑っているわけでなく、ウダウダ過ごしているくせに
 お医者様に診てもらうのが大嫌いである。
 常備薬には正露丸と鎮痛剤、たまに市販の風邪薬を買う程度で済ませている。・・・というか願わくば病気に罹って死期が迫っても
 自然に任せていただいて、与えられた命を全うしたいと思っている。例え苦痛を与えられたとしてもである。
 それは安易な考えなのだろうか??? 読者のみなさま笑ってやってください。

 そういえば世間はお笑いブームとかでやたらと騒々しい・・・。
 駄洒落じゃなくてもっとお洒落なシャレが言えないのだろうカァーΣ^)/?

  笑ってごまかす方法もありましたっけねぇ

 

  2005年4月6日『まさか・・・DV』 

  ある日、sayucchiとステーキがAIBOを相手に楽しく遊んでいた。
 狭い部屋におもちゃ満載だから、大人が二人に子ども一人で満員御礼状態の中で遊んでいたのは良かったのだが、夢中で遊んで
 いるうちに勢いあまったステーキの足がラックにあたりそのラックが飛んだ!!
 『きゃぁ〜!』 sayucchiの声が飛ぶ・・・
 ステーキは足がガクガク AIBOはナニが起こったのか意味不明・・・..。
 そのラックはsayucchiの右目に当ったのだ。とりあえず眼科にすっ飛んで診てもらったら異常なし・・・それどころか視力は怪我をした
 右目の方が良かったんだって・・・。(^_^)v
 あぁ〜〜!良かった。でも、痛々しい青たんが残る。

 =後日談=
 sayucchi 『恥ずかしかったよ〜 一緒に歩いているとすれ違う人がDVだって思うんじゃないか・・・って』
 AIBO 『ママ泣いちゃったんだよ バンバンしちゃったんだよ』
 ステーキ 『ごめんね sayucchi 』

 念のため詳細を聞き出してみたけど、そこにウソはなさそうだ。 ステーキ ちょっとでも疑ってゴメン!
 
  

  2005年3月22日『日記のネタがない』 

  春三月、世の中花粉症・ライブドア・西武、おうむに殺傷事件などといろいろ話題沸騰の中、我が家の話題がすこしもない。
 家族が少ないんだからそれは仕方のないこと。
 毎朝決まったように会社に出勤していく召使いを追い出すと、あとは女王さまの天下だ!パソコン相手に一日中ゲームに興じて
 ても誰も怒らないし、部屋の床に綿埃が浮遊していよいうと、洗濯機の中で洗濯物が乾きかけていようと誰にも文句を言わせない。
 そして決まったように帰ってくる召使いがいるだけ・・・。
 要するに何もしなければ何もネタが生まれないのは当然のなりゆきだ。

  話題がないことを話題にするしかないのも寂しいが、考えてみれば『知らせがないのが元気な証拠』などとういう言葉もある
 くらいだから、まぁ いいのかもしれないな と納得している。
  力士の名前すら知らない相撲の中継を何気に観ていたら、外人さんの多い事・・・日本の国技とは最近言わないのだろうか?
 高見盛がキモイけどかわいぃ〜〜!o(*'▽'*)/☆゜'・:*☆ふわぁーい

  召使いが風邪をひいたらしい。医者から貰った古い薬を出してきて、11年も前の「薬がわかる本」で調べている。
 なにもそんな古いもの同士突き合せなくても、インターネットで検索したら?
 ・・・と4日後に義理堅く自分が発病した。。。・゜・(ノД`)・゜・。 ウエーン

  連休を使って召使いが自分の母親を見舞うためにいに行った。
 自分が行く時はかさばる大きな物や重量物は避けるが、それをいとわない召使いには大きなバッグを用意させ、あれこれと土産を
 詰め込んだ。こちらならではのディズニーランドグッズにマイブームの菓子類・・・
 風邪をひきかけていた召使いが帰ってくると前より重症になっていた。
 いろいろGetしてきた帰りの土産は珍しい海産物やこだわり塩、そしてアルコールがあまり得意でない召使い好物の「いがら饅頭」
 おまけに留守番の女王様への有難くない召使いの土産は風邪。 『う〜〜ん!喉が痛い 頭が痛い 熱がでそう』
 
  唯一話題にしたいのが『いがら饅頭』 ご当地では祝いごとに欠かせないものが五色生菓子。五色生菓子は、加賀藩2代藩主
 前田利長公が、後に3代藩主となる利常公の嫁として徳川秀忠公の息女(珠姫)を迎えられたとき、藩の御用菓子屋樫田吉蔵に
 命じてつくらせたもの。吉蔵は特に漆塗りの凝った容器にも吟味して5種の菓子器をもって納め、大変喜ばれたとの事。
  日・・・太陽をかたどり、円形の餅に紅色は日の出
  月・・・白い饅頭は月
  山・・・黄色く米粒をつけてあるのは、「いがら餅」ともいって山を象徴
  海・・・菱形の餅は海面の波
  里・・・蒸し羊羹は村里

 この五色生菓子は5種類一組となっており、現代でも広く祝儀用として使われている。
 
 
  

  2005年3月16日『春風が運んでくるもの』 

  いよいよ冬の終わりを告げるころなのだろうか、ベランダに出ると春風を肌で感じるようになった。
 ・・・とは言うものの何故か女王さまは春がお好きではないのだ (゜Д゜ ||| )冷汗 どうも体調がすぐれない。
 昨年はウツ状態が続いてちょっと困ったりしたが、今年も??? なんて思うと少々不安になってくる。不安になるから熟睡でき
 なかったり、「熟睡できないのはウツ症状が現われたかな?」なんて勝手な想像をしてるもんだからエスカレートしてしまうのだ。
  そうこうしている内に寝起きに左手を捻挫してしまった。。。・゜・(ノД`)・゜・。 ウエーン
 捻挫とウツは関係ないが関連付けてしまうのがウツなのかと又思ってしまう。

  フラワーデザインの作品展が3月(船橋西武)とゴールデンウイーク(花の美術館)に始まる。
 好きなことには気合が入るもので、花の事を考えると気分がウキウキしてくるのだから、まぁ重症ではないのだろう。
 大好きな先生(男性ではございません)の作品展の予定も見ることができるので、アクセスしてみて欲しい。
 花の美術館には女王さまも12日間ガンバッテ出展するつもりでいる。 ランランラン・・・なんてウツも吹っ飛んじゃう勢い。
  


  2005年2月18日『介護と言えばおこがましいが・・・』 

  程度の差こそあれ、自分の母親が高齢とともに衰えていくのを見るのは何とも悲しい。北陸在住の皇太后が冬になると暖かい
 こちらに来るのを楽しみにして来てくれていたのは、もう何年前になることか・・・。
 一人で上京するのが危なっかしくなってからは、兄弟で交代に送り迎えをしていたのが懐かしい。それもそう長くは続かなかった。
  そして、積雪の多い時期を狙って年に一度の女王さまの出番が今年も来たのである。
 卒寿を過ぎてもまだ一人暮らしを強行している皇太后は周りが心配しようと注意をしようと『私は一人で何でも出来る』と誰の意見
 も聞かないのだった。ようやく昨年あたりから介護支援を受けてその日暮らしをしている。

  2週間の滞在の間、母の様子を重々承知の口計動無とあっくんがよく気を使ってくれたのはとても嬉しかった。
  口計動無が誘ってくれたのは毎年行われている雪だるま祭り・・・今年は白山市桑島地区へ足を踏み入れた。
 何とも微笑ましくもかわいらしい手作りのだるまさんが並んでいる。笑っちゃうくらい可愛らしいのだ。同行した口計動無の末っ子
 Nちゃんは食べ盛りの中学生。スタンプラリーのように出店を探しては食べていた。お陰で岩魚の塩焼き、甘酒、栃餅ぜんざい、
 フランクフルトに昔ながらのラーメン・・・etc が身体に滲みこむように入っていった。

        

  
  次に行ったのは白山市(旧尾口村)の村人が保存してきた300年前からこの地に伝わる「でくまわし」
 国の重要文化財に指定されていてちゃんと「でくまわしの館」が存在していた。その日行われた人形浄瑠璃の演目は「大職冠」
 観客はバラバラに席を取って座敷に足を投げ出してはいるが熱心に鑑賞しているし、演ずる方も素朴で一生懸命だったので、
 その妙な雰囲気の中にハマってしまっていた。
  帰りに買った固豆腐は固くて大きくて野良仕事をしているおじさんのような存在感があった。それを刺身にして食べ、鍋に入れ、
 豆腐ステーキにして食べて大満足した。
 
  
   
    

   あっくんの存在は貴重だった。普段からこまめに皇太后を見舞ってくれているから一番の理解者だと思う。
 皇太后を訪ねる度に聞かされる毎度毎度のお決まり話しを根気よく聞いてくれているのだ。その忍耐力には敬服してしまう。
 2週間の皇太后と女王さまの生活を案じては『朝マック』(朝食をマクドナルドで過ごす事)に誘い出してくれると、一日が楽に
 過ごせる。姪達も時には女王様にイエローカード・レッドカードを出すが、少女らしい気遣いをみせてくれるのが嬉しい。

 そうこうしているうちにあっという間に2週間が終わってしまった。
 皇太后様お元気で・・・そしてみんな・・・ありがとう!!
  
   

  2005年1月29日〜2月1日『上海食べ歩き』 

  突然降って沸いたような話しが舞い込んだ。
 召使いの後輩達が上海に赴任しているJちゃんを頼って旅行の話を進めていたのだが、それを聞いた召使いは早速便乗計画。
 現地で7人が集合する事になって、それぞれのツアーで出発した。
  いろいろテレビなどの番組で世界のホテルに精通?している召使いは、ホテル重視のツアーを選んで「リッツカールトン上海」
 に連泊する事にした。召使いのお勧めだけあって落ち着いた雰囲気のホテルだったので安心できた。
 上海に赴任しているJちゃんに全てをお任せしての4日間は食べ歩きの合間に観光・・・と言ったところで、nettonさんご満足。
 観光は「蘇洲ドライブ」「虎丘」「豫園」の2ヶ所のみで、後はショッピングコース。
 男たちが結構買い物に走っているのをnettonは感心してみたり冷たい視線で追ってみたり・・・。

      

      

  食べ歩きはいっぱい・・・ディンタイフォンと言えば日本でもショーロンポーが有名で行列が出来るほどの人気の飲茶だけど、
 当地の味には到底勝てないだろう。小肥羊の火鍋・・・上海に火鍋の店はいろいろあれど、小肥羊の火鍋は超リーズナブルで
 美味しいとはずっと付き合って下さった運転手の華さんの言、の夜景とワインは聖路加タワーからの眺めを彷彿とさせる雰囲気。
 Jちゃん御用達のYuanYuanの料理はどれも満喫できたが、紹興酒漬けの生上海蟹は最高だった。

      

      

 追記
 ナニを隠そう失敗談も数々ありまして・・・持参したノートパソコンが海外ローミング設定をしたのにも関わらず繋がらなかった。
 折角持参したヘアドライアーを壊してしまった。ナント!変換機を使わないでコンセントに差し込んでしまったのだった。
 

 

  2005年1月20日『N先生の死』 

  キューバの漁村に、ひとりの老漁師がいた。名前はサンチャゴ。海辺の小屋で質素な生活を送る彼は、近所に住む少年
 マノーリンに慕われていた。84日もの間、一匹の魚も釣り上げていなかった彼は、85日目にたった一人で小舟に乗り、それまで
 行ったことのない遠くの海へ漁に出る。すると、想像を絶する巨大カジキマグロがかかる!持てる力をふり絞った4日間の死闘の
 末、ついに彼は勝った。しかし、帰る途中に鮫に襲われてしまう。
 偉大な自然と、老人と少年の世界を浮き彫りにし、人間の生き方を語りかける物語へミングウェイの秀作「老人と海」
  何故か私は知らないが、週末の殆どをマリーナのご自分のヨットで過ごしているN先生を思う時、サンチャゴの生き方と重なる。
 いつだったか「私は老人と海の漁師のように船で焚き火をして過ごすんですよ」とおっしゃったことがあった。
 そこには彼らしい深いロマンと孤独を感じたものだった。
 そんな話をしてから数年したある日、サンチャゴが鮫に襲われるがごとくガンに侵されて還らぬ人となってしまったのだ。
 ヨットの仲間達はみな人目もはばからず男泣きした。
 
 

  2005年1月2日『A Happy New Year ! 爆笑抱腹年頭抱負』 

  Mr.ビーン・・・・・・ヨットや水泳といったお水系に加えて、女王さまが「ヤメテーー!!」と言うのに遅まきながらのゴルフ修行再開。
  (召使い)    昔から自分が気に入ったモノは誰でも気に入ってくれると思い込んで、音楽をダビングするのは不治の病。
            テレビ番組の「笑点」を見たことに始まり、「BS笑点」から漫才に至までどんどんとばく進しておりまする。 
            体と目と耳が二倍は欲しいと思っていること間違いなし!! 寝る間も惜しんで肥る暇がない・・・┐('〜`;)┌
            極めつけ・・・周りからどう思われようがひんしゅくを買おうが、お構いナシにおっさんギャグを社内(いや家庭にも)
            に撒き散らしているという噂で、仕事まで楽しんじゃう大迷惑
            

  女王さま・・・・・・オープン直後の「丸の内OAZO」に行ったんですよ〜。電話を掛けたくて女性従業員に聞いたら「こちらOAZOでは
            公衆電話はございません。あの・・・・」「いいわよ この寒いのに外に出ろって言いたいんでしょ? 携帯も持って
            いないおばさんって思ってるんでしょ? わかってるわよ〜」 ってカンジ(被害妄想)で外に飛び出しましたよ
            世の中公衆電話がなくなって、ようやくしぶる召使いにおねだりして携帯電話なるものをGet ! !しましたですよ
             (なんたって世の奥様方とはちがて、NEET×パラサイト専業主不(?)ですから遠慮がち・・・)
            でもね 人ごみで歩きながらのおばさん携帯メールは絶対やりませんよ あれはいけません。見苦しいです。
            そして、韓流とやらのさま(爆)には見向きもせず、パソコンおたくとAIBOコネコネに命かけてます。

              今年もどうぞヨロシクお気軽お手軽にお付き合いくださいませ


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