女王さまのノーテンキ日記

女王さまという名前の由来はMr.ビーンの一言からだった
小柄な体からは想像もできないノーテンキさ加減にして 何事も鷹揚な所は
Mr.ビーンの心配の種  稼ぎが幾らなのか 出費がどのくらいなのか全く意に介さないのは勿論のこと
やりたい放題のマリーアントワネットついでにパソコンにハマリまくりネットの豚(略して“ネッ豚”)  
Mr.ビーン曰く「ボクは女王さまにかしずく召使いだよ〜トホホホホ〜」
さぁ その日常を日記にしるしてみましたので ご覧下さい



2002年の日記

最新の日記はこちら


2002年11月3日 
『ちょっと早めのBirthday』


 ヾ(@^▽^@)ノわはははは〜〜! 申し訳ない 気を使ってもらっちゃって・・・
一流のホテルでランチをご馳走してもらえるなんて・・・ふふふ 笑いが止まらない〜(^o^)丿
帝国ホテル「CICERONE」チチェローネのシェフ フランチェスコ・アプレダさん来日1周年記念
メニューをご紹介します。
我が家の召使いが「これは予想以上の味だ」と絶賛したのでした。
お誕生日にはデザート皿に「Happy Biethday」を書き込んでくれて、歌を歌ってくれてお花を一輪
プレゼントしてくれますよ。女王さまはチョット恥ずかし気でやめてもらいました。




    ランチメニュー
CICERONE チチェローネ ワインとブラッドオレンジで
( ^_^)/□☆□\(^_^ )

5種類のパンはバージンオイルと
バルサミコ酢でいただきます
これが前菜?と思うくらいのボリューム
チーズを練りこんだポテトを敷いて
フォアグラのソテーは
ビーツとバルサミコソース

頂きました

5種類の魚をラビオリで
包んだかわいいパスタ料理は
5回の味が味わえました
鴨のローストとトリュフが入った
クリーミーなフェットチーネ
ウズラとウズラの卵と手長海老
中央には青菜で包まれた
テリーヌがボリュームの
メイン料理
デザートは温かいチョコレートと
無花果のタルト アーモンドミルク
ソースとマンダリンシャーベット添え
オレンジピールが飾られています

コーヒー、エスプレッソ、カプチーノ
紅茶の中から好きなものをオーダー
します
女王さまは勿論カプチーノ


2002年10月9日 
『グランパ&グランマの誕生』


 その日、娘に男子誕生 家族は喜びに湧いた。泣いた。生命の尊厳をみた。

         命名 
A I B O (ハンドルネームですよ)

 今日まで、娘の体調を考慮して日記には書けないままでいたのだった。



 

2002年10月1日 
『居候息子カレーを作るの巻』


 ハローワーク中の居候息子が「暇だからカレーでも作るかぁ」と言って材料の仕込みに出かけていった。
良妻賢母とはほど遠い悪妻健忘症の女王さまの子としては、トンビがタカを産んだとは言わないまでもまぁ
まぁ良く出来た子だと思っている。これは仕事中心ではなく、子育て参加をコンセプトにしてきた召使いに
リードされてきたお蔭かもしれない。考えてみれば
他人の子育てとを比較すると、女王さまの子育ては相当
アバウトだったらしい(通常の悪くはない母親と比較してだが・・・)。母親の留守中に空腹を堪えきれな
い中学生の男の子だったら覚えもあると思うが、この空腹を堪えきれずに買い食いをしたり、冷蔵庫を覗い
て残り物をがむしゃらに口の中に放り込んだりした経験は少なからずあるだろう。しかし、我が家の子供達
に至っては小遣が異常に少なく買い食いしようと思うと学用品を買う予算を削らねばならず、勢い冷蔵庫等
の食材を狙うのがお手軽だった訳だ。
冷や飯に夕べのトンカツの残りを細かく切って炒めたら立派なチャーハンができた。
食パンに焼肉をはさんだら変わりサンドウィッチになった。
姉はすかさずおこぼれ頂戴流でそれをつまんでいたものだ。そんな事を繰り返していたのだと思う。
 中学一年の夏休み・・・自由テーマのレポートを提出すことになり、初めてカレー作りに挑戦してみる事
になった。女王さまが教えたいい加減なレシピに沿って食材を揃え、野菜を切り始めたが玉葱が目にしみた
のか水泳用のゴーグルを持ち出して切っていた。その様子が可笑しく可愛いかった。
それぞれの行程をカメラに収め証拠写真とした。ご飯を炊き、出来上がった豚カレーを皿に盛り付け、定番
のラッキョーと福神漬けを添えて出来上がり〜〜〜!!達成感の笑み満面の息子をそこに見た。


チキンカレー

美味しそうでしょ?
骨付きチキン・ナス・タケノコ・アスパラガス・ジャガイモ入り
2日目は卵のボイルとオリーブの実を添えてみました〜〜!



 さて、こんな事を書いていたら早速キッチンからブーケガルニの良い香りがしてきた。
あれから15年は経つであろうか・・・この頃は意外なものが入ったオリジナルカレーが出来上がる楽しみ
も与えてくれるのである。
今夜は家族揃ってワインを空けてみたい気持ちになった。




2002年9月30日 『Mr.ビーンの御難』

 ぎゃ〜〜〜ぁ!
今朝起きたら召使いが「かいかいかいか〜い」・・・と大騒ぎ。
見れば召使いの背中とお腹に大きな赤い斑点が10箇所以上も・・・(ーー;) さすがにかわいそうになって
キンカンをゴシゴシ塗ってやった。
急に蒲団にダニが発生したとは考えにくいので、召使いの昨日の行動をチェックしてみた。昨日は夢の島で
ヨットレースがあって、どこかに放り込んであったドライスーツとかを着た・・・とか。はたまた雑多な物
が入ってるセールバッグが妖しいと見た。
今日は生憎の雨で蒲団が干せないので、とりあえず蒲団全体に殺虫剤を思い切りかけて消毒?した。
召使いが死ななきゃいいけど・・・。今頃は会社で「か〜ぃかいかいかいかい」とやってるのだろうか?
ご愁傷さま〜〜〜〜。

ぎょぇ〜〜〜っ! 初雪じゃぁ〜〜
台風の影響で洗濯物も乾かない今日、それを承知で昨日出た大量の衣類の洗濯をした。
ところが、洗った洗濯物を干そうと思ってタオルをパンパンと思い切り振ったら、まるでぼたん雪のように
白いものが降ってくるではないか・・・。一瞬脳裏に感動的な初雪の情景が浮かんで消えた。
誰かの衣類のポケットにハンディ・ティッシュが入っていたらしい。ポケットがあるのは召使いの短パンと
女王さまのエプロンだけだった。女王さまはちゃんとチェックしてリップクリームを取り出したはず。
するとやっぱし、犯人は召使いじゃぁ〜〜
我が家では自分の事は自分でやる主義なので、女王さまの責任にして欲しくはない。
・・・でも、尻拭いはだれもやってくれない。




2002年9月28日 『霧雨けぶるレインボーブリッジ』

  食いしん坊なのか誘われたら断われない性格なのか・・・友人が無料券があるからお台場のホテルへお茶
しに行かないかと誘ってくれた。勿論二つ返事で出かけることにした。
彼女とは子供達が小学校時代からのPTA仲間で、今でもサークル活動やお稽古事、はたまたお食事仲間とし
てお付き合いが続いている。家が近いという事もあって会う度合いも他の友人とは格段に多い事は比べ物にな
らない。
今日もそうした気軽さから雨の中を出かけて行ったわけである。子供達が同世代と言う事もあって3人の仲間
の子供達がそれぞれ出産・出産間近、来春出産予定とよくもまぁ続いたものである。
 さて、その日は朝から霧雨が濃く、臨海副都心線東京テレポート駅は平日の日中にもかかわらず閑散とした
もので、おばさん二人のおしゃべりが構内に響きわたっていた。着いたところは東京ベランダをコンセプトと
するホテル日航東京のティールーム「マルコポーロ」だった。明るい窓辺に案内され無料チケットを出すと、
ケーキと良い香りのコーヒーが運ばれてきた。


日航ホテル東京
「マルコポーロ」の
ケーキ
Getした2個のケーキ
モンブランが超美味



先ほどまで大声でしゃべりまくっていたオバタリアン(自分達のことで)もランチタイムを過ぎ静かになった
テーブルでは意図的に上品を装って、霧雨にけぶる海と美しいラインのレインボーブリッジを眺めながら、何
を思っていたかというと「次はどのケーキを食べようかな?」ぐらいのものでしばし口を噤むのであった。
 しか〜〜〜し! そのケーキの2個目が運ばれてこないのである。あぁ〜ら不思議・・・二人は「無料券の
紙の色が違ってたかしら?」とか「おばさんに対するカロリー制限なんじゃぁ?」とかいろいろ想像をめぐら
し、勇気を出してコーヒーは追加オーダーできたものの「ケーキは2個貰えるんじゃないの?」とは聞けずに
後ろ髪を引かれる思いのままナプキンをテーブルに置き席を立ったのであった。
・・・と、出口付近で別のウェイターがニコニコ笑いながら「ケーキは2個食べられましたか?」と声を掛け
てくるではないか!!思わず気色だった二人は口を揃え声を大にして「いいぇ〜〜 一つしか頂けませんで
したが〜〜」
と興奮気味で返事をしていた。

そしてご想像にたがわず、しっかりお土産に持ち帰ってきてしまった二人であった。
(*^o^)/\(^−^*)めでたしめでたし・・・ん? 何が?



2002年9月22日 『楽しきかな居候』

 一時的にだがここのところ家族が増えている。それぞれの理由で娘と息子が居候しているのだ。
数年続いている二人だけの生活が寂しいとはいえ、随分と気侭な生活をしていたものだからこの一ヶ月余り
正直言って何となくわずらわしいのは事実である。いつの間にか洗濯物が増えているし、人間が多ければ
ゴミもたまるし掃除の回数も増え、トイレットペーパーだってどんどん減ってゆく。ところが、身体だけは
みょ〜〜に元気で、毎朝いそいそと朝食の支度に取り掛かりメニューも一品増えたりしている食卓を見つけ
て、我ながら驚きを感じている。
ビーン氏はどう感じているのだろうか?
・・・と改めて問い掛ける必要もないくらいに自然になんのこだわりも無く当然のごとく、むしろ楽しみに
彼らと接しているのが見える。
 当然といえば当然で、一度家庭を離れた者にとっては親の家に再び戻るという事には、すでに当たり前
ではないのだ。
他人行儀といえばそうなのかもしれないが、どことなく遠慮というか気遣いを感じる。
二十歳も後半の年齢になれば当たり前の行為なのだろう。
夕べもまたささやかな鶏鍋料理で盛り上がっていた。

こうしている事に慣れてくると、お抱え運転手とお抱えパソコンインストラクターが居なくなったら
どうしよ〜〜!!  (^^ゞ なんて思うこの頃である。




2002年8月11日 『魔王&魔女子の別荘』

 魔女子に誘われていた北軽井沢の別荘へ行った夏真っ盛りの8月8日、その日の東京も茹だるような暑さだった。
長野新幹線で約一時間、読みかけだった宮部みゆきの文庫本を読みふけっている内にアッというまに軽井沢駅に到着すると、あのブルーのBMWを駆って魔女子が迎えに出てくれていた。
 彼女は初軽井沢の女王さまを気遣っておのぼりさんコースの軽井沢銀座を歩き、魔女子御用達のレース専門店「大城レース」で買物をし(何故か女王さまは枕カバーを買う)話の種にと「腸詰屋」で軽食を摂り“軽井沢の鹿鳴館”と絶賛された旧三笠ホテルを見学し、白糸の滝に案内してくれた。せっかく休養に来ているのだから魔女子には忙しい思いをして欲しくなかったが、当然迎える方とお客の関係になってしまい、申し訳ない事をした。
 女王さまはどちらかと言うと旅はくつろぐためにあるというのが信条だから、お気に入りの場所を見つけたらそこに滞在して、なるべくなら何もしないで会話を楽しんだり読書をしたりして過ごすのが好きなのだ。・・・と言うわけで白樺の木陰で朝食を摂りながら時間を忘れて過ごすし、雑木林をゆったりと散策した。
室内にいても日中はマイナスイオンをたっぷり含んだすす風が入り、夜などは寒さを覚えるくらいに爽やかだった。
アニストの魔女子はそのリビングに真っ白なピアノを持ち込んた。
それは高貴な大輪の白バラに見えた。
忙しい思いをさせてピアノは弾いてもらえなかったけど、いつかまたお邪魔した時はたっぷりとお手並み拝見したいものである。その時は女王さま自ら召使いを買ってでたいと思うのであった。
 
東京から一時間の所にこんなに素晴らしいリゾートがあるなんて・・・なんとも不思議



2002年7月31日 『やっぱり嬉しいFlower desing Life掲載』
                                                              
 女王さまが趣味で勉強しているマミフラワーデザインの月刊誌8月号が発行された。
この号は、今年5月下旬から6月初旬にかけて東京駅は大丸ミュージアムで行われた作品展「花いつも」に出展された作品450点の中から選ばれたものが掲載された。
 女王さまは今年で3回目の出展になるのだが、2年に一度行われるこの作品展は、ただ一つ先生も生徒も参加できる全国レベルのイベントなので、勢い気合が入る。
 2年間温めてきた無機質なフィルムケースを使ったデザインを考えていたのだが、接着剤が効かない事が判明し計画倒になって、ショックを受けながら道具箱を整理していて出てきたラフィア(椰子の木の皮をひも状にしたもの)を編んでみる事にした。昔籐を編む事が流行った時代を思い出したのだ。
最初は全てラフィアのみで完成させようと思ったのだが、やはり“華”がない事には美しさを引き出せないので、ベランダの植物達に手伝ってもらうことにした。
先生のアドバイスを受けて、単なる帽子ではなくそこから広がりが感じられるデザインを考えたら、このような作品が完成した。
編みかけの帽子を作品展までに間に合うかしら?」と植物達が心配して協力して編んでくれている。そんなイメージを表現したつもり・・・。
翌朝になったらすっかり出来上がっている事でしょう。




花材:ヘデラ・ローズマリー・ワイヤープランツ・スグリ・セルリア・クロユリ
2002年7月31日 『女王さま流夏の入浴法』

 東京湾の海風が心地よい夏の我が家も、今年はかなり身体に堪える。風通しを良くするために玄関ドアに網戸を取り付けてからは、熱帯夜の夜は別として殆どエアコンを使用していなかった。
ところが・・・体力がなくなり暑さにも耐えがたくなってきたのだろうか(きたのである)一台しかないエアコンで全室に冷気を行きわたらせようというのだから、扇風機を併用しても召使いの設定温度28度ではきついものがある。
召使いが会社に出かけている時は当然ながら一人暮らし状態だから、一人当たりの電気使用料を考えたら恐ろしくて我慢せざるを得ないので近くの図書室で時間を過ごしてみるが、限界がある。
そこで一考・・・
 風呂に体温程度のお湯を張り、気分によっては好みのアロマオイルを数滴たらしておく。女王さまの好みのラベンダーは気分が落ち着き、元気を出したいときはベルガモット・・・というふうに使ってみる。そして蓋を半分開けて読みたい本と老眼鏡を置く。湯船の中には風呂用の椅子を沈めてそこに腰掛けて半身浴状態にするという訳である。
換気扇をつけておくとこれは最高にいけますよ 
カラスの行水の女王さまが本を読みふける時は時間を忘れてしまうのである。
入浴後も気分すっきり、多少の高温多湿も我慢できるというもの。但し、体温より高めのお湯を張ってしまうと長時間は耐えられないから、ご注意!!
どうそお試しを・・・。
まだまだこんな対処法があるよ〜〜 と言う方は掲示板『デルメールのキャビン』の方へ書き込みお願いします。



2002年7月20日 『ステージママでしょ?』

 横浜の花火大会を蹴って(ホントは多少体力に自信を失って・・・とか言ってたけど)夢の島マリーナの「海の記念日JAZZフェスティバル」に来てくれたK・Kちゃんを伴って夢の島マリーナへ出かけた。当日は強風のためにヨットレースが中止になって盛り上がらないかなぁ?と心配したが、予想に反してレースに賭けるエネルギーを会場に運んできたのか一時間も前から予想を上回る人達がテーブルを埋めていた。今年も息子率いる「CLOOZZ」が出演すると言うので、気合の入った女王さまはその日、白のパンツに肩を露出させたスカイブルーのラメ入りニットで写真撮影で会場内を闊歩したものだから、口の悪いヨット仲間曰く「あれ?ステージに立つの?」「いやぁ〜 あれはステージママでしょ〜〜」みたいな会話が飛び交ったとか・・・。
K・Kちゃん始め、息子の友人達も集まってワイワイガヤガヤ佳境に入っていった。
 海の記念日の7月20日は我が家のヨットマン召使いの誕生日で、息子が舞台から「誕生日おめでと〜〜〜〜!」と呼びかけ、会場内のみんなにも祝福してもらい、スポットライトを浴びて手を振る父親を見て「息子もやるわい」・・・なんて思ってみた。
K・Kちゃん 生ビール美味しかったぁ〜〜〜



2002年7月11日 ねぇ それってゴミじゃないの〜ぉ?

 朝起きると、女王さまか召使いが朝の準備をしながらパソコンを立ち上げメールチェックをするのが習慣になっている。その日の朝も変わらない朝だった。
・・・と思ったのも束の間、パスワードが入力できない。
最初の1〜2回は『寝ぼけマナコで入力したから間違ったんじゃぁ〜?』と3回目は真面目にやや緊張して入力したが、やはりエラーになってしまい、デスクトップが現れてくれない。ようやくデスクトップを確保してメールチェックをし、いざ返信画面で文字入力をしようとしたら、やたらヘンテコな文字が現れて正常な日本語変換が出来ない。
何がなんだか・・・顔面蒼白になって『これは困ったぞ 初めての経験・・・』
そうこうしている内に冷静になった女王さま「パソコンメーカーの有難いユーザーサポートの力を借りれば何とかなるや〜〜」みたいにテクニカルセンターのナビダイヤルをまわした。(今は廻したとは言わない)ボタンを押した。幸いすぐ繋がって あれこれ20分程やりとりしたあげくに、若そうな声の主が「これはキーボードの故障です。新しいのをご用意してください」とこれしかないと言わんばかりにすんなりと言い切ったので、こちらはすっかり観念してしまい、新規購入を覚悟した。
 そうして文字入力以外はできることが解かったが、半日パソコンに触れることなく過ごしていたところに、娘からの電話。今朝の様子を説明しながら「・・・そうなのよ〜 キーボードがイカレちゃってねぇ〜〜」と言いながら、壊れてしまったそれを思いっきりバンバン叩いてやった。
・・・すると「ジャ〜〜ン!」今まで自由にならなかった文字が普通に現れるではないか??? 
娘曰く『ねぇ それってゴミじゃないの〜ぉ?』
そーだんです!!
キーボードを逆さにしてバンバン背中を叩いてやったら、出るわ出るわ・・・大小のゴミが。
2年半もカバーも掛けず、剥き出しのキーボードにゴミが貯まらないはずはなかったのだ。
 お粗末さま〜〜(x_x) ☆\(^^;) ぽかっ!



2002年6月24〜30日 『カンクンまったり旅』その3

 帰国前日はコスメルという美しい島に船で行くツアーに参加した。
205人乗りの遊覧船には殆どがアメリカ、ヨーロッパ人で日本人らしき人は自分達だけだった。クルーズシップの寄港地でもあるので白い豪華客船が3隻も停泊していた。
 ダイビングをしたいMr.ビーン氏だったがせっかく持参したダイビング用品に未練を残しながらも、女王さまのシュノーケリングに付き合ってくれた。水深6Mの白い砂の海底には熱帯魚屋さんでしか見かけた事のないない美しい魚達が遊んでいたし、サンゴや色鮮やかな海草などが揺れていた。インストラクターが手の平の2倍はありそうなヒトデやスライス前のロースハムみたいなでっかいナマコを水面まで持ち上げて見せてくれた。
そこで言葉を交わしたスペイン人4人の中の一人がスマートなジョン・トラボルタだった。(女王さまも結構野次馬的に人を見ているんだな・・・と我ながら苦笑)
 一時間弱シュノーケリングを楽しんだ後は、陸に上がって地中海料理のランチブッフェを摂りベンチでしばらく午睡した。
さらに遊覧船で移動してショッピングタイム。なんとその島にはシルバー細工やメキシコオパール・サファイア・アクアマリン等の宝石屋がメインストリートを埋め尽くすようにならんでいて、お客を呼び込んでいた。我々は宝石には興味がない(実はそれを手に入れるためのものが無いと言った方が正しい)ので散歩タイムとなった。
気温32〜3℃はあったかと思うくらいに日差しは強くあくまで透明な空気だけど、湿度も高くて歩くのが疲れた。
そこで、マクドナルドを見つけてアイスコーヒーをオーダーしたのに、店員は熱いコーヒーを持ってきてこれに氷を入れろと言う。「冗談じゃないわ!冷たいのを頂戴よ」と言うと「熱いのしかない」と言う。
所変われば品変わる・・・の言葉通り誰もアイスコーヒーを飲んでいなかった。
仕方がないので熱いコーヒーを持ってブラブラ街を歩いた後、再度マックに引き返して少々温くなったのに氷をたっぷり入れさせて目的を達成したのだった。(^_^;)




プールサイドのテーブルにウェイターがサービス満点の
笑顔で運んできてくれたリッツカールトンサンドウィッチと
トロピカルフルーツジュースフライドポテトが満載で二人で
お腹いっぱいになった

2002年6月24〜30日 『カンクンまったり旅』その2

 『もったいな〜い!観光もしないで〜〜』とおっしゃるかも知れませんが、はいはい!少々はしましたよ
4日目は予約していたユネスコの世界遺産に登録されている遺跡チチェン・イツァのマヤの遺跡を見学に行った。カンクンから205キロほど内地に向かうとそこには立派に整備された観光地、今なおククルカン神(へびの姿)が降臨する壮大な遺跡が存在する所であった。中央にそびえるククルカンピラミッドと呼ばれる建造物は91段の急な階段が4面あり圧巻だ。ガイドの説明によるといやに血なまぐさい事をする部族だったんだなぁと思ったが、神に身を捧げる事で今以上の幸せを獲得できると信じていたからであった。飛び込み台のついた生贄の泉が生々しく跡を残していた。焼畑農耕民族であるマヤ部族は今も独自の生活様式を保っており、女性は襟ぐりとスカートの裾に美しい刺繍を施した白いワンピースを着ていた。どこの家の前にもハンモックが吊るしてあり、みやげ物を売る商売をし、観光バスが街中を通ると子供などが売り声を張り上げていた。衰退前のマヤ族は象形文字・天文学・数学・建築・石の彫刻
等にすぐれた文化を誇っていたという。小さな観光バスは5組の日本人ばかりだった




2002年6月24〜30日 『カンクンまったり旅』その1

 『もったいな〜い!観光もしないで〜〜』とおっしゃるかも知れませんが、それでいいのです。
カリブ海を囲むユカタン海峡に面したカンクンは、カリビアンブルーとパウダーのような白い砂のビーチ、そして燦々と照りつける太陽がまぶしいカリブきってのリゾート地と言われている。
数字の“7”のような細長い不思議な形をしているラグーンとカリブ海に囲まれたスーパーリゾートには有名無名のホテルが延々とつながっている。ダウンタウン近郊からはバスが3〜5分間隔に24時間走り6ペソで利用できる。
女王さまとMr.ビーン氏はその一つのザ・リッツ・カールトン・カンクンホテルに滞在した。
 無理のきかない女王さまは家を出てから約22時間の長旅にヘトヘトになり、初日はただただ眠り2日目もホテル内で身体を休めていた。トルコ石のような透明なプライベートビーチの海の色、そして真っ白な浜辺には散策する恋人達、日光浴をする老人、波と戯れる子供達・・・。女王さまもちょっと波にさらわれてみたくて海に入ってみたけど、短時間で膝がガクガクしてしまい、早々に引き上げてしまった。お気に入りだったのはプールサイドのデッキチェアに横たわって冷えたフルーツやアロマタオルのサービスを受けながら、時には簡単な昼食を摂ったり読書をしている時間だった。・・・で、持ち込んだ文庫本の2冊を読みきってしまったんだから、長居したことは言うまでもない。時折本から目を離してプールを眺めるとメキシコ人らしい豪快に笑う大声の体格の良いおばさんが娘や息子と楽しそうにたわむれていた。筋肉ムキムキの日に焼けたアメリカ人らしき男性が美人の彼女を従えてゆらゆら水の中をあるいているのが目に入った。一瞬「あ!あれはアーノルド・シュワルツェネッガーかぁ〜」と思ったけど、サングラスを外したら全くの別人だった。

2002年6月18日 Mr.Jazzy その後』

 Mr.Jazzyから珍しくメールが入った

様どうもです。ワールドカップ日本はほんと頑張りました。ホント勇気を与えられましたね。
さて、僕がひいきにしていたイタリアもいなくなってしまった今、もうジャズに浸るしかないでしょう。・・・というわけで梅雨休み(?)も終わり今後はガンガン活動します!

6/29 19:00〜国立「オレンジハウスすえひろ亭」
ジャズをゆったり聞きながら美味しい洋食を食べられるお店です。
チャージもありませんので気軽に来てください。
http://www3.ocn.ne.jp/%7Eorangeh/index.htm

7/6 19:30〜大船「ハニービー」音響もバッチリのライブ&レストランです。
今、イチオシのお店です。
http://www.l-honeybee.com/

7/20 18:00〜(予定)in「夢の島マリーナ」東京ヨットクラブJazz Festival 
Cloozzのルーツとなる場所です。
今回はゲストに土濃塚 隆一郎(fh)を迎え、さらにパワーアップ!
海辺のムードに酔いしれ!
http://www.tokyo-teleport.co.jp/teleport/marina/

ということでみなさん是非見に来てね。
Cloozzのメンバーは毎度の
  小暮 慎一(g)
  国分 航一(b)
  多田 貴宏(dr)     です。



2002年6月5日 『ADSL設定サポート』その2

 Xデーは訪れた。当日は少々早めの夕食を済ませて、敵地に乗り込む気分でT宅に伺った。
数日前に召使いの手を煩わせて、ADSL用ランボードを取り付け済みだったのだ。
局内工事も全て終了していたのであるが、何せ未経験の配線のどこにアクシデントが隠れているかわからないので、慎重に慎重に・・・。パソコン機器全ての電源を落として、接続機器を順番に並べ、コード類をチェックしてからアナログに戻された電話線(TAの手前がジャックになっていた)にスプリッタを繋ぎ、電話コードを差し込んでTestOK!もう一方にルータモデム→ランケーブル→パソコン本体へと繋いでいった。
次はパソコン内部の設定だが、XPのように簡単には済まされなかった。そこへご主人がご帰還なされ、マニュアル首っぴきの3人の格闘が始まった。女王さまのアバウトな性格をすかさず微妙な表現でおっしゃったご主人さま・・・大当たりでございます。それが邪魔をして、ささいなところに誤入力したり先に飛んでしまったり・・・。とうとう後一歩というところでタイムアウトになってしまった。
 「後は明日サポートセンターに聞けばOKよ!」と無責任な言葉を吐き、スタコラサッサと逃げて来たのだ。
「大丈夫なのそんなことで・・・」と言いたいでしょ? 「いいのいいの 私の趣味なんだから〜(^○^)」
さて、翌日・・・
思ったとおりの結果オーライ! 晴れて感謝の言葉を耳に出来たのでありました。 



2002年5月15日 『ADSL設定サポート』その1

 ・・・と言うと中々カッコ良いが、昨年8月に我が家にADSLが導入された時は大変だった。
幸いな事に我が家はISDNにもしてなかったし、勿論電話はアナログ回線。本来ならばNTTから工事にきて貰わないとスプリッタの取り付けが出来ない事になっていたのだ。・・・が、そこはベテラン詐欺しのような知恵を働かせる召使いのお計らいでなんなく設定が出来てしまったのは幸せであった。ここだけの話、PCについてはプロのPCオタク(おっと失礼!)I氏のお助けを借りていたのだ。ただ、電話機がセキュリティシステムの付いたホームテレフォンだったので、少々の苦労はあった。
・・・という経緯があって今日まで優雅なパソコンライフを送らせていただいている。
その経験が役に立って、何人かの友人のサポートにいそいそと出かける女王さまと召使いであった。
しかし、今回は違った。ISDNを使っていたS氏宅の電話番号もアドレスも変えずにADSLに変更する手続きをしたのだ。安易に「何とかダメモトでサポートするわ」と返事をしてしまったから大変!さて、経験が無い



2002年5月14日 『歩いて身体の、PCで頭の体操』

 ネッ豚女王様の所属しているボランティアパソコンサークルは市内の3っつの中学校のOAルームをお借りして運営されている。今日は5月晴れの穏やかな気持ちよい日なので、友人と片道約4キロを歩きながら今日の会場へと向かった。運動のためと結構早足で歩きながらも、並木の木々や草花を眺めながら・・・。そして2時間パソコンの勉強をして、帰りも歩いてみた。
今度は川沿いのコースを・・・。
帰宅途中の高校生が『こんにちわ〜!』と声をかけてくれたので、振り向くと自転車に相乗りしている茶髪のお兄ちゃん達の集団だ。また、しばらく行くと植木の植栽をしている土木作業員さん達に出くわし、又声をかけてもらう。なんとも気持ちが良い。
ふと道端に目を向けると、刈り取られてしまったばかりの紫陽花の蕾がゴミになるのを待っているではないか・・・。
『あら!かわいそう・・・咲かないかもしれないけど、もしかして元気を出してくれるかも』とお花大好きのその友人と作業員の方に断わってそれを頂く事にした。
「犬も歩けば棒に当たる」である。
草生す薫りいっぱい吸い込んで歩いた午後でした。



2002年5月10日 『今、家庭が危ない』

 世界的なボランティア団体「パイロットクラブ」(水先案内人)の存在を知った。
その団体が浦安市にもあったのだ。
たまたま誘われて講演会に参加したのだが、4月は「DV(Domestic violence)の実態」フリーライターのいのうえせつこ女史、5月は「今、家庭が危ない」スコーレ家庭教育振興会会長永池栄吉氏のお話を聞かせていただいた。どれも身近で大変興味深かった。
 DVとは主に夫から妻への激しい暴力を言うらしい。柔和で社会的にも信頼のある紳士がひとたび家庭に入ると妻にひどい暴力を繰り返す。それは彼の両親相互の暴力あるいは子への暴力が幼児体験としてあり、大人になった時にストレスのオーバーフローから現れるとの言う。
 家庭の空洞化とは、大黒柱のお父さん不在と言われ、お母さんも働いている家庭が多い。赤ちゃんにはおしっこを吸収する力が強い紙おむつだから、テレビを見ながらの授乳だから、親子関係が希薄だと言う。子供と対話し夢を与え、人間としての感動を体験させる機会を失っているのではないだろうか。
 すでに子育てを終わっている我が家はどうだろうか? 
生きる事に真摯ではなかった。本当の意味の親孝行などと言われるような事は出来ていただろうか?夫婦の対話と言ってもオチャラケてばかりだった。子供の教育には熱心でなかった。子供の話をじっくり聞いてやったことがあるだろうか?・・・と、反省する事ばかりだ。
だけど、逆転の発想と考えればどうにかなるぞ! ・・・と、ノーテンキな女王さまは考える。真摯でなかったからこそここまで生きられた。甘えるのも親孝行だと公言している。オチャラケの対話だったから深く悩まないで済んだかも知れない。親が教育に熱心でなかったから子は負担を感じないで自分の責任で行動来たのではないか。
お子ちゃま方、我々に話を聞いてもらえなかったと思ったら、ここで文句やご意見などを申し立ててください。
 人間は科学文化の手配師ではないのだ。人間は生身の動物なのだ。
基本に立ち返って動物に習おう。鳥に習おう。魚に習おう。木や草花に習おう。・・・と思った。



2002年5月8日 『親孝行とはなんぞや?』

 この10数年、毎年のように避寒に訪れる一人暮らしの皇太后さまの白内障の手術(これが又説得するのだが、OKしたりONだったり・・・)のために、今年は少々早めに滞在を切り上げて石川県の実家へと送り届けた。そろそろ90歳になろうとしている皇太后さまだが、物忘れは日に日にひどくなっているにも関らず気丈なところはたぐい稀なき・・・と言ったところで『何故貴女に送ってもらわなくっちゃいけないの? 私一人で帰れるから大丈夫よ』とおっしゃる。しかし、電車で買物に行けば一時間で往復できるところを7時間もかかってヘトヘトに疲れて帰ってくれば、心配されても仕方がないではないか。 それでも頑張る皇太后さまに『アタシは兄弟達に会いに行きたいから同行させてください』と頼んでようやく『それならば・・・』と言って了承して頂いた次第である。

 白内障だということは70代に医者の診断を受けていたのだが、本人にとっては何ら不自由な思いはせず、細かい手仕事(人形作り)を精力的にこなしていたし、物の見え方もそれほど違和感はなかったと思う。・・・が、近年会話が成り立たなくなってきたことに気がつき、白内障の進行を疑ってみた。毎日出入りしているマンションの扉を塗り替えたと言い張り、人形の生地を選ぶ時の好みが変わってきたという事は、色の判断が曖昧になってきたからである。夜間はよく転んだ。ごく普通に綺麗好きだった皇太后さまだったが、衣服にシミがついても平気、部屋に埃がかぶっていても気にならなくなるだけならいいが、見かねて掃除をしようとすると『あんたは潔癖すぎるのよ』と腹を立てた。

 2ヶ月半振りに金沢駅に降り立つと、仕事の途中切り上げて迎えに来てくれた次男が改札口の外で手を振っていた。皇太后さまに一番近くに住んでいるだけに接する機会が多く、身体の状況なども周知でクスリの管理から日常の用事を細かく手伝ってくれていた。だもんだから心配の度合いが極度に高まっていても納得である。
そこで、一人暮らしに危機感を抱いている兄弟3人頭をそろえて「長男宅に同居させよう作戦会議」を開催した訳である。皇太后さまの白内障の手術で入院中に・・・。なんと長男は10数年前から皇太后さまの為の部屋を用意して待っていてくれているのだ。それは、母にとってとてつもなく不自由な生活が見えているのだろう事が想像される。
 親孝行とははたしてなんぞや・・・? という訳である。



2002年3月27日 『Beijing負んぶに抱っこに肩車』

 召使いの海外旅行計画ドタキャン劇に数回出遭ってしょんぼりしていた女王さまに、ようやく巡ってきた3泊4日の北京旅行が実現した。一応旅行会社のツアーを申し込んだのだが、全日程フリーにして市街中心部のホテルに一年間在住している友人を頼って出かけて行ったのだった。彼女は台湾、ベトナム(ハノイ)、北京と通算6年間の海外暮らしを経験している逞しいバイリンガル主婦Kちゃんなのだが、これがまたプロ顔負けのツアーコンダクター振りなのだ。事前に我々の希望を細かくチェックして、全ての日程のスケジュールを立て、レストラン等の予約を入れ、タクシーでの送迎をしてくれたのだ。いやぁ〜〜〜参った参った降参です。

 時差が一時間あるので到着したのは午後12:30。前日に日本をも見舞った黄砂の影響で息苦しさを覚えたけれどもさほど寒からず、年間を通して降雨量が少ないせいかひどく乾燥していた。
 まず一日目は、秀水市場で買値の駆け引きをしながらの買物はKちゃんのお手並拝見となった。
市内で一番美味と言われる北京ダックの店でのディナーは、娘のSちゃんも加わって華を添えてくれ、コックが目の前でダックをさばいてくれた。宿泊したのは日系ホテルで普通。

 2日目はシクロに乗って庶民の生活が感じられる故同を2時間半の散策。四合院には元小学校の先生が住んでいて、室内を案内し娘の結婚衣裳の写真を見せてくれた。2008年のオリンピックまでにはその歴史ある住まいも撤去の憂き目に遭うのだそうで、心なしか寂しそうだった。「全ての電化製品は日本製だよ」とその人は笑っていた。
世界遺産の故宮博物館、紫禁城は2時間余りを日本語説明付テープレコーダーをレンタルしてイヤホンを耳にして歩き、景山公園に登ってその前風景を見下ろす。中国4千年の歴史と大陸のスケールと人口の多さに圧倒される。召使いのたっての希望で宮廷料理をいただいたのだったが、宮廷料理という物の理解不足のため、これでもかこれでもかと出てくる料理の大半を残してきてしまったのは心残りであった。(T_T) その夜は足の疲れを癒すためKちゃんお奨めの「足裏マッサージ」の店で1時間半を過ごした。これは癖になりそうな爽快感で最初嫌がっていた召使も感動していた。

 さて、3日目は週末だったのでKちゃんのご主人の運転手付き専用車に乗り、4人でこれも世界遺産の万里の長城(2400kmもあるんだって〜〜〜)を目指した。ツアー御用達の八達嶺は観光客で込み合うとうことでやめて、北京市内から車で約2時間弱の慕田峪へ・・・。麓からケーブルカーで登り、尾根伝いに長城を一時間半ばかり歩いた。急なスロープや上り下りの石段がちょっと恐かったけど、莫大な量の石とそれを積み上げた人々のパワーと費やした時間と年月を再認識せずにはいられなかった。なんとそこここに山岳系民族衣装を身につけた人達が観光客相手に物を売っていた。次の下山コース地点からブレーキ付きのスケルトン風乗り物で快適に滑り台を下った。その日もアロマに溢れた綺麗な店で肩と足のマッサージを受けて、ご主人が商談用にしか使わないと言うホテルの高級レストランで北京料理に舌鼓を打っていた。お茶の美味しい料理店は料理も美味しいと感じたのは私だけだったかしらぁ〜〜〜???
 最後の日は王府井をちょこっと散策、帰途についたのでありました。

スターバックスがあちこちにあって、北京タンブラーや北京オリジナルTシャツをお土産に買い求めた。
なんとなんと女王さまにとっては海外初体験の旅でありました〜〜〜(*^_^*)
 


2002年2月24日 『折句しりとり』って?

 ・・・その「パソコンサークル」ボランティアサポーター達の勉強の場所として与えられた市の施設をお借りして、毎月研修会が行われている。勿論プロの講師を雇ったりはしないが貴重な機会である。サポーター同士自前でそれぞれの得意分野をご披露していただく訳だが、毎回素晴らしいノウハウを手に入れることが出来る。
・・・と言っても申し訳ないことに4時間勉強しても右から左に抜けていってしまうから、そんなに身についている訳もない。欲張らずに一つでも二つでも自分の物になれば良いとで納得している訳である。その日はホームページをHTMLのタグを使って作る方法。フォントのサイズや色を変える方法などだったが、残念な事にHPソフトを知ってしまった女王さまはあまり興味が湧いてこないので、ついつい非模範生徒を演じてしまうのであった。一つ収穫があったのは無料掲示板を作った事で早速アップしてみた。
ご興味のある方は覗いて見ていただきたい。

 


2002年2月7日 『音声チャットって?

 数ヶ月前、女王さまが所属しているとっても素敵な「パソコンサークル」のなんとも寛大で優しいボランティア精神に溢れたS氏から、音声チャット用のマイクとカメラをいただいてしまった。話すことに自信がなかったのとチャットする相手が殆どいなかったのとで、今までご好意を無駄にしていたのだ。
 それを使って初めてS氏の声を確認する事ができた。電話が嫌いな女王さまは「う〜〜〜ん!」やっぱり苦手・・・自信がない。でも、すごい事に音声チャットだと電話代が必要なくなるっていうメリットがある。
これから、相手が増えればパソコンから「は〜〜ぃ!元気〜!」なんて声が入ってくるんだね


2002年2月6日 『ホームページ第2弾』

 女王さまが趣味で続けているものの一つにフラワーデザインがある。その先生が前々から構想を練っていたホームページを作ることになり、そのお手伝いを引き受けた。そう言う自分はまだ一人で出来るわけもなく、又々娘にSOSを出して助けてもらって・・・と言うより完全にやってもらっちゃったと言う訳。バツグンのセンスを持った先生だし、美しい花を扱い、自然素材を使って作るフラワーデザインの世界を余すところなく表現して、魅力的なホームページしたいと思う。
まだまだ完成には程遠いいけれど、完成の暁には「Mr.ビーンの部屋」からリンクします。  乞うご期待!!

2002年1月27日 『白山山麓鳥越蕎麦打ち仙人』

 白山山麓の川沿いに、日曜大工でログハウスを2棟も作ってしまった女王さまの弟(自称蕎麦打ち仙人)は「姉貴のような都会暮らしなんてまっぴらや〜!」と言う根っからの野生児。
それが、何かの拍子に蕎麦打ちを覚えてせっせと修行に通っていたが、それが高じていつの間にやら敷地内に『蕎麦打ち体験館』なる看板まで掛けるようになり、本職の半分は息子に譲り、只今二足のワラジ的生活を送っている。
その所業がなかなか面白く、蕎麦打ち仙人と自認している所以である。
 鳥越といえば、白山の麓に流れる手取川沿いに点在する農業豪雪地帯と言っても過言ではない。そんな土地を何故についの住処に選んだのだろうか?・・・思えば彼の幼児体験を語らずにはいられないのであるが、ここらへんを書き始めたらキリがないので、想像にお任せする。
 ある日、わが兄弟の母親である皇太后が大きな心臓の手術をしてようやく癒えた頃のこと、みんなで簡単な快気祝いをしようという事になり、彼のログハウスに集合した冬2月の下旬。
彼自慢の『越前蕎麦』を振舞ってくれた。
 地元の畑で育て自ら刈り取った蕎麦の実を石臼で挽いて、白山の雪解け水で丁寧に捏ね、リズミカルに包丁を動かし切り揃えて並べられた生蕎麦はすでに芸術品である。彼が蕎麦を湯がきはじめると何もかも知り尽くしている伴侶が汁や颪大根、山芋、ネギなどを甲斐甲斐しく用意する。ログハウスの中は大きな薪ストーブでガンガンに温められていて、それを待つ間は母を囲んで昔話に花を咲かせている何とも和やかな空間である。
 間もなく饗された越前蕎麦とはいわゆる「ぶっかけ蕎麦」であるが、思い思いに蕎麦を器に取り、思い思いにトッピング材料を上に乗せてやや味を薄めにした出汁をかける。腰の強い蕎麦は歯に凍み透るかと思うほどに冷えて薄味の汁が蕎麦の本来の味を引き出している。仙人が部屋を必要以上に温めてくれていたのはそのせいであった。後日聞いたところによると、蕎麦を釜に入れる前に食べる人の顔を伺うそうだ。年齢、口を開いたときの歯の様子等を即座に判断して、好みの味にするという。
 その味に感動しつつ「ふっ」と大きなガラス窓の外を眺めると、シンシンと降り続くボタン雪が、窓枠をフレームにした東山魁夷の絵画を思わせる麗々しくも美しい景色を見せてくれていたのだった。
・・・と彼の末娘『あぁ!おばちゃんが泣いている〜〜』
思わず落涙を発見されて少々戸惑った女王さまだったが、この雪景色と母の全快とこうして兄弟揃ってこんな時間を持てた感動の涙だったのかも知れなかった。


2002年1月15日 『宮中歌会始め』

 今日は宮中歌会始めでした。 お題は“春”

     おっさんの〜〜〜腰に張りたる〜〜〜
      ホッカイロ〜〜〜
    洗濯機から〜〜〜稀有の発見〜〜〜           お粗末不始末(>_<)



2002年1月15日 『越冬皇太后さま』

 ようやっと了解を得て皇太后さまと皮膚科へ行った。
今日は暖かくてお天気も良く、皇太后さまもご退屈のご様子だったので、女王さまと二人で
目の前のイトーヨーカド−へランチをしに行った。それぞれ自分の好きな食べ物を買って、
フードコートの一画に席を陣取りくつろいでいた。
女 王『ねぇ これから皮膚科へ行かない?』
皇太后『イヤよ 大した事ないもん』
女 王『そぅ?でも、時々「もうイライラしてやんなっちゃう」って言うでしょ?』
皇太后『そんな事言った事ないわよ』
女 王『これからちょっとバスに乗れば行けるよ いいチャンスだからサ』
皇太后『・・・・・・』
女 王『バッグの中に保険証あったよねぇ?』
皇太后『あるある』
女 王『は〜い!午後の診療は2時だから間に合うよ』
・・・と言うわけでバスに乗った。
 それは3週間前、北陸から越冬に訪れた皇太后さまの唇が荒れ始めたのだ。ちょっと異常
だったので薬局に相談して薬用クリームとビタミン剤を購入した。ところが快方に向かうど
ころか益々症状は悪化してきた。薬はちゃんと使っていると言うが、皇太后さまの部屋を見
れば買った筈の薬用クリームは箱入りのまんま引出しの奥底にしまいこんであり、お気に入
りのメンソレータム系リップクリームを常用していたのだ。(泣)
優しい女医さんに言い含められたが、納得してくれるかどうか???
皮膚科で受診した後は子供騙しのようにに100円ショップでくだらない物を買い、ソフト
クリームをなめなめ駄菓子屋を覗いてご機嫌で帰って来た。
 人前では皇太后さまの所業をニコニコ眺めている女王さまだが、それを冷ややかな眼差し
で見ているもう一人の女王さまがそこにいらっしゃる事をご存知か?
あぁ〜!越冬皇太后さま お気に入りのあのリップクリームは捨てましたよ 



2002年1月1日 『あけましておめでとうございます』

 ミッキーマウスの“音声認識クロック”なるもので『は〜〜〜ぃ!おはよ〜』
なんて会話してるものだから、息子の友人が『あれじゃぁ心配だからたまには
帰ってやれよ!』
と言ったとか・・・。
ヨットマン健康病おじさんも五十肩・・(>_<) 娘は結婚、息子は転勤で家を
出れば、当然残された二人は新婚気分・・・とは真赤なウソ! 老人世帯が
一つ増えただけだった。
 パソコンにハマりすぎの女王さまに内心困惑している召使いは、たまには
それが役に立つ事を知っていて黙認してみるが、憤懣やるかたなし・・。


旧年中はいろいろとお世話になりました。さぁてと、今年はどんな年になるやら・・・
今年も懲りずにノーテンキ日記に付き合ってやってください。

 2002年我家の年賀状のコメントをしたためてみました。









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