2005年 闘魂猪木塾INイタリア 旅行記(その1)

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■初日:6月3日(金)

 今回の闘魂猪木塾は6月3日(金)〜6月8日(水)という旅程なのだが、5月末になって9日、10日両日の出張が決まったので、旅行直前はその準備に追われた。そのせいか前日になってちょっとした咽の痛みが始まっていたが、当日朝の時点ではそれほどでもなかったのでとりあえず空港に向かった。

 10:45集合ということで武蔵野線、京成電鉄と乗り継いで空港第2ビルへ。集合場所で搭乗券その他を受け取った際に誓約書にサインするよう求められた。以前から告知されていたのだが、ビデオ撮影、デジタルカメラ画像のWebへの掲載をしない旨の内容である。サインがオークションに出されることがあるのと同様に映像・画像も悪用されるケースが出たためこうなったらしい。これがすんだ後、11:30に再度集合するまで自由時間。常連の方々が再会話にはずんだりする。

 両替のレートは日本の方が良いという話なのでこの間に済ませた人もいたが、何だか空港ロビーから離れ駅に近づくほどレートが良かったらしい。私は忘れてきた旅のしおりを借りてコピーに行ったのだが、コピー機のある場所はJCBか何かのサロンみたいなところだった。1時間1300円ほどで入室できるがJCBの高級カード会員なら無料、ただし有料のコピーを使う人は入場料不要。

 集合した参加者は添乗員を含め22人。遠隔地のせいか高額料金のせいかやはり少なめではある。私が参加していない前回のニューヨークでは別の人が添乗したらしいが、今回は以前の添乗員の人が復帰。一回り自己紹介した後、各自で出国手続きして搭乗口へ。今回の航空会社はすべてアリタリア航空であり、往路は日本航空とのコードシェア便であり、便名はAZ7787なのだが、機体は日本航空運航であった。旗手はB747。

 ペットボトルのお茶3本を買い込んでから搭乗(結局12時間ほどの飛行の間に全部飲んでしまった)。我々の席は2階席で、地上にいるとずいぶん高さを感じる。しかも窓際なので眺めは大変良い。JALということで懸念された(^^;トラブルもなく無事離陸、一路イタリアへ。

 しばらくして機内食。和洋からの選択。洋食を選んだところビーフシチューその他だった。外国の会社に比べるとうまかったが、JWPシンガポールのときの全日空のには負けてるような。

 3、4時間ほど寝て起きるとシベリアのあたりは過ぎていたようで、オビ川とか、人工物らしきものの見つからない地形が続いたが、やがて村か街らしきものも見えてくる。右上の画像はたしかポーランドかオーストリアあたりの上空の機窓。行程半ばで飲み物とパン(チーズカツクロワッサンかチョコデニッシュ)のサービスがあったが、到着前にさらに夕食(ハッシュドグラタン、マリネ、稲荷寿司、蓮根、フルーツ、とパン)あり。夕食にしてはちょっと軽いような。

やがてミラノの空港に降り立つ。左上の画像は空港前からの眺め。成田空港あたりと同じような立地と見える。町中のホテルまでバスで小一時間程ほど走る。途中に翌日の観戦会場、マツダパレスも見える。マツダはヒロ・マツダでなく(当たり前だが)自動車メーカーのマツダの名を冠している。 

初日から2泊する宿は「スターホテル・リッツ」。地下鉄ベネチア駅から近く便は良い。このホテルのキーには不思議なキーホルダがついている。

 空港から町中への道でやたらに見かけた水着の宣伝。これに限らずイタリアにはずいぶんセクシーな看板が多い。さらに機になったのがイタリアのマネキンで、水着やタンクトップ、キャミソールなどを着たものは全てこのように乳首ポッチリなのだ。残念ながら街を歩く実物はこのように開放的ではない(残念)。しかし、全般に可愛い娘がおおく、グラマーが多い。またウエストは細い娘の比率が高い。胸元も大きく空いてる服を着ているのが多く、目のやり場に困ると言うか、大変良かった(どっちだ)。

 夕食が軽かったので、参加者の多くが夕食を食べに出た。ピザやパスタの出るファストフード風のカフェテリアだった。左上が像のペンネアラビアータ、サラダバー、コーラで7ユーロ以上したからあまり安くはない。小腹を満たすというにはボリュームが多すぎたが、ピザを頼んだ人などはもっと苦労したようだ。

■2日目:6月4日(土)

 このホテルから見える町並みはヨーロッパらしくてよい(画像左下)。旅のしおりではツアー中の朝食はコンチネンタルスタイル(パンとコーヒーのスタイル)ということであったが、このホテルではバイキング形式で、スクランブルエッグ、ウインナー、ハム、果物(剥いたり切ったりしてない丸ごとのまま、りんごやらキウイやらが盛ってある)、ヨーグルト、ジュース、複数種類のパン(クロワッサンはマーマレードとかジャム入りが多い)などを選べた。

 この日昼間は自由行動の予定であったが、それもナンだということで、添乗のNさんが観光名所を案内してくれることに。イタリアの地下鉄は1ユーロで75分間乗り放題のシステム。一日乗車券は3ユーロ。乗る時に画像右上の朱色の機械で刻印、降りる時はチェックなしである。ただ乗る時のチェックもちゃんとしているかどうか疑わしいが。ホテル最寄りのベネツィア駅から3駅ほどで大聖堂ドゥーモへ。

 ミラノのドゥーモ寺院は1386年に起工され、全長158m、高さ45.55m、聖母像のある最高部は108.5mという巨大な代物。オルガンも巨大。屋上のテラスからはミラノ市内が一望できる。

 さてドーゥモの見学を終えて、次の目的地に向かう、というところで一行とはぐれてしまった。一行の方でも何人かで探してくださったそうなのだが、御迷惑をかけてしまった。私の方でも一行を捜したが見つからず、ガイドブックをホテルに忘れてきたので次の目的地(確かヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガッレリアだったと思う)もよくわからない。仕方ないので一旦地下鉄でホテルへガイドブックを取りに戻る。戻るとちょうど部屋の掃除中で従業員を驚かせてしまった。ちょうど昼前だったので、ホテル近くのバールに入って昼食を取ることにした(下画像)。

 バール(BAR)というのは日本の店でいうならドトールやプロントとかに近いカフェだが、酒も飲める。私が入ったのは日本の都会でも良く見かけるオープンカフェとあまり違わないタイプだったが、表通りにはもっと立呑み屋然とした小さい店が一杯あった(コンビニとか無いし飲料の自動販売機もあまりないからバールでミネラルウォーターを買うことも多かった)。温めてもらったパニーノとビール、サンマルコカフェにあるチョコフランスみたいなパン、それとエスプレッソを食べた。パニーノの具のハムが極めて塩辛くビールでも無いと辛い。

 取りあえず地下鉄で、おそらく他の方々も向かうであろうスフォルツェスコ城に向かった。14世紀に建設されたようだがローマ時代から古い砦があったらしい。今は空堀となっている堀に囲まれている現在の城はもともと城塞の中心部、本丸的な部分であり、元はヨーロッパの城らしくもっと広い範囲が城壁が囲まれていたようだ。

 内部は今は博物館になっており、楽器博物館(今見ると奇怪な形にも見える欧州の古い弦楽器や鍵盤楽器などが多数展示されており、それに混ざって日本の三味線、琵琶、尺八なども飾られていた)、兵器博物館(銃器、刀槍、騎士の甲冑)、考古学博物館(エジプトのミイラ等)などに分かれる。

 ここで他のツアー参加者に会えたが、もう一行もバラバラになっていた。そちらはもう城の見学を終わるころであり私の方はまだこれからだったので合流せずに城の見学を続ける。一巡りするとかなり疲れが出たので、タクシーでも拾うかと思ったが、城の前のタクシー乗り場にはさっぱり車が来る気配がなく、地下鉄でホテルに帰投した。まだ午後4時にもなっていなかったが部屋で3時間ほど寝、夜のプログラムに備えて体力を温存した。

 すると寝過ぎてしまい夕食を食べる間もなく集合時間が迫ってきた。近くのバールで水とクロワッサンとタルト(ぐらいしか残っていなかった)を買い込み、バスに乗り込む。夜のプログラムは新日本プロレス・ミラノ大会観戦である。19:00集合で貸切バスで移動。30分弱ほどの道なので、会場のマツダパレスに到着してもまだ開場前。裏手でしばらく時間を潰す。JWP追っかけ時代によく経験したような光景であった。会場裏には救急車が用意されていた。

やがて会場入り。思いのほか大きな館内はなかなか空席が目立つ。場内には一応売店もありポップコーンやパニーノ、コカ・コーラやビールもある。しかし新日本プロレスのグッズその他グッズの販売は無かった。パニーノを買ったがやはりバールで買うものに比べ味は落ちる。野菜がはさんであるものを選んで買ったつもりだったが食べてみると細切りチーズだった。この日はひどく野菜不足だ。


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