2005年闘魂猪木塾INイタリア(その4)

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■4日目:6月6日(月)

 このホテルでの朝食は、パンが2種類とラスク、飲み物はコーヒー、紅茶、ジュース、牛乳などあるが、事前のアナウンス通り、かなり純然たるコンチネンタルスタイルであった。なんでも同室のTさんは「イノキツアーの参加者だ」といったところ、塾長のお付きの人とでも勘違いされたらしく、別の場所にあるアメリカンブレクファストに連れていかれたらしい。そちらはコンチネンタルスタイルよりはいくらか豪華だったそうだ。

 貸切バスは前日とは別のバスに変わっていた。前日の車内では1ユーロでミネラルウォーターが買えたが、この日のバスにはそういうものはなかった。車窓観光しながら、まずバチカン市国に連れていかれた。サンピエトロ寺院の見学である。

サンピエトロ寺院
人があまり映っていない画像ばっかり選んでしまったが、相当な数の観光客、参拝者がいた。
集会用の広場。手前の黒いのは椅子である。
アーチを内部から撮影した画像。

 続いてはトレビの泉に連れて行かれた。ここでは後ろ向きに背中越しにコインを投げ、投げたコインが1個なら「またローマへ戻って来れる」、2個なら「好きな人と結ばれる」ということらしい。さらにこれに加えてNさんが「4個投げて塾長の長寿をお祈りする」というのを提案して、塾生は概ね4個投げることになった。

 出発前にデジカメのスマートメディアをちゃんと整理していなかったので撮影可能枚数が少なくなったので、急遽トレビの泉近くの店(フィルム類、食物、みやげ物など)でスマートメディアを購入。43ユーロだったが、購入前に「購入後交換はできない」と念を押された。他のメディアと間違えて買う人が多いのだろうな。

 その後バスは、ビットリオ・エマニエル2世広場(ムッソリーニがここで演説していたとか)、ローマ時代の大規模ショッピングセンター、官庁街跡などを巡り市内の南の方に向かう。

ビットリオ・エマニュエル2世広場
ローマ時代の市場
市政の中心部
凱旋門

 ツアープログラムとしての観光の最後はコロッセオ。外から見るとその大きさから来る存在感は半端でない。画像にするとそのあたりが伝わらないのが大変もどかしい。千葉マリンスタジアムと比べてもコロッセオの方が大きいように思える。日本の野球場ならドーム球場クラスでないと大きさだけでも見劣りするのではないか。実際、最下段のスタンドを取っ払えば野球のグラウンドぐらい作れそうだし。ガイドさんの話だと12m地下を掘り下げて作ってあるらしいが(東京ドームも6mぐらい掘り下げている)、それでもこれほど背の高い観客席を作る必要があったというわけだ。

コロッセオ外観
コロッセオ内部への入口
アリーナ部分
観客席部分の底が抜けず残っているあたり

 今回のツアーの案内に「塾長は、闘いの原点はコロッセオにある、と言います」とある。失礼ながらこの言葉、一見浅薄に思えたりもしたのだが、こんな昔にこれほど巨大な観客席が作られた、という事実は、プロ格闘技をプロデュースする人間にとっては確かに原点にもなりうるだろう。かつての観客席通路から塾長と記念撮影大会。

 あいにく、アリーナ(というか実際の闘技場)へ降りてみる時間の余裕がなかったらしく、わりとそそくさとコロッセオを引き上げる。途中、剣闘士のコスプレをした記念撮影のモデルがいたが、塾長を見つけると向こうのほうから記念撮影を頼んできたりした。

剣闘士との記念撮影。アントニオ猪木公式HPに塾長本人を含む画像あり。 サンタンジェロ城。もとは霊廟だったということだ。

 バスで市内のレストランへ。こぎれいな店の静かな2Fでフェアウエル・ランチパーティーとなった。このパーティは、当初予定されていた行程が変更となったため、事前に告知して現地で参加者の賛同を確認した上でツアー費用とは別途の会費制(20ユーロ。酒や追加のミネラルウォーターは別料金)で行われたものである。食卓はいくつかに分かれ、塾長は一番大きなテーブルで今まであまり同席の機会がなかった人たちに囲まれる。

 メニューはモッツェラレラチーズとサラダ、ハムの前菜とパスタ、そしてピザだった。このピザも一人前には大きすぎるサイズだったが、食べ終わった後で店員がまたピザを持ってきた。みんな遠慮すると、今度はNさんが「作りすぎたそうです」とピザを持ってきた(苦笑)。やむなく2,3人で一枚引き受ける。

 ひとしきり談笑した後、最後に塾長のサイン会。私は昨年の闘魂猪木塾in箱根の参加者向けTシャツを用意してきたが、他の方々は例によっていろいろ凝ったものを用意しておられた。今回一番目だっていたのは、IWGPヘビー級選手権ベルトのレプリカだろうか。

 このサイン会がプログラムの最後であり名残惜しくもお別れとなる。全員で「1、2、3、ダー!」を決めた後、塾長は迎えの車で去って行く。それを塾生達がお見送り、といういつもの光景。

フエアウェルパーティーの会場となったレストランの入口
スペイン広場

 ここで一行は解散して自由行動へ。ガイドさんに案内してもらってスペイン広場へ徒歩で向かう。参加者の10人ちょっとでガイドさんが教えてくれたレストランで夕食を取ろう、という話になり、ホテルに19:30集合という約束をする。

 ここでそれぞれみんな解散して別行動を取ろうと歩き出すのだが、ここで突然二人ほどのイタリア人に挟まれ手首にミサンガを巻かれる。そう、悪名高い(らしいが、知ったのは帰国後ネットで見てからである)「ミサンガ売り」に引っ掛かってしまったのである。このようなもの巻かれ始めた段階で強い態度で拒否して追っ払うべきなのであるが、これまでのツアーで変な目に会わなかったので油断していたというか、体調不良なのに無理していたせいか、ついつい全部巻かれてしまう。案の定彼等は25ユーロという法外な金額を要求してきたが、他の参加者はそのときもうかなり遠くに離れてしまっており、そこでぐずぐずしていると置いて行かれてしまう、という気になってしまってその金を払ってしまったのである。バカな金を出してしまったものだ。こんなものに金を出すと当然いいカモだと思われるわけで、このミサンガ売りの連中、その後も「センエ〜ン」とか何とか言いながら寄って来て金をせびろうとしてきた。

 下の画像にあるミサンガは私が巻かれたものではなく、誰か他の人が捨てたものである。他にも被害者がいるようだが。このミサンガ、なかなか切るのもほどくのも難儀な代物である。同室のTさんに追いつけたのでTさんが手伝ってくれたがずいぶん時間がかかった。こんなときにミラノの空港で預け荷物に入れ忘れたアーミーナイフがあれば便利なのだが、また失敗するのが怖くてスーツケースに入れっぱなしで持ってきていなかった。何のために持ってきたんだか(馬鹿)。このツアーでは錯誤の連続ばかりだ。

  気を取り直して、少し離れたローマ版はとバスの乗り場へ向かう。これは消防車みたいな真っ赤な2階建てバスで、その2回はオープンになっている。10数ユーロだったか?で一日乗り放題となっている。このバスが何台も観光名所を巡回しているので、客は自分の好きな停留所で降りて、観光が済んだらまた別のバスが来るのを停留所で待って乗る、といった具合である。通常の路線バスと違ってチケットが車内で買えるのも利点である。チケットを買うと渡されるイヤホンで観光案内を聴くこともできる(日本語のチャンネルあり)。

 しかし我々が乗った停留所は終点(テルミナ駅前)一歩手前だったため、すぐにバスはそのでしばらく休憩に入ってしまう。いずれまた出発するはずだと乗り換えずに待っていたら、他のバス3本ほどが先に行ってしまった。

ローマ版はとバス
映画「ベン・ハ−」の撮影にも使われたという、巨大な競技場跡

 余談だが、この旅行記、Adobe GoLiveで書いている。MacOS9のときからしょっちゅうクラッシュするので、これ以上金を出す気になれずMacOSX版にアップグレードせず使っているのだが、この旅行記の執筆中にも何度も落ちて、旅行記のアップが遅くなる一因となった(一部いいわけ、一部真実)。そのせいでこの日の錯誤の連続がリアルに思い出されて来た。なんだかAdobeがミサンガ売りみたいに思えてきたし(笑)

 バスはまず午前中訪れたコロッセオの付近を経由して、映画「ベン・ハー」の撮影にも使われたという戦車競争の競技場跡(20万人とか収容したとか)を経由、これも午前中通りがかったビットリオ・エマニュエル2世広場を経由、と市内を時計回りに巡る。バスがこれも午前中訪れたサンピエトロ寺院前に到着したところ降車する。

 このとき我々が目的地にしていたのはバチカン博物館である。サンピエトロ寺院に向かって右手側に行けばいいはずなので、歩いて進む。

サンピエトロ寺院から右手に進んで博物館へ向かうところ
バチカンの城壁

 しかしなかなか入り口に行き当たらないまま、見えてきたのは出口だった。案内図だとこの辺に入り口がありそうなものだが、と思いつつ、さらに進む。ところが歩いても歩いても城壁しかない。しかも観光客らしき人の姿も、しまいには人影そのものもほとんど見かけなくなってしまう。

 いくらなんでも変だと思って、ガイドブックを調べてみたら、バチカン博物館の入館時間は15:00だか15:30だかまでとある。そのとき既に16:00近くになっており、入れる時間をとうに過ぎていたのだ。出口しか見つけられなかったのも、入館時間を過ぎていたので出口の表示しかなかったのであろう。

 気づいた時点でもう半周ぐらいしていたので、そのまま同じ方向に歩き続けて、サンピエトロ寺院の前に戻ってきた。かくしてバチカン市国一周の旅(笑)は完結した。

バチカン裏手の櫓
ほとんど一周してしまったところ
バチカンの裏手で見つけたイタリアのプロレス団体のポスター

 再度気を取り直して、バチカンからほど近いサンタンジェロ城を見学することにして、はとバスに乗り込む(歩いてもいい距離なのだが、さすがに疲れていた)。バスに乗ってから、ちょっとイヤな予感がしてガイドブックをめくってみた。案の定、予感は当たっており(苦笑)サンタンジェロ城は月曜休館、ということであった。それでも間近で写真でも撮れれば、と思っていたが、どこが最寄りのバス停かよく判らないうちに乗り過ごしてしまった(自爆)。そうこうしているうちに雨が降ってきたので、城に行く気も失せた。

 ということで、昼下がりにはとバスに乗った停留所で降りて、地下鉄に乗り換えてホテルに帰ろうとしたのだが、これが今回最大最悪最凶の失敗の始まりであった。まずローマの地下鉄というのはミラノの地下鉄とかなり雰囲気が違う。闘魂猪木塾inNewTorkに行ったTさん曰く「NYの地下鉄より汚い」。当然治安というか雰囲気もずいぶん悪い。おまけに満員に近い状態だったし。とはいえ目立ったトラブルはなくホテルへの最寄駅に到着した。この時点で19:00を少し過ぎたくらいだから、約束の時間には充分間に合うものと思っていた。

 しかし最寄駅だと思っていたものが実は間違っていたようで、いくら歩いてもホテルに着かない。タクシーでも拾いたいところだが、駅前にタクシー乗り場は無かった。郊外の住宅地の駅という感じで日本なら当たり前にタクシー乗り場があるところなのだが。またイタリアでは流しのタクシーはいないし拾えるものでもない、とガイドブックにある。実際にタクシーに出会うことも無かった。

 延々歩く途中に出会った婦人警官に聞くと、その先のPiazza Irnerioというところの交差点で246系統のバスに乗って二駅だ、という。その交差点近くにはタクシー乗り場があるのだが、停車しているタクシーには運転手が乗っていないし戻ってきそうな気配も無い。ミラノの城のタクシー乗り場もそうだったが乗り場があるからといって乗れるものではないようだ。地下鉄などに乗らず、乗ったにしてもバチカン駅(サンピエトロ寺院前)あたりで降りて、まだタクシーに乗れる可能性の高い街中からタクシーに乗るべきだったのだ。

 いくつかあるバス停からなんとか目当ての246系統を見つけて、ずいぶん待ってから(イタリアのバス停には時刻表がなく、いつ来るかわからない)乗り込んで運転手に「エルジフ・パレス・ホテルに行きたい」というと「反対側だ」と言われた(!) 愕然としつつ次のバス停で降りて反対側のバス停に向かう。

 しかしここで気づいたのだが、ガイドブックによればイタリアのバスは料金を社内で払うことができず、事前に切符を買っておかねばならないのである。切符は地下鉄と共用なのだが、とうに初乗り有効期間である75分間は過ぎてしまっている。というわけで近くにあった地下鉄の駅に降りる。ところがこの駅がまた大変深いところにあり、日本の基準でもかなり長いエスカレータを3つも乗り継がないと駅までたどり着かない。こんなことをやっているうちに少なくとも一本は246系統を逃してしまった。

 やっと乗り込むと、そのバスの運転手は先ほど「反対側だ」と教えてくれた運転手だった(苦笑)。あと、我々の会話を聞いていた母娘?女性二人連れの乗客も「次ですよ」と教えてくれて、最寄のバス停ですんなり降車できた。

 と思ったら、今度はホテルまでの道が全く判らない(@_@; しかし通行人にホテルの名前を告げて尋ねると、あっさり方向を教えてもらえた。大きなホテルだけあって周辺では有名なのだろう。

 しかしやっとたどり着くと約束の時刻より一時間半近くも過ぎていた。連れのTさんにも、一緒にレストランに行くはずだった他の方々にも(人数分の予約をしていたわけだから)大変迷惑をかけてしまった。

 気を取り直して(←一日に何度取り直しているのだ)、夕食に行くことに。とりあえずTさんが「バス停の近くに気になるレストランがあった」というのでそこへ行く。店頭でメニューを見ると日本語でも書かれていたりする店だが、値段は手頃そうなのでそこに決めた。二人でマッシュルームピザを頼み、自分用にはペペロンチーノ、仔牛の胃のトマト煮込みを注文した。後者はピザやパスタやパニーニとかステレオタイプなものばかりで、そうでないイタリア料理をあまり食べてない、という感じだったので敢えて頼んでみた。イタリア風モツ煮込みといった感じだが美味しかった。しかしBSEの心配はないのだろうか(^^;;

 店員のおいちゃんは、Tさんが写真を頼むとわざわざ屋外へ出て窓越しに撮影してくれたりしてフレンドリーな人だった。てなわけでデザートを進められたので、バブル華やかなりし頃懐かしのティラミスを食べてみたが、日本ではあまり見ない巨大なものだった。気分良くディナーを済ませられたのでチップを渡しつつ、ホテルで飲むためにミネラルウォーターを買っていった。1リットル3ユーロで、結果的にホテルで買う500mlで2ユーロのものより安くついた。

ペペロンチーネ
Tさんが注文したシーフードスパゲッティ
仔牛の胃のトマトソース煮
マッシュルームピザ
とにかくでかいティラミス
ホテルのバーでの飲み会

 ホテルに戻ると、一緒にディナーに行く予定だった他の方々が戻ってきてバーにいるということなので、詫びを入れに顔を出すと、まあいいから一緒に飲みましょうと言ってもらえたので席に加わる。中庭にテーブルを置いているオープンカフェみたいなところでいい雰囲気の場所だった。そのうち添乗員のNさんも呼ばれてやってきて、これまでの闘魂猪木塾を振り返ったり、次回はどこへ行くか、的な話題で、いかにもツアー最後の夜らしい、いい飲み会になった。

■5日目:6月7日(火)

 この日は午後イチの飛行機に乗るため空港に向かうだけなので集合時間も遅くゆったりと朝食を取れた。ツアー参加者5人ぐらいで食堂にいると、添乗員のNさんが我々の方にやってきた。昨日もらえなかった卒業証書(それと参加者がもれなくもらえるTシャツ)を持ってきてくれたのである。2日前にナポリの空港で受け取れなかった荷物が、今朝になってやっと届いたらしい。大変だったと思うがNさんにしてみれば「参加者の荷物でなくて良かった」と。まあ確かに参加者の荷物が届かない方が添乗する立場にしてみれば大変なのだろう。

 そういえば昔、私がヨーロッパに旅行した際、スイスのチューリッヒから西ドイツ(当時)のミュンヘン生きの国際列車で途中乗換でヒュッセン(ノイシュバンシュタイン城のあるところ)に行った際、チューリッヒでのチッキ手続きが乗車ぎりぎりになったせいで荷物だけ翌日到着になったことがある。この時はチューリッヒでの乗換時間に余裕がなくて手続きがぎりぎりになったのもやむを得なかったのだが、こうしたことは珍しくないつもりで荷物を分けなければいけないのかも。

 ロビーに行くと、昨日はいなかったイタリア人の男性ガイドがついていた。流暢な日本語で参加者のUさんに空港手続きの説明をしている。Uさんは旅程を追加して別行動で帰国するらしい。別行動といえば今回のツアーには、イタリアの公使館に勤務する方も参加されていた。途中から我々に合流していたわけである。確か前々回のパラオでご一緒したと思うのだが、その時は別の国に在勤しておられたかと。

 ホテルから空港までは、バスで30分も走ったか走らなかったか、ともかく早く着いた。この空港からの近さがこのホテルのウリなのかも知れない。

 搭乗手続きするところで、中西学と永田裕志に出くわした。別の旅行会社が企画した新日本プロレスイタリア大会観戦ツアーがあると聞いていたが、帰国日が同じだったのか。写真撮影も気さくに応じてくれた。

 時間に余裕があるので通関前に小物の土産を買い込む。てごろな小型カレンダーや栞カレンダーがあったので購入したが、考えてみればイタリアのカレンダーなど、月の名前が英語ともかなり違うし、休日が全く日本と違うし、と実用性にはかなり欠ける代物だった。

 この空港は通関してからがかなり長く、我々の搭乗口にはトラムに乗って移動する必要があった。トラムの先にも免税店は豊富だった。ナポリでしか買えない、と言われたはずのワイン「キリストの涙」LACRYMA CHRISTIも見つけた。あと、元JWPファン仲間であるNさんに「土産はマカダミアナッツチョコだけはいらないからな」と言われていたので、わざわざマカダミアナッツチョコを探し(笑)首尾良く購入した(どーゆー性格だ>自分)。

空港の中心とターミナルを繋ぐトラム
この日のフライトはアリタリアのB777
イタリア料理の機内食は鶏肉、サーモンのマリネ、ペンネアラビアータ

 復路の飛行機はB777だった(便名AZ784、日本航空とのコードシェア便だがアリタリア側運航)。また窓側の席だったので、離陸直後、ローマ市街を眺めてコロッセオを探してみたがあいにく見つけられず。しかしその直後に視界に入って来たチレニア海は大変美しかった。

 機内食は和食かイタリア食かの選択だったが、周囲の人たちが和食を注文する中、ひとりイタリア食を頼んで見た。もっとピザやパスタやパニーニ以外のイタリア食に触れてみたかったという未練が残っていたのだろう(苦笑)。他にデザートとしてアイスクリームを配っていた。それもハーゲンダッツみたいなのではなく、グリコのジャイアントコーンをふた回りほど小さくしたような庶民的なものであった。

 この機内のTVリモコン/ゲーム機兼用の機械は電話も兼ねてきて、クレジットカードで国際電話もかけられるようになっていた。実家まで電話してみたら1、2分の通話で10USドル(1084円)であった。往路の日航と違ってアルコールはビールかワインしかなかったので、ワインを貰って飲んでいたらまもなく落ちるように寝入ってしまった。

■6日目:6月8日(水)

7時間ぐらい寝ていたところ朝食が出てきたので目覚め、まもなく成田到着。

 入国手続きを終えて出たところで、「1、2、3、ダ−!」をやって解散。私は浦安方面へのリムジンバスの発車時刻が迫っていたので慌ただしく乗り込んだ。

 リムジンバスは舞浜駅へすんなり到着、無事帰宅...と思ったら、なんとスーツケースとは別荷物にしていたデイパックをリムジンバスに忘れて来たことに気づいた(自爆)このツアー最後の失敗であった。幸いデイパックはすぐに見つかり、近所のバス会社の営業所に取りに行き、ついでに新浦安の銀行に足を伸ばして空港でできなかった両替を済ませてやっとツアーが終わった(苦笑)。

 体調が悪かったせいで人にいろいろ迷惑もかけてしまったり大変だったが、いろいろ印象的なものも目にすることができて楽しいツアーでもあった。


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