3日目(3月2日)

 この日も朝からビーチタオルを借りてバスで船着き場へ。前日のトローリングボートより二周りほど大きいボートが桟橋に停泊している。永崎さんから「猪木号が少々遅れています。もう少々お待ちください」まもなくやってきたボートの船上に、おおまさしく猪木塾長の姿が。というわけでこの後から来た「猪木号」と「藤波号」に分かれてイノキ・アイランドへと出発。猪木号といっても塾長が座乗しているというだけのことで普段からそんな名前がついてるわけではなかろうが。ましてや藤波号には藤波辰爾が乗ってるわけですらない。参加者は前日中に名簿順に二分されていて、私は往路は「藤波号」に乗る側の組である。

 途中小さな島々が点在するところを抜けていくわけだが、途中の島でワニを見かけた。船が速度を落としてくれたのでみんなで眺める。

 イノキ・アイランドは、ロック・アイランドと呼ばれる200以上からなる群島の一つに過ぎないらしく、ホテルで購入したガイド(1.5ドルだが、よそなら無料で配布されていそうな一枚もの)の地図には載っていない。しかし、到着してみるとかなり大きい島だ。一方から見ただけでも少なくとも周囲4Km以上はありそうに見える。

 

 島の片隅にあつらえたような、適当な広さの浜辺があって、そこの海岸には低い石垣も見られる。現地の木を切って作ったような、屋根付きのベンチとか、ブルーシートによるテントなどがある。子供のころ読んだロビンソン・クルーソーの住居を思わせるようなところだ。椰子の木から吊されたタイヤもある。雑誌で見たような覚えがあるなあ。この浜辺で参加者各自シュノーケリングに興じることに。ちなみにこのとき、永崎さん達は昼食の 「闘魂弁当」を並べ始めたりしていた。

 このときまで知らなかったのだが、最近の水中眼鏡というのはコンタクトレンズを装用したままでも問題ないらしい。実際漬けて水に入ってみるとずれてない限り水は入ってこない。子供の頃買ってもらった水中眼鏡はそんな水密性は期待できなかったものだが。世の中は知らない間に進歩しているものだ。しかしシュノーケリングの方も全く未経験なもので、足のつかないとこまで行くのが不安になってしまい、結局午前中は足のつくあたりだけでうろうろしえt、塾長が泳いでいるあたりにも行き損ねた。

 昼頃にはみんな浜辺に戻り昼食。参加者はいくつかのテーブルに別れて着席。塾長と同じテーブルに座れる人は前日にくじ引きで決定済み。ちなみに30人中10人は食事で同席する機会に漏れており、私はその不幸な10人に入ってしまった(;_;)

 昼食の弁当は、昨日の昼食と同じような弁当。品数は少々多いが。感想も同様。食べ終わった他のテーブルの参加者は塾長のテーブルの周囲に集まって塾長の話に耳を傾ける。塾長の話は、新日本プロレス現社長のリーダーシップとか、武藤達は出ていって良かったんじゃないかとか、子供に会う機会があまりない、とか。男女の話とかについて。さすがに話し上手で飽きさせないものがある。

 途中、近くに来たボートから猪木コールが聞こえてくる。関係ないツアーの日本人だろうか。よーやるわ、と参加者たちはあっけにとられていたのだが、塾長は「手でも振ってやらなきゃしょうがねえ」と席を立つ。と、よく見ればその船は何のことはない、闘魂猪木塾上級コースの参加者達であった。上級コースの人たちはこの日は観光かなにかがあって、夕食会の後、我々より一日早く日本へ発つらしい。

 主に熱く語っていたのは最近関わっている事業について。一種の永久機関のようなもので、15アンペアの電気によって動作すると100アンペアの電気を生み出すという発電機という話である。発電機の磁石の組み合わせで、未知の地場の力を得て利用してそのようなことができるという話。これによって途上国の、電力供給サービスを受けられない地域に住む人々にその恩恵を与えたいという話。さらにエネルギーに関する既得権益を持った勢力に潰される危険があるから、3月12日の発表までは内密にしてほしい、と念を押す塾長。

 しかしこのとき思ったのだが、もしその新世代発電というのが(インチキでなく)有用なものであるとすれば、恐れるべきは既得権益者からの攻撃ではなく、世間の偏見ではなかろうか、と思ったりした。また、インチキである可能性を無視したとして、採算性や動作環境の条件など、綿密に突き詰めない限りは実用性に疑問符のつくものである。従って産業スパイからの防諜ばかり気を取られていないで、発表の際に失敗したりとか、あらゆる検証に力を注ぐべきなんじゃないか、とか感じたのだが。ま、インチキであればそもそも身も蓋もない話だが(笑)。ともかく3月12日の記者発表は失敗したのだが、リベンジ会見とやらは成るのか。

 ひとしきり話に花が咲いたところで、永崎さんが話を切り出す。参加者に闘魂ビンタを、というお願い。塾長は、手が痛えんだよ、と渋るような調子だったが、仕方ねえか、と結局承諾。私は近くにいた地の利を生かして一番ビンタを頂いた。きちんと受ける気構えをして受けたがやはりかなり強烈、頭蓋にまで届く衝撃だ。こういうのを何十人にも対してやっていれば、確かに手の方にもダメージが残るのであろう。

 このあとは塾長による技の講習会という雰囲気になった。参加者達が交互にスリーパーホールド、フェイスロックをかけられてその痛みを実感する。塾長は、スリーパーの際、自分の胸とかアゴを使う要点とか、フェイスロックで相手の首をひきずるように決める方法とか、相手が変わるごとにポイントを変えて説明していく。数人の参加者は塾長をファイアマンキャリーで担がせてもらい、塾長はポイントをずらして持ち上げやすくさせたり逆に上げさせなかったりといったあたりを実演する。

 さらにこのあとは塾長、参加者とも再度、近くの海岸でシュノーケリングに興じる。午前中に比べてかなり潮が引いていた。小一時間ほどで引き上げると撤収。さよならイノキ・アイランド。

 ボートが向かった先は、ロックアイランドの中にあるダイビングのスポットであった。イノキ・アイランドと比べるとずっと小さな島に囲まれたそこがパラオ有数のダイビングのスポットなのだとか。

 私は最初ライフジャケットを着けて海に入ってみたのだが、浮力がありすぎてかえって動きが不自由になりまともに泳げない。くたばれジャケット、というわけでいったん船に戻りジャケットを脱いで海に入り直した。おおこの方がまともに泳げる。しかもこの場所は、あちこちに岩場があって一息つく場所には不自由しない。

 何と行っても海中の美しさには目を奪われてしまう。透き通るような海中を色鮮やかな魚の群が通り過ぎる様は、フィルムで見たことは幾度もあるが、自分のこの目で見ればやはり格別な驚きが得られる。しかし気になるのは死んでいるように思える珊瑚がかなり多かったことだ。近年珊瑚が死滅していってるという話は塾長の話にもあったし、ツアー第一回に参加した人も珊瑚がかなり減ってると話していたものだ。

 

 今日のスケジュールについてよく把握してなかったせいで、使い捨て水中カメラのフィルムをイノキ・アイランドの浜辺でほとんど使い果たしてしまっており、ここではあまり撮れなかった。残念ではあるが、今写真を見直すと、全くあの感動を伝えるものではないなあ(自嘲)。

 私はここで初めて塾長の泳ぐ様を目の当たりにしたが、さすがに自由自在に悠々と泳ぐものだ。シュノーケルなしにゴーグルだけで、深みに自在に降りていき、潜水時間自体もかなり長い。

 一時間半くらいそこで過ごして帰途につく。今度は我々が「猪木号」に乗る番なのだが、エンジン音がやかましくとても談笑するといった雰囲気ではない。帰途で猪木事務所の人が、「旧日本軍の機関銃眼と大砲です」と教えてくれた方を見ると、小島の海辺の岩場に、確かに銃眼とおぼしき穴が見える。大砲は75mmクラスであろうか? 米軍はペリリュー上陸作戦で損害が大きかったのと戦略目的は十分達成済みであったことから、このあたりには上陸して来なかったので、これらの防備は使われずじまいだったはずだが。そういえばこの付近の小島には、魚雷艇でも隠匿しておこうと思えば容易に隠せそうな海岸の岩穴がいっぱいあったものだ(日本海軍はあまり魚雷艇を持っていなかったのだが)。

 

 船着き場に到着すると、一人一人塾長に握手してボートを降りていく。私が握手の際に「『地上の楽園』は本当にあるんだと知りました」などと言うと塾長は苦笑していたf(^^;

 我々はホテルへ帰り、それぞれ夕食。私は同じ関西発着のIさんと一緒に「どらごん邸」なる沖縄料理屋に出かけた。これはパラオの中心街の端っこの方にあってホテルから15分以上は歩いたと思う。道の反対側にも同じ名前の店があり間違えて入ってしまったのだが、後で聞くと同じオーナーの経営だったらしい。その間違えて入った方の店は鉄板焼き、ステーキの店だったのだが。ちなみに近くにマッサージ店などもあったが、あいにく入る機会はなかった。

 

 頼んだ料理は、シャコ貝と何か白身魚の刺身、ナポレオンフィッシュの唐揚げ、何か魚のスープ、スペアリブステーキ、白魚の唐揚げ、白身魚のバナナ葉包み焼きである。日本料理といっても、材料の魚がパラオのものなのでかなり趣が異なる。

  

 一番ゴージャスだったのはバナナ葉包み焼きだった(これだけ撮影し忘れた)。出てくるまでに時間がかかるしボリュームがかなりあるので、これを一番に頼むべきだった。ナポレオンフィッシュの唐揚げは旨いが食べるところが少ない(笑)。スープは味は悪くないが生臭いのがかなり気になる、東南アジア料理がかった料理らしくついてきたスパイスソースも東南アジアっぽい味だった。

 この店のシェフは日本人で、与那国島の出身らしい。沖縄料理はご母堂に教わったとか。しかし今回頼んだ中には沖縄料理はなかったなあ。ソーキそばは前日に予約しておけば作ってくれるらしいが、そばを打つところから始めるので当日注文では無理らしい。

 酒はレッドルースタービールとハイネケンとカリフォルニア白ワイン。ワインはあまりよくなかった。この店は日本酒のメニューもあったからそっちの方がお勧めかも。レッドルースターは例のマンゴ味のものしかないらしい(>_<)。Iさんは他にレモンハイを頼んでいた。

 最後にご飯ものをという話になり、油みそおにぎりとみそ汁を頼んだところ仰天した。中華料理のスープみたいな器(レンゲつき)でみそ汁が出てきたのだ(笑)。シェフに聞けば、パラオでは量が多くないと受け付けられないとの話。おにぎりも結構ボリュームがあったのでIさんは包んでもらって持って帰った。タクシーを呼んでもらいホテルへ帰ったが、このときも料金は3ドルどまり。

 この日は帰るなりそのまま寝てしまった。


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