4日目(3月3日)

 あいにくの曇り空なのは近くで台風が発生しているからとか。パラオで観光客が台風に出くわすのはかなり珍しいことらしい。この日もバスで船着き場へ向かい、そこからボートでドルフィンセンターへ。イノキ・アイランドよりはかなり近い。センターも小さな島々の合間に割り込むような形で建っている。海中に区切りを設けてそのままイルカのプールにしているわけだ。見学者は船着き場から浮橋を伝ってオブザベーションビル(というが、やぐらをもう少しビルっぽくしたという程度のものだが)に入る。

 

 オブザベーションビルに荷物を置いた後、日本人女性のガイドからセンターの説明を受ける。ここのイルカは実は日本から連れてきたのだそうで、食用とするため捕獲されたイルカを和歌山の漁師から購入したしい。パラオには野生のイルカもいるのにわざわざ日本から連れてくるのは「生態系をこわしたくないので、食用になるイルカならよいだろう、と連れてきたものです。偽善と言われるかもしれませんが」ということだった。ガイドというかイルカのインスタラクターというか、男女数人ずつ働いてるのが見えるが、女性の一人はミス・パラオになったことがある人らしい。

 

 イルカのプールの前で塾長を待つ塾生たち。やがて「まもなく塾長が到着します」と猪木事務所の人が、我々が到着した船着き場と反対側から浮橋を走ってやってくる。だが、ボートらしいものが近づいてくる様子は無い。と、背後のオブザベーションビルから「ダーッ」と塾長の声。沖の海から来ると思わせておいて後ろから現れるという、現役時代から得意の、虚を衝いた登場方法だ。

 塾長も加わってイルカとの交流の時間となる。センターには4匹だか6匹だか忘れたがともかく数頭のイルカがいるが、そのうちの2頭と対面。イルカのプールには、3メートル程度のプラットフォームがあって、そこは大人の腰までぐらいの水深しかないので、見学者はそこで水に入ってイルカと触れ合える、というわけ。イルカに夢中になってプラットフォームから落っこちないように(プラットフォーム以外は水深が深い)、と注意された後、2名ずつ交互に塾生たちがプールに入る。

 
 

 イルカの肌は見た目、高級なゴムかビニールか、というように映るが、手触りも似たような感覚である。ガイドの人の合図に応じてイルカはヒレで握手するように体をよじったりしてくれる。間近で見るとイルカの肌には思いのほか傷が多い。イルカ同士喧嘩したりする結果らしい。イルカと夢中で遊んでいるうちに危うくプラットフォームから落ちかけた。最初のレクチャーで注意された通りの失敗をやってたら世話ないわ>自分 まもなく、元々の予定ではもっとここにいるはずだったらしいのだが、台風が近いということで急遽コロール本島へ戻ることになった。

 

 船着き場からバスでパラオの中心通りを戻り、到着したのはパラオ国立体育館。名前はいかめしいが日本だと県立とか市立とかのレベルの体育館だが、この中のトレーニングセンターで闘魂ストレッチの指導を受けるのである。

 

 塾長を囲むようにフロアに座り込んで塾長の話に耳を傾ける。「この中でブライアン・ジョンストンを知ってる人は?」と塾長が尋ね、さすがにほとんどの塾生が挙手。ふーん、結構知っているんだな、と塾長はうなずくと、ジョンストンが脳梗塞で倒れたときの話に移る。医師は「もう無理です」と絶望との診断だったらしいが、その後奇跡的に回復し「今ではジムにも顔を出しているらしいし、この間自分で電話をかけてもきた」とのこと。リングに戻れるかどうかといえば難しいだろうが、そこまで回復したのなら良かった。このときの話を例として塾長は、西洋医学も万能ではなく、疑いなく信じきるべきものではない、ということを語り、自分自身の目で自らの身体を見つめ健康を考えることの大切さを説いていた、ような気がする(少し聞こえ難かったし、よく覚えてないので自信なし(^^;)。

 塾長も近年は朝起床する際にちょっと辛い、しんどいこともあるとかで、そういう時にベッドの中でストレッチを始め、徐々に身体を目覚めさせていく、というような話だったと思う(^^; そうしたさわりから数々のストレッチの実演となっていく。腕立て伏せのようなトレーニングなどもあり。

 一通りストレッチの説明が終わったところで、またもや塾生たちが技の実演をおねだり。まず立ちアキレス腱固めの説明で、相手が蹴ってきたらこう体を反らして極める、といった実演を塾生相手に披露。ついで寝てのアキレス腱固めの説明に以降。私もこのときアキレス腱固めをもらった。このとき塾長は私の脚をゆるく抱えながら塾生に語りかけつつ、いきなり極めて私に悲鳴を上げさせる。かけられていた私の方はというと、極められた瞬間、確かに激痛もあったのだが、それ以上に脚を折られるのではないか、という恐怖心に支配されていた。痛みよりも恐怖心からタップさせられたのだ。無論激痛あっての恐怖心だとは思うのだが、それよりも恐怖心の方が印象に残っているのだ。痛みの方は技を解かれたあとは嘘のように残っていなかったということもあろうが。

 

 ストレッチ(と関節技の)講座が終わるとツーショット撮影会となる。中にはコブラツイストをかけてもらいながらの記念撮影を頼む人も。女性が相手だと塾長の表情も余計ににこやかだったりして(^^;

 バスでホテルに戻り、各自13:00までにチェックアウト、その後も4部屋はホスピタリティルームとして使えるのでそちらへ移動して、午後は自由行動、という段取り。私は12:00過ぎにホテル近所の中華料理屋で炒飯と海鮮中華そば(というよりウドンっぽい麺だが)の昼食を取ったが、量は多いがあまりうまくなかった。炒飯はまだしも、海鮮麺の方は麺はヤワ過ぎるしスープの味は薄すぎ具も旨味がない。あれなら素直にホテルのレストランで食べれば良かった。他の多くの人たちはチェックアウト後食事に行ったらしいが、その中でカプリチョーザ(スパゲッティの店らしい。日本にも同名のチェーンがあるが同系列か?)に出向いた人は店で偶然塾長と出くわす幸運にあずかったそうだ。

 自由行動の間、私は土産の調達をすませることにした。まずタクシーでパレイシアホテルにある免税店へ。パラオで唯一の免税店らしい(と聞くか、何かで読むかしたのだが、空港にも売店レベルではあるが免税店らしきものがあった)。ここで自分用にレミーマルタンSEA LINE(ブランデー、$40)とナッツチョコ(9ケースでクーラーボックス付きで$55)を購入。

 さらにWCTCというデパートというかスーパーマーケットに出向いて、Tシャツ、石けんなどを土産用に購入。あとで聞くとナッツチョコもここで買う方が安かったらしい。このWCTCでは40分ほどの間に3,4回停電に出くわした。

 ホテルに戻り、ホスピタリティルームで他の参加者とお喋り

 その後、買い忘れたものがあることを思い出したので近くのスーパーへ。このパラオで、日本ではあまり見かけないポッカの缶飲料を見かけていたので、4種類ほど選んで購入。珍しい缶飲料をコレクションしている知人がいるのだ。他にドライフルーツなども購入。

 さて塾長と過ごす最後のスケジュールがこの日の夕食会。バイキング形式で飲み物はアイスティー付き、アルコールがほしければ自費というシステムで、私はビールを頼んだのだ。今度は特に指定しなかったのだがマンゴビールではなくダークビール(黒ビール)が出てきた。これならあまり違和感はなし。

 塾長は赤いシャツで登場。カジュアルなときでもやはり華やかに映るものを選んでるのだろうか。乾杯してまずは食事。食べつつも同じテーブルの人たちと談笑する塾長の話をみんなが聞き耳を立てており、他の多くの参加者はあまり食べてなかったようだ(私一人かなり遅くまで食べていたのだが(^^;;)。

 ところでやはりオーラを放つような人というのは食事中の談笑にしても人を惹きつけるものがあるものだ。「スターの空気」というべきか。

 余談であるが、これと同種の雰囲気を、かつて参加したJWPのツアーでは福岡晶からは感じたのだが、日向あずみや輝優優やカルロス天野からはあまり感じることができなかったものだ。ちなみに美咲華菜に関して言えば、日向たちよりはそうした空気を発していたし、さらにそれを強めていく途上にあったと思うが、残念ながら福岡の域に達するより早くリングを去ってしまった。

 夕食会後半は、椅子をクラスルーム式に並べ直して塾長との「闘魂人生相談」に移行。イノキ・アイランドの昼食とこの夕食会といずれも塾長と同席できなかった我々10人は、この際に同じテーブルにつくことができた。

 プロレスがらみの話で、もっとも印象的だったのは武藤の離脱について。95年10月9日の新日vsUインター対抗戦のメインで出てきた武藤が、普段通りのアメプロ風のポーズで登場したときことを例に出して、「あの登場しかできない武藤はもう終わり」と。確かにいささか場違いな感じのポーズだったが、それゆえ印象が鮮烈なためによく憶えているわけだが。しかしそこまで遡って批判するとは思わなかった(^^;

 例の新世代発電の話も熱っぽい。メキシコには1千万世帯に明かりがなくて、対策には一兆円レベルの予算が必要である。その解決にこの新世代発電を用いたい、という話。また塾長の家はブラジルでコーヒー豆栽培の成功でブラジルでの生活の基礎を築いたわけだが、赤道周辺の「コーヒーベルト」と呼ばれるあたりが世界の再貧層となっており、その生活向上に役立てたい、といったところがこの新世代発電に意欲を燃やした動機らしい。ちなみに東京スポーツにあったような「永久機関」という言い方はこのツアー中にはしていなかったと思うのだが。

 その他の話題としては選挙出馬の直前の婚約会見とか、湾岸危機の際にイスラム教に入信したときの話とか。外国のものとおぼしき小道具なども交えて話をあきさせない。

 「言葉で思いを伝える技術をどうやって伸ばしたのか?」という質問に対しては「そんなこと言われると照れちゃうよ」などと軽口を飛ばしつつ、政治に出るために勉強はした、大勢の人と話すとき、一人の人と話しているつもりで誰か一人目標を決めて話せばよい、と教わって実践した、とのこと。実際に塾長はこの席においても、我々に語りかけて来る際に誰かに目線を投げかけながら話をする。このときのように同じテーブルを囲んでいると、時々その目線が私にも投げかけられるのだが、そのときの目が何ともいえず魅力的なのである。好きな異性に見つめられたときのようにドキドキさせられる(笑)そんな風に魅力的なのだ。

 質疑応答が終わるとサイン会。だいたいは色紙とか写真とか、たまにはTシャツなどにサインを貰うわけだが、中には、確か原悦男氏の撮影したストロング小林戦試合後だったかの写真ポスターをわざわざ持ってきてサインしてもらっている人もいた。

  

 このサインは転売防止のためということで、ひとつひとつ全て宛名入りであった。そのために参加者は自分の名前を紙に書いて提示するのだが、中には自分の会社宛に書いてもらっている人もいた。「これを口実にまた有休を取る」とか。

 最後は卒業証書授与式、というわけで、一人一人塾長から卒業証書を手渡してもらい、その際に2ショット撮影してもらえるコーナー。私の名前はよく読み間違えられるのだが、今回そのようなことはなかった。そのあたりが永崎さんの芸の細かさというか。

 21:00ごろには全て終了。1、2、3、ダァーで締め。中には出待ち(笑)をして車で自分の宿に帰る塾長を見送る人たちもいた。

 再度ホスピタリティルームで他の参加者の人たちとお喋り。同室のTさんは、かつて塾長が参議院議員時代あのスキャンダルに見舞われていた時期に、自分の母校の学園祭に講演会の講師として招聘したのだそうで、その時のお話は大変興味深かった。話に聞き入る人ばかりだったせいで、我々の部屋ではシャワーとか使ってる人はいなかった。

最終日(3月4日)

 23:30にはホスピタリティルームも引き払ってフロントに集合して、バスで空港へ。他の日本人団体客とかに混じって入国審査待ちの列に並ぶ。こんな時刻でも売店が空いていて、キャップ、灰皿、栓抜きなど土産物を追加購入することができた。入国審査が済み手荷物を預けたあとは待合室で少々時間を潰す。ここには先ほどの売店よりも小さな売店レベルの免税店?があったが、パレイシアホテルの免税店よりは少々高かったりした。

 2:00ごろにはまたB737に乗り込む。グアムへの空路ではほとんど寝込んでいた。ちょうど機内食(軽食)を取り上げられたところで目が覚めた。その取り上げられた恨みが尾を引いていたので(笑)、グアム空港ではコーヒーと一緒にハムクロワッサンと何だったか甘味のパンを食べた。これがあのフードコートで一番軽い食事だったような。うどんとかもあるが$7.5とかであまり安くないので避けたのだ。さらに免税店でマンゴプリンを購入。朝の5:00ごろだが免税店も全部開いていたのだ。参加者によってはここで両替を済ませていた。現地時間の7:00ごろになるとぼちぼち搭乗開始というわけでここでお別れ。成田組、福岡組、関空組の順に搭乗していった。関空行きも7:55には出発、11:00前ごろには関空に到着した。めいめい荷物を受け取り解散した。


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