旅の空からの伝言


2005年2月11日 サルバドールより


祭の後、サルバドールは3日間キャット・アンド・ドッグが降り続きました。

今日は久しぶりの快晴です。

カルナバルが終わりました。

思い返すと夢の中の出来事のように感じます。

出し切ってフラットで、ちょっとふわふわしています。

終わりが始まり。

始まりが終わり。

海のほうへでも行ってみようかと思っています。

日本は沈丁花が香っている頃でしょうか。







■ちあきさんへのレスポンスより


カルナバルでは3日間叩いたのだけど、その様子は毎日テレビで放送されたよ。

家でテレビを見ていると有名ミュージシャン達に混ざって自分達が映ったりして不思議な感じだった。

日本人のバンドという話題性が大きいのだろうけど、女の子達の衣装も良かったんじゃないかな。

振袖をミニスカートにしたようなデザインで赤や紫の光沢のある生地。

どぎついメイクに片肩をはだけた勘違いのジャポニズム。

(フジヤマ・ハラキリ・ゲイシャがコンセプト)

新聞にも取り上げられたのだけど

「ゲイシャがバイーアのリズムに出会った」みたいな見出しだった。

色々なことがあったけど最終的には良いバンドになったと思う。

ちあきがいたら更に盛り上がっただろうな。







■やじまくんへのレスポンスより


日本に報道されるのはどうしてもリオになる。

イメージ、イメージ。

この時期、ブラジルでは、どこの町でも一斉にカーニバルが行われている。

サルバドールはリオと並ぶ大きな祭り。

だけどサルバドールとリオは全然違う。

リオが地元のエスコーラ(サンバ・チーム)の踊りと演奏によるパレードなのに対して

サルバドールは有名ミュージシャンがやって来てのパレード。

(俺たちのような小規模のグループもたくさんある)

ミュージシャンがPAを積んだトラックの上で自らのヒットソングを歌う。

コンサート会場がパレードしているような感じ。

入場料としての各ミュージシャンごとのTシャツを購入した一般の人が、そのパレードに加わる。

盛り上がりは凄いよ。

カーニバルのための曲が何ヶ月も前から発売されていて(各ミュージシャンのオムニバスCD)、

あちこちで流れているし、みんな歌えて、踊りの振りまで出来ている。

参加するカーニバルとしては、サルバドールで良かったのだけど、

実は蓋を開けてみたら、見たいカーニバルではなかったんだ。

素朴なサンバが好きな自分としては、観客としてはリオを観たかったなあと思った。

俺もまた旅立ちだ。

人の数だけ祭りも旅もある。







■あいかさんへのレスポンスより


カルナバルの熱狂と陶酔の中で時々妙に醒めている自分がいた。

集団がひとつの方向を向いている時のベクトルは大きな力になると同時に少数を見落とす。

ひとつになる力の素晴らしさを感じながらも、内包する危険性を思う自分がいた。

奴隷として連れてこられたアフリカの人々。

侵略により殺され追いやられた先住民達。

退屈で厳しい日々を過ごす人々。

忘れるための祭。

忘れないための祭。

どちらも必要だし本質に大きな違いは無いように思う。

集まって喜びを分かち合うのが祭りなのだと思う。

民族の血やアイデンティティを誇りに生きている人もいれば、

それに縛られて身動きがとれない人もいる。

俺たちの生活は悲しい歴史の上にあるし、愛の繋がりの延長線上にもある。

立ち止まって考える時間も必要だが、それに囚われることなく、前に進んでゆかなくてはならない。

いまだに真実は風の中だし、洗濯機の中、だけど、自らの手の中にあるんだ。

今日は最後のサルバドールを歩いてます。

一緒に歩く。

サウダージに込められた本当の意味。







2005年2月15日 サルバドールより


1月3日に着いてから実に43日間。

この旅最長の滞在でした。

サルバドールを離れます。

一緒に太鼓を叩いた仲間たちもそれぞれの場所に戻ってゆきます。

集まり散じて人は変われど

仰ぐは同じき希望の光

母校の校歌を思い出しました。

ありがとう、バイーア。

ありがとう、ナタカ・ト・シーア。

流されて 流されて 何処へゆくやら

くりかえす くりかえす 良いことも 嫌なことも

明日も何処か祭りを探して 

この世の向こうへ連れて行っておくれ

夜行バスで南へ向かいます。







2005年2月20日 サンパウロより


緑のミナス・ジェライスを走り抜ける。

トランコーゾを経由してサンパウロにやって来ました。

ブラジル経済の中心であるサンパウロには48万人の日系人が住むと言われています。

滞在しているのは南米1の東洋人街であるリベルダージ。

「木村理髪店」

「食堂やまもと」

「レストラン喜怒哀楽」

街の真ん中には赤い鳥居がそびえ立ち、あちこちに日本語の看板が見えます。

ひと昔前の日本の繁華街にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えます。

スーパーに入ると思わず顔がほころぶくらい日本のものがずらり。

豆腐、大福、どら焼き、のり巻き、漬物、おでん種、素麺、みょうが、梨。

仏壇から鯉のぼりまで手に入ります。

五木ひろし、都はるみ、キム・ヨンジャ、村田英雄などのCDも手に入ります。

さっそく、箸、豆腐、カッパ海老せんを買いました。

夜になると大阪橋の上には「やきいも」の出店が出没しました。

数日滞在して旅の体勢を整えます。

そうそうトランコーゾでも「ナタカ・ト・シーア!」と声をかけられたのにはビックリ。







■なおやじーにょへのレスポンスより


サンパウロに着き、ペンション荒木が満室だったので、隣のドミトリーにチェック・イン。

部屋に入るとペドロがベットに横になっていました。

ペンション荒木にいる友人を訪ねていくと、そこに居たのは水隊の木村くん。

道を歩くとナタカのヨーコちゃんにばったり。

ヨーコちゃんは近視手術をして瞳孔ひらきっ放し状態でした。

いやいやいや懐かしさのあまりついつい内輪話を長々と書いてしまいました。

密度の濃い時間は懐かしさに変わるのも早いようです。

バイーア!

ナタカ・ト・シーア!

なお宿!

カルナバール!

サルバドール!

ホント既に懐かしい!

大変お世話になりました!

オブリガード!

また是非一緒に叩きましょう!

サルバドールに残っている仲間にもよろしくお伝え下さい。







■プリマヴェラさんへのレスポンスより


燃えましたよ。

カルナバル。

プリマヴェラさんはお子さん達に会いに行く休暇だったのですね。

旅の疲れは出ていませんか。

ひさしぶりの再会で親子の良い時間を過ごされたことと思います。

サルバドールからポルトセグーロへ12時間。

ポルトセグーロからサンパウロへ27時間。

広い広いブラジルをバスでひたすら走ってきました。

プリマヴェラさんと入れ違いでサンパウロです。







2005年2月21日 サンパウロより


お好み焼き!たこ焼き!今川焼き!焼きそば!

日曜日にはリベルダージ広場で東洋市が行われました。

その様子は日本の縁日そのもの。

かざぐるま、盆栽、竹細工など日本情緒満載の品々。

お風呂で泳がすゼンマイ仕掛けのカエル。

ゆっくりとレールを走るプラスチックの電車。

金魚、ザリガニ、ドジョウ。

お守りを売る店もあり(南米神宮!)怪しいおっちゃんが墨を摺りながら

「開運」「健康」などとお札に書いていました。

結構ブラジル人が買ってゆきます。

時計を1時間戻しました。

サンパウロはサマータイムが終了です。

カルナバルが終わり季節は夏から秋。

昼間の陽射しは夏の強さですが、明け方には毛布をかぶりました。

そちらはいかがですか。

まだまだ寒い日本だと思いますが、春は確実に近づいていますね。







■やじまくんへのレスポンスより


確かに旅先で日本的なものに出会うとホッとするのだけど

リベルダージのそれはちょっと違う。

日本以上に日本的というか異次元空間に迷い込んだような感じだよ。

「東京日和」を見たり、「上を向いて歩こう」を聞いた時に感じるような少し昔の日本。

人々が希望を持って正直にがむしゃらに生きていた時代。

国籍なんてこだわらず良いものは受け入れて変化してゆこうという思いと

流されずに受け継いでゆくことの大切さが俺の中で交差しているよ。

楽しいね。

チャモロの人々もやさしい人達なんだな。

たくさんの優しさや美しさに支えられて旅が続く。

そういうものに出会えた自分としてどう生きてゆくかがホントの旅なんだと思っている。







■プリマヴェラさんへのレスポンスより


サンパウロに着いて始めにしたのは「かつ膳」に食事に行くことでした。

とんかつ定食を頼みました。

ひとくち味噌汁を飲んで感動!

ひとくち御飯を食べて感動!

漬け物(しかも、みょうが付き)に感動!

とんかつを食べる前から充分に満足してしまいました。

手作りソースにも、黄色いカラシにも感動!

そして、食後に出てきた緑茶に感動!

御飯のおかわりまでして食べ過ぎて、夕飯は冷やっこにしようと思いました。

スーパーに行けば、かつおぶし!ネギ!しょうが!も手に入る!

こうやって書いているだけでも嬉しくなってきてしまいます。

望郷の思いと食の渇望はダイレクトに直結しているようです。

異国の地でこれほどまで完璧な味を再現してきた移民の方々の思いを想像すると胸が熱くなります。







2005年2月24日 サンパウロより


理想ばかりが高くて

意志ばかりが先走って

体と心にNG出されて

何が自然の流れなのだろうと、今、生きている

それは時には信仰にも似た思い

今から10年ほど前のことです。

毎日のように朝の5時、6時まで働いていました。

体を壊しました。

37、5度ほどの熱が1年以上さがらず、1ヶ月で5キロ落ちた体重は、

いくら食べても45キロより増えませんでした。(現在、65キロ適正体重)

だるくて動かない体に鞭を打つように、合い間合い間に点滴を打ちながら働いていました。

今思うと過労死してもおかしくない状態でした。

それからです。

自分の心や体の状態に自覚と責任を持つようになったのは。

強い薬を飲み続けなくてはならない西洋医学に疑問を抱き、

自らの治癒力を高めるにはどうしたら良いのかと考えました。

仕事時間を短縮。

考え方の癖を改める。

睡眠時間を多く摂る。

キチンと食事を摂るというのも、そのひとつで、それは農業への興味へと繋がってゆきました。

いくつかの縁の導きで、農家や牧場にホームステイしたり、

自宅(新宿区のマンションのベランダ)で稲作(古代米)をやってみたりもしました。

この地球は命の集合体であり、全ての命は有機的に繋がり、生かされ生きている。

自分という自然が生きていることに感謝しながら生きる。

農業を通して実感した思いは、自分が現在生きてゆく上での柱となっています。

「芸術・宗教・百姓のハーモニーが人間の求める本質的な生活」

そんな理念を異国にて実践している日系人によるコミューン(農場)がブラジルにはあります。

明日から働きます。

弓場農場での生活が始まります。







■旅の始まり:http://www1.u-netsurf.ne.jp/~silent/a-world-0009-daitoucyou.htm


■河瀬牧場:http://www1.u-netsurf.ne.jp/~silent/a-world-0036-01.htm


■生きる喜び:http://www1.u-netsurf.ne.jp/~silent/nitijyou-ikiruyorokobi.htm


■古代米-命-:http://www1.u-netsurf.ne.jp/~silent/nitijyou-kodaimai.htm







■Masaくんへのレスポンスより


働きすぎて、体壊して、今、旅人。

Masaくんも同じような入り口なんだなあ。

農場での生活、とても楽しみなんだよ。

そしてこの旅もまた何処かへ続いてゆく。







■プリマヴェラさんへのレスポンスより


プリマヴェラとは春&ブーゲンビリアの意だったのですね。

弓場農場の図書館で偶然に知りました。

元気にやっています。

弓場のみんなも元気です。

親切にしていただいています。

正典くん(プリマヴェラさんの息子さん)とは隣の部屋です。

不思議なものですね。

御飯が美味い!

空気が美味い!

落ち着いたら弓場の生活をアップしてゆきますね。







■KSKへのレスポンスより


ギリシャからの書き込みありがとう!

今は何処にいるのだろう。

更にゴールと新しいスタートへ近づいていることだろう。

「自分の場所」

けーすけのやり方で人と作るその場所を楽しみにしているよ。

心地良い椅子に座りに行くよ。

いつでも旅の感覚を!

また会おう!







2005年3月3日 弓場農場より


朝6時起床。

御飯を茶碗に3杯。

弓場農場にお世話になっています。

主にマンゴーの収穫を手伝っています。

昨日は4人で1000kgほどのマンゴーを収穫・選別。

働いて働いて、たっぷり食べて、よく寝ています。

体は疲れますが、元気です。







■あいかさんへのレスポンスより


今年の弓場農場はマンゴーの大豊作。

大体11月から3月が収穫期なのだけど既に昨年採った倍以上のマンゴーが獲れている。

今の勢いだと4月に入っても獲れる。

この時期市場からはマンゴーが消えるので、かなり高値で売れるようです。

御飯が食べたくて早起きしてます。

心も体も大切だね。

海に行きたいなあ。







■やじまくんへのレスポンスより


夢中で過ごした時間も、何気なく過ごした時間も、なにひとつ無駄な時間は無い。

たくさんの偶然が積み重なった必然として今此処にいて旅が続く。

先週末の弓場農場は、結婚式に御葬式に送別会に大忙しでした。

今週末はシボレーに乗って魚釣りかな。

よく働き、よく食べ、よく寝ています。